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福田康夫 『ウィキペディア(Wikipedia)』
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投稿者 ワヤクチャ 日時 2007 年 9 月 15 日 08:54:25: YdRawkln5F9XQ

(回答先: 首相就任でも「靖国参拝せず」=予算成立前の解散否定−福田氏 投稿者 ワヤクチャ 日時 2007 年 9 月 15 日 08:37:00)

福田康夫
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%94%B0%E5%BA%B7%E5%A4%AB

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衆議院議員 福田康夫 生年月日 1936年7月16日(71歳)
出生地 群馬県高崎市
出身校 早稲田大学
学位 経済学士
前職 丸善石油(現コスモ石油)課長
福田赳夫秘書
金融財政事情研究会常任理事
所属委員会
内閣役職 衆・総務委員会
世襲 二世
父・福田赳夫
選出選挙区 群馬県第4区
当選回数 衆6回
所属党派 自由民主党(町村派)
党役職 党総務
党住宅土地調査会会長
会館部屋番号 衆・第一議員会館611号室
ウェブサイト 福田康夫オフィシャルサイト
福田 康夫(ふくだ やすお、1936年7月16日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員。血液型A型。父は第67代内閣総理大臣の福田赳夫。

目次 [非表示]
1 概要
2 人物
3 ポスト小泉
4 ポスト安倍
5 年譜
6 家族・親族
7 系譜
8 著書
9 参考文献
10 関連項目
11 外部リンク


[編集] 概要
群馬県高崎市出身。早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒業後、丸善石油に入社。同社課長、福田内閣にて内閣総理大臣秘書官などを経て、1990年に衆議院議員選挙に当選。村山内閣改造内閣にて外務政務次官、自民党外交部長などを歴任。その後、森喜朗内閣、小泉純一郎内閣で内閣官房長官を務める。官房長官としての在任期間は歴代最長の1289日間。清和政策研究会(町村派)に所属。北京オリンピックを支援する議員の会の副会長を務める。


[編集] 人物
大学卒業後、17年余りに渡りごく普通のサラリーマン生活を送り、父赳夫の秘書となるまで政治の世界にはほぼノータッチだったため、いわゆる「政治家」らしくない感覚の持ち主と言われ、父親譲りの飄々とした人柄。滞米経験などから英語が堪能で、初入閣までは主として外交関係のポストで地歩を築いた。閣僚経験が皆無であったにも関わらず、森内閣で官房長官に起用されたことに疑問の声も上がったが(当時の森派会長・小泉純一郎の推挙であるとも言われている)、無難に調整役をつとめた。その後小泉内閣では2度にわたる内閣改造でも留任。森内閣においては首相の失言の弁明に追われることも多かったが、在任期間が延びるにつれ、首相に直言できる女房役としての存在感は次第に増していくことになった。

実務能力には定評があり、官邸主導の政治体制が確立していく中で、政府各省や与党との調整に力を発揮した上、本来の得意分野である外交における存在感も徐々に増していった。小泉内閣では、外務大臣田中眞紀子と外務省官僚との軋轢を巡る騒動の中で外務省が機能不全に陥った時は、大臣の頭越しに自ら外務省事務方への指示を行って、「影の外務大臣」などと囁かれた。民間人閣僚だったために与党内に基盤を持たなかった後任の川口順子の時代になっても外交への関与は続き、退任まで官邸外交を取り仕切ることになった。


[編集] ポスト小泉
年金未納が発覚して小泉内閣の官房長官を辞任した後は、政権と距離を置き、第3次小泉改造内閣にも入閣しなかったために、小泉内閣に批判的な一部政治家やマスコミ・知識人などの自民党内外の諸勢力の間に総理総裁就任待望論があり、小泉の2006年9月の総裁任期満了を控え「ポスト小泉」有力候補(俗に言う麻垣康三)の一人に挙げられてきた。

事前の各種世論調査において次期自民党総裁・首相として、安倍晋三に次ぐ支持率を得ることが多く、安倍に次いで次期首相の座に近い立場にあると目され、安倍への対抗馬の筆頭として注目を集めていた。アジア外交などについて小泉内閣の路線を踏襲する色合いの強い安倍に対して、アジア重視の姿勢を見せるなど対立軸を提示し、政権への意欲ともとれる動きも見せていたが、2006年7月21日、総裁選への不出馬を正式に表明。これに出馬を期待していた勢力からは失望の声が聞かれた。これを受け「ポスト小泉」の総裁選は、安倍の大勝に終わった。

安倍内閣においての要職起用は無く、表立った活動は少なかった。2007年6月には党住宅土地調査会会長として「200年住宅ビジョン」を発表したことが話題となった。与党が大きく議席を減らした2007年7月の参院選後は、8月27日の内閣改造人事における起用が取り沙汰されたが、実現しなかった。


[編集] ポスト安倍
2007年9月12日に安倍晋三が内閣総理大臣、自由民主党総裁の辞任を表明し、その翌13日、自由民主党総裁選挙への出馬意思があると報道され、自身も出馬の方針を示した。対立候補として麻生太郎があげられるが、町村派含めたほぼすべての派閥(事実上、麻生派以外の全派閥)が福田支持(基礎票302票/528票)を決定しており、圧倒的優位が伝えられている[1]。また、小泉純一郎前首相も「福田さんだって小泉政権を支えてくれた人じゃないか」と福田支持に前向きな姿勢を見せている。実質、福田康夫総理総裁が内定している情勢である。

福田が総裁選に勝利し内閣総理大臣に就任した場合、憲政史上初の親子での総理となる。


[編集] 年譜
1949年 東京学芸大学附属小学校卒
1952年 麻布中等学校卒
1955年 麻布高等学校卒
1959年 早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒
1959年 - 1976年 丸善石油社員 この間2年間米国駐在。最後は課長
1976年 - 1978年 父親の首相就任に伴って議員秘書、次いで首相秘書官に。
1978年 - 1989年 金融財政事情研究会 常任理事
1990年2月 父・赳夫の引退後、第39回衆議院議員総選挙に旧群馬3区から立候補し、初当選
1993年 衆議院外務委員会理事
1995年 外務政務次官
1996年 自民党外交部長
1997年 自民党副幹事長
1998年 衆議院外務委員会筆頭理事になるが、いわゆる「河野発言」で辞任
1999年 自民党経理局長
2000年10月 内閣官房長官就任(第2次森内閣途中入閣)
2002年5月31日記者懇談会で将来における核保有と非核三原則の見直しの可能性に言及。またこの発言における政府首脳の扱いをめぐって対応が二転三転した
2004年4月7日 内閣官房長官の在任記録が1259日となり、歴代の記録を更新。
2004年4月 「(国民年金保険料を払っているか否かの公表は)個人情報でそういうものを開示すべきではない」「犯罪ですか?」云々との旨の本人発言直後の4月28日、自らの国民年金保険料の未払が露呈。当初未払期間は、1990年2月から1992年9月の間と、1995年8月から1995年12月までの間の合計3年1ヶ月間となっていたが、辞任直前、週刊文春が1976年11月から1990年2月までの間の内の、5年8ヶ月間も同じく未納であったことを報じた。
2004年5月7日 定例記者会見の席で官房長官の辞任を表明した。在任日数1289日。
2006年10月、党総務に就任。

[編集] 家族・親族
妻 貴代子(宮城県,実業家嶺駒夫の娘 島根県,政治家櫻内義雄の姪、櫻内幸雄の孫娘にあたる)
長男 達夫(秘書)
甥 越智隆雄(政治家)
その他の親戚 越智通雄(官僚、政治家) 斉藤明(毎日新聞社会長)、太田誠一(政治家)、松谷明彦(官僚)など

[編集] 系譜
福田氏
     太田清之助
       ┣━━━━━━太田誠一
     ┏俊子
     ┃
櫻内幸雄━╋櫻内乾雄
     ┃
     ┣櫻内義雄
     ┃        斉藤明
     ┗━━淑子     ┃
         ┃   ┏富佐子
         ┃   ┃
       嶺駒夫━━━┻貴代子
               ┃
             ┏福田康夫
             ┃
       福田赳夫━━╋和子
             ┃ ┃
             ┃越智通雄
             ┃
             ┗玲子
               ┃
             松谷明彦

[編集] 著書
『一国は一人を以って興り、一人を以って亡ぶ』(ベストセラーズ,2005年)
衆議院議員衛藤征士郎との対談本 聞き手は明石散人


[編集] 参考文献
佐藤朝泰 『豪閥 地方豪族のネットワーク』 立風書房 2001年 436-437、439-441頁
神一行 『閨閥 特権階級の盛衰の系譜』 2002年 角川書店 108-122頁
「官邸の妖婆」福田康夫研究/山村明義,「文藝春秋」2003年9月号

[編集] 関連項目
福田氏
自由民主党国会議員一覧
清和政策研究会
福田晃治

[編集] 外部リンク
福田康夫オフィシャルサイト
先代:
中川秀直 内閣官房長官
2000年 - 2004年 次代:
細田博之

表・話・編・歴歴代の内閣官房長官[表示]
内閣書記官長
田中光顕 - 小牧昌業 - 周布公平 - 平山成信 - 伊東巳代治 - 高橋健三 - 平山成信 - 鮫島武之助 - 武富時敏 - 安廣伴一郎 - 鮫島武之助 - 柴田家門 - 石渡敏一 - 南弘 - 柴田家門 - 南弘 - 江木翼 - 山之内一 - 江木翼 - 兒玉秀雄 - 高橋光威 -三土忠造 - 宮田光雄 - 樺山資英 - 小橋一太 - 江木翼 - 塚本清治 - 鳩山一郎 - 鈴木富士彌 - 川崎卓吉 - 森恪 - 柴田善三郎 - 堀切善次郎 - 河田烈 - 吉田茂 - 白根竹介 - 藤沼庄平 - 大橋八郎 - 風見章 - 田邊治通 - 太田耕造 - 遠藤柳作 - 石渡荘太郎 - 富田健治 - 星野直樹 - 三浦一雄 - 田中武雄 - 廣瀬忠久 - 石渡荘太郎 - 迫水久常 - 緒方竹虎 - 次田大三郎 - 楢橋渡 - 林譲治
内閣官房長官
林譲治 - 西尾末広 - 苫米地義三 - 佐藤栄作 - 増田甲子七 - 岡崎勝男 - 保利茂 - 緒方竹虎 - 福永健司 - 根本龍太郎 - 石田博英 - 愛知揆一 - 赤城宗徳 - 椎名悦三郎 - 大平正芳 - 黒金泰美 - 鈴木善幸 - 橋本登美三郎 - 愛知揆一 - 福永健司 - 木村俊夫 - 保利茂 - 竹下登 - 井出一太郎 - 二階堂進 - 園田直 - 安倍晋太郎 - 田中六助 - 伊東正義 - 宮澤喜一 - 後藤田正晴 - 藤波孝生 - 後藤田正晴 - 小渕恵三 - 塩川正十郎 - 山下徳夫 - 森山眞弓 - 坂本三十次 - 加藤紘一 - 河野洋平 - 武村正義 - 熊谷弘 - 五十嵐広三 - 野坂浩賢 - 梶山静六 - 村岡兼造 - 野中広務 - 青木幹雄 - 中川秀直 - 福田康夫 - 細田博之 - 安倍晋三 - 塩崎恭久 - 与謝野馨

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カテゴリ: 現在進行 | 日本の閣僚経験者 | 日本の国会議員 | 群馬県の政治家 | 高崎市出身の人物 | 1936年生 | コスモ石油

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最終更新 2007年9月14日 (金) 23:19。 All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License. (詳細は 著作権 を参照)
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