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川と筏と乗っている物
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投稿者 松浦 日時 2008 年 6 月 24 日 20:25:31: nX3mGLaD7LQUY
 

川と筏と乗っている物

世界を川、筏、乗っている物の三種に喩えて説明する。

ここでいう「乗っている物」とは、現象の全て。目に見える対象、対象と対象の関係性、変化・変遷する現象の全て。正確には、現象学的志向対象とそれを生み出す主体認識を合わせた、単なる認識主体ではなく認識と背景にある概念をも含む現象学を構成する一切の事柄、これら一切合切が「筏に乗っているもの」である。

これらには、自然科学が対象とする存在と現象と概念の全て、社会科学が対象とする存在と現象と概念の全て、人文学の対象とする全ての事柄、人の内面現象の価値観とみなされるものを含む全てと、主体である人そのものが含まれる。

要するに、人自身と人の意識にある事どもを全部ひっくるめて、ここで指すところの「筏に乗っているもの」である。
したがって、通常例外無く、人は一生の間でこれ以外のことを意識することも、関わることもない。もちろん、学問の対象としても「筏に乗っているもの」以外はまず存在しないとみなしてよい。

それでは、ここでいう川と筏とは何を指すのか。

川は一般物象論でいうところの歴史(以下単に「歴史」)を指す。同じ言葉を使っていても、その意味するところは、現象として認識される人が認識してきた歴史とは完全に別物である。これは歴史上存在しなかった概念であり、人の持つ概念ではない。

川は、物象性の一方向の不可逆的流れを喩えた表現である。川の水がそれ自体で上流に向かって逆流することが無いように、「歴史」も欠落してゆく物象化の方向は定まっており、川にも山の頂きの始まりから海に至るところの終りがあるように、「歴史」にも始まりと終りとがある。
これは、第一法則を指しているが、現象の変化や個物の形態変化や消滅とは、完全に無関係な概念である。物象性は現象を意味しない。(重要)

筏は、第二法則で示す、一方向に進行して変化していく構造の喩えである。
この構造は、関係性の概念を含む現象、すなわち上記の「筏に乗っているもの」とは完全に別の上位者で、認識可能な諸現象のいわゆる諸行無常とは全く別次元にある。(重要)

例えば、ソシュール言語学の意味する「構造」は、この比喩をもって表すなら、川のある特定の位置における筏の状態を表現したものといえる。

それは、言語の中にあるのは差異だけだという言葉に端的に示されている。言語の体系性を最重要としながらも、se(^)me(signeの体系概念)の説明に、単位内概念であるsignifiantとsignifie(^)を用いた分析を強いられる近代以降の「歴史」的制約を受け、表現(メタ)「概念と言語」の限界の壁に早くから突き当たり、言語学の一般理論を放棄せざるをえなくなった点と、
中世詩のアナグラムの研究において、本来的なアナグラムが表現者の恣意性と自覚を伴うものではないことの認識ができていなかったために、言語の原型の研究が入り口の段階で行き詰まってしまった点が、構造一般の理解に到達することができず、特定の「歴史」時点における特殊「構造」の研究で終わってしまった理由である。
したがって、人類は現時点まで構造一般の概念には到達することはなかった。

続ければ、「筏に乗っているもの」、全ての「歴史」的事象は、人類にとって未だ不可知な存在といえる「筏」、すなわち構造一般の上で、物象化レベルを完全に支配決定される。もちろん「筏」でさえ不可知な存在であるのだから、まして、「川」の存在を知ることなどありえない。
そして、「筏に乗っているもの」はどんな意味でも「筏」に影響を与えることは無く、ただ一義的に「筏」の性格(物象化の水準)にその内容と在り方の全てを規定される。

さらに「筏」は、「川」のどの地点にあるか、上流なのか中流なのか、それとも下流のどこにあるのかで、一義的にその性格を決定付けられる。それは、筏は川を流れ落ちるのであり、川の流れには干渉できないのに似ている。

結論として、上記をまとめれば、人自身と人に認識される全ての存在と事象は、主体認識の届かない「歴史」の物象化の進行に一義的に規定され、その始まりから行き着く先までが予め決定しているということになる。
したがって、人が創る歴史、人が関与する歴史と、一般物象論のいう「歴史」とは全く別物ということである。それが誤解の原因の一つともいえるのだが、それなら何故、別の用語を当てなったのか。
それは、一般物象論のいう「歴史」こそが、真の歴史のスケールであって、俗に認識されてきた歴史は、認識主体の自己内部の存在で、現実の過去も未来も明らかにしてはくれない無意味な概念に過ぎないという事実を示し、歴史概念の再定義を意図しているためだ。歴史をいくら学んでも、確実に未来を知ることには繋がらないことがそれを証明している。

だが、一般物象論においては、時間の存在とは別の次元に在るため、過去と未来は完全に等価で、過去を知ることと、未来を知ることは同時に成立する。
すなわち、何時どのような時点でも過去と未来を完全に把握することができる。それが、歴史を超えることの意味である。

俗には、通時的にも存在論的序列にも、物理学的存在の後に生物が生まれ、それが進化論的過程を経て人間が生まれ、それが社会集団を形成して言語が生まれ、その結果生じた文化が分化・高度化して文明が生まれ、更にそれを繰り返して今日のように発展してきたとされている。

そして、ここでいう社会集団の形成辺りからが、歴史が形成されていく過程とみなされている。

それに対して、一般物象論の「歴史」は物理学的存在の前に始まる。物理学の前提とする個物、因果律、線形時間が既に「歴史」的ノモスであって、全体世界を構成できない破綻した虚構であり、自然には存在できないことを示す。そして、それに続く発展論がことごとく辻褄の合わない自己撞着的虚偽と不正の信仰に過ぎないことを明らかにする。
そこでは、物理学的存在と歴史的人間は、完全に同義であって、「歴史」と共に発生するのであり、どちらが元でも後でもない。

したがって、ここでの比喩によれば、何が虚構で、現実には存在しないのかといえば、
川と筏と乗っている物、これら三つ全部である。
相対構造は存在論上自己完結できないという表現は、そこから派生している。

それなら「歴史」的人間は、何が創るのか。当然これまで説明したように「歴史」が一義的に生み出す。決して逆ではない。

上記にもあるように、「歴史」の掌において人は主体ではなく、自分を超えた不可知な物象化構造の筏の上に、同種の仲間である物理学的存在と一緒に相互関係性の拘束の中に囚われて、これもまた不可知な一方向の欠落のプロセスをひたすら流されていくものでしかない。

では、「歴史」的人間ではない自然的人間はどうなのか。それは、「歴史」とは無関係なので何の影響も受けない。そのことは、永遠の過去においても永遠の未来においても違わない。

これが、権力も庶民も大衆も、これら三者は「歴史」が創りだしたもので、現実には存在すらしないという表現の意味である。
決して、誰かが、権力が庶民・大衆を生み出すという意味ではない。事実、権力と奴隷はいかなる時でも共に生まれるのであって、どちらかが他者に先行するのでも、原因となるのでもない。

最後に、あるアボリジニの言葉を引用する。
「伝統は、人が生み出すものではなく、人が人に伝えるものでもない。それゆえに、伝統は変わることはなく、消えることもない。それは、世界に地下茎のように張り巡らされていて、神が必要とするとき姿を現す。」
この伝統とは、全ての非歴史的世界を普遍的に支える精神を表し、超歴史的な現実を意味する。歴史に見られる変遷する風俗(文化)現象、所謂歴史伝統のことではない。人間社会を起源としないのだから当然である。ゲノンの示した伝統的精神もこれを意味する。


人類の過去において、わずかでも物象性を認識して部分的な物象論を産み出すことができた者でさえ、数百年に一人生まれてくることはなかった。それは、非常に稀なため所謂天才の範疇には入らない。おそらく社会的存在ですらない。

ところで、いかに概略とはいえ一般物象論とその解説をこうした場所に記すのが適切であったかといえば、今では誤りであったことは明らかである。したがって、これを最後とする。
時々とはいえ、お世話になりました。それでは、さようなら。
 

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