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第5章 真の悲劇は何だったのか?−−「アウシュヴィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか」(転載自由) 
http://www.asyura2.com/08/holocaust5/msg/190.html
投稿者 西岡昌紀 日時 2009 年 2 月 23 日 00:37:18: of0poCGGoydL.
 

−−「アウシュヴィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか」−−  


第5章 真の悲劇は何だったのか?

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イスラエルのガザ空爆・侵攻から2か月が経とうとして居ます。


報道は減りましたが、医療状況の悪化をはじめとする現地ガザの民生の状況には、深い憂慮を抱かずに居られません。
−−報道の減少は、逆に、国際社会の関心の低下を招くのではないかと憂慮して居ます。


イスラエルのガザ侵攻と、それによって生じたおびただしい民間人の被害に対する私の抗議として、特に、何の罪も
無い子供たちの被害に対する私の講義として、私の著作である 『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)の一部(第一章)の全文をお送りします。

コピペによる転送、転載を歓迎します。以下の文章の一部分でも全体でも、自由に御利用下さい。ただし、文章の変更は
お断り致します。文献参照、写真、グラフ、図、などは、労力の問題と技術的理由から、割愛させて頂きましたので、
御覧になりたい方は、本の実物で御覧下さい。


イスラエルのプロパガンダである「ナチのガス室」をまだ信じて居る御友人、御知人などにメールとして転送される事や、
各種掲示板に貼り付けて下さる様、お願い申し上げます。−−イスラエルがガザで行なった民間人殺戮への抗議活動として、
そして、民生状況の劣悪化への抗議として、御協力をお願ひ申し上げます。

これは、私のインティファーダです。


http://spn05738.co.hontsuna.com/article/1059522.html
(この本についてのサイトです)


2009年2月23日(月)


                      西岡昌紀


http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%84%E3%80%8C%E3%82%AC%E3%82%B9%E5%AE%A4%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E2%80%95%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AE%E6%82%B2%E5%8A%87%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B-%E8%A5%BF%E5%B2%A1-%E6%98%8C%E7%B4%80/dp/4817403934/ref=cm_cr_pr_product_top


(以下本文/転送・転載歓迎)
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(第4章 「証言」の問題 の続きです)

         第5章 真の悲劇は何だったのか?


−−これまでのお話で私は、ナチスがユダヤ人を迫害したこと自体は明白だが、言われているような「ユダヤ人絶滅計画」にも「ガス室大量殺人」にも物証と言えるようなものは存在しないこと、そして、特に「ガス室大量殺人」については、元被収容者たちの証言には整合性が欠如しており、かつ、十分に検証されていなかったことなどをお話ししてきました。
 この本における私の目的は、「はじめに」で述べた通り、「ユダヤ人絶滅計画」や「ガス室」の実在を最終的に否定することではなく、それらに疑問を投じることにそぎません。疑問を投じた後は、「ユダヤ人絶滅計画」や「ガス室」があったという人々による説明を待つばかりですが、「ホロコースト」の「定説」には、まだまだ驚くほどたくさん、不合理が含まれているのです。ですから、現状では、私個人は、こうした彼らの「教義」を信じることはできません。
 最も決定的なことは、「ガス室大量殺人」に関する「定説」側の主張に、科学的に不合理な部分が多々含まれているということです。ここで言う不合理というのは、必ずしも不可能という意味ではありません。しかし、あまりにも困難である、或いは馬鹿げている、という意味だとご理解頂きたいと思います。そうした幾多の科学的不合理に「定説」を擁護する人たちは一体、どのような説明をするのでしょうか?−−

(西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか?」(日新報道・1997年)212ページより)


−−先ず、そうした科学的不合理の極みとも言えるのが、既にお話しした、「ディーゼル・エンジンで一酸化炭素を発生させるガス室」の話です。即ち、繰り返しになりますが、「定説」側論者は、ポーランドに作られた六つの「絶滅収容所」の内、トレブリンカ、ソビボル、ヘルムノ、ベルゼックの四か所には、「ディーゼル・エンジンで一酸化炭素を発生させるガス室」があり、そうした「ガス室」によって、多くの人々が殺された、と主張しているのです。(「定説」側があったと主張するこの「ガス室」のことを、以下「ディーゼル・ガス室」と呼びます)
 これは、マーティン・ギルバートなど、多くの「定説」側歴歴史家が述べている主張ですが、既にお話しした通り、ディーゼル・エンジンは、ガソリン・エンジンとは違い、一酸化炭素は極く微量にしか排出しません。他の排気ガスはともかく、一酸化炭素の排出量が少ないことこそが、ディーゼル・エンジンの特徴なのです。ですから、仮にドイツ人たちが一酸化炭素を使うガス室などを作ろうとしたなら、はるかに多くの一酸化炭素を排出するガソリン・エンジンではなく、ディーゼル・エンジンを一酸化炭素発生法として選んだという話には、あまりにも合理性が欠けているのです。ところが、「定説」側の歴史家たちは、ドイツ人たちがそのディーゼル・エンジンで一酸化炭素を発生させるガス室を作り、「民族絶滅」の手段とした(!)と言うのです。
 ディーゼル・エンジンでも、不完全燃焼をさせれば、一酸化炭素の排出は増加します。しかし、ガソリン・エンジンを使えばはるかに高濃度の一酸化炭素を得られるのに、ディーゼル・エンジンを使う必要が一体どこにあるというのか、私には全く理解できません。(「定説」側論者の説明を聞きたいところです)。その上、既にお話しした通り、その「ディーゼル・エンジンで一酸化炭素を発生させるガス室」の実物は「現存」しないのです。そして、その「ディーゼル・ガス室」で殺された死体も一体もありません。(「隠滅されたから」なのでしょうか?)これで、「ディーゼル・ガス室」の存在を信じろと言うのでしょうか?−−

(西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか?」(日新報道・1997年)213〜214ページより)

−−次は、アウシュヴィッツやマイダネックで使われたとされる、チクロンB(Zyklon B)の問題です。チクロンB(英語名サイクロンB)は、前述した通り、パルプのかけらなどに青酸ガス(HCN)を吸収または吸着させたもので、当時、倉庫や船倉で害虫駆除をするために使用されていた殺虫剤の一種でした。
 青酸ガス(シアン化水素=HCN)は、広く知られているように、猛毒ですが、一方では、害虫の駆除などに使われてきた歴史を持っています。特に、DDTがまだなかった時代には、伝染病を媒介する昆虫や節足動物を駆除する目的で、世界中でこの青酸ガスが使われていました。また、前述の通りアメリカでは、青酸ガスが1920年代から、ガス室による死刑の手段として使われてきたという歴史があります。青酸ガスにはこのような用途があったわけですが、その反面、青酸ガスは、猛毒であるために、たびたび中毒事故の原因となり、時には死亡事故さえ起こしてきました。その発生法としては、多くの場合、シアン化カリウムやシアン化ナトリウムを希硫酸と反応させるという方法が採られていましたが、これは、アメリカの処刑用ガス室でも採用されている方法です。
 チクロンBは、こうした方法によらずに、前述のように、あらかじめ青酸ガスをパルプ片などに吸収させておき、それらのパルプ片(「チップ」と呼ばれる)などから直接、青酸ガスを発生させるものでした。これは、もちろん、危険なものですから、使用されるまでは缶の中に密閉されていますが、缶を開け、倉庫の中などにこのチップをまくと、青酸ガスが徐々に気化して害虫の駆除が行われる、というものだったのです。−−

(西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか?」(日新報道・1997年)214〜215ページより)


−−このチクロンBが、アウシュヴィッツ(ビルケナウを含む)やマイダネックの「ガス室」で、「ユダヤ人絶滅」の手段として使われた、というのが「定説」の教義(ドグマ)です。即ち、既に説明しているように、ユダヤ人他の人々が押し込められた「ガス室」に、投入孔などを通して、外からチクロンBの中身を投げ込み、そのチクロンBが遊離する青酸ガスで「大量殺人」が行われた、というわけです。「定説」側のこうした「説明」は「証言」だけを根拠にしたものですが、青酸ガスが猛毒であることを考えると、これは、前出の「ディーゼル・ガス室」よりは現実的なことのように思われます。しかしながら、この話も実は、以下のような不合理に満ち満ちているのです。
 どういうことかと言うと、こういうことです。仮に「ガス室」で処刑を行なったとしたら、次に行なうことは何でしょうか?言うまでもありません。その「ガス室」換気し、中から死体を搬出することです。それをしなければ、次の犠牲者を「ガス室」に入れることもできません。全く当たり前のことですが、ここに重要な問題があるのです。それは、この作業にどれくらい時間がかかるか、という問題です。仮に「ガス室」を使って「大量殺人」などということをやるなら、当然、こうした作業を短時間にくり返さなければなりません。ところが、チクロンBで青酸ガスを発生させ、「大量殺人」を行なったという「定説」側の説明は、この点に関して、決定的に不合理なのです。−−

(西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか?」(日新報道・1997年)215〜216ページより)


−−先ず、次の点を考えてみましょう。チクロンBは、青酸ガスを遊離します。そして、青酸ガスは猛毒です。ですから、そのことだけを考えれば、「チクロンBによる大量殺人」という話は、何も不合理ではないように思われるかも知れません。しかし、こうしたこうしたことをするのに一体どれだけ時間が必要か、ちょっと定量的に考えてみたいのです。今、「定説」側が説明するように、「大量殺人」の目的で、チクロンBを「ガス室」に投げ込んだとしましょう。すると、投げ込まれたチクロンBは、先に述べたような原理で青酸ガスを遊離し始めます。ところが、ここで考えなければならない問題があるのです。それは、そうした青酸ガス遊離がどれくらい続くのか、という問題です。即ち、青酸ガスを吸収または吸着したパルプ片など(チップ)が「ガス室」に投げ込まれる。そして、その投げ込まれたチップから青酸ガスが遊離し始める。それは分かります。しかし、それでは、その青酸ガスの遊離が完全に終わるまでに、一体どれくらいの時間が掛かるのか。それを考えなければなりません。即ち、缶を開けてチクロンBの中身(パルプ片などのチップ)を出すと、それらのチップは青酸ガスを遊離し始めます。それを「ガス室」に投げ込んだのだと「定説」は言うわけですが、ここに重大な問題があります。それは、投げ込まれたチップからの青酸ガス遊離が終わらない内は、「ガス室」内部での青酸ガス遊離は続くということです。従って、その間は、「ガス室」を換気することは無意味ということになります。また、当然のことながら、その間は、「ガス室」の扉を開けることも、その中から死体を搬出することもできません。ですから、その「ガス室」での「大量殺人」に従事する作業員たちは、たとえ「ガス室」の中の人間が全員死んだとしても、「ガス室」内部でチクロンBが青酸ガスを遊離し続ける間は、「ガス室」の扉を開けることもできず、その外で待ち続けなければならなかったはずなのです。−−

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』 (日新報道・1997年)216〜218ページより)


−−ところが、戦前チェコのプラハで発行されていたチクロンBの使用指示書(NI−9912)や、チクロンBの製造元が発行していた使用説明書を読むと、こう書かれてあるのです。チクロンBから青酸ガスが遊離し続ける時間(Einwirkungszeit)は、摂氏5度以下の場合で32時間、加熱すれば遊離は早まり、この時間を短縮できるが、それでも最低6時間にはなる、と。つまり、気温によって差はありますが、一旦チクロンBを缶から出したら、最低でも6時間は、青酸ガスを遊離し続けるということです。それどころか、気温が低ければ(摂氏5度以下の時)、32時間も青酸ガスが遊離し続ける場合もある、ということなのです。ですから、もしそのチクロンBを「ガス室」に投げ込んだら、投げ込まれたチクロンBは、5度以下では32時間、加熱した場合でも最低6時間は、青酸ガスを遊離し続けることになるのです。当然、その間は、たとえ「ガス室」内部の人々が全員死亡したとしても、「ガス室」を換気することも、扉を開けることもできない、ということになります。−−

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』 (日新報道・1997年)218ページより)


−−その上、プラハで発行されていた前述の使用指示書(NI−9912)や、チクロンBの製造元が発行していた使用説明書を読むと、こんなことも書いてあるのです。チクロンBを使って倉庫などの害虫駆除を行なった場合、その倉庫などの換気にどれくらい時間をかけるべきか、という記述があるのですが、それらによると、10時間から20時間の換気をしないと安全ではない、というのです。つまり、チクロンBが遊離する青酸ガスに、壁などに吸着し易いという物理的性質があるからだと思われます。(また、別の資料には、こうした吸着性の故に、強制換気をしてもあまり変わりがなく、それよりも長時間、自然の通風によって換気した方がよいという記述があるそうですが、この資料は、私自身は未入手で読んでいません) いつ、どんな場所でも、このような長時間の換気が必要だったとは思いませんが、今論じている「ガス室」の場合、中空の部屋などではなく、人間の体でびっしりと満たされた空間なのですから、普通の倉庫などよりも換気が困難なことは想像するまでもありません。そこで仮に、この数字をそのまま適用すると、チクロンBで「ガス室処刑」を行なった場合、これだけ時間が掛かることになります。前述のように、チクロンBの青酸ガス遊離が終わるまでに最短でも6時間、最長で32時間。そして、換気に10時間から20時間というわけですから、合計して、最短で16時間、最長で52時間。「ガス室」にチクロンBを投げ込んで「処刑」を開始してから、「ガス室」の換気を終了するまでに、これだけ時間が掛かるということです。これが、「民族絶滅」の方法なのでしょうか? −−

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』 (日新報道・1997年)219〜220ページより)


−−これだけではありません。処刑が終わり、「ガス室」を換気したら、次に、「ガス室」から死体を搬出しなければなりません。ところが、これが大問題なのです。即ち、猛毒である青酸ガスによって処刑された死体には、その青酸ガスが付着しています。しかし、青酸ガスには、肺のみならず、皮膚からも吸収されるという性質があります。そのため、青酸ガスが付着した死体に触れ、運ぶというのは、作業員たちにとって極めて危険な作業とならざるを得ません。現に、青酸ガスによる死刑を行なってきたアメリカでは、処刑終了後、作業員は、ガスマスクを装着するのみならず、全身を防護服や手袋、ブーツなどによって保護した上で死体を運び出すのだそうですが、ガス室を換気し終わった後でも、これだけの注意が必要とされるのです。
 ガス室による処刑とは、このように、処刑を行なう側にとって、危険かつ煩雑なものなのです。参考までに申し上げると、アメリカのミズーリ州の刑務所の職員で、同刑務所でのガス室による死刑に関与してきた、ビル・アーモントラウト(Bill Armontrout)氏は、この点に関連して、ガス室による死刑には、最低でも一か月間、作業員が事前練習を行なっていること、処刑前の20時間には多くのチェックが必要なこと、ガス室による死刑の現場には、38人の要員が参加し、間接的参加者を入れると、200人もの要員が参加していることなどを、1988年に法廷で証言しています。
 こうした技術的困難と余りにも高いコストの問題から、22年以来、幾つかの州でガス室による死刑を行なってきたアメリカでも、ガス室による死刑は行われなくなりつつあるのです。
 一度に一人しか処刑されない、アメリカのガス室処刑でもそうなのです。それを、一度に何千人(!)などという規模で、しかも毎日やったというのは、殆ど信じられない話ではないでしょうか?
 仮にそんなことをしたとしても、一回の処刑後にどれだけの時間と人手が必要とされたか、右(上)に述べた死体搬出の危険と困難から考えてみて頂きたいと思います。もう一度言いますが、これが、「民族絶滅」の方法なのでしょうか?−−

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』 (日新報道・1997年)220〜221ページより)


−−このように、チクロンBで青酸ガスを発生させて「大量殺人」を行なうというのは、非合理極まりない話なのです。しかし、さらにおかしいことは、「定説」側が引用する「証言」その他が、しばしば、こうした不合理を無視したものであるということです。
 例えば、今お話しした通り、仮に「ガス室」でチクロンBを使用したとしたら、処刑と換気に大変な時間が必要とされたはずです。ところが、「定説」側が依拠する「証言」の一つには、こんなことが書かれてあるのです。
「ガス室投入30分後、ドアが開かれ、換気装置が作動する。すぐ屍体の引き出しが始められる」(『アウシュヴィッツ収容所/所長ルドルフ・ヘスの告白遺録』片岡啓治訳 サイマル出版)
 これは、前述した、アウシュヴィッツ=ビルケナウの元司令官ルドルフ・ヘス(Rudolf Hoess)が、ポーランドで処刑される直前、自ら書いた「回想録」とされる文書の一節です(前述したイギリス発表の「自白調書」とは全く別の文書)。しかし、こんなことがあり得たでしょうか?
 前述のように、チクロンBの青酸ガス遊離は、最短でも6時間は続きます。ですから、その間は、「ガス室」を換気することも、その扉を開けることもできなかったはずなのです。ところが、この文書(または「証言」)には、このように、チクロンBを投入して30分後には「ガス室」の扉を開けた、と書いてあるのです。shかも、「換気装置が作動する」前に(!)です。これでは、扉を開けると同時に青酸ガスが辺りに広がって、作業員たちの大惨事になるではありませんか。−−

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』 (日新報道・1997年)222〜223ページより)


−−ここで少しだけお話ししますが、この文書(または「証言」)は、ヘスを処刑したポーランド当局によって1958年に発表されたものです。前述の通り、ヘスは戦後ドイツでイギリス軍によって捕らえられ、一旦ニュールンベルク裁判に出廷させられます。その際、イギリスが「証拠」として提出したのが、前述した「ルドルフ・ヘス自白調書」という短い文書です(185ページ参照)。
 このイギリス発表の文書が実は拷問の産物だったらしいことは既にお話ししましたが、ヘスはその後、前述したように、ソ連支配下のポーランドに身柄を移されます。そして、47年、そのポーランドでヘスは死刑に処せられますが、彼の処刑から11年も経った58年に、ポーランド当局が「ヘスが処刑直前に書いたもの」という触れ込みで発表したのが、この「ヘス告白遺録(Hoess memoir)」なる文書なのです。つまり、イギリスとポーランドがそれぞれに、彼の「証言」とされる文書を発表したわけですが、このような経緯からお分かり頂けるように、ソ連支配下のポーランドが発表したこの文書が本当にヘスによって書かれたかどうかは分かりません。また、仮にヘスが拘禁下で書いたものだとしても、任意性のあるものだったとは、到底思えません。−−

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』 (日新報道・1997年)223〜224ページより)


−−しかしながら、何と言っても、このヘスは、アウシュヴィッツでチクロンBによる「大量殺人」が開始されたとされる時期に司令官の地位にあった人物です。ですから、もし、仮にこの文書が本当にヘス自身によって書かれたものだったなら、彼のその地位からして、これは第一級の「証言」と呼ぶことができます。だからこそ、「定説」側論者はこの文書を引用し、アウシュヴィッツの「ガス室大量殺人」を語り続けてきたわけです。ところが、その『ヘス告白遺録』に描かれたアウシュヴィッツ=ビルケナウでの「ガス室大量殺人」の情景が、これなのです(もう一度、引用してみましょう)。


 「ガス投入30分後、ドアが開かれ、換気装置が作動する。すぐ屍体の引き出しが始められる」


 繰り返しますが、チクロンBによる処刑開始後30分で「ガス室」の扉を開けた、というこの「証言」は、最短でも6時間は青酸ガスを遊離するという、前述したチクロンBの物理化学的特性からは、到底考えられない話です。また、「ガス室」の換気が終了する前にそのドアを開けたら、青酸ガスによる大惨事が起きて、作業員の生命は危険にさらされたはずです。それなのに、アウシュヴィッツではそんなことが行われていたと、この文章には書かれたあるのです。
 なお、「定説」側論者の一人であるプレサックによると、この「告白遺録」は何故か、鉛筆で書かれているのだそうです。−−

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』 (日新報道・1997年)224〜225ページより)


−−それから、今話に出たフランスの反見直し論者J・C・プレサックの89年の著作には、次頁のようなスケッチがあります(同)。ダビッド・オレール(David Olere)という人のスケッチで、アウシュヴィッツにおける「ガス室」処刑の様子を描いたものなのですが、ご覧下さい。「ガス室」でチクロンBによる処刑が行われた後、作業員たちが、青酸ガスで殺された死体を搬出している様子が描かれています。これらの死体はこの後、焼却炉で焼却されたとされているわけですが、驚くべきことに、このスケッチの作業員たちは半裸の姿で死体を扱っているのです。つまり、青酸ガスが付着しているはずの死体を、自分たちの皮膚を露出させたまま、素手で(!)運んでいるのです。
 先ほどもお話しした通り、青酸ガスは、肺のみならず、皮膚からも吸収される性質を持っています。ですから、青酸ガスで処刑された死体を扱うとしたら、作業員はその死体にじかに触れてはいけないわけで、このことを、例えば、青酸ガスの取り扱いに詳しいアメリカの化学者ウィリアム・リンゼイ(William Linsey)博士などは、大変強調しています。だからこそ、前述のようにアメリカでは、青酸ガスによるガス室処刑が行われた後、作業員は全身を保護した上で死体搬出を開始するのですが、このスケッチによると、アウシュヴィッツでは、作業員はこうして上半身裸の状態で、素手で死体搬出をしていたというのです。そして、その作業を、ドイツ兵もすぐ側で、ガスマスクもせずに眺めていたらしいのですが、皆さんは、このスケッチが描写する光景をお信じになるでしょうか?−−

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』 (日新報道・1997年)225〜227ページより)


−−その他にも、「定説」側の著作や資料の内容には、科学的に不合理な話が多々含まれています。科学的に不合理であることは、こうした議論においては致命的とも言えることですが、例えば、前出の『ヘス告白遺録』には、面積が210平方メートルの「ガス室」に3000人が入れられた、という滅茶苦茶な話が出てきます。これは、前述したビルケナウの第二死体焼却棟地下の「ガス室」のことですが、一体、面積が210平方メートルの部屋に人間が3000人も入るかどうか、皆さんご自身で考えて頂きたいと思います。−−

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』 (日新報道・1997年)227ページより)


−−このことに関連しますが、そもそも「ガス室」にチクロンBを投げ込むという方法は、大量殺人などという目的に向いたものとは思えません。何故なら、一度に大勢を処刑しようとすれば、当然、「ガス室」の内部は大勢の人間の体で一杯になるわけです。ところが、それでは、投げ込まれたチクロンBから発生する青酸ガスは、その押し込められた人々の体によって拡散を阻まれ、「ガス室」内部では容易に広がらないからです。しかも、「定説」の話には、その「ガス室」内部の空気を循環させたという話は出てきません。そして現に、アウシュヴィッツやマイダネックに展示されている「ガス室」の「現物」にも、そのような装置の痕跡は見られないのです。
 また、当時のドイツでは、チクロンBを使った殺虫用ガス室が多数、生産・販売されていたことにも注目して頂きたいと思います。衣服の消毒などに用いられたそれらの殺虫用ガス室には、チクロンBを加熱し、かつ、ガス室内部で空気を循環させる装置が普通に取りつけられ、使われていたのですが、「定説」側の話には、何故か、こうした当時当たり前に使われていた装置の話すら出てこないのです。即ち、ドイツ人たちは、当時、チクロンBを加熱し、ガス室内部で青酸ガスを循環させる装置が広く販売されていたにも拘らず、あえてそうした装置を使わず、ただチクロンBを投げ込むやり方を採った、というのが「定説」側の説明なのです。皆さんは、この説明を不合理だとはお思いにならなでしょうか?−−

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』 (日新報道・1997年)227〜228ページより)


−−それから、「ガス室」で処刑した後行われたとされる死体の焼却についても、「定説」側の著作や資料は、到底信じられないような話を多数、記述しています。例えば、ポーランド当局がヘスの死後、発表した前述の『ヘス告白遺録』には、アウシュヴィッツでは「ガス室」で処刑した人々の死体を平均20分くらいで焼却できた、という記述が見られます。
 しかし、これも法医学的には驚くべき記述です。焼却の程度にもよりますが、「平均20分」とは、信じ難い話です。
 そもそも、火葬に使われる焼却炉というものは、熱によって内壁が傷みやすいためメインテナンスが大変で、アウシュヴィッツやマイダネックに現存する焼却炉が、言われているような連続的使用に耐えられたかどうかも、非常に疑問です。−−

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』 (日新報道・1997年)228〜229ページより)


−−また、問題の『ヘス告白遺録』によると、アウシュヴィッツ=ビルケナウでは、ある時期、戸外で一度におよそ2000体もの死体を薪(まき)に載せて焼却していたことがあったのだそうです。しかし、こんなことをしたら、大変な量の薪が必要となり、かつ、大変な時間が必要になったはずです。ある法医学書には、死体を一体薪で焼いて骨にするのに容積にして約4.2立方メートルもの薪が必要だった、という報告があります。それでは、この『告白遺録』に書かれてあるように、およそ2000体の死体を薪の上で一度に焼却するにはどれだけの薪が必要とされたことか、想像して頂きたいと思います。しかも、それを、ある時期、連日(!)行なっていたというのです。−−

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』 (日新報道・1997年)229ページより)


−−言うまでもなく、大量の死体をこんな方法で連日、焼却したというのは、法医学的常識から言えば、殆ど信じ難い話だと言って言い過ぎではないのです。それから、ビルケナウ収容所の外で、野原に穴を掘り、その穴の中で死体を大量に償却したという話もあります(『告白遺録』)。しかし、これも、到底信じ難い話です。これについては、普仏戦争(1870〜71)の際、セダンの戦いという会戦で多くの戦死者が出た時、実際に多数の死体を穴の中で焼却しようとして上手くいかなかったことが、見直し論者であるカルロ・マットーニョ(Carlo Mattogno)によって指摘されています。穴の中では酸素が十分供給されない、ということなのではないかと思われます。
 しかも、この話は、それを描写する『ヘス告白遺録』によると、今述べたように、ビルケナウ(第二アウシュヴィッツ)収容所に隣接した野原に掘られた穴で行われたとされていることにも注意しなければなりません。何故なら、ビルケナウ周辺は湿地帯で、ちょっと穴を掘ると、すぐ水が出てくるような場所だからです。ですから、穴の中での死体焼却自体が極めて困難である上に、そんな水の多い場所で穴を掘って死体を焼却したなどという話は、殆ど信じられないと言う他はないものなのです。
 ちなみに、前にお話しした、戦争中、連合軍の航空機が撮影したビルケナウ周辺の航空写真には、言われていえう場所で、穴の中で死体が野焼きされているような光景は全く写っていないことが指摘されています。−−

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』 (日新報道・1997年)229〜230ページより)


−−「ガス室」の不合理は、まだまだ挙げることができます。(これが全てだなどと思わないで下さい)。しかし、この本の目的は、「ガス室」を否定することではなく、それに疑問を投げかけることに過ぎません。ですから、その目的はもう大体達せられていると思うのですが、皆さんは、どう思われるでしょうか? 
 他にも、「ガス室」の前段階として、「ガス自動車」なるものが使われていたという話があります。しかし、その「実物」は現存せず、ただ「証言」で語られているだけなのですから、その存在は全く証明されていません。また、その「ガス自動車」で殺された死体も、前述したヒルバーグ教授の言葉(49ページ)からすれば、全く確認されていないことになります。ですから、この「ガス自動車」には、物証など何もないのです。「ガス自動車」に関する手紙だとしてしばしば「定説」側から引用されるドイツ側文書がありますが、それなども、よく読むと、家畜運搬用のトラックに関する手紙だとしか私には思えません。−−

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』 (日新報道・1997年)231ページより)



−−それから、ナチスドイツが精神障害者などを一酸化炭素で「安楽死」させた、ということがしばしば言われます。そして、その際、病院の一室などを「ガス室」の代わりにし、一酸化炭素などで「安楽死」を行なった、という話などが語られています。これは、この本が論じていることからはかなり離れた事柄ですが、しばしば語られていることなので、私個人の考えを少しだけ述べておこうと思います。
 先ず私は、その方法はともかくとして、当時のドイツで何らかの「安楽死」が障害者などに対して行われた可能性は、否定しません。否定しないどころか、何らかの方法で、障害者などを対象にして、その数はともかくとして、そのような行為が行われた可能性は相当に高いのではないかと推察しています。ただし私は、この問題については、現時点では、一次資料に基ずいた十分な調査をしていないので、自分の確定的な意見を述べることはできません。調査をしていない理由は簡単で、この問題は、「ユダヤ人絶滅計画」の有無や、その手段としての「ガス室」の有無の問題とは全く別の問題だからです。
「マルコポーロ」廃刊事件以後、私を批判した方たちの中に、この「安楽死」問題を取り上げる方がありましたが、私は、これは全然おかしいと思います。今述べた通り、私は、そうした「安楽死」行為が行なわれた可能性は全く否定しません。そして、言うまでもなく、私は、ナチスの差別思想やそれに基ずく政策を弁護するつもりもありません。しかし、この「安楽死」問題は、「ユダヤ人絶滅計画」や「絶滅収容所」での「ガス室大量殺人」の有無といった、私がこの本で論じている事柄とは全く別のテーマです。ですから、もう一度言っておきます。私は、ナチスドイツの統治下において、「安楽死」と呼ばれる何らかの殺人行為が病院等で行われた可能性は全くもって否定しません。また、そうした「安楽死」の中に、差別思想に基ずいた、道徳的に許されない事例があった可能性も全く否定するつもりはありません(このことは、ここではっきり言っておきます)。しかし、そうした「安楽死」の問題等の事実関係に関する議論は全く別のテーマですので、将来の課題にさせて頂きたいと思います。
 ただし、一つだけ言っておくなら、私は、医者のはしくれとして、仮に当時のドイツやオーストリアでそうした「安楽死」が行われたとしても、病院の一室を一酸化炭素で充満させ「ガス室」の代わりにした、などという方法が採られたとは、実は、ちょっと信じられないのです。何故なら、それは、病院の医師や看護婦、それに他の患者に対する危険が大きすぎるからで、病院という場所を知る者として、私は、こういう話はとても信じることができないのです。しかも、「安楽死」を行なうなら、他に幾らでも方法はあるわけで、そんな危険を冒す必要は全くないはずなのです。ですから、これは、医者として素朴に感じる疑問に過ぎませんが、仮にナチスドイツの統治下で、病院などで「安楽死」が行われたとしたら、何か別の方法が採られたのではないかと私は想像しています。−−

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』 (日新報道・1997年)231〜233ページより)


−−こうしたことが、「ユダヤ人絶滅計画」や「ガス室大量殺人」に関する私の立場です。即ち、これまでお話ししたように、ドイツがユダヤ人を迫害したことは明白でも、そのドイツがユダヤ人「絶滅」しようとまでした、という話には証拠も根拠もありません。また、その手段として、ドイツが「絶滅収容所」に「ガス室」を作り、その「ガス室」でユダヤ人他の人々を殺した、という話にも、全く証拠はありません。それどころか、これらの事柄に関する証言は不合理に満ち、科学的に不合理なことすら多々含まれているというのが現実なのです。ですから、私自身は、こうした現実の前で、「ユダヤ人絶滅計画」やその手段としての「ガス室」の存在を最早信じることはできません。ただし、誰かが私が示した疑問の全てに答え、証拠を提示するなら、今すぐにもこれらの話を信じます。また、これだけ何も証拠がなく、かつ、話の内容が不合理であるにも拘らず、「ガス室」と「ユダヤ人絶滅計画」を信じ続ける方があるのであれば、私は「信じるな」と言うつもりもありません。歴史上の出来事というものは、究極的には、それを信じるか信じないか、という問題に行き着くのかも知れませんし、誰にも自分が信じたいことを信じる自由はあるのですから。ただし、その場合、信じない自由があることも忘れられては困ります。また、その信じない理由を述べる自由が存在するのも当然のことです。こんなことまで話さなければならないというのは、「ガス室大量殺人」と「ユダヤ人絶滅計画」という二つの神話が、半ば宗教と化していることの現われなのではないでしょうか? −−

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)234〜235ページより)


−−こうした議論の一方で、もう一つ重要なことを論じなければなりません。それは、あの恐ろしい大戦中、ユダヤ人たちに起こった本当の悲劇は何だったのか、という問題です。これこそが、一番重要な問題です。そして、特に、収容所のユダヤ人たちにとって何が本当の悲劇であったのかを、私は皆さんにここで是非、考え、知って欲しいと思うのです。
 この問いに対する答えは、決して一つではありません。しかし、それらの答えの中で最も重要なキーワードはチフスという病気であったと、私は思うのです。−−

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)235ページより)


−−戦争中、ポーランドやドイツに在ったナチス収容所でチフス(発疹チフス)が大発生し、多くの犠牲者を出したことについては、幾らでも証拠を挙げられます(以下、「チフス」と書くのは、発疹チフスのことです)。先ず、「ガス室」で殺された死体は一体も発見されていないのに対し、発疹チフスで死亡した収容所被収容者たちの死体は、解剖により多数、確認されています。前述したアメリカの法医学者チャールズ・ラーソン(Charles Larson)は、そうしたチフスによる死体を戦争直後の収容所で多数、解剖により確認した法医学者ですが、彼の他にも、ドイツ側、連合国双方の医師やその他の関係者による医学記録他の記録が幾つも残されています。当然と言うべきでしょう。「定説」側も、戦争中ナチスの収容所で、特に戦争末期にチフスが大発生したこと自体には、別段、異論を唱えてはいません。
 そのチフス(typhus)ですが、この病気は、皆さんにとって、決して身近な病気とは言えないと思います。正しくは、先にも書いた通り、発疹チフスと言い、しばしば混同される腸チフス(typhoid fever)とは全く別の病気なので、混同なさらないで下さい。−−

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)235〜236ページより)

−−チフスは、リケッチァ(Rikettsia)という、普通の細菌よりはるかに小さな微生物の一種によって起こります。リケッチァには色々な種類のものがありますが、発疹チフスの原因となるリケッチァは、コロモジラミというシラミを介して人から人へと感染することが特徴です。即ち、戦争の際には、戦闘員・非戦闘員を問わず、不潔な生活を強いられることが少なくありません。その上、捕虜や難民となった人々は、過密な空間に収容されたり、そこで衣服の交換もできず、入浴もできず、不潔な環境で暮らすことを余議なくされることがしばしばです。そのような環境でシラミが発生しやすくなるのは当然と言えますが、実際、過去の多くの戦争でチフスの発生が繰り返され、多数の人命が失われています。
 そのチフスが、第二次大戦中から末期にかけて、ポーランドやドイツに在ったナチスの収容所で大発生したことは、決して不思議なことではありません。そして、これには、今お話ししたチフスという病気の性質の他に、特に次の三つの悪条件が加わっていたことも、見逃してはなりません。−−

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)236〜237ページより)

−−先ず第一に、チフスという病気は、前述のように、コロモジラミというシラミによって媒介されるわけですが、そのコロモジラミが最も繁殖しやすいのは冬なのです。
 そのため、一般にチフスは冬に発生しやすいのですが、ナチスの収容所がドイツの敗退によって混乱し、衛生状態が特に悪化したのは、まさしく、1944年から45年にかけての冬のことでした。つまり、本来チフスが発生しやすい季節に、戦争の最悪の時期が重なったということです。
 第二に、アウシュヴィッツなどが在ったポーランドは、歴史的にチフスが濃厚に浸潤していた土地であり、それ以前にも、度々チフスの発生を繰り返していた場所であったことに注目して頂きたいと思います。例えば、19世紀初頭にナポレオンの軍隊がロシアに遠征した際にも、ポーランドではチフスが発生して、多くの死者を出しています。そうした土地に、アウシュヴィッツをはじめとするポーランド領内のナチス収容所が在ったことに注意して頂きたいのです。
 そして第三には、大戦中アウシュヴィッツやトレブリンカに移送されたポーランドのユダヤ人の中には、移送される前に、既にワルシャワ・ゲットーなどでチフスに感染していた人々が多数いたということ、そして、第二次大戦末期にドイツが、そのアウシュヴィッツをはじめとするポーランド領内の収容所から、ドイツ本国のダッハウ収容所やベルゲン・ベルゼン収容所に、あのアンネ・フランクを含めた多くのドイツ人を移送したことに最大の注意を払って頂きたいのです。−−

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)237〜238ページより)


−−ソ連軍がアウシュヴィッツに迫った時、ドイツは、アウシュヴィッツに収容したユダヤ人を殺さず、西方のダッハウやベルゲン・ベルゼン収容所に改めて移送したのですが、このことには最大限、注目する必要があります。即ち、この事実は先ず、ドイツが、それらのユダヤ人を殺すためにアウシュヴィッツに収容したわけではなかったことの傍証と言えます。その意味でもこの事実は注目に値しますが、それはともかくとして、戦争末期のこの大規模なユダヤ人の移送が、多くのチフス患者をドイツ本国に送り込む結果となったことの意味は、このチフスの問題を考える上で非常に重要なのです。即ち、ユダヤ人たちが逆移送されたドイツのダッハウ収容所やベルゲン・ベルゼン収容所は、この移送の結果、それまで以上の過密にさらされ、しかも、ポーランドの収容所で既にチフスに感染していた人々が多数送り込まれることになったのです。
 しかも、そこに前述したように、冬という季節的要因までが加わったわけですから、チフスの発生について言えば、これ以上の例はちょっと考えられないくらい悪条件が重なったと言えるのが、大戦末期のナチス収容所の状況だったのです。これは、悲劇としか言いようのないものです。そして、ベルゲン・ベルゼンやダッハウを解放した連合軍の兵士たちが収容所で目にしたものは、まさしく、そうしたチフスによる犠牲者が大部分を占める被収容者たちの死体の山だったのです。
 ところが、そうしたチフス患者などの死体の映像が、「ガス室」の犠牲者ででもあるかのように利用されてきたことは、既に述べた通りです。情報操作そのものですが、今、私がこの章でお話ししているのは、そうした情報操作の問題ではなく、チフスこそが、収容所に入れられたユダヤ人たちの最大の悲劇だったということです。−−

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)238〜239ページより)

−−ソ連軍がアウシュヴィッツに迫った時、ドイツは、アウシュヴィッツに収容したユダヤ人を殺さず、西方のダッハウやベルゲン・ベルゼン収容所に改めて移送したのですが、このことには最大限、注目する必要があります。即ち、この事実は先ず、ドイツが、それらのユダヤ人を殺すためにアウシュヴィッツに収容したわけではなかったことの傍証と言えます。その意味でもこの事実は注目に値しますが、それはともかくとして、戦争末期のこの大規模なユダヤ人の移送が、多くのチフス患者をドイツ本国に送り込む結果となったことの意味は、このチフスの問題を考える上で非常に重要なのです。即ち、ユダヤ人たちが逆移送されたドイツのダッハウ収容所やベルゲン・ベルゼン収容所は、この移送の結果、それまで以上の過密にさらされ、しかも、ポーランドの収容所で既にチフスに感染していた人々が多数送り込まれることになったのです。
 しかも、そこに前述したように、冬という季節的要因までが加わったわけですから、チフスの発生について言えば、これ以上の例はちょっと考えられないくらい悪条件が重なったと言えるのが、大戦末期のナチス収容所の状況だったのです。これは、悲劇としか言いようのないものです。そして、ベルゲン・ベルゼンやダッハウを解放した連合軍の兵士たちが収容所で目にしたものは、まさしく、そうしたチフスによる犠牲者が大部分を占める被収容者たちの死体の山だったのです。
 ところが、そうしたチフス患者などの死体の映像が、「ガス室」の犠牲者ででもあるかのように利用されてきたことは、既に述べた通りです。情報操作そのものですが、今、私がこの章でお話ししているのは、そうした情報操作の問題ではなく、チフスこそが、収容所に入れられたユダヤ人たちの最大の悲劇だったということです。−−

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)238〜239ページより)


−−あの大戦中、ユダヤ人たちが体験した悲劇は、もちろん、これだけではありません。前にも触れましたが、ドイツが侵攻したソ連領内では、ユダヤ系の市民が、非戦闘員であるにも拘らず、パルチザンなどと混同されて多数、殺害されています。また、ワルシャワ・ゲットーなどでも、ユダヤ人は非常に悲惨な経験をしています。
 しかし、あえて収容所に入れられていた人々について言うならば、彼らが体験した最大の悲劇は、私たちが戦後マスメディアなどによって刷り込まれてきたようなことではなく、こうしたチフスなどによる病死であったということなのです。それを語ることは、「ユダヤ人に対する冒涜」なのでしょうか?−−

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)239〜240ページより)


−−以上のことから、私が言いたいことは、あの大戦中ユダヤ人が悲劇を体験しなかった、などということではないのです。そうではなくて、ユダヤ人たちには、これまで言われてきた話とは全く別の悲劇があったということなのです。ですから、もし誰かが、このように、多くのユダヤ人が差別され、収容所で病気に苦しみながら生命を落としていったことや、ソ連領内で非戦闘員が大量に殺されたことを「ホロコースト」と呼ぶのであれば、私はためらうことなく、「ホロコースト」はあったと、言います。
 しかし、既にお話ししたことからお分かり頂けるように、ドイツが「ユダヤ人絶滅」を計画し、その目的で「ガス室大量殺人」を行なった、というこれまでの主張には、私は、現状では全くもって同意できません。そんな証拠は何もありませんし、証言は不合理に満ち満ちているからです。また、そうした主張と両立し得ない客観的証拠や証言が多数存在するのですから、そうした事柄全てに合理的な説明が為され、証拠が示されない限り、私は、これまでの「定説」には全くもって同意することができません。当然、そのような不合理な主張が「ホロコースト」と呼ばれるなら、私は、その「ホロコースト」を信じることはできません。「否定する」という言い方はあえてしませんが、それは、先ほども述べた通り、証拠が示されるなら信じよう、という意味です。また、これだけ不合理な話であっても、信じる人が他者に信じることを強制しない限り、信じることは自由だと思うからです。ただし、それは最早、事実ではなく、信仰と呼ぶべきものではないかと思います。皆さんは、そうはお思いにならないでしょうか?−−

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)240〜241ページより)

−−この章の最後に私は、皆さんにあることを考えて頂きたいと思います。それは、次のようなことです。「マルコポーロ」廃刊事件以来、一部の人々は、私のこうした見解に猛反発をし続けていますが、そうした反発の多くは、非常に感情的なものです。
 彼らの多くは、私がユダヤ人犠牲者を冒とくしたとでもいうような「批判」を加え続けていますが、あえて皆さんに考えて頂きたいと思います。一体、死者を冒涜しているのは、どちらの方なのでしょうか?
 もし、私のこの問いの意味が理解できないと言う方がおられたとしたら、私は、失礼ながら、そうした方たちは、戦争とは何であるのか、そして人間の死とは何であるのかを考えたことがない方ではないか、と思います。歴史上多くの戦争で、衛生状態の悪化その他の原因から伝染病が発生し、多くの死者を出していますが、こうした戦争中に発生した病気の数々は、しばしば戦闘行為その物以上に多くの死者を生む原因となっているのです。−−

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)241〜242ページより)


−−例えば、第一次世界大戦の際には、インフルエンザまたはそれに誘発された肺炎と考えられる呼吸器疾患が爆発的に流行し、多くの死者を出しています。これは、今日、その背景にインフルエンザ・ウィルス自体の自然史的問題があったことが強調されることが多いのですが、ヨーロッパでの感染拡大について言えば、この戦争で多くの兵士がヨーロッパを移動し、密集した環境で生活させられたことが、爆発的感染の引き金になったと考えられている事例なのです。
 また、これは余り知られていませんが、あの湾岸戦争でも、戦争が終わった後イラクでは、アメリカ軍などの爆撃によって下水などがひどく破壊された結果、衛生状態が悪化し、色々な感染症が発生しています。その結果、イラクでの子供の死亡率が非常に高くなっていたことがアメリカの医師たちの調査で明らかにされていますが、これなども、戦争が病気という形で罪のない人々を苦しめることの一例と言えます。−−

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)242ページより)


−−このように、戦争というものは、ただ単に戦闘によって尊い人命を奪うだけではなく、病気という形でも、多くの罪のない人々の生命を奪うものなのです。
 こういうことを忘れたか、或いは知らない人々が、「ガス室」に固執し、私が述べたような議論に反発するのです。そこで、私は、その人たちにあえて問いかけたいと思います。チフスで死んだユダヤ人たちは、悲惨ではなかったのでしょうか?即ち、そういう反発の根底には、「ガス室」で殺されることは悲惨だが、チフスで死ぬことはそれほど悲惨ではない、とでもいうような、奇妙な前提が無意識の内に横たわっているように思えるのですが、これは全くおかしなことではないでしょうか?そういう方たちは、あのアンネ・フランクもチフスの犠牲者だったと考えられていることを、忘れているのではないでしょうか?−−
(第5章終はり)

(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)242〜243ページより)

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