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野田正彰さん講演録〜「君が代神経症」に押しつぶされる教職員と子どもたち
http://www.asyura2.com/08/idletalk29/msg/486.html
投稿者 ワヤクチャ 日時 2008 年 1 月 31 日 21:05:31: YdRawkln5F9XQ
 

(回答先: Re: 関学教授の野田正彰氏のゼミがすばらしいと・・・ 投稿者 精霊は不滅 日時 2008 年 1 月 31 日 13:13:04)

http://www003.upp.so-net.ne.jp/eduosk/noda-kouenn.htm

野田正彰さん講演録


「君が代神経症」に押しつぶされる
                教職員と子どもたち

                                       2001年12月16日

「満州事変」から70年−−−被害の側と加害の側の記憶の隔たり

 最初私は、日本の植民地政策の話から始めたいと思います。今年は、歴史教科書と公民教科書が問題になった年です。

しかし、公民教科書はあまり問題にならず、歴史教科書だけでした。

しかも、韓国と中国からの抗議があったという面が大きかったわけです。

そして、採決が終わると、この問題は潮が引くように消えていきました。

 今年の秋は、1931年9月18日の「満州事変」から70年目であります。

そのことがほとんど忘れられたまま、私たちはこの秋を過ごしました。

私は、この9月北京の社会科学院に呼ばれて講演に行きました。北京の郊外には、日中開戦のきっかけとなった廬溝橋事件の起こった廬溝橋があります。

そのたもとには、日本の侵略記念館ができています。私は、そこからずっとさかのぼったところの村を訪ねていきました。100何qも離れているところです。そこは、川底下村という非常に貧しい村があり、今年は、雨があまり降らなかったので、トウモロコシが実っているようには見えませんでした。去年もそうだったと言っていました。「何で食べているのか」と聞くと、わずかなトウモロコシと蜂蜜、そして山クルミを採取して、山羊を飼って生活していると言っていました。高台にあがるとはっきりわかりますが、その村には屋根瓦が少し白っぽいのと黒ずんでいるのとがありました。白っぽい屋根は、50年前に張り替えた家であります。つまり、この村は、三光作戦の対象だった所だったのです。貧しい村にも、廬溝橋事件から1年ほどが立って、日本軍が入ってきて、ベトナム戦争でやったことの先駆けとなったことですが、下の村に移住することを強制するわけです。村人をおいておくと、八路軍に協力するので、排除しようとしたわけです。男たちは、連れ出されて、何人かは嫌疑のために殺されました。ある村では、日本軍が包囲して、42人を全部焼き殺しました。そういった村々が中国にはあちらこちらにありました。
 ただ、これは遠い過去の話ではないんです。最初、私はあたかも遠い過去の話かと思いながら村人と話していました。若い人に「皆さんは、おじいさん、おばあさんからどんな風に聞きましたか。」と聞くと、非常に当惑されながら「見てくださいよ。」と言われました。家の柱は焦げていました。天井の張りも焦げていました。下の村に追いやられても生きていくことができないことがわかっているので、夜明けに脱走して、村に帰ると家屋は燃えていたのです。何軒かは、叩いて火を消すことができましたが、貧しいので立て替えることもできず、今もそこを改修して住んでいるということでした。私の行ったある村は108世帯の内80人が八路軍に入隊して、わかっているだけで84人が戦死しています。そういう状況の中で、50年前とか60年前とか言うのは、私たちにとっての60年、つまり中国人はいつまでそんなことを言っているのだと考えている60年とは、全く違って、今もつい昨日のように、焼き払われた家の中で生きているわけです。そういったことをこの9月18日に私たちは、深く考える時でありました。
 私は、北京から21日に帰ってきて、日本の大新聞を見ました。しかし、どの新聞も70年目の「満州事変」の特集をやっている新聞を見ませんでした。9月18日の夜には、中国東北部の列車は汽笛を鳴らしていました。大連の港でも、全ての船が汽笛を鳴らしていました。そして、数日前からテレビのゴールデンアワーで、日本の侵略についての映像がずっと流れていました。18日のテレビでは「9月18日を忘れるなかれ」というテロップがずっと流れていました。私たちは、被害の人々の思いとこれほど離れたところに生きているわけです。

今に引き継がれる戦前の植民地教育と全体主義文化
 
 そのことは、国旗国歌についても同じことを強く感じます。というのは、日本の国家政策は、植民地において締め付けを徹底的に行ったあと、それを日本国内に持ってくるということを、近代でずっとやっているからです。たとえば、関東大震災における戒厳令下の弾圧を行った水野蓮太郎は朝鮮の弾圧から帰ってきたばかりの男でした。彼によって、戒厳令下の東京での弾圧が行われたわけです。そういう意味では、国旗国歌の強制の問題を考えるときには、植民地の中で何が行われたか思い出してみる必要があります。現在の文部科学省や教育委員会の役人が、戦前の植民地教育を勉強したとは、とても思えません。しかし、文化は、継承されています。
 どういうことか、ちょっとだけ紹介をしておきます。興味のある方は、「日韓キリスト教関係資料」という本をお読み下さい。ここには1920年代より、朝鮮で公立学校生徒への神社参拝が強制されてきたことが書かれています。その後、キリスト教系の学校での神社参拝の有無が調べられました。参拝に反対した教師の免職、生徒の退学が強要されていきます。そしてキリスト教の偶像崇拝の禁止、万の神々の崇拝の禁止に基づいて、神社参拝を拒んだものに対して朝鮮総督府の学務局(現在の日本の文部科学省にあたります)は、「神社は宗教でなく、神社参拝は国家思想の中枢であり、これに反対する児童は、とうていそのままおくことはできないとして、退学その他を行っていった」わけです。
 ここにあるのは、1938年「京城日報」に載った記事です。「三橋警務局長は、28日の定例局長会議においてキリスト教徒指導の結果に基づく具体的数字をあげて報告を行った。これによると、教会堂で国旗を掲揚しているところ88%、教会の各種催しに際し国旗に対して敬礼をなしているもの93%、同じく催しの際国歌を奉唱するもの79%、同じく催しの際東方礼拝をなすもの95%、同じく皇国臣民の誓詞を唱和するもの93%、西暦年号を使用せぬもの90%、教徒で神社に参拝するもの53%」として、数字を地域ごとにあげています。このやり方を聞くと皆さん思い出すでしょう。80年代の終わりから文部省が「強制していません」といいながら、数字をあげて、暗に何々県はいかに少ないかということを示していきました。そして、数字をあげて最初にターゲットになったのが、沖縄であったわけです。沖縄においては、国旗国歌の実施率がいかに少ないかと言うことを執拗にあげていったわけです。周辺から数字をあげて追いつめていくやり方は、1930年代の朝鮮で行ったことと全く同じやり方です。現在の文部科学省や教育委員会は、とりわけて書物で学習しなくても文化として継承しているわけです。彼らはというよりも私たちの社会は、戦争の反省を自らしてきたわけではありませんから、ほっとけば必ずもとの文化に、根を下ろしてしまうということを物語っています。
 これを聞けば今も同じことが進んでいることに気づかれるだろうと思います。植民地化の朝鮮では、数字をあげて強制した上に、すでに国旗の掲揚が90%以上進んでいる中で、最後に神社の参拝が53%であることに注目させて、キリスト教徒に神社に行かせることを強要していったわけです。そして、これについては、神社は宗教にあらずということを強調していったわけです。その後日本でも、これはもちろん強調されていきます。日本のキリスト教も他の仏教も含めて神社への参拝が強要されていきます。プロテスタントの代表には、伊勢神宮へみずごおりに行くことが要求されました。そして、教会に伊勢神宮のお札を張ることが要求されました。これは、シンボルによって人の精神を蹂躙していくやり方です。
 このもとに、どんなことが行われたかです。朝鮮総督府の警務局の文書には、こんな風に書いてあります。「朝鮮総督府によるキリスト教に対する指導対策」の中で「1,教会にはできるかぎり国旗掲揚塔を建設せしむること。建設せざる場合といえども、祝祭日またはかどある場合は、国旗を掲揚せしむること。2,キリスト教徒の国旗に対する敬礼、東方遙拝、国歌奉唱、皇国臣民の誓詞等を実施せしむると共に戦勝祝賀日、出征皇軍の歓迎・歓送迎等国家的行事には一般民衆と同様積極的に参加をすること。学校生徒の神社参拝は、国民教育上絶対必要なるも一般キリスト教徒の神社参拝に対しては、地方の実情を斟酌し、まず教徒の神社に対する観念を是正理解せしめ、強制にわたることなく実行あぐるよう指導すること。西暦年号は、歴史的事実の証明をする場合の他、なるべく使用せざるよう習慣づけること。賛美歌、祈祷文、説教等にして内容不穏なるものに対しては、出版物の検閲並びに臨観等により厳重取り締まりを行うこと。」と書いてあります。
 今、進行している事態と較べても、文体は少し古いですが何にも変わらないと、皆さんは思われないでしょうか。しかも、ここにきちっと「強制にわたることなく実行あぐるよう指導すること」と書いてあります。私は、公教育について調べていますが、何と「指導」という言葉が好きな人たちかと思いました。教育委員会には指導主事だとか主席指導主事だとか、全部「指導」があふれています。そして、「君が代」斉唱時に起立しなかったことについては、校長は各先生に外では「(起立するよう)校長に指導されたと言ってくれ」と言っています。教育委員会は校長を「指導」したと言います。文部科学省は各都道府県の教育委員会の教育長を「指導」しているだけだと言います。そして「指導力不足教員」だとか、何と「指導」と言う言葉があふれていることかと思います。しかし、「指導」というのは、、もともとは一つの範を示して、それとなく人がそれに習おうとすることを言います。言うことを聞かないと処分するぞと言うのは、指導とは言いません。言葉がこれほどまでに下劣に使われているのを他に聞いたことがありません。
 いずれにしても、歴史はこれほどまでにきちっと繰り返しているわけです。数字をあげて完成を期す。しかも、それは90%ではだめなんです。一人残らずさせなければ気が済まないという文化の中に私たちはいるんだと言うことです。そして100%ということで、全体が一つになったと思いたがる文化に生きているのです。私たちは今、そういった状況に直面し、闘っているわけです。

「日の丸・君が代」に反対する教職員をいじめるシステム

 私は、この「日の丸・君が代」の強制問題を、周辺にいる人たち、私の場合は大学の研究者が多いのですが、そういう人たちと話をして、非常に危機感と不愉快な思いをしています。教育学者の多くは、このように言います。確かに「日の丸・君が代」の強制は行われています。しかし、教育全体は、総合的な学習の推進や偏差値教育の追放などで、教師たちの自由度は少しづつ高くなっているはずですと。というのは、教育の現在の方向は、規制緩和だというのです。よくこんなことを言っているなと思いますが、教育学者の多くはそういう言い方をします。中には、現在の指導力不足教員の体制作りの委員会に入っている人たちもたくさんいます。各都道府県の教育委員会に入って、それを推進している人もいます。学校の自己評価なども進めている人たちもいます。こういった自己評価、指導力不足のトップに校長の命令に従っているかという項目があります。彼らは、「日の丸・君が代」に従ってるかどうかがチェックされる仕組みになってることをはっきり知っておきながら、平然とこういう形で言っているわけです。
 この15年間、教育の現場がいかに荒廃しているかと言うことは、『世界』の連載に書いてあるとおりであります。一例だけお話をしておきましょう。ある中学校の音楽の先生のことですが、彼女は10年前から卒業式・入学式で「君が代」をピアノ演奏しろと校長に命じられてきました。早いところでは15年前から進行している地域がかなりあります。この地域では、彼女が演奏を断ると、校長は前日まで何回となく彼女を呼び出して脅迫をしていきます。一方では、拒否することができない弱い立場の非常勤講師に、「君が代」演奏の準備をさせておいて、最終的に当日拒否されて実行できなかった場合には、非常勤講師に演奏させるという手だてを取って、脅迫を続けていくわけです。だんだん抑圧は厳しくなっていきます。彼女を校長室に呼んで「ピアノ演奏するように職務命令をだす。」とか、「職務命令に従わなければ、あなたは処分されるが、私も職場を混乱させたことで処分される。だから黙ってピアノを弾いてくれ。」と泣き言を言ったりとか、様々な脅しと泣きで対応するわけです。
 さらに、盛んに「通勤困難な地域に配置転換させることができる。」「そうなった場合は、家庭生活ができないんではないか。」「(右よりの)保護者などに囲まれて脅される学校もあるぞ。」「処分が続いたら、分限免職になるので、結局一緒だぞ。」など、言い続けられるわけです。こういった状況でも、かつてのように組合員が多かった時には、「そんなのは受ける必要はない」と周りが守ってくれる状況もあって、それなりにがんばってこれたわけですが、現在では組合潰しが進行し、組合の組織率は各地で非常に落ちていきます。そして、こういった人たちは学校を移されて、孤立させられていきます。
 立川の根津先生のように、一旦「日の丸・君が代」の問題で処分しておいて、次に右派の校長のいるところに配置転換するというやり方もあります。しかもその先生が来る前に「今度来るのは偏向先生だ。」と子どもたちや親にふれておくわけです。いかに攻撃されようと子どもたちとふれ合ってる人は、子どもたちと親に支持されています。しかし、前もってデマが流されているところに追いやられてしまうと子どもたちとの関係がなかなかうまくいきません。そういう状況に追い込んでおいて、校長は授業中に教室に入ってきてチェックをしていくわけです。
 私は、ここにいくつかの地域で校長がポケットに持っているチェック表を持っています。例えば、このチェック表はABCのランクで、学級の雰囲気はどうか、学習のしつけはどうか、子どもの発言はどうか、教師の声量はどうか、発問は精選されているかどうか、発問のタイミングはどうか、板書の仕方はどうか、机の間の巡視の仕方はどうか、など30項目あります。こういったことをやっている地域がたくさんあります。この調子で、一人一人の教師をいじめていくという手だてが、微にいり際にいり進行しているわけです。
 京都の場合ですが、不起立の教師をこんな風にいじめた例があります。紋切り型の文化を持つ日本の原型を指し示しているような気がします。不起立だった教師を教育委員会は呼び出しをします。6人から8人の指導主事が、集団で2時間近くいじめをやるわけです。まず、上席の指導主事が「なぜ不起立なのか。」と聞きます。この教師が「部落差別の対極にあるこの歌を」と言いかけると、いきなり怒鳴りつけられました。「部落のことなんか聞いていない。どうして校長の指示に従わないのか。」周りの指導主事からも一斉に「何年学校に勤めているのか。職務命令違反だ。」と罵倒されました。1対6〜8ですから、多勢に無勢です。そして、「そんな勝手なことを言うなら、私学に行け。」「今強い指導を受けていることがわからないのか。」と言われる。指導主事の中に一人教師出身者がいて、「先生は熱心に授業をしている。あなたは、今日のぼくらの話を理解してほしい。」と言ったそうです。すると、攻撃の対象は一旦この指導主事に移って「何を言っているか。おまえは甘い。」と発言を訂正させられました。これは、どういうことでしょうか。
 もう一人の教師の場合はこうです。教育委員会から「校長と二人で来い。」と呼び出されました。その時、成績一覧表を持ってくるように言われました。ここでは、8人の指導主事たちに2時間にわたって査問されました。いろいろと教師に脅しが続き、提出した成績一覧表について「こんなの昨夜一晩で作ったのだろう。」と嫌みを言われたあと、突然隣にいた校長に攻撃が移ります。指導主事が、成績一覧表に校長印がないと言い出しました。「成績一覧表は、通知票に書く前に担任が印を押し、校長に提出し、校長がそれを見てよいと思ったら印を押して担任にかえし、そして担任が通知票に写すものだ。校長の印が押していないのは、どういうことだ。常識じゃないか。こんなことだから学校の常識は世間の非常識だといわれるんだ。」とどなり散らされました。
 この場面を想像してください。人間を幼児化して退行させる装置を私たちの文化が持っているということです。子どもを呼びつけるだけではありません。親と同行させるわけです。この場合、校長は親であります。呼びつけられた教師は、子どもの役割になっているわけです。そして、子どもを散々いたぶった後、目の前で別の人、この場合校長をいたぶるわけです。つまり、舞台の中で、もう一つ舞台が設定されるわけです。そこで、人は逆らうとどうなるかという劇が行われるわけです。日々人間を幼児化して自分の意志がきちっと持てないような舞台装置が私たちの社会に組み込まれていることを物語っています。文部科学省の役人の中でも、課長が課長補佐に対してやっていることですし、そして彼らが出向していった先でやっていることですし、そして各都道府県の教育委員会の中でもやっていることですし、それが学校の場でも使われているでしょう。しかも私が言ったことは、私の分析です。されている本人もしている本人も気づいていないと思います。自分たちがいかに退行の文化、人間として責任をとらないように、幼児的反応を強いることが望ましいということを強いる文化に、私たちがいかに親しく生きているかを物語っているわけです。

広島県世羅高校の校長を自殺に追い込んだもの

 『世界』での私の2回目の連載では、広島の取材をたくさんしましたが、世羅高校の校長の自殺のことに限って書きました。世羅高校の校長の自殺は、「日の丸・君が代」を国旗国歌に代えるための契機に使われました。以前から、何らかの事件が起こるたびに、そういう方向に使おうとする動きはありましたが、それを徹底して行ったのが世羅高校の事件だったわけです。広島では、それ以前から数字をあげての抑圧がありました。地方の議員が議会でこの問題を採り上げ始めて、文部科学省段階では、数字をあげて提示する。その動きの中に、右派の教師たちが学校内の情報を集約して伝える。それに産経新聞が乗っかかって、集めた情報を頃合いを見て出す。それに基づいて、右翼が校長や教育委員会に脅迫を行っていく。こういった動きが一体として動いていき、広島の状況が作られていったのです。作られた問題を一気に法案に代えていったのは、広島における部落解放同盟の動きに対して強いコンプレックスと反感を持っていた野中広務の衝動力でした。
 しかし、広島県教育委員会の辰野教育長は、亡くなった2ヶ月後に個人の日記を引用しながら「広島県立高等学校の自殺について」という長文の報告書を発表しています。この文章に対して教職員組合や部落解放同盟から反論が行われています。私は、教育委員会の文章を丹念に分析をするという手法をとりました。「報告書」の中では、教育委員会が部落解放同盟と教職員組合の圧力によって国旗国歌が実施できなかったので追いつめられたことが報告されています。しかし、私は全ての私的な日記まで持ってると思われる教育委員会側が、校長が国旗を掲揚し国歌を斉唱したかったという一つの文章も拾うことができなかったということにつきると思います。逆に、「報告書」が明らかにしているのは、亡くなった校長が「日の丸・君が代」の実施が今まで自分のやってきた教育に反するんだということをいろいろな形で表現し続けていたことです。
 最後に石川校長が亡くなる前に書いた文章でPTA新聞に寄稿したものを読みます。「卒業生の皆さんへ、今まさに人を大切にし、お互いの人格を認め合う中で、よりよい社会を築くことが要求されている。そのために、自分を大切にした生き方を身につけてほしい。」そして、寄稿文の最後は、若山牧水の文章でしめくくられていました。「人生は長い道なり 平だといいのに登りもあればくだりもある 広いところもあればせまいところもある ただひたすらに己の道をいく」
 高等学校の3年生の子どもたちに、この石川校長の死を選んだ行動とこのメッセージを読み解く力がないはずがありません。子どもたちは、次のことを読みとったでしょう。日本の社会は、有無を言わさない力が働いてきたときには、自分の思いがこんなにいとも簡単に踏みにじられる社会であるんだと言うことを。
 これほど愚劣な教育が、私たちの目の前で行われているわけです。しかし、この校長がなくなっていくプロセスを精神病理学者として見ていくと、まさにきちっとした判断力を持っていた人間が判断力を奪うための手法がとられていることがわかります。まず教育委員会は、校長に全ての経過を毎日毎日報告するようにという職務命令をだしていきます。『世界』の中で「報・連・相」のことを紹介しています。「報・連・相」はスパイで使われる言葉です。一番盛んに使われるのは、統一教会です。報告、連絡、相談です。略して「報・連・相」といいます。常に自分の主体的な判断を停止させる手法です。自分が何をしているか、全部上に連絡しろ、そしてその指示のもとに動け、ということです。こうすれば、自分の内面はなくなっていきます。
 人はそれに耐えられないので、この校長は盛んにウソをついていきます。職員会議の時間も長くかかったといってウソをついて教育委員会の電話にもでない。夜中に起き出してきて、今終わったと教育委員会に連絡を入れる。ウソを言いながら教育委員会と対応をしているわけです。にもかかわらず、教育委員会は、夜中に校長宅に出かけていったり、亡くなった当日には、早朝から自宅に出かけていきました。こういうことをすれば、人はものごとを判断する力を順々に失っていきます。もうこれ以上自分がなくなることに耐えられなくなり、もしこれを乗り切ったとしても、教育者として自分が生きている姿をイメージできなくなったときに、彼は死を選んだと思われます。こういったことを、私たちの社会は想像する力を失ってきています。判断力の非常にすぐれた中年の社会的役割を果たしている人間を追い込んでいく典型的な手法であります。私も遅かったんですが、広島の学者たちはそういったことをきちっと指摘していないことを非常に残念に思います。

「君が代神経症」が教職員の心を壊している

 私は、大阪府の教育委員会に行きました。いかに、大阪府の中に病気で休む教師が増えているかということです。それも、精神疾患で休む人が非常に増えています。本当は、各地の教師に緻密にやってほしいのだが、「日の丸・君が代」で抑圧が激しくなり処分が出始めると、1年後か1年半後に精神疾患の休職者が増えているのではないかというデータを出してほしい。処分の前には、盛んに配置転換も行います。逆らう教師を壊すために、あるいは組合潰しのためにやります。各教育委員会の地域単位で、通勤手当がいかにあがっているか、というのを出してほしいと思っています。もし、1年後に一気に通勤手当があがっていることになれば、教育委員会が何をやっているかということが数字ででてくるだろうと思われます。
 大阪の教育委員会にデータをもらい、知事部局のデータと比較したものを発表しました。大阪を見ると、96年ぐらいから、一気に教師の精神疾患での休職者の割合があがっています。そして、知事部局のデータでは、一般には90年代に入り精神疾患での休職者の割合が平行線をたどっていたのですが、学校の教師は96年から急速に増えていきます。4倍の数字にあがっていきます。抑圧は様々な形がありますが、症状を伴いながら追いつめられるというのがでていると思います。いかなる職場でも、休職者の40%、あるいは50%が精神疾患です。基本的にはうつ状態でしょう。これらは、想像を超えたことですが、現状では進んでいます。
 私は、こういったことを必ずしも悪いことだとは思っていません。抑圧された中で人が耐えかねてうつ状態になったり神経症状を呈していることは、せめてもの救いであります。しかし、身体化する中でしか、私たちの社会が苦痛を感じることができないのは、困ったことです。是非、苦痛の中で、自分の身体が不都合になったことをきちっといろいろな形で言葉にしてほしいと思います。それは、「日の丸・君が代」に反対するという言葉は出せなくても、自分の抑圧された環境が人間としてギリギリの環境であることを言葉にして伝えていってほしいと思います。私の仕事も、その言葉を拾う仕事であります。「君が代神経症」と私が呼んだものは、望ましいことではありません。しかし、そういう形でも自己を表現することができるということが、私たちの最後のよりどころであります。同時に、周りの教師や保護者は、このような傷ついた人々の声を聞き取らなければいけないと思います。いかにゆがんだ環境を強いているかということを考えていくべきだと思います。

「指導力不足教員」対策は、校長に従順な教職員作り

 最後に「指導力不足教員」の問題に入っていきます。「日の丸・君が代」の強制と現在進行している「指導力不足教員」の問題は、直接結びついています。広島では、昨年度の処分は千数百人にのぼっています。5月に教育委員会は、処分された教師に対して、1年間の「自己改造の計画書」をだせと要求しました。校長には、それぞれの教師の指導プランをだせと要求しました。「指導力不足教員」のチェック項目のトップには、「校長の命令をよく聞いているか」です。「日の丸・君が代」に反対する教師は、ここにばっちりとバツがつくようになっているのです。いくつかの新聞に書いてありましたが、雨の日に学校に行かない教師が、あたかも「指導力不足教員」であるかのようにイメージが作られています。現実に行っていることは、従順ででない教師を追い出して、高齢の教職員が多い今の人員構造を少しスリムにして、若い人を採っていこうとする全体的な政策の中で、「指導力不足教員」対策が進行しているのです。
 一体どういう項目があがっているか、丹念に見てほしいと思います。今私が持っているのは、高知県の例です。ここには、「指導力、学校の方針、児童生徒の理解力、事務能力、勤務意欲、ものの見方考え方、人間関係、衣服、言葉使い、私生活」などの項目があがっています。例えば、「私生活」の項目がありますが、そこには「家庭生活や子育てなどの悩みで職務に支障が生じているか」「家庭の不和につながり勤務に支障が生じているか」「近所付き合いのトラブルから苦情があるか」などがあります。これは何でしょう。これが「指導力不足教員」のチェック項目の実態です。まさしく日常の私的な生活がチェックの項目です。
 さらに「衣服」の項目では「目的に応じた服装ができない」「いつもジャージなどを着ている」「異常に華美な印象を受ける」「誰に対しても乱暴な言葉使いで不快感を与える」などがあがっています。
 「学校の方針」については「学校の教育方針に反対する」「和を乱す」「職員会議で異を唱える」です。「指導力」の項目には、「指導がきつく高圧的である」「作成された文章の内容が貧弱である」。「組織方針」の項目では「昔は、今は、という考えに固執し、自分の考えを代えず柔軟性に欠ける」「人権擁護の配慮に欠ける」「自分の考えのみを押しつけ、それに従わなければ厳しく叱責する」「屁理屈を言って不信感をもたれる」「誤りを率直に認めようとしない」。ほとんど教育委員会や文部大臣に該当しています。この調子で「指導力不足教員」についていわれていることを、私たちはきちっと知らなければいけないと思います。
 私はいくつかの県で「指導力不足教員」になった人のリストを持っていますが、まったく1985年に国鉄精算事業団でやられたことと同じことが行われています。対象になった人たちは、組合にも誰にも言ってはならないと言われて、密かに「指導力不足教員」としていろいろな仕事が押しつけられています。レストランに皿洗いに行かされたりしているのです。東京都の「指導力不足教員」のリストを持っていますが、もはや何人かの人はリストにあげられた時点で屈辱に耐えられなくて退職していっています。非常にファショ的なやり方が進行しています。
 最後にまとめると、私は教育の場というのは、日々問題が起こることごとに職員と子どもたちが一緒になって学んでいく場に代えなければいけないと思います。私は、つくづく日本の教育の異質性を感じます。例えば、アメリカでもイタリア、イギリスでも校長にあって「どうして校長になったんですか。」と尋ねると、きちっとした意見を言わなかった人に会ったことがありません。しかし、私は日本の校長にあって「なぜ校長になったんですか。」と質問したとき、まともに応えてくれた人はいません。「そろそろ年だから・・・」「上から成れと言われたから・・・」ばかりです。近年、民間から校長になるというのがありますが、とんでもないことです。私は、資格があるかないかの問題ではないと思います。しかし、近年の民営化の動きは、単なる競争原理の導入であります。80年代の後半からほとんどの競争で敗北した日本の民間企業の、その二流三流の経営者の末端が、学校にいって何のまともな経営ができるのでしょうか。やはり、学校はいろいろな問題が起こる中で、その問題を一番の教材にしながら、子どもたちと社会を認識していく場でないといけないと思います。そういう空間に換えていくことができないかぎり、私たちの社会が子供たちに伝えるメッセージは、抑圧された社会に適応する訓練をしなさいということでしかありません。そしてその適応の訓練は、いじめといじめられのゲームでしかないのです。
                               (文章及び小見出しの責任は事務局にあります)

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