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ユダヤ戦争 ウィキペディア(Wikipedia)
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投稿者 mei 日時 2008 年 1 月 21 日 23:11:06: NXmHNZ/QqaRFE
 

ユダヤ戦争
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ユダヤ戦争(紀元66年〜70年)は当時ローマ帝国の属州であったユダヤ地方(ユダヤ属州)で行われた独立戦争。圧倒的な兵力を投入したローマ側が、意志統一のできていなかったユダヤの叛乱軍を撃破。エルサレムの炎上によって終結。

目次 [非表示]
1 経緯
1.1 勃発まで
1.2 開戦
1.3 戦争の終結
1.4 戦後のユダヤ
2 関連項目


[編集] 経緯

[編集] 勃発まで
ヘロデ大王の死後、ユダヤ属州はローマの総督によって直轄されていたが、大王の孫であったアグリッパ1世は巧みにローマ側にすりよって41年にユダヤ王として称号を受けることに成功し、ユダヤの統治をゆだねられた。このアグリッパ1世が44年に病死すると、再びユダヤ地方はローマの直轄地となった。当時のローマ帝国は基本的に被支配民族の文化を尊重し、統治者としてバランスのとれた巧みな統治政策を示しているが、多神教文化であった地中海世界の中で、一神教を奉ずるユダヤは特殊な文化を持った地域であったため、支配されていたユダヤ人のローマへの反感は日増しにつのっていった。

問題の根本はそれぞれが考える自由に大きな隔たりがあったことだと思われる。ローマ側としては属州でありながらユダヤ人を裁く権利をユダヤ人に与え、安息日を尊重し、軍務につかない事も認めていたのでかなり広範な自由をユダヤ人に与えていたと思っていたのだろう。しかしユダヤ人としてはエルサレムを中心とした神政国家がないということ自体が不満の火種であり、いくら他の自由を与えられようともローマの属州である限りこの不満がなくなる事はなかったのであろう。ローマはキリスト教が国教となるまでは伝統的に政教分離がはっきりしている国であり、どうしても(たとえその方が地域の安定化に寄与したとしても)そのような宗教国家を認める気にはなれなかったのだろう。


[編集] 開戦
歴史家フラウィウス・ヨセフスはユダヤ戦争の勃発のきっかけはカイサリアにおけるユダヤ人の殺害であったという。一般的にユダヤ戦争の引き金とみなされているのは、当時の総督フロルスがエルサレムのインフラ整備のための資金として神殿の宝物を持ち出したことにあったといわれている。これをきっかけにエルサレムで過激派による暴動が起こる。

フロルスは暴動の首謀者の逮捕・処刑によって事態を収拾しようとするが、逆に反ローマの機運を全土に飛び火させてしまう。属州シリアの総督が軍団を率いて鎮圧に向かうも、反乱軍の前に敗れてしまう。事態を重く見たネロ帝は将軍ヴェスパシアヌスに三個軍団を与えて鎮圧に派遣した。

ヴェスパシアヌスは息子ティトゥスらと共に出動すると、エルサレムを攻略する前に周辺の都市を落として孤立させようと考え、ユダヤの周辺都市を各個撃破していった。このガリラヤ攻略戦のさなかに投降してきたユダヤ人武将こそがヨセフスであった。こうしてヴェスパシアヌスらはユダヤ軍を撃破しながら、サマリアやガリラヤを平定し、エルサレムを孤立させることに成功した。

ところが、ここで思いもよらぬことが起こる。68年に叛乱によってネロ帝が自殺に追い込まれたのである。それから一年間に四人もの皇帝が立つ異常事態になり、ヴェスパシアヌスもエルサレム攻略を目前にして、ローマへ向かった。ローマ軍の司令官不在のまま、ユダヤでは戦線はこう着状態に入った。


[編集] 戦争の終結
70年になると皇帝としてローマを掌握したヴェスパシアヌスが懸念であったエルサレム陥落を目指して、ティトゥスを攻略に向かわせた。ユダヤ人たちは神殿やアントニウス要塞によって頑強に抵抗したが、圧倒的なローマ軍の前に敗北し、エルサレム神殿は炎上、エルサレムは陥落した。ここにおいて叛乱は鎮圧され、ティトゥスはローマへと凱旋した。

このとき、つくられたのがフォロ・ロマーノに今も残るティトゥスの凱旋門である。そこにはエルサレム神殿の宝物を運ぶローマ兵の姿が刻まれている。ヨセフスによれば、ユダヤ人たちは最期まで主導権争いと仲間われを繰り返し、意思統一ができていなかったという。なおもわずかなユダヤ人たちが、ヘロディオン、マカイロスやマサダといった(ヘロデ大王のつくった)要塞によって抵抗を続けたが、74年にマサダ要塞に最期まで残ったユダヤ人が集団自決したことでユダヤ戦争は完全に終結した。


[編集] 戦後のユダヤ
この戦争以後、エルサレムにローマの一個軍団が常駐することになった(それまではユダヤ人の民族感情を刺激しないためにカイサリアに駐屯していた)。

フラウィウス・ヨセフスは後にこの戦争の経過を詳細にまとめることになる。これが「ユダヤ戦記」である。同時代の戦争参加者の資料として重要なものであるが、ヨセフスの主観や修正がたぶんに混入しているという問題もある。

なおこの戦争を第1次ユダヤ戦争といい、132年から135年にかけて再び勃発したバル・コクバを指導者とする叛乱(バル・コクバの乱)を第2次ユダヤ戦争ということもある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E6%88%A6%E4%BA%89

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