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| 田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾...> (1)  新・木庵先生の独り言
http://www.asyura2.com/08/reki01/msg/386.html
投稿者 TORA 日時 2008 年 12 月 01 日 13:16:55: CP1Vgnax47n1s
 

田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾)チベット大虐殺と朝日新聞のつづき#1
http://d.hatena.ne.jp/name727/20081119/1227071499

田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾)#1

   その疑問が確信に変わったのは、4月26日の狂乱の長野聖火リレーを、この目で直接見たときだ。5千人以上にのぼる中共の留学生が大型バスで続々と長野に乗り込み、街に五星紅旗がはためき、高らかに中国国歌がこだまする不気味な光景は、まるで人民解放軍の侵略と都市占領を想像させるものであった。その光景を見た岩田は、これこそ明日の日本の姿であると直感した。中国人の横柄な態度、常軌を逸した狂乱ぶり、そして日本人に対する暴行など、長野の現場では驚くべき状況が広がっていた。ところが、これらの事実をマスコミが報道することはなく、長野の聖火リレーは若干の「妨害」はあったが成功裏に終わったということにされてしまった。しかし、もしかしたら、後に歴史を振り返ってみたとき、あの長野の聖火リレーは中共の日本侵略の嚆矢(こうし)であったと呼ばれるようになるのではないかと岩田は危惧した。そして事実が事実として報道されないマスコミの異常性を改めて恐怖を覚えた。マスコミ、特に朝日新聞はチベット問題に関していかなる報道を送ってきたのか、いかなる世論を形成するために論陣を張ってきたのか、冷静に分析する必要を感じた。

  しかし、この作業は困難を極めた。朝日新聞におけるチベット関係の報道記事は実におよそ6千件程度に登った。その一つ一つの記事を詳しく調査し、資料を収集していくなかで、最終的に資料ファイルの数は百を超えるまでに到達した。このような精査の中で、朝日の驚くべき偏向報道の実態が明らかとなった。

  まず、朝日はチベット大虐殺を「解放」と呼んでいたという事実に驚愕した。またダライ・ラマに対するいわれなき誹謗中傷も驚いた。そして常にチベットに対して冷淡は態度を取り、常に中共よりのプロパガンダを繰り返すその実情に改めて驚嘆した。しかも、今日にいたってはこの朝日が「チベットの人権を守れ」と喚いている。なんと恥知らずだと怒りに震えざるを得ない。「厚顔無恥」とは、朝日のことを指す四字熟語だと言い放っている。

  さらに言えば、その朝日新聞のことを「インテリが読む新聞だ」、「高所得者が読む新聞だ」と言ってもてはやしてきた、いわゆる進歩的文化人も同罪だ。本書はそうやって日本をミスリードし続けてきた人々に対する宣戦布告でもあると、怒り心頭に走っている。

< 著者岩田温という人物、よくここまで実証的な研究をしたものだ。その実証的な研究をしようと思ったきっかけが、長野の聖火リレー取材であったという。私もyou tubeで長野の様子を見たが、岩田氏が述べている以上であった。多くの中共の学生が日本で勉強するのはよいが、これはひどすぎる。きっと過激な振る舞いをしないと中国人仲間から非難されるのだろう。留学生といっても、中共政府の目が光っているから。

  私はアメリカで生活していることを、読者の皆さんはご承知のはずだ。私の知っている限りアメリカで日本の日刊新聞が購入できるのは、日本経済新聞と朝日新聞だけである。ロスの場合、羅府新報というローカル日系新聞があるが、これは毎日と提携し、毎日の記事が多く入っているようだ。以前は讀賣も購読できたが、今はアメリカから撤退している。私はどの新聞もとっていないので、これらの新聞がどのような記事を書いているかよくわからない。ただ、先日某日系ホテルで講演会があり、その時に朝日新聞がロビーにあったので、どれほど朝日が偏向記事を書いているかチックしてみた。2008年11月13日付けの「私の視点」という記事だ。ここでは、今日本を賑わしている、田母神俊雄氏更迭問題について3名の学者、評論家、元陸将からなる田母神批判である。とても興味のある観点であるので、これから少しそれぞれの記事について分析する。

まず北岡伸一東京大学教授(日本政治外交史専門)の記事である。まず

ウィキペディアを覗いてみた。

きたおか しんいち

北岡 伸一

生年月日 1948年4月20日(60歳)

出生地 奈良県

ジャンル 政治学者

主な作品

『日本陸軍と大陸政策』

『清沢洌――日米関係への洞察』

『自民党――政権党の38年』

表示

北岡 伸一(きたおか しんいち、1948年4月20日 - )は、日本の政治学者、東京大学大学院法学政治学研究科教授、元日本政府国連代表部大使。専門は、日本政治外交史。

[編集] 略歴

• 1971年 東京大学法学部卒業。

• 1976年 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了(法学博士)、立教大学法学部専任講師に就任。

• 1978年 立教大学法学部助教授。

• 1981年 プリンストン大学客員研究員(-1983年)

• 1985年 立教大学法学部教授。

• 1997年 東京大学法学部教授。

• 2004年 国際連合日本政府代表部次席代表・特命全権大使(-2006年)

• 2006年 東京大学法学部教授に復職。

[編集] 人物

奈良県吉野郡吉野町生まれ。東大寺学園中学校・高等学校を経て東京大学法学部・同大学院法学政治学研究科博士課程修了。法学博士。立教大学法学部教授などを経て1997年から現職。1987年、『清沢洌』でサントリー学芸賞を受賞。

日本陸軍の政策研究からスタートし、1980年代終わりから盛んに現代政治に関する評論を行う。日本がいかにすれば国際平和への積極的貢献や政権交代などが可能な「普通の国」になれるかを歴史的な視点から問うている。2004年4月から2006年9月まで日本政府国連代表部次席大使としてニューヨークに赴任。

この他にも政府との関わり合いは強く、長期的な外交戦略検討のために設置された小泉純一郎首相の私的諮問機関「対外関係タスクフォース」委員(2001年9月-2002年11月)、外務省改革の一環として、過去の外交政策の政策評価を行なうため設置された「外交政策評価パネル」座長(2002年8月-2003年8月)、日本版NSC設置検討のために設置された「国家安全保障に関する官邸機能強化会議」委員(2006年11月-2007年2月


田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾)#2
http://d.hatena.ne.jp/name727/20081119/1227071500

現在は「日中歴史共同研究委員会」の日本側座長(2006年12月1日-)、および日本の集団的自衛権保持の可能性について考える安倍晋三首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」有識者委員(2007年4月-)、福田康夫首相の有識者会議「外交政策勉強会」委員(2007年12月-2008年9月)を務める。また、2008年5月に発足したアフリカ大陸の貧困撲滅・開発の目標を定めた国連ミレニアム開発目標への支援・支持を呼びかけるNPO法人、ミレニアム・プロミス・ジャパンの会長を務めている。

イラク戦争については「大量破壊兵器」と「北朝鮮対策」を理由として支持する立場を他の多くの知米派政治関係者とともに明らかにした(日本国際フォーラム緊急提言委員会有志アピール「イラク問題について米国の立場と行動を支持する」[1])。自衛隊のイラク派遣に際しては、フセイン元大統領の捕捉に伴って政治情勢が安定するという見通しの下に支持した。

[編集] 関係者

東京大学教養学部時代は、佐藤誠三郎のゼミに所属(同期生に舛添要一、下斗米伸夫など)、大学院における指導教官は林茂・三谷太一郎で、他に伊藤隆にも師事した。

妻は元電通総研生活文化部主任研究員で評論家の鈴木りえこ。実家は吉野の造り酒屋で大叔父は農商務省官僚・ILO日本政府代表として労働政策を担当し、後に東京帝国大学経済学部教授に転じた北岡寿逸。父の北岡茂(畝傍中学4修、広島高等学校卒、京都帝国大学医学部卒)は元吉野町長。弟の北岡篤(東大寺学園高校卒、東京大学農学部卒)も吉野町長。

[編集] 日中歴史共同研究

2006年10月に行われた日中首脳会議において、日本と中華人民共和国は日中歴史共同研究に合意した。日本側の事務局は日本国際問題研究所、中国側は中国社会科学院近代史研究所。この日本側の座長が、北岡である。双方の委員メンバーは日本でも会合を持ち、外務省も訪れている。[2] 外務省によると、日中外相会談においても2008年中に研究成果を発表することを目指すことで意見の一致を見た。[3]

2008年1月、第3回会合が北京で開催され日中双方が報告書の草稿を提示、2008年夏に開催の北京オリンピックに先だってよい報告をまとめ世界に示した。

    

     ウィキペディアを見る限り、北岡は偏向した学者というようには見えない。ただ、「日中歴史共同研究委員会」の日本側座長(2006年12月1日-)というのが気になる。日中歴史共同研究などというものは、まやかしであるのは分かっている。中共の歴史認識において、日本との妥協などない。「中国社会科学院近代史研究所」といっても、中国共産党直系の研究所である。日本サイドは果たして、中共に押し切られない、日本独自の主張が展開できるのだろうか。

   北岡の記事を紹介する前に述べなければならないことは、私は田母神の論文を読んでいないことだ。一般的報道から大体の内容は掴めても、田母神の細部の議論については分からない。それを了承した上で、私の分析を読んでもらいたい。

  まず、北岡の記事の重要なところを抜粋し、それについて私の見解を述べる(<   >の枠の中に)。

  「論文の必要条件は、確かな事実と強固な論理である。田母神氏の論文には、事実の把握において、著しい偏りがある。例えば、日本は中国や朝鮮に対し、相手の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはないと書いている。しかし満州事変が、石原莞爾ら関東軍の幕僚による陰謀であったことは、誰でも知っている事実である。張作霖爆殺事件についても、コミンテルンの仕業という説が有力になっていると書く。ごく一部にそういう説はあるが、まったく支持されていない。関東軍参謀の河本大作によるものだという説は、揺らいでいない。歴史で重要なのはバランス感覚で総合的な判断である。色々な説や情報の中から、最も信頼できる事実を選び取る作業が重要なのだ。都合よい説をつまみ食いしたのでは、歴史を理解したことにはならない」

<私の理解では、確かに石原莞爾らの独断というのは、北岡の言うとおりだ。ただ言葉の選び方だ。「独断」「独走」「勇断」、「陰謀」のうちどれを使うかによって、北岡の言う総合力の記述の仕方が変わる。私なら「独断」、「独走」もしくは「勇断」という言葉を使う。当時満州は日本の生命線であり、少数の日本軍が在留邦人を守り、大軍を誇る張学良軍に対処していた。日本の利益を考えれば、たとえ中央日本軍部の了承を得ていない「独断」、「独走」であっても「勇断」と表現したいところだ。北岡が「田母神が相手の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはなかったと断定するのはおかしい」と指摘するのは、ある程度正しい。確かにもう少し慎重な書き方が必要だっただろう。しかし、北岡の「陰謀」という言葉を選んだよりましだ。陰謀とは誰に対してなのだろうか。少なくとも、この言葉は現在の中共にとって都合が良い。北岡の日中歴史共同研究委員会の座長として、どのように中共に対処しているか、具体的に知らなくても大体の見当がつく。それに、石原は相手の了承を得た上で進めたのかもしれない。それこそ、このケースにおける実証的な研究が必要だろう。次に張作霖爆殺事件は、私の大学時代は、河本大作によるというのが通説であった。河本は大杉栄と愛人を殺し、軍事裁判にかけられるも短期刑期を終え、満州に逃れ、満州映画株式会社(?)の社長におさまり、終戦後青酸カリを飲み自殺した悪い奴というイメージがあった。ところが、近頃の研究では、コミンテルン説が浮上し、この事件だけでなく、盧溝橋事件を引き起こしたのも、コミンテルンであるという説が出てきている。劉少奇陰謀説の実証的研究がすすんでいる。日中戦争、太平洋戦争において、日本と国民党、日本とアメリカを戦わす陰謀がコミンテルンによってなされたことは、近頃の常識になりつつある。田母神は近頃の歴史学の趨勢を、充分理解した上で、論を展開したようである。コミンテルンの仕業説を、否定しようとする北岡こそ、偏向しているように私には思える。都合の良い説をつまみ食いしているのは北岡の方なのだ。北岡のバランス感覚というのは、中共が喜ぶ歴史認識のように見える。>

「田母神氏は、日本の朝鮮統治や満州統治は西洋列強の植民地支配とは違い、住民を差別せず同化を目指し、経済的に大きな成果をもたらしたと述べる。そういう面もあった。しかし善政をしけば植民地支配は正当化されるのか、支配された人々は納得するのか。仮に朝鮮または清朝が日本を植民地にして主権を奪い、他方善政をしき日本を経済発展させれば、日本人は満足したか。断じてノーである。成果は乏しくとも、自分のことは自分で決めたい。それがナショナリズムである。現に田母神氏は、アメリカが戦後日本に繁栄をもたらしたことを評価していないではないか。」

<北岡は歴史学者というより、現代政治評論家である。現在の中共や南北朝鮮の国民感情を分析している。過去のある時代に満州も朝鮮も自分のことは自分で決められなかった。国家としての基礎的な力がなかったので、日本の統治をお願いしたのである。歴史とは、現代の感覚で見るのではなく、研究する時代の時代背景や当時の人々の感情を考えなければならない。北岡はその歴史学の「いろは」も承知していないようだ。>


田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾)#3
http://d.hatena.ne.jp/name727/20081119/1227071501


<北岡は言う、「歴史で重要なのはバランス感覚で総合的な判断である」と。果たしてバランス感覚と総合的な判断というものがあるのだろうか。このようなまやかしの言葉を発するのは、現状維持派と考えればよい。自分たちが受けている権益を守る、維持するという現行維持者がよく発する言葉である。バランスとは、今の体制、古い体制をそのままにするバランスであり、総合的な判断とはその現状維持を遂行するためだけの情報だけを良しとする、まさしく「都合よい説をつまみ食い説」に他ならない。「色々な説や情報の中から、最も信頼できる事実を選び取る作業」とは現状維持のために、現状を打破する、または乗り越える説を無視、もしくは糾弾して、最も信頼できる、つまり自分たちに都合の良い事実だけをクローズアップする作業に他ならない。

  歴史学を発展させるのは、本来偽バランス感覚、偽総合的判断を打破するところから始まる。嘗てマルクス唯物史観は旧キリスト的歴史観を打破するのに大きな力があった。歴史の流れは神の意志にそって進んでいる、神の意志を知った者が悪しき歴史の流れを是正していかなければならない。この神の意志史観を、無神論的、唯物論的世界観が、ある程度打破、乗り越えた(?)ようであった。マルクスが唱える弁証法的唯物史観に立脚すれば、歴史は資本主義、帝国主義、社会主義、共産主義へと必然的に展開していく。これは科学的真実(?)である。この弁証法的唯物史観は説得力があり、多くの人間をとりこにした。新鮮さと新しい歴史を動かすエネルギーを感じた。ポパーという哲学者は、当時の歴史学の趨勢、つまりマルクス唯物史観の偽を、特に偽科学性を鋭く批判した。しかし、マルクス唯物史観シンパたちはポパーの批判に耳を傾けようとしなかった。そして、マルクス主義パラダイムの中で偽バランスと偽総合的判断に埋没していった。彼らが目を覚ますのは歴史的現実、つまりソビエトの崩壊までを待たければならなかった。しかし、マルクス史観に汚染しきった輩がまだ世界の各地に生き残り、その再生、復活をもくろんでいる。

  さて、日本の歴史学会の歴史を考えると、マルクス唯物史観に汚染され、それを日本的展開していった歴史であったと言っても過言ではない。その展開を、二文字で表すなら、「信仰」、「発展」、「失望」、「否定」、「打開」、「修正」というようになるのだろうか。歴史学者それぞれの紆余曲折の変遷があったのは想像できる。ところが、歴史学会の体質は変わっていない。学会は先輩の説、教授級の説を若手研究者が一応納得しないと学会のバランスがとれない。学会そのものの体質を糾弾する若手研究者は、助教授、教授になれない。なりたければ、急進性を和わらげ、旧体制になびいていかなければならない。我が日本の歴史学界もこの旧体制にあぐらをかいているようである。その証拠に、日本の学問的権威である東京大学教授が日本の新聞界の権威(?)である朝日新聞に、かくも子ども騙しの記事を掲載していることからも分かる。もはや旧体制そのものである。北岡がどの程度、マルクス主義的唯物史観に汚染されたかどうかはわからない。しかし、間違いなく彼の言っていることは旧体制パラダイムを維持しようとする論に過ぎない。少なくとも、新しい歴史学を学ぼうとしている私にとって、田母神の説に新鮮さを感じ、違和感がない。北岡の方に違和感を感じる。北岡には新しい歴史を創ろうとする感覚がないように見えるが、田母神には感じられる。ただそれだけである。航空自衛隊の最高の地位にある田母神が懸賞論文に応募し、300万円をもらった。それは現行政府の方針と異なるものであり、文民統制の観点から、許されないという政府の見解、そして田母神を更迭したことこそ、偽バランス主義、偽総合主義に他ならない。バランスでも、総合でもない、中共や南北朝鮮が怖いのだろう。良く言って、うるさいので、対処するのが邪魔くさいのだろう。現行の日中、日韓、日朝関係のバランスをなくしたくないのだろう。そのために総合的(?)な判断で田母神を切り、親中、媚中、媚韓朝日新聞が、偽バランス主義者、偽総合主義者の権威である北岡に記事を書いていただいたということなのだろう。このからくりは、この記事を読んだ瞬間に解けた。小学程度の算数問題を解く程度に。

  もう少し、北岡の記事を分析する。

「日米開戦直前にアメリカが示した交渉案のハル・ノートを受け入れたら、アメリカは次々と要求を突きつけ、日本は白人の植民地になってしまったことは明らかだという。どうしてそういう結論になるのだろう。ハル・ノートをたたき台に、したたかに外交を進めることは可能だった。その結果が、無条件降伏より悪いものになると考える理由がまったく分からない。」

<北岡は1948年(昭和23年)生まれ、団塊世代である。田母神と同じ歳ではないか。この同じ世代が両極端の考え方であるというのも、戦後精神史を研究する一つのテーマを与えている。「まったく分からない」と、北岡は言っている。「ハル・ノートをたたき台に、したたかな外交を進めることは可能だった」と述べる戦争を知らない世代の代表北岡が、戦争勃発当時の緊迫した状況など理解できない。たとえ戦後世代でも、真摯に当時の状況を歴史学者らしく資料から推測するなら、日本が戦争をしなければならなかったギリギリの状況が理解できるはずだ。「窮鼠猫を噛む」、戦争しか選択のしようがないほど、日本はルーズベルトによって追い込まれていたのである。ルーズベルトは戦争を決意していた。それに対して日本は戦争を避けたかった。この両者の歴然たる精神構造の違いにより、いくら頑張っても戦争に引きずり込まれていく状況があったのだ。それを北岡のような戦後育ちの平和ボケの人間が、「したたかな外交を進めることが可能であった」と、ねぼけたことを言っている。北岡のしたたかさとは、「朝日のように、あるときはGHQの言いなりになり、GHQがいなくなると、中共の尻馬に乗る女々しい風見鶏的な、その場限りの都合主義」のことをいうのであろう。その点、田母神は同じ戦後世代であっても、国防にたずさわる自衛隊所属ということもあるが、時代の軍事的緊張感をよく感じてくれている。我々市民というものは、軍事知識がなく、北岡のようにノホーとなるのは仕方がない面がある。どのような平和な時代でも、国を取り巻く、特に軍事状況は緊張している。その日常的な緊張を、田母神はもってくれていたのである。だから、彼のような人間に国防を任せられるのである。国防とは軍事的なことだけでなく、国策とも関係してくる。あまりにも平和ボケした官僚や政治家に緊張した国際情報(歴史上における国際情報も含めて)を与えるのが、自衛隊トップの職務である。その情報を下に政治家が決定するのである。これがシビリアン・コントロールの鉄則である。「無条件降伏」は結果である。勝つ見込みがなくても、緒戦で有利な戦いをおこない、停戦、新しい有利な外交をもう一度展開させようとする、日本のギリギリのしたたかさはあった。現にそれだけの力もあった。その証拠に戦争勃発から1年以内は日本の完全な勝利が続いたではないか。「無条件降伏より悪い選択はない」とは結果論である。戦争で負けたが、戦争をして、少なくても日本人のプライドは傷つけられなかった。多くの英霊のお陰で、戦後の経済的復興が出来たではないか。新聞に掲載されている平和ボケ人間北岡の写真から、戦後知識人のパターン化された言葉が、飛び交ってくるようだ。>

「田母神氏の国際政治に対する見方は妙に自虐的、感情的である。氏は、ルーズベルトが日本に最初の一発を撃たせようとしていたとし、日本は彼と蒋介石によって戦争を引きずり込まれたという。そういう面もなかったわけではない。しかし国際政治とは、しばしばだましあいである。自衛隊のリーダーたるものが、我々はだまされるというのは、まことに恥ずかしい」つづく


田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾)#4

http://d.hatena.ne.jp/name727/20081119/1227071660

<北岡の言葉の使い方が気になる。「自虐的」、「感情的」、「そういう面もなかったわけで」。「自虐的」、「感情的」なのは田母神ではなく、北岡の方であると私には 見える。ルーズベルトや蒋介石は戦前日本を陥れようとした鬼畜(この言葉をあえて復活させた)なのである。だから、「ルーズベルトが日本に最初の一発を撃たせようとしたとし、日本は彼と蒋介石によって戦争に引きずり込まれたという。そういう面もなかったわけではない」などと、悠長なことではなかった。まさに、引き入れようとしていたのである。史実を検証すれば、戦争好き(?)(これは戦後定着した観点になってしまった)の日本軍部が、必死になって戦争回避に動いていたかが分かる。勿論血気盛んな軍人もいたという面もなかったわけではない(北岡流表現を皮肉っている)。実はルーズベルトの上にスターリンという、大物がいたことを考えるべきである。スターリンの国際戦略は、日本の自虐史観に汚染された歴史学者などに理解できないほどの、狡猾さとスケールの大きさがある。私はソ連スターリンが日本と蒋介石を戦わせ、日中戦争への泥沼に日本を引き入れ、蒋介石をアメリカが支援する、その結果日本がアメリカと戦争をしだす。その青写真を見事遂行させている。そこがコミンテルンという組織の狡猾さである。日本にゾルゲという大物スパイを送り込み、尾崎秀(ほつ)実(み)を使い、近衛文麿に「日本は蒋介石を相手にせず」と言わしめている。ルーズベルトの側近はソビエトのスパイであったことは近頃の実証的な研究から分かっている。私は一人のアメリカ人を知っている。彼は今80歳を越しているが、子どもの時、日本で育ち、日米関係が悪くなった時期にアメリカに帰国し、アメリカで教育を受けた人間である。その彼が言っていた。「日本は何故北進をとらずに南進を選んだのか。当時そのことが最大の謎であった」。「日本がドイツと手を組み、ソ連を攻めれば、ソ連などすぐに崩壊したものを。それに、当時のアメリカの軍事力はたいしたことなく、特に陸軍は弱かった。それに当時ドイツの陸軍は世界一で、これから世界はドイツによって牛耳られるだろうという恐怖観のようなものがあった」。日本が北進をとらずに南進したのは、日本がソビエトと戦わずにアメリカと戦わすソ連の策謀であった。また、近衛に「蒋介石を相手にせず」と言わしめ、世界から孤立を招き、ひいてはアメリカとの戦争に引き込まれている。このような一連の日本の選択が見事と言ってよいほど、スターリンの謀略に引っかかっているのである。元々日本は資源がなく近代国家を維持するためには、アメリカを始め外国と貿易しなければ成り立たない国家であった。その基礎となる石油、くず鉄の輸出禁止は、日本に死刑宣告をしたに等しかった。北岡はなおも述べている。「国際政治とは、しばしばだましあいである。自衛隊のリーダーたるものが、我々はだまされるというのは、まことに恥ずかしい」ということがわかっていれば、コミンテルンの騙しが、北岡の想像を超えるものであったと謙虚に理解できないものであろうか。その点田母神の方が騙しの手法を良く理解している。彼は騙されていないのである、騙されているのは北岡なのだ。北岡はどれだけ知っているかしらないが、Venona文書のことを。いかに戦前戦中にかけてコミンテルンがアメリカの、それも政府の中枢部に入っていたか、それが歴然とした資料として残っているのである。北岡の歴史家として、もう少しの勉強を望む。>

「田母神氏は現在の日本にはななだ不満らしい。日本人はマインドコントロールから解放されていないという。もしそうならその責任を誰よりも、負ける戦争を始めた当時の指導者にあるのではないか。しかし、氏は妙に彼らに甘いのである。今の日本を憤るなら、なぜ戦争をしてしまった指導者をかばうのか。」

 <日本人がマインドコントロールされたのは、戦後GHQの言論統制であった。それに協力したのは北岡のような売国学者であった。戦争に負けたのは確かに、当時の指導者の責任で、戦後の言論統制において、彼らはもはや出る幕がなかった。出る幕がなくなるような結果を招く戦争を仕掛け、戦争に負けたのは指導者であるから、その指導者に責任を負わせるべきだと、まともなようなことを言っている。しかし、先にも書いたが戦争をせざるを得ないように引き込まれされたのだ。それに引き込まれたのが責任あるとするなら、それも正しいことであろう。ある家に、隣のヤクザが、「お前の家でいつもご馳走を食べているのが気に食わぬ。幾らかご馳走をよこせ。もしよこさなければお前の家にそのご馳走を作る材料を一切運べないようにしてやる。」と脅した。それに対してその家の主人は、その脅しに毅然とした態度で対処した。そうこうするうちに、この家で食べる主食の米を米屋から買えないようにヤクザは手配した。この家の主人は妻や子どもを食べさせなければならないので、そのヤクザに果敢にも戦いを挑んだ。そして惨めにも完全にやられてしまった。その後、半身不随になった主人を横目に、このヤクザは家にやってきた。笑顔を振りまき、子どもたちの頭をなぜながら、「ぼうや、かわいそうにね。君のお父さんが私に喧嘩を吹っかけてこなければ君たちはこんな苦労もせずにすんだのだよ。これからおじさんが君たちのお父さんに代わって、君たちの世話してやるからね。いい子でいるんだよ」と言って、一切れのパンを与えた。子どもは長い空腹の期間を耐えてきたので、このヤクザのおじさんが神さんのようにおもえた。それからは、無謀にも隣の優しいおじさんと喧嘩した父親を憎むようになった。貧しいながらもその後頑張って、大人になり、結婚もして、一家の主になっても、父親のふがいなさがむかついて仕方がない。自分たちが苦労したのは父親に原因があり、今のような何とか幸せになったのは、あのやさし隣のおじさんだと、心から思うようになった。そして、自分の子どもに、自分の父親のような人間になってはいけない、隣のおじさんのようになりなさいと教えているのである。これは少しオーバーなつくり話かもしれないが、戦後日本人のマインドコントロールされた事態を如実に言いえている逸話であると思う。このマインドコントロールされたのが北岡なのである。田母神は何故自分の父親が無謀にも隣のヤクザと喧嘩したかを一生懸命考えた子どもなのである。

   これで北岡の記事の分析は終わるが、誰かが言っていたが「朝日の記事は利用価値があるとすれば、全てを逆にとらえればよい」と。実際に北岡の記事を読んで、この人の言っていたことが証明されたことになる。しかし、朝日新聞に纏わる学者集団の罪は大きい。あさましさを感じることから通りこして怒りさえ覚えてくる。><ココで、以下の興味あるブログをはっけんしたので、コピーする>

泥舟からの脱出 2008/11/17(月) 午後 11:17

権力におもねる人間の常といえばそれまでですが、最近気になることは、かつては自民党の、それも保守右派的な流れに追随し、むしろ先頭に立って旗を振っていたような人物が、いつのまにか以前とは少しニュアンスの異なる発言をするようになっていることです。

たとえばテレビへの露出度も高く、マスコミでもかなり知名度のある岡本行夫という元外務官僚は、湾岸戦争に自衛隊を派遣しなかったことに抗議して辞任し、それを売り込み材料として小泉・安倍政権の外交ブレインとなり、アメリカの対イラク戦争に加担した政府の政策の一環を担う活動をしていたわけですが、同じ外務省の同僚であった天木直人さんのブログによると、最近ではブッシュ大統領の対イラク戦争を批判するような議論もし始めているということです。もしこれが本当なら、びっくりするような話です。

同じように、国連の次席大使をつとめたこともある北岡伸一という東大教授(政治学)は、小泉元首相や、安倍元首相の外交ブレインをつとめ、ウィキペディアによると「イラク戦争については「大量破壊兵器」と「北朝鮮対策」を理由として支持する立場を他の多くの知米派政治関係者とともに明らかにした(日本国際フォーラム緊急提言委員会有志アピール「イラク問題について米国の立場と行動を支持する」)。自衛隊のイラク派遣に際しては、フセイン元大統領の捕捉に伴って政治情勢が安定するという見通しの下に支持した」という立場に立っていたとされる人ですが、最近では朝日新聞で、日本の国連常任理事国入りについては中国の支持が必要であり、そうした支持を得る努力が足りなかったという主張をしたり、さらにはアパグループ(この代表は安倍元首相との関係の深い人物ですが)の懸賞論文事件についても、田母神元空幕長の歴史観を強く批判する記事を朝日新聞に掲載していました。

スマートといえばスマート、悪く言えば見事な変わり身という感じもしますが、こうした動きが出てくるのも、それだけ伝統的な支配体制が揺らぎつつあるということを示唆していることのような気がします。泥舟から脱げ出す人たちが増え始めたということです。


 

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