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映画「母(かあ)べえ」を観てきた 治安維持法下、けなげに生きる一家を描く 全編ただ涙あるのみ(どこへ行く、日本。)
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投稿者 gataro 日時 2008 年 1 月 31 日 21:15:51: KbIx4LOvH6Ccw
 

http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10069338344.html

2008-01-31 20:04:03
gataro-cloneの投稿

映画「母(かあ)べえ」を観てきた 治安維持法下、けなげに生きる一家を描く 全編ただ涙あるのみ
テーマ:権力からの自由/人権侵害/共謀罪


映画「母(かあ)べえ」を観てきた。治安維持法弾圧下、けなげに生きる一家を描く作品だ。ストーリーも感想も語るまい。ただ一言、全編ただ涙あるのみだった。「しんぶん赤旗・日曜版」(2月3日号)で原作者の野上照代さんが「『父(とお)べえ』の思い出」を語っておられる。そこには映画「母(かあ)べえ」への熱い思いが…。

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 「こんなに幸運に恵まれるなんて。何かのおまじないが効いてるのでしょうか」と野上照代さん。自伝的物語が映画「母(かあ)べえ」(山田洋次監督)となり、原作『母べえ』(中央公論新社)と、自分史を語る『晰暢(とかげ)の尻(し)っぽ―とっておき映画の話』(文芸春秋)もあいつぎ刊行。映画のキャンペーンもくわわって「盆も正月もないのよ」と言います。   児玉由紀恵記者

 「母べえ」の原題は、「父へのレクイエム」。84年に、公募ドキュメンタリーの優秀賞を受賞した作品です。

 「応募したときは、『年下の父へ』という題でした。自分が、死んだ父の年を超えてしまって、今なら一緒に酒でも飲みながら話ができるし、苦労も理解できる、という思いだったんですね」

 野上さんの父、野上巌さんは、1901年生まれ。ドイツ文学者でした。新島繁のペンネームで天皇制下、プロレタリア文化運動に加わり、勤務先の日本大学を追放。38年、治安維持法による唯物論研究会への弾圧で、検挙、投獄されます。

 原作『母べえ』は、その獄中の父(父べえ)と野上さんら母子が交わした手紙を織り込み、太平洋戦争が始まる時代に、肩を寄せ合って生きる一家の姿を伝えます。

 現実の巌さんは、40年に保釈出獄。敗戦直後から、民主主義科学者協会、新日本文学会など民主諸団体で活躍し、57年に56歳で亡くなります。

 「父は、子どもたちに“早く帰ってきて”とせがまれて、どんなにつらかったことかと思います。今思えば、悪いことをしたなと胸が痛みます。終戦と同時に共産党に入りました。唯物論研究会の仲間だった戸坂潤さんや三木清さんらが獄死していますし、潔癖な人でしたから、上申書を書いて出所した自分に罪悪感もあったのでしょう」

    凵@  凵@  凵@  

 巌さんは、『社会運動思想史』ほかの著訳書や詩を残しています。その中には、小林多喜二の葬儀に幼いわが子とともにかけつけた、という一編も―。

 「父の書斎には、拘置所との往復書簡や自分の詩の原稿を入れた、『非常持出』と書いた袋がありました。詩集を出すのが夢で、『知られざる星座』というタイトルも決まっていました。生きている間に出してあげれば良かったのに―」

 映画「母べえ」のラストに、妻を思う父の詩が流れてきます。「そこへ来ると涙があふれる」という野上さん。「母は肺結核で50歳で亡くなりました。医者に見せるお金も無くて。二人が生きていたら、映画化をどんなに喜んでくれたことか」

 戦争に反対することがどんなに大変だったかを若い人に知ってほしい―そんな思いも胸中に。

 野上さんは、父に勧められて、敗戦直後、日本共産党本部で働き、ガリ版のチラシ作りに没頭しました。新しい時代の息吹があふれていたころです。

 「木造のバラックで足元がギシギシ。面白い人がいっぱいいた。そのころの若者の気持ちにピッタリでしたね」

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のがみ・てるよ = 1927年、東京生まれ。43年、都立家政女学校卒。雑誌記者を経て、大映京都撮影所でスクリプターに。50年、「羅生門」で黒沢明監督作品につき、以後、「白痴」以外の全黒沢作品こかかわる。

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黒澤明監督とともに

 『噺賜の尻っぽ』で、その時期を含む半生を赤裸々に語っています。

 野上さんが、映画界に入ったそもそもの機縁は、戦時中、伊丹万作監督の「赤西嘱太(かきた)」に感激し文通をしたことでした。

 戦後、黒沢明監督作品のスクリプター(記録係)、黒沢プロのプロダクションマネジャーとして活躍。その思い出も『噺賜の尻っぽ』にあります。自殺未遂から立ち直った黒沢監督は、70年、復帰作「どですかでん」に挑みます。その撮影開始の第二声「ヨーイッ! スタートッ!」にこみ上げた涙。「赤ひげ」(65年)以後に、黒沢監督が三船敏郎を起用しなかった理由の野上流の推察。戦後映画史の断面を伝えて興味が尽きません。

 黒沢監督の生誕百年も2年後に控え、まだまだ多忙な日々が続きそう。折あるたびに野上さんは、黒沢監督の言葉を伝えます―(映画をつくるのは、毎日毎日、薄い紙を一枚一枚めくっていくようなもの。根気のいる仕事だよ)と。

 「創造の仕事は、コツコツ時間をかけて丁寧にやらなければ。近道はない、ということですね」

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【関連】

2007/11/11
渡邊恒雄81歳の挫折(有田芳生の『酔醒漫録』)
http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2007/11/81_c7f0.html

>演劇評論家の江森盛夫さんは原作者の野上照代さんを子供のころから知っているという。父親は映画では「ドイツ文学者」の「野上滋」だが、実際にはイタリア文学者で筆名が新島繁、本名は野上巌さんだという。山田洋次監督は「野上滋」を獄中死させたが、モデルの野上さんは戦後も左翼運動で活躍したそうだ。

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