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連載第8回及び第9回の記事が再度公開になるまでの経緯について (2005/04/06)
http://www.asyura2.com/08/senkyo56/msg/543.html
投稿者 ROMが好き 日時 2008 年 12 月 06 日 09:17:15: Dh66aZsq5vxts
 

(回答先: 第9回 巨額の資金を動かしたライブドア堀江社長の「金脈と人脈」 (2005/04/06)、やはり探せず↑代わりの記参照。 投稿者 ROMが好き 日時 2008 年 12 月 06 日 08:54:15)

連載第8回及び第9回の記事が再度公開になるまでの経緯について (2005/04/06)
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050406_comment/

 
2005年4月6日

立花 隆

 さて、このページ、テスト版として3月25日からはじめて、3月30日から、なしくずし的に本番に移行したことになっているが、その移行に際して、いくつかの行きちがいから、若干の混乱が起きたので、それを説明しておく。

 混乱の原因は、私と日経BPの間で、十分なコミュニケーションがとれていなかったので、仕事の手順の理解において食いちがいがあったということである。

 私がこれまで出ることに慣れていたメディア(雑誌、テレビ)では、たいてい気心が知れた編集者なり、ディレクター、プロデューサーがいて、かつその業界(あるいはその会社)の慣行というものがあって、双方それを熟知している。通常は、特別な事前合意がないかぎりその慣行に従ってことが運ぶことになっており、その通りにして、必ずしも行きちがいというのは、めったなことでは起らない。しかし今回は、担当編集者とも、この会社とも、かつこのメディアともつきあいはじめて間もないという事情があったがために、これから述べるような混乱が生じた。

 問題の基本は、コンテンツのクリエーターがどこで作成したコンテンツを手放し、どこからメディア側の事務的・機械的・技術的ルーティン作業に移行するかの問題である。通常は、コンテンツのクリエーターが、その作品をここで手放すと宣言して、メディア側に、「あとはよろしく」というところで線が引かれる。しかし、実は厳密にいうと、その一線が必ずしもきれいに引けるわけではなく、微妙なグレー・ゾーンがある。

 テレビの生本番の場合は、通常はグレー・ゾーンがない。本番で語ったことがすべてである。その語りの中で、「不適切な発言」をした場合には、その番組の終りのところで、アナウンサーが、「番組中一部不適切な発言がありました。」とか、「×××といいましたが、これは○○○の誤りでした。訂正してお詫びします」などと釈明する。

 これはあまり知られていないことだが、見る人がみんなナマと思って見ている番組でも、実は、微妙に早い時間に、テスト本番として全編録画で作ってしまう「偽似ナマ」というものもある。その内容に、万一不適切あるいは誤りがあった場合、そこを素早く修正して、定時に正式オンエアするものは、きれいなものにしてしまうのである。

 
next: 私の経験では…
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050406_comment/index1.html

 
 私の経験では、全部終ってから、番組中一ヵ所だけ、「あ、そこはまずいのでは」という指摘を受けて、見直してみると、なるほどまずい部分があったので、その部分の前後45秒のワンカット分だけ、時計の秒針を見ながらもう一度しゃべり直し、その45秒間を丸々入れかえて放映したことがある。(これは技術的には、二度目のしゃべりの秒数がピッタリであれば簡単にできる)。

 具体的にはどういうことだったか忘れたが、何かの汚職事件で、十分な根拠なしにある大物政治家を誹謗して、これは下手すると、向うが訴えてきたら、こちらが勝てそうもないというようなことだったと記憶する。

 テレビの場合は、ナマ本番、偽似ナマ、録画本番、取材を受けてしゃべるだけの素材撮りすべてを通じて、そのような事後修正をすることは滅多になく、しゃべったあとは基本的に番組制作者におまかせである。そういうわけで、実は私は、自分で自分が出たものをエアチェックして見るようなことは全くしていない。

 活字メディアの場合、通常は原稿を入稿したあと、初校、再校と、二度は校正の手続きがある。しかし、締め切りギリギリの入校、あるいは、締め切り日を過ぎてからの入校になると、初校しか出ない初校校了という手順になってしまう。さらに遅くなると、初校も出ない「原稿校了(ワープロ校了)」という手順になってしまう。いずれにしても、「校了」となったら、もの書きはもう自分の原稿から手を放し、あとのプロセスは、出版社と印刷所にまかせなければならない。

 では、絶対的に手放さなければならないのかというと、ここには微妙なグレー・ゾ−ンがある。「原稿校了」にすると、そこには相当の確率で誤りが入ってしまうから、筆者にはもうゲラをまわさないが、編集部だけが、もう一度念のために校正をする、「念校」という手続きを取る。さらに、扱っている問題があまりに微妙で、絶対に誤りが許されないという場合は「念々校」という手続きがとられることもある。念校、念々校では直しを入れない建て前になっているが、実は入れられるから、ここがグレー・ゾーンになる。

 あるいは、さらにすすんで、印刷機がまわり出してからでも、重大なまちがいが発見された場合は、輪転機を止めて、鉛板を外し、誤った部分だけ削り取ってしまう、あるいは字数を合わせてそこだけ改変する「象嵌(ぞうがん)」という作業が行われたりもする。

 輪転機を止めると、印刷所も出版社も大損害をこうむるが、それでも誤りを含んだものが世に出ると、それ以上の損害が予想される場合、そこまでのことが行われる(私も、一、二度そこまでいった経験がある)。

 さて、インターネットで、輪転機を止めるのに比肩できることが、一度アップしたものに誤りが発見され、あるいは修正を施したほうがいいことが発見され、その部分だけページから降ろして、修正を施すことである。

 
next: 前書きが長くなったが…
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050406_comment/index2.html

 
 前書きが長くなったが、このページの、3月30日に一度アップした第8回と第9回でそれが行われ、3月31日に取り下げられ、今日までそのままになっていた。

 そのことを、私は4月4日の夜まで知らなかった。なぜかというと、私は、テレビの自分の出演番組を見ないのと同じく、雑誌に自分が書いたものが出る場合も、雑誌が出たからといってそれをもう一度読み返すということは基本的にしない人間である。同じ心理で、このページの原稿も、入稿して、一、二回校正の直しを入れたあとは、メディアまかせにして、当然そのままアップされているだろうと思っていたのである。そして、31日の直しも、直しを戻したあと、あとは放ったらかしにしていた。ところが、日経BPの側では、私の方から、「これでアップして下さい」という再連絡が入るだろうと思って待っていたのである。私のほうではそんな必要はないだろうと思い、あとはいつもの手順で、放っておいてもアップされるだろうと思っていた。このようなお互いのカンちがいで、バカみたいな時間が先の週末にかけてズルズルと流れてしまったのである。

 このようなありうべからざることが起きた背景には、最初に入稿したものを、途中で一回降ろしたという、異例のことが行われた上に、その前段階でもうひとつのカンちがいがあったのである。それは、実は最初のアップの前に、もう一回、原稿段階での修正があり、こちらは最初の原稿はそのままの形で一度アップされたものと思っていたから、第一回の(アップされたものの)修正は、第二回の修正だと思いこんでいたということである。

 そのため、両者が、連絡に際し使っていた「最初にアップしたもの」とか、「最初の修正原稿」といった言葉が意味しているものがみんなズレていたのである。

 というわけで、今朝の今朝まで、私の方では、第8回、第9回は、なぜ一度アップしたものを取り下げて修正した上で再アップしたかの長文の説明文まで付けた上で、とっくに再アップされているものとばかり思っていたのである。

 ここまでのところ、長い長い前置きになったが、なぜこれだけの前書きが必要だったかは、以下の、(現実には幻に終り、実際には行われなかった)再アップに際しての説明を読んでいただくとわかる。

 この説明文自体が、いま述べたような事情で、「初回のもの」「第一ヴァージョン」「第二ヴァージョン」などの表現が、すでに現実とずれているので、カッコ書きで正しい現実を付加しておく。要するに、現実にアップされた最初のものの前に、原稿の形のままで終ったものがもう一つあったということである。

 こういうことをくどくど書いてきたのは、このような混乱が起きた根本原因のところに、いまのメディアがかかえる大きな問題、すなわち真偽不明のガセネタともホンネタともつかないものが充満しているこの社会において、クレディビリティをいかに保つかという重大問題が横たわっていると思うからである。

 このページの主要な課題の一つは、現代社会のメディアのかかえる問題点をさまざまな角度から斬っていくことにあるが、この説明文そのものが、その意味で大事なレポートになっていると思う。

 以下、第8回、第9回の再アップに際しての説明文をここに収録しておく。

 
next: 再アップに際しての説明文
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050406_comment/index3.html

 
再アップに関しての説明文
……………………………………………………………………
 一部で、日経BPから私に言論封殺の圧力がかかり、このページの一部を削除するというおかしなことが行われたという風説が流れているので、その間の事情を説明しておく。

 問題は、ニッポン放送問題について書いた第8回「フジを追われた鹿内家とSBI北尾CEOを結ぶ点と線」について起きた。これは最初、3月30日にアップしたが、その後、内容が一部書き変わっていたということになる。

 事実はその通りであるが、これは日経BPの圧力によるものではない。私自身が書き換えたのである。理由は、初回のものが、「××××」のページの内容をかなり詳しく紹介するものであったが、その内容がかなり「これは本当だろうか」とにわかには信じられない部分(卑近な表現を使えば、「これはちょっとヤバイんじゃないか」と思われる部分)があり、その内容を紹介するにあたって、それが本当かどうかわからないという表現をしつこく付け加えた形にしていた。

 だが、たとえそのような形をとっていても、日経BPのページの私の署名で書いている文章の中に紹介されているということになると、一般読者には、日経BPと私の双方が、その内容に一定の裏書を与えたように受け取られかねないから、もうちょっとトーンを下げたほうがよいのではという意見が、担当編集者からあった。読み直してみると、私自身、これはヤバイかもしれないという名誉毀損等の部分があった。

 万一、訴訟になった場合、たとえそれが誤った情報に基づく言説と判明した場合でも、そこに書かれたことが真実である場合かつ、その報道目的が公益に資するものであった場合、こちらにその情報を真実と確信するに足る十分な理由がある場合は、刑事責任を免れることになっている。実は、名誉毀損とマスコミ報道に関しては、これまでに沢山の判例の積み重ねがあるが、インターネットのような新しいメディアについえは判例が少ない。というより、インターネットを利用して人の名誉を毀損する行為は通常、匿名でヤミ討ちになされるから訴訟沙汰になりにくい(訴訟は相手方を特定することが必要)。しかし、このページはこれらの存在を必然と明らかにした上で、なされる言説であるから、場合によっては訴訟も覚悟しなければならない。

 その場合、これまでの判例では、他人の言説を引用してなされる名誉毀損の場合、オリジナルの言説を出典明示した上で引用をなし、その上、引用者において、そこで展開されている言説に正当な評価を加えた上でなされる言説については、事実(そのような言説があるという事実)とその事実に対する評価であるから、問題なしとされてきた。だが、最近微妙にその当たりの基準が変わり、たとえ引用であっても、その中に引用に名を借りた名誉毀損的内容が顕著に含まれていると、それ自体が名誉毀損に問われるというケースがでてきている。

 
next: このあたりの基準線の引き方は
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050406_comment/index4.html

 このあたりの基準線の引き方はきわめて微妙だとしかいいようがない。かつて、わいせつ罪の適用がきびしく、エロに対する取り締まりがしばしば行われていたころ、オモテ世界のメディアがエロをまくために使う「借りエロ」という手法があった。「世の中に、こんなに『エロ』がある。これはケシカランではないか」というような仕立てにして、エロをさんざん引用して、それ自体まるでエロな記事を作ってしまうのである。これは一応セーフで、それ自体がワイセツ罪に問われることはなかったが、度がすぎると、警察庁から警告が入り、編集幹部が呼び出されたりした。

 これになぞらえていうと、いま進行していることは、「借りエロ」ならぬ「借り名誉毀損」的行為に裁判所がきびしくなってきたということである。

 そういう情報をふまえると、たとえ引用であっても、そこに名誉毀損の要素があった場合、それを軽々に引用することはできないということになる。そこで問題の部分だが、私自身の判断としては、この程度は多分セーフだろうと思っていた。第一にそれはいわゆる「真贋不明なブラック系情報」というカテゴリーに属するものだから、その内容に必ずしも信用ができないということを何度も断った上での引用になっていたからである。

 しかし、「借り名誉毀損」的行為もアウトという最近の判例の流れを見ると、これだけでは危ない。こちらが独自にその情報のウラを取れるかというと、そこは簡単にはそれができない世界である。しかも、すでにそこに書いたように、世間の耳目を引くスキャンダラスな事件になると必ず出て来るウラ情報のたぐいは基本的に信用性が低いという状況にある。そのことは先般承知のことだから、基本的に安易な引用は許されない(それが真実と確信するに足る十分な理由はない)レベルの情報であると思って、情報紹介のレベルを下げたのである。

 最初に編集者に渡した原稿は、「××××」のオリジナルサイト名を記し、そこに書かれたヤミ金融がらみの話を、「WiLL」に書かれた記事より踏み込んだレベルまで紹介したものだった。

 その細部はともかく、私はこれはかなりありうる話だと思っている。堀江社長とリーマン・ブラザーズの間にも、表面に出ている話だけではわからない「ミッシング・リンク」があることは確実だが、その話はそれをある程度まで説明してくれるものだからだ。しかし、そこに書かれていることがあの取引の背後にある真実の主要部分かというと、そうではないと思う。大きな事件の背後には、真実などというものは、基本的に半世紀くらい時間がたたないと表に出てこないのが普通である。あるいは永遠に出てこない例も少なくない。

 最初に執筆した分を書き変えたのは、書き変え前の分は、顕著にそれが「真実の主要部分」と誤信させる可能性もある表現になっていたからである。また、最初のものでは「××××」のオリジナルサイト名が記されていたが、それを削った。それは、それがあると、雑誌の大半がそのサイトに安易に飛び、そこで大量の面白いけどちょっと怪しい情報を見ることになるが、情報の基準の判断が十分にできない人たちを、安易にそのようなページにアクセスさせるのは、インターネットの最も大きな影響である、社会に流れる情報のSN比の劣化現象(ガセネタの反乱)に拍車をかけることになると思ったので、削ったのである。

 
next: マスコミ界の内部で働いたことがある人は
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050406_comment/index5.html
 マスコミ界の内部で働いたことがある人は誰でも知っていることだが、その裏側では、いつでも大量のガセネタが流れている。そのスクリーニング(真偽の判断)が、記者と編集者の一番大切な仕事である。先に書いたように、私と「WiLL」の花田編集長とは、週刊文春と文藝春秋で、修羅場的な状況の中で、たびたび一緒に仕事をした仲で、お互いの性格も分かっている。

 オモテ世界のジャーナリストの中には、ブラック系の情報を極端に毛嫌いして、てんからハナもひっかけない人が少なくないが、私も彼もそうではなかった。ブラック系の情報の中から、思いがけない真実が明るみに出てきた事例を、何度か経験的に知っていたから、ブラック系の情報は用心しつつ利用すれば(鵜呑みにはしないということ)、利用価値が大きいのだから、利用可能なギリギリの線まで利用するということを原則にしていた。一般に、週刊誌のブラック系情報に対する立場は、この様なのだが、「ギリギリの線」の見立てがみんなちがうから、同じ情報をもとにしても書くことが違うということが起きる。

 今回「××××」サイトのオリジナルページでの情報と「WiLL」の記事と、私が書いたものの第一ヴァージョン(最初に書いた原稿)と第二ヴァージョン(書き直して公開した原稿)のすべてを比較したとすれば、「××××」のオリジナル情報量を「10」とすると、「WiLL」は「4」ぐらいの線にとどまっており、それに対して、私の第一ヴァージョンは「4.5」くらいまで踏み越し、第二ヴァージョンは「2.5」くらいまで下げたということがわかるだろう。

 これはどういうことかというと、すでに、花田編集長の情報の評価については、既出のページに書いてあるが、あそこに書いていないことも含めていうと、基本的に「WiLL」にのったことについては、資料に基づく説明も受けており、「基本的に信用できる」と判断しているが、「実は彼らが持っている情報には、『WiLL』には出していないことがものすごくある」。その部分には「どこまで信用していいかわからない部分もある」ということである。

 つまり、「Will」には、編集権限において、スクリーニングしたものだけがのっているということである。そのスクリーニングされた部分について、私が「WiLL」の記事において、ここはどうなんだろうと疑問に思ったことを、あえて拡大してのせたのが、第一ヴァージョンであり、そのあたり大丈夫かと問われて、まずヤミ金融仲介者の実名と金額などは削ったほうがいいと考え、次に、そのあたりのことはオリジナルページにまかせてしまえばいいと考えて、オリジナルページにアプローチできる手がかりだけは残しつつ、情報内容そのものは大幅に削減して、情報の骨格だけを伝えることにしたのが第二ヴァージョンである。

 「××××」サイトのオリジナルページにあった、北尾CEOの鹿内家へ「大政奉還説」だけは、あまりにナンセンスと思った(そのことは別途取材して確認ずみだし、実はオリジナルのページも大真面目な話として取り上げているわけではない)ので、特筆して、否定しておいたというのが全体の経緯である。

 
立花 隆

 評論家・ジャーナリスト。1940年5月28日長崎生まれ。1964年東大仏文科卒業。同年、文藝春秋社入社。1966年文藝春秋社退社、東大哲学科入学。フリーライターとして活動開始。1995-1998年東大先端研客員教授。1996-1998年東大教養学部非常勤講師。2005年10月から東大大学院総合文化研究科科学技術インタープリター養成プログラム特任教授。

 著書は、「文明の逆説」「脳を鍛える」「宇宙からの帰還」「東大生はバカになったか」「脳死」「シベリア鎮魂歌―香月泰男の世界」「サル学の現在」「臨死体験」「田中角栄研究」「日本共産党研究」「思索紀行」ほか多数。講談社ノンフィクション賞、菊池寛賞、司馬遼太郎賞など受賞。
 

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