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第15回 自民党改憲案に異議! 憲法は誰を縛り誰を守るのか
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投稿者 ROMが好き 日時 2008 年 12 月 06 日 10:38:20: Dh66aZsq5vxts
 

(回答先: 第14回 小泉首相はドイツ型謝罪で中国・韓国との関係修復急げ 投稿者 ROMが好き 日時 2008 年 12 月 06 日 10:32:47)

第15回 自民党改憲案に異議! 憲法は誰を縛り誰を守るのか
http://web.archive.org/web/20051231032541/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050509_kenpo/

2005年5月9日

 5月3日の憲法記念日に、TBSの筑紫哲也さんの「ニュース23」でもう1人のゲスト宮台真司氏とともに、憲法改正をめぐって話し合う企画があった。時間があまりにも足りなかったので(VTR取材テープをはさんで前後2ワク合わせて12、3分だったろうか)、筑紫さんを含めて全員がいい足りなかったことばかりで、それぞれに欲求不満を残した。

 番組終了後控え室で、スタッフともども、ビールを飲みながらこういう硬い問題を話し合うのに、テレビがどれほどメディアとして不適当か(時間が足りなすぎるから、論点を煮つめきれない)を話し合って、今度は、TBSのBS放送の枠で、真夜中に5時間くらい討論してはどうかなどと提案した。

 TBSとしても、この憲法問題、まだまだ長びくこと必至だから、これから何度でも、手を変え、品を変え、やっていくつもりという。

 今回は、長丁場の憲法論の入口として、「そもそも憲法って何なんだ」というところに焦点をあてたということだが、実は、そこのところがそう簡単には論じられない。そこを論じはじめると、憲法論の入口で終らず、本質論に突っこまざるを得ない。

 さらに、憲法改正にズバリ賛成か反対かと問われて、一口で言うと私は反対、宮台氏は賛成だが、その内容からいうと、実はそれほど主張するところが離れているわけではない。

 ここで番組でいい足りなかったことを中心に、しばらく、憲法についての私の基本的な見解を述べておきたい。

 
まるで修身の教科書のような自民党改憲案
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 番組は、基本的な構成として、大阪のごく平凡なおばちゃん3人組が、自民党の改憲案ができたという新聞報道を読んだが、改憲案が何をどう変えようとしているのかさっぱりわからないので、それがどういうものか、自分の足で調べてみましたという形をとっている。

 まず地元の自民党政治家のところに「この改憲案て、何ですの?」と話を聞きに行くところからはじまる。しかしそこでも、「何やよくわからん」ので、上京して、自民党中央の改憲案を作った有力政治家たちに話を聞きにいく。しかし、そこでもやっぱりよくわからんので、「これはどういうことですの?」と、こちらにボールを投げてくるという作りになっている。

 最初にこちらに投げられたボールの一つが、国民の権利と義務の問題だった。この問題で自民党の改憲案を作った政治家(「国民の権利及び義務に関する小委員」委員長の船田元氏)の主張が、「いまの憲法は国民の権利ばかり強調していて、義務をないがしろにしているところがあるから、もっと義務をしっかり盛り込む必要がある」ということだった。

 
next: 自民党改憲案では…
http://web.archive.org/web/20060103023122/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050509_kenpo/index1.html

 自民党改憲案では、具体的には、「国防の責務」とか、「家族等を保護する責務」(家庭を良好に維持する、子どもを養育する、親を敬う)などを書きこむべきだとしていた。しかし、おばちゃんたちにいわせれば、後者は「なんや昔の修身の教科書みたいなこと」を憲法に入れようとしているようで、憲法とは、そういうものまで入れるものなのか? という疑問を持った。その点、どう考えればいいのか、憲法ってそもそも何なの?というのが最初の質問だった。

 これはもちろん、「憲法とは本来、権力者が国民に命令を与えて国民を束縛するためにあるものではなく、国民の側から権力者に命令を与えて、権力者を縛るためにある」という宮台氏の説明が、オーソドックスな憲法学からの正しい解答で、そうであれば当然、国民の義務をもっと盛り込めという議論はナンセンスということになる。歴史的にも、マグナカルタなど、近代的な憲法の起源とされるものは、みな支配される側から支配者に押しつけた要求として成立している。

 しかし、日本では、明治憲法も、民衆の側が権力者に与えた命令として成立したわけではない。神の子孫たる天皇が、臣下の民に特別の恩恵として与えた「欽定憲法」として成立したから、日本では誰も、昔から西欧では常識とされてきた、憲法は、国民の側から権力者に与える命令(統治行為のルール)という発想をいまだにのみこめない人のほうが多い。だから、自民党の主張する、「国民の権利規定が多すぎるから、もっと義務規定を」という主張を不思議とも何とも思わない人が多いのだ。

 
憲法は本来ルールブックに過ぎない
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 西欧文化のコンテクストでは「constitution(憲法)」とは、もともと、規則、規約くらいの意味で、憲法とは、国のあり方のルールブックぐらいに考えていい。

 しかし、日本では、それが特別のニュアンスをもって語られてしまうのは、聖徳太子の十七条の憲法があるからで、これが日本では最初の憲法とされ、憲法の原型と考えられてしまったからである。

 聖徳太子の十七条の憲法は、第一条が「和をもって貴(とうと)しとなす」であり、第六条「悪(あ)しきを見ては必ず匡(ただ)せ」、第九条「ことごとに信あれ」、第十四条「嫉(うらや)み妬(ねた)むことなかれ」など、ほとんどが道徳的命令みたいなものだから、これを範型にしてしまうと、修身の教科書のようなことをどんどん憲法に入れるべきだということになる。

 しかし、実は、明治憲法にすら、そういう要素は入れられていない。

 
next: 明治憲法は…
http://web.archive.org/web/20050523105348/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050509_kenpo/index2.html

 明治憲法は、明治国家が近代国家の体制(法治国家)をととのえるために作ったものだった。法治国家という体制をととのえないことには、開国以来の大問題であった条約改正(日本は不平等条約で国家主権の一部を失っていた)ができなかったからである。法治国家になる第一歩が憲法を持つことだった。

 明治憲法は、日本がもはや、かつてのような、君主が自己のほしいままに民を支配する封建的絶対君主制の国ではなくなり、ちゃんとした憲法を持ち、君主といえどもそれに従って民を支配する立憲君主制的近代国家になったということを世に(諸外国に)広く示すために作ったものである。そうしなければ、国際社会の対等なメンバーとして受け入れてもらえなかったのだ。だから聖徳太子の十七条憲法のような近代的な意味では憲法とはいいがたい要素を入れることは避けたのである。

 しかし、近代国家の原理をよく理解していなかった当時の為政者たちは、十七条憲法を憲法の原型とする発想から抜けきれず、十七条憲法的な道徳命令なしでは欲求不満を感じた。

 当時のエリートの精神形成の根底にあった儒学の伝統的教えに従えば、「政治は最高の道徳」でなければならなかった。今でも自民党政治の旧世代指導者の中には、すぐこのセリフをもちだす人が少なくない。そこで彼らは憲法とは別に教育勅語を作り(軍人勅諭も作り)、そこに道徳的命令を天皇の口頭の命令(勅語)という形にして全部ぶちこんだのである。

 戦前の修身の教科書は、難解な教育勅語の内容をやさしくパラフレイズするものだったのだから、大阪のおばちゃんたちの「なんや修身の教科書みたい」ということばには、なかなか鋭いものがあったのである。ことばをかえていうと、いまの自民党改憲派政治家たちは、明治時代の権力者ですら避けたことをあえてやりたがっているウルトラ復古主義者だということである。

 
憲法は権力者が守るべき命令の集合
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 さて、あの番組の中で、私は、憲法はそもそも、国民に与えられた義務的命令の集合ではなく権力者が守るべき命令の集合だという性格は、憲法99条にはっきり現われているといった。その意味で憲法第9条も大切だが、憲法99条はそれとならんで大切なのに、それを理解していない人がきわめて多い。番組では、99条をキチンと示す余裕がなかったので、ここに示しておくと、それは次のようなものだ。

憲法第99条
「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」

 ここにあるように、「憲法の尊重と擁護の義務」を誰よりも厳しく負わされているのは、「天皇、摂政、国務大臣、国会議員、裁判官、その他の公務員」なのである。すなわち、支配者の側、権力の側に立つ人々なのであって、国民全体ではないのだ。この条項に何よりもよく、憲法が国民の義務規定集として作られたのではなく、為政者の側が守るべき約束集として作られたのだという性格があらわれている。

 
next: このことはもちろん…
http://web.archive.org/web/20050523105353/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050509_kenpo/index3.html

 このことはもちろん、国民が憲法を守らなくてよい、あるいは憲法を守る意識が少し低くてよいということではない。国民に憲法を守る義務があることは、当然のこととして前提とされている。憲法は為政者も国民もすべてが守らなければならないルールブックとしてある。それなのにわざわざ憲法99条に特記することによって、為政者に特に強く、「憲法の尊重義務、擁護義務」があることを想起させているのはなぜか。

 それは為政者の側が、自分たちに法律の制定、改定、執行等の特権が与えられていることから、おごり高ぶりが生まれる心配があったからである。彼らが、憲法より自分たちの特権の方が上位にあるとかんちがいして、憲法を守ることを忘れてしまうだけでなく、自分たちが先頭に立って、それを破壊することすらしかねないと危惧されたからである。――そしていま現に起きている事態、すなわち総理大臣と政権党の議員たちが先頭に立って、改憲に向ってまっしぐらに突き進もうとしている事態こそ、そのような危惧が杞憂でなかったことの証明ともいえるだろう。

 ここでもう一つ付言しておけば、国民の憲法遵守義務が特記されていないのは、国民はいずれにせよ、国家の仕組として、憲法を守らなければならないようにできているからである。

 国民は、法律を守らねばならぬように義務付けられているが、あらゆる法律は憲法に従って作られるから、結局、国民は憲法を守らざるをえないのである。憲法には、納税の義務(30条)、教育の義務(26条)、勤労の義務(27条)の三大義務が特別に明記されているが、他にももろもろの義務がもろもろの法律の規定としてある。それらの義務は、憲法に特別明記されなくても、それに違反したら、さまざまの罰則を食うことになり、みな自然に守ろうとするのだから、そんなものはいちいち義務として憲法に書かなくてよいのである。

 憲法の問題を考えるときに、このような考え方ができるかどうかが大事なところだ。つまり、憲法に明文として定められていることだけが、憲法の内容ではないということである。

 
基本的人権は憲法以前からあった権利
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 法というのは一般論として、そもそも法律として明文化された成文法がすべてではない。たとえば、その社会において一般に慣習として守られているしきたりは、慣習法として法的効果を持つのである。あるいは、憲法にあるような基本的人権の主たる項目は憲法にその規定ができたから成立した権利ではない。憲法の定め以前に、人間なら誰でも自然権として当然に持つ権利だと認められていたことが、基本的人権の名で呼ばれるようになったのである。憲法は憲法以前からあった権利を追認しただけである。基本的人権が先で、憲法は後なのだ。

 だからこそ、「基本的人権の永久不可侵性」を定めた憲法11条の「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」というような条項があるのである。もし基本的人権が、たまたま時の政権が国民に恣意的に与えた権利でしかなかったのなら、ここまで大げさなことはいえないはずである。「将来の国民」にまで永久保障する権利だとまではいえないはずである。

 
next: ここまでいえるのは…
http://web.archive.org/web/20050523105402/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050509_kenpo/index4.html

 ここまでいえるのは、基本的人権の法源が、憲法以上の至高の法的存在と考えられる自然法にあると考えられているからなのである。基本的人権の永久保障は日本人にだけ与えられているのではない。すべての国のすべての人に永久に保障されているのだ。誰によって?自然法によってである。これは自然法によって全人類に普遍的に与えられた自然の権利なのだ。だから、基本的人権は誰も奪うことができない不可侵の権利なのだ。基本的人権はこのようなものと考えられるが故に、ほとんどあらゆる国に、同様の規定がある。

 ここで、多少注釈的なことを付け加えておけば、基本的人権とは、憲法第三章「国民の権利及び義務」の第11条から第40条までにずらりとならべられている諸権利を指すが、その中にも多少のニュアンスのちがいがある。それは、憲法の条文の文言のちがいそのものにあらわれている。

 詳論は避けるが、ここにならべられた権利のうち、その権利を享受できる主体が、「すべて国民は」と明記されている場合と、「何人も」と無限定に書かれている場合とがある。簡単にいうと、「何人も」のほうがより厳密な意味での基本的人権であって、これは日本に住む外国人にもその権利が保障されている(たとえば、法定手続きの保障、裁判を受ける権利などなど)。しかし「すべて国民は」の権利については、外国人にも与えられる権利とそうでない権利(たとえば選挙権など)とがあり、もっと複雑な議論が必要になるが、ここではそこまで突っこまない。

 あるいは権利の主体など全く関係なしに、「思想及び良心の自由はこれを侵してはならない」(第19条)、あるいは「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」(第21条)などのように、シンプルな禁止命令、あるいは「自由を保障する宣言」の形式をとっている条項もある。こういうものはだいたい、世界中ですべての人に対して、人であるが故に保障されている権利(ヒューマンライツ)と考えられる最も重要な基本的人権である。

 
憲法第9条はグローバルスタンダード
……………………………………………………………………
 このような基本的人権については、自民党の過激復古主義者が政権を握って、明治憲法の時代に戻ることを主張しても現実に変えることはできないものと考えられている。

 基本的人権の場合は、単に万人が持つ自然権という以上に、世界中の国が(もちろん日本も)それを批准した世界人権宣言による保障もなされている。そのような公式に批准された条約のたぐいの拘束力は、憲法以上に強いと考えられているから、日本の政権がどこか基本的人権を好まない政党の手に渡って、「我が国は今後基本的人権を認めないことにした」というようなことを言いだしたとしても、そんなことは通用しないということである。実際、自民党の改憲論者でも、基本的人権にまで手をつけようという人はほとんどいない(少しはいるようだ)。日本がこの人類社会のメンバーの一員として生きていこうとするなら、それ以外の選択はないのである。

 
next: 実は憲法第9条の一項については…
http://web.archive.org/web/20050523105412/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050509_kenpo/index5.html

 実は憲法第9条の一項については、これとほとんど同じような法的位置付けにあるということができる。改憲論者の中には、憲法第9条がさも世界でも珍しい、日本独自のものであるかのごとくいう人がいるが、そんなことはない。

憲法第9条一項
「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」

 これは、現在の国際社会にあっては、グローバルスタンダードそのものといってよい規定なのである。それを法律で明文化している国はイタリアのように日本以外にもあるし、それ以上に、この規定は、国際連合憲章の第1条(目的)、第2条(原則)と、その内容と実質において同じなのである。

 念のために、国連憲章第1条と第2条の該当箇所のエッセンスを引いておけば、次の通りである。まず、国際連合の目的を定めた第1条は、国連の目的が、「国際の平和及び安全を維持すること」にあることを明記し、次のようにいっている。

 「平和を破壊するに至る虞の国際的の紛争又は事態の調整又は解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること」

 まわりくどい表現だが、いっていることは要するに、戦争にいたる恐れがある国際紛争はすべて平和的手段によって解決するということである。この第1 条の目的を達成するために、すべての国が従わなければならない原則が定められ、それが第2条に列挙されている。その第四項に次のようにある。

 「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土の保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」

 これもまわりくどいが、要するに、「武力による威嚇又は武力の行使」はいかなる場合も他国に対して行わないということで、これが日本の憲法第9条一項と実質的に同じ内容であることは、誰の目にも明らかだろう。

 要するに、日本の憲法というのは、国際連合ができた(1945年6月国連憲章調印、1945年12月発効)直後に、国連憲章の精神を受け継いで作られた(1946年4月改正草案発表、10月貴族院、衆議院で修正可決、成立。11月公布。1947年5月施行)ものであり、憲法第9条は国連憲章の嫡子といっていい存在なのである。だから、その内容がこれほど一致しているのだ。

憲法前文
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した」

 というくだりは、憲法第9条をなぜ作ったかを説明したくだりだが、ここに書かれている「崇高な理想」「平和を愛する諸国民の公正と信義」などの表現が、できたばかりの国連憲章の1条と2条を念頭に置いていることは明白すぎるほど明白である。

 
next: しかし不幸にも…
http://web.archive.org/web/20050523105418/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050509_kenpo/index6.html

 しかし不幸にも、日本の憲法が生まれた直後から、冷戦の時代がはじまってしまった。(冷戦の開始は通常1947年3月のトルーマン・ドクトリンの発表と、同年3月〜4月のモスクワ外相会議に置かれている)。つまり、憲法の公布と施行の間に冷戦がはじまってしまったのである。それからみるみるうちに、「崇高な理想」が失われてしまい、国連憲章1条と2条があっても、武力紛争が絶えない時代になってしまったことは良く知られている通りである。

 
第9条は第一次戦争後の「不戦条約」の精神受け継ぐ
……………………………………………………………………
 1950年には、ついに日本の隣りの国で朝鮮戦争という大々的な熱い戦争が起きてしまった。それが国連軍が一方の中心になっての戦争であったことは、できたと思った国連中心の世界平和維持体制があっという間に形骸化してしまったことを如実に示していた。

 こういう状況の中で、日本の憲法第9条もまた変質がどんどん進行してしまった。その変質の過程、すなわち解釈改憲が進んでいった過程についてはまた後述することにして、憲法制定時に戻ってみると、そこには、確かに、崇高な理想が広く信じられていた時代があった。そのような理想の延長上に憲法第9条が生まれたということは疑いようのない事実である。憲法第9条の問題を考えるときに、これはまず、念頭に置かなければならない事実である。

 そしてさらに歴史をさかのぼってみると、憲法第9条のもっと古い先祖を見つけることができる。1928年の「不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)」がそれで、その一条と二条は、憲法第9条と実質的に全く同じ規定なのである。

 念のために不戦条約の第一条と第二条を記しておけば次の通りである。

第一条
締約國ハ國際紛爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ嚴肅ニ宣言ス

第二条
締約國ハ相互間ニ起コルコトアルベキ一切ノ紛爭又ハ紛議ハ其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハズ平和的手段ニ依ルノ外之ガ處理又ハ解決ヲ求メザルコトヲ約ス

 不戦条約というのは、全部で三条しかなく、三条目は事務手続きに関する条項だから、この一条二条で実質全部といってよい。条約だから、若干ややこしい表現になっているが、要するに、いっていることは単純明快で、国際紛争の解決のために戦争に訴えることは今後一切しないということである。そして、国際紛争はすべて平和的手段によって解決するということである。それが憲法第9条第一項と実質同じであることはすぐ見てとれるだろう。

 
二つの戦犯裁判は不戦条約違反で裁かれた
……………………………………………………………………
 この不戦条約は、第1次世界大戦があまりにも恐るべき惨禍をもたらしてしまった反省から、もう二度とそんなことが起らないようにしようということで、フランスの外務大臣(ブリアン)とアメリカの国務大臣(ケロッグ)の提唱で結ばれた条約(別名ケロッグ・ブリアン条約)だった。

 
next: この条約は…
http://web.archive.org/web/20050523105422/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050509_kenpo/index7.html

 この条約は、当時存在した主要国全部(約60カ国)が賛同して結ばれた国際条約で、もちろん日本もこれに加盟していた。このような条約が1928年に結ばれたのに、それからわずか11年後の1939年には第2次世界大戦がはじまってしまった。

 それで、不戦条約を机上の空論の代表的存在と考える人もいるが、そうはいいきれない。第2次世界大戦が起きてしまったことで不戦条約は死んだかに見えるがそうではないということである。第2次世界大戦が終ってすぐに、「われら一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い・・・」(国連憲章前文)という目的をもって、国際連合が作られ、その憲章の一条「目的」と二条「原則」が不戦条約の内容をそのまま受け継ぐ内容となったことそれ自体が、不戦条約が死ななかったことの証明という見方ができる。

 また、第2次世界大戦の戦後処理で、ニュールンベルグ裁判と東京裁判の二つの裁判が開かれ、そこで戦争犯罪人に対する訴追がなされたことはよく知られている。この裁判で、両国の戦争をはじめた首謀者連中に問われた最大の訴追理由は、「平和に対する罪」だった。この「平和に対する罪」の主たる構成要件は、実は不戦条約を破って、戦争をはじめたことそれ自体とされていたのである。この点においても、不戦条約ははっきり生きていたといえるのである。つまりあの二つの戦犯裁判は、不戦条約を、破りっぱなしでもよい条約という形で終らせてはならない、という国際社会の強い意思の表明だったという見方もできるわけである。

 また法的にいって、不戦条約は今でも死んでいない(あの条約に期限はなかった)から、あの条約に調印した世界の主要国はいまだにあの条約に道義的に縛られているといえるのである。

 1950年の朝鮮戦争から、2003年のイラク戦争まで、戦後世界は暑い戦争が起こりつづけだったが、これはすべて不戦条約違反なのである。

 本来なら、不戦条約を結んだすべての国々が、不戦条約後に第2次世界大戦が起こってしまったことを反省して、第2次世界大戦終了後に、国連を作ると同時に、日本が憲法第9条でそうしたように、不戦条約と同じ内容を持つ条項を自国の憲法の中に入れてしまえばよかったのである。そうすれば、それぞれの国で解釈改憲が進んだとしても、ここまでひどいことにはならなかったのではないか。

 以上憲法第9条一項は、不戦条約が成立した1920年代から、世界のすべての人が、世界がそのようにあってほしいと願った内容をそのまま成文化した条項だということが容易にわかるだろう。これは世界に誇るに足る内容の憲法なのだから、これを捨てるなどということを考えることは恥ずかしいことだと思う。

 我々が憲法第9条を堅持しつづければ、不戦条約を結びながらそれを守りきれなかった世界の他の国々のほうが恥じ入ることになるのである。世界が不戦条約を捨てたことを恥じる気持ちを失ってしまったら、この世界に未来はなくなる。憲法第9条一項は、そのためにも、断固持ちつづけるべきである。日本の改憲論者も、幸い一項は堅持するという人が多数派である。しかし、憲法第9条二項については、もう少し長い議論が必要になるから、それについては項を改めたい。

 
立花 隆

 評論家・ジャーナリスト。1940年5月28日長崎生まれ。1964年東大仏文科卒業。同年、文藝春秋社入社。1966年文藝春秋社退社、東大哲学科入学。フリーライターとして活動開始。1995-1998年東大先端研客員教授。1996-1998年東大教養学部非常勤講師。

 著書は、「文明の逆説」「脳を鍛える」「宇宙からの帰還」「東大生はバカになったか」「脳死」「シベリア鎮魂歌―香月泰男の世界」「サル学の現在」「臨死体験」「田中角栄研究」「日本共産党研究」「思索紀行」ほか多数。講談社ノンフィクション賞、菊池寛賞、司馬遼太郎賞など受賞。

 

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