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第14回 小泉首相はドイツ型謝罪で中国・韓国との関係修復急げ
http://www.asyura2.com/08/senkyo56/msg/550.html
投稿者 ROMが好き 日時 2008 年 12 月 06 日 10:32:47: Dh66aZsq5vxts
 

(回答先: 第13回 反日デモの統制にも使われた逆説としてのインターネット (2005/04/26) 投稿者 ROMが好き 日時 2008 年 12 月 06 日 10:25:37)

第14回 小泉首相はドイツ型謝罪で中国・韓国との関係修復急げ
http://web.archive.org/web/20051231032541/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050502_syazai/

2005年5月2日

 小泉首相が、8月15日に靖国参拝をしたいなら、まず、中国、韓国両国の戦争殉難者の碑の前に行って、手を合わせて謝罪して来たらどうだ、と私がいったのは、レトリックとしていったのではない。

 問題がここまでこじれたら、もうそれしか方法がないのではないかと思う。小泉首相がバンドンで、村山談話を引いて、「反省と謝罪」のことばをつらねたのに対し、中国側は「(反省と謝罪は)行動で示してもらいたい」というだけだった。

 中国も、韓国も、求めているのは、ドイツ型の謝罪である。ドイツ型の謝罪とは、1970年に当時の西ドイツ首相ブラントがポーランドを訪問して、ワルシャワ・ゲットーの記念碑の前にひざまずき、「こうすべきであったのにこうしなかったすべての人たちに代ってひざまずく」といって、ひざまずいて謝罪したことをさす。

 その後、1985年には、ワイツゼッカー大統領が終戦40周年記念式典で有名な謝罪演説を行い、94年にはコール前首相が、05年にはシュレーダー首相が、などなどドイツ歴代の首相、大統領が(ここに名前をあげない人々を含め)、ポーランド、イスラエル、バルト三国などを毎年のように訪問しては、犠牲者の碑の前で、頭を下げつづけてきた。それによって、ドイツは国際社会から戦争犯罪については許しを得た形になっている。

 なぜ小泉首相はそれができないのか。それができないだけでなく、逆に神経を逆なでするようなことをつづけているのはなぜか。

 
next: 感情まかせでことを走らせれば必ず国を誤る
http://web.archive.org/web/20051226131750/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050502_syazai/index1.html

感情まかせでことを走らせれば必ず国を誤る
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 これは小泉首相にかぎったことではなく、日本人のほとんどに共通している心情だと思うが、もう戦争の問題はいいかげんにしてもらいたいと思っているのだ。戦争は悪うございました。それは認めてます。何度も謝りました。講和条約も結んだじゃないですか。平和友好条約も結んだじゃないですか。請求権の問題も片付けたじゃないですか。賠償代りの経済援助も山のようにしてきたではないですか。これ以上何度も繰り返し謝罪の問題を蒸し返すのはやめにしてもらいたい、と思っているのだ。

 法的に問題の正しさを論じるだけですむなら、確かにそのような主張ですむかもしれない。しかし、今回の事態は、国家と国家の間の国民感情が深くからむ問題になると、そのようなレベルの議論ではことがすまないということをよく示している。

 双方の国民感情が、それぞれのナショナリズムと結びつくと、反感が反感を呼び起こす。それは容易に怒りと憎しみのレベルまでエスカレートしてしまいがちである。

 最近の週刊誌のセンセーショナルなタイトルには、ついに「暴支膺懲(ぼうしようちょう)」の一語さえ飛び出している。若い人は知らないだろうが、この一語こそ、日中戦争がはじまった時期、日本人にみな、中国に対して戦争を仕掛けることは当然と思いこませたスローガンである。意味は、「無茶苦茶に乱暴しまくる中国をこらしめるべし」である。あの頃、中国全土でいまの何倍もすごい反日暴動の嵐が燃え広がっていた。それはしばしば暴動に近いレベルになった。日本商品の排斥はもっともっと激しかった。実害を受けた、日本人、日本商人、日本企業は沢山あった。死傷者も少なからず出た。「暴支膺懲」の声は日本中に広がっていった。であるが故に、日中戦争がはじまったとき、日本人の多くは事態を憂慮するのではなく、溜飲を下げたのである。

 いま日本に広まりつつある空気は、ほとんどそれに近いものがある。常日頃冷静をもって知られるメディアですら怒り狂った調子の論説を書いている。

 しかし、歴史が教えることは、感情まかせでことを突っ走らせては、必ず国を誤るということである。中国の指導者も、韓国の指導者も、そして多分小泉首相も、そこのところはわかっているはずである。

 中国も韓国も、本当はこの問題で、これ以上日本との関係を悪化させたくないはずである。できればことをおさめる方向にもっていきたいにちがいない。しかし、ことをおさめるためには、外交的な一定の型を作ることが必要である。国家のことはナアナアでおさめてしまうわけにはいかない。すべからく型にはめた上でおさめることが必要なのである。

 
next: クリアカットな行動で一国の意思示せ
http://web.archive.org/web/20051111164656/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050502_syazai/index2.html

クリアカットな行動で一国の意思示せ
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 ではどうすればいいのか。そのために必要なのは日本にドイツ型の謝罪行動をとってもらうことだ、という外交的サインを中国も韓国もたくさん出してきている。ノ・ムヒョン韓国大統領はドイツのシュレーダー首相と会見して、最近同首相がドイツのブーヘンワルト強制収容所解放60周年記念式典で行った謝罪演説の話をもちだし、ドイツの歴代首脳が歴史的に行ってきた謝罪の歴史をほめたたえ、日本となんというちがいだろうかと嘆いてみせた。

 中国の人民日報も、同じシュレーダー首相のブーヘンワルトでの演説を引き、ドイツの謝罪の歴史を詳しく報じている。先に引いた、西ドイツのブラント首相の70年のセリフ、「こうすべきであったのにこうしなかった全ての人たちに代ってひざまずく」は、その人民日報に引用されている言葉だ。その意味するところは明らかである。小泉首相にもそれと同じことをやってもらいたいのだ。

 同じことは、この反日デモの報道にあたっての欧米の新聞の論調にもあらわれている。ル・モンドなど欧米の一流紙は、反日デモが激化した背景に中国の国内事情があることを指摘すると同時に、一様にドイツの率直な謝罪と比較しての、日本の謝罪の不十分さをあげている。

 小泉首相としたら、あの戦争は、自分の何代も前の先輩たちがやったことなのだから今さら自分が責任を問われたくないという気持があるのだろう。しかし、それはドイツの政治家も同じである。シュレーダー首相はしばらく前のアウシュヴィッツで行った演説の中で、記憶を抑圧してしまおうとする誘惑、「悪魔のヒトラー」の神話に逃げこみたい誘惑がきわめて強かったことを率直に認めた。しかし、そういう気持を持ったことを恥とし、未来のために、自らの過去に立ち向かい、重荷を背負っていく覚悟を決めたと語っている。小泉首相に欠けているのはそういう逃避欲求を恥とする心と自らの過去に立ち向う勇気と覚悟である。

 世界中がメディア社会と化している現代社会においては、一国の指導者は、世界中の人にナルホドと思ってもらえるクリアカットな行動によって、一国の意思を示す必要がある。小泉首相の靖国参拝は、いくら小泉首相が、「これは不戦の誓いだ」と言葉で説明しても、誰もそうはとってくれないのである。世界のメディアが小泉首相のその行動を報じるときに、必ず付け加える一語は、「『これは不戦の誓いだ』と小泉首相はいっています」のコメントではなく、「この神社には、日本のA級戦犯が祀られて神とされており、中国、韓国の激しい反発をまねいています」とのコメントなのである。

 政治家たる者、メディアが自分の行動をどのように報じるかに常に注意しなければならない。小泉首相は、国内メディアが自分をどう報じるかについては、常に十分すぎるほど気を使い、メディア政治家として一流だが、外国メディアの報じ方については、まるでわかっていない。これではメディア政治家落第生といわれても仕方がないだろう。

 私は、このままいくと、この問題あるが故に、国連の組織改編にあたって、ドイツは常任理事国入りが認められても、日本だけは外れてしまう可能性が十分にあると思っている。

 
next: 靖国参拝を続ける限り日本の常任理事国入りは遠のく
http://web.archive.org/web/20050511002111/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050502_syazai/index3.html

靖国参拝を続ける限り日本の常任理事国入りは遠のく
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 国連というのは、そもそもが、第2次大戦の連合国(これがUnited Nationsの語源)中心の組織である。日本が国連に加入が認められるようになるためには、51年のサンフランシスコ対日講和条約(ソ連をのぞく連合国との講和条約)だけではことがすまず、56年のソ連との国交回復を待つ必要があった(その1カ月後に国連加入)という一事を見ただけでもそれがわかるだろう。

 国連の組織改編の基本問題は、国連をこのような「第2次大戦の戦勝国中心の組織」から今日の世界の平和の維持に「実質的な責任を持って中心的に取り組んでいくだけの能力と識見を持った国々中心の組織」に改編していくということであるが、その最大の前提は、もう第2次大戦の問題(どこが悪かった、どこに責任があるの議論)は蒸し返さなくてもいいだけの状態になっているということの確認である。本当にそうなっているかどうかの見きわめで、何より大切なのは、あの大戦を起し「平和の敵」であった国々(ドイツと日本)が、本当にあの戦争を真摯に反省し、「平和の守り手」の側に完全に身を移しているかどうかの見きわめなのである。

 しかし、小泉首相の靖国参拝問題は、この最重要な論点に重大な疑問を投げかけることになっていることに注意しなければならないのである。

 4月23日の朝日新聞「私の視点」欄によせられた加藤紘一「首脳は改善へ意思示せ」は、このポイントを的確についていた。加藤氏にいわせると、「靖国問題の本質はA級戦犯をどう見るか」という問題につきる。A級戦犯が神と祀られている神社に日本国首脳が参拝することは、サンフランシスコ講和条約を、日本が本心では受け入れていないというサインを国際社会に送ることになりかねない。これは、戦後の日本の政治指導者たちが、営々として積みあげてきた全ての努力(日本が平和愛好国家であることを世界に広く知らしめる)を無に帰させるだけの含みを持った行為である、と加藤氏は警告を発している。なぜここで、サンフランシスコ講和条約問題が出てくるのかといえば、講和条約の第11条で、日本は東京裁判の結果を受け入れることを世界に約束しているからなのだ。

 小泉首相が、中国、韓国の強い反対を知りながら靖国参拝をつづける行動は、小泉首相がどう弁明しようと、日本の戦争に対する反省心が十分でないあらわれと受け取られる可能性がある。そしてそれ故に日本の常任理事国入りが拒否される可能性も十分にあるのである。

 
next: 南京大虐殺は「まぼろし」ではない
http://web.archive.org/web/20050511005025/nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050502_syazai/index4.html

南京大虐殺は「まぼろし」ではない
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 今の若い世代は、小泉首相以上に歴史のことを知らないから、中国の反日デモが繰り返されるたびに、もういいかげんにしてくれと怒りだしたくなっているらしいということが、メディア上、インターネット上に散見される意見によくうかがえる。

 しかし、加害者の側は忘れやすくても、被害者の側は簡単には忘れてくれない。我々がヒロシマやナガサキのことをなかなか忘れられないのと同じように、中国人は、南京大虐殺をはじめとする日中戦争の被害のことを忘れられないのだ。

 南京大虐殺に関しては、1973年に鈴木明「『南京大虐殺』のまぼろし」が出てから、「まぼろし」を説く本が繰り返し何冊も出て、それがまた日本の悪評のもとになっている。それらの本をろくに読みもせず、そのタイトルの記憶だけから、「あれはまぼろしだったんでしょう」などと簡単にいってのける人が最近の若い世代には多いようだが、あの本は、本当の意味の「まぼろし」説では全くない。つまり、そんなものは全くなかったといっているのではないのだ。大量殺人があったことは認めるが、中国側の主張が多すぎるといっているだけなのだ。中国側主張が、20万人(東京裁判)、30万人(南京の大虐殺記念館)などとなっているのに対して、そんなに多いはずはないというだけなのだ。では実際のところどれくらいなのか、諸説さまざまあるが、いちばん少ない推定でも数千であり、旧陸軍将校全体の組織である偕行社が、南京戦の参加者からできるだけ多くの証言を集めて作った「南京戦」の推定でも3万2000人であるという。

 現代の用語法からすれば、数百人はもちろん、数十人の人が一挙に殺されただけでも「大虐殺」である。数千人数万人に及ぶ大殺戮があったら、これは文句なしの大虐殺であって、「まぼろし」では全くない。

 日中戦争全体の中国側の死者の数も諸説あってまとまらないが、60年代までは定説1000万人だった。その後、70年代に2000万人、80年台 3000万人と中国側主張はふえつづけており、その根拠には怪しいところが多少あるとしても、60年代の1000万人までは、日本側でも一般的に認めている。これは日本のヒロシマ・ナガサキを含む戦争犠牲者300万人(推定)と比較して何倍も多いのである。

 
next: 歴史認識を欠いた次の世代に新たな火種を残すことに
http://web.archive.org/web/20050511005025/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050502_syazai/index5.html

歴史認識を欠いた次の世代に新たな火種を残すことに
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 中国人の記憶から、戦争加害者日本の記憶がそう簡単になくなってくれることは期待できそうにない。

 異民族による大量殺戮のようなことが起きると、それは民族的な記憶として残り、その記憶は孫子の代まで消えない。そのような民族的にしみついた記憶を忘れてもらうためには、50年ではとても足りない。最低でも75年の時間は必要だろう(1世代25年として3世代分の時間ということ)。それは、我々の側のヒロシマ、ナガサキの記憶を例にとればすぐわかる。

 記憶が残る間に許してもらうためには、やはり謝罪が必要なのである。私は1940年生まれだから小泉首相とほぼ同世代で、リアルな戦争加害者の世代ではないし、戦争世代の共通意識である皇国皇民意識を植えつけられた記憶も全くない。しかし、中国側が、反日デモを起す気持はよくわかる世代でもある。私は戦争時代、子供ながら、大日本帝国の臣民の一人として北京にいたから、現地の中国人に「バカヤロー!」と面罵されたこともある。日本人は中国人にひどいことを沢山してきたのだ、と親たちの世代から具体的事例を聞かされてもきた。

 しかし、最近の世論調査では、それがわからない世代、中国側に歴史認識が欠けているといわれてもその意味すらわからない世代が多数派になっているらしいことを知って、これは本当にヤバイ時代になりつつあるのかもしれないと思いはじめている。このままいくと日中両国は、双方の若い世代の感情的な行きちがいから衝突コースを歩む可能性がかなりありそうだ。

 それはどちらにとっても不幸なことだから、早く和解の儀式にもっていく必要がある。政治には儀式が必要なのである。民族の代表者として、小泉首相には、ドイツ型謝罪のセレモニーをやってもらう必要がある。与野党を問わず、日本の政治家の中からそういう声が出てこないのは、どうしたわけなのだろう。

 このままいくと、日本は民族をあげての戦争無反省国家であると思われてしまう可能性が非常に強い。そのようなネガティブイメージが日本の将来に及ぼすマイナス効果はおそるべきものがあるだろう。

 
立花 隆

 評論家・ジャーナリスト。1940年5月28日長崎生まれ。1964年東大仏文科卒業。同年、文藝春秋社入社。1966年文藝春秋社退社、東大哲学科入学。フリーライターとして活動開始。1995-1998年東大先端研客員教授。1996-1998年東大教養学部非常勤講師。

 著書は、「文明の逆説」「脳を鍛える」「宇宙からの帰還」「東大生はバカになったか」「脳死」「シベリア鎮魂歌―香月泰男の世界」「サル学の現在」「臨死体験」「田中角栄研究」「日本共産党研究」「思索紀行」ほか多数。講談社ノンフィクション賞、菊池寛賞、司馬遼太郎賞など受賞。

 

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