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シュタイナーの音楽論
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投稿者 金十字架 日時 2009 年 10 月 30 日 01:17:02: mfAWtS4GF8MpY
 

(回答先: 共心動波  投稿者 金十字架 日時 2009 年 8 月 23 日 02:30:36)

転載
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ルドルフ・シュタイナーの「血はまったく特製のジュースだ」(高橋巌訳・イザラ書房)に所収の「音楽的なものの本質」をご紹介します。 シュタイナーの芸術をテーマにした業績のなかで、舞踏、絵画、彫刻、建築などにくらべて、理論面でも実際の活動でも音楽に関するものは決して多くはありませんが、音楽を軽視しているわけではないと思われます。

シュタイナーの芸術観は、リヒャルト・ワーグナーのような総合芸術を指向しているようで、音楽を芸術に固有の空間内で他の芸術と結び付けようとすることに意味があるようにとらえていたのではないでしょうか。

本論からの引用です。


音楽に耳を傾けるとき、われわれは自分の霊界の故郷をこの世の現実の中に映し出しているのです。霊的内容のその幻影の中で、魂はこの上ない高揚感を覚え、人間の存在そのものに限りなく近づいていきます。

だからこそ音楽はどんな素朴な魂の中にも限りなく深く働きかけてくるのです。どんな素朴な魂も音楽の中に、デヴァカン界で体験したことの余韻を感取します。そして本来の故郷にいる自分を感じます。そのような折りには常に人は、『そうだ、お前は別の世界からこの世に来たのだ』と感じます。

実際、事物の内奥の部分に生き、働いているものの余韻こそ人間が音楽の中で感じとるところのものなのです。そしてその働きは正に人間の内的ないとなみに親和しているのです。魂のもっとも内る、そして霊界と親和した要素は感情です。

そしてそのような感情を担った魂は、音の中でこそ一番自分らしい働きをします。音の世界に生きる魂にとっては、自分の内なる感情を生かすために、感情を仲介する肉体の存在などもはや必要ではありません。

音楽の原像は霊的なものの中に、一方その他の諸芸術の原像は物質界にあります。人間が音楽を聴くとき、浄福感をもつのは、その音が人間の霊的故郷の中で体験した事柄と一致しているからなのです。

本論の中ではいろいろ論じられていますが、概略については以上の内容です。これに加えて、「訳者付記」の中で高橋巌さんが、シュタイナーの「音楽と人類の意識の進化との関係」について紹介しているところがありますので、引用しておくことにします。この箇所は読み方によれば、グルジェフとの関連性を指摘できるように思えますので、なかなかに興味深いところです。


人間の意識にとって、3度の音程が特別切実に響くように、太古の人間は7度を体験する度に、脱魂状態に襲われた。そしてギリシャ=ローマ時代から中世にかけての人間にとって、5度の響きはまるで天使がわれわれの心の内部で歌っているようであった。

3度は近代人の主観的な喜び、悲しみのもっとも適切な表現を可能にしたが、しかしその近代人も1度から7度までの質的変化は理解できるが、8度はまだ1度と共通の質的体験としてしか感じとることができない。やがて音楽鑑賞の中で、オクターブのインターバルを体験する毎に、『私は今、自分の霊我と出会った』という感情が呼び起こされるであろう。

そしてそれは巨大な音楽体験になるであろう、というのである。シュタイナーは更に、この未来の音楽体験はわれわれのエーテル体(生命体)が肉体からの拘束を脱して、もっと柔軟になったときに現れてくる、とも述べている。

19世紀以来、文化の特質が男性的、理性的な方向に傾く中で、われわれの意識に一種の硬化現象が生じている。固定され、硬直化された意識は、自己救済をエーテル体の復活に求めている。そしてこの復活を可能にしてくれる最上の芸術手段もまたふたたび音楽なのである。

クレーの作品の音楽性についての評論もありますが、芸術行為というのは、神秘学的にみると興味深いところがたくさんあります。 シュタイナーにとっては、教育も芸術行為としてとらえられていますので、単に、社会論や記号論などで解釈されるような芸術作品のような既成の芸術論ではとらえられるはずもないことが理解されると思います。

まさに、霊・魂・体という3分節によってとらえられる神秘学的な芸術行為理解は私たちの生きる行為そのものと不断に、そして密接にかかわり合っているからこそ奥深く、意味深いものなのではないでしょうか。


芸術において人間は、世界のなかに結びつけられた霊を解放する。
音楽芸術において人間は、自分自身のなかに結びつけられた霊を解放する。

                ルドルフ・シュタイナー


 ルドルフ・シュタイナー「音楽の本質と人間の音体験」(西川隆範訳/イザラ書房)の中から、シュタイナーの音楽についての考え方を何回かに分けて引用紹介してみたいと思います。

先日、中野純「日本人の鳴き声」(NTT出版)の紹介をしましたが、それと重ねあわせて考えてみるとき、音楽についてのとっても興味深いビジョンが次第に浮上してくるのを理解されるのではないでしょうか。

●建築・彫刻・絵画・音楽

人体の法則を空間内に投影したものが建築です。
エーテル体から彫塑あるいは彫刻が発生します。
絵画はアストラル体の法則を内包します。

自我をもってアストラル体の中に沈潜することを通して音楽が生まれます。音楽は自我の法則を含んでいます。けれども、日常生活における自我の法則ではなく、意識下、アストラル体に移行したかたちで自我の法則を内包しているのです。


音楽の本質(1)

メロディー、ハーモニーのなか、その人間の魂への作用のなかに、神界の影を感じることができます。 人間が眠ると、アストラル体と感受魂は、低次の構成要素から離れます。ベッドの上には、物質体とエーテル体があります。その他の部分はアストラル体と神界のなかに生きています。
神界で、魂は音の世界を自分の内に受け入れます。人間は実際、朝目覚めるとき、音楽的な領域、音の海を通過していきます。 音楽にとっては、感受魂と感受体の共同が、特別の意味をもっています。あらゆる意識は外界を克服することによって生じる、ということを知らねばなりません。

快感、喜びとして人間に意識されるものは、精神的なものが身体的‐生命的なものに打ち勝ったこと、感受魂が感受体に打ち勝ったことを意味しています。内的な震動をもって眠りから戻ってきた人間には、気分が高まり、感受魂が感受体に打ち勝つのを知覚できる可能性があります。

魂がみずからを体よりも強く感じることができるのです。人間は短調の作用において、いかに感受体の震動が強いかを知覚することができ、長調において、感受魂がより強く震動して、感受体を圧倒しているかを知覚できます。単三度だと、魂の痛み、感受体の優勢が感じられます。長三度では、魂の勝利が感じられます。

人間は神界に属するものを、自分の故郷、自分特有のものと感じます。神界を流れるヴァイブレーションが、人間のもっとも深く、内的な本質を通して感じられます。アストラル的なもの、物質的なものは、たんなる覆いのように感じられます。

神界のなかに人間の本来の故郷はあります。そして、この故郷、神的‐霊的世界からの残響が、物質界のハーモニーとメロディーのなかに響いています。ハーモニーとメロディーは、この低次の世界を、崇高で素晴らしい存在の予感で貫きます。

ハーモニーとメロディーは、人間の最奥の本質をゆさぶり、この世が与えることのできない純粋な喜びと崇高な精神性の震動で人間の最奥の本質を震わせます。絵画はアストラル体に語りかけます。音の世界は人間のもっとも内面に語りかけます。

音楽は、時の流れのなかで受肉をしては、つねに新たな体験をしなければならない魂の模像です。人間の魂は生成中のものです。音楽は地上で流れゆくものであることによって、人間の魂の模像になっているのです。


音楽の本質(2)

人間は耳を通して音を外界から受け取り、周囲に返します。耳はもっとも古い器官のひとつであり、喉頭はもっとも新しい器官のひとつです。耳と喉頭の関係は独特のものです。耳は一種のピアノのように、震動します。

耳の中には多数の繊維があり、それぞれが一定の音に合っています。外で生起しているもの、外から入ってくるものを耳は変化させないか、あるいは、ごくわずかしか変化させません。ほかの感覚器官、たとえば耳は、周囲の印象を変化させます。

ほかの感覚は、将来になってはじめて耳の段階へと進化します。耳というのは最高の進化段階にある物質器官なのです。 耳は、さらに古い感覚と関係をもっています。空間内での位置測定のための感覚、すなわち、3次元空間を感じ取る能力です。この感覚が自分のなかにあることを、人間はもはや意識してはいません。

この感覚は、耳と内密に結び付いています。耳のなかに、注目すべき湾曲があります。たがいに垂直に交わっている三半器官です。この器官が損傷すると、人間は方向を知る能力を失います。この器官は、聴覚よりもはるかに古い空間感覚の名残なのです。

今日、音を知覚するように、人間は昔、空間を知覚していたのです。耳は音、即ち、空間から時間のなかに移るものを知覚します。 こうして、音楽的感覚と数学的感覚に類似性があるのが理解できます。

数学的感覚は三半器官に結び付いています。音楽的な家族は、音楽的な耳という特徴をもっています。数学的な家族には、空間的才能が結び付いた三半器官が、とくに形成されています。


霊的存在の世界と音の世界

  アトランティス人は3度、5度を体験することがありませんでした。7度を感じるときに音楽体験をもったのです。彼らにとっては、インターヴァルのもっとも狭いものが7度であり、彼らは7度以上のインターヴァルを有していたのです。

そして、3度、5度を彼らは聴き落としました。3度、5度は彼らには存在しなかったのです。7どの中に自然に生きると、人間は音楽を自分の中に経過するものとして知覚することがありません。自分の身体から外に出て、宇宙の中で音楽を知覚したのです。

ポスト・アトランティスの時代になっても、5度の音程に際して人間は、5度の中に神々が生きていると体験しました。5度の時代には、人間は音楽とともに、忘我の状態に陥りました。のちにやってきた3度の時代において、人間は音楽体験に際して自分の中にあるようになりました。音楽を自分の身体に受け取るのです。音楽を自分の身体に織り込むのです。3度体験とともに、長調と短調の区別が生じたのです。

さらに時代をはるかな過去、アトランティス時代よりもさらに遠い昔にさかのぼってみると、非常に興味深いことがわかってきます。レムリア時代です。そもそもレムリア時代には、人間はオクターブの中で音と音の隔たりを意識しうるというように音楽を知覚することはできませんでした。

インターヴァルがオクターブを越えて広がっているときにのみ、レムリア人は音程差を知覚したのです。たとえば、ドと次のオクターブのレの、ド‐レのインターヴァルのみを知覚したのです。今日の私たちにとって「あるオクターブの中の1度、次のオクターブの中の2度、その次のオクターブの中の3度」であるものの中に、古代の人間は客観的な長調、客観的な短調を知覚したのです。

自分の中で体験される長調と短調ではなく、神々の魂的体験の表現として感じられる長調と短調です。今日私たちが内的な長調体験と呼ばねばならないものを、人間は自分の肉体から分離した状態において、宇宙の歓喜、宇宙創造の喜びの表現のごとき神々の歓喜の音楽として、外に知覚したのです。

そして、今日内的な短調体験として存在するものを、レムリア時代に人間は、聖書に堕罪として語られている、神的‐霊的な諸力からの人間の落下、よき力からの落下の可能性についての非常な嘆きとして知覚したのです。

「意識魂の時代に生きている人間は、いま内的になっているものが、ふたたび外なる神的‐霊的なものへと向かう道を見いださねばならない」といいたいと思います。メロディーの中で体験される感受の内的な富が個々の音に移行し、人間が単一の音の秘密を理解することによって、そのようなことが生じます。

いいかえれば、単にインターヴァルを体験するのではなく、内的な豊かさをもって、内的な体験の多様性をもって、単一のひとつのメロディーのように体験できると、そのようなことが生じます。


音と言葉を通しての人間表明

 地上の人間組織は、霊的なものの模造です。人間が内に担っているものだけではなく、外的な自然のなかにあるものも、すべて霊的なものの模造です。言語によって自分を表明し、歌によって自分を表明することによって、人間は身体、心魂、精神という自分の有機体全体を、外と内に向けて表明するのです。人間は、音声と音の中に開示するものの中に存在するのです。

人類の歴史の中で、言語は本来、歌から発生したものです。歴史以前の時代にさかのぼるに従って、言語は歌に似ていきます。非常な過去にさかのぼると、歌と言語の区別はなく、両者はひとつのものでした。人間の原言語についてはよく語られますが、「人間の原言語は原歌謡であった」ということもできます。

音楽の観点から見ると、人体は楽器なのです。ヴァイオリンやその他の一般の楽器も、なんらかの子音から組み立てられたものとして把握することができます。子音について語るとき、楽器を思い出させるものがいつも感情の中にあります。そして、あらゆる子音の全体的調和が人体の姿を示すのです。

母音は、人体という楽器の上に演奏される魂です。人間の話す言語の中に子音と母音を追っていくと、おのおのの言語表現のなかで人間が自己を表現するのがわかります。人間の魂は、人体の子音的構成の上に母音的に躍動します。静かな恒星領域があり、その背後に運行する諸惑星があります。

ある惑星がある恒星を通過すると、音の世界全体が鳴り響きます。恒星天の中に、素晴らしい宇宙の楽器があるのです。その背後で、惑星の神々が黄道12宮‐恒星天の楽器を演奏するのです。

人間から子音を取り出すと、彫塑的に形成しなければならない形態が発生します。母音を人間から取り出すと、歌わねばならない音楽、歌が発生します。このように、地上に立つ人間は二つの宇宙芸術の成果なのです。

一方から、彫塑的な宇宙芸術が到来し、もう一方から、歌唱的、音楽的な宇宙芸術が到来します。二重に、霊的諸存在が活動を結合します。ある存在が楽器を構築し、べつの存在がその楽器で演奏します。

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