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言語は政治的につよい意味を持っている。母語が国際共通語である話者は、グローバルな競争において圧倒的なアドバンテージを享受
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/360.html
投稿者 TORA 日時 2010 年 5 月 13 日 17:42:51: GZSz.C7aK2zXo
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu215.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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言語は政治的につよい意味を持っている。母語が国際共通語である
話者は、グローバルな競争において圧倒的なアドバンテージを享受できる。

2010年5月13日 木曜日

GLPとは、Gross Language Productの略で1年間に各言語の話者によって
生み出される全ての最終的な商品とサービスの総市場価格のことをいう。


◆言語別の経済力、支配力 1月20日 投資十八番
http://stockkabusiki.blog90.fc2.com/blog-entry-1009.html

世界には数千(一説には8000以上)もの言語があるといいますが正確な数は不明です。
 数ある言語ですが、上位5言語で19億人(総人口の31%)をカバーし、上位100言語で49億人(同80%)をカバーするそうです。
 これは経済と似ています。経済力を測るモノサシとしてGDP(Gross Domestic Product)がありますが、世界190ヶ国の内、上位10国で約66%を占めているからです。

一部の国や言語に力が集中する理由を考えると歴史的・地政学的冗長話になりそうだから置いておくとして、国別の経済力がGDPで測れるのであれば、言語別の経済力を表す指標もあってよさそうなものです。ということでネットを徘徊して「言語の経済力」というべき統計を海外サイトで見つけました。

GLPとは、Gross Language Productの略で1年間に各言語の話者によって生み出される全ての最終的な商品とサービスの総市場価格のことをいうそうです。
 この統計によれば、英語(14.1兆ドル)とスペイン語(11.5兆ドル)が飛び抜けています。英語はイギリスの旧植民地を中心に、スペイン語はスペインや南米を中心に先進国、途上国ともに多くの話者がいます。
 次いで日本語ですが、これを日常語として操るのは「日本人」だけです。そのため日本語としての経済力は、日本一国のGDPとほぼ同額になります。
 中国の位置が低すぎる気がしますが、これは標準語である「北京語」を使用する人口だけでみているからだと思われます。今後は経済力の上昇とともにGLPも上がっていくはずです。
 その結果、近い将来には、英語、スペイン語、中国語の3言語圏が世界の経済を牛耳る存在となっているのではないでしょうか。

 次に、インターネット上で使用される言語をみてみます。インターネットは通信インフラの整備や教育が体系的になされていること、そして一定水準以上の所得がないと普及しません。そのため、普及率の上昇の程度やネットユーザー数を確認することで、その「言語圏の成長力」もしくは「言語圏の潜在力」を推測します。

 インターネットでもチャイナ・インパクトが強烈です。経済力の上昇と共にインターネット人口が急速に増えています。(そんな中国に喧嘩を売ったGoogleの真意と結末が気になるところです。)
 しかも、中国はまだネット浸透度が3割にも満たないため潜在力も大きい。また、英語はネットで最も使用される言語ですが、中国語には及ばないとはいえ、成長率と潜在力ともに大きい。そのため今後も高い伸びを期待できます。
 英語、中国後に次ぐのがスペイン語です。この言語も伸びが著しく潜在力も大きいため、先のGLPと同様、この3大言語がネット上でも強い影響力を持ちそうです。

 10年くらい前までは、将来はインターネットによって世界言語としての英語のパワーが支配的になるのかなと思ってましたし、実際にそういう論調が多かったような気がします。しかし、現実にはそうはなっておらず、シュミットが言うように数年のうちに中国語がネット上で最も使われる言語となる可能性が高いことがこれを証明しています。一方で、日本語、ドイツ語、韓国語などは伸び率が低く浸透度からみてのびしろも大きくないため、今後ネットにおける使用言語としての地位は落ちていくでしょう。
(このデータの「Korean」は韓国だけでなく北朝鮮も含まれていると思われます。)

 ネットから締め出された言語がこれから生き残っていくのは難しいかもしれないですね。100年後、世界中がインターネットで繋がっている未来で、果たしてどれだけの言語が残っているのでしょうか。


◆リンガ・フランカのすすめ 5月12日 内田樹
http://blog.tatsuru.com/

大学院のゼミで、シェークスピアの受容史について論じているときに(いったい何のゼミなんだろう)通訳翻訳コースの院生から、私の論の中にあった「言語戦略」という概念についての質問を受ける。
言語は政治的につよい意味を持っている。
母語が国際共通語である話者は、マイナー語話者(たとえば日本語話者)に対してグローバルな競争において圧倒的なアドバンテージを享受できる。
なにしろ世界中どこでも母語でビジネスができ、母語で国際学会で発表ができ、母語で書かれたテクストは(潜在的には)十億を超える読者を擁しているのである。
自国のローカルルールを「これがグローバル・スタンダードだ」と強弁しても、有効な反論に出会わない(反論された場合でも、相手の英語の発音を訂正して話の腰を折る権利を留保できる)。
だから、自国語を国際共通語に登録することは、国家にとって死活的な戦略的課題である。

ご案内のとおり、20世紀末に、インターネット上の共通語の地位を獲得したことによって、英語は競合的なヨーロッパ言語(フランス語、ドイツ語、ロシア語)を退けて、事実上唯一の国際共通語となった。
世界中どこでもグローバルな競争に参加するためには英語を習得することが義務化している。
そして、その「グローバルな競争」なるものは「英語を母語とする人々」がすでにアドバンテージを握っている「構造的にアンフェアな競争」なのである。
一言語集団にこれほどまでの競争上のアドバンテージが与えられたことは、人類史上おそらくはじめてのことである。
ことの良否はわきに置いて、まずそのことを事実として認めよう。(中略)

これは伝統的な帝国主義の言語戦略である。
理由は明らかで、うっかり子どもたちに宗主国の言語の文法規則や古典の鑑賞や、修辞法を教えてしまうと、知的資質にめぐまれた子どもたちは、いずれ植民地支配者たちがむずかしくて理解できない書物を読むようになり、彼らが読んだこともない古典の教養を披歴するようになるからである。
植民地人を便利に使役するためには宗主国の言語が理解できなくては困る。
けれども、宗主国民を知的に凌駕する人間が出てきてはもっと困る。
「文法を教えない。古典を読ませない」というのが、その要請が導く実践的結論である。
教えるのは、「会話」だけ、トピックは「現代の世俗のできごと」だけ。
それが「植民地からの収奪を最大化するための言語教育戦略」の基本である。
「会話」に限定されている限り、母語話者は好きなときに相手の話を遮って「ちちち」と指を揺らし、発音の誤りを訂正し、相手の「知的劣位」を思い知らせることができる。
「現代の世俗のできごと」にトピックを限定している限り(政治経済のような「浮世の話」や、流行の音楽や映画やスポーツやテレビ番組について語っている限り)、植民地人がどれほどトリヴィアルな知識を披歴しようと、宗主国の人間は知的威圧感を感じることがない。
しかし、どれほどたどたどしくても、自分たちが(名前を知っているだけで)読んだこともない自国の古典を原語で読み、それについてコメントできる外国人の出現にはつよい不快感を覚える。

日本の語学教育が明治以来読み書き中心であったのは、「欧米にキャッチアップ」するという国家的要請があったからである。
戦後、オーラル中心に変わったのは、「戦勝国アメリカに対して構造的に劣位にあること」が敗戦国民に求められたからである。
私はそれが「悪い」と言っているのではない。
言語はそのようにすぐれて戦略的なものである。
英語圏の国が覇権国家である限り、彼らが英語を母語とすることのアドバンテージを最大化する工夫をするのは当然のことである。
非英語圏に生まれた人間は「それだけ」ですでに大きなハンディを背負っているような「仕組み」を作り上げる。
これを非とする権利は私たちにはない。
日本だって70年前には東アジアの全域で、「日本語話者であることのアドバンテージが最大化する仕組み」を作ろうとして、現に局所的には作り上げたからである。
けれども、ハンディキャップを負う側にいる以上、「どうやって英語話者の不当に大きなアドバンテージを切り崩すか」ということを実践的課題として思量するくらいのことはしてもよいと思う。(中略)

「英語」では、古典を適切な日本語に翻訳すること、修辞的に破綻のない英文を作ることを教育目標に掲げる。
中学なら時間割の時間配分は5:1くらいでよろしいであろう(もちろんリンガ・フランカが5)。高校になったら3:1くらいにして、大学ではできたら2:1くらいまでに持ってゆく。
これは「英語がほぼ独占的な国際共通語になった」という歴史的状況に対処するための、たぶんいちばんプラクティカルなソリューションであると私は思う。

小学生程度の英語を流暢に話す技能を「英語ができる」と評価することに私は反対である。それは「リンガ・フランカがよくできる」という項目で評価し、「英語ができる」という言い回しは「仮定法過去完了」とか「現在分詞構文」とかがぱきぱきと説明でき、He is an oyster of a man というようなセンテンスを嬉々として作文に使う子どものために取っておきたいと思うのである。
どうであろうか。
難波江さんの意見聞きたいんですけど、どうでしょうね。


(私のコメント)
世界がインターネットの時代に入ってきてインターネットで使われる言語は英語が圧倒的なのですが、将来的に見ても同じなのだろうか? 国際会議でもフランス人やドイツ人が英語でスピーチしているのを見るとヨーロッパ人としてのプライドはどこに行ってしまったのだろうか?

日本人で英語を流暢に話せる人があまりいないのは英語を習得する事が難しいからですが、日本の学校教育における英語教育が歪んでいるからだろう。語学というのは実際に使わないと身につきませんが、日常生活において英語を使う機会はほとんどない。アメリカ人など英語を母国語として話す人が身の周りにいないし、テレビも新聞もみんな日本語で間に合う。

英語を必要としている人は学者とかジャーナリストとか大企業の社員とか政治家といったトップレベルの人たちなのですが、彼らにあまり話せる人がいないのが問題なのだ。私のようなローレベルの一般市民に英語教育を施しても効果はあまり上がらないだろう。それとも将来は日本語を廃止して公用語を英語にしようとでも思っているのだろうか?

本当に英語が必要ならば学校で教えなくても人々は必死に英語を習得するだろう。しかしそれらはローレベルの英語であり、高度な文化内容を吸収するのには役に立たない。翻訳する為の英語学習と外人と会話する為の英語学習とは別と考えた方がいいのだろう。そして英語は外人とのコミニケーションの手段であり英米人の話す英語とはかなり発音などが異なっていても別にかまわないはずのものだ。

文章なども英米人から見ればおかしな文章でも外人同士で通じればいいのだろう。だから高校や大学などにおける入試科目から除外すべきだし、採点の基準も曖昧なものになるからだ。このように国際的な公用語としての英語と英米人が話す英語とは発音や文法など違っていても通じればいいと言った国際語が将来できるだろう。

だからアメリカ人やイギリス人がいちいち発音や文法などにクレームを付けるといった事は無視すればいいのだろう。層でなければ外人同士が使う公用語としての英語は成り立たない。英米などでは発音や言葉遣いなどで教養のレベルを計ることがあるようですが外人にそれを言ってみても無意味な事だ。

日本においては英語を第二公用語とするよりも翻訳する事で高度な文化を取り入れてきた。これは古代から中国の文化を受け入れてきた方法と同じであり、英語においても翻訳においても新しくそれに対応した言葉を作って翻訳してきた。戦後においても英語がそのまま入ってきましたが英語のような日本語だ。パソコンといった言葉は英語ではなく日本語だ。

学者や技術者といった専門家は国際的な論文を書くにも英語が必要になりますが、それは英語の文化ががトップレベルを維持している場合であり、国家の盛衰と大きな関係がある。英語が国際用語になったのもイギリス・アメリカと覇権国が続いた為であり、もし中国が軍事政治経済などで覇権国となった場合には中国語が国際的な公用語になるかもしれない。

日本語とドイツ語は戦争に負けてすっかり影が薄くなりましたが、日本語は経済規模においても英語にひけを取るものではなく、もっと国際的になってもいいと思うのですが世界中に日本語学校があってもいいと思う。漢字は確かに難しいが発音自体は単純明快でありローマ字やカナでそのまま読めば発音やイントネーションにかかわらずに通じる。

世界でも日本語を勉強すれば日系の会社に就職できるとか、進んだ文化を学べるとなれば日本語も国際的になるのですが、どういう訳か文部省などは積極的ではない。中国などでは世界中に中国語学校がありますが、経済的な規模からすれば日本語の方がはるかに規模は大きく文化的にも進んでいる。

冒頭のグラフではGLPで日本語は三番目の規模ですが、人口の数え方によってもだいぶ違いが出てくる。中国語にしても北京語だけを見ればGLPはさほどでもない。むしろ経済力や文化レベルなどが国際用語などにおける要素になりますが、英語、日本語、ドイツ語、フランス語といった先進国の言語は、日本語は英語に次ぐ地位にあるといっても大げさではありません。

にもかかわらず日本における日本語への評価は低いものであり、英語を学ばなければ世界に流れに乗り遅れるといった論調ばかりだ。日本語が英語に比べてそんなに劣っているものであるのならば技術力や経済力でもアメリカに差をつけられていたはずだ。しかし現実にはアメリカは日本の技術力に脅威を感じているのであり、ノーベル賞がアメリカに集中しているのは英語で審査されているからだろう。

国際会議においても英語が公用語となり、日本語で日本代表が演説しても誰も分からない。英語やフランス語やスペイン語が広まっているのは帝国が植民地に言葉を強制した為であり、日本語は朝鮮や台湾などで公用語になった時期もありましたが、敗戦によって日本語の分かる世代は消えかけている。

当面の戦略は英語圏の文化に付かず離れずに付いて行って、日本に留学生を迎え入れて日本語の国際化を図っていくべきなのだろう。しかしながら日本の大学などでも英語で講義をしようということが国際的だという意見もありますが、経済規模も大きく技術水準も高い日本語を普及させる努力をすべきだと思う。


 

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コメント
 
01. 2010年5月14日 23:07:33: IzKuJsxM8g
中学、高校の英語教師を90%英語を母語とする教師に変えればよい。

リスニングが出来れば、片言の英語の単語で、簡単な意思疎通はできる。

文法も大事だが、まずは、話す、聞く、これが基本。

母語の文法を知らなくても、言葉は十分話せる。

 小、中、高、大学、英語を学んだが、みんなほとんど、聞き取れない。

これは、指導方法に誤りがあった。

 英語を母語としていない日本の教師が多すぎたから。

英語も満足に話せない英語教師。これでは、生徒が聞き取れるわけがない。


 日本生まれのインド人の子どもでも、英語ペラペラ。

親が、英語ペラペラだからです。文法など親は知らない。


言語は、習うより慣れろ、ですよ。


02. 2010年5月16日 12:59:15: 7MYtH07DVM
インド人などの使う英語を聞くと、共通語としての英語の意味を再認識出来る。
正しい発音などクソ食らえとばかりに自信を持って発言・主張している(ように聞こえます)。
現在の日本の英語学習状況で一番いけないのは植民地的洗脳に染まってネイティブに憧れる馬鹿どもだろう。
例えば、「例えば」は「フォレイグザンプル」でもいいではないか、話の内容がまともであれば。
ピジンイングリッシュ的なものがもっと評価されるべき。

03. 暴論有理 2010年5月23日 07:13:01: Lhw6YrhSkkinE: UMDQDpfh9w
日本人英語教師と文部省の英語の指導要綱をなくせばいい。それと発音数の少ない日本語で耳が固まる前に速く、外国語を教えるべきだな。

ヒンドゥー語は同じ語族でも、英語より日本語に文法はちかいが、インド人は耳がいいぞ。

韓国じゃ10年前から10歳から英語が必須で、現在、香港やマレーシアの若者より達者な英語ぺらぺら世代が登場してきているのだ。その韓国も映画産業などで国際化とともに韓国語の影響力を拡大させてきている。

内向きの言語政策じゃ、日本語なんて誰にも見向きされない方言になるだろう。


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