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反射-c
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/461.html
投稿者 モモンガール 日時 2011 年 1 月 08 日 18:25:54: qoOlRBnI3lDHA
 

はん‐しゃ【反射】

媒質中を進む光・音などの波動が、媒質の境界面に当たって向きを変え、もとの媒質に戻って進むこと。
「声が山に―してこだまする」

goo辞書
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/181252/m0u/%E5%8F%8D%E5%B0%84/

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幸運の秘訣

今までの数千年間、多くの思想や宗教学、信仰や行法、近代の引き寄せ的な意識実現の方法が論じられて来ました。
その根底に在るのは、人類が持つ幸福に成りたい欲求です。安心した心境で暮らしたい本能でもあります。
ただ、どんなテクニックを開発しようが、何を実践しようが、自分から“出す”他への「思いやり心」「情け心」「愛情を掛ける」という、自分から“与える思考”には絶対に敵いません。仏教的には、これを慈悲(じひ)の心とも言います。これは最強の心「境」です。キレイな鏡(かがみ)と自分が成ります。
どんな強力な呪詛(じゅそ:ノロウこと)が掛けられても、相手への慈悲心を「自分が」持っていれば、キレイに跳ね返します。発信した本人に呪いが“帰り”、自分で自壊して行きます。
相手が分からない呪詛は、普段から「生かして頂いて ありがとう御座位ます」と謙虚に感謝想起をしていれば、キレイに発信者へと跳ね返ります。

金運にしても同じです。
金を欲しがる間は、何をしても失敗をします。
自分が他人を喜ばせたい、与えたい、と純粋に思いますと、福の神のほうから自分に寄って来られます。
同類が磁石のように集まる霊的法則から考えましても、自分が欲しがる間は、似たような欲しがる餓鬼(がき)が霊的にも集まります。運気は下がります。
自分が他人に与えたいと強く思えば、同じような“与える”霊的存在が自然と来ます。
昭和までの地球は、月(つき:憑き:引力)の世紀でした。つまり、「引き寄せる」引力の時代だったのです。
平成からは太陽の時代に入っています。太陽は、光や熱にしても電磁波にしても、地球へ“与える”存在です。
これに従って、地球上における文化の推進力は、“与える原理”に切り替わっています。この大きな法則に刃向かうような引き寄せ術は、不幸に成る原理へと変貌しています。注意をしましょう。

西洋文化は、古代の「狩り」の習慣が根底に在ると感じます。
無い物は、狩り取って来るという思考です。これが、信仰でも思想でも、見えない根底に隠れています。
日本にも狩りの習慣は古来からありますが、そこには感謝をする作法が在ります。生き物を狩り取れば、感謝をすることが非常に大切です。
秋に行われる神社の祭りも、収穫への感謝祭に原点があります。外国にも収穫祭があるでしょうが、日本には「いただきます」の習慣を始めとして、日常の中に色んな形で隠れています。

これからは、日常の中に「慈悲の心」と「感謝の心」を意識することが大切です。
太陽の波動が応援してくれます。誰も逆らうことが出来ない、大きな太陽の波動です。
必ず色んな事が改善して行きます。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

伊勢ー白山 道
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20110107


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■ 因果律がこの世を支配している
 あなたの現在の状態は、あなたが過去において投げたボールが、白いボールであったか黒いボールであったかの結果です。白いボールは愛と奉仕であり、黒いボールとは自己中心主義です。この世には因果律があり、白いボールを投げると白いボール(幸福)が、黒いボールを投げると黒いボール(不幸)が返ってくると、心霊研究は教えます。これは正確無比で寸分の狂いもないそうです。人が因果律という壁に向かってボールを投げている姿が人生だと教えます。
 人はこうして、人生とは因果律が支配しており、自分の現在は自分が過去に投げたボールの結果だということを知るのです。ですから、現在の自分の状態を変えたかったら、今日あなたが投げるボールを変えればいいのです。あなたはいつも自分の未来を創造する「現在」に立っています。(中略)
 だから、現世(物質界)においても、人は想念で人生と住む世界を作る神である。ただ、あの世とこの世の相違点は、あの世では思ったことがすぐ実現するが、この世では実現に時間がかかるという点です。
 しかし、現在が自分の過去に投げたボールの結果である点は、あの世でもこの世でも何の違いもありません。また、このことは輪廻転生、つまりいくつもの生まれ変わりの人生の中でも、寸分の狂いもなく実現されています。あなたはあの世でもこの世でも神なのです。想念で世界を創る神と同じ仕事をするからです。
                  ――『サタンが降りた』(桑原啓善・著/でくのぼう出版)

  「この世は因果律によって支配されている」ということは、仏教では「自業自得」「善因善果・悪因悪果」という言葉で、新約聖書でも「人は自分が蒔いた種を刈り取らなければならない」という表現で、それぞれ同じ意味のことが述べられています。最近流行の言葉でいえば「原因と結果の法則」ということです。
  人がこの世で体験する内容は、すべて過去において(前世も含めて)自ら発信したこと(行為・言葉・思念=身・口・意)の結果だということです。たとえば、他人を傷つける黒いボールを投げれば、一定の時間を経て、今度は自分が他の人から同じ黒いボールを投げられ、傷つけられることになります。
  投げ返されたボールによって痛みや不快感を感じる場合は、次からは自分が投げるボールを変える必要があることに気づくのです。ボールには色がつけられていて、必ず同じ色のボールが返ってくるようになっているからです。これが「自業自得」ということなのですが、このように気づきを得るための大変ありがたい法則であることがわかります。
  新約聖書にイエスの言葉として、「あなたが他人にしてほしいと思うことを、他人にもしてあげなさい」と述べられているのも同じ意味であることがわかります。それは他人のためというよりも、まさに自分自身のためになることだったのです。新約聖書には、全く同じ意味で「与えなさい、そうすれば自分も与えられるであろう」という表現もあります。
  桑原さんが言うように、私たちがボール(思念、言葉、行為)を投げたら、異次元(霊界)を経由してきっちり同じ種類のボールが返ってくるということです。
  その一番極端な事例として、「人を呪わば穴ふたつ」という諺があります。わら人形に釘を打ちつける「子の刻参り」という呪いの儀式を行なうことによって、恨みに思う人物を呪い殺すことができるというものです。しかしながら、その呪いの念は「黒いボール」ですから、それはやがて自分のところにも同じ黒いボールとして返ってくるのです。その結果、自分も死んでしまうため、埋葬する墓穴が2つ必要になるということです。
  この「必ず同じものが戻ってくる」という宇宙の法則があるために、私たちは過去(または過去世)において投げたボールをこの人生で受け取っていることになります。各神示の伝えるところによりますと、人生でどんなボールを受け取ることになるかは、生まれる前に霊界ではある程度わかっていて、私たちはそれを覚悟して生まれてくるようです。ところが、現実にこの世界に生まれてしまうと、カルマを解消しようという霊界での決意を忘れてしまって、「なぜ自分はこんなに運が悪いのか」「なぜ自分は他の人よりも苦労をしないといけないのか」などと不満に思ったり、悩んだりするようになるのです。
  そして、神社や霊能者のところに足を運び、「どうか運がよくなるようにしてください」とお願いをします。でも、これはおかしいのです。「私が投げた黒いボールを、どうか受け取らなくて済むようにしてください」とお願いしていることになるからです。自分が投げたボールの行き先がなくなってしまいます。
  「親の因果が子に報う」という言葉があるように、祖先の投げた黒いボールを子孫が受け取る場合はあるようです。しかし、全く関係のない他人が、自分の投げたボールを受け取ってくれることはありません。「自業自得」がカルマの法則だからです。
  この物質世界を貫いている「エネルギー不滅の法則」から見ましても、投げたボールが途中で消えてしまうことはなく、ブーメランのように必ず投げた本人のところに返ってきます。その法則があるおかげで、この宇宙の秩序が保たれているのです。
  さらに、個人として投げたボールだけでなく、国家や民族、あるいは人類全体として投げたボールも、同じように返ってきます。今日の地球の自然環境破壊や異常気象は、これまでの歴史の中で人類が投げてきた黒いボールが、その子孫のところに返って来ていると考えるべきです。

フツーの人が書いた黙示録
http://www001.upp.so-net.ne.jp/apocalypse2012/karma21.html

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こだまでしょうか

         金子みすず

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。

そうして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。


金子みすずの心「こだまでしょうか」  
http://green.ap.teacup.com/gujo/176.html  

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