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騎士道、武士道から考える、日本人、西洋人の思想・京産大文化学科(武士道には軍産複合体の牙を抜く為のヒントがありそうです)
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投稿者 小沢内閣待望論 日時 2011 年 3 月 20 日 16:10:30: 4sIKljvd9SgGs
 

http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~konokatu/sasaki(05-2-1)
騎士道、武士道から考える、日本人、西洋人の思想

京都産業大学文化学部国際文化学科 佐々木 禎

はじめに

このテーマを選んだ理由は、騎士道、武士道は、一般的に同じような意味として捉えられるが、果たしてそれらは本当に、同じ物なのかという疑問をもち、それらの内容を理解する事で、自国の思想を再認識し、そのうえで多文化を理解しようと思うからである。

1.騎士、武士の台頭

まず、騎士と武士の台頭について簡単にまとめてみたいと思う。この二つの集団の成立に大きく関与したのが封建社会の成立である。11世紀、諸侯と騎士による主従関係の形成により、騎士が栄えていった。もともと彼らの基礎になったものはゲルマン民族の戦士であるといわれている。F・デュ・ピュイ・ド・クランシャンは、彼の著書『騎士道』の中で、このゲルマン起源説とは別に、ローマ起源説やアラビア起源説についても述べているが、現在一般的にはゲルマン民族の戦士に起源を持つという考えが主流であるとしている。(1)また騎士、とは馬に乗った戦士の事であるが、馬に乗り高価な甲冑に身を包む事で彼らは、その権力を誇示した。もともと貴族である彼らは、その当時、一般大衆に権力を行使した。彼らの権力は、伝統と武力の基に保障されていた。

武士にしても同じ事であり、鎌倉時代の頃に、荘園の制度が形成された。それにより今までの公家中心の社会から、武士中心の社会へ変化していった。この封建制度により騎士、武士はそれぞれ力をつけていった。

2.騎士道概念、武士道概念の成立

騎士、武士台頭の中で、それらの戒律として騎士道、武士道が成立した。ただ騎士道、武士道は単に戒律としてではなく、道徳的意味を多く含んでいる。

これらの道徳心が備わる以前は、騎士は単に野蛮で好戦的な存在であり、また武士も同様であった。これらの権力の、抑止力として働いたものに、道徳心がある。この考えは、宗教的思想を基に形成されていった。では、なぜ道徳を重んじるようになったのか?その理由としては、宗教の影響があったといえる。ヨーロッパでは、騎士の力が強くなっていたころ、カトリック教会は、イスラムの勢力や東方教会に自らの地位をおびやかされるのではないかという、恐怖感を持っていた。それらの力に対抗するためカトリック教会は騎士たちに保護を依頼する。このような背景のもとにキリスト教と騎士は、密接に関わっていった。

また、武士道においても、儒教、神道、仏教の思想の影響を色濃く受けている。道徳心は、宗教との接触により形成されらと考えられる。

3.武力と宗教

しかし、武力に対して否定的な立場であるキリスト教が、武力集団である騎士と関係を深めていく事ができたのか。その両者が、結びついていった理由には、キリスト教会側の、権力の失墜に伴う妥協があるといえる。実際テンプル騎士団という存在があった事からも、キリスト教聖職者が、武力と関わりを持つ事を積極的に行っていたことがわかる。彼ら、テンプル騎士団の主要任務は聖地の守護と、領地を通る巡礼者たちの警護である。また、彼らは騎士であると同時に修道士でもあり、キリスト教国で血を流すことを許された唯一の宗教者であったといわれていた。これは十字軍遠征をきっかけとして成立していったものであるが、キリスト教側の考えが時代の変化に伴い都合のよいものに解釈されてきたことが伺える。

また、武士道の道徳心の基礎ともいえる仏教もまた、武力に対して否定的な立場であった。しかし、仏教が例外的に武力と関わりを持つ事があったことは、日本史の中で確認できる。例えば、人々が末法思想の中、混乱した10世紀には、僧兵という存在があったとされている。彼らは仏教団体でありながら、人を殺していた。このように、宗教は人が創り出したものであるが故、その宗教を扱う人によって都合よく解釈され、利用されてきたのではないだろうか。

「教会が許容する戦争は、それゆえ理論的にみればそう数多くはないのだ。わずかにキリスト教擁護ということをはっきり目的として掲げたものだけである。また栄光あると形容できる戦争以外に、教会が大目に見てやらなければならないものもあった。明瞭に防衛だけのための戦争(それはしばしばキリスト教徒の王国の存立がかかっている戦争)がそれであった。(中略)極端に政治的な教皇や世俗的な野心に燃える司教たちは、それを助長したり、それに介入したり、あげくは指揮したりする事になった。教会とてもやはりこの世のものなのだ。」(2)また中世のヨーロッパで、発布された免罪符は、その札を買う事によって、今までの罪から解放されるというものであったが、これは、キリスト教のもともとの考え方から大きく逸れていたといえる。このように宗教はその理想と現実の社会の間で揺れ動かされてきた物だったとするのであれば、仏教、キリスト教がそれぞれ武力に対して肯定せざるを得なかった事は理解できる。

4.騎士道、武士道の道徳体系

(1)騎士道

シドニー・ペインターは、騎士とはただ馬に乗った戦士ではなく、忠節、武勇、気前のよさ、礼節、をもった存在であるとされている。そしてこれらは、騎士の基本的思想概念であるとしている。(3)

「忠節」これは、君主に対する忠誠、キリスト教、教会に対する信仰を表す事で表現される。

「武勇」戦いで敵を打ち倒す力の事。

「気前のよさ」気高さの象徴とされ、騎士の資質としてはこれが最も重要とされてきた。

「礼節」立派な騎士ならば、仲間には丁重に振舞ってしかるべきという考え方。

またカンブレーの司教は騎士道の戒律に次の八つの事柄を挙げている。(4)

1.日々、朝食前に、ミサにあずかること(ただし聖体拝領はない。)

2.随時おのれの生命に信仰を捧げる事。

3.寡婦と孤児を庇護する事。

4.いっさいの不義不正の戦いを慎む事。

5.不義不正に手を貸すのを拒み、虐げられた無実無根の者を保護する事。

6.つねに謙虚である事。

7.臣下の財産を保護する事。

8.主君に忠誠である事。

これらは上で述べた思想の実行体系を記したものであるが、これらはすべての物が堅守されていたものではないといえる。例えば4には「いっさいの不義不正の戦いを慎む事」とあるが、上で述べたように、騎士は、実際好戦的集団であり、おのれの利益のための戦いを行う事もしばしばあった。しかし、基本的にはこれらの考えを基にして騎士は行動していたといえる。

これらの事から見て取れるように騎士の行動には大きく三つに分けられると考えられる。一つ目は宗教的理由、カンブレー司教の挙げた戒律の中では、1、3、4、5がこれにあたる。二つ目に世俗的理由があげられる。これには、7、8にあたる。世俗的理由とは騎士の社会的立場に由来するものである。社会の中で騎士は主君に尽くす立場であったのはすでに述べたが、そういったところからくる思想である。三つ目は個人的思想、これは2、6にあたる。この三つの思想が柱となって騎士道的思想が完成していった。

(2)武士道

中世の時代には武士道という言葉は存在しなかった。しかしそれは「弓矢取る者の習い」として道徳精神は存在した。彼らは、利と名を重んじ、その二つのものが武士にとっての判断基準として作用していた。更に言えば名は、利よりも命よりも尊ぶべきものであり、彼らはそのため死という事よりも、不名誉を最も避けるべきものとした。その最も顕著な例として切腹が行われていた。この自らの名を汚さぬための切腹は源平時代から始まったと言われている。また戦で命を落とす事は、名誉な事であり、多くの武士が死んででも名を上げたいと思っていた。また死の覚悟のなされていない者は、容赦のなく蔑まれていた。彼らにとって名誉というのは、それほど重要なものであったのだ。

また新渡戸稲造は、武士道の基本理念について「義」「勇」「仁」「礼」「名誉」などの言葉を使って説明している。(6)

「義」:正義の道理、また孟子によると義は路である。

「勇」:義しき事をする事、義と同じような意味とされている。また、「勇」の行いとしては、武田信玄の国の弱体化を謀り、北条氏が武田氏との塩の交易を禁止した時、武田の敵であった上杉謙信は「我の公と争うところは、弓矢であり、米塩にあらず」として、武田側に塩を送った行為がこれに当たる。

「仁」:愛情、寛容をあらわす。「礼」社会的地位に対する正当なる尊敬を示す事。

「誠」:誠実、誠実さ無くして礼はないという考え方に基づく

「名誉」:行動の基準とされた。

そして彼らの行動には常に「武人階級の身分に伴う義務」(7)というものが存在し、彼らは、その義務を全うしなければならないとされていた。また新渡戸稲造は、武士道は仏教、儒教、神道の影響をそれぞれ受けていると述べている。神道が武士道に与えた影響としては、他のいかなる思想によっても教わることのなかった主君に対する忠誠、先祖に対する崇敬、さらに孝心などをその教義によって武士たちに植え付けるというところにある。神道の祖先や神への尊崇は、天皇を神としたことで、武士に愛国心と忠誠心をもたらした。また仏教は、運命を受け入れる事、そしてそれは、死に対する親近感をもたらした。儒教については、その道徳観が参考にされた。この三つの宗教のなかから部分的につまみ、武士道はその思想を固めていった。

(3)騎士道と武士道の違い

上で述べたように、騎士道と武士道の精神的内容は、共通点が多く見られた。だが、英語で騎士道は、「CHIVALRY」、武士道は、「BUSHIDO」として別々に認識される以上、まったく同じものではないはずである。もちろん武士と騎士に外見的な違いは、多く見られが、ここではそれぞれの思想である、騎士道、武士道の内面的な違いを明確にしようと思う。

新渡戸稲造の「武士道」の中で、「際立った違いは騎士道が封建制から離れたのち、キリスト教会に引き取られて、新たな余命を与えられた。だが、武士道はそのような庇護する大きな宗教がなかったことである。そのため母体の封建制が崩壊すると、武士道は孤児として残され、自力で生きなければならなかった。」(8)とある。

それは、騎士道、武士道が根付いた土地の文化体系が関わっていたと思われる。つまり我々日本人は、西洋人に比べて生活と宗教の関係が希薄なもので、また武士道と宗教の関係が騎士道とそれの関係より薄いものであったのではないだろうか。騎士道がそのよりどころの大部分をキリスト教に求めたものであったのに対し、武士道も一応、仏教、儒教、神道の思想と関わっていたものの、実際の武士たちにあまり宗教が根付いていなかったとしたら、武士道は、それ自体が、武士にとって宗教としての役割があったのではないのか。その根拠として、武士道をさす有名な言葉で「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」という言葉がある。これは佐賀県鍋島藩士、山本常朝が「葉隠」のなかで読んだ詩の一部である。この歌から、武士道と死が密接に関わっていた事が伺える。しかし、もし武士道が仏教の死に対する概念をとりいれたのであっとしても、武士道における最大のテーマが死ぬ事には、ならないであろうと思われる。上でも述べたように、この死への特別な思いは、武士たちにとって一種の美学として発達したものである。武士たちは何よりも利と名を重んじる存在であったのだが、殉死する事により自分の名が世に留まる事を望んだ事によりこのような、宗教とは別の形で新しい道徳感が形成されていったのではないのだろうか。

以上の事より、私は、騎士道と武士道の一番の違いを、それらにおける宗教との関係性

であるといえると思う。つまり、騎士道が、ある程度キリスト教に則った形で変化したのに対し、武士道は宗教の枠を飛び越えていった物であるという点が二つの違いである。しかし、武士道にも宗教が関わっていた事や、騎士道も完全にキリスト教に沿って変化したとも言えない事は事実である。

5.異文化からの理解

では、騎士道をわれわれはどのように認識し、また騎士道概念が存在した西洋文化のなかで育った西洋人にとって、武士道はどのような認識をされているのだろうか。

もともと西洋の人々にとって武士道は、「CHIVALRY」として認識されていた。つまり騎士道、武士道は区別されていなかった。それどころか日本という東洋の中に騎士道精神に似た思想が存在する事さえ多くの人には知られていなかった。しかし、武士道は新渡戸稲造の「武士道」が世界的に読まれるようになってから世界的に知られていく事になり、またそれが騎士道とは違った性質を持っているたことを知られるようになる。この事により「BUSHIDO」が確立されたのである。しかし彼ら西洋人の多くは、武士道のあまりにストイックで自己犠牲的精神を奇妙で時代遅れなものとして認知したにちがいない。一方で一部の西洋人にとってその絶対的な忠誠心は、模範とされることもあった。元アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトは、この「武士道」を愛読し、武士に非常に興味を持ったと言われている。彼は、忠臣蔵の話などを本で読み日本の武士の行動に強い憧れを持っていた。現代の社会の中からも西洋人の武士道への憧れは、見つける事ができる。例えば昨年、ハリウッドで映画化された「ラストサムライ」という映画の中では、武士道精神が忠実に描かれている。この事からも、すでに武士道は、世界的に認知され、また多くの憧れの対象としてみられていることがわかる。

また騎士道は、現在、いくつもの、著書や映画などでとりあげられている。その内容の特徴には、騎士が戦闘集団であるにもかかわらず、華やかさを感じられることがある。これは騎士と女性との関係に由来するものと考えられる。武士が極端に男性的なものであるのに対し、騎士には、レディーファーストと言われる考えがあるように、いくらか女性的なものを感じる。かつて有名な騎士にジャンヌ・ダルクという女性騎士がいたように、武士道に比べいくらか女性が登場する機会が多い。そのような点が日本人にとって違和感を感じる点ではないのだろうか。

6.精神の存続

これら、二つの精神は、現在のヨーロッパ人、日本人にどのような形で残っているのか。

F.デュ・ピュイ・ド・クランシャンは“騎士道”の中で「中世という時代の一面を彩った騎士道はすでに死んだのだ」(9)と述べている。しかし彼は、スポーツとボーイスカウトには、騎士道精神の一部が引き継がれていたと言う。「それはスポーツのフェアプレー精神や、ボーイスカウトの国家に献身し、人生の闘争に勇気をもち、いかなる事情のもとでも誠実さを失わない」といったところが騎士道精神的であるとしている。しかしそれらもスポーツの営利目的化など、時代の変化に伴い、消えていったと述べている。とは言うものの、現在のヨーロッパの人々の行動の中には、騎士道精神を尊重している部分も見られる。例えば、イングランドのサッカーチームのユニフォームには、スリーライオンという紋章が見られる。ライオン紋は、昔から王家の紋章として重要視されてきた。この事からも、一部騎士道精神は、残っているのではないかと思う。

一方、武士道は騎士道よりその形を長い間、保ち続けた。鎌倉時代から続いたこの精神は、江戸時代が終わり、武士が姿を消す明治時代まで、変化しつつも、しっかりと武士の心の中に生きつづけた。例えば、江戸の末期頃、カール・マルクスは、彼の著書『資本論』の中で、「当時の封建制の活きた形は、ただ日本においてのみ見られる」と述べている。また、明治時代、武士の心である「まげ」を切ることに対して強い抵抗を感じた。この事からも武士道の精神は、少なくともこの当時までは、しっかりと残っていたといえる。では、それ以降はというと、太平洋戦争頃までは、それは残っていたのではないかと思う。

戦中の日本は天皇中心の社会が完成した。この天皇に対しての絶対的な忠義は、武士道の思想から来るものであったと思う。明治維新後の日本からは、丁髷や刀が消え武士道精神は、消滅したかに思われた。しかし武士のその絶対的忠誠心の矛先は、これまで藩主や藩から日本という国または、それを統帥する天皇へと換わっていく事になった。これにより武士道は、ナショナリズムへ変化していく事になる。しかしそこには武士道で最も重要とされた名の存在は薄くなり何より利を求めるようになっていった。この武士道の歪んだ形こそ日本のナショナリズム、そして後のファシズム的思想につながっていったと考えられる。戦後日本は敗戦により天皇は日本の象徴として存在しそのナショナリズムも失われていった。しかし現代の世になっても、日本人が武士道という言葉に対し、少なからず特別な感情を抱き、心揺さぶられるのは、心の奥底に過去の長い武士道社会の名残があるからなのかもしれない。

おわりに

今回、騎士道、武士道という二つの物をとりあげ調べていく中で、この二つは、ヨーロッパと日本における文化の縮図であるという印象をうけた。それぞれは宗教、政治、女性問題といった多くの要素から影響を受け変化しその形を確立していった。ここで述べている武士道、騎士道への文化の影響はほんの一部のところに過ぎないが、それだけでも多くの要素が絡み合ってこの思想が形成されていったことを知る事ができる。もともと同じ封建制度から始まった二つの文化は、それぞれの社会の影響を受け違うものへと変化していった。

この今はほとんど失われかけているといわれる武士道、騎士道ではあるが、その二つの思想は一部今も受け継がれている。現在の文化は騎士道、武士道も含む多くの要素のもとで成り立っていると思われる。

(1)『騎士道』p.12参照

(2)同上p.20

(3)『フランス騎士道 中世フランスにおける騎士道理念の慣行』第2章参照

(4)『騎士道』p.58

(5)『武士と世間』第三章参照

(6)『武士道』第一章参照

(7)同上p.27

(8)同上p.143参照

(9)『騎士道』第四章参照

参考文献

シドニー・ペインター『フランス騎士道 中世フランスにおける騎士道理念の慣行』松柏社

フィリップ・デュ・ピュイ・ド・クランシャン『騎士道』白水社

グラント・オーデン著『西洋騎士道事典』原書房

新渡戸稲造『武士道』岩波文庫

山本博文『武士と世間』中公新書

 

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コメント
 
01. 2012年4月28日 01:59:51 : 4QNZ1Y02gs
為政者としては武力をもった無頼漢においしい生活をひっくり返されたらかなわんからね騎士道・武士道なるものをでっち上げたんだよ。

で、どこに軍産複合体の牙を抜く為のヒントがありそうなんかね。
ようわからん!!


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