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『ヤノマミ』が現代人に問いかけるもの 〜彼らも私たちも岐路に立たされている
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投稿者 sci 日時 2011 年 7 月 25 日 02:54:03: 6WQSToHgoAVCQ
 

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『ヤノマミ』が現代人に問いかけるもの 〜彼らも私たちも岐路に立たされている
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110722/221625/?ST=print
2011年7月25日 月曜日
尹 雄大


『ヤノマミ』国分拓著、NHK出版、1785円

 「ヤノマミ」とは、ヤノマミ族の言葉で「人間」を指す。ブラジルとベネズエラに広がる森に生きる先住民である彼らは、3万人程度いると推定され、200以上の集落に分かれて暮らしている。

 かつてアメリカ大陸には、1000万から5000万人いたとされる先住民だが、コロンブスの渡来以降、虐殺や文明人によって持ち込まれた病原菌により、人口は全盛期の1%以下まで激減。そうした中、ヤノマミは1万年以上に渡る伝統と習俗を保持し続けている。

 本書はドキュメンタリー制作番組のディレクターである著者が2007年11月から2008年12月にかけての4回、150日に渡ってヤノマミの集落で同居しつつ取材した模様を記録したルポルタージュである。
敵意と差別が込められた最大級の蔑称

 著者が滞在したのは、ヤノマミたちが「ワトリキ」、風の地と呼ぶ集落である。1つの家に167人が住んでいた。

 漆黒の夜には50センチメートル以上の巨大なムカデが這い回る。用を足す森の茂みには、咬まれれば2時間で死ぬ毒蛇が潜んでいる。空腹に立ちくらみがする取材の日々。

 労苦を重ねつつ、文明と原始生活の高低差を文化人類学的な知識によってはかろうとする態度をワトリキは拒絶していた。

 ヤノマミとの接触の初日、「腰に手を当てた」男たちと「乳房を露出した」女たちはこういった態度だった。

〈誰も笑ってはいなかった。皆不思議そうな、それでいて隙がなく、とても乾いた表情をしていた〉

 文脈の読み取れない表情をヤノマミはたたえていた。時に「アハフー」と笑う彼らの感情の理解は、著者にとり闇に目を凝らすにも似ていた。

〈剥き出しの人間に慄き、時に共有できるものを見つけて安堵し、彼らの歴史や文化を学び、天と地が一体になった精神世界を知った。それらは、僕たちの心の中にある「何か」を突き動かし、ざわつかせた〉

〈得体の知れない「何か」と、答えの出ない対話〉を続ける旅路と定めた同居生活は、ヤノマミの言葉を覚える努力とともに表面的に順調に進んだ。

 だが、平和な日々は「ナプ」の一言とともに破られた。精霊と交信するシャーマンのひとりがカメラの前に立ち塞がり、何やら喚き始める。後日、男はこう叫んでいたと判明した。

〈「聞いているか! 聞こえているのか! 私の声が聞こえているのか! お前らは敵か? 災いを持つ者なのか? 敵でないとすれば味方か? 味方なら何かいい報せを持ってきたのか? 本当は何なのだ? 味方か敵か? 〈ナプ〉なら殺すべきなのか? この〈ナプ〉をどうするか?」〉

 「ナプ」とは〈「ヤノマミ以外の人間」、あるいは「人間以下の者」を指す〉語とされ、〈敵意と差別が込められた最大級の蔑称〉であった。

 例えば著者の持ってきた土産の配分に抗議した男が睨みつつ「ナプ」と放った時、親しくなり始めたヤノマミも突然よそよそしくなった。人間と人ならざるものとの境界をまざまざと現出させる呪の言葉だった。

 確かにヤノマミからすれば著者らは人間ではなかった。女たちはこう言った。

〈「ナプは森に一人で行けない。迷ってしまう。それでは狩りができない。(弓矢なしで捕まえることのできる)陸ガメだって見つけることができない。ナプは歩くのが遅い。ナプは足が弱い。一人で狩りに行けば、きっと子どものように泣いてしまう」〉

 女たちは30キログラム近い荷物をものともせず、森の中で著者らを置き去りにする勢いで歩いていく。男たちは〈四、五十キロの道を五、六時間〉で踏破した。
出産――善悪を超えた森の摂理

 ヤノマミからすれば、文明人は、まともに生きることができない。生を支える身体を持ち合わせいなかった。つまりは人間ならざるものだった。

 と同時にある少年が著者の肌を撫でて「クレナハ」と言った。ヤノマミの言葉で「同じ」という意味だ。少年は自分と著者の肌が同じ色だと言った。同じ肌を持ちながら人間ではない者、それがナプだった。

 断絶を前に立ちすくみつつ、著者はヤノマミを人間として理解しようとした。〈年に一度、死者を掘り起こして、その骨をバナナと一緒に煮込んで食べる祭り〉についても、〈「死」が身近にあって、いつも「生」を支えていた〉と理解できた。

 しかし、自らが慣れ親しんでいる規範を越えた行為を目の当たりしたとき、ヤノマミの相貌を見失う。

 著者は出産の撮影を願っていた。〈一万年にわたり自らの伝統・風習・文化を守り続けて来た人たちは、どのように子を産み、祝い、家族として迎え、育てていくのか。そこに、ヤノマミが〈ヤノマミ(人間)〉であることの全てがある〉と考えたからだ。

 ヤノマミの女は1人で森に入り、子を産むが、母親は産まれたばかりの子どもをすぐに取り上げず、ただじっと見る。ヤノマミにとり〈産まれたばかりの子どもは人間ではなく精霊〉だからだ。

〈精霊として産まれてきた子どもは、母親に抱き上げられることによって初めて人間となる〉

 母親は〈精霊として産まれた子どもを人間として迎え入れるのか。それとも、精霊のまま天に返すのか〉を決めなくてはならない。

 はにかんだ笑顔を見せていた14歳の少女が身ごもった。彼女は45時間苦しんだ後、森の中で出産した。その健気さに著者は涙した。祝福の言葉をかけようとした時だ。少女はやにわに〈子どもの背中に右足を乗せ、両手で首を絞め始めた〉。

 〈とっさに目を背けた〉著者に、周りを囲む女たち20人から失笑が漏れた。著者は〈僕たちは見なければならない〉と事の成り行きの凝視を自らに命じる。

 精霊のまま天に送られた子どもは、胎盤ごと白蟻の巣に入れられ、すべて食べ尽くされた後、巣ごと焼き払われる。

 著者は問う。精霊と人間を分けるものは何か。女たちは何も語らない。ナプにだけではない、身内にも語らない。

 躊躇と葛藤のない表情で淡々と決断を下し、日常へと戻る彼女たちのたたずまいに著者は苦悶しつつ、こう述べる。

〈善悪を越えた大きな理の中で決断しているようだった。その理が何かと問われれば、やはり、森の摂理と言うしか他に言葉が見つからない〉

 摂理とは、〈森で生まれ、森を食べ、森に食べられる〉ことだ。ただ存在し、変化していくものとして森にいる。存在のサイクルになぜ生きるのか? なぜ死ぬのか? と生死を分別するための理屈を差し挟む必要はないのだろう。

 この摂理は習慣や伝統、人口調整という観点だけでははかれない。文明に開化された暮らしからは見えないことだけは確かだ。
私の精霊がいなくなってしまった!

 しかし、摂理は揺らいでいる。皮肉なことに、ブラジル政府により1991年、開発事業者の不法侵入を防ぐべく、「ヤノマミ族保護区」に制定されたことが、〈先住民の固有の文化を崩壊させる最後の鉄槌〉となりつつある。

 次世代の若者は政府の政策もあって文明に徐々に馴染み始めている。NGO(非政府組織)が次代のリーダー育成のために教育機会も設けている。文明側からすれば、社会に一方的に飲み込まれないための智恵と手段の提供かもしれない。しかし、それは確実にヤノマミの暮らしを変えつつあった。

 ワトリキは文明と接触して30年経ってもなお独自性を保ってきた。NGOのメンバーはその理由について「シャボリ・バタの存在が大きい」という。偉大なシャーマンであり、集落の創始者であるシャボリ・バタ。それはただちに彼の亡き後のワトリキの崩壊を予想させる。

 シャボリ・バタの体調は優れない。ある日の深夜、彼はハンモックから突如起き上がり、天に向かって叫び出した。何と言っているか分からないが、著者はただならぬ気配に震えた。帰国後、記録の翻訳を手に取り驚愕した。彼はこう叫んでいた。

〈「私の精霊がいなくなってしまった! 私の精霊が死んでしまった!」〉

 シャーマンは断食など長く厳しい修行を経て〈天から自分の精霊〉を探し出し、祈祷と治療を行う。ヤノマミの精神的支柱であるシャーマンに精霊の声が届かなくなった。

 富みを貯めず、誇ることもなかったワトリキの住人のうちに「私有の概念」や貨幣の価値を知る者が現れ始めていた。原初の森の暮らしが理想郷でないことも知っている著者は、そうした現象に〈同情することも、励ますこと〉もできず〈力なく笑う〉ほかない。

 そして、すでに文明に慣れ親しんだ私たちは、経済効率やビジネス上の慣行を疑うことを忘れ、それ以外の世界を想像できなくなっている。私たちもまた現状に「力なく笑う」ほかないことに気づく。

 〈たとえ一年後に再訪したとしても、そこは僕たちの知っているワトリキではない〉との確信を抱きつつ、著者はヤノマミのもとを去る。

 ここに来て評者は、滞在し始めて間もない頃に著者の前に現れたシャーマンの「本当は何なのだ? 味方か敵か? 〈ナプ〉なら殺すべきなのか? この〈ナプ〉をどうするか?」の言葉が共同体崩壊の預言の響きを伴っていたことに思い到る。

 そして、ナプという人間ならざる者とは、本当は姿形を持たない、得体の知れない何かを指しているのではないかとも思えて来る。

 文明人は精霊の声を聞けなくなって久しい。善悪や規範はあっても真理だけがない社会に生きている。

 現今、私たちの慣れ親しんでいるものが、私たちの暮らしを蝕みつつある。文明を維持する利器が私たちの暮らしを脅かしている。何事もなかったかのようにこれまで通りの仕事、暮らしを続ければ、怯えは立ち去るのか。

 敵なのか味方なのか。それとも殺すべきなのか? どうするか? ナプの側にいる私たち自身が岐路に立たされている。

(文/尹雄大、企画・編集/連結社)
このコラムについて
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著者プロフィール

尹雄大(ゆん・うんで)

ライター。1970年、神戸生まれ。「AERA」や「Number」などで執筆。〈考える高校生のためのサイト mammotv〉でインタビュアーを務める。著書に『FLOW 韓氏意拳の哲学』(冬弓舎)
 

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