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NHKの番組で日米中の大学生が討論していましたが、中国の大学生は全員英語が出来て日本の大学生はほとんど英語が話せなかった
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/527.html
投稿者 TORA 日時 2011 年 9 月 11 日 15:49:23: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu247.html
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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NHKの番組で日米中の大学生が討論していましたが、中国の大学生は全員
英語で意見を述べていたのに、日本の大学生はほとんど英語が話せなかった

2011年9月11日 日曜日

英語ができても、バカはバカ。
「社内公用語化、小学校での義務化、TOEIC絶対視……ちょっと待った!」
マイクロソフト元社長が緊急提言
「英会話に時間とお金を投資するなんてムダ」
「頭の悪い人ほど英語を勉強する」
「楽天とユニクロに惑わされるな」
「ビジネス英会話なんて簡単」
「英語ができても仕事ができるわけではない」
「インターナショナルスクールを出て成功した人はいない」
「早期英語学習は無意味である」
――元外資系トップだからここまで言える!
挑発的かつ実践的な、真実の英語論
http://www.amazon.co.jp/dp/439661392X/ref=as_li_tf_til?tag=tsunoken-22&camp=243&creative=1615&linkCode=as1&creativeASIN=439661392X&adid=1QMCYWTWTM5KCCC32N51&


◆『日本人の9割に英語はいらない』のは事実だが、1割の成毛さんが言っちゃあおしまいよ 9月10日 tsunokenのブログ
http://tsunoken.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/9-69b2.html

 問題は、企業が国際化しようが、海外に進出しようが、それはほとんどの日本在住の社員には関係ないことであり、関係するのはごく一部の幹部社員だけである。あとは観光業関係にいる人たちくらいは英語が喋れる方がよいだろう。まあ、そんなもん。

 そもそも何で英語なんだろう、という疑問がある。企業のグローバル化に合わせて外国語の習得が必要だ、というならまず最初は「中国語」でしょう。あるいはベトナム語とかタイ語とか、マレー語とか、まずアジアの国々の言葉を喋れることの方が大事なはずだ。その次くらいに英語が来るわけだが、それだってヨーロッパでは使えない。フランス語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語くらいかな。それらの国々にも英語を喋れる人たちが(それも日本人よりよっぽど巧みに)いるわけだが、でもそんな人たちだって英語よりも自国語の方が喋りやすいわけで、それらの国に入り込んでビジネスを行おうとするのなら、当然英語じゃなくて、その国の言葉を喋らなければならないわけだ。

 世の中、英語、英語と大騒ぎするけれども、英語だけじゃ仕事が出来ない、というか結局、中途半端な仕事しか出来ないということなのだ。つまり、仕事に合わせてその仕向け地の言葉を話せなければ、一人前じゃないのである。じゃあ、言葉が喋れればいいのか、と言えばそれだけでは仕事は出来ない。「言葉が喋れる」ということと「仕事ができる」ということは、まったく関係ない。「言葉のセンス」と「仕事のセンス」とはまったく違うのだから、これは当たり前。それをどこか間違えて「外国語を話せる人は仕事ができる」と考えてしまう。自分に欠けている能力を持った人を見ると、何か自分よりレベルが上だと考えてしまうものだが、たまたまそれはその人がそういう能力を持っているというだけのことでしかない。別の場面では別の人が優秀に見えることもある。

 英会話に関して言うと、成毛氏は三つの英会話に分類して考えている。つまり「日常英会話」「ビジネス英会話」「一般英会話」である。

 日常英会話というのは、当然アメリカあたりで日常生活を送るために必要なレベルの英会話ということである。私に関して言えば、以前にも書いたことがあるが、赤坂のバーに屯すアメリカ人ビジネスマンと喋って覚えた酔っ払い英語であった。つまり、アメリカから遠く故国を離れて日本に来ているアメリカ人の出張者は当然一人でバーに来るわけである。そんな手持ち無沙汰の彼らと何故か親しくなった私は「えっ、なんだこんな程度の英語でいいんだ」とばかり、結構彼らとの会話を楽しんでいたし、それが多分学校で教わったよりずっと有意義な英語体験であった。

 ビジネス英会話とは、そんな日常英会話に業界ならではの用語がプラスされる会話であって、シビアなビジネス交渉をする状況でもなければ、そんなに難しくはない。要は、お互い同じビジネスの分野にいる限りは、言葉だって同じ意味の言葉を喋っているわけだ。私の場合は、映像制作の仕事をしている時に、多く欧米と仕事をしていたのだが、実は映像(映画)の用語は基本的に英語(アメリカ語)であり、その日本語翻訳版だったり、日本語変形版だったりする。例えば、アフレコ(After Recording)というのは、ポストレコーディング(Post Recording)の日本で勝手に作ったバージョンだし、吹き替えのことを言うアテレコなんてアフレコという変な言い方を更に変にした言葉であり、英語ではDialogue Replacementということなのだ。この程度の英語だったら誰でも話せる英語だし、ハリウッドで英語版の吹き替えを3週間に亘って行ったときも通訳なしでなんの問題もなかった。ま、ビジネス英語なんてそんなもんよ、ということ。

 で、一般英会話となるのだが、これが難しい。例えば、パーティーなんかで初対面の人と「源氏物語」について話すようなものだ。要は、大事なことは英語力じゃなくて日本語力とか、日本の文化・芸術・生活に関する知識なのだ。英語力としての問題は、そうした物事を英語で話せるかということである。これはかなり難しいが、でも、そこはそれ日本についての知識があれば、あとはブロークン・イングリッシュでお話すればいいのだ。

 まあ、要は英語なんでブロークン・イングリッシュ、ジャパニーズ・イングリッシュで十分なのだ。実は、英語圏であってもいろいろな英語がある。カリフォルニアあたりの英語は、かなりいい加減な英語で、何故ならアジアからの英語を全然勉強していない移民たちとも話さなければならないという事情に影響されている。カリフォルニアあたりにいってしまうと、日本人の喋る英語はかなりレベルの高い英語、白人の次に位置するくらいの英語なのだ。

 それがだんだん東に行くにつれて「英語臭さ」が増してきて、ボストンあたりの英語はかなりイギリス英語に近くて、でもまだアメリカの英語なので、非英語圏の人にも理解できるレベルである。それが大西洋を渡ってイギリスに行ってしまうと、もう殆ど日本人の英語は通じなくなってしまう。ロンドンの下町言葉のコックニーになってしまうと、まず99%日本人の英語は通じないだろう。

 とまあ、ことほど左様に「英語」と言っても、実は「いろいろな英語」があるのだ。じゃあ英会話スクールってどこの英語を教えているんだろう。しかし、そんなことをパンフレットに書いてあるスクールはどこもない。「ウチはカリフォルニア英語だから簡単です」とか「ウチはロンドンの英語なのでちょっと大変です」なんてことをパンフに書いてあれば面白いのだが。

 と、まあ英語については、私もいろいろ言いたいことがあるし、まだまだ話は尽きないが、でも本書に関してみれば1割の人が残り9割の人のことを言ってもなあ、というのが基本的にある。

 ねえ成毛さん。「英語ができても、バカはバカ」というのは大正解だけれども、でも、そんな皆知っていることを今更言ってもねえ……。

(私のコメント)


昨日のNHKのサンデル教授の白熱教室では、震災復興について日米中の大学生が討論していましたが、異様に思ったのは中国の大学生が全員英語で意見を述べていたことだ。それに対して日本の大学生は一人を除いて日本語で意見を述べていた。中国は英語が話せる大学生だけを集めたのかもしれませんが、日本の大学生はなぜ英語で意見が言えないのだろうか?

一般の大学生なら英語が話せなくても当たり前なのでしょうが、トップクラスの東大や慶応の大学院生でも英語が話せないと言うのは驚きだ。大学院ともなれば博士の卵たちだから英語の資料を読んだり、英語の論文なども書いたりするのだろうから、英語くらい話せるのが当たり前と思っていたのですが、大学教授でも英語が話せる人はまれなのだから仕方がないのだろうか?

グローバル化社会で、これからますます英語で意思疎通する必要性が生まれて生きているのに、日本人の英語力は低下しているように思える。アメリカへの留学生も年々減少してきて、ハーバード大学では日本人留学生の新入生が一人しかいなかったというニュースを紹介したことがあります。企業や官庁からの留学生も減少しているようだ。大金をかけて留学させても成果が少ないから減少しているのだろう。

問題なのは、英語が出来て当然のエリートクラスの人まで英語が話せないことであり、成毛氏の本の名のように1割くらいの人は英語が話せるべきだろう。後の9割は英語を話さなくとも日常生活で使う機会は無いはずだ。にも拘らず小学校から大学まで英語教育が続けられるのはなぜなのだろうか? 私なども社会に出て英語を使う機会は全くなかった。だから英語教育など多くの人にとっては時間の無駄だ。

しかし残りの1割の人にとっては英語が話せなくてはならない人たちであり、政治家や高級官僚や会社の幹部社員や大学教授など英語が話せなければ海外との情報の交換すら出来なくなる。コンピューターエンジニアも、最新のコンピューター言語をマスターするには英語の資料が読めなくてはプログラムも作ることが出来ない。

特に科学技術用語などは英語が多くて、英文の資料が読めなければ研究すらままなりませんが、大学院生が英語ができないと言うのは、その必要がないのか、あるいは研究そのものをしていないかのどちらかだろう。中国のように英語が出来る大学院生を集めれば同時通訳の必要もなく議論もスムースなのでしょうが、日本では英語で議論が出来る大学院生がそれだけいないのだろう。

東大や慶応と言う日本のトップクラスの大学生ですら英語が話せないのでは、日本の国際企業に就職する時も英語力は問われると思うのですが必要ないのだろうか? 以前なら企業でもって海外研修させて英語の出来る社員を養成することもできましたが、今では即戦力が求められている。その即戦力が1割程度だろうと言うことだ。

問題はその1割の人が英語が出来ないことであり、大企業のトップですら英語が出来ないために国際会議に参加したがらない。もっと酷いのは日本の首相や財務大臣や外務大臣が英語が話せないために重大な損失を招いていることだ。さらには担当官庁の役人からもバカにされてしまうのも通訳なしで指しの会談が出来ないためだろう。

もちろん英語が出来ても仕事が出来ないのでは意味がないのですが、1割に入っている人は英語も仕事も出来る必要があると言う意味がある。しかし政治家を見れば分かるように仕事も出来なければ英語も出来ない政治家がほとんどであり、だから官僚の操り人形になってしまう。菅総理大臣が財務省の操り人形になってしまったのも菅氏がG7で英語が話せないために財務官僚に取り込まれてしまった。

楽天やユニクロが英語を公用語とすると言うことで話題になりましたが、日本マクロソフト社長だった成毛氏によれば、外資系企業でも本当に英語力を必要とする人は3%程度だと言うことです。元外資系企業の社長が言っているのだから確かなのだろう。にも拘らず一般の社員にまで英語を公用語として押し付ければどうなるか? ノイローゼが増えるだけではないだろうか?

成毛氏は英語学習に費やされる時間があれば本を読めと書いていますが、全くそのとおりであり、海外に非英語圏の小国では自国語で書かれた本があまりなく、専門書を読もうとすれば英語を勉強してマスターするしかない。しかし日本では主だった専門書は翻訳されて出版されるからそれを読めば済む。人口が1億以上の日本なら自国語に翻訳しても採算に合いますが、人口が数百万人程度の国では翻訳しても読者がいない。

昨日のNHKの番組にしても中国の大学生が英語が達者なのは、英語が出来ないと最先端の勉強が出来ないためであり、英語の専門書の翻訳出版が少ないからではないだろうか? 中国人のアメリカへの留学生が異常なほど多いのも、国内の大学では十分なレベルの学習が出来ないためだろう。そう考えるのは最先端の科学技術用語をどのように翻訳しているのだろうかと疑問に思うからだ。社会科学用語も多くは日本語からそのまま取り入れている。


 

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コメント
 
01. 2011年9月12日 17:24:58: ieWTAudjoA
仰るとおりだと思います。エリートには必須でしょう。
中国語の文法は英語に近く、中国人は特殊言語の日本人よりマスターしやすいと聞いたような記憶があります。
しかし、一般人もこのご時勢、海外のネット情報に直に触れるためにも、ツールというか武器としての外国語(特に英語)はある程度マスターしたほうが良いと近頃思います。



02. 2011年9月12日 18:33:34: 1u5sTZbnoI
日本にいれば日本語で専門書が読めます。ホントに良い国です。自国語で外国のものが読めるのです。
翻訳者の努力がみんなを助けているのです。それに支えられた技術なのです。外国語を覚える労力を肩代わりする人がいて日本は成長してきたのです。
ただ、ザンデルさんのは文系の学生ですから英語ができないのはさぼっているのかも。

03. 2011年9月17日 00:07:31: FzPlEDLlDA
唯いわゆる文系は、日本語の専門書ばかり読んでいると、思考が日本語の狭路に入って馬鹿になる気がします。



04. 2011年9月17日 20:56:04: EImR2HV3vo
中国の学生、特に上海あたりのはトーイックの点数もアジアではシンガポール並み。

ちなみにドンケツはやっぱりジャパンとタイ人。でも、タイの知識階級はだいたい謙遜する人でも日本の知識層よりは英語がうまい。

この投稿に対する論点は二点。

まず、英語が一割の指導層・特権階級に必要ってのは半分の真理だ。
大学教授はじめ今でも全体の5%も英語をまともに話せない。おそらく、1パー以下だろう。
しかし、だ。02さんが指摘するようそれでも、専門翻訳家さんが仲を取り持ってくれるという点で、一割に英語が必要なのか。もちろん英米支配という現実を割り引く必要はあるが、それも終わりつつある。

第二点は日本の学生が英語で答えられなかったというのは、ある意味、民族の無意識の他文化への防衛機制なのかもしれないが、それにしても英語じゃなくても一つぐらいは他言語を失敗したとしても十分に学ぶ必要がある。それによって03さんの指摘するように他の文化の理解と視野の拡大につながるってものだ。
これはやはりいまどきの若者の保守化、内向化を表している。


というわけで、結論としてはこれ以上、ジャパン人に英語を強いる拷問はやめて一割の指導層にも明日を担う若者層にも、英語以外の言語の習得を推し進めるべきだ。

なぜって?そりゃ、今のアメリカ文化に政治的な正当性が認められますか?あるいは50年代ごろの輝きがありますか?

若者はその辺は敏感だから英語能力の低下にも関係あるんじゃないだろうか。


ーぼうろん人ー



05. 2011年9月19日 02:13:06: JGlGSLlywI
>>3
日本語って時制が曖昧でしょ。これは、日本人の思考に影響してると思う。

06. 2011年9月19日 02:18:21: JGlGSLlywI
日本語の時制、過去はいつから過去なのか
http://arabic.kharuuf.net/archives/71

アラビア語の時制は過去・現在・未来ではなく完了・未完了を軸としている。行為がその本質において完了しているかしていないか、が中心になっていることになる。
 先日アラビア語で作文している時に、ふと日本語について気づいた。
 例えば、スパルタ体育教師が怠け者の生徒に腕立て伏せ50回を命じたとする。
 しかし生徒はへこたれて、30回でやめてしまった。
 先生は言う。「なぜやめるんだ? 続けなさい」
 この時先生はなぜ「やめる」と言うのか。生徒は既にやめているのだから、「なぜやめたんだ?」と尋ねる方が正しい気がする。
 「なぜやめたんだ?」というと、もう生徒は完全に腕立てという運動から離れてしまい、二度と再開しないような印象を受ける。スパルタ先生としては続けさせたいわけで、「やめるという行為は完了していない、やめようとしているけれど彼はまだやめきっていないのだ」という希望的視点からものを言っているのだろう。文法的にはどう解釈されるのだろうか。
 アラビア語もややこしいが、日本語もややこしい。

 しかしよく考えてみると、この例示は少し特殊すぎて適切ではなく、代わりにもっと面白い問題系を引き連れてくる。
 そもそも「やめる」توقفが完了する、というのはどういう事態なのか?
 ある行為が完了する、というならまだわかるが、行為の中断が完了したと断定するには、一定の観察期間が必要だ。
 やめることが完了するのはいつか? それは完了形で語られるときだ。
 これは単純な過去形の場合でも同じで、ある時点は、時の流れと共に少しずつ過去になっていくわけだけれど、「今この瞬間に過去になりました!」などというものはない。では、いつから過去なのかと言えば、過去形で語られた時だ。
 スパルタ先生は、腕立てを過去のものにしたくない。腕立てを過ぎ去らせないためには、やめることを宙吊りにしなければならない。だから未完了で語る。未完了で語っている限り、やめることは完了せず、腕立ても終わらない。

 「言葉の力」と言うのは、本当はこういうことだ。


07. 2011年9月20日 18:57:42: JyaURxOLSI
英語という言語帝国主義に媚びない本多勝一のほうが余程ナショナリストだな。

08. 2011年9月25日 04:45:12: nEEsezPynk
 日本の学生も英語しゃべってましたよ。流暢なアメリカアクセントで。
討論の内容は最悪ですね。

アフガンでの羊飼いを殺すべきか否かなんて日本の解説者が極めて穏便に話してましたがそもそもアフガンの人にとっては宣戦布告もなくいきなり攻め込まれた上に何十万もぶち殺されてその上自分も殺されるなんていい迷惑。

 あの教授なんであんなに独善的なんでしょうね。気持ち悪かったです。


09. チベットよわー 2011年9月29日 16:28:03: Xy93FIMaJupUQ : IRHsxjA9ww
日本人と中国人が英語を学習するときに最も異なる点とは何か。

当たり前のことだが、イギリスに支配されたか、されてないかの違い。
それが一番にくる。

中国人は中国が欧州の植民地として近代化をスタートさせ、そして自分達がヨーロッパ文化の一部である
という意識を常に持っているのでたとえば北米やオセアニアに移民してもすぐに英語の名前を自分に
つけて英語は不得手でも英語圏の市民であることを強調する。それは戦後の日本人ではまず有り得ないことである。

そして、もともとディバーシティーをかかえた中国では、他民族・多言語の状態を普通とみなす習慣を持つ。
日本のように朝鮮人が朝鮮語を話すことが激激激タブーであり、九州や関西の方言さえ最近までは全国放送
で倦厭される風潮のあったような標準化・単一化の激しい国民事情を持つ国では外国語など恥の元でしか
ないのである。いまだに英語がなんとか伝えることができるか、という根本的な問題より、基本単語の発音が
できるか、できないかなどというような恥の次元でしか問題提起が行われていないことが全てをあらわす。
http://blog.livedoor.jp/telements/archives/50944204.html

メンタリティーの問題を別として、言語学的な差異になるとどうなるか。
いうまでもなく、中国語はインド・ヨーロッパ語に付属する言語体系である。インド・ヨーロッパに
同属するという説さえ昔からある。日本語はその点、全くの別物。独立リーグだ。日本人が英語を
学ぶさい殆ど参考にできる要素は母国語の中にはないのだ。苫米地英人の言葉でいえば「全くことなる
言語構造を別の土台にゼロから構築しなおす必要がある」のである。つまり、英才教育をしてバイリンガル
にしない限り日米語を同時に機能させることは難しいということだ。


10. ffx 2011年10月07日 14:18:05: /XOt46xlexpNE : x5lWn4LmF2
ローマ字を学習するから英語が出来ないと聞いたことがある。ある時、京都大学文学部教授がアメリカ女性にメモをアルファベットで書いていた。さずが京大の先生、読み書きは出来るんだ、でも彼女はそれを理解できなく困惑していた、この人ローマ字で書いていたんだ。昭和25年生まれの私はokidataをローマ字で読み、花と小麦粉、家と馬とホースを綴れないのです。

11. 2011年10月16日 16:16:33: ToqQJdMztQ
09 大変な事実誤認

1945年から1952年まで日本国は実質上アメリカという英語を国語とする国に支配されてた。


12. 2012年3月10日 23:20:58 : tLL5rmHw5c

反日・売国NHKが仕込んだんだよ。


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