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(レビュー)「裸の島」    西岡昌紀
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/589.html
投稿者 西岡昌紀 日時 2012 年 5 月 31 日 23:01:24: of0poCGGoydL.
 

(レビュー)「裸の島」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1849119383&owner_id=6445842
http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/5549843.html


(レビュー)裸の島 [DVD]
乙羽信子 (出演), 殿山泰司 (出演), 新藤兼人 (監督) | 形式: DVD
http://www.amazon.co.jp/%E8%A3%B8%E3%81%AE%E5%B3%B6-DVD-%E6%96%B0%E8%97%A4%E5%85%BC%E4%BA%BA/dp/B00005LJV0/ref=sr_1_1?s=dvd&ie=UTF8&qid=1338438472&sr=1-1


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ソルジェニーツィンが「強烈な印象を与えられた」と絶賛した映画 2006/6/16


By 西岡昌紀(2006年6月16日)


 私が、この映画(『裸の島』)の名を知ったのは、『イワン・デニーソヴィチの一日』や『ガン病棟』等の作品で知られるロシア(ソ連)の作家、ソルジェニーツィンが、1970年前後に、日本の新聞(東京新聞であったと記憶する)によるインタビューの中で、この映画(『裸の島』)について語って居るのを読んだ時の事だった。−−彼は、そのインタビューの中で、『裸の島』を、「強烈な印象を与えられた」と言ふ言葉で絶賛して居た。−−それから、数年後、都内の自主上映でこの映画を観た時、私は、ソルジェニーツィンがこの作品を絶賛した理由が分かった気がした。言葉の無いこの映画が私に語る物は、強烈であり、深かった。この映画は、言葉を持たない故に、上のソルジェニーツィンの賞賛がそうである様に、世界のあらゆる人の心を、直(じか)に打つのである。−−数年前、アメリカの或る音楽家にこの映画のビデオをプレゼントした事が有る。この映画を観た彼女の感動も深い物だった。
 この映画は、『砂の器』(野村芳太郎監督・1974年)に似て居るかも知れない。それは、この映画が、かつて、この国に在った貧しさを、美しい自然の中で描く事によって、見る者に、その貧しさの悲劇をより鮮烈に印象ずけて居るからである。
 若い世代に見続けて欲しい、日本映画の名作である。小学校の総合学習で、生徒達にこの映画を見せたら、とても良いのではないだろうか?(日本の学校は、生徒達に、日本映画の名作を見せる時間を設けるべきである。)

(西岡昌紀・内科医/畠山彩香ちゃんの冥福を祈りながら)

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(以下資料)


 わたしは常に、充実させて書く、つまり少ない分量の中にぎっしり盛りこむよう心がけています。遠く離れた、わきの方から見ているわたしには、この特徴は日本の民族的性格の中で重要な特徴の一つに思われます。−−地理的状況そのものが、日本人の内にこうした特徴を育てあげたのです。このことはわたしに、日本人の性格との「親近性」の感じを与えてくれます。とはいうものの、これには、日本文化に対するなんら特別な勉強の裏付けはまったくないのですが(例外は、山鹿素行の哲学です。彼の哲学との、ごく表面的な接触ですら、ぬぐいがたい印象をわたしにもたらしたからです)。
 人生の大部分というもの、あるいは自由を剥奪され、あるいは生計の資をもたらす唯一のものであった数学や物理にかかりきりだったわたしは、残りの時間を自己の文学的な仕事にあててきたため、現代の世界文化のさまざまなできごとあまり通じていませんし、外国の現代作家や、芸術家、演劇、映画などもろくに知りません。
 このことは日本に関してもいえます。日本の芝居はかぶきをたった一度見ることができただけですし、日本の映画も三本しか見ていません。それらの中で強い印象を残したのは「裸の島」でした。わたしは、常に容易ならぬ自然条件の中で発揮される、日本民衆のなみはずれた勤勉さと才能とを、深く尊敬しています。

(「ソルジェニツィン集・新しいソビエトの文学6」(頸草書房・1968年)に「わが文学を語る」と言ふ題で収められた1967年1月の東京新聞紙上のインタビューより(同書333ページより))

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日本映画専門チャンネルで新藤兼人監督の追悼放送が決定
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2033927&media_id=17

日本映画専門チャンネルで新藤兼人監督の追悼放送が決定
(RBB TODAY - 05月31日 17:20)

 スカパー!、ケーブルTV、ひかりTVほかで放送中の日本映画専門チャンネルでは、新藤兼人監督の訃報を受け、6月3日に追悼放送を実施する。

 社会派の映画監督として、原爆をテーマに取り上げた初の劇映画「原爆の子」(1952年)や、瀬戸内の孤島を舞台にした実験的な意欲作「裸の島」(1960年)を手掛け、日本アカデミー賞脚本賞受賞作品「事件」(1978年)など名脚本家としても活躍した新藤監督が、5月29日に100歳で死去した。

 日本映画専門チャンネルでは、新藤監督の追悼放送を実施する。6月3日15時15分からは、故郷広島での少年時代から新進気鋭のシナリオライターとして自立するまでを描いた自伝ともいえる映画「石内尋常高等小學校 花は散れども」を放送。15時39分からは、新藤監督を敬愛して止まない世界的名優のべニチオ・デル・トロと新藤監督との貴重な特別対談番組「ベニチオ・デル・トロが新藤兼人監督に『映画』の話を聞いた」、17時40分からは監督の100年の歩みを紹介する特別番組「新藤兼人の100年」を放送する。

 また、8月には追悼企画として、遺作となった「一枚のハガキ」、代表作「原爆の子」ほか、同チャンネルでしか見られない特別番組の放送を予定している。

 新藤監督は1912年4月22日、広島県生まれ。1934年、新興キネマ京都撮影所に入社し、溝口健二監督に師事。映画制作の裏方からキャリアをスタートさせ、建築監督、脚本家を経て50年には吉村公三郎監督らと独立プロ「近代映画協会」を設立し、翌年、死別した最初の妻をモデルにした「愛妻物語」(1951年)で監督デビュー。以降、映画監督、脚本家として活躍し、「裸の島」ではモスクワ映画祭グランプリ、「午後の遺言状」(1995年)では日本アカデミー賞5部門、キネマ旬報ベストテン1位ほかを受賞した。2002年には文化勲章を受章、日本最高齢の現役映画監督として活躍した。

 

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