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村上春樹『1Q84』、この小説は文学的に完全に間違っている、ど、佐々木中はん。
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/610.html
投稿者 藪素人 日時 2012 年 9 月 20 日 19:41:04: BhHpEHNtX5sU2
 

 佐々木中〔生への侮蔑、「死の物語」の反復〜この小説は文学的に間違っている〕
 この小説は間違っています。フィクションにそういう「正誤」が問題になるのか−という、そんな疑問以前のレベルで、これは決定的に間違っている小説です。何故か。
 以前、村上春樹は、オウム真理教に強い衝撃を受け、麻原彰晃が語った強力な物語に抵抗するような物語、原理主義的なカルトが語る物語に抵抗するような物語を紡いでいかなければならないし、それが自分という小説家の責務だと言っていた。
 確認します。新左翼崩壊以後出現したカルト教団に共通の、特にオウム真理教において典型的な形で出てくる言説がある。…オウム真理教的な終末論は自分が生きている間に終末が来ることを望む。彼らの論理の底流としてあるのは「どうせ死ぬのだから今死にたい。そして自分の死とこの世界全体の絶対的な死すなわち滅亡を一致させたい」という奇妙な欲望です。
 村上春樹はオウム的な物語に抵抗するとはっきり言っていた。だからこの死の物語にこそ対抗しなければならないはずです。しかし、この『1Q84』がそのような小説になっているか、なっていない。逆です。この「死の物語」を反復し、そして強化するような物語になってしまっている。
 この小説は政治的や倫理的に間違っているのではない。文学的に間違っているのです。村上春樹は麻原彰晃的な死の物語に抵抗するために物語を紡いでいると自分で言っていた。しかし、これまでの青豆(女主人公)の物語は何の抵抗にもなっていないどころか、オウムの死の物語の強化にしかなっていない。
 村上春樹自身は、この小説を世界中に散布することによって、一体どんな現実を作り出そうとしているのか。…村上春樹のやっていることは麻原彰晃のやっていることと変わらないのではないか。何度も繰り返します。この小説は倫理的に政治的に間違っていると言いたいのではありません。物語を語ることによって現実を作り出すという「文学」の戦いにおいて、自ら対抗すると語った筈の死の物語を反復強化しているという意味で、この小説は文学的に完全に間違っている。

 平井玄〔並行世界と小人たち〜反復強迫をめぐって〕
 そういうalterな世界性の中に置くと、この小説は死に取り憑かれた人ばかり。新左翼的な終末論の反復強迫に村上春樹は呪縛されている。グレーバーのいうような「革命観の認識論的転換」が必要でしょう。悪魔祓いしたいという気持ちはわかるんだけどね。

 【出所】「村上春樹 ”1Q84”をどう読むか」河出書房新社‘09年

 (ヤブ人)
 評論は、book2までのもん(book3は未だ出ていねがった)。
 拙者、book3まで読んだが、上の評価は変わらねえと思うな。book4がねえと物語完結しねえね。book2で「さきがけ」のリーダーが希望して刺客青豆に殺られた時(同時進行で天吾とふかえりがセックスし、この射精で青豆が妊娠するという超常現象が起こる)、この小説はオーム的なもんに屈してしまった。村上はんの当初の目的は、何故かここで突然挫折してしまった。謎だねえ〜。
 book4でこの流れ断ち切って、オーム的なもんを作家の感性で見事に押し返していけるんかどうか、それも読者の心を揺り動かすてー。容易ではねえべえなぁ〜(book1〜3はエンタメ性あるが、感動はねえ)。村上はんの勝負どころだねえ〜。そすて真に才能があるかどうかも見極められる。このまんまでノーベル文学賞はねえんでないかえ?

 

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コメント
 
01. 藪素人 2012年9月20日 20:34:29 : BhHpEHNtX5sU2 : Ht86edDmmo
 (追加)

 川村湊〔なぜこういう物語が展開されなければならなかったのか〕
 今回の作品のなかの一番の悪の権化が非常にあっさりと青豆という女必殺仕掛け人に殺される。一種の自殺ですね。そういう自殺的なものでこの人物の首尾が済んでしまっていいのだろうかという点ではぐらかされた。
教祖が一体どういう人物であり、その教団の内部でどんな出来事があったのかといったことも書かれていなくて、ただホテルでマッサージの途中に殺される、自殺するわけですね。それは決して問題、クエスチョンの解決にはならないし、そういった悪の権化やテロリズムや宗教への解答には絶対にならないですね。


02. 2012年9月21日 19:47:37 : duzbMPTdiY
ばからしかー。
文学なんてもともとなんでもありの、たとえば阿修羅の半キチでも賞を取ることができる妄想世界の定式化じゃん。

いいんだよ、完全に間違っていようが狂っていようが。
おもしろかったり、なんか一つでも味があればすべてOK!
まあ、どんなクソ文学でも阿修羅よりは数十段まし。


03. 藪素人 2012年9月22日 08:17:08 : BhHpEHNtX5sU2 : mhH5MeYcRU
(追加2)

可能涼介〔陰謀文学者としての村上春樹〕
 読後感は、陰謀文学だ、しかしビミョーだな、というものであった。私見では、陰謀文学には、SPE(スーパー・パワー・エリート)による、世界をこういう風に操作しようという計画や青写真を描いた陰謀「肯定」文学と、それへの抵抗や警告を描く陰謀「批判」文学がある。ビミョーだと感じたのは、後者だったといまでも判断できる『羊…』以後の歩みが、次第に前者に傾いているように思えたからだ。英米の作家ならともかく、「属国日本」の作家がSPEに加担するのは、裏切りであろう。

武田徹〔感傷を超える批評はそこにあるか〕
 何をどう書こうと作家の自由だが、こと宗教は舞台装置として利用するだけして、投げ捨ててしまえるほど軽いものなのか。実在の宗教を容易に連想させる挑発的な書き方をしつつ、ただ物語の演出として利用するだけで通り過ぎてしまう姿勢には小説家の倫理の問題が問われないか。

竹内真〔村上春樹をめぐる、くたびれた冒険〕
 「ムラカミ的」(春樹&龍)な諸処をありがたがり受容するのは、所詮は読者の中の幼稚な心性だと言える。二人の「村上」に共通しているのは、彼らの「文学」が、読者の精神的・人格的幼さ、未熟さにおもねっていることだ。そしてそれは作者の人間的幼さでもある。だからほとんどの読者は、二十代の前半ぐらいまでで彼らの小説を読むのをやめる。
 村上春樹の中には、おそらく狂おしいまでの衝動がある。若くして富も世俗の名声も、数々の賞も手に入れた作家が、最後に欲しがるのは、「あいつは本物だ」という評価なのだ。


04. 2012年10月24日 23:56:05 : w18f1GkoJs
まあ、「文学」なんて読まなくても生きていけるから。本を読まない(読めない)人にも関わって来てしまうくらいの凄い文学でも出てくりゃ別だがね。

05. ピロリ菌 2013年4月21日 15:01:26 : yg6FLjNA16B3g : OyD4dOs6q6
文学的とは、何なのか逆に聞きたいです。そんな定義することここそ、文学の終わりじゃないですかね?

06. 2013年4月24日 13:59:51 : jLRKRcLFtM
青豆は気持ち悪い女だ。

07. 藪素人 2013年5月06日 22:49:27 : BhHpEHNtX5sU2 : eL7QziQ8DY
 青豆はんは、その生い立ちからか持って生まれた資質からか、プロ顔負けの手並みで何人か殺った。リーダー殺害直後も、二人のボデーガードに「リーダーはよく眠っているからそばらくそのままに」などとかるく会話を交わし早々にエレバータで去った(さずがにコーヒー一杯の誘いは断ったがな)。
 資産家の老婦人からの依頼で、少なくなからぬ報酬も得ておる。小説は何のぶり返しもなく、この青豆と天吾がつつがなく結ばれてゆく未来を暗示して突然終わる。
 「1Q84」という異世界?での出来事として放置されてよいのであろうか。リーダーが「悪」なのか、あるいはどれくらい「悪」なのかも描かれておらん。

 それどこっかリーダー暗殺と時を同じくして、天吾とふかえりが夢遊病者のように交合し、それによって青豆が妊娠、その妊娠にリーダが関わっているかのよに暗示されておる。その生まれてくる子供に「天の声」を聴くものとしての役割をリーダーが期待していたかのように。

 んであるから、村上はんはオーム的なもんに突然屈してしもうた、と断定せざるを得ないのじゃてー。
 book4を期待しておったが、まったく違う新作が出たようで、ほぼ絶望的でんしょうな。新作など読む気せんな〜。


08. 藪素人 2013年5月07日 07:11:55 : BhHpEHNtX5sU2 : HdFhYfvitI
んだから、小説としては狂ったまま終わっておる。間違ったまま終わっておる。文学賞候補ぐれえだから、文学として間違ったまま終わっておる、てえ佐々木中はんの深けえ指摘は、こん作家の脾臓を抉っておるんでないかえ〜。

09. 2013年5月18日 21:17:09 : FWluyCabgI
>>08 そげそげ。

10. 2013年5月28日 20:12:42 : AiChp2veWo
最近、彼の小説をたまたま友人が手に持っていて、二三行読んだらすらすら読みやすい文章だった、それだけ・・・。彼の小説には以前から読まなくとも何も感じない。読む気もない。

11. 2014年2月15日 09:20:27 : jDUea84PZI
文学まで、汚染されてるなら、終わってる、

12. 2014年5月20日 23:49:33 : dp4XTYfT2A
>村上春樹自身は、この小説を世界中に散布することによって、一体どんな現実を作り出そうとしているのか。…村上春樹のやっていることは麻原彰晃のやっていることと変わらないのではないか。

今時、文学作品にそこまでの力があるんだろうか?買い被り過ぎでは?
個人的には村上作品は短編集に面白いと思うのが少しあっただけ。
1Q84は書評だけで腹一杯になって何故か読む気もしない。


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