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自ら包丁で「腹部切開手術」の結末 「失敗して命を落としても、家族の負担を減らせる」
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投稿者 sci 日時 2011 年 6 月 10 日 10:13:31: 6WQSToHgoAVCQ
 

日経ビジネス オンライントップ>アジア・国際>世界鑑測 北村豊の「中国・キタムラリポート」
自ら包丁で「腹部切開手術」の結末 「失敗して命を落としても、家族の負担を減らせる」

2011年6月10日 金曜日
北村 豊


 2011年5月8日は「母の日」であった。その夜遅く、重慶市九龍坡区石坪橋にある“五一新村”の集合住宅27号棟の31号室に住む“曹雲輝”は、妻の“呉遠碧”から言われて、同じ27号棟にある息子の“曹長城”の家でくつろいでいた。

 日付が9日に変わった午前零時過ぎに、曹雲輝は同じ集合住宅の1階に住む妻の弟が「急いで自分の部屋へ戻れ」と切羽詰まった声で叫ぶのを聞いて、慌てて自室に駆け戻った。曹雲輝が自室のドアを開けて部屋に入ると、目の前に妻が気を失ってベッドに横たわっていた。呉遠碧の腹部は大きく切り裂かれ、流れ出た血潮で真っ赤に染まった切り口からは腸もはみ出していた。ベッドから床まで辺り一面は黄色い体液にまみれていた。驚き慌てた曹雲輝は、妻の傷口をふさぐと、急いで公安警察へ電話をかけて緊急事態の発生を通報した。

 それから数分後、重慶市公安局の警官や付近の石坪橋派出所の巡査が現場に駆け付けたが、現場の状況を確認すると速やかに救急の“120”へ電話をかけて救急車の派遣を要請した。呉遠碧は救急車で近所の病院に運ばれて医師の診断を受けたが、腹部には3カ所の刃物傷があり、最も長いものは10センチメートルに達していた。医師は緊急で腹部の縫合手術を行ったが、その縫合は合計37針にも及んだ。この縫合手術によって呉遠碧の命は救われたが、夫の曹雲輝が後に語ったところによれば、呉遠碧の腹部から流れ出た黄色い体液は、3枚重ねの厚い敷布団をしみ通って床にしたたり、床一面を覆うほど大量なものであった。

「この包丁を引き下ろしさえすれば良い」

 呉遠碧にいったい何が起こったのか。1958年生まれで53歳の呉遠碧は、「母の日」の夜に、死を覚悟して、自分で自分の体液で膨れ上がった腹に“菜刀(包丁)”で切開手術を施したのだった。事件当夜、夫の曹雲輝に息子の家へ遊びに行くように促した呉遠碧は、夫が家を出て1人になると、包丁を持ってベッドに上がった。かつて医者に腹中の体液を抜き取る手術をしてもらった時も、医者は腹部を切り裂いた。今は手術しようにもお金がないのだから、医者の代わりに自分で開腹手術をするしかない。包丁を自分の腹部にあてがった呉遠碧は、「この包丁を引き下ろしさえすれば良い、そうしたらもう家族の足手まといになることもなくなるし、もし死ぬようなら、二度と家族に迷惑をかけなくて済む」と念じた。

 包丁は曹雲輝が少し前に自由市場で15元(約190円)支払って購入した重さ250グラムのものであったが、常に磨いていたので刃先は鋭かった。その包丁に力を入れようとするができない。「健康であれば、カネがあれば、こんなに苦しむことはなかったのに、悔しい」ひとしきり声を上げて泣いて覚悟を決めた呉遠碧は、運命を懸けて包丁を引き下ろした。鋭利な包丁の刃で切り裂かれた腹の傷口からは、血液とともに大量の黄色い体液が流れ出し、その勢いに誘われるように腸も出てきた。ベッドに横たわった呉遠碧は、助けを呼ぶこともなく、歯を食いしばって痛みに耐え、そのうちに意識を失った。

 曹雲輝と呉遠碧の実家はともに重慶市の中心部から60キロメートルほど南に位置する“綦江県(きごうけん)”の龍勝鎮。1986年に軍隊から退役した曹雲輝は綦江県の軍事企業に配属されたが、1989年に妻の呉遠碧と2人の子供(当時6歳の長女・曹紅梅と3歳の長男・曹長城)を連れ、新生活を求めて重慶市街へ移り住んだ。重慶市街は大都会であり、カネを稼ぐ機会も多く、努力さえすれば生活に事欠くことはないと信じていた。当初の数年間は親戚の家に間借りして生活したが、一家4人には狭すぎたので、曹雲輝が飲料工場で運搬作業員として働くようになったのを機に、現在住まいとしている“五一新村”の集合住宅27号棟の借家に引っ越した。

何軒もの病院を回って診察を受けたが

 27号棟の部屋は16平方メートルで大きくはないが、以前に比べればゆったりとしていたし、誰にも気兼ねせず自由だった。曹雲輝は運搬作業員として働くかたわら、“棒棒(天秤棒を担いで荷物を運ぶ労働者)”<注1>としても働いた。“棒棒”は辛い仕事だったが、当時の収入は毎日50〜60元を下らず、月収は2000元近かった。曹雲輝はようやく幸せな生活のめどが立ってきたと考えて仕事に励み、呉遠碧は集合住宅の近くで果物を売りながら、子供を育てた。

<注1>重慶市街は別名“山城”と呼ばれるほど急峻な地形で坂道が多い。このため、自動車で物を運べない場所も多く、料金を取って天秤棒で荷物を運ぶ“棒棒”という職業が存在する。“棒棒”の多くは農村からの出稼ぎ農民、すなわち“農民工”である。

 彼らが住む“五一新村”は大型“国営企業”が1950年代に建造した家族用住宅で、その多くが老朽化していたが、とりわけ彼らが住む27号棟は老朽化が進みぼろぼろだった。27号棟には全部で40戸ほどの住宅があったが、資金のある人は新たな住宅を購入して引っ越して行き、後に残ったのは農村から重慶市街にやってきた出稼ぎ農民がほとんどだった。そんな訳で居住条件は悪かったものの、曹雲輝一家は安逸で平穏な日々を送っていた。

 ところが、“好事多魔(好事魔多し)”の例え通り、曹一家に不幸が襲いかかる。ある日突然に、呉遠碧が奇妙な病気を発症したのである。

 それは腹部が日に日に膨れ上がる病気で、腹部は日々大きくなり、ついには臨月の妊産婦よりも大きくなった。膨れ上がった腹部を抱えて身動きが取れない呉遠碧は、果物売りも、子供の世話も、家事も、何もかもできなくなった。曹雲輝は朝早くから暗くなるまで懸命に働いてカネを稼ぎ、何軒もの病院を回って妻に診察を受けさせたが、病気は治癒せず、蓄えはたちまち底を突いた。

 こうして苦しい日々を過ごしていたが、1999年8月に“第三軍医大学西南医院”の消化器科で診察を受けた際に、呉遠碧の病名が「バッド・キアリ症候群(Budd-Chiari syndrom)」であることが判明した。この病気は、肝静脈や肝部下大静脈の閉塞によって、肝臓から出る血液の流れが悪くなり、門脈圧が上昇し、門脈圧亢進などの症状を示す疾患で、食道・胃静脈瘤、腹水などの症状がでる。呉遠碧は少しでも早く手術して腹水を抜き出すことが必要であった。

腹部は太鼓のように膨れ上がっていた

 妻の病気を治さねばならないが、カネがない。曹雲輝は仕事を辞め、妻を連れて街に出て、道行く人に妻の膨れた腹部を見せて治療費の支援を求めた。2002年、善意の人たちの義援金と西南医院の治療費減免により、呉遠碧は入院して手術で25キログラムもの腹水を抜き取り、健康を取り戻すことができた。ところが、それから8年後に、またしても呉遠碧の腹部は膨らみ始めたのだった。臨時の仕事と“棒棒”で曹雲輝が1カ月に稼ぐのはせいぜい3000元(約3万7500円)で生活はぎりぎりだったが、呉遠碧の病気が再発してからは、毎月200元前後のカネが呉遠碧の薬代に消えるようなった。曹雲輝は爪に火をともして一家の生活をやりくりしたが、長男の収入は少なくて家計の助けにはならず、一方、家事を手伝ってくれていた長女は窮乏生活に耐えきれず、事件発生の3カ月前に家を出て行ってしまっていた。

 こうして迎えた2010年の後半には、呉遠碧の腹部は太鼓のように膨れ上がっていた。身長1.5メートルの呉遠碧の体重は、1年前には40キログラムにも満たなかったが、事件発生前には62キログラムに達し、身の回りのこと事も自分で処理することができないばかりか、歩行も困難を極めるようになった。このため、外出はほとんどできなくなり、隣近所の住人の中には呉遠碧は既に引っ越したと思っていた人もいたほどであった。病院からは手術には5万元(約63万円)近くかかると言われたが、そんな大金などあるはずがないし、工面する心当たりもない。呉遠碧の腹水は前回の25キログラムよりも多いように思われたし、医師からは「このまま手術しないと、腹水が腹部を破裂させる恐れがある」との宣告を受けていた。膨れ続ける妻の腹部と手当のめどがつかない手術費5万元。曹雲輝は暗たんたる思いに駆られた。

 2010年の年初に、曹雲輝は呉遠碧を連れて重慶市の“信訪部門(陳情部門)”に救援を要請したが、都市戸籍を持たない彼らの陳情は(農村)戸籍のある綦江県政府に回された。ところが、綦江県の関係部門は呉遠碧の病気は“大病医療救助”<注2>の適用外であると判定した。そこで曹雲輝は呉遠碧を“新型農村合作医療保険”に加入させることも検討したが、手続きが面倒だし、待ちきれないとして、最終的には加入手続きをしなかった。

<注2>貧困者が大病した際に、地方政府の交付金と社会各層からの義援金によって医療費を賄う制度。

4万元の義援金が集まった

 こうした経緯を経て、病気の苦しさと家族の負担軽減を考えて思い悩んだ末に実行されたのが、呉遠碧による腹部切開事件であった。これについて、曹雲輝は、長女が家を出たことが事件の根本原因ではなかったかと述べている。すなわち、本来ならば幸せな生活を送るべき娘に母親の看病で苦しい日々を過ごさせたことが、呉遠碧を突き動かしたのだろうと。

 病院の緊急手術で一命を取り留めた呉遠碧は、治療費がかさめば家族に負担が増えるからと、3日入院しただけで5月12日には27号棟の自宅に戻った。しかし、それから4日目の5月16日早朝に、曹雲輝は意識朦朧となった呉遠碧のしぼんだはずの腹部が急激に膨らんでいるのを発見した。いやな予感がした曹雲輝は夜間勤務の息子を家に呼び戻した。これを知った近隣の住人はなけなしの財布からカネを出し合い3時間で900元(約1万3000円)の支援金が集めてくれた。ところが、そうこうしている最中に27号棟の前に2台の救急車が到着したのだった。

 それは、メディアの報道で呉遠碧の事件を知った重慶市の関係指導者が事態を重視し、全力を挙げて対価を惜しまず呉遠碧の治療を行うよう指示を出した結果であった。再び救急車で病院に運ばれた呉遠碧は専門家による検査を受けたが、呉遠碧の肺は既に感染しており、腹部の腹水はいつ傷口を押し広げてもおかしくないほどたまっていた。5月16日午前11時、呉遠碧は“重慶市中医院”に送られ、肝胆外科で治療を受けた。同医院の院長は、呉遠碧の肺と腹部は重い感染症状を引き起こしており、身体の水・電解質のバランスが失われていたので、あと一歩遅かったら命を失う可能性が高かったと言明した。

 こうして、翌17日には呉遠碧の命の危機は回避されたことが確認された。「重慶市救急医療救助センター」は呉遠碧に対して救援基準の最高額である1万元(約12万5000円)の救援基金を供与すると発表した。また、メディアを通じて呉遠碧に対する義援金の呼びかけが行われ、5月22日までに4万元(約50万円)以上の金額が集まった。この結果、呉遠碧の手術代として当初必要とされた5万元を工面する問題は解決されたのだった。27号棟の隣人の1人は、「もし今回の治療で呉遠碧の病気が根治するなら、彼女が包丁で自分の腹部を切り裂いたことは無駄にはならなかったことになる。そうなれば、正に“因禍得福(災い転じて福)”だが」と述べた。

毎年120元の保険料を支払えば・・・

 5月24日付の英字紙「チャイナ・デイリー」は、5月17日に専門家の診察を受ける呉遠碧の写真を掲載し、かつては“看病貴(診察代が高い)”、“薬価貴(薬代が高い)”によって病気をしたことで破産する貧困層が多かったが、今では2003年に導入された医療保険により小額の保険料さえ支払えば、治療費の70%の補助を受けることができるので、状況は大きく改善されたと報じた。

 この点について、曹一家が住む五一新村を管轄する“石坪村社区居民委員会”の責任者は次のように述べている:

【1】2002年に呉遠碧に“暫住証(臨時居住証明書)”の手続きをするように勧めたが、呉遠碧は数十元の手続費用を惜しんだのか、「夫の曹雲輝が勤めている飲料工場ですべて手続きしたはずだから、私は手続きしない」と言って、“暫住証”の手続きをしなかった。

【2】“暫住証”の手続きさえしてあれば、「都市・農村住民合同医療保険」に加入することができた。そうすれば、毎年120元の保険料を支払って、医療保険の恩恵を享受することができたはずで、例え大病を患っても医療費の60%程度は保険金でカバーすることができた。

 本当にそうだろうか。5月24日にハンドルネーム“心悦白雲”はインターネットの掲示板に次のように書き込んだ:

 ある人は呉遠碧が“暫住証”の手続きもせず、医療保険にも加入していなかったのが悪い、もし医療保険に加入してさえいれば、大病でも医療費の60%は保険金でカバーできたと言っている。しかし、医療保険に加入していれば、農民でも診察を受けることができただろうか。以前に肝内結石症の患者が手術に45万元(約563万円)かかったというニュースが報じられたことがあったが、肝内結石症というのは大きな病気なのか、それとも小さな病気なのか。仮に60%を保険でカバーできたとしても、なお20万〜30万元が必要である。20万〜30万元という金額を一介の農民が支払えるだろうか。

 話は変わるが、医者は保険に加入していると思えば、高い薬を処方する。何の効果もないが、飲んでも問題のない薬を余分に処方して儲けようとするだろう。これではいつまで経っても、あるネットユーザーが呉遠碧の事件を念頭に提起した「病気がなければ自分で予防に努め、小さな病気なら自分で診断し、大きな病気なら自分で自分を切開する」という状況から変わりようがない。

医療保険に加入していても結果は同じ

 呉遠碧が手術を受けるのに必要だったのは5万元だが、医療保険に入っていて60%が保険金でカバーされるとしても、残る40%の2万元は自己負担しなければならない。たとえ2万元であっても曹一家にとっては大金であり、貯金もないし、借りる当てもなく、手当てできなかったはずである。そうであれば、思い余った呉遠碧が自分の腹部を包丁で切開していた可能性は高い。従い、医療保険に加入していたとしても、結果は同じだったというのが上記の書き込みの意味ということになる。

 呉遠碧の場合はその事件をメディアが報じたことで、重慶市政府の支援と庶民の善意を受けて九死に一生を得ることができた。しかし、これは中国社会では氷山のほんの一角に過ぎず、“看病難”や“薬価貴”を理由に、医者に診てもらうことなく、苦しみながら、人知れずこの世に別れを告げる貧しい人々が依然として多数存在しているのである。こうした現状が世界第2の経済大国にふさわしいものかどうか。中国が当面の目標とする“小康社会(いくらかゆとりのある社会)”の全面的な建設を実現するためには、呉遠碧のような事件が再発しないように、真摯に社会格差の是正に取り組むことが不可欠である。

ハッピーエンドでは終わらなかった

 本稿はここで終わり、この事件は呉遠碧が健康を取り戻し、ハッピーエンドで一件落着となるはずだった。ところが、呉遠碧の病状は自ら「腹部切開手術」をしてから26日目の6月2日に急変した。医師団による懸命の救命治療が施されたが、呉遠碧の病状は回復せず、ついに同日夜9時48分に夫と長男に看取られながら呉遠碧は安らかな表情であの世へと旅立ったのだった。呉遠碧の亡骸は荼毘に付された上で、故人の希望に沿って、生まれ故郷の綦江県に埋葬されるという。社会各層から寄せられた義捐金の総額は7万元(約88万円)にも達していたが、夫の曹雲輝は呉遠碧に対する支援に感謝を表明するとともに、残額の6万元以上を全て寄付すると言明した。

(北村豊=住友商事総合研究所 中国専任シニアアナリスト)

(注)本コラムの内容は筆者個人の見解に基づいており、住友商事株式会社 及び 株式会社 住友商事総合研究所の見解を示すものではありません。
このコラムについて
世界鑑測 北村豊の「中国・キタムラリポート」

このコラムはニューヨーク、ロンドン、サンノゼ、香港、北京にある日経BP社の支局と協力しながら、米国や欧州はもちろんのこと、世界経済の成長点とも言えるブラジルやロシア、インド、中国のいわゆるBRICs、エネルギーや国際政治の鍵を握る中近東の情報を追っていきます。記者だけではなく、海外の主要都市で活躍しているエコノミスト、アナリストの方々にも「見て、聞いて、考えた」原稿を提供してもらいます。

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著者プロフィール

北村 豊(きたむら ゆたか)
北村 豊

住友商事総合研究所 中国専任シニアアナリスト
1949年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。住友商事入社後、アブダビ、ドバイ、北京、広州の駐在を経て、2004年より現職。中央大学政策文化総合研究所客員研究員。中国環境保護産業協会員、中国消防協会員
 

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