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リヒアルト・ヴィルヘルムと易
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/606.html
投稿者 中川隆 日時 2010 年 7 月 13 日 23:37:20: 3bF/xW6Ehzs4I
 

(回答先: 独占インタビュー 元弟子が語るイエス教団「治療」の実態!! 投稿者 中川隆 日時 2010 年 7 月 11 日 23:15:00)

リヒアルト・ヴィルヘルムがある地方にいた時、その土地は大旱魃(かんばつ)でした。もう何ヶ月も雨が降らず、田畑の植物は干(ひあ)上がって、枯死(こし)寸前でした。

そこで農民たちが相談して、雨降らしの名人という評判の人を招きました。

数日後、その名人がやってきました。

見たところ、本当にみすぼらしい、ヨボヨボの老人で、ヴィルヘルムにはとても、その老人がそんな特殊な能力の持主のようにはみえませんでした。

その老人は、一軒の家の提供と日に三度の食事の差し入れを要求して、その家にとじこもってしまいました。

中の様子をうかがっても、しんと静まりかえっており、太鼓や鉦(かね)をたたいて祈ったり、お経を上げたり、呪文をとなえたりしているようにはみえませんでした。
ところが、三日目に突然雲があつまって、ド、ドッと大雨が降り、農民たちは大喜びで雨の中で踊りまわったそうです。


ヴィルヘルムは家から出てきた、その雨降らしの名人に、

「いったいどうして雨を降らせたのですか」

とたずねました。老人は次のように答えました。

「私は雨を降らせようとしたわけじゃありませんよ。

この土地にやって来た時、この土地がこんなにも干枯(ひから)びているのは、私の心がうるおいを失って砂漠化しているせいだとわかりました。

それで私は家に閉じこもって、この土地をこんなにしてしまった私のあやまりをおわびしました。おわびの心が深くなってゆくにつれて、私の心にうるおいがもどって来、心の乱れが整理されて調和のとれた姿となってゆきました。

そして、それ(その心の状態)が本物になった時、この土地の不調和の状態もおしまいになり雨が降ったのです。

私は決して雨を降らそうと思ったわけじゃないのですよ」

身の回りで起こったことを変えたい時、その原因は自らの内にすべてはあります。

この中国の老人は枯れた天候でさえ、自らの心がうるおいを失っていたからだと、すべてを自分のことと受け止めています。

自らで、すべての元は自分にあり、と受け止めて(ひとついのちを理解できると自然に、当然自分の責任!と感じられるようになります)、自分の心の内で、お詫びし、感謝し、愛して、豊かな心に変えていけばいいのです。

自分がすべてに責任を負えるから、人生をガラリと明るく澄みきった歓びにあふれたものに、変えていけるんですね。

「目の前に広がる世界は、すべて自分のものなのです」。

「すべては私に責任がある!」と自ら進んで宣言できた時、本当の意味での「自分の人生」が始まるのではないでしょうか。


この話は、心理学者のカール・ユングの友人で、宣教師として中国に渡り、「易経」などを翻訳しヨーロッパに伝えたリヒアルト・ヴィルヘルムという人が、中国で実際に体験したお話です。
http://kansya385.blogspot.com/2009/08/blog-post.html

ユングに『易経』を紹介したのは、リヒアルト・ヴィルヘルムでした。

リヒアルト・ヴィルヘルム(1873−1930)は、22歳で牧師になり
ますが、元来精神的なものを求める傾向が強かったリヒアルト・
ヴィルヘルムは26歳のとき、プロテスタント宣教師として渡中。

義和団の変ないし義和団事変(1898)が起こり、中国人を蛮族と
感じているのが通常の欧州の人たち。ここで、リヒアルト・ヴィルヘルム
の天性の語学力と勉学心、精神性の高さが期待され、かつ発揮され
たのでした。

「気」を考える上で、リヒアルト・ヴィルヘルムの生涯は象徴的です。

■ リヒアルト・ヴィルヘルム

リヒアルト・ヴィルヘルムは38歳のとき(1911)、ラオ ナイ−スアン
Lao Nai-hsuan(1843-1921)に出会います。
ヴィルヘルムは赤痢に罹りますが、それを救ったのがこの
賢者ラオ ナイースアンでした。

ヴィルヘルムはチンタオに孔子協会を創設。
ラオ ナイースアンが会長に。
孔子の末裔にして卓越した学者であるラオ ナイースアンは
中国のヨガと道教の伝統的心理学にも通じていました。

ヴィルヘルムはこの老師に師事しました。

師は、『易経』に大変造詣が深いだけでなく、情熱も並々ならぬものでした。
ここで、中国人の師とヨーロッパ人の弟子とが中国の知恵を分かち合う
ことになりました。

ヴィルヘルムは1913年に『易経』を訳し始めました。

翻訳には10年の年月がかかりました。

1924年以降、ヴィルヘルムは翻訳の仕事から講演と講義へ
移りました。最初、ヴィルヘルムが宣教師だったこともあり、
宗教的な色眼鏡で見られ、信用されませんでした。

しかし、排斥主義者や学者や保守的な宗教家に反抗する
カイザリング男爵とその息子、更に、カール・ユングの支援を
得ることにより、徐々に受け入れられるようになりました。

ヴィルヘルムの『易経』の翻訳はカール・ユングの言葉添えもあり、
出版され、本も著者も知られるようになり、影響するようにまでなります。
ヘルマン・ヘッセもその一人でした。

『ガラス遊戯』は古代中国的な考えと見方が窺えるようです。

ユングによると、ヴィルヘルムは最初、中国人の仕草、喋り方、書き方
だったそうです。しかし、やがて中国について話すヴィルヘルムの話し方は
キリスト教者の説教のようになったそうです。

ヴィルヘルムの心の中で中国とヨーロッパが分裂し、中国のほうが
無意識のほうに行ったようにユングには思えたそうです。

キリスト教的な見方が前面に出ると、内部に巣食っていた中国渡来のバクテリアに対する抵抗が衰え、病に倒れた、とユングは書いています。

http://www.geocities.jp/sstst716/mail_diary/watching-the-tree.html

ユングとシンクロニシティ

1909年のある日、ユングはフロイトと超常現象について議論していた。フロイトはユングの心霊主義に対する関心をしかり、「オカルティズムのぬかるみの黒い流れ」にとらわれたりしないように、面と向かって警告した。好意的な反応を期待していたユングは、そのショックと怒りで緊張し、横隔膜のあたりに、あつくこみあげてくるような感覚をおぼえた。

すると突然、ユングの耳にはバカンという大きな爆発音が聞こえてきた。隣の本箱のなかからしたようだと思ったユングは、物が落ちてきやしないかと、とっさに立ち上がった。それにつられてフロイトも立ち上がった。「これこそ霊媒による外在化現象ですよ」と語るユングにたいして、フロイトは「ばかなことをいうな!」とこたえた。

ユングはすかさず応酬した。とっさに口からこんな言葉が出た。「先生はまちがってます。その証拠に、もう一度同じことが起こりますよ」。そういい終わったとたん、ユングの耳にはまた爆発音が聞こえてきた。「ほら、したでしょう」。だがフロイトはあっけにとられて、ユングの顔を見つめるばかりであった。なぜならフロイトには聞こえなかったのだから。

しかしユングにはフロイトの顔つきがなにを意味しているのか、またフロイトがなにを考えているのか、まったくわからなかった。が、それはともかく、ユングはこの事件をきっかけに、全人類に共通した集団的あるいは集合的無意識というものを考えるようになっていく。

1920年代の半ばごろ、ユングの無意識の研究に大きな飛躍を与える事件が発生した。ユングはそのとき、ひとりの若い女性の心理治療にあたっていた。 この女性は我が強く、合理性に異常に固執するため、ユングはなかなか彼女の心の壁を取り除くことができず、治療の効果がほとんどあがっていなかった。

ある日治療を行なっているとき、彼女は昔見た夢について語り出した。見知らぬ男性から、黄金のスカラベ(コガネムシ)を贈られるという内容だ。ユングがこの話を聞いているとき、突然うしろの窓を静かにトントンと叩く音がした。振り返ってみると、一匹の虫が窓の外側でガラスにぶつかっている。窓を開けるとその虫は部屋のなかに飛び込んできた。ユングは虫を捕まえて患者に渡し、こういった。「さあ、これがあなたの夢に出てきたスカラベですよ」。

患者は、手の中の虫をじっと見た。背中の部分が虹色に輝いている。まさに夢で見たのと同じだ。この「意味のある偶然の一致」を目のあたりに体験することにより、彼女の内面を形成していた独自の世界観が音を立てて崩れた。この一件がきっかけとなって、彼女はユングの治療を素直に受け入れるようになったのである。

さらにエジプト神話では、スカラベは「変容」の象徴であったので、なおさらユングには「象徴的!」としかいいようのないケースだったのである。要は、患者が現在の状態から何かへと「変容」しなければならないちょうどその「時」に、然るべき意味をまとったシンクロニシティが生じたということだ。

1929年の夢分析セミナーで、ユングは初めて「共時性」に言及し、「ものごとが同期する(シンクロニシズム)という考え方は東洋の偏見であり、因果律は西洋の偏見である」と語る。その一年後、『易経』をドイツ語に翻訳した中国学者リヒャルト・ウィルヘルムにたいする追悼講演で、ユングはこの独創的な概念を公表した。

「『易経』の科学は、実は因果律にもとづいたものではなく、われわれがこれまでめぐりあったことがないために命名されることのなかったひとつの原理、私が仮にシンクロニスティックな原理とよぶものに、もとづいているのです。」

そして、ユングが初めて「シンクロニシティ」という用語を使ったのは、1935年、ロンドンのタヴィストック・クリニックでの講義中のことでした。「タオは、あらゆるものでありえます。わたしはいまひとつの単語を、それをさししめすためにつかいますが、それもまたその意昧をじゅうぶんにあらわすにはたりないものでしかありません。わたしはそれをシンクロニシティとよびます」。

しかしながら「シンクロニシティ」についてまとまって論じたのは1951年のエラノス会議での講演「共時性について」と、翌年出版された物理学者パウリとの共著『自然現象と心の構造』を待たなければならない。現代科学の存立基盤である因果律に対峙する原理としての「シンクロニシティ」を説くにあたってユングはそれだけ慎重であった、といえよう。
http://www.kjsei.net/synchronicity/02.html


易とシンクロニシティ

古代中国の人たちは、人間を含め、すべての根源は宇宙の大局のもとにあり、その大局の変化によって自然界が変化していくと考えた。その変化が8つの形、すなわち、地・雷・水・山・沢・火・風・天である。さらに、この8つを組み合わせると64の卦ができる。この64の卦によって、森羅万象のすべての運命を判断しようというのである。

易は、偶然の積み重ねによって「卦」を出していく。占うべき事柄を心に念じつつ、未来の運命を探る時、たまたま表れる易の結果は、突然の暗示ではなく必然の暗示だというのである。

易はシンクロニシティの考え方に通じているとユングは考えた。易では自分の心中に起こることを占うと同時に、外の世界で起こることを占う。つまり、この二つが一致した時に何かが起こるわけであるから、そういう点で易こそシンクロニシティだということなのだ。


ユングと易

ユングが「シンクロニシティ」なる考えを生み出すに至った「易」との触れあいを見てみよう。ユングが儒教の五経の一つである『易経』に最初に触れたのは、イギリスの中国学者レッグの英訳を通じてであり、1920年の夏には易を実際に試み始めていた。湖の葦を五十本切って筮竹の代わりとし、『易経』をそばに置いて、「易経の占いの方法が実際に利用できるかどうか、そしてそれが有効であるかどうか」を実験していったのである。

その後、1920年代初めドイツのカイザーリング伯のところで、ドイツの誇る中国学者リヒアルト・ヴィルヘルムと出会う。ヴィルヘルムは、レッグ以上にはるかに中国人の心性に入り込みつつ、主要な中国古典を流暢なドイツ語に翻訳して、西欧諸国に紹介しつつあった。

1922年にはチューリッヒの心理学クラブにヴィルヘルムを呼んで、「易」について講演してもらう。そのときユングは、自分の患者のことについてひとつ占ってほしいと頼んだ。ヴィルヘルムのたてた卦はぴったり一致したが、それだけでなく、その患者の未来についても予言してみせた。その2年後、予言のとおりとなった、とユングはいう。

1924年には、ヴィルヘルムは『易経』のドイツ語訳を注釈つきで出版した(このドイツ語訳は後にベインズ夫人によって英語に訳された)。欧米で『易経』(イー・チン)といえば、まず間違いなく、このヴィルヘルム訳の『易教』のことと言ってよい。彼の感情移入の才によるこの訳書は、『易経』の持つ詩的含意を十分伝えているというべきであろう。 ユングは、ヴィルヘルムの訳書を手にして、彼がユングと殆ど同様の見解をとっていることに満足を覚える。

1930年3月、ヴィルヘルムがこの世を去った。 5月には葬儀をかねた記念講演会があり、ユングはその場で「シンクロニシティ」の概念をはじめて公表する。

「中国人は『科学』を所有しています。その科学の基準となる『古典』がまさに『易経』なのです。しかしその科学の原理は、中国における多くの事柄と同じように、われわれの科学的な原理とは全くちがったものです。『易経』の科学は、実は因果律にもとづいたものではなくて、われわれがこれまでめぐり合ったことがないために命名されることのなかった一つの原理にもとづいています。私はそれを、かりに共時性の原理とよびました。」
http://www.kjsei.net/synchronicity/03.html

リヒアルト・ヴィルヘルム伝 新田 義之 (著)

ユングと『黄金の華の秘密』を共同で執筆し、清末の大儒・労乃宣とは「易経」を翻訳し、監訳した「中国古典叢書」がヘッセを感嘆させた知られざる個性を、書簡をはじめとする膨大な一次資料を読み解くことによって描いた初の評伝。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480856781/monocolle-22/ref=nosim

黄金の華の秘密 (単行本)
C.G.ユング (著), R.ヴィルヘルム (著), 湯浅 泰雄 (翻訳), 定方 昭夫 (翻訳)

道教内丹法の翻訳書です

 中国の著名な仙人「呂洞賓(リュウトンピン)」が、自動書記(フーチ)の方法で、後世に託した内丹修煉の書『太乙金華宗旨』と、清朝時代の僧徒「柳華陽」の『慧命経』の8章までの翻訳。

この訳者の湯浅・定方の両氏は、ユングらが欠落させていた部分も原漢文までさかのぼって訳出し、ユングらの明らかな誤訳(「万法」「六神通」など)も、自身で考察し正しく翻訳し直してある点、さらに、本書巻末の時代考証も含めた詳細な解説など、道教内丹法に関心を寄せる者にとっては金字塔とも言える労作である。

東洋人にしか解らない生命の本質論を西洋人に説明しようとした
唯一の本でしょう、これこそが探し求めていた本でした!
http://www.amazon.co.jp/%E9%BB%84%E9%87%91%E3%81%AE%E8%8F%AF%E3%81%AE%E7%A7%98%E5%AF%86-C-G-%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%82%B0/dp/4409390023/ref=sr_1_6?ie=UTF8&s=books&qid=1279031149&sr=1-6  

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