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: 「事件」前後の政治情勢
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/220.html
投稿者 影の闇 日時 2010 年 5 月 26 日 17:12:15: HiXvZf/FmwPNU
 

(回答先: 「事件」前夜の政治情勢 投稿者 影の闇 日時 2010 年 5 月 26 日 17:09:18)

それでは、現実の政治とオウム(事件)はどのように関わっていたのか?

時系列的に追っていけば、92〜93年に掛けて、「湾岸戦争」や「ソ連崩壊」が生々しかった頃、積極的にロシアに進出し、又上九一色村にサティアン等巨大施設やプラントを次々に作っていくー恐らくオウムが急激に大きくなっていくこの時期に政治と最も近付いたのでしょう。

 93年春に、麻原が初めてサリンに言及し、その半年後には「毒ガス攻撃を受けている」と公言するーその半年後には実際、麻原は体調を崩し、寝込むことが多くなって、実際的な運営及び権限は他に委ねることになる。 政治的には細川政権のこの時期にオウムの変貌は起こってると見るべきで、宗教集団とは別物に変わったことを示すメルクマークとなるのが、国家を模したとされる、所謂「オウム省庁制」です。 時期的には、細川政権の事後処理的に、短命に終わった羽田政権の頃、そしてこの政権の崩壊前夜に「松本サリン事件」が起きています。 

オウムの変貌とは即ち、オウムに別の力学が働いていたことを示すものですが、その事を最もよく、象徴的に表したのが、(地下鉄テロ用のサリンを作ったとされている)ジーヴァカ=遠藤誠一が、事件が起きる何ヶ月も前から、使徒や信徒達の居並ぶ前で、公然と、しかも面と向かって!尊師麻原への罵倒を繰り返したことです。 
「”ジーヴァカは私の言う事を全然聞かなくなった”とこぼしていた」という『土谷証言』こそ、この変貌更には事件の核心に迫るものとして、記憶されるべきでしょう。 

何より、平気で「尊師=神聖法皇」の意向に逆らうこと自体、既に、彼(等)が麻原より上の<権威>なり<権力>の下に在ることを示していたのですから。 ではその<権威>なり<権力>或いは別の力学とは何か? この点について最も刺激的な説を唱えたのが下里正樹氏で、「平成の2.26事件」(現役自衛官によるクーデター未遂事件)だったというものですが、私に言わせれば、後ろ向きに、飛ばした方角が正反対、精々言って、見当違いの大ファールだった、と思います。

戦後の大掛かりなクーデター(未遂)事件、実際に、現役の自衛隊幹部が絡んでいた「三無事件」や「三島事件」を見ても、極東情勢及び米軍の動向と深く連動しているのであり、仮にクーデター的要素があれば、極東情勢や米軍の動向との絡みで見られなければならないからです。 「三無事件」が、その人脈から歴然としてるように、韓国の朴正煕軍事クーデターと連動し、東アジアへの本格的な武力干渉に向かおうする米軍に呼応したものだったとするなら、「三島事件」は、軍事的劣勢が明確になったベトナム戦線に抗して、極東に第二戦線を開こうとする策動に呼応したものだった、と言えます。 とすると、今回の場合、北朝鮮の不安定化と、特に戦後体制(日米関係)の見直しを秘めた細川政権の登場に絡んだものだったのでは?ということが一応は言える。 
とはいえ、無論、私はここで、本来それは細川政権に向けられたものであったーということを言ってるわけではありません。

「日本権力構造」的観点から言えば、一政権に止まらず、権力システムを持続的かつ実体的に担う官僚、政治家を前面に押立て、黒子役に徹しつつ、自らの目的を達しようとする彼らの存在を除いて、この問題は立てられないからです。

細川首相が「で、私はどうすればいいのか?」と振り付けを全部官僚に委ねたのは有名なエピソードですが、その彼が日米首脳会談後の記者会見で「日米は大人の関係になった」とし、「交渉決裂」をものともしない姿勢を示した背後には、当然、官僚の意志が在ったというべきでしょう。
しかしながら、僅かその10年後、小泉政権の時に顕在化した「年次改革要望書」に見られる、米側の要求を次々に呑み、http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/104.htmlで指摘してる様に、アメリカの「構造」に同化しようとすらする、180度の姿勢転換ー言わば完全に転向しているのです。
私見によれば、このような大きな転換は96、7年、橋本政権の時で、それを象徴的に示していたのが「新ガイドライン」ー「安保再定義」であり、そして「拉致問題」の顕在化でした。 当時私は、ああ「国策」を転換するのだな、結局は真犯人の思惑通りに、東アジアで孤立の途に歩み出したのだな、と暗澹たる思い駆られたものです。 何故なら、1980年1月の国会答弁で「北朝鮮の工作」を明確に否定したように、事件の概要を掴んでいたにも係らず、公安当局のそれまでの姿勢は「拉致は存在しない」とするものでした。 無論、そうすることで、真犯人の思惑通りにはならないという事を示し、以って最低限の国家意志を表わしたのでしょう。 こうした官僚の姿勢が一斉に変わっていったのがこの頃だったのです。

しかもそれが、上記の如く、全面屈服とでも形容したくなる態のもので、その有り様を観た当時の中国首相李鵬氏が「このままで行くと日本という国は消滅する」と、皮肉とも懸念とも言えぬ、発言をしたのです。

僅か3、4年前には、「衝突コースに入った」と日米のマスコミから騒ぎ立てられた程に、抵抗の意志を示したことを考えれば、このような全面恭順に至るまでに何が有ったのか?それを促したものは何だったのか?という疑問が当然湧いて来るはず、です。

 

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