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シリア、ブラジル、エクアドル、キューバ(3)
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投稿者 グッキー 日時 2013 年 8 月 11 日 17:56:05: Cbr3d6O9vj7Mc
 

Pete Seeger - We shall overcome


2013/08/09
シリア、ブラジル、エクアドル、キューバ(3)
http://huzi.blog.ocn.ne.jp/
 この約一ヶ月の間に色々な事が起りました。7月26日から10日ほどはプロバイダー(OCN)がダウンして、メールの受信発信もこのブログに書き込むことも出来なくなりました。OCNの不具合はこの夏二度目なので少し妙な感じがします。
 BRICSの略号で広く知られている国家群があります。ブラジル、ロシア、インド、チャイナ、サウス・アフリカ。これまで私はよく考えもせずに、BRICSが米国(とイスラエル、ヨーロッパ)の一極的世界制覇に、やがては、歯止めをかける役をはたせる新興国家群と受け取ってきましたが、どうやら浅薄な見方であったようです。そして、私の開眼は、一年前のマリカーナ大虐殺の時であるべきであったと今は思っています。
 2012年8月16日、南アフリカのヨハネスブルグの北西に位置するマリカーナの英国資本プラチナ鉱山(世界第三位)で労働者のストライキが発生し、その制圧に警官隊が発砲して約40人が射殺され、約80人が負傷、約200人が逮捕されました。死者の多くは背中に銃弾を受けていたそうです。動画もあります。Marikana Massacre と呼ばれています。南アフリカの黒人市民大量虐殺事件といえば、シャープビル虐殺事件(Sharpeville Massacre)が有名です。1960年3月21日、時の政府のアパルトヘイト政策の廃止を求めてデモを起した数千人の黒人群衆に向かって警官隊が容赦なく発砲し、70人の死者、200人の負傷者が出ました。これは南アフリカの歴史的転換点となった事件です。日本語ウィキペディアの記事の一部を引用します。:
■南アフリカは1960年代から1980年代にかけて強固なアパルトヘイト政策を敷いた。他方、国内では人種平等を求める黒人系のアフリカ民族会議 (ANC) による民族解放運動が進み、ゲリラ戦が行われた。1960年のシャープビル虐殺事件をきっかけに、1961年にはイギリスから人種主義政策に対する非難を受けたため、英連邦から脱退し、立憲君主制に代えて共和制を採用して新たに国名を南アフリカ共和国と定めた。一方で日本人は白人ではないにも関わらず白人であるかのように扱われる名誉白人として認められ、日本は南アフリカ政府や南アフリカ企業と深い繋がりを持つことになった。■
この二つの民衆大虐殺事件、シャープビル大虐殺(1960年)とマリカーナ大虐殺(2012年)、を隔てる半世紀の間に南アフリカは劇的な変貌を遂げます。この変貌の象徴的人物はネルソン・マンデラその人です。反アパルトヘイト闘争の指導者マンデラは1964年国家反逆罪で終身刑に処され、悪名高いロベン島監獄に投じられますが、1990年に釈放されました。1994年4月には、南ア史上初の全人種参加選挙が実施され、マンデラ率いるANCが勝利して、彼は大統領に就任します。ここで軽率な英語を使えば、“The rest is history”、ネルソン・マンデラという稀有の黒人英雄の力で、長年続いて来たアパルトヘイト政策が破砕され、目出たし目出たしのお話、これが私を含めて世界中の“お目出度い人々”の頭の中に植え付けられた人種平等の国南アフリカの物語、ネルソン・マンデラ物語であります。
 しかし、昨年8月に起きたマリカーナ大虐殺は、我々お目出度い人間たちの南アフリカ認識がどこかで根本的に誤っていることを明らかに示しました。50年を隔てて、又々、同じことが起こってしまったからです。私たちの認識の誤りを最も端的に言ってしまえば、「アパルトヘイトは死んでなんかいない。健在だ」ということです。そして、おそらく更に重大な問題は「我々の多くは、マスコミにすっかりやられっぱなしの、情けないほどの愚民だ」ということです。私もネルソン・マンデラの自伝をむさぼり読み、ぞっこん惚れ込んで、彼こそ20世紀最高の偉人だと考えたものでした。ネルソン・マンデラが歴史に残る偉大な人物であることは否定の余地がありません。しかし、彼が現実にしたこと、させられたこと、は冷静に見つめ直す必要があります。マンデラその人と「マンデラ現象」は、或る意味で、別途に考えるべきことであります。
 幸いなことに世に賢人は存在します。サッカー王国のブラジルの若者を含む民衆がFIFAのサッカー大会開催に関する政府出費の過大さに批判の声を上げたことに驚いて、私は2010年のFIFAワールドカップが南アフリカで開催された時のいわゆる治安問題の本質についても再検討の必要を感じました。これがブラジルから南アフリカに関心を移したきっかけだったのですが、そのお蔭で、John Pilger が1998年に制作したドキュメンタリー映画(51:13分)『Apartheid Did Not Die』を見ることになり、現在の南アフリカ共和国の実像を初めて正しく把握する足掛かりを与えられました。


http://johnpilger.com/videos/apartheid-did-not-die


このドキュメンタリー映画のことは、John Pilgerの最近の論考:『Mandela’s Greatness May Be Assured -- But Not His Legacy』で知りました。


http://www.zcommunications.org/mandela-s-greatness-may-be-assured-but-not-his-legacy-by-john-pilger


上の映画とこの論考は我々の俗流南アフリカ観の誤りを見事に正してくれ、それと同時に、BRICSの S(南アフリカ)とB(ブラジル)との深刻な類似点にも気付かせてくれました。こうした事を次回に書いてみたいと思います。このブログの一ヶ月ほどの沈黙期間に、他にも私にとって大きな意味を持った事件が幾つも起りました。エドワード・スノーデンの亡命先の可能性を疑われたエクアドル、ボリビア、ベネズエラに対する国際慣行を全く無視するオバマの脅迫行為はその一つ、また、最近注文入手したSalim Lamrani 著の『THE ECONOMIC WAR AGAINST CUBA』(MONTHLY REVIEW PRESS)を読んで知り得た米国のキューバに対する1960年以来絶えたことのない残酷無比の経済制裁の実体もその一つです。さらに、これは南アフリカの現代史と密接に関連しますが、7月末日に行なわれたジンバブエの大統領選挙で国民を地獄の苦しみに突き落とし続けて来た筈の凶悪独裁者ムガベが圧勝したというニュースも注目に値しますし、コンゴ東部の“反乱軍”M23 の正体が遂に白日の下に曝されたことも見逃し出来ません。M23はコンゴ軍内部で待遇改善を要求した反乱兵士集団と説明されて来ましたが、その正体は、私が始めから見当をつけていた通り、ルワンダのカガメ大統領のツチ人傭兵隊であったのです。こうした事柄についても、日を追って説明したいと考えています。
 もう一つ、驚くべきニュースがあります。あのラテン音楽の王国キューバで、クラシック音楽もまた隆盛を極めているというのです。キューバの国内事情に詳しい人々は、何故この素晴らしいニュースを披露してくれなかったのか?今回の情報源が信頼のおけるものであるだけに、まことに残念です。
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人種差別、優性思想は密かに生き続けてきて
また形を変え復活する時代を迎えたのだろうか?


 

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