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「フジタ地熱開発の無残と欺瞞」のまとめ
http://www.asyura2.com/09/eg02/msg/1636.html
投稿者 taked4700 日時 2015 年 11 月 17 日 12:30:44: 9XFNe/BiX575U
 

http://blogs.yahoo.co.jp/taked4700/13515896.html

「フジタ地熱開発の無残と欺瞞」のまとめ

 「ドキュメント ゼネコン自壊」高橋篤史著 東洋経済新報社 という本の184ページから212ページまでに「フジタ地熱開発の無残と欺瞞」という記事が載っています。2002年2月に出版された本で、実際に文章が書かれたのは1998年ごろから2001年ごろまでの様子です。この記事はかなり長いので、要点をまとめ、なぜ、フジタが地熱開発に失敗したのか、その意味を考えてみたいと思います。

 登場するのは基本的に二人です。一人はフジタ側で、藤田一暁というフジタの三代目社長。もう一人は実際に地熱開発に動いた元通産技官の官僚の内田元亨(「うちだ げんこう」)です。フジタの藤田一暁社長がトップダウンで地熱開発を推進したということです。

 全体の背景として、地熱開発がどの程度されていたかを最初に見ておきます。「Trends in the top five geothermal electricity-generating countries, 1980–2012 (US EIA)」( https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/84/Top_5_Geothermal-Electric_Countries.png )
に世界トップ5か国での地熱発電量の推移が載っています。アメリカ、インドネシア、フィリピン、イタリア、ニュージーランドです。世界で一番地熱資源量が多く、また発電量も大きいのがアメリカであり、その発電量は1982年頃から急増しているのが分かります。1982年頃の50億キロワット程度からほぼ10年で160億キロワット程度へ3倍程度に急増しているのです。

 日本の地熱発電量と設備容量の推移の表( http://sustainablejapan.jp/wp-content/uploads/2015/03/japan-geothermal-generation.png )を見ると、1990年代前半から発電量が急に伸びているのが分かります。日本の場合、環境影響調査や資源量調査などに10年程度が必要ですから、地熱発電所の計画そのものが本格的に動き始めたのが1980年代の前半であったのが推測できます。

 日本とアメリカの地熱発電量急増の時期の違いに注目しましょう。

 「フジタ地熱開発の無残と欺瞞」から、主な動きを抜き出して年表を作ってみます。

1969年2月 内田元亨、通産省の鋳鍛造品課長を退官して資本金100万円で「わざ」を設立。「わざ」の本店はホテルニュージャパン、ホテル・ジャパン東急、ホテルオークラを転々とした。
1982年から83年頃 「わざ」が河合楽器製作所から医療機器に関する開発を2億円で請け負う。しかし、「フジタの仕事が入ったので河合のカネは返す」としてこの仕事を途中で放棄。
1984年6月 フジタが「新農林センター」という地熱開発向けの子会社を設立。
1985年3月 内田元亨が「財団法人農業資源エネルギー協会」を大分県久住町に設立。「久住町蟻通地区」、「九重町湯沢地区」、「熊本県小国町上田地区」で地熱開発を計画。
1985年12月 フジタが「わざ」と技術提携
1987年4月 九重サイトで試掘開始
1987年12月 小国サイトで試掘開始
1988年6月 フジタが「わざ」と地熱開発で業務提携、「小国サイトで高温の蒸気を取り出すことに成功」と発表。88年3月末で34億円だったフジタから「わざ」への貸付金はわずか一年で223億円へ急増する。
1988年8月 「わざ」はアメリカ掘削大手ネイバーズ社の関連会社と契約。9月までに大型リグ3基が大分県に到着。小国サイトに2基、九重サイトに1基が運び込まれた。
1989年2月7日 フジタと「わざ」は九重サイトで「大規模な地熱井戸を発掘した」と発表。朝日新聞は全国版経済面で「地下の高温の天然蒸気を利用した世界最大級の地熱発電設備が早ければ三年後に、大分県九重町にできる見通しになった。フジタ工業とエネルギー開発会社わざ(本社・東京)が七日、同町で二十五万キロワットの発電を可能にする地熱開発に成功したと発表した(中略)/フジタ工業とわざは、地熱開発に実績のある阿蘇火山帯の同町湯沢地区で二年前に掘削を始め、地下三千メートルの地点で熱田(坑内温度二百八十度)を見つけた。噴出する蒸気量は一時間当たり百二十トンと、一本の掘削井で二万キロワット相当の発電出力が見込める、世界最大級の蒸気量としている(後略)」と伝えた。こういった報道を受けて、フジタ株は一月末の1030円が、三月末には2190円に上がった。また、転換社債とワラント債の残高が88年9月末で512億円、11月には転換社債166億円を増発。これについて、89年3月末までに合計605億円が権利行使された。(つまり、社債だと現金で償還する必要があるが、株が値上がったので、株に転換することで済んだということ。社債を持っていた人たちは株に転換して、その株を売ることで利益を得た。)
1989年6月 九重サイトから撤退して久住サイトへ移動。
1989年7月 フジタがベクテル社との提携発表。「一か所あたり1500億円を投じて地熱発電所2か所を建設」と大風呂敷を広げる。
1990年4月 久住サイトで一本目の地熱井戸掘削開始。12月に二本目の掘削開始。
1991年2月頃 試掘作業終了。
1991年5月16日 フジタの藤田一暁社長が71歳で急死。これ以降、フジタの役員内で事業見直しの声が高まり、内田元亨への資金供給が止まる。
1991年7月 内田元亨が三か所の開発現場を全面閉鎖。
1992年10月 内田元亨が財団法人農業地域クリエイトニジュウイチという農水省所管の公益法人を設立。
1996年1月 内田元亨が「わざ」の解散を決議。
1996年4月 フジタが「わざ」に対して会社更生法申請。
1996年12月9日 内田元亨が浴槽内で虚血性心不全で急死。71歳。この時点で、フジタの地熱関連投資は585億円。
1998年3月 フジタが有価証券報告書で地熱関連事業についての一定の見解をやっと公表。フジタは585億円の融資の内60億円の債権放棄をする。
1998年秋 フジタは社団法人日本地熱調査会の学会誌「地熱」に論文を投稿。「株式会社『わざ』は大分県九重町湯沢地区で、昭和59年から各種地上調査を実施し、昭和62年に調査井一本を掘削した。しかし、既存資料による地下情報だけでは、本地区の地熱資源分布を評価するのに不十分であった、、、。」
1998年11月 「わざ」の会社更生計画が裁判所で認可される。計画は、「わざ」が所有していた資産を時価の108億円まで減価し、フジタが全額出資して作った新会社で事業を引き継ぐというもの。
1999年3月 フジタが銀行から1200億円の債務免除を受ける。これを受けて、フジタが地熱発電プロジェクト向け債権420億円を損失処理。

 上に挙げたこと以外にもいろいろなことが「フジタ地熱開発の無残と欺瞞」には書かれています。ともかく、上にあることから分かることは二つあります。

1.地熱開発がある意味故意に失敗させられた。
2.フジタは585億円もの資金を地熱投資したが、そのほとんどは無駄になり、しかも、そのほとんどは銀行がゼネコンに対して行っていた債務免除で賄われた。

 フジタという優良企業と言っていい企業が地熱にのめり込み、その事業に失敗、そして、その損失は、結局のところ、一般市民の税金から補てんされたということです。少なくとも、「わざ」が所有していた資産の108億円以外の475億円は銀行による債務免除で賄われ、それは紛れもなく一般市民の税金であったということです。まあ、公的資金が銀行に投じられ、銀行はそれを政府へ返済しましたが、その間、10年以上に渡って銀行は税金を免除され、超低金利で資金を集められたのですから、実質的に一般市民の資金がこういった尻拭いに使われたと言っていいのです。

 ところで、地熱開発は本当に無謀なものだったのでしょうか。答えは否です。フジタと「わざ」が開発していた「久住町蟻通地区」、「九重町湯沢地区」、「熊本県小国町上田地区」はどこも地熱資源の豊富な地域で十分に開発が出来、実際に昔から開発が行われてきている地域です。この地域には国内最大の地熱発電所である八丁原発電所があり、また1万5千キロワットの大岳発電所もあるのです。または、こういった地域だからこそ、開発に選ばれたと言うことでしょう。

 問題は別にあり、明らかに故意に失敗をしたのです。そのことは、「フジタ地熱開発の無残と欺瞞」に、マスコミが九重町でフジタと「わざ」が二十五万キロワットの発電を可能にする地熱開発に成功したと発表したと伝えた後、「一本掘っただけで二十五万キロワットといったあたりから、おかしいと思った。だって電発は八三年から掘って二万キロワットといってるんだから」と町職員があきれ顔をしていたと書いていることから分かります。電発とは電源開発株式会社のことで、1983年から小国町で地熱開発のための試掘を行っていたということです。現状で日本国内で最大の地熱発電所は八丁原発電所の1号機2号機それぞれ5万5千キロワットで合計11万キロワットが最大であり、1977年に1号機、1990年に2号機が完成したものです。

 では、なぜフジタと「わざ」の地熱開発は故意に失敗したのでしょうか。ウィキの「内田元亨」のページ( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%94%B0%E5%85%83%E4%BA%A8 )には、次のような記述があります。
>1969年に退官後、評論家、技術コンサルタントをしながら、先端工業技術開発を目的とする「わざ」社を設立。「わざ」は世界最大のエンジニアリング会社でCIAとの蜜月も囁かれたベクテルと合弁会社を作って、大分県地熱発電プロジェクトを手掛けていた。1989年から1993年の間には、全国長者番付の上位100位以内に顔を出していた。

 フジタから「わざ」への融資が急増するのは1988年です。そして、1991年7月には内田元亨が三か所の開発現場を全面閉鎖したというのですから、この時にはフジタからの資金供給は全面ストップしていたはずです。内田元亨が全国長者番付の上位100位以内に顔を出していたのは1989年から1993年の間ですから、まずは、1988年からのフジタからの資金を自らの収入として処理していたと言うことでしょう。1989年の長者番付とは1988年の所得が高かったということのはずです。1992年までのランク入りはフジタからの資金が1991年まで続いていたからで、それを自らの収入としていたからと言えます。

 では、フジタからの資金が止まった後の1992年分の収入はどこから得ていたのでしょうか。「ドキュメント ゼネコン自壊」の300ページ、つまり、「フジタ地熱開発の無残と欺瞞」の記事の真ん中程度のページに、「頓挫後も増え続けたフジタの地熱開発投融資」というグラフがあります。このグラフには注があり、1991年から1994年までは「わざ」からの受取利息とフジタから「わざ」へ渡った純増資が一致することが示されているのです。「年間二十億円前後もの利息」と書かれていて、1991年から1994年までは、相変わらずフジタからの追い貸しとしての資金流入が「わざ」にはあったのです。1992年の内田元亨の収入はこういったフジタからの融資からのものであったと思われます。フジタは「わざ」への融資が不良債権として表面化することを恐れて、受取利息を確保するために追い貸しをしたのです。そして、サイト全面閉鎖後である1992年からは、フジタからの融資を内田元亨の収入として扱うことについてフジタ側からストップがかかったのでしょう。

 しかし、フジタはおかしな振る舞いをしています。1995年に貸付金が一気に170億円も増加したからです。既に地熱開発はストップして3年以上経過しているわけですから、貸付金が地熱開発事業に必要であるはずがありません。

 1995年の出来事を振り返ってみると大きな出来事があることが分かります。

1月17日 - 午前5時46分、明石海峡を震源とする直下型地震、「兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)」が発生。
3月20日 - オウム真理教によって地下鉄サリン事件発生。13人が死亡、5,510人が重軽傷。
4月19日 - オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件発生。
11月23日 - マイクロソフトがWindows 95日本語版を発売。
12月8日 - 高速増殖原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏洩(ろうえい)事故が発生。

 また、当時は、村山政権で政界の中もいろいろ動きが激しい時期でした。政治がらみで資金が使われた可能性がありますが、最も可能性が高いのは「もんじゅ」絡みであるように思います。もんじゅは8月29日に発電開始をして、そのほぼ3か月後の12月8日にナトリウム漏洩事故が発生しています。このナトリウム漏れ事故は大変に不自然なものでした。もんじゅの核燃料はMOX燃料で、プルトニウム含有量の多いものです。またもんじゅは増殖炉で使った分よりも多いプルトニウムを生産することが使命とされています。沸騰水型ではなくて加圧水型の原子炉であり、格納容器の中に蒸気発生器があり、圧力容器の中の燃料棒の横を循環する液体ナトリウム(一次系)と蒸気発生器と格納容器の外の間を循環し、一次系液体ナトリウムから熱を受け取って一次系を冷却するための二次系の液体ナトリウムが存在します。当然、流速は一次系の方が速く、二次系の方がゆっくりして循環しています。ナトリウム漏れは二次系の配管で起こりました。流れの中に突き出して設置されていた温度計が角ばっていたため、液体ナトリウムに渦が発生し、その振動で温度計が折れたのです。この事故が不自然なのは、流体の中に角ばったものを入れれば、その横で渦が発生し、振動するということは流体力学の基礎の基礎であるからです。しかも、液体ナトリウムが放射能帯びてしまう一次系では事故が発生せず、放射能を帯びることがない二次系でナトリウム漏れが起こったことも出来すぎです。もし、一次系で事故が起これば、放射能汚染した液体ナトリウムを取り除くことになり、事故収束は大変に困難であったでしょう。

 つまり、もんじゅのナトリウム漏れ事故は、1月に突如起こった阪神大震災を見て、もんじゅの直下で地震が起これば大規模放射能漏れに一気に至ってしまうと考え、急きょ運転停止を画策した結果のことなのです。そのための工作資金が急きょ必要になり、それが1995年に、170億円もの資金がフジタ側から「わざ」へ突然に出された理由でしょう。

 内田元亨がアメリカ軍産複合体による日本の原発政策の誘導に深くかかわっていたことは、彼の死のタイミングを見ることで分かります。彼が急死した1996年12月9日はもんじゅのナトリウム漏れ事故の一年後であり、翌1997年には、増殖炉に代わるMOX燃料の使い道であるプルサーマル計画が大きく動き出したからです。1997年2月4日、核燃料サイクルについて了承するという閣議決定がされ、同2月21日には電力11社によるプルサーマル全体計画が発表されました。(http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/17/17010608/01.gif)もし、内田元亨が生きていれば、もんじゅが故意の事故で運転中止になり、それがプルサーマル推進の大きな動機になったことに気が付いていたはずです。

 更に、同じ1997年3月8日には東電OL殺人事件が発生します。被害者の方は東電の上級社員であり、その女性が何年間も「自分が東電の上級社員であり、経済レポートなどを書いている」と買春客に語りながら売春を続けていて、その挙句に買春客によって殺されたとされる事件です。まず、十分すぎるほどの給与を取っていたはずで、経済的に動機がありません。次に、何年間も自分の正体、それも東電と言うエリート企業の上級社員という正体を明かして売春行為をしていたというのですから、とっくの昔に週刊誌にネタを売られていなければおかしいのです。または、東電本社に連絡が行って秘密らに首になっていなければいけません。更に、事件発生後、マスコミが上級社員の買春行為をセンセーショナルに報じることも起きました。少なくとも女性は殺人事件の被害者であり、東電は有力企業ですから、プライバシーを報道するなとマスコミに圧力をかけることはごく簡単にできたはずです。しかし、そういった圧力を東電がかけた形跡は全くありませんでした。その他、この事件には矛盾が掃いて捨てるほどあり、でっち上げ事件であることは明らかです。

 こういった矛盾があることは、多少冷静に事件を振返れば誰でもが気が付くことのはずです。しかし、これについても、ある工作がされていました。それは神戸連続児童殺傷事件、あのサカキバラセイト事件です。1997年5月24日、14歳の男子中学生徒が11歳の知的障害のある男子児童を殺害し、翌25日その児童の首を切り落として、26日未明に通学していた中学の正門前へその頭部を犯行声明文とともに置いたという事件です。そして、これら一連の事件が起こったのは、東電OL殺人事件の容疑者とされるネパール人の方が逮捕された5月20日の直後と言うタイミングであったのです。東電OL殺人事件には矛盾があると訴えてもマスコミも一般市民もサカキバラセイト事件に関心を奪われていたわけです。当然のことながら、このサカキバラセイト事件もでっち上げ事件であり、冤罪事件でした。

 では、なぜ、フジタと「わざ」による地熱開発は失敗に終わり、東電OL殺人事件が起こったのでしょうか。

 一つには、日本で地熱開発を新たにさせないことがあったはずです。なぜなら、フジタは「わざ」がサイトでの地熱井戸試掘を止めた後、自分自身で試掘を続けれることが出来たのに、それをしなかったからです。久住や九重、小国といった地域はどこも地熱資源に大変に恵まれた地域であり、実際九州電力の地熱発電所が既に二つ稼働していました。また、すぐ近くで電源開発社が昔から地熱資源探索を続けていたのです。日本国内の採掘業者と共同で試掘を続けることはかなり容易にできたことでした。更に、この年の4月には新エネルギー利用等の促進に関する特別措置法が成立しています。それまで国庫補助の対象であった地熱発電がこの措置法では対象から外されたのです。1980年代に盛んになりかけた日本の地熱開発は1997年に止まってしまいました。

 このことと裏と表のような関係にあるのですが、もう一つの狙いは原発促進の継続であったはずです。1995年の阪神大震災を受けて、日本中が地震活動期に入ったと言われ、原発の危険性を指摘する人たちが出てきていたのを黙らせる必要があったのです。そのために起こされたのが東電OL殺人事件でした。もし、内田元亨が生きていて、東電OL殺人事件を見ていれば、当然のことながら、事件の矛盾に気が付き、その意味を理解して様々な動きをしたはずです。

 内田元亨の1996年12月9日の死。これは、巨額の資金を使っておきながら地熱開発に失敗して見せることで日本の地熱開発をストップさせ、更には、阪神大震災を受けてもんじゅの運転中止の為の工作資金のトンネル会社としての役割を果たした結果のものでした。1969年、通産省の技官を退職してから羽振りが良く、1989年から1993年の間、日本の長者番付に載るほどの収入があったのは、全て、こういった工作を、彼が意識的にか無意識的にかは分かりませんが、ともかくやっていたことあってのことでした。そして、工作が終わった段階で待っていたのは死であったわけです。

 この記事の最初に触れたアメリカでの地熱発電量の急増は1982年頃から始まっていたのでした。当然、フジタの社長であった藤田一暁はこの地熱ブームを見て、日本でも見込みがあると判断したはずです。そして、藤田一暁のその判断を利用して一連の工作は行われたのです。放置しておけば、日本で地熱開発が大規模に行われてしまうことが明らかでした。事実、電源開発会社は1983年から久住地域で試掘をやっていたのですから。

 1985年のプラザ合意で日本は円高に見舞われ、国内消費を増やすことが至上命題とされました。その結果、日銀による金融緩和が行われ、土地と株のブームが起こったのです。フジタも不動産開発事業にのめり込み、一時はぼろ儲けをしたはずです。多分、この時に、フジタの社員にひもが付けられたはずです。あの物件を買えば、土地転がしですぐに儲かるよといった情報を与えられ、実際にぼろ儲けをし、毒まんじゅうを食った結果、一定の指示に従うしかなくなっていったのでしょう。その結果が、1995年の170億円もの追い貸しであったのでしょうし、内田元亨が地熱サイトを閉鎖した後、フジタが自ら地熱開発に乗り出すことがなかった理由のはずです。

 なお、「フジタ地熱開発の無残と欺瞞」では、フジタが自ら地熱開発をしなかった理由としてバブル崩壊に伴う不動産価格の下落で財務体質が悪化したためだとされています。また、開発サイトの一つの九重サイトが湯沢山の山頂にあり、平地から300m程度の高さにあるサイトへ行くこと自体が大変だと指摘がされています。また、フジタ自体が地熱資源調査を行い、その結果が思わしいものではなかったと示唆がされています。しかし、どうもこういったこと全体が単に口実であったのではと思えます。なぜなら、九重山周辺は確実に地熱資源の豊富な地域であり、実際に噴気試験まで行ったサイトもあるからです。最初から、実現化しないという決定が一部でされていたのではないでしょうか。1998年秋にフジタが日本地熱調査会の学会誌「地熱」に論文を投稿して、「株式会社『わざ』は大分県九重町湯沢地区で、昭和59年から各種地上調査を実施し、昭和62年に調査井一本を掘削した。しかし、既存資料による地下情報だけでは、本地区の地熱資源分布を評価するのに不十分であった、、、。」と述べたのは、ある意味、とても不自然です。自社が持っている資産について、わざわざあまり優良なものではないと業界で宣言したのですから。つまり、この投稿が行われたのは、1995年の170億円もの追加融資が済み、もんじゅの運転停止が実現し、1997年には東電OL殺人事件が起こされて地熱開発が新エネの補助金対象から外されたのを見て、これ以上資金供給をする必要が無くなったという判断がされ、地熱撤退を自然に見せるために行われたのでしょう。

 アメリカにバイナリー発電が導入されたのは1981年でした(注1)。1974年のオイルショックを受けて、アメリカ国内が不況になり、電力需要が落ちたことを理由にして新規原発建設計画への銀行融資が止まります。日本では、1979年のスリーマイル島原発事故でアメリカでの新規原発建設がストップしたと言われていますが、事実は異なるのです。反対に、オイルショックのきっかけを作ったOPECによる原油値上げはアメリカやイギリスの軍部や情報機関が長期にわたって誘導してきた結果のものでした。つまり、1969年、無血革命でリビアの政権を取ったカダフィ大佐は、その4年前の1965年、リビア軍の訓練を担当していた英国軍の将校から次のような報告書を英国情報部へ上げられていたのです。

 「ベンガジの陸軍通信部に配置されたムアンマル・アル・カダフィは、必要以上に高性能の無線機器の設置を要求した。彼らはすでに全リビアをカバーできる無線装置を持っているにもかかわらずである。目的は何なのか?」
 「もし、1965年の早い時期にクーデターが起きた場合、その首謀者はムアンマル・アル・カダフィである可能性は非常に高い」(注2)

 この記述は、カダフィが士官学校生であった1960年代から英米軍によって監視され、その黙認のもと、カダフィ大佐がクーデターを起こし、リビア産原油の値上げにまで踏み切ったと言うことを意味しています。なお、OPECによる原油値上げで欧米の石油会社は却って利益をあげました。OPECによる値上げ幅以上の値上げを小売りで実現できたからです。

 オイルショックを受けて、アメリカ国内での地熱開発規制が緩和されます。そして、そこへソ連から導入されたのがバイナリー発電であったのです。当然、日本にもバイナリーが導入されることが分かりますから、それを止めるために考え出されたのが内田元亨をめぐる工作であったのです。彼が地熱に関わりだすのが1982年です。

 オイルショックを受けて、アメリカ国内では原発新規建設計画をストップさせ、その一方では地熱開発に舵を切ったわけです。ゼロから始めて実際に発電を始めるまで10年程度かかるのがフラッシュ発電などでは普通なのですから。その結果が1982年ごろからの地熱発電量の急増であり、これにはバイナリー発電分も寄与しているはずです。

 日本での取組みはどうだったのでしょうか。資源エネルギー庁のサイトにある「地熱開発の歴史」( http://www.enecho.meti.go.jp/category/resources_and_fuel/geothermal/explanation/development/about/history/ )には、「1991年 NEDO、中小地熱バイナリー発電システム実証試験を開始。」とありますから、日本では1991年までバイナリー発電は全く行われてこなかったのでしょう。そして、1997年には地熱自体が補助金対象から外されたのです。もし、アメリカと同じ1981年ごろに日本でのバイナリー発電が始まっていれば、いわゆる温泉発電も行われ、温泉とバイナリー発電の共存共栄が早い時期に実現化していたのではと思われます。

 日本のエネルギー政策の主眼が原子力発電に置かれていたのは明らかです。しかし、地震国日本に於いて、原子力発電はあまりに危険です。2004年3月、経産省の若手官僚が「19兆円の請求書」という文書を作成し、「止まらない核燃料サイクル」の批判を行ったのは当然のことでした。もし、この時の動きが認められていれば、福島第一原発事故も苛酷化しないで済んだ可能性があります。

 1982年の段階で、1985年のプラザ合意は予定されていたのでしょう。そうしないと、日銀による金融緩和と不動産バブルが起こりません。フジタが「わざ」と技術提携したのが1985年12月、地熱開発で業務提携したのが1988年6月でした。そして、この年に34億円から223億円へとフジタからの融資額が急増するのです。この融資額急増はこの時期のバブル景気なしにはあり得ません。

 こういった経緯を見ると、アメリカによる植民地支配がブロックを一個一個組み立てるように精密に計画されたものであることが分かります。支配の特徴の一つに、工作を担当する部門と、資金を提供する部門の分離があります。内田元亨は工作担当であり、フジタの藤田一暁社長は資金担当でした。こうすることで工作の全体像を見えにくくする効果があるわけです。

 なお、資金担当であった藤田一暁社長が亡くなったのは日銀が政策転換をして金融引き締めに舵を切り、バブルの崩壊が始まった直後でした。つまり、資金供給が出来なくなった途端の死であったのです。

 翻って、今の日本の状況はどうでしょうか。311の原発事故を受けて、再生可能エネルギーの導入促進が決定されましたが、あまりうまく行っていない様子です。特に地熱開発については滞ったままです。地熱開発について危惧せざる得ないのは、一部で地熱資源の囲い込みと思える動きがあることです。本来であれば、行政が地域一帯の地熱資源量を調査し、それを公表して、行政が中心となり、電力会社と住民が協力して、地域最適を意識した開発が必要なはずですが、現状ではまず地熱資源量の調査さえうまく行っていない様子です。

 欧米による支配に屈しないためにはどうしたらいいのでしょうか。まず第一に、自分だけの利益を追いかけないことではないでしょうか。自分だけの利益を追いかけると、日本に比べてはるかに大きな資本を持った欧米の権力は、こちらが全く気が付かないまま取り入れられてしまうような巧妙で規模の大きな罠を仕掛けてきます。実際、それが311の原発事故が起こる前までの日本の原発と地熱開発をめぐる状況であったはずです。

 徹底的に情報公開をして、全員の理解と了解を取った上で行動して行くことが一番の安全保障のはずです。10倍以上の体の大きさを持った大スズメバチに一匹一匹で戦いを挑み全滅をするのが西洋ミツバチですが、日本ミツバチは集団で向かって行き大スズメバチを倒すことができるのです。

(注1)https://en.wikipedia.org/wiki/Geothermal_electricity
The binary cycle power station was first demonstrated in 1967 in Russia and later introduced to the USA in 1981,[9] following the 1970s energy crisis and significant changes in regulatory policies.

注2:「カダフィ正伝」平田伊都子著集英社の167ページから168ページを参照。169ページには、「1986年、レーガン大統領は、カダフィ爆撃暗殺作戦を命じたが、それを実行に移したのは、このNSCである。米英軍に『やる気』さえあれば、カダフィの革命ははるか昔に吹っ飛んだはずだ。」と書かれています。

2015年11月17日12時05分 武田信弘 
 

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コメント
 
1. taked4700 2015年11月18日 08:51:32 : 9XFNe/BiX575U : RMHw59ILZg
ウィキの「内田元亨」のページに資料として「飯村直也 『地熱発電事業で暗躍、旧通産省OBが企業から引き出した600億円』」という本が紹介されています。しかし、まったくこの本の内容が検索しても出てきません。一種、情報隠しが行われている可能性がありますね。

2. taked4700 2015年11月18日 13:52:29 : 9XFNe/BiX575U : iKS3CfJrR2
一部に単位の間違いがありました。

>発電量も大きいのがアメリカであり、その発電量は1982年頃から急増しているのが分かります。1982年頃の50億キロワット程度からほぼ10年で160億キロワット程度へ3倍程度に急増しているのです。

は次の表現が正しいものです。

発電量も大きいのがアメリカであり、その発電量は1982年頃から急増しているのが分かります。1982年頃の50億キロワット時程度からほぼ10年で160億キロワット時程度へ3倍程度に急増しているのです。

お詫びして訂正します。


3. 茶色のうさぎ 2015年11月19日 00:59:18 : qtmOTsgWNIsK2 : SH6bE9aQ6Y

いま、トイレのかえり。!ぴっ

160億キロって、、160億人分、???地球の人口以上だよー

単位が、分かんないよー 年間。? 長いから読まないよー またねー

一人あたり常時、1キロワットだよー 電気レンジと同じ1000w 100w電球が10ヶだよ

原子炉1ヶで、約80〜100万kwで、約100万人分。!

また、のんじゃおーっと ♀に内緒。♪

能力。? 総累積。? また睡眠不足だー うさぎ♂ まぁ、口実には喜ばしーw

長いから終わりまで。。ぜんぜん、読んでません。♪w−− うんめー ぐび

まぁ、適当な計画と経営と口実ってことで、いい加減だー なんでもいいんだよーだ。 ぺっ♪



[32削除理由]:削除人:意味なし

4. taked4700 2015年11月19日 17:17:52 : 9XFNe/BiX575U : 3m7E6bmO6k
>>03

>160億キロって、、160億人分、???地球の人口以上だよー

これ、すいません。記事中で単位を間違えています。

160億キロワット時 ということで、発電量です。1年365日、24時間ですから、時間当たりにすれば、これの8760分の1となります。時間当たりでは、182万キロワットですね。日本では3万キロワットぐらいが大型の地熱発電所とされていますから、それが60ぐらいあるという感覚かと思います。



5. 土光目刺[1] k3mM9Zbajmg 2016年1月04日 19:53:25 : EYOYixs8g2 : DlCiPXb1p4o[1]
「飯村直也 『地熱発電事業で暗躍、旧通産省OBが企業から引き出した600億円』」

は「日本経済『黒幕』の系譜 」(宝島社文庫)別冊宝島編集部 (編集)に出ています。

また

楷 ―自立した市民を目指して― 「地熱発電の光と影」(Adobe PDF) - htmlで見る

というPDFファイルが公開されています。

「飯村直也 地熱発電」のキーワードで検索をかけてみてください。講演録のようで2007年時点の新しい情報が読み取れます。

s26e0642806ec6e79.jimcontent.com/download/.../楷7号.pdf

楷 ―自立した市民を目指して―. 第7号. 発行:市民講座『湘南 21』. 第7回講演. 「地熱 発電の光と影」. 飯村直也氏. 本日お話するのは、経済産業省の前身、旧通. 産省の OB らによる地熱発電事業の失敗について. です。


6. taked4700[6805] dGFrZWQ0NzAw 2018年2月05日 20:28:23 : jeNPymCJPw : yi4f7xDiYx4[4]
http://www.enecho.meti.go.jp/about/special/tokushu/saiene/saienerekishi.html
>サンシャイン計画は、1993年、省エネルギー技術の研究開発を目指す「ムーンライト計画」と統合して、「ニューサンシャイン計画」に改組されます。
>この頃、地球温暖化問題がクローズアップされ始めており、代替エネルギーや省エネに関する取り組みは、温室効果ガスを削減する効果もあることから、環境問題に対しても有効だとみなされました。そこで、エネルギーと地球環境保護という2つの目標に取り組む計画として改められたのです。
>1997年、京都議定書が策定された年には、「新エネルギー利用等の促進に関する特別措置法(新エネ法)」が施行。太陽光発電、風力発電、地熱発電、バイオマスエネルギー、天然ガスコージェネレーションなどの新エネルギー導入促進がさらに加速することとなります。

ですから、

>1991年7月 内田元亨が三か所の開発現場を全面閉鎖。

京都議定書が策定される6年前には地熱をやるなと言うメッセージが出されていたのです。温暖化デマは地熱に対する妨害工作後に出されたことになりますね。

こういったこと全体が、チェルノブイリ原発事故との関連があると思います。または、ソ連の崩壊との関連性があるはずです。


7. 2021年5月02日 03:35:11 : BgoEbpTdJc : dWs4RWp4c0ppdXM=[7] 報告
数日前に地熱発電のことをNHKが朝のニュースでやっていたな。
そもそも今の地熱発電自体が無意味というか、熱水を掘り当てる必要性があるのか?と疑問。(石油を掘り当てる、みたいな非効率的、賭けみたいな事業と化している)原理的には地下で熱せられた水、蒸気が地上にやってくれば良いわけだから、マグマがある程度地上近くにあれば良い、ということになる。
TVでは北海道で1000メートル近くも掘った、と。無意味の極地のような。
地下でパイプなり、水なりが熱せられば良いワケだから地上から水を送り込むまたは地下でパイプを使って地上と水が循環するようなシステムを構築することは出来ないのか?

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