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『喜び組』が話題になったのはいつ頃からでしょうか?
http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/713.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 1 月 22 日 19:22:38: yX4.ILg8Nhnko
 

(回答先: 久しぶりに訪朝して 2 分断の責任、日本にも ←部落解放同盟が北朝鮮訪問「南北分断の責任は日本にもある」と新飯種づくり 投稿者 木卯正一 日時 2011 年 1 月 22 日 01:12:00)

 
 
 
 
堪えられんのだらう。
こずかい貰える上に
若い綺麗な女まで抱けるんだから。

やめられんはな、そりや。
 
 
 
 
『喜び組』が話題になったのはいつ頃からでしょうか?
昔は、そんなに知られていなかった思うのですが・・・。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q121696332
 
 
『喜び組』が話題になったのはいつ頃からでしょうか?
昔は、そんなに知られてい...
ID非公開さん

『喜び組』が話題になったのはいつ頃からでしょうか?

昔は、そんなに知られていなかった思うのですが・・・。

質問日時: 2004/12/6 14:35:29
解決日時: 2004/12/11 14:05:59
 
 
 
ベストアンサーに選ばれた回答
ID非公開さん

1990年。金丸信元自民党幹事長と田辺社会党副委員長を中心とする「金丸訪朝団」が平壌に出向いて金日成と対談した。当時の日本ではこの時の模様を「土下座外交」として大批判が展開された。
その後、近年になって脱北者による民主党主催の公開ヒアリングで、当時は金塊と女が訪朝団にあてがわれたという証言が飛び出している。
少なくとも、この金丸訪朝団の接待で喜び組が登場したことはこの時にマスコミにもわかっている。喜び組が大々的にマスメディアで喧伝されるようになったのは金日成の死後だが、その存在が公に近い形で伝えられたのはこの頃ではないだろうか?

回答日時:2004/12/6 16:47:34
 
 
 
 
 
 
 
 
Re: 北朝鮮による拉致誘拐も、日本政府の自作自演なの? 
http://www.asyura2.com/0403/dispute17/msg/106.html
投稿者 東北原人 日時 2004 年 4 月 18 日 21:00:01:FdPef1bO/XpiA
 
 
突然すみません。
提起された問題にレスさせてください。
北朝鮮拉致そのものに日本政府が関与していたという証拠といえるものの
存在は知りません。
しかし、ご存知だと思いますが、1990年の金丸信・田辺誠の北朝鮮訪問時
拉致問題の存在を叫ぶ家族の働きかけがある中で、自民党・社会党ともにこれを
まともには取り上げなかったという事実は存在するわけです。

(後掲 毎日新聞記事)

かつ自民党の中にも(社会党は言うまでも無く)北朝鮮との癒着といってよいような
関係を持つ国会議員の存在(YKKのポチとYを除くKも含まれるらしい)
がある中で、
故意なのか、そうでないのかは、別にしても
北朝鮮にとっては有り難い形で、拉致問題が、不問にされてきたという経過は
歴然としているのではないでしょうか。
不問にされてきたことの責任の一端が、
社会党(社会民主党)はもちろん
自民党したがって自民党が関与する政府
にもある、そういう面があったし、あることは否定できない。
このような歴史がある中での
現在の日本政府の北朝鮮に対する対応を見ていると
自民党の北朝鮮との癒着した歴史がきちんと清算されていないことからくる
対応の弱さがあるのではないかという疑惑が生まれてきます。

そこにもってきて先日の平沢とYの訪朝です。
過去の癒着にまたぞろ依拠するような形で
拉致問題の解決が図られようとしている?

【以下毎日新聞の記事】

 <見出し>

北朝鮮・拉致事件/3 お父さん、しんどいね
◇有本夫妻、訴えむなし−−88年、黙殺された「梶山答弁」/90年、訪朝団の意識の外に

 <本文>

ソウル五輪を半年後に控えた88年春、警察庁の首脳は一つの思いをめぐらせていた。「北の脅威を訴える時期に来ているのではないか」

 そのころ、警察庁では北朝鮮によるテロへの危機感が高まっていた。大韓航空機爆破事件が起き、よど号乗っ取り犯も「韓国を破壊すれば五輪を阻止できる」と話していたことをつかんだ。

 3月26日、梶山静六・国家公安委員長(故人)は警察庁の意向を受けて国会答弁に立つ。「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚である」。3件のアベック失そうと、日本人女性「李恩恵」について政府が初めて「北朝鮮」「拉致」の言葉を使った。だが、マスコミは産経新聞と日本経済新聞が1段記事を載せただけだった。

 翌年、外務省アジア局審議官に就いた川島裕・元事務次官は梶山氏の発言を「記憶にない」と言う。「(拉致に)重きを置いていなかったかもしれない。でも警察も国会を受けて何か動いたのかなあ」

 拉致問題の節目となる答弁は黙殺された。

  ■   ■

 「梶山答弁」から半年後の88年9月。神戸市の有本明弘さん(74)と妻嘉代子さん(76)は初めて外務省へ相談に行った。娘恵子さん(行方不明時23歳)の音信が途絶えて5年。札幌市の石岡亨さん(同22歳)の実家に突然届いた手紙には「(一緒に)平壌で暮らしている」とつづられていた。

 「国交もないところですから」。職員は10分足らずで会話を打ち切った。手がかりの手紙さえ読もうとしない。何度訪ねても「身に危険がある。表に出さない方がいい」と繰り返された。

 2年後、両親に「大きなチャンス」が訪れた。90年9月の自民・社会両党合同訪朝団。団員で地元の石井一衆院議員に「交渉の議題にしてほしい」と頼んだ。準備会で石井議員は両親の意向を説明する。しかし、団の関心は、もっぱら抑留されていた第18富士山丸の船員2人が釈放されるかにあった。

 訪朝した社会党側団長の田辺誠・元党委員長は「記録を見たが拉致の話は聞いていない」と言う。久保亘・元党書記長も「準備会で拉致を議題にしようとした記憶はない」と語る。

 9月初め、「先遣隊」で平壌を訪問した石井議員は「(北朝鮮に)お世話になっているかもしれない」と告げ、恵子さんの名前などを書いたメモを金容淳(キムヨンスン)朝鮮労働党書記に手渡した。しかし、不機嫌な顔で「信ぴょう性があるのか」と反論され、話は続かなかったという。

 田辺元委員長、金丸信元副総理(故人)率いる訪朝団は拉致には全く触れず、富士山丸事件の解決という「成果」を持ち帰った。元副総理の秘書として同行した二男の金丸信吾氏は「おやじの耳に拉致問題が届いていなかったのは確かだ」と振り返る。

 嘉代子さんは夫に語りかけた。「お父さん一人で国を動かそうとしても、しんどいね」=つづく

 ◇自民・社会両党合同訪朝団

 90年9月24〜28日に訪朝し、朝鮮労働党と「3党共同宣言」に調印。▽戦後45年の損失への十分な公式謝罪と償い▽両国の関係を正常化し発展させる――など8章について合意した。北朝鮮側は抑留中の第18富士山丸の船長ら2人の釈放も約束。北朝鮮側の提案を受け、翌年1月から国交正常化交渉が始まった。

(毎日新聞2002年11月17日東京朝刊から)
 
 
 
 
 

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