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Jesterとしてのマイケル・ムーア(4)-(私の闇の奥)藤永 茂氏のブログより転載
http://www.asyura2.com/09/hihyo10/msg/873.html
投稿者 めむめむ 日時 2010 年 9 月 13 日 19:47:03: lmDW19lBDnz8g
 

(回答先: Jesterとしてのマイケル・ムーア(3)-(私の闇の奥)藤永 茂氏のブログより転載 投稿者 めむめむ 日時 2010 年 9 月 13 日 19:43:54)

藤永 茂氏のブログより転載
http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2009/12/jester_9a55.html


12月18日未明、アウシュヴィッツ強制収容所跡地の入り口の門の上に道路を渡って掲げられていた5メートルほどの金属製の横長の文字サインが盗み去られる事件が起こりました。「アルバイト・マハト・フライ(働けば自由になる)」という文字が連ねられていて、悪名高いアウシュヴィッツ強制収容所の一つのシンボルとなっていました。広大な収容所跡を含む アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館はユネスコの世界遺産にも登録されていて、年間100万人以上の訪問者があるそうです。おいでになった方々もおありでしょう。この盗難事件のニュースは全世界を駆け巡りました。さては、ネオ・ナチか、世界的な反ユダヤ勢力の仕業か、とマスコミは色めき立ったのですが、ふたを開けてみるとガッカリ、古金属として売り飛ばして小金を儲けようとしたトンマな泥棒たちの仕業に過ぎませんでした。思想的背景まったく無し。
 それでも、12月23日のニューヨークタイムズは「これほどショッキングなニュースは滅多にない」として、この事件を報じています。犯行に思想的背景がないのに、何故それほどショッキングなのか?エルサレムのホロコースト記念館の館長は「そのような象徴的な物体の窃盗は、ホロコースト(the Holocaust)の記憶にたいする暴力的攻撃である」という声明を出しました。イスラエル人やアメリカのユダヤ人からは、ポーランドの当局の杜撰きわまりないセキュリティ管理への非難が声高にあがりました。私はここで思うのですが、広島の平和公園で、意図的な放火によって、数千の折り鶴が灰燼に帰しても、日本人以外の世界の誰も気にしない、ニュースにもならないのと、何と大きな違いでしょう。
 ニューヨークタイムズによると、アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館の年間総予算は約9億円、ポーランド政府からは約3億円余り、他は海外からの援助、入場者などの寄付で賄われています。250人の雇員の内、50人がセキュリティ.ガードマンで、人件費だけで年間約4億円、台所は火の車ですが、盗難騒ぎのほんの2日前に、ドイツ政府から、80億円にのぼる維持保全のための援助資金の提供があったようです。ナチ・ホロコーストの記憶の維持のために、ユダヤ人たちが、ドイツをはじめとする諸外国や外国人に支出を強いる努力を続ける熱心さには、頭の下がる思いがします。
 しかし、すこし意地の悪い見方をすれば、今度の窃盗事件が思想的背景に欠けていることが分かってガッカリしたあとも、一部の人は、転んでもただでは起き上がらず、この騒ぎを十分に利用しているとも言えないことはありません。聞くところによると、今度のアウシュヴィッツのシンボル・サインの盗難に関する国際討論会がワシントンで開催されることになり、スタンレー・フィッシュの“A Lacanian analysis of the Auschwitz sign as a discursive Foucauldian Trope”、エリー・ウィーゼルの“There was only one Holocaust”、エイブラハム・フォックスマンの“Contrasting and comparing the disappearance of the Auschwitz sign with the atomic bombing of Hiroshima”などの講演題目が並んでいます。なんだか馬鹿馬鹿しい響きのタイトルですが、日本で、ひところ、『文学部唯野教授』時代に、文学理論に大いに熱を上げた大学先生がたが出席して、この集会の雰囲気を報告して下さることを期待しています。
 さて、前回のブログの終わりに、今回は「大学を二度も蹴りだされて、無冠の太夫になったノーマン・フィンケルスタインという人の話」をするとお約束したのに、道草ばかり食べていますが、正直に白状すると、この約束はただ一回のブログではとても果たせないことがはっきりして、行き詰まってしまったのです。事は、ナチ・ホロコースト理解の中核にかかわる問題であり、私のようなものが幾らブログの回数を重ねても、論じきることなどとても出来ない事柄であることを痛感したからです。したがって、以下に綴ることは、この問題に皆さんの関心を誘う呼び水に過ぎません。
 ノーマン・フィンケルスタインは1953年のニューヨーク生まれ、父母ともにワルシャワ・ゲットー(ユダヤ人密集地区)の生活とナチ・強制収容所での強制労働の経験者です。もちろん、「働けば自由になる」ことはなく、終戦によって自由が与えられました。父ははやく亡くなり、ノーマンは母の下で育ちます。彼女が強制労働の生き残りであることには動かぬ証拠がありましたので、ドイツ政府からの補償金を早くから月々受け取っていましたが、そのお金はアメリカのユダヤ人の上部組織がドイツ政府から一括して受け取り、それを強制労働で苦しめられた個々のユダヤ人に手渡す仕組みになっていました。ところが、時が経つにつれて、この上部組織がドイツ政府に補償金を要求する強制労働生き残りのユダヤ人の数がどんどん増えて行き、ノーマンの母親が「こんなに強制収容所で生き延びたユダヤ人が多かったのなら、ガス室で殺された人数が少なくなってしまう」と皮肉を言ったのを息子のノーマンは聞いていました。彼は、やがて、補償金を一括管理する組織内で、受取人の数の人工的水増しと入金のピンハネ着服が行なわれていることをつきとめて、そうしたユダヤ人エリートたちの一連の悪行をあばき、糾弾する書物を出版します。それが、2000年6月にアメリカで出版された『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』です。日本語訳(立木 勝)は三交社から出ています。ドイツ、スイス、ベルギー、オランダ、フランス、などでは大反響を呼び、特にドイツでは発売後2週間で13万部も売れましたが、アメリカ国内ではマスメディアから黙殺されて、初年度は1万部そこそこしか売れなかったようですが、その後はこの本と著者ノーマン・フィンケルスタインをめぐって、大変な騒ぎがおこり、そのせいか、今でもよく売れています。出版当時、ニューヨーク市立大学で教鞭をとっていた彼は、この本を書いたことで吊るし上げられ、やがて、ニューヨークの大学から追い出されて、シカゴのドゥポール大学から、助教授として、何とか拾ってもらったのですが、ここにも東部有力大学のユダヤ人学者たちからの排斥の手が伸びて、2007年9月、自ら辞表を提出する形で大学を去りました。立木さんの日本語訳もありますから、この本がシオニズム主義をかかげるユダヤ人エリートたちの怒りを買った理由や、ことの展開に興味のある方は、ぜひ『ホロコースト産業』をお読み下さい。そしてまた、「ゴールドハーゲン論争」というものもお見逃しなく。この論争の関連書も邦訳されています。
*Daniel Goldhagen 『Hitler’s Willing Executioners: Ordinary Germans and the Holocaust』(1996年)
*『普通のドイツ人とホロコースト−ヒトラーの自発的死刑執行人たち』(望田幸男監訳、ミネルヴァ書房、2007年)
 このブログの今のテーマであるマイケル・ムーアに関連して言えば、ノーマン・フィンケルスタインが徹底的に村八分をくらった理由は、シオニズム主義のユダヤ人たちの嫌がることを、あくまで執拗に言い続けたことにあります。賢いジェスターのムーアさんは決してそんなヘマはやりません。
 例えば、前回引用した12月3日のNHKの「クローズアップ現代『反骨の映画監督マイケル・ムーア』」の中で、彼は「(アメリカでは)1%の人たちが残りの人々から多くを奪い、人生を狂わせてしまう、そんな横暴がまかり通っています」と言って憤慨してみせますが、この1%の横暴な人たちのことを、もう少し詳しく考えてみましょう。現在、アメリカの総人口は約3億、そのうちユダヤ人は約650万。一方、最も富裕な1%(300万人)の3人に1人はユダヤ人とされていますから、アメリカのユダヤ人の6人か7人に1人(14〜15%)は、他の大多数のアメリカ人の人生を狂わしている、横暴な人間ということになります。しかし、マイケル・ムーアはそんなことは決して言わないでしょう。寅さんではありませんが、「それを言っちゃー、おしまい」ですから。
 もう一つ、アメリカ人のナルシシズムを巧妙にくすぐるマイケル・ムーアのトリックを指摘しておきます。訪日の直前に、彼は、アフガニスタンへの米軍3万人の増派に反対してオバマ大統領に送った公開書簡を公表しました。書簡の全体がなかなか興味深い派手な文章ですが、その終わりの部分を転載します。:
■ Stop, stop, stop! For the sake of the lives of young Americans and Afgan civilians, stop. For the sake of your presidency, hope, and the future of our nation, stop. For God’s sake, stop.
Tonight we still have hope.
Tomorrow, we shall see. The ball is in your court. You DON’T have to do this. You can be a profile in courage. You can be your mother’s son. ■
この最後の一文が、白人アメリカ人にとっての、殺し文句です。「あなたの美しい白人のお母さんは、50年も前に、人種偏見をものともせず、始めはケニヤからやってきた黒人青年と、次にはインドネシアからやってきた東洋人と結婚した勇者だった。軍部や好戦派からの圧力を跳ね返して兵力増派をストップする勇気を持ってこそ、あなたの母親の息子にふさわしい勇者となれるのだ」という意味です。
 オバマ大統領の母親と結婚した二人の男性は、人間として、政治的に、また、思想的に、どのような人物であったのか?私はゴシップやスキャンダルにあまり興味がありませんが、一人はケニヤッタ政権下のケニヤ、他はスハルト政権下のインドネシア、それぞれの国の上層階級の出身であったことは、ほぼ間違いありません。英国の強い影響下にあったケニヤッタのケニヤで、また、米国の強い影響の下で残忍な反共政策を強行したスハルトのインドネシアで、オバマ大統領の父親が苦渋の中で生きたという事実は何も知られていません。その意味で、二人が、進歩的な勇気ある白人女性を惹き付けるラヂカルな思想傾向の持ち主であったと信ずる理由は何もありません。だとすれば、一般論として、白人女性の側に、異邦人に魅力を感じるある種のニンフォメニアックな傾向があり、それが結婚成立の一つの要素であったとしても、何の不自然もありません。
 私は、何が何でもオバマ大統領に泥を塗り付けたい気持ちで、こんなことを言っているのではありません。私は、マイケル・ムーアがアメリカの白人向けにしつらえた「You can be your mother’s son」 という殺し文句を卑しいものに感じていることを表明しているだけです。ウォード・チャーチルもノーマン・フィンケルスタインも、決して、こうした計算はしないでしょう。これが、アメリカの社会から村八分された二人と、マイケル・ムーアとの決定的な違いです。
藤永 茂 (2009年12月30日)
 

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コメント
 
01. 2010年9月14日 07:51:34: Q5GsKbujfE
読ませていただいたけれど思い込みが激しすぎませんか?
ムーアがセレブだという指摘はまさしくそうだと思うけど、演出というものに目がいってない。いわゆる分かりやすさを表現するためにあえて他国とアメリカの制度の違いを大仰に描いていることをドキュメントとして成立しているのか?という批判を聞いたときも同じ感想でしたけどね。
ドキュメンタリーが客観的であるべきだというアホみたいな批判をするやつは、目的を持ってカメラが回っている時点でそれはすでに主観的だということに気付かないのかと?
ムーアがアメリカをこれまで良い国だったのに変質してしまったのはなぜだ?という疑問をそうではなく血塗られた歴史の国だと気付いていない無垢さという批判ですが、ボウリングフォーコロンバインでアメリカ建国の歴史が白人の脅迫観念を今日まで植え付けてきたことをどこかで見たような有名なアニメをパクった小話で再現しているのや、アメリカの近代史が他国への介入という名の侵略であるとサッチモの「ワンダフルワールド」に乗せてニュースフィルムを繋いで流したりもしてるのでそれもそうだとはいえないですよ。
さてムーアは結局批判はしても「ウォード・チャーチルもノーマン・フィンケルスタインも、決して、こうした計算はしないでしょう。これが、アメリカの社会から村八分された二人と、マイケル・ムーアとの決定的な違いです。」自身はアメリカから弾き飛ばされてはいないという批判ですが、ムーアがバッシングや右派から狙い撃ちにされていないとはまさか言えないでしょう。
彼の主張は確かにややインテリの中間層なら大体知っていることばかりですが、知ってはいても直接こういうことだろうと映画で突きつけたりはしないので、そこがムーアとインテリとの違いだと思います。
映画でもテレビ製作者の社会問題への視点が根元に向かわず事象と人種にのみ焦点があたり、それも事件を引き起こすのは必ず黒人という刷り込みがあるという社会学者の発言をもとに製作者に必要に食い下がって聞くシーンがあります。
ユダヤ人には甘い、ですがこれは確かにそういう面はあると思いますね。
けれど彼はイスラエル問題の解決にユダヤ人をアメリカで全部引き取ってイスラエルを作れば解決すると皮肉ってるように、アメリカとイスラエルの関係およびユダヤ人がアメリカの言論界や社会ににどれだけ影響を持っているか知らないわけじゃないと思います。
また自著の冒頭でパレスチナのガザでイスラエル軍のブルドーザーで家を破壊され土地を強制接収されるのを防ぐため、ブルドーザーの前に立ちはだかって止めようとして轢き殺されたアメリカ人レイチェル・コリーへ捧ぐと記しているように、。
またムーアの口を封じ込めようとすればムーアの舌禍問題をいくらでも大仰に派手に時には捏造してでも取り上げてネット上で大問題にすれば可能ですが、それを赦さないあたりにマイケル・ムーアのしたたかさがあると思います。
セレブで金を持っていても下層白人のスタイルを崩さない、アイルランド系白人で工場労働者の家に生まれた左派で愛国者、マイケル・ムーア。
辛辣にとらえたい向きにはムーアの評判は芳しくありません。
この記事のような反応や批評が出てきます。たとえば藤永さん(記事読むまで名前を知りませんでした)とまではいかなくても森達也さんや神保さんなども出典や表現に問題ありとムーアの業績は認めつつも苦言を呈しています。
とくに森さんは善と悪の二項対立に陥った「華氏911」を世界を単純化するという意味においてブッシュやビンラディンのアルカイダと同じだと批判しています。
しかし私は悪意をなして事を治めんとする連中、とくに多大なる武力と発言力を有する連中に綺麗ごとをいくら弄しても意味はないと思っています。
森氏は世界は多様であるべきだと言いますが、敵か味方を区別し我々の側だけが自由で公正だ強弁するブッシュの大勢の中の要素としての多様性もそういう意味では多様を担保しているのだから意味としては同じだろうと思います。
ビンラディンもアルカイダも(本当にいると仮定した上で)理屈としては同じです。
我々とそうでない連中の正義と公正と多様性は違うのだという意味において、森氏の善悪二項対立批判は善悪でなくどちらも善であり悪である善対善と悪対悪二項対立に陥っているという指摘ならわかるんですけどね。
善悪が容易に入れ替わるのではなくて、善と悪の価値観がぶつかりあっているので単純に国の規模や軍事力による世界に及ぼす力と今まですべなく駆逐されてきた弱い国々の怨嗟とで、この対立を単純な二項対立に貶めたというのでなくまさにすなっているのですから綺麗ごとでは済まないということです。
まあ長くなりましたけどムーアは上手く立ち回って自分の発言力を保持していく危機能力の良さには定評がありますんで、それが気に食わんという人にはまあ仕方ないねというほかありませんけどね。
私も諸手を挙げてマイケル・ムーアを絶賛してるわけでもないですし。


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