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現代の奴隷制度下では「全体(と称されるもの)」と「個」が対立しています
http://www.asyura2.com/09/idletalk35/msg/632.html
投稿者 smac 日時 2009 年 2 月 22 日 06:03:39: dVqzW59EefGnc
 

(回答先: 全体と個の二項対立図式批判 投稿者 ワヤクチャ 日時 2009 年 2 月 18 日 12:45:33)

 ども、ワヤクチャさん、初めまして。

 「全体(社会)」は、個々人がそれを「自身の利益に必要不可欠な共同体」であると認識した時、初めて意味を持ちます。

 しかし、現代の日本では、その認識がありませんので、「全体(社会)」は存在しないのです。

 もしそこで、誰かが「全体(社会)の利益に貢献せよ」と言う時、それは少数の「支配者の利益」を意味します。

 労働とは、元来、自らの必要に応じて成される仕事のことですが、現代の社会では「社会貢献」と言う美名に隠された、支配者への奉仕に過ぎません。そしてそれは「苦役」であり「自己犠牲」の意味を持つのです。

 これは正に「現代の奴隷制度」とでも言うべきものです。
 前時代の奴隷制度は、鞭と鎖で奴隷に「労働」を強制しましたが、現代ではその道具が「金」に変化しているだけのことです。

 全体と個の二項対立という図式は、上記のように「全体(?)が個に労働を強制する」ことを「当然」と看做す発想から生まれます。

 自分の家が汚れてきたら、家人は誰に強制されるまでもなく掃除をしますよね。
 また、掃除を担当する家人が主人に賃金を要求するなんてこともありません。
 普段の掃除は妻に頼りっぱなしだった夫でも、年末の大掃除には進んで手伝いをするでしょう。

 家事や育児は「重労働」ですが、それは主婦の「義務」じゃありません。
 奥さんが家事を怠けて、家が汚れても、他の家人が我慢できる程度なら、汚れっぱなしにしておいたところで、何ら問題じゃないのです。
 我慢できないなら、その人が掃除をすれば良いだけのことです。

 上は家庭の話ですが、これを社会全体に置き換えても同じことです。
 社会を維持するために必要な労働は、その構成員が自ら定め、自ら従事し、誰か(弱者)に負担が集中しないよう、調整すべきものなのです。

 上スレで話題になっている「3K職場」などと言うものは、健全な人間関係が作る社会であれば存在し得ないものです。
 もちろん、必要な労働の中には、「汚い」仕事や「きつい」「危険な」仕事も存在しますが、それらを専門的に扱わなければならない人間が必要というわけじゃありません。
 誰もが嫌がる仕事を誰かに押し付けようとするから、負担が集中してしまうのです。
 逆に言うなら、金さえあれば自分が嫌な仕事から解放される…とする発想が、そもそもの間違いだということですね。

 「汚い」仕事は、なるべく衛生を保つ工夫で、「危険な」仕事はなるべく安全を保つ工夫で、「きつい」仕事はなるべく分散する工夫で解消、緩和しなければなりません。
 誰かを「やらざるを得ない状況」に追い込んで、強制的、集中的にやらせようと言うのは「奴隷制度」の発想です。

 「BIを導入したら、社会に必要な苦役に従事する者が居なくなり、社会を維持できない」と言う人が居ますが、これは貧困をテコにして、弱者に負担を集中させる「奴隷制度」の肯定から導かれる理論でしょう。

 社会を維持するために、常に一定数の経済的弱者を奴隷状態に置く必要があるなら、その社会はもはや「全体」とは定義されません。

 社会に必要な苦役は、なるべく「苦役」にならないよう工夫し、不必要な苦役を排除した上で、金の有る無しにかかわらず、能力に応じて分担すべきです。
 そして、その分担を決める方法は民主的でなければなりません。

 この「民主的決定」というのが、一番大切で、なおかつ一番困難な部分です
 なぜならそれは、個と対立しない全体を、いかに構築するか…という問題だからです。

 現代人は「エゴ」と「社会性」のバランスが崩れています。
 これは、市場原理主義が個人と個人に於ける「横」の関係を断ち切り、個人と経済システムという「縦」の関係に、人々の生活を、あらかた委ねてしまったからでしょう。

 社会性を必要としない社会で、社会性を喪失した人々に対し、「社会の利益に貢献せよ」というのは無理な話です。
 そこで政治に必要なことは「公共道徳の押し付け」ではなく、まずは喪失した社会性の回復であるべきだと思うのです。
 具体的に急務であるのは、やはり「貧困、生活苦の救済」でしょう。

 「救済は自助努力を喪失させ、自立を阻害する」という意見もありますが、これも個人と経済システムという「縦」の関係だけに目を奪われた短絡です。
 「横」の関係を回復するためには、まず「世間の風は冷たく厳しいもの。そして、そうあるのが自然」という殺伐感を解消し、「旅は道連れ、世は情け」を実感できるようにしなければなりません。

 しかし、現状でそれを個々人が実践すれば、情けをかけた人が損をするだけに終わるでしょう。
 そこで、政治の出番なのです。
 今の時代、「優しい社会を構築する」という全体のコンセンサスは、まず得られません。
 支配層が「厳しく冷たい社会」で、奴隷労働の恩恵を享受している限り、救済政策には強力な抵抗が予測されるでしょう。
 私は、そうした抵抗を振り切り、多少乱暴かつ独善的であったとしても、まずは政治に「奴隷解放」をさせなければならないと思うのです。

 ただ、「奴隷解放」は現行の経済秩序を破壊しますので、一時的な混乱を招くことは避けられません。
 要は、その先のビジョンをどう描くか…です。
 市場原理主義に毒され、「優しい社会は堕落した社会への転落」だと危惧する人々に対して、いかにバラ色で夢のある未来を提示できるか?…これに尽きるでしょう。

 ワヤクチャさんがおっしゃるように、本来、全体(社会)と個(人)は対立関係じゃありません。
 しかし、生活が経済システムに隷属する「縦」関係オンリーの現代では、「全体」を隠れ蓑にした支配・被支配の関係が成立します。
 これは現代の「奴隷制度」であり、その状況のまま「奴隷と主人は対立しない」と言えば、奴隷制度の肯定になってしまいます。

 私は、まず「全体」を「現状では存在しない幻想」だと捉えた上で、個と対立しない、本来あるべき「全体」を、一から構築する必要があると思っています。

 ちょっと、あちこち脱線しましたが、「全体(社会)と個(人)の関係」は、根源的で深いテーマです。
 まだまだ、語りきれないのですが、今回はこのあたりで筆を置くことにします。
 ご意見、ご感想、反論等、ございましたら、どしどしお寄せください。

 ではでは、お返事お待ちしております。  

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