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経済の目的とは何か?
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投稿者 地には平和を 日時 2010 年 3 月 16 日 12:36:50: inzCOfyMQ6IpM
 

必要な人に必要なものを与えるという事だ。
いくら物を作っても必要とされなければ無駄だ。
餓死する人がいるという事は経済がうまく機能していないという事。
政治の大きな役割はこの経済の目的に沿った事を行う事だ。
お金が無い為に餓死する人がいるのならお金を配ればいい。
インフレになる?
なってもいい。
物価上昇率に沿って給付を増やせばいいだけ。
しこたまお金を貯めている人にとったらせっかく苦労して貯めたお金の価値が減る事に我慢ができないだろう。
だからインフレを嫌うのだ。
しかし、そういう人々はお金が無い為に自殺する人々を切り捨てているのだ。
この経済の目的を実現する為には消費者主権の概念を確立しなければならない。
消費者が主導して経済を運営するのだ。
幸い生活協同組合という組織はその理念を根幹にしている。
晩年のマルクスが気がつき柄谷行人氏がそれを再発見したように協同組合こそが生産と消費を管理する社会を作るべきなのだ。
それが経済的な民主主義であり民主主義の根幹になければならないものである。
労働者階級なる曖昧な集団概念の代表を標榜する官僚に経済運営を任せても分配はうまくいかない。
意識は環境によって規定されるのであって、官僚になってしまった人々はいつしか労働者階級なるものの代表である事を忘れて自分自らの為に政治を行うようになるのだ。
正しく「あらゆる官僚組織は腐敗する。」のである。
プロ独を主張する自称前衛もこのおいしい官僚の地位を手に入れる為に奮闘しているだけだ。
この官僚組織が腐敗してもそれを改革する事は一党独裁によって極めて困難だという事を彼等は認識しているからこそ頑張れるのだ。
労働者階級なるもの為という綺麗事でカモフラージュして。
労働者とは資本家に雇われる事によってしか生活ができない人の事であり生産の内容についての決定権を奪われているのである。
従って労働者階級なるものは消費者主権を実現する能力が無い。
我々は労働者という商品生産奴隷の意識から脱却して全的人間として社会をデザインする能力を持たねばならないのだ。
生産力の増大自体は決していい富をもたらすとは限らないのだ。
必要なものを必要な人に届ける。
これが全てである。  

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コメント
 
01. 地には平和を 2010年3月17日 00:04:05: inzCOfyMQ6IpM
餓死者がいるのにお金を持っている者は彼らを救おうとしない。
何故か?
彼らが餓死をするのは自分の責任ではないと思うからだ。
なるほどこの社会はそうなんだ。
人を平気で見殺しにする社会だ。
かく言う私も飢餓線上に多くの人がいる事を知りながらその事に対して特に何もしていない。
平気でご馳走を食べたりする。
それは自分の権利であるとすら思う。
自分で稼いだ金でご馳走を食べて何か悪いと開き直って。
周りもそれを許す。
むしろ、飢餓の子供達を救おうなどと言えば「何を偽善者みたいに言っているんだ。」と反発を受けるかも知れない。
そんな事より焼肉を食べに行きましょうやと。
人は易きに流れる。
周囲の反発を受けるぐらいなら飢餓の子供達を見捨てる方が楽ではないかと。
誰もそれを咎めだてできないだろう。
「赤信号みんなで渡れば怖くない。」ってこういう事だろう。
我々に必要なのは弱者を助けようとする倫理なのかも知れない。
思えば「偽善者」という批判と開き直りがこの世の中を一歩も前に進ませない原因かも知れない。

02. 地には平和を 2010年3月17日 00:22:27: inzCOfyMQ6IpM
例えば空き缶拾いの人を見かけても特に声を掛けるワケでもない。
見て見ぬフリってヤツですか。
こんな人間が阿修羅で偉そうな事を書いていたって所詮その程度のものでしょうな。
革命ごっこの遊び人でしかない。
まあ、生協で働いているだけマシと思ってやって下さい。
それなりにいい商品揃えてまっせ。
ある倫理観に達した人とそれ以前の人間とでは全然違った生き方をしているんだろう。
アイリーン・スミスさんなんかを見ていたらそれは思います。
まあ、せいぜい阿修羅でポン引きをするぐらいが能か?なんてね。

03. 地には平和を 2010年3月17日 00:34:43: inzCOfyMQ6IpM
って言うか元々自分の事が大した事無いと思っていたからこそこんな私でも何かできる事があるかと思って反原発運動や三里塚に行っていたのでは無かったのか?自分でも役に立つ事があるのかと嬉しくなっていたのではなかったのか?生協の仕事でもそう。こんな人間でも雇ってくれて組合員さんはちょっとした事でも喜んでくれる。それが嬉しくてやっているのではないか?そんなもんだろう。それなりに役に立てば御の字だ。阿修羅に転載をしたり拙い文章を投稿したりするのも何かのきっかけになればいいと思っているダケだ。まあ、こんなとこです。

04. 2010年3月18日 01:09:32
地には平和をさん、
半兵衛だす。

貴殿の投稿で、
>消費者が主導して経済を運営するのだ。
幸い生活協同組合という組織はその理念を根幹にしている。

ってあるが、生活協同組合はイデオロギーってないのかね?
ただ、持ってないように貴殿には映るだけではなかですか?

「生活協同組合」というカテゴリーを一般論でくくるのなら、かの、つい最近まで社青同解放派同士が、内ゲバで相互絶滅戦を展開してた明治大学の「生協」も貴殿のいう、同じ「生協」の範疇だす。貴殿の答えは推測がつく。「あそこは過激派だから生協ではない」と。生協運動もイデオロギーをもってんべ。党派性あんべす。

順序が逆になるけど、
>労働者階級なる曖昧な集団概念の代表を標榜する官僚に経済運営を任せても分配はうまくいかない。

「労働者階級なる曖昧な集団概念の代表を標榜する官僚」なんて存在してまっしぇんが。存在しないものを存在するように思いこむ観念主義者。それで「生協」でメシ食ってるんかね?

さもありなん。最近の生協は、「よそのスーパーよっかこっちゃのもんが品質はいいですよ」、ってなやりかた(資本主義的競争、それこそ市場原理主義でね)。そのおごりが、ギョーザ事件。
「品質がええ」イコール「高付加価値商品」、売価も高いべ。生協組織もピラミッド型官僚組織だべ。理事さんもいいカネとってんべ。生協でも労働組合があんべす。生協職員が、なによりも「労働者階級」である。下手な理念のもと安月給ば強いられてんではねのがな?今春闘のようさ、資本家階級の言うごとく、「(生協の)経営がおもわすぐねえがら賃上げはダメ」ああんつって労働者ば搾取すて平然とすてるんではねべな。生協の労働組合ば怒らせてはおんめべね。

生協あんつのは、出資者が消費者っつうだけで、理事や職員による経営方法は資本主義そのもの。商品を仕入れて、販売して利益を出す。製造そのものは、小さな町工場をお抱えすてPBを作らせ、しゃぶり尽くす。どこのスーパーもやってること。町の中小小売店は次々と破綻すてぐ。自分たちのもんが一番品質がええ(ぐて安い?)から、消費者が生協の商品を選択すてくれたんだ、っつ思い上がる。

となると、生協って、高級品志向をもったブルジョワ意識の高いオバサマ族をターゲットにすてるんだつわがる。そうなると当然、地には平和をさんにとって「労働者階級」なんて言葉も無縁になるべ。

むがす三里塚とかいかれたそうだすが、「万国の労働者、団結せよ」なんつう古くしてかつ新しい言葉は無意味ですたかな?

>我々は労働者という商品生産奴隷の意識から脱却して全的人間として社会をデザインする能力を持たねばならないのだ。

資本主義の終焉が叫ばれているまさにこのときに、貴殿は「労働者階級」に対して階級意識を捨てよとお勧めする。労働者は資本の鎖につながれた「商品生産奴隷」だからこそ自らを解放するために立ち上がるのではないのか?
「商品生産奴隷の意識から脱却して全的人間として社会をデザインする」なんて、資本家の思う壷だ。ゴマスリ競争で、それこそ労働者同士の、資本への売り込み競争が激化すんべす。労働組合はたちまち解体され、二度と立ち上がれなくなる。今まさにそういう危機的状況にあるのだが。

こだらこつ吹聴する貴殿の意図は、これまでの展開で、それなりに理解でけた。



05. 地には平和を 2010年3月19日 00:46:29: inzCOfyMQ6IpM
労働者の開放とは何か?
資本家の命令通りに商品を生産する事から脱却して人間にとって必要なものを生産するという働き方にシフトする事ではないか?
その事を行う為には労働者は消費者と緊密に結び付かなければならない。
その為の組織が生活協同組合である。

06. 2010年3月19日 11:24:26
おいおい、新自由主義経済が破綻の結果とすてのリーマンショックでどれだけの労働者がクビ切られてきたんだい?失業率5パーセントの意味がわがってんのかね?実質失業率は10パーセントだといわれてる現実はどう「生協」と結びつくってんだ?ルンペンプロレタリア化すてる、もと「労働者」にどっやって「消費者と結びつく」んかね?
いまや労働者の労働条件は、工場法以前の状態にまで押し戻されてしまってる、この過酷な現実が、能天気な人には見えねんだべね。

労働者イコール消費者ではねえのが?こりゃえれえ「イデオローグ」も居たもんだ。

労働者と消費者はまったく別の存在らすい。
労働者に労働者意識を捨てよ、というのはブルジョワだけだ。

半兵衛だす。



07. 地には平和を 2010年3月20日 00:22:50: inzCOfyMQ6IpM
消費者とどう向き合うのかを考えれば仕事が増え失業者は減ります。
消費こそが経済活動の基礎です。
金が無いから消費ができないのであれば貧乏人を中心として金を配るべきです。
そうすれば全てがうまくいきます。
労働者というのは商品を作るという存在に過ぎません。
商品を作っても売れなければ何の意味もありません。
労働をドブに捨てたのと同じ事です。
商品は消費された時に初めて作られた価値を証明されるのです。
だから消費こそが最重要なのです。
更に何を消費すべきか?という問題があります。
農薬まみれの野菜と無農薬の野菜とではどちらを食べるべきか?という選択です。
より多く消費された物が再生産されるワケであり消費者が何を買うかで社会も変わります。
労働者は消費者がよく買うものを生産するのです。
労働者が賃上げを勝ち取っても悪い商品しか作っていなかったら悪い商品を買わざるを得ません。
消費者主導でいいものを作るように経済をコントロールすれば全ての人が幸せになれるでしょう。
生活協同組合こそが雇用を確保する最大の経済組織になるでしょう。
生活協同組合は消費者に最も近い所にある事業体でありその事は取りも直さず貴方がおっしゃるように労働者と最も近い所にある事業体であるからだ。

08. 2010年3月20日 07:37:40
地には平和をさん。
半兵衛だす。
すばらすいご説をご披露いただき、おったまげてるとこだす。

まあめちゃくちゃな論理だすな。
まずもって驚くのは、労働者は生産物を生産をし、かつ消費する存在であるなんて、誰でも認識すてる「常識」があんたはんにはねえようだなす。

資本主義社会における生産と消費がどのような関係にあるのか、そすて、労働者はいかにこの関係に媒介するのか?

>労働者というのは商品を作るという存在に過ぎません。
自分の作った商品を「消費する」存在でもあるんではねえのがな?

>商品を作っても売れなければ何の意味もありません。
労働をドブに捨てたのと同じ事です。

こだらとこで労働者に責任なすりつけてはいけましぇん。トヨタのリコール=バッシングを見なしぇえ。生産物たる「商品」は資本家が労働者を搾取すて所有すてすまってる。売れないのは資本家に責任があるんではありませんか?

>商品は消費された時に初めて作られた価値を証明されるのです。
だから消費こそが最重要なのです。
トヨタのプリウスはお金持ちしか買えない。んだからお金持ちが買った、つまり消費したときに「初めて作られた価値を証明」するわけだ。んだからすて、お金持ちが消費することは重要なのです。これじゃあお金持ち(資本家だと思い込むプチブルだと思うけど)の存在を肯定することになり、お金持ちのために労働者は労働力を売る。これじゃあいつまでたっても「経済」が変革されることはないでしょう。革命なんぞ起きるわけがありませんね。そのために「経済をコントロールすれば全ての人が幸せになれるでしょう。」ときたもんだ。

この論理でいけば、あんたはんのおっしゃる原発反対もどだらなもんか?
電気独占体は原発を稼動させて電力を消費者に売っている。原発の現場は労働者が放射能汚染の危険に晒されながら労働してる。原発は現に稼動すてる。資本家は「電気」を売ってる。ここの「労働者というのは商品を作るという存在に過ぎません」(が、作った電気を自宅で使用してるんではねのかいな)。

だが、原発の「商品(電力のこと・・・半兵衛)を作っても売れなければ何の意味もありません。労働をドブに捨てたのと同じ事です。商品は消費された時に初めて作られた価値を証明されるのです。だから消費こそが最重要なのです。」ということになる。つまり、貴殿の論理によると、現実に原発で発生した電気が消費者に消費されているのだから価値を証明してることになる。したがって原発で発生した電力は「より多く消費された物」であって「再生産されるワケであり」原発は肯定される。

やっぱり資本家の論理ですだ。


09. 2010年3月20日 09:22:36
>労働者というのは商品を作るという存在に過ぎません。

こういうことをほざいている馬鹿が
消費生活協同組合に勤務してるとは・・・(笑)

4トロから逃げ出して阿修羅で破壊工作を続けてきたワヤクチャは
「消費生活」をエンジョイしている「非・労働者」の犬だと自覚してる
わけか。(笑)


10. 地には平和を 2010年3月20日 11:26:31: inzCOfyMQ6IpM
労働者というのは商品を作るという行為をしている部分だけを取り上げて人間を論じているのです。この部分を最優先に考えるのではなく消費をしているという部分を最優先に考えるべきだと申し上げているのです。その中には安全な食べ物から始まって安全な生活、安全な環境を求める権利を最優先に考えるという事が含まれるのです。労働者の側面を優先して考えてしまうと生活の為に人間にとって必ずしも好ましくない商品も作るという事が免罪されてしまうので問題が生じてくるのです。人間の行為の中で商品生産をするという部分を取りわけ価値あるものとして取り上げるという所にマルクス主義なるものの誤謬があるのです。安心して暮らせる社会を作るという事が最優先されなければならないのです。労働者階級の権力なるものがそのような社会を約束するかというと否です。労働者階級の権力という名の官僚独裁やひどい時には北朝鮮のような個人独裁が生まれてしまうのです。それを防止する論理はこれまでのマルクス主義の中にはありません。革マル派の中にもありません。党派闘争に暴力を持ち込んだ時点で無くなったと言うべきなのです。

11. 地には平和を 2010年3月20日 11:53:08: inzCOfyMQ6IpM
原発に反対する論理はどこから生まれてくるか?
安全に暮らしたいという気持ちから生まれてくるのです。
それはよりよき生活を求める気持ちから生まれてくるのでありそれこそが生活協同組合の中心の理念なのです。
生協では組合員の中から原発に反対する意見が自然に生じてくるのです。
生協とはそういう場なのです。
労働組合の中ではそれは自然には出てきません。
労働組合の課題は労働者の労働条件の改善だからです。
様々な政治課題に取り組む労働組合もありますがそれは組合の幹部の中にそのような政治思想を持つ人間がたまたまいる為に偶然行われる事であり自然発生的ではなく意識的な行為としてあるのです。
組織の基本が原発に反対するように最初から設定されているのかどうかという事は非常に大きな違いです。
消費者主導の社会を作るという事はよりよき商品を作るという事を社会に強制す事であり労働者もこの消費者の意見を受けてよりよき商品を作るという労働にシフトするように活動すべきなのです。
現状の生協に資本主義的要素がある事は確かにその通りです。
しかし、他に未来を託せる組織は無いのです。
生協の中からよりよきものを生み出していくしか無いのです。
そしてそれはできると考えております。
全ての組合員が経営に参加できるという原則が生協にはあるからです。
総会でどのような意見を言ってもいいのです。
生協は最も民主的に運営されている事業体なのです。
理事の報酬が高過ぎると思うのであればその意見を言うのも自由です。
労働組合を作ってもいいです。
私はむしろ生協の労働組合にこそ期待しますけどね。
消費者の立場も充分に分かった上での労働組合になるハズだからです。

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