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いつかしら騙された私や貴方がだます側になっていた! 医学の嘘が蔓延してしまった世界において「国賊」は語る
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/314.html
投稿者 寅蔵 日時 2010 年 8 月 01 日 08:08:02: 8X/teMCB5Xc.E
 

世界の医学界において「国賊」「非国民」は語る・・・
 嘘にだまされ、嘘をつく側にまわって、最後には「みんながだまされていた」と責任を他者にあずけるのかな?


「現代医学はこの先とんでもない壁に突き当たり、崩壊せざるを得ないだろう」
と昭和初期に書いてあったO氏の論文がありましたが、その後日本の国会でも一部の医学者が同じ様な証言記録を残していました。(どちらも記事投稿済み)

そして現在に至っていますが、その様な警告警鐘はもちろん無視され続けてきました。むしろそれは異常な論として嘘つき話し(トンデモ論)にされてきたわけです。

それは医学界においては「非国民」扱いでした。戦争時に使われた「非国民」という言葉。それは今の時代に実際に使われているわけではありませんが、実質上、言葉を換えて非難攻撃の的に使用されて来ましたし、今でもされています。

先の敗戦後に日本国民はどうしたのでしょうか?
「私たちはだまされていた」(軍部や新聞に)
と言ったのではないでしょうか?

では、「皆がだまされていた時代」においてその「非国民」はだれから一番非難されたのかを思い出してもらいたいのです。
それが今現在の自分の立場を知るよい教訓になるはずです。

たとえば
ーーーーーーーーーーーーー
現代医学は間違っている、少なくとも9割は不必要なものだ。
薬で病気は治らない。 それどころか薬が病気を造っている。
ワクチンは効かない、 それどころかワクチンが感染症を増やしていた。
あの天然痘でさえも医学の功績ではなかった。
統計の取り方で操作された。実質はほとんどの世界的感染症は自然に大流行して自然に終息しただけだった。
現代医学では慢性病は治せない事が既にアメリカの上院調査(マクガバン・レポート)で示されていたので、そこで医学の進歩は終わっていたのだ。
日本の国会で40年前に「今の医学の基礎が間違っている。このまま進んでも癌も他の病気も増え続けるだけだろう」と証言されていた。
その根拠となる証明実験を厚生行政賊は拒んでいた。
ガン治療こそ癌死亡を増やす元凶だった。
まだまだ続く・・・・・・・・のだが。
ーーーーーーーーーーー

こんな事を書いたり、言ったりするとどうなるだろうか?

「頭おかしいんじゃない」「精神病院紹介しようかね?」「馬鹿なこといってんじゃねえよ!非国民め」

最後にあえて出した「非国民」という言葉。これがキーワードにもなりますが、嘘をつくものと嘘をつかれる側の混沌状態で、いつの間にか嘘をつく側の勢力が巨大化して全員嘘つきになってしまった社会で、もしも、本当の事を言ったとしたら・・・・

「非国民」として血祭りに上げられます。


それをしたのは誰だったのか?

日本(日本ばかりではないが)の戦争前後に起きた事を参考に今の医学に当てはめてみるとピッタリなのです。
(もっとも洗脳された頭脳には非国民の話として理解不能でしょうが)


長い間、世界中がだまし、だまされ、だましあっていた。
医学という最初のだましの源泉はどこにあったのか?
もはや、だましの黒幕が誰であるかなどと追求しても永久に解決できないところに来てしまった。

製薬企業か?絡んでいる政治家か?嘘の報道を繰り返すメディア産業か?データの捏造などで学者か?国の政策を推進する官僚か?

どれをとってみても、もはや一極に収束には当たらないだろう。

むしろ、そういうものではないのかも知れない。

本当の極悪はわたしやあなたにあるのかも知れない。


それは無知と盲従する奴隷根性と寄らば大樹の陰で批判精神を失った家畜の様なにんげんだとしたら。

自分たちがそういうものを共同して創りあげたとしたら。

攻撃する相手はけっきょく自分に戻ってくる。

なんと皮肉な世界ではないか。嘘をつく側と嘘をつかれる側の区別は既に混沌として、気がついたら自分が嘘をつく側になっていたとは!!


いつかしら騙された私や貴方がだます側になっていた!
医学の嘘が蔓延してしまった世界において。

千早氏の投稿記事にあったリンクを読んで書いてみたものです。

(最下段に参考HPリンク有り)


TITLE:戦争責任者の問題│伊丹万作
DATE:2010/08/01
URL:http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/itami_mansaku.html

ーーーーーーーーーー以下一部引用ーーーーーーー全文はリンク先にあり

戦争責任者の問題
伊丹万作


   (前略)

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。
私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。

ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。


たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。
上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。

すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。


 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。

しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。

 たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、

◎むしろ国民自身だつたのである。


私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、

◎親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れられない。


もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。

そしてたまたま服装をその本来に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、

◎自分の立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。

 少なくとも戦争の期間をつうじて、
だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、

だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、

直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、

◎あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。


 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。
そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、

◎ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、

等しく承認されるにちがいないと思う。

 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として

◎自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。


 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。

「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。

たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。


 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、

◎一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。

 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。

 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。


 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最小限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。

 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。


 だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。


●だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、

●「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」
ことを主張したいのである。

だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からもくるのである。


我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。
これは明らかに
●知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。

つまり、●だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。

 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪の観念の交叉する余地はないはずである。しかし、有機的生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に意志や感情をコンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得るゆえんである。

 また、もう一つの別の見方から考えると、

●いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたらとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
 つまり

●だますものだけでは戦争は起らない。

●●だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らない

ということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。


 そしてだまされたものの罪は、◎ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、


●◎あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

 このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。

 そして、このことはまた、同時に

●あのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の●奴隷根性とも密接につながるものである。


 それは少なくとも個人の尊厳の冒涜(ぼうとく)、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。

 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。

しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、

●彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。


「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、

一切の責任から解放された気でいる多くの人人の安易きわまる態度を見るとき、

私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

●◎「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。

いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。

 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。


この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、
それ以上に現在の日本に必要なことは、

まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、

だまされるような脆弱(ぜいじやく)な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。


後略
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

TITLE:戦争責任者の問題│伊丹万作
DATE:2010/08/01
URL:http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/itami_mansaku.html

参考になるかも知れないHP
http://hon42.com/index.html
http://www12.plala.or.jp/kusuri/index.html
http://lviolet.exblog.jp/
http://homepage3.nifty.com/sparrows/index.html
http://homepage3.nifty.com/himaari/
http://blogs.yahoo.co.jp/kebichan55


 

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コメント
 
01. 2010年8月01日 08:28:29: yEAiAgD0RM
あの薬によって私は害を受けた。だまされていた。
と言って、またその治療のための薬を飲んでいるひと・・・

いちど騙されたらまた何度も騙され続ける、死ぬまで。
いや、死んでもわからないとまた生まれてきてから騙される。

人類の長い歴史は同じようなことを繰り返してきた。
嘘の伝播ゲームが親から子へ子から孫へ・・

だが、この辺で終息に近づいたようだ。それはなぜか?
オカルト版にでも出そうか・・


02. 2010年8月02日 10:01:52: Yb766EfjRw
よく言った。本当のことを言ってくれて感謝。

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