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我々日本人の底力を見せてやろう!
http://www.asyura2.com/09/jisin16/msg/474.html
投稿者 英慈 日時 2011 年 3 月 13 日 14:04:03: mSb.EeQvZ8rWI
 

などと気合の入ったタイトルを付けてしまったけど
内容はただのメール転送のお願いです。
とはいえ、これこそが震災を遠くで案ずる多くの日本人に
できることなのです。


Subject: Fw:Fw:できるだけ転送お願いします

--------------
**転送元のメール**
--------------
■お願い■

関西電力で働いている友達からのお願いなのですが、本日18時以降関東の電気の
備蓄が底をつくらしく、中部電力や関西電力からも送電を行うらしいです。

一人が少しの節電をするだけで、関東の方の携帯が充電を出来て情報を得たり、
病院にいる方が医療機器を使えるようになり救われます!

こんなことくらいしか関西に住む僕たちには、祈る以外の行動として出来ないで
す!

このメールをできるだけ多くの方に送信をお願い致します!
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 英慈 2011年3月13日 14:14:42: mSb.EeQvZ8rWI : huru34Cdeo
上記記事を投稿した直後に「これはチェーンメールなので拡散しないように」
というメールがきました。
すぐに記事を削除しようとも思いましたが、ちょっとまてよ自分の頭で考えてみよう。
「チェーンメールの悪影響」という言葉で検索したところ、悪影響としては
メールサーバーへの過負荷という一点でした。
ならば阿修羅でOK?ということで一応残しておきます。
内容事体は納得できるし、これを実行することで我々の知らない第3者が
利益を得るということも無さそうです。僕の頭ではここまでしかわかりません。
もし裏が読める方がいらしたら教えてください。

02. 英慈 2011年3月13日 14:36:53: mSb.EeQvZ8rWI : huru34Cdeo
こんな記事もあった。(自己弁護みたいで恥ずかしい限りだが......)

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1103/12/news007.html

東京電力、節電呼びかけ 「極めて厳しい電気の需給状況」
東北地方太平洋沖地震の影響で電気の供給能力が不足するおそれがあるため、東京電力は、不要な照明や電気機器の使用を控えるなど節電を呼びかけている。


03. 2011年3月13日 15:21:38: 9gCSQcWbXk
フェラーリ乗り回し、六本木ヒルズで電気を使いまくっている電通マスゴミなど悪徳在日企業が
ホームレス生活を味あって改心するまでは、電力を援助すべきではない。

04. 2011年3月13日 16:02:14: rFQAz0RaSE

東日本大震災:深刻な被害、次々と 各地で懸命の救助「無事でいて」祈る人々 /宮城

 東日本大震災から一夜明けた12日、東北地方の太平洋沿岸を中心に深刻な被害実態が明らかになってきた。死者が相次いで確認された一方、各地で懸命な救助作業も続けられている。家族・知人と連絡がつかない人も多く「なんとか無事でいて」。祈りをこめた思いが被災地を包んでいる。

 【塩釜市】地震発生時、記者(渡辺豊)はたまたま塩釜汽船に乗っていた。浦戸中学校の卒業式を取材した帰りだった。塩釜港に着く直前、船が奇妙に縦揺れを始め、海面には豪雨にたたかれたような泡が湧いた。中学生をはじめ約30人の乗客から悲鳴が起きた。

 船は数分停止した後に着岸。慌ただしく上陸し「マリンゲート塩釜」3階のレストランに、乗客や住民らとともに避難した。

 約1時間後。「水位と潮の流れが変わったな」と思ってから感覚的には数秒のうちに、猛烈な津波が仙台塩釜港を襲った。瞬く間に津波は岸壁を越え、防潮堤を越え、マリンゲート周辺の駐車場や同市中心街に侵入した。大洪水のように海と陸の区別がなくなり、波はどんどん厚みを増して数百台の車を自在に流し、観光船を乗り上げさせ、廃屋をなぎ倒した。そのエネルギーのすさまじさに背筋が寒くなった。

 約15分後には波が引き始めた。家具や樹木、段ボール箱などが流されていく。車が沖に流されるのも目撃した。恐ろしい、という感覚しか浮かび上がらない。

 一夜明けた12日、塩釜市の海辺に広がる中心街は泥水とがれきの街と化してしまった。海から約300メートルほどのJR仙石線本塩釜駅周辺はスクラップ工場のように車が散乱し、大型ショッピングセンターでは入り口の扉を破って車が突っ込んでいた。歩道は液状化のため各所で敷石がめくり上がり、倒壊したり壁に亀裂の入った建物が散在していた。

 【仙台市若林区】名取川河口に近い二木(ふたぎ)地区は泥海そのものだった。津波に流された車が多数、泥海の中に埋まっていた。

 「泥海の中に車から放り出された人が埋まっているかもしれない」。車の陸送会社を営む大内久雄さん(62)は「二木より名取川河口部にある同区藤塚地区は90戸のうち残っているのは2戸と聞いた。隣の種次(たなつぎ)も同様だ。避難するより早く津波にのまれた車が何台もいる可能性がある」と話した。

 二木地区では自衛隊仙台駐屯地の特化部隊、県警機動隊とともに若林区消防団六郷分団などが泥海の中を捜索。分団員の佐藤孝則さん(46)は「名取川にかかる閖上大橋で地震直後に大型トラックが立ち往生し、長い渋滞の車列ができたところに津波が押し寄せた。人が乗っていた車が流された不安が強い」と話した。

 泥海は深さ1メートル前後あり、12日午後4時現在、人の姿は発見されていない。

 自宅が泥海につかったという50代主婦は「90歳のおばあちゃんが一人で留守番していて行方不明になった。地震当日は自宅で戻れる状態ではなく、今日再び見に来た」。

 【岩沼市】仙台空港に通じるアクセス道路は泥にまみれていた。津波のエネルギーに根こそぎ倒された直径40センチほどもある防風林が横たわっていた。中央分離帯に流された車が乗り上げ、プレハブ事務所が片側2車線の道路を封鎖していた。

 「助かっただけでも喜ばなければ」。間一髪で津波を逃れた自営業男性(41)が言った。男性はエンジンをかけた車のバックミラーに水しぶきが映るのを見た。防風林が一緒に流されていた。津波だった。「思い切りアクセルを踏んだ。映画の中にいるようだった。死ぬかと思った」

 津波が襲う直前に猛スピードで海岸方向に向かう車を何台か見たという。「ピストン輸送で避難させようとしていたと思う。でも津波から逃げられたのは私が最後」と顔をしかめた。

 仙台空港に隣接する航空大学校仙台分校では学生らが屋上に避難、岩沼消防団などのボートで救出された。同校非常勤職員の郡山奈々さん(23)は「大津波警報で2階に上がったが、津波はあっというまに地面をのみ込んでいった。怖かったけど、仲間がいたので心強かった」。

 【気仙沼市】高台から湾を望む美しい町並みは見る影もなく一面焼け野原と化した。家々は津波に流され、燃え朽ち、黒焦げの車が山積みになっていた。

 夜通しの消火活動で12日朝に火はほぼ消し止められたが、津波が引いた後の道は泥でぬかり、ゴミや木材、畳やタンスなどが散乱する。

    ×

 宮城県警は行方不明者に関する電話相談窓口を開設した。番号は022・221・2000。【高橋宗男、渡辺豊、小原博人、鈴木一也】

毎日新聞 2011年3月13日 地方版

http://mainichi.jp/area/miyagi/news/20110313ddlk04040008000c.html


05. 2011年3月13日 16:04:07: rFQAz0RaSE

東日本大震災:「街なくなった」 政府調査団…絶句−−陸前高田 /岩手

 東日本大震災から一夜明けた12日、東北地方の太平洋沿岸を中心に深刻な被害実態が明らかになってきた。死者が相次いで確認された一方、各地で懸命な救助作業も続けられている。家族・知人と連絡がつかない人も多く「なんとか無事でいて」。祈りをこめた思いが被災地を包んでいる。

 【盛岡市】約150人が避難した若園町の城南小学校では12日になって一時帰宅する人が増えた一方、水や食糧、ライフラインの復旧情報などを求めて訪れる人が相次いだ。

 山王町の橋場理子さん(39)は「停電でマンションでは水道が使えない。持ち出せた食事もわずか」と顔を曇らせた。東京都葛飾区から同市の実家に帰省中の主婦(39)は公衆電話で連絡を取ろうと長女(2)と訪問。「主人に連絡がつかない。早く無事を伝えたい」。しかし、対応していた市職員にもライフラインの復旧見込みなどの情報は入らず「私たちもラジオが頼りだ」と嘆いた。

 JR盛岡駅は12日朝も運行再開のめどが立たず、再開を待って一夜を過ごした人々が一層疲れた様子を見せていた。

 12日は大学入試もあり、受験生らが情報を求めて早朝から駅に集まった。津波被害のあった久慈市の高校3年、工藤一輝さん(18)は今朝ようやく家族と携帯電話のメールが通じ、無事を確認したといい「ほっとしました。試験がいつになるか分からないけれど、また出直します」。北海道七飯町から受験する息子の付き添いで来た佐藤則子さん(55)は「停電でオートロック扉が開かず、ホテルでもロビーで寝かされ、全然眠れなかった。これからどうなるか不安です」と話した。

 【釜石市】目抜き通りの大渡商店街では、津波に流された路線バスや乗用車などが道路をふさいだ。住民の男性はぼうぜんとした表情で「津波は3回ほど押し寄せたが、地震直後の第1波が最もひどかった。駐車中や通行中の車が波に押し流され、あっと言う間だった」。市街地を流れる甲子(かっし)川でも、多くの車が河川敷に押し上げられていた。市内のスーパーで、食料を買い求める列に並んでいた女性は「おにぎりなどご飯ものが手に入るか心配。ほかにもパンなどがあれば買いたい」と話した。

    ×

 平野達男・副内閣相を団長とする政府調査団は12日、上空から被災地を視察した。平野副内閣相は「陸前高田市の街がなくなっていることに絶句した。すさまじい大災害だ」「(大船渡市も)港湾付近の家屋がなくなっていた」などと語った。県庁で懇談した達増拓也知事からは▽ガソリンなど燃料の確保と電力の早期復旧▽生活必需品や医療品などの調達▽安否確認のための人員確保−−などの要望を受け「食料や暖房など緊急に必要なものは早急に対処するよう官邸や総務省に電話で伝えた」と話した。【鬼山親芳、山中章子、山口圭一、湯浅聖一】

http://mainichi.jp/area/iwate/news/20110313ddlk03040004000c.html


06. 2011年3月13日 16:06:49: rFQAz0RaSE

東日本大震災:県内3人死亡 不明2人、負傷80人 最大2万4000人避難 /青森

 ◇練炭で暖、一酸化中毒症も

 東日本大震災から一夜明けた12日、東北地方の太平洋沿岸を中心に深刻な被害実態が明らかになってきた。死者が相次いで確認された一方、各地で懸命な救助作業も続けられている。家族・知人と連絡がつかない人も多く「なんとか無事でいて」。祈りをこめた思いが被災地を包んでいる。

 県によると、八戸市や三沢市など太平洋沿岸で津波に巻き込まれるなどして3人が死亡、2人が行方不明となった。負傷者は重傷6人を含む約80人。

 地震後に最大約2万4000人が避難し、12日午後1時現在、1万3850人が小中学校などに避難している。停電のため、練炭などで暖をとった計11人が一酸化炭素中毒症状を訴え、病院で手当てを受けた。

 県教委は県立高校後期入試の日程(15日)を17日に変更すると発表した。今回の地震を受けた措置。合格発表は20日。

 また、14日正午締め切りとしていた願書の受け付けについて、期限に間に合わない場合は、出願先の学校に連絡をすれば柔軟な対応を取るという。

 【八戸市】「最新の魚市場がめちゃくちゃになるなど、大変な津波だったと実感した」。12日、八戸港などを視察した三村申吾知事はショックを受けた様子だった。市沿岸部は津波に襲われ、見慣れたハマの景色を一変させた。八戸港の岸壁では大型のイカ釣り漁船が腹を見せていた。潮に流されたがれきは岸壁の魚市場や建物に次々衝突した。

 八戸港内では11日、市立中居林小(金沢定光校長)5年生と教職員計52人が地球深部探査船「ちきゅう」に乗船中に被災。津波を避けるため、約400メートル沖合に移動し、一夜を過ごした。12日午後、海上自衛隊ヘリコプターに救助され、八戸航空基地まで運ばれた。佐藤晶那さん(11)は「船が細かく揺れて泣き出す女の子もいた。怖かったけれど、船長に『船の上は地上より安心』と言われて落ち着いた」と話した。市教委は14日を臨時休校し、児童らについては自宅待機とする。

 市の観光情報交流施設「はっち」には情報を得るために大勢の市民が訪れた。市内では約70カ所の小中学校などに避難所が設置されたが、電気などライフラインの止まった自宅で一夜を過ごした市民も少なくなかった。

 大学講師の島守光雄さん(82)は「自宅のマンションで毛布にくるまって早めに床についたが、電気は結局朝まで復旧しなかった。暖房器具は電気ストーブしかなかったので、本当に寒かった」。パート従業員の中道澄絵さん(35)も自宅で子ども3人と不安な一夜を明かした。地震発生時はパートからの帰途で学校も終わる時間帯だったという。「長男(12)が携帯電話をかけても出ないなど、子どもたちの顔を見るまでとても不安でした。昨日はすぐ避難できるように服を着たまま子どもとかたまって寝ました」と話した。

 【弘前市】『12日に入学試験後期日程を実施予定だった弘前大学は延期を決めた。キャンパスは受験生が集まっていたが、午前7時半過ぎ、大学職員が延期を告げた。札幌市から来た大塚弘之さん(19)は「昨夜は弘前市内のホテルに泊まった。電車は止まって帰れないし、どうしたらいいのか」と困惑していた。【矢澤秀範、塚本弘毅、松沢康、三股智子】

 ◇津波でバスや車流れる−−岩手・釜石

 ■岩手県

 【盛岡市】約150人が避難した若園町の城南小学校では12日になって一時帰宅する人が増えた一方、水や食料、ライフラインの復旧情報などを求めて訪れる人が相次いだ。

 山王町の橋場理子さん(39)は「停電でマンションでは水道が使えない。持ち出せた食事もわずか」と顔を曇らせた。東京都葛飾区から同市の実家に帰省中の主婦(39)は公衆電話で連絡を取ろうと長女(2)と訪問。「主人に連絡がつかない。早く無事を伝えたい」。しかし、対応していた市職員にもライフラインの復旧見込みなどの情報は入らず「私たちもラジオが頼りだ」と嘆いた。

 JR盛岡駅は12日朝も運行再開のめどが立たず、再開を待って一夜を過ごした人々が一層疲れた様子を見せていた。

 12日は大学入試もあり、受験生らが情報を求めて早朝から駅に集まった。津波被害のあった久慈市の高校3年、工藤一輝さん(18)は今朝ようやく家族と携帯電話のメールが通じ、無事を確認したといい「ほっとしました。試験がいつになるか分からないけれど、また出直します」と話した。

 【釜石市】目抜き通りの大渡商店街では、津波に流された路線バスや乗用車などが道路をふさいだ。住民の男性はぼうぜんとした表情で「津波は3回ほど押し寄せたが、地震直後の第1波が最もひどかった。駐車中や通行中の車が波に押し流され、あっと言う間だった」。市街地を流れる甲子(かっし)川でも、多くの車が河川敷に押し上げられていた。市内のスーパーで、食料を買い求める列に並んでいた女性は「おにぎりなどご飯ものが手に入るか心配。ほかにもパンなどがあれば買いたい」と話した。【山口圭一、湯浅聖一】

毎日新聞 2011年3月13日 地方版

http://mainichi.jp/area/aomori/news/20110313ddlk02040047000c.html


07. 2011年3月13日 16:24:05: DCABY2w2Bw
電気の備蓄?
意味わからん。
地球規模のコンデンサーを開発したのかな?

ガキが出てくるんじゃねー!


08. 2011年3月13日 17:38:02: kAUcNTBBPY

【社説】不屈の日本

2011年 3月 13日 13:37 JST


11日に日本を直撃したような規模の地震からは、どの国も無傷ではいられない。地震では少なくとも1000人が死亡した。その被害にもかかわらず、1億2600万人の人口を抱えるこの島国が、1900年以降で5番目の規模の大地震にいかに適切に対応しているかは、注目すべきことである。三陸沖を震源地とするマグニチュード(M)8.9の地震では高さ約10メートルの津波が発生し、津波は53カ国にも押し寄せた。

-----------------------
Associated Press

東京消防庁の隊員
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 この巨大地震にもかかわらず、日本人が母なる大地からのこの猛威を切り抜けるために比較的よく準備ができていたことについては言及せざるを得ない。日本は文字通り、立ち上がっている。いかにすれば、人間の計画と産業社会が自然災害に対処できるかの証として。

 年間数百回の地下振動を経験する国である日本は、1891年のM8.4の地震以来、耐震に配慮した建物を作ってきた。1965年まで建物の高さは30メートル程度までに制限された。しかし都市人口の増加に伴い、この建物の高さ制限は撤廃された。日本の木造住宅は沿岸地域では津波に脆弱だったが、高いビルは今回の地震では持ちこたえたようだ。

 1993年に完成した横浜ランドマークタワーの高さは約300メートル。地震国日本では驚異的な高さだ。最先端の建築工学を駆使できる技術と富を投入できて初めて、このような高層ビルの建設が可能になった。

 07年10月には緊急地震速報が導入された。この世界最先端の地震早期警戒システムは11日の地震の際にも、テレビ、ラジオ、携帯電話などで都民に警報を出したことで評価を高めた。この警報により、地震が起きる前に工場やエネルギー施設、輸送機関などには操業を停止する余裕が生まれる。最大の懸念事は、今回の地震で自動停止した原発の炉心を冷却する能力だ。米国は冷却剤を送っている。

 日本は現在、大規模な復旧に直面している。しかし、それは過去300年で最大の地震の後に必要になるかもしれなかった程度よりも、軽度なものだ。われわれは、日本に似たような警戒システムが他の地震国でも開発、導入されることを期待する。

 日本の準備態勢は昨年のハイチ地震や、7万人が死亡した08年の中国四川大地震などとは対照的だ。ハイチは何十年も続いた失政による貧困のせいだとしている。中国は富はあるが、その政府は誰からも責任を問われない。95年の阪神大地震以来、日本は度重なる改革を行ってきた。

 日本は最近、マスコミなどでは評判が悪い。経済成長は低迷し、政治家の失政に、大部分が生産的な国民は当惑している。しかし、間違いなく日本は依然として産業大国だ。11日の地震の壊滅的な影響にもかかわらず、近代国家としての日本の業績がもたらす自国を守るという恩恵は指摘せずにはいられない。


http://jp.wsj.com/Japan/node_196990


09. 2011年3月13日 17:38:43: D6XmGU3ckk
日本に住んでいるのは、日本人だけでは、ないのだぞ!

あらゆる民族、人種を超えて、協力し救助すべきだ。

 私の親戚には、中国人の配偶者との、子供のハーフもいるのだぞ。

私から見れば、姪、甥になる!

 困ったときは、お互い様なのだ!

今は、すべての被災者を助けるべきなのだ。

 日本人、外国人の旅行者たちもいる。

もし、被災者が、外国人の、赤ちゃんなら、見捨てるのかいな?

 井戸に落ちそうな子供を救うには、国籍・民族など、関係ない!

すべからく、救うのだ!


10. 2011年3月13日 17:42:29: kAUcNTBBPY

台湾が援助金と援助隊の派遣表明 東日本大震災

産経新聞 3月12日(土)19時28分配信

 【台北=山本勲】台湾外交部は馬英九総統が12日午前、訪台中の海部俊樹元首相に緊急電話し、「東日本大地震の緊急援助金として1億台湾元(2億8000万円)を贈ると同時に、重大災害に哀悼と慰問の意を表明した」と発表した。また馬英九総統は同日午前の市内行事の冒頭で「日本政府の要請に応じ早急に救援隊を派遣する」と表明した。

 外交部は11日、30万米ドル(約2500万円)の対日援助を発表したが、被害拡大により馬総統の指示で翌日、1億元に引き上げた。同総統は12日の演説で「日本が1999年9月の台湾中部大地震や一昨年8月の南部台風災害で台湾を支援してくれた」ことに触れ、「われわれも同様に積極支援する」と語った。

 また中部大地震救済・復旧の陣頭指揮をした李登輝元総統は11日夜、インターネットを通じ日本国民に哀悼と励ましのメッセージを発表した。「台湾で起きた大地震を思い出し、現在の日本の皆様の不安や焦り、悲しみなどを思い、刃物で切り裂かれるような心の痛みを感じています」「自信、勇気を奮い起こしてください!」などと述べている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110312-00000769-san-int


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