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ドーム球場・Wikipedia(札幌・東京・福岡・名古屋・大阪・西武の各球場は、被災者受け入れを申し出るべきです)
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投稿者 小沢内閣待望論 日時 2011 年 3 月 13 日 18:06:44: 4sIKljvd9SgGs
 

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ドーム球場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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ドーム球場(ドームきゅうじょう、Domed stadium)は、ドーム状の屋根を備えた球技用スタジアム。日本ではドーム屋根を備えた野球場をさすことが多い。


2009年現在、最も新しいドーム球場である札幌ドーム目次
1 アメリカ
1.1 歴史
1.2 MLB本拠地球場
1.3 フットボール専用球場
2 日本
2.1 歴史
2.2 NPB本拠地球場
2.3 その他のドーム球場
2.4 ドーム球場の特別ルール
3 他の国のドーム球場
4 コンサート会場としてのドーム球場
5 幻のドーム球場計画
6 ドーム球場での試合中止事例
7 脚注欄

[編集] アメリカ
[編集] 歴史

「世界初のドーム球場」アストロドーム
開閉式屋根を備えたボールパーク ミラー・パークアメリカ合衆国では、1965年に大リーグ・ヒューストン・アストロズの本拠地として世界初の全天候型屋根付き球場アストロドームがオープンした。屋根付き球場建設の理由は、夏の暑さや蚊の大量発生から球場内を守り、快適な環境を確保するためだった。当時は「スタジアムに屋根を付ける」という発想そのものがあまりなかったので、アストロドームは「世界8番目の不思議」と呼ばれた。当初は屋外球場と同じ環境でプレーできるようにと太陽光を透過するアクリル屋根を設置したが、光が選手の目に入りプレーに支障をきたすことから、すぐに太陽光を通さない屋根へと張り直した。この際、建設時から育てていた天然芝が光を遮られたことで生育がストップして枯れてしまったため、世界初の繊維による人工芝「アストロターフ」が開発された(人工芝の項参照)。

当時は野球とアメリカンフットボールの兼用が可能なスタジアムの建設が流行していた。アストロドームもまた、アメリカンフットボールとの兼用を前提に設計されており、開場した1965年の9月からヒューストン大学のホームとして使用されていた[1]。1968年からはNFLヒューストン・オイラーズ(現テネシー・タイタンズ)も本拠地として使用するようになった(ヒューストン大学は1997年まで、オイラーズは1996年まで使用)。これ以降、大リーグ本拠地のドーム球場として建設されたキングドーム、メトロドーム、ロジャース・センター(旧スカイドーム、カナダ・トロント)は、いずれもアストロドームと同じく野球とアメフト(又はカナディアンフットボール)の兼用となった。1990年にフロリダ州セントピーターズバーグに完成したフロリダ・サンコースト・ドーム(現トロピカーナ・フィールド)は、大リーグ球団の誘致を目的として作られた「フットボールとの兼用ではない」ドーム球場である(ただし、アリーナフットボールの会場としては使用されている)。しかしながら、この球場は、1998年にタンパベイ・デビルレイズ(現レイズ)が参入するまで、大リーグのフランチャイズとして使用されることはなかった。

モントリオールオリンピックスタジアムは開場から11年後の1987年に収納が可能な吊り下げ方式の膜状屋根が追加され、ドーム球場となった。なお、オリンピックスタジアムもまた、カナディアンフットボールとの兼用球場である。1989年に完成したスカイドームはスライド式に屋根が開閉するドーム球場である。

しかし1992年開場の露天野球場であるオリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズがファンの絶大な支持を集めてからは、人工芝での選手の故障の多さが指摘されるようになったほか、青空の下、天然芝のグラウンドでの野球観戦を望む観客の意向が汲まれるようになり、原点回帰ということで野球専用のスタジアム「ボールパーク」化が推進されている。ボールパークは「野球専用」「天然芝のフィールド」「観衆と選手の親近感、一体感を重視」「第二次世界大戦前の古い球場や工場などを思わせるスタンドとその周囲をレンガ外壁の建物で囲むモダンクラシック」他を特徴としている。球場名も従来の「ドーム」「スタジアム」から「パーク」「フィールド」を称するものが増えた。

ボールパーク化に伴い、ドーム状屋根に代わり開放時の屋根がフィールドを覆わないように配慮されたルーフ状の開閉式屋根を持つボールパークが建設されるようになった。キングドームに代わるセーフコ・フィールド、アストロドームに代わるミニッツメイド・パーク、チェイス・フィールド、ミラー・パークが完成した(これらはドーム球場(ドーム状屋根をもつ球場)にあたらないので「屋内球場」「屋根付球場」「全天候型球場」「開閉式屋根付きボールパーク」等と呼ぶのが適切)。 ロジャース・センター以降、大リーグ本拠地にてドーム球場(ドーム屋根をもつ球場)は建設されていない。またメトロドーム後継には屋根の無いボールパークとしてターゲット・フィールドが2010年に新設される予定である。トロピカーナ・フィールドについても、露天野球場への移転が計画されている[2]。

[編集] MLB本拠地球場

世界初の開閉式ドーム球場、ロジャース・センター(スカイドーム)密閉式ドーム球場
トロピカーナ・フィールド(フロリダ州セントピーターズバーグ、タンパベイ・レイズの本拠地)
開閉式ドーム球場
ロジャース・センター(カナダオンタリオ州トロント、トロント・ブルージェイズの本拠地)
開閉式屋根を備えたボールパーク
チェイス・フィールド(アリゾナ州フェニックス、アリゾナ・ダイヤモンドバックスの本拠地)
セーフコ・フィールド(ワシントン州シアトル、シアトル・マリナーズの本拠地)
ミニッツ・メイド・パーク(テキサス州ヒューストン、ヒューストン・アストロズの本拠地)
ミラー・パーク(ウィスコンシン州ミルウォーキー、ミルウォーキー・ブルワーズの本拠地)
ドルフィンズ・スタジアムに代わるフロリダ・マーリンズの本拠地として、開閉式屋根を持つボールパークが、2012年の開場を目標に計画されている。

[編集] フットボール専用球場
アメフトのシーズンは9月から翌1月までであるため、アメフト専用のスタジアムでも、暑さや寒さを防ぐためにルイジアナ・スーパードーム等のドーム球場が続々と完成した(スーパードームでは後にマイナーリーグの試合も開催されている)。また、カナダにおいても、フットボール専用球場であるBCプレイス・スタジアムが建設されている。

野球ではいわゆる「ボールパーク」が主流になり、ドーム球場は減少傾向にあるが、フットボール専用球場としてのドーム球場は90年以降も建てられ続けている。

キャリアー・ドーム(ニューヨーク州シラキュース、シラキュース大学の本拠地)
ルイジアナ・スーパードーム(ルイジアナ州ニューオーリンズ、ニューオーリンズ・セインツの本拠地)
ポンティアック・シルバードーム(ミシガン州ポンティアック、デトロイト・ライオンズの旧本拠地)
RCAドーム(インディアナ州インディアナポリス、インディアナポリス・コルツの旧本拠地)
ジョージア・ドーム(ジョージア州アトランタ、アトランタ・ファルコンズの本拠地)
アラモドーム(テキサス州サンアントニオ、ニューオーリンズ・セインツが一時的に使用)
エドワード・ジョーンズ・ドーム(ミズーリ州セントルイス、セントルイス・ラムズの本拠地)
ユニバーシティ・オブ・フェニックス・スタジアム(アリゾナ州グレンデール、アリゾナ・カージナルスの本拠地、開閉式)
カウボーイズ・スタジアム(テキサス州アーリントン、ダラス・カウボーイズの本拠地、開閉式)
なお、アラモドームは、「ドーム」を名乗っているものの、ドーム型の屋根ではない。

[編集] 日本
[編集] 歴史

「日本初のドーム球場」東京ドーム日本では1988年、東京ドームが国内初のドーム球場として竣工した。前述のメトロドームをモデルに設計され、同ドームと同じ空気膜構造方式(エアドーム)を採用している。屋根には二重のテフロン膜を使用して、この幕の間に常時空気を送り込み、更にドーム内の空気圧を0.3%高めて膨張させている。ドーム開きとなった同年4月の公式戦開幕日、首都圏は季節外れの豪雪となったが、ドームの中では快適な野球環境が整えられたため「早速ドーム効果が現れた」と話題になった。

これを嚆矢として日本にはドーム球場が次々と建設された。1993年に国内2番目のドーム球場として、国内初の開閉式屋根を持つ福岡ドームが、続いて1997年にナゴヤドームと大阪ドームが、1999年には既存の屋外球場をそのまま活用し、足掛け3年の工期を経て段階的に屋根を架設するという、世界でも稀な工法でドーム球場化した西武ドームが、2001年には普段屋外のオープンアリーナで養生している天然芝グラウンドを、空気圧で浮上させてドーム内に移動させる「ホバーリングステージ」と呼ばれるシステムを用いてサッカー・ラグビーなどでも使用できる札幌ドームが開場した。

2008年現在は上述の計6箇所がプロ野球球団の本拠地として供用されており、セ・パ12球団のうち実に半数がドーム球場を本拠地としている。また、札幌ドームはサッカーJリーグ・コンサドーレ札幌のホームスタジアムでもある。

[編集] NPB本拠地球場

東京ドーム内部東京ドーム(東京都文京区、読売ジャイアンツの本拠地)
福岡ドーム(福岡県福岡市、福岡ソフトバンクホークスの本拠地)
大阪ドーム(大阪府大阪市、オリックス・バファローズの本拠地)
ナゴヤドーム(愛知県名古屋市、中日ドラゴンズの本拠地)
西武ドーム(埼玉県所沢市、埼玉西武ライオンズの本拠地)
札幌ドーム(北海道札幌市、北海道日本ハムファイターズの本拠地)
プロ野球球団の本拠地として使われる6箇所のうち、東京ドーム・大阪ドーム・ナゴヤドーム・福岡ドーム・札幌ドームは一般に「5大ドーム」とも呼ばれている。西武ドームもプロ野球球団の本拠地であるが、多くの場合これらには含まれない。

[編集] その他のドーム球場
NPB本拠地球場ほどの規模ではないが大館樹海ドーム(秋田県大館市)、仙台市屋内グラウンド(シェルコムせんだい、宮城県仙台市)などでも硬式野球の実施が可能である。出雲ドーム(島根県出雲市)はフィールドが狭隘で、且つ試合の実施に見合う天井高が確保されていないため、現在は硬式野球の公式戦は行われていない。

また硬式野球以外では札幌コミュニティドーム、新天城ドーム、有明コロシアム、こまつドーム、長浜ドーム、四日市ドーム、但馬ドーム、豊田スタジアム、御崎公園球技場(ホームズスタジアム神戸)、大分スポーツ公園総合競技場(大分銀行ドーム)等の施設が屋根を架設しており、これらのうち長浜を除く施設では屋根の開閉が可能となっている。但し、スライド式のルーフ状屋根を持つもの(有明コロシアム、豊田スタジアム、御崎公園球技場)はドーム球場(ドーム状屋根を持つ球場)に該当しない。

[編集] ドーム球場の特別ルール
ドーム球場で野球を行う場合に、屋根やスピーカーなどの懸垂物(屋根から垂れ下がっているもの)に打球が当たるなどの場合に、特別グラウンドルールを設定している。

東京ドーム
フェア地域、ファウル地域に関わらず打球が天井に触れた場合
ボールインプレイ(プレイ続行)となり、落下した地点または野手が触れた地点でフェアボールかファウルボールかを判定する。そのまま地面に落ちる前に野手が捕球すればフライアウトとなる。
2005年7月30日の読売ジャイアンツ対中日ドラゴンズ第12回戦では、通算350号ホームランまであと1本に迫っていた江藤智がホームラン性の当たりを放つも、天井に当たりレフトフライとなってしまい、結局この年はホームランを放つことができなかった。
松井秀喜は、2回も天井に当てながらホームランという事も経験している。
2009年9月4日の読売ジャイアンツ対東京ヤクルトスワローズ第17回戦では、2回裏に阿部慎之助が内野の天井に、9回裏に小笠原道大が右翼の天井に打球を当てたが、そのままフェアグラウンドへ落下したためヒットが記録された(それぞれ三塁安打、右前二塁適時打)。
打球が外野の上部懸垂物に当たったり挟まったりした場合
フェア地域では認定本塁打、ファウル地域ではファウルボール。
この認定本塁打を初めて打ったのはラルフ・ブライアント(元近鉄=当時)で、この後、センタースピーカーに打球を当てた選手にはスピーカーのメーカーから300万円が支払われることになっている。2008年6月7日にはフリオ・ズレータ(千葉ロッテ)が2人目の達成。
打球が天井に挟まった場合
フェア地域の場合はエンタイトルツーベース、ファウル地域の場合はファウルボールとなる。
2002年7月18日の横浜戦で松井秀喜(巨人=当時)の打球が天井に挟まり、エンタイトルツーベースと認定された。後日このボールはドーム屋根裏より取り出され、本人の直筆サイン入りで野球体育博物館に展示されている。
ナゴヤドーム
フェア地域、ファウル地域に関わらず打球が天井に触れた場合
ボールインプレイ(プレイ続行)となり、落下した地点または野手が触れた地点でフェアボールかファウルボールかを判定する。そのまま地面に落ちる前に野手が捕球すればフライアウトとなる。
打球が外野の上部懸垂物に当たったり挟まったりした場合
フェア地域では認定本塁打、ファウル地域ではファウルボール。
2009年5月7日の広島戦で、トニ・ブランコ(中日)の打球が左翼席上方の天井につり下げられたスピーカーに当たり、ナゴヤドーム初の認定本塁打となった。
打球が天井に挟まった場合
フェア地域の場合はエンタイトルツーベース、ファウル地域の場合はファウルボールとなる。
内野中央にあるスピーカー
当たった場合はボールインプレイ、挟まった場合はエンタイトルツーベースとなる。
大阪ドーム(京セラドーム大阪)
フェア地域、ファウル地域に関わらず打球が天井に触れた場合
ボールインプレイ(プレイ続行)となり、落下した地点または野手が触れた地点でフェアボールかファウルボールかを判定する。そのまま地面に落ちる前に野手が捕球すればフライアウトとなる。
移動式屋根「スーパーリング」の一番外側のリングに入った場合は認定本塁打となる。この認定ホームランを放ったのは中村紀洋(大阪近鉄=当時)一人だけ。西武のアレックス・カブレラの場合は一番外側のリング下部に当たり、打球方向が変化して左翼上段スタンドに入った。
2002年頃に梨田昌孝監督の提案で、二番目に外側のリングの内側に入っても認定本塁打にルールが変わった(中村紀洋が明らかに本塁打になるだろうと思われた打球が二番目に外側のリング内側に入って打球が落ちてきた結果ショートフライに倒れたことがあったため)。
2010年8月15日に行われた阪神タイガースvs東京ヤクルトスワローズの試合で、金本知憲の打球が天井に触れフェア地域に落ちた。本来は打球が当たった段階では上記の通りインプレーとなるが、一塁塁審の坂井遼太郎が打球が当たってすぐファールの判定をしたため、プレーが中断してしまった。その後審判員の協議の結果ファールとして試合が再開され、試合後審判団が誤審を認めた[3]。なお、その打席で金本は本塁打を放っている。
ファウルスタンド側の天井に当たった場合
直ちにボールがプレイングフィールド側に戻ってきてもファウルボールとなる。
天井や懸垂物、鉄柱に挟まった場合
フェア地域の場合はエンタイトルツーベース、ファウル地域の場合はファウルボールとなる。
札幌ドーム
外野部分の天井に触れた場合
認定本塁打となる。
他の部分の天井に打球が触れた場合
ボールインプレイ(プレイ続行)となり、落下した地点または野手が触れた地点でフェアボールかファウルボールかを判定する。そのまま地面に落ちる前に野手が捕球すればフライアウトとなる。
西武ドーム
フェア地域、ファウル地域に関わらず打球が天井に触れた場合
ボールインプレイ(プレイ続行)となり、落下した地点または野手が触れた地点でフェアボールかファウルボールかを判定する。そのまま地面に落ちる前に野手が捕球すればフライアウトとなる。
ただし、外野フェア地域の天井に当たった場合は認定本塁打となる(同球場を本拠地にする埼玉西武ライオンズのアレックス・カブレラが天井に当たる打球を連発し、本塁打を多く損したことに由来)。
天井や懸垂物、鉄柱に挟まった場合
フェア地域の場合はエンタイトルツーベース、ファウル地域の場合はファウルボールとなる。
福岡ドーム(福岡Yahoo! JAPANドーム)
フェア地域、ファウル地域に関わらず打球が天井に触れた場合
ボールインプレイ(プレイ続行)となり、落下した地点または野手が触れた地点でフェアボールかファウルボールかを判定する。そのまま地面に落ちる前に野手が捕球すればフライアウトとなる。
天井や懸垂物、鉄柱に挟まった場合
フェア地域の場合はエンタイトルツーベースとなり、打った選手に賞金500万円が支払われる。ファウル地域の場合はファウルボールとなる。
また一部では広告看板に当てたホームランの場合、その広告を協賛する企業からの賞金・商品を選手に贈呈することがある。

[編集] 他の国のドーム球場
ドーム型屋根を備えた球場としては、オランダ・アムステルダムのアムステルダム・アレナがある。また、オーストラリア・メルボルンの開閉式屋根を備えた球技場(クリケット、オージーフットボール等)であるエティハド・スタジアムや、オランダ・アーネムのヘルレドームは、ドーム状の屋根ではないが「ドーム」を名乗っている。

また、韓国京畿道安山市に韓国初のドーム球場が計画されている[4]。

[編集] コンサート会場としてのドーム球場
現在では、日本において、一線級として扱われる人気ミュージシャンが、前述のように日本の代表的なドームを巡る「ドームツアー」を実施することがある。

かつては収容人数や会場規模もそれまで最高峰とされた日本武道館を遥かに上回る規模となるこれらの公演が、現在では「ミュージシャンとしての一つの到達点(頂点)」として語られることも少なくない。

また、施設が大型で数万人単位の観客の大量動員が可能である裏返しとして、施設使用料はコンサート会場として使用される施設の中でも一際高額であり、興行イベントとして設定される損益分岐点というハードルもまた一層高いものとなる。この損益分岐点をクリアする為の有料チケット購入者数や会場内で販売される関連グッズの売上などの目標値もより高いものとなる為、関連グッズの売行き動向やファン層の購買力・購買意欲そのものを総合的に勘案する必要があり、実際にドーム球場をコンサート会場として選択する事ができるミュージシャンは限定されてくる。さらに、イベントの巨大化により、資材・機材なども施設に合わせて大型化・大量化するものが多いことなど、経費面での肥大化も考慮すれば、興行として確実に黒字に至らせる事は中々に厳しく、これが可能な者となると、もはや人気ミュージシャンの中でもさらに限定された僅かな者のみとなり、スタッフや資材・機材の移動も加え、全国規模のファン層が居なければ成立しない「ドームツアー」となれば尚更その傾向が強い。また、ミュージシャン自身には超大型会場での適応力・パフォーマンス能力も要求される事になる。この事から現在では、ドーム公演や「ドームツアー」の内容面の高評価・興行面での成功の両立は、ミュージシャンにとってはその人気と興行能力の際立った高さを芸能業界内外に誇示する大きな意味を持っている。

日本で最初のドーム球場でのコンサートは東京ドームのこけら落としとして行われたTHE ALFEEのコンサートである。ミュージシャンとして初めて5大ドームツアーを行ったのはSMAP(ソロとしては桑田佳祐)である。また、2001年6月29日にゆずは「ふたりのビッグエッグ・ショー」というバックバンドを一切置かない弾き語り形式という東京ドーム公演を成功させている。

そのほかにも日本のドーム球場で記録に残るライブとしては以下のようなものが行われている。

1988年4月11日、美空ひばりは日本人ソロ歌手かつ演歌歌手として初めて東京ドームコンサートを開催。復帰は不可能と言われた難病からの復活のためチケットは即完売し、「伝説の不死鳥コンサート」と呼ばれ、5万人の観衆を魅了した。このコンサートの後、復活アピールのために横浜アリーナでのこけら落としコンサート、大阪公演をはじめとする全国ツアー敢行も予定されていたが、わずか1年2ヵ月後の1989年6月24日にひばりは帰らぬ人となり、結果としてこれが生涯最後のコンサートとなった。このことも伝説化を早める一因となり、現在では各種映像メディアが発売されている。2007年現在でもドーム球場で公演を行った演歌歌手は美空ひばり以外いない。
1993年12月30日、12月31日の東京ドームにおけるX JAPANのライブ『日本直撃カウントダウンX JAPAN Returns』は日本人ミュージシャンが最初に「年越しライブ」を行った公演である。また、彼らとしても名義を世界進出に向けた「X JAPAN」と改めての最初のライブである。現在では伝説的な楽曲『ART OF LIFE』を含む15曲を演奏したライブが行われた。特に『ART OF LIFE』は1曲が30分近い長さであることやメンバーの変遷などによりもう二度と演奏されることはないであろうということもあって、同バンドの『The Last Live』と双璧をなすライブとしてファンのみならずロックを志す音楽家の間では伝説となっている(後に『ART OF LIFE』は2008年の復活ライブにても演奏された)。
2001年1月8日に、THE YELLOW MONKEYは自身初の東京ドーム公演において完全に活動を休止する宣言をし、復活を約束するも、3年後の2004年7月7日、復活することなく正式解散した。その年の12月26日には休止宣言をしたのと同じ東京ドームにメンバーが再集結し『THE YELLOW MONKEYの葬式』として代表曲『JAM』を演奏した。なお、2001年の東京ドーム公演は結果的なラストライブとなった。
ドーム球場は本来「野球場」を目的に、屋根はドーム状・壁は円形の造りとなっているために収容人数という点を除けばコンサート会場には不向きなことが多く、各ドーム球場によって音響や反射などが異なるために、入念な下調べと周到な事前準備が必要となる癖のある会場でもある。

5大ドーム(札幌、東京、ナゴヤ、大阪、福岡)公演を行なったアーティスト
SMAP(2001年、2002年、2005年、2006年、2008年、2010年)
GLAY(2001年-2002年)
KinKi Kids(2001年-2002年)
桑田佳祐(2002年)
B'z(2003年、2006年)
ボン・ジョヴィ(2003年)
イーグルス(2004年)
サザンオールスターズ(2005年)
Mr.Children(2005年、2009年)
ビリー・ジョエル(2006年)
嵐(2008年、2009年-2010年、2010年-2011年)
EXILE(2008年)
通算して、5大ドーム公演を行なったアーティスト
サイモン&ガーファンクル(1993年+2009年)
[編集] 幻のドーム球場計画
世界初のドーム球場・アストロドームの完成前の1958年6月ごろ、日本テレビ放送網社長・清水与七郎らは、東京都新宿区内の社有地(現新宿六丁目地内。のちの日本テレビゴルフガーデン・新宿住宅総合展示場等立地)に、高さ70mを誇る全天候型の屋根付き球場を建設する構想を明らかにした。全面クレー舗装の屋内型野球場というものだったが、まだ空調設備の技術が未熟だったことなど問題点も数多く、結局実現には至らなかった。

1979年から1984年にかけて、名古屋市でもナゴヤ球場に代わる野球場として、ノリタケカンパニーリミテドにより名古屋市西区則武新町で「ノリタケドーム」を建設する計画があった。

1988年の東京ドーム完成後は、多くの都市圏でドーム球場の建設が検討されたが、福岡、大阪、名古屋、札幌を除きその計画は頓挫した。代表的な例としては、1980年代後半に阪神球団が阪神甲子園球場の後継として「阪神ドーム」の建設を検討、1999年から2001年ごろ横浜市が横浜ドームの建設を検討、2000年から2002年ごろに千葉市が千葉マリンスタジアムの西武ドーム方式でのドーム化検討、仙台市で宮城球場に代わるドーム球場建設検討などがある。横浜ドーム計画では、ドーム建設支持派の団体が大規模な署名活動を展開していたが、ファンからも市民からも広汎な支持を得られず、横浜球団の観客動員低迷などに伴い立ち消えとなった。また、千葉マリンドーム計画もファン・市民からの好感触を得られなかったことから、同様に立ち消えとなった。

広島市においてもドーム球場の計画があったが、財政事情や人工芝は選手への負担が大きい等の理由のため、立ち消えとなった(詳細はMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島を参照のこと)。

韓国ソウルにおいてもドーム球場の計画があった。計画は韓国LGグループを中心にして進められ、2002年のワールドカップで使用した後、LGツインズの本拠地として使用される予定だった。設計コンペが行われ、優秀作が選定されたものの、用地取得の難航とアジア通貨危機のため、計画は白紙化された[5]。なお、このドーム球場のデザインは、設計者のウェブサイトで閲覧することができる[6]。

[編集] ドーム球場での試合中止事例
一般にドーム球場では屋外が天候不良でも試合中止になることは殆どないといわれているが、ごく稀に台風災害などで球場が被害を受け、試合を行うことが不可能になることがある。被害はなくとも交通機関が運休になるなど観客への影響を考慮して試合が中止になる事例が大半である。ここではその事例を挙げる。ただし、1998年の西武ドームはまだ完全ドーム化されてなかったためここには含めない。

1976年6月15日 - アストロズ-パイレーツ(アストロドーム:洪水で審判、球場関係者、ファンが球場入りできなかったため)
1983年4月14日 - ツインズ-エンゼルス(メトロドーム:積雪による屋根破損のため)
1990年8月10日 - 巨人-中日(東京ドーム:中日の選手が新幹線の不通で移動できなかったため)
1996年9月22日 - 巨人-中日(東京ドーム:台風による強風でテント状の屋根が揺れ、照明落下の恐れがあったため)
1997年7月26日 - 中日-巨人(ナゴヤドーム)
1997年9月16日 - ダイエー-西武(福岡ドーム)
2000年9月12日 - 中日-広島(ナゴヤドーム:東海地方を襲った集中豪雨で球場が浸水したため)
2001年8月21日 - 近鉄-オリックス(大阪ドーム)
2001年8月22日 - 巨人-横浜(東京ドーム)
2001年8月22日 - 西武-日本ハム(西武ドーム)
2002年10月1日 - 巨人-ヤクルト(東京ドーム)
2004年8月30日 - ダイエー-日本ハム(福岡ドーム:ダイエーの選手が台風による飛行機の欠航で移動できなかったため)
2004年9月7日 - 近鉄-西武(大阪ドーム)
2004年9月18、19日 - 北海道日本ハム-大阪近鉄(札幌ドーム:プロ野球再編問題による日本プロ野球選手会のストライキのため)
2004年9月18、19日 - 中日-巨人(ナゴヤドーム:同上)
2004年10月20日 - 日本シリーズ・西武-中日(西武ドーム:日本シリーズのドーム開催では初の中止となった)
2006年9月17日 - ソフトバンク-楽天(福岡Yahoo!JAPANドーム)
2007年7月27日 - ソフトバンク-西武(福岡Yahoo!JAPANドーム:西武搭乗飛行機が機材故障で遅延したため)
2007年8月2日 - ソフトバンク-オリックス(福岡Yahoo!JAPANドーム)
この節の関連記事
日本プロ野球での天災以外で中止になった試合例
[編集] 脚注欄
^ Stadiums of the NFLによるアストロドームの解説
^ MLB公式サイトの2008年3月11日付の記事
^ 天井直撃の打球めぐり「誤審」
^ ‘韓国野球の宿願’ドーム球場、建設地は安山(中央日報)
^ 朝鮮日報2002年12月3日記事
^ Peter Pran of NBBJ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%A0%E7%90%83%E5%A0%B4」より作成
カテゴリ: ドームスタジアム | 野球場  

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コメント
 
01. 2011年3月13日 20:08:48: SBztI6XWSY
どこだって受け入れたいよ。
だけど、疎開する発表や案がないのはどうして、

阪神淡路の時もそうだった。

なぜ被災者を安全な地域(九州 四国 関西 北海道)
に疎開させないの。

総理・宮城県知事が被災者に疎開願いだすべきだろう。


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