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平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震自衛隊の活動状況(12時00分現在)
http://www.asyura2.com/09/jisin16/msg/653.html
投稿者 TORA 日時 2011 年 3 月 21 日 09:49:44: CP1Vgnax47n1s
 

http://www.mod.go.jp/j/press/news/2011/03/20a.html


派遣規模人員約106,600名(陸:約69,000名、海:約16,100名、空:約21,300名)

・回転翼210機、固定翼325機
・艦船57隻
が活動中

※3月14日(月)東北方総監を長とする統合任務部隊を編成
・3月18日(金)東北地方太平洋沖地震による被災地域において、自衛隊の部隊が実施する救援活動等に係る予備費の使用を決定(約54億円)<18日閣議決定>

自衛隊による救助状況○大規模地震災害派遣による活動

・自衛隊による救助者数 約19,400名(現時点で確認されているもの)

11日〜18日 19日 計
救助者数
(名) 約19,400  3 約19,400

○原子力災害派遣による活動

・原子力災害派遣に係る除染者数(民間人のみ)約2,850名

災害派遣要請元11日14時52分 岩手県知事
11日15時02分 宮城県知事
11日16時20分 茨城県知事
11日16時47分 福島県知事
11日16時54分 青森県知事
11日18時50分 北海道知事
12日01時00分 千葉県知事

連絡員の派遣北海道(根室振興局、日高振興局、釧路総合振興局、胆振総合振興局、えりも町)、宮城県(県庁、東松島市)、岩手県(県庁、山田町役場)、秋田県庁、青森県(県庁、八戸市役所)、福島県(県庁、田村市役所)、山形県庁、茨城県庁

自衛隊の実施事項(調整中含む)○大規模地震災害派遣による活動
11日14時50分 防衛省災害対策本部設置(本部長:防衛大臣)
11日18時00分 大規模震災災害派遣命令
11日19時30分 原子力災害派遣命令(12日09:20原子力災害派遣命令発出のため廃止)
12日09時20分 原子力災害派遣命令(17日03:00原子力災害派遣命令発出のため廃止)
16日11時58分 予備自衛官及び即応予備自衛官の災害等召集命令
17日03時00分 原子力災害派遣命令
17日22時00分 大規模震災災害派遣命令の一部変更命令
航空機による情報収集
被害者の救助
防衛大学校が周辺住民約190名を武道館に受け入れ
人員、物資等輸送
給食・給水支援
ヘリコプター映像伝送による官邸及び報道機関等への提供

○原子力災害派遣による活動
避難支援、冷却水、給水支援、物資等輸送


○現地調査団等の輸送支援
政府調査団(第1陣:宮城県)の現地派遣
経済産業副大臣及び原子力安全・保安院職員等の現地派遣
総理大臣の現地視察(福島第1原発及び宮城県被災地上空等)
政府調査団(第2陣:岩手県及び福島県)の現地派遣
DMAT(災害派遣医療チーム)の輸送支援
防衛大臣現地視察(統合任務部隊編成)

自衛隊の活動○派遣部隊
陸 自 東北方面隊
第6師団(第20普通科連隊(神町)、第22普通科連隊(多賀城)、第44普通科連隊(福島)、第6特科連隊(郡山)、第6後方支援連隊(神町)、第6戦車大隊(大和)、第6高射特科大隊(郡山)、第6施設大隊(神町)、第6通信大隊(神町)、第6偵察隊(大和)、第6飛行隊(神町)、第6特殊武器防護隊(神町)、第6師団司令部付隊(神町))
第9師団(第5普通科連隊(青森)、第21普通科連隊(秋田)、第39普通科連隊(弘前)、第9特科連隊(岩手)、第9後方支援連隊(青森)、第9戦車大隊(岩手)、第9高射特科連隊(岩手)、第9施設大隊(八戸)、第9通信大隊(青森)、第9対戦車隊(八戸)、第9偵察隊(弘前)、第9飛行隊(八戸)、第9化学防護隊(青森)、第9師団司令部付隊(青森))
第4地対艦ミサイル連隊(八戸)、第2施設団(船岡)、東北方面特科隊(仙台)、第5高射特科群(八戸)、東北方面通信群(仙台)、東北方面航空隊(霞目)、東北方面後方支援隊(仙台)、東北方面衛生隊(仙台)、東北方面総監部付隊(仙台)


北部方面隊
第2師団(第3普通科連隊(名寄)、第25普通科連隊(遠軽)、第26普通科連隊(留萌)、第2特科連隊(旭川)、第2後方支援連隊(旭川)、第2施設大隊(旭川)、第2通信大隊(旭川)、第2偵察隊(旭川)、第2飛行隊(旭川)、第2化学防護隊(旭川)、第2師団司令部付隊(旭川))
第5旅団(第4普通科連隊(帯広)、第6普通科連隊(美幌)、第5戦車隊(鹿追)第5特科隊(帯広)、第5後方支援連隊(帯広)、第5偵察隊(帯広)、第5飛行隊(鹿追)、第5高射特科中隊(帯広)、第5施設中隊(帯広)、第5通信中隊(帯広)、第5音楽隊(帯広)、第5旅団司令部付隊(帯広))
第7師団司令部(第11普通科連隊(東千歳)、第72戦車連隊(帯広)、第7後方支援連隊(東千歳)、第7施設大隊(東千歳)、第7通信大隊(東千歳)、第7飛行隊(丘珠)、第7師団司令部付隊(東千歳))
第11旅団(第18普通科連隊(真駒内)、第28普通科連隊(函館)、第11戦車隊(真駒内)、第11後方支援隊(真駒内)、第11旅団司令部付隊(真駒内))
第1特科団(北千歳)、北部方面施設隊(南恵庭)、北部方面航空隊(丘珠)、北部方面後方支援隊(島松)、北部方面通信群(札幌)、北部方面会計隊(札幌)、北部方面補給処(島松)

東部方面隊
第1師団(第1普通科連隊(練馬)、第31普通科連隊(武宮)、第34普通科連隊(板妻)、第1特科隊(北富士)、第1後方支援連隊(練馬)、第1戦車大隊(駒門)、第1高射特科大隊(駒門)、第1施設大隊(朝霞)、第1通信大隊(練馬)、第1化学防護隊(練馬)、第1師団司令部付隊(練馬))
第12旅団(第2普通科連隊(高田)、第13普通科連隊(松本)、第30普通科連隊(新発田)、第12特科隊(宇都宮)、第12後方支援隊(新町)、第12ヘリコプター隊(相馬原)、第12偵察隊(相馬原)、第12対戦車中隊(新町)、第12高射特科中隊(相馬原)、第12施設中隊(新町)、第12通信中隊(相馬原)、第12科学防護隊(相馬原)、第12旅団司令部付隊(相馬原))
第1施設団(古河)、東部方面後方支援隊(朝霞)、東部方面航空隊(立川)、第2高射特科群(松戸)、東部方面通信群(朝霞)、東部方面会計隊(朝霞)、第1教育団(朝霞)、相馬原駐屯地業務隊(相馬原)、霞ヶ浦駐屯地業務隊(霞ヶ浦)、木更津駐屯地業務隊(木更津)、宇都宮駐屯地業務隊(宇都宮)、北宇都宮駐屯地業務隊(北宇都宮)

中部方面隊
第3師団(第7普通科連隊(福知山)、第36普通科連隊(伊丹)、第37普通科連隊(信太山)、第3特科隊(姫路)、第3後方支援連隊(千僧)、第3戦車大隊(今津)、第3高射特科大隊(姫路)、第3通信大隊(千僧)、第3飛行隊(八尾)、第3偵察隊(千僧)、第10師団(第14普通科連隊、第33普通科連隊(久居)、第35普通科連隊(守山)、第10特科連隊(豊川)、第10後方支援連隊(春日井)、第10戦車大隊(今津)、第10高射特科大隊(豊川)、第10施設大隊(春日井)、第10通信大隊(守山)、第49普通科連隊(豊川)、第10偵察隊(春日井)、第10化学防護隊(守山)、第10師団司令部付隊(守山))
第13旅団(第8普通科連隊(米子)、第17普通科連隊(山口)、第46普通科連隊(海田市)、第13特科隊(日本原)、第13後方支援隊(海田市)、第13偵察隊(出雲)、第13飛行隊(防府)、第13戦車中隊(日本原)、第13高射特科中隊(日本原)、第13施設中隊(海田市)、第13通信中隊(海田市)、第13師団司令部付隊(海田市))
第14旅団(第15普通科連隊(善通寺)、第50普通科連隊(高知)、第14特科隊(松山)、第14後方支援隊(善通寺)、第14偵察隊(善通寺)、第14飛行隊(北徳島)、第14戦車中隊(日本原)、第14施設中隊(高知)、第14通信中隊(善通寺)、第14旅団司令部付隊(善通寺))第4施設団(大久保)、中部方面後方支援隊(桂)、中部方面通信群(伊丹)、中部方面航空隊(八尾)、中部方面衛生隊(伊丹)、中部方面会計隊(伊丹)、守山駐屯地業務隊(守山)、大久保駐屯地業務隊(大久保)、善通寺駐屯地業務隊(善通寺)、出雲駐屯地業務隊(出雲)、自衛隊阪神病院(川西)

西部方面隊
第4師団(第16普通科連隊(大村)、第40普通科連隊(小倉)、第41普通科連隊(別府)、第4特科連隊(久留米)、第4施設大隊(大村)、第4通信大隊(福岡)、第4偵察隊(福岡)、第4飛行隊(目達原)、第4後方支援連隊(福岡)、第4師団司令部付隊(福岡))
第8師団(第12普通科連隊(国分)、第42普通科連隊(北熊本)、第43普通科連隊(都城)、第8特科連隊(北熊本)、第8後方支援連隊(北熊本)、第8戦車大隊(玖珠)、第8施設大隊(川内)、第8高射特科大隊(北熊本)、第8通信大隊(北熊本)、第8偵察隊(北熊本)、第8化学防護隊(北熊本)、第8師団司令部付隊(北熊本))
第15旅団(第15後方支援隊(那覇)、第51普通科連隊(那覇)、第15通信隊(那覇)
第5施設団(小郡)、西部方面特科隊(湯布院)、第2高射特科団(飯塚)、西部方面後方支援隊(目達原)、西部方面通信群(健軍)、西部方面航空隊(目達原)、西部方面衛生隊(健軍)、西部方面会計隊(健軍)、自衛隊福岡病院(春日)、自衛隊熊本病院(熊本)

中央即応集団
第1空挺団(習志野)、第1ヘリコプター団(木更津)、中央即応連隊(宇都宮)、中央器特殊防護隊(大宮)、対特殊武器衛生隊(朝霞)、中央即応集団司令部付隊(朝霞)、国際活動教育隊(駒門)
通信団(市ヶ谷)、警務隊(市ヶ谷)、高射学校(下志津)、施設学校(勝田)、需品学校(松戸)、化学学校(大宮)、自衛隊中央病院(三宿)、武器学校(土浦)


海 自 指揮官:横須賀地方総監
航空集団(厚木)、教育航空集団(下総)、横須賀地方総監部(横須賀)、掃海隊群(横須賀)、第1護衛隊群(横須賀)、第2護衛隊群(佐世保)、第3護衛隊群(舞鶴)、第2潜水隊群(横須賀)、第1航空群(鹿屋)、第2航空群(八戸)、第4航空群(厚木)、第5航空群(那覇)、第21航空群(館山)、第22航空群(大村)、第31航空群(岩国)、下総教育航空群(下総)、第1護衛隊(横須賀)、第2護衛隊(佐世保)、第3護衛隊(舞鶴)、第4護衛隊(大湊)、第5護衛隊(横須賀)、第6護衛隊(佐世保)、第11護衛隊(横須賀)、第12護衛隊(呉)、第15護衛隊(大湊)、第1掃海隊(呉)、第2掃海隊(佐世保)、第51掃海隊(横須賀)、第101掃海隊(呉)、第41掃海隊(横須賀)、第42掃海隊(呉)、第43掃海隊(佐世保)、第44掃海隊(舞鶴)、第45掃海隊(大湊)、第46掃海隊(佐世保)、第203教育航空隊(下総)、第211教育航空隊(鹿屋)、第2潜水隊(横須賀)、第1海上訓練支援隊(呉)、横須賀警備隊(横須賀)、第2ミサイル艇隊(舞鶴)、横須賀衛生隊(横須賀)護衛艦「はるさめ」、護衛艦「たかなみ」、護衛艦「おおなみ」、護衛艦「さわゆき」、護衛艦「やまゆき」、護衛艦「しらね」、護衛艦「くらま」、護衛艦「ゆうぎり」、護衛艦「あまぎり」、護衛艦「せとぎり」、護衛艦「さわぎり」、護衛艦「きりしま」、護衛艦「ちょうかい」、護衛艦「あしがら」、護衛艦「ひゅうが」、護衛艦「あぶくま」、護衛艦「おおよど」、護衛艦「ちくま」、護衛艦「とね」、掃海艦「やえやま」、掃海艦「はちじょう」、掃海母艦「ぶんご」、輸送艦「くにさき」、輸送艦「ゆら」、輸送艦「のと」、訓練支援艦「くろべ」、訓練支援艦「てんりゅう」、多用途支援艦「ひうち」、多用途支援艦「すおう」、多用途支援艦「あまくさ」、海洋観測艦「すま」、海洋観測艦「わかさ」、海洋観測艦「にちなん」、潜水艦救難母艦「ちよだ」、試験艦「あすか」、補給艦「ときわ」、補給艦「はまな」、補給艦「おうみ」、補給艦「とわだ」、掃海艇「ひらしま」、掃海艇「たかしま」、掃海艇「つしきま」、掃海艇「まえじま」、掃海艇「くめじま」、掃海艇「まきしま」、掃海艇「ながしま」、掃海艇「ゆげしま」、掃海艇「つのしま」、掃海艇「なおしま」、掃海艇「とよしま」、掃海艇「あいしま」、掃海艇「あおしま」、掃海艇「みやじま」、掃海艇「ししじま」、掃海管制艇「さくしま」、特務艇「はしだて」、試験艦「くりはま」
空 自 第2航空団(千歳)、第3航空団(三沢)、北部航空警戒管制団(三沢)、第6高射群(三沢)、北部航空施設隊(三沢)、第4航空団(松島)、第6航空団(小松)、第7航空団(百里)、中部航空警戒管制団(入間)、第1高射群(入間)、第4高射群(岐阜)、中部航空施設隊(入間)、西部航空方面隊司令部支援飛行隊(春日)、第5航空団(新田原)、第8航空団(築城)、西部航空警戒管制団(春日)、第2高射群(春日)、西部航空施設隊(芦屋)、南西航空混成団司令部(那覇)、第83航空隊(那覇)、南西航空警戒管制隊(那覇)、第5高射群(那覇)、南西航空施設隊(那覇)、第1輸送航空隊(小牧)、第2輸送航空隊(入間)、第3輸送航空隊(美保)、三沢ヘリコプター空輸隊(三沢)、入間ヘリコプター空輸隊(入間)、千歳救難隊(千歳)、秋田救難隊(秋田)、新潟救難隊(新潟)、百里救難隊(百里)、浜松救難隊(浜松)、航空総隊司令部飛行隊(入間)、偵察航空隊(百里)、警戒航空隊(浜松)、警戒航空隊(三沢)、高射教導隊(浜松)、航空システム通信隊(市ヶ谷)、第1航空団(浜松)、第1術科学校、第2術科学校、北部航空音楽隊(三沢)、第4補給処東北支処長(東北町)、防空指揮群(府中)、プログラム管理隊(入間)、中部航空音楽隊(浜松)、教材整備隊(浜松)、第11飛行教育団(静浜)、幹部候補生学校(奈良)、第4術科学校(熊谷)、電子開発実験群(入間)、航空中央業務隊(市ヶ谷)、第1補給処(木更津)、第1補給処東京支処長(十条)、第2補給処(岐阜)、第3補給処(入間)、第4補給処(入間)、西部航空音楽隊(春日)、第12飛行教育団(防府北)、航空教育隊(防府南)、第3術科学校(芦屋)、西部航空施設隊(芦屋)、南西航空音楽隊(那覇)、作戦情報隊(府中)、航空保安管制群(入間)、航空気象群(府中)、飛行点検隊(入間)、航空開発実験団司令部(入間)、航空安全管理隊(立川)、航空警務隊(市ヶ谷)、航空機動衛生隊(小牧)、補給本部(十条)、基地防空教導隊(千歳)、第3高射群(千歳)、航空教育隊第2教育群(熊谷)、航空中央音楽隊(立川)、第1補給処立川支所(立川)、飛行開発実験団(岐阜)、第4補給処高蔵寺支処(高蔵寺)、飛行教導隊(新田原)、飛行教育航空隊(新田原)、第13飛行教育団(芦屋)、第5術科学校(小牧)、航空医学実験隊(入間)、幹部学校(目黒)、航空支援集団(府中)、航空救難団(入間)、航空教育集団(浜松)、岐阜病院(岐阜)

陸 自
(11日) 18時25分 東北方面特科隊(仙台)27名人員をもって保育所への救出のため出発し、救援活動を実施
18時45分 第2施設団、名取市(宮城県南部)家屋に取り残された10数名救助のため、初動小隊30名派遣
22時17分 仙台病院に患者20名を収容
23時48分 東北方面特科隊が仙台市内の避難所にストーブ約260台を搬送。
(12日) 05時15分 第1空挺団(習志野)の人員約40名、車両6両(水トレーラー4両含む)により、給水支援及び輸送支援を実施
20時00分頃、21時00分頃 第6師団が被災民に対する約5万食のパンの輸送を実施
(13日) 00時20分 第6後方支援連隊(東根)がDMAT64名を東北大学病院まで輸送。
06時46分 第9特科連隊第2中隊が野田村でがれきの除去を実施
07時51分 第20普通科連隊がヘリで志津川小学校から要救助者6名を救出
08時00分 第6師団が気仙沼等で捜索活動を実施
08時57分 第130大隊が26名を救出
18時30分 第6師団が石巻で125人を救助するとともに糧食及び毛布を配布
22時20分 第9特科連隊(滝沢村)が岩手県下閉伊郡山田町で消火活動を実施
(14日) 09時45分 第9師団第4地対艦ミサイル連隊が炊き出し800食作成完了
13時00分 札幌病院2コ医療チーム巡回診療のため宮古市避難所へ前進中
13時15分 英国レスキューチーム46名を三沢から大船渡に搬送
13時25分 第6師団が石巻で36名救助
15時00分 第12飛行隊が福島第1原発20km圏内の要救助者の空輸を再開
15時43分 石巻駅北側の住宅地の2階における要救助者については、現在6師団の隊員がボートで救出を実施中
17時40分 第2施設大隊 老木公園集結完了 同地にて展開
(15日) 07時10分 第5旅団司令部及び第5旅団司令部付部隊 苫小牧東港に到着
(16日) 17時09分 第4地対艦ミサイル連隊 物資輸送(米、毛布、りんご)
20時21分 第25普通科連隊 給水支援1t
23時32分 後方支援連隊 給水支援6t、物資輸送(ガソリンドラム缶×18樽)
他、細部確認中
(17日) 16時00分 第9飛行隊 UH915 新浜町へ食料毛布等650kg空輸、UH718 唐丹中学校へ食料毛布等650kg空輸
16時05分 第10師団司令部付隊 蔵王向山地区の給水支援(3t)、丸森町筆甫(ひっぽ)避難所での給食支援(460食)
17時30分 第26普通科連隊 給水支援3.4t、炊き出し(1220食)
(18日) 16時59分 第9飛行隊 UH915 青森空港、大船渡東高校へ食料品計600Kg空輸
17時57分 第1大隊が給水作業終了(給水量6.8t)
(19日) 00時19分 第40普通科連隊が志津川町で救援・捜索活動、物資輸送・瓦礫除去
他、細部確認中
17時15分 第2戦車連隊が田老地区で瓦礫の除去
他、細部確認中

海 自
(11日) 20時45分 八戸基地体育館に770名の避難者、私有車両140両を収容。
21時50分 大湊地方隊、毛布3000枚(青森県六ヶ所村500枚、風間浦500枚、三沢市500枚、八戸市500枚、むつ市1000枚)、缶詰1000個を搬出。
(12日) 12時40分 第2護衛群第6護衛隊「はるさめ」の回転翼が気仙沼で13名救助
13時04分 第111航空隊のMCHが陸前高田病院から花巻空港まで人員輸送
13時38分 第2護衛隊群第6護衛隊の「たかなみ」から内火艇×2隻が孤立した被災者27名を救助。別に、救助された5名をあわせた32名のうち、4名を搭載ヘリにより日赤病院に搬送。残りの28名は艦内で待機。
14時32分 第111航空隊(岩国)のMCH−101が陸前高田病院から花巻空港までの人員輸送
15時23分 第2航空群UH64が「ちきゅう」から80名を救助、八戸まで移送
16時45分 「はるさめ」搭載の回転翼機が浦島小学校から被災者12名を救助、気仙沼小学校へ搬送
16時30分 第4護衛隊群第8護衛隊「きりしま」の回転翼が鹿妻小学校への物品輸送
17時56分 「おおなみ」搭載の回転翼機が阿武隈川河口から被災者33名を救助、岩沼市陸上競技場へ搬送
(13日) 07時02分 73空 UH64号が大湊を離陸、尻屋から宮古にかけて孤立した住民の捜索救助を実施
07時36分 「おおなみ」搭載の回転翼機が亘理町立荒浜中学校から被災者31名を救助、岩沼市陸上競技場へ搬送
08時30分 さわぎりHS阿武隈川河口の要救助者10名を岩沼市に搬送
10時40分 第73航空 救助者11名を大槌から県立釜石病院搬送完了
10時55分 111航空隊が南三陸町に非常糧食を輸送
12時00分 ときわからMH53Eにより宮城県長沼市に応急糧食3,000食を輸送完了
15時43分 MH―53Eが遠野運動公園へ非常用糧食9000食、毛布500枚、水157箱を輸送
17時50分 UH78号が白浜小学校から被災者37名を救助、釜石市民体育館へ搬送
18時00分 横須賀警備隊が72トンの給水支援を実施
19時20分 UH66号が白浜小学校から被災者66名を救助、釜石市民体育館へ搬送
19時31分 SH00号が白浜小学校から被災者28名を救助、釜石市民体育館へ搬送
・ときわからMCH−101により気仙沼市及び長沼市に非常用糧食152箱を輸送

(14日) 13時13分 浦戸桂島(塩釜市)で「おおなみ」の内火艇及び作業艇により物資輸送(水140L、カンパン192個、パン174個)
14時14分 「ときわ」から発艦した回転翼機が2.5トンの非常用糧食を女川総合運動公園に輸送中
14時30分 「さわゆき」が引き渡した救援物資
14時37分 25空隊の回転翼機が孤立住民等の捜索・救助のため離陸
15時40分 「おおなみ」による物資輸送(乾電池単1単2単3各20、水170L、缶飯168缶、乾パン64食、乾パン用オレンジスプレッド72本、コーンドミート48缶)
午後 「たかなみ」艦内で待機していた28名を海自ヘリ(MCH−101)で石巻専修大学グランドに搬送
17時47分 「はるさめ」搭載の回転翼機が被災者8名を波伝谷地区から石巻赤十字病院へ搬送
(15日) 09時47分 UH−60Jにより厚木から長沼に飲料水1トンを輸送
10時18分 MCH−101により「はまな」から八戸に糧食15トンを輸送
13時51分 大湊地方総監部は海上保安庁と協力し、八戸港の入港に係る、港湾調査を実施
14時02分 「ぶんご」は牡鹿半島および田代島の被災者に対する救援物資(牡鹿半島:糧食1800食、水約1トン、田代島:糧食180食)を輸送
14時30分 SH−60Jにより三沢から久慈に糧食50食分を輸送
16時08分 2空群 八戸基地避難小中学生に対する登下校支援(根木小4名 多賀小1名 市川中3名)16日〜19日基地隊車両で輸送
17時15分 「はしだて」 漁船からの救援物資の要請に対し、物品を提供 (ガソリン8リットル、米50キロ)
(16日) 08時55分 「くにさき」LCACにより3回目の救援物資陸揚げ(缶飯、缶詰、水等)。石巻市渡波周辺の被災民の安否確認実施。渡波公民館 500名(傷病者15名、重傷者なし、搬送の用なし)、渡波農協 55名、渡波保育園 55名、洞源院 300名、シクタ1区集会所 220名、シクタ2区集会所 60名、渡波小学校 1300名、タンノウラ中学校 2000名、ケヤキ水産 400名
14時57分 21空群 千葉県東方沖を震源とする地震の状況偵察を実施。異常なし
(17日) 09時13分 「にちなん」搭載艇により、志津川湾細濱漁港にて、白米125kg、トイレットペーパー4箱(400ロール)引渡し
11時08分 輸送艦「くにさき」渡波公民館に救援物資(おにぎり5000個、水)を輸送
11時41分 輸送艦「くにさき」渡波公民館にて医療支援を実施
14時24分 下総消防車及び給水車搭載の水全てを空自消防車MB−3に補給
(18日) 06時30分 「ぶんご」が宮城県気仙沼東湾の被災者に対し、軽油10200L、ガソリン200L、飲料水600L、非常用糧食10032食、毛布200枚、日用品を提供
06時30分 「ぶんご」が気仙沼東湾において被災者130名に対し、診療等の支援を実施
07時01分 「たかなみ」が宮城県女川第2小学校の被災者に対し、おにぎり360個、毛布50枚を提供
07時01分 「さわゆき」が宮城県雄勝湾水浜地区の被災者に対し、おにぎり300個、毛布50枚、日用品を提供
08時29分 「くにさき」のLCAC(エアクション艇)が石巻市渡波漁港に主食缶詰10896個、副食缶詰8400個、飲料水4500本を輸送
08時59分 111空の回転翼機MH−53Eが厚木から石巻運動公園に医療品10Kg、毛布1100枚を輸送
09時14分 「さわゆき」搭載回転翼機が石巻市自然の家から石巻赤十字病院へ被災者2名を輸送
09時38分 「くにさき」が石巻市渡波公民館の被災者に対し、主食缶詰10896個、副食缶詰8400個、飲料水4500本を提供
11時13分 「おおすみ」のLCAC(エアクション艇)が小名浜港マリーナ南海岸に簡易トイレ194個、飲料水600Lを輸送
11時23分 「くろべ」が石巻市高城浜漁港の被災者320名に対し。毛布30枚、医療品、ガソリン20L、日用品を提供
11時52分 横須賀警備隊は千葉県浦安市オリエンタルランド岸壁で給水車による給水支援を実施。本日まで、給水車472台分(1215トン)
11時30分 MH−53Eが厚木から石巻運動公園へ毛布700枚及び医療品を輸送
12時40分 「にちなん」が宮城県大須小学校の被災者に対し、軽油1080L、日用品を提供
13時02分 MH−53Eが厚木から石巻運動公園へ毛布400枚を輸送
13時10分 「つきしま」が宮城県神止地区の被災者150名に対し、主食缶詰168個、副食缶詰244個、飲料水168本、日用品を提供
13時51分 「おおすみ」が小名浜港マリーナ南海岸の被災者に対し、簡易トイレ194個、飲料水600Lを提供
14時59分 「おおすみ」が小名浜港藤原埠頭第3岸壁の被災者に対し、毛布20680枚、アルファ米31150食、テント9張、簡易トイレ570個を提供
15時00分 11時00分から「つきしま」が気仙沼東湾 神止地区に飲料水 168個、電池 150個、赤飯 168個、牛肉缶詰 144個、おにぎり 150個を輸送
15時14分 回転翼機UH−60Jが長浜から桂島へ飲料水及び糧食を500Kg輸送
15時19分 回転翼機MH−53Eが霞目から大島まで飲料水6.5トンを輸送
15時45分 MH−53Eが霞目から大島へ飲料水6.5トンを輸送
15時50分 「なおしま」が宮城県尾浦地区の被災者180名に対し、主食缶詰288個、副食缶詰288個、日用品を提供
15時50分 「ちょうかい」が石巻萩浜中学校の被災者200名に飲料水190Lを提供
15時50分 「くろべ」が石巻市高白浜漁港に毛布30枚、医薬品、ガソリン20Lを輸送
15時55分 「くろべ」が石巻市野ノ浜漁港の被災者50名に対し、毛布30枚を提供
16時36分 13時57分からUHJ−72により柱島に物資輸送
17時49分 「おおよど」が広田湾に投錨し、1208から、灯油ドラム缶 60本、軽油ポリタンク 15個、空ポリタンク 265個、海水ポリタンク 20個を合計18回に分けて広田地区に輸送
(19日) 07時33分 「なおしま」が立浜地区へガソリン18L輸送
09時00分 SH−60Kにより松島へ生活関連物資(カップ麺103箱)を空輸
09時30分 US−2により厚木から松島へ生活関連物資(2.5t)を空輸
12時46分 YS−11Tにより徳島から松島へ救援物資(6.4t)を空輸
12時46分 「あぶくま」が田代島の被災者に、ガソリン20L,水ポリタンク10個分(180L)、トイレットペーパー4箱(384ロール)、米200Kg,軽油54Lなどを提供
14時31分 「さわゆき」搭載HS−60K 76号機が名足小学校の被災者に対し、菓子パン550個、うどん(箱入り)4箱、カップ麺420個、水(520mlペットボトル)864本、シャツ60枚、解熱剤(箱入り)100箱、おむつ(セット)2セット、生理用品(セット)12セット、簡易トイレ3個などを提供
15時02分 YS−11Mにより、岩国から八戸へ物資(毛布等)を空輸
16時04分 SH−60Kにより厚木から郡山へ救援物資を空輸
17時38分 「さわゆき」搭載HS−60K 76号機が水浜保育所跡地の被災者に対し、カップ麺324個、シャツ60枚、簡易トイレ2個、などを提供
20時37分 111空 気仙沼に1.5tの物品供与(生活用品)
他、細部確認中

空 自
(11日) 18時10分 三沢ヘリ、陸前高田で11名を救助完了
18時48分 陸前高田の高台へ11名の救助者を御下
(12日) 08時41分 第1輸送航空隊(小牧)のC−130×1機がDMAT要員約65名を花巻へ輸送。
08時51分 第3輸送航空隊(美保)のC−1×1機がDMAT要員約40名を輸送。
09時30分 第1輸送航空隊(小牧)のC−130×1機がDMAT要員約65名を花巻へ輸送。
09時40分 三沢ヘリ空隊CH−47×1機が10回の空中消火及び要救助者30名を収容。
10時36分 三沢ヘリ空隊CH−47×1機が岩手県下閉伊郡山田町の43名を救助。
12時40分 第3輸送航空隊(美保)のC−1×1機がDMAT要員約30名を輸送。
23時33分 第2輸送航空隊(入間)がDMAT8名を羽田から福島まで輸送。
(13日) 06時07分 百里救難隊の回転翼3機が阿武隈川付近で計47名を救助
06時45分 新潟救難隊の回転翼が南気仙沼で10名を救助
06時50分 空教団が回転翼で要救助者20名を収容。阿武隈川で要救助者20名を移送完了。
07時32分 航空支援集団の回転翼が要救助者20名を収容
07時39分 航空支援集団の回転翼が要救助者84名を収容
08時20分 新潟救難隊の回転翼が救助者69名を気仙沼小学校に搬送
09時18分 航空支援集団の回転翼が要救助者66名を気仙沼へ移送完了
12時51分 空教団が回転翼が岩手県下閉伊郡山田町で要救助者18名救出完了
13時40分 秋田救難隊が回転翼が岩手県下閉伊郡山田町で要救助者12名救出完了
14時20分 航空支援集団の回転翼が36名搬送完了
(14日) 06時45分 百里救難隊の回転翼が12名救出
07時03分 回転翼が東浜小学校で高齢者2名救助
07時17分 回転翼が東浜小学校で8名救出
08時34分 秋田救難隊の回転翼が石巻郵便局要救助者10名収容
08時45分 三沢ヘリ隊が湊中学校で41名収容完了
08時55分 入間ヘリ隊が石巻第2小学校より17名を搬送
12時03分 百里救難隊がよりいそ小学校で要救助者11名(大人7名、子供4名)の収容完了
15時34分 第1輸送航空隊(小牧)が救援物資の毛布5000枚を福島空港に輸送
20時34分 第2輸送航空隊(入間)が救援物資の糧食600箱を新潟へ輸送
(15日) 07時00分 北空 大槌トンネル付近地上での消火活動開始
07時13分 CH−47J消火活動開始(大槌トンネル)
09時54分 北空第1派遣隊 折笠地区消火活動開始
13時57分 航空支援集団司令部(府中)が気仙沼での孤立者80名を空輸
16時20分 CH−47J×1機消火活動終了(天候悪化のため)
18時37分 原発給水部隊 福島県庁到着
22時06分 第2輸送航空隊C−1×1機(入間)が非常糧食(カップ麺)を花巻に4200個、福島に1500個輸送
22時19分 第2輸送航空隊C−1×1機(入間)が消火バケット輸送のため百里に向け名古屋発
22時57分 第1輸送航空隊KC−767×1機及びC−130×1機(小牧)、第3輸送航空隊C−1×1機(美保)が非常糧食(パン)18万2000食を花巻に空輸
※15日を通じて、航空支援集団(府中)の回転翼が石巻市で187名、東松島市で8名孤立者等を空輸
(16日) 07時00分 北空 大槌トンネル付近地上での消火活動開始
08時11分 UH−60J 捜索救難のため千歳離陸
08時17分 U−125A 捜索救難のため千歳離陸
08時22分 第1輸送航空隊C−130×1機が物資輸送のため入間離陸
第3輸送航空隊C−1×1機が糧食輸送のため広島到着
08時46分 第1輸送航空隊C−130H×1機が物資輸送のため百里到着
09時37分 第1輸送航空隊C−130H×1機が水輸送(10トン)のため花巻到着
10時04分 第3輸送航空隊C−1が水輸送(5.2トン)のため花巻到着
15時32分 第1空輸隊C−1×1機が物資輸送(カンテラライト及び糧食3.2トン)のため松島着陸
15時39分 第3輸送航空隊C−1×1機が糧食輸送のため入間離陸
16時17分 第3輸送航空隊C−1×1機が水輸送のため福島着陸
16時20分 北空:山田第1派派遣 毛布配布完了、豊間根生活改善センター200枚、豊間根中学校580枚、豊間根小学校350枚、自治交流センター40枚(合計:1170枚)
16時39分 第3輸送航空隊C−1×1機が救援物資(マドレーヌ3.2トン)空輸のため花巻到着
17時38分 第1輸送航空隊C−130Hが水輸送(13.4トン)のため福島到着
18時34分 第1輸送航空隊C−130Hが水輸送(10トン)のため福島到着
18時53分 第3輸送航空隊C−1が糧食30000食(3.3トン)を百里に輸送
19時13分 第3輸送航空隊C−1が救援物資(糧食3.6トン)空輸のため百里到着
19時30分 第1航空輸送隊C−1×1機(小牧)が糧食30000食を百里基地に輸送
23時00分 小牧空港から福島空港にKC−767×1機 糧食158000食を輸送
23時45分 第1輸送航空隊C−130Hが救援物資(毛布2000枚)空輸のため福島到着
他、細部確認中
(17日) 06時15分 大滝根炊き出し部隊が田村市船引高校にて炊き出し開始
07時04分 第3輸送航空隊C−1が救援用器材(防護セット)(1.3トン)を百里に輸送
07時10分 北空山田作業隊(人員9名、車両2台)山田漁港から国道45号線までのガレキ除去
07時11分 第1輸送航空隊C−130H×1機が救援物資(医療品16トン、糧食4トン)を福島空港に輸送
08時40分 山田第1派遣隊(カーゴ1台、人員30名)北浜地区の人命救助とガレキ除去
10時57分 第1輸送航空隊C−130H×1機が救援物資(8.5トン)を花巻空港に輸送
11時32分 第2輸送航空隊C−1×1機が救援物資(3.9トン)を花巻空港に輸送
11時47分 第1輸送航空隊C−130H×1機が救援物資(水)を花巻空港に輸送
12時57分 第3輸送航空隊C−1が救援物資(毛布、水、紙オムツ)空輸のため福島着陸
13時46分 第3輸送航空隊C−1が救援物資(防護マスク、防護衣、米)空輸のため福島着陸
14時33分 第2輸送航空隊C−1が救援物資(ビスケット)空輸のため福島着陸
15時31分 第1輸送航空隊C−130が救援物資(カーゴローダー、毛布)空輸のため松島着陸
16時15分 第1輸送航空隊C−130が救援物資空輸のため松島着陸
16時19分 第1輸送航空隊C−130が救援物資(水)空輸のため花巻着陸
16時36分 第1輸送航空隊C−130が救援物資空輸のため松島着陸
17時26分 第2輸送航空隊C−1が救援物資(防護マスク、ガスフィルタ)空輸のため花巻着陸
17時40分 第1輸送航空隊C−130が救援物資(水)空輸のため花巻着陸
(18日) 06時13分 第1輸送航空隊KC−767×1機が小牧から福島へ救援物資(おにぎり及びパン)を空輸
07時56分 第2輸送航空隊C−1が救援物資(カップ麺)空輸のため松島到着
07時56分 第1輸送航空隊C−130が救援物資(おにぎり、パン)空輸のため福島着陸
08時20分 第2輸送航空隊C−1×1機が入間から松島へ救援物資(カップ麺)を空輸
08時27分 第3輸送航空隊C−1が救援物資(パン)空輸のため花巻着陸
08時31分 第2輸送航空隊C−1が救援物資(カップ麺)空輸のため松島着陸
08時51分 那覇ヘリCH−47J×1機が入間から松島へ救援物資(カップ麺及び燃料)を空輸
09時00分 第3輸送航空隊C−1×1機が千歳から松島へ救援物資(水)を空輸
09時27分 第1輸送航空隊C−130が救援物資(水)空輸のため松島着陸
09時45分 第1輸送航空隊C−130が救援物資(水)空輸のため松島着陸
09時54分 那覇ヘリCH−47が救援物資(カップ麺)空輸のため松島着陸
他、細部確認中
11時07分 第2輸送航空隊C−1×1機が入間から松島へ救援物資(カップ麺)を空輸
11時52分 第3輸送航空隊C−1×1機が福岡から福島へ救援物資(毛布、水、紙おむつ)を空輸
12時36分 第3輸送航空隊C−1×1機が名古屋から花巻へ救援物資(パン)を空輸
13時02分 第3輸送航空隊C−1×1機が千歳から松島へ救援物資(水)を空輸
13時08分 第3輸送航空隊C−1×1機が名古屋から福島へ救援物資を空輸
13時21分 第1輸送航空隊C−130×1機が小牧から花巻へ救援物資(パン)を空輸
13時24分 入間ヘリCH−47J×1機が、患者等13名を庄内空港へ空輸
14時17分 第1輸送航空隊C−130×1機が千歳から松島へ救援物資(水)を空輸
14時32分 第1輸送航空隊C−130×1機が千歳から松島へ救援物資(水)を空輸
14時39分 第2輸送航空隊C−1×1機が入間から松島へ救援物資(カップ麺)を空輸
15時01分 第2輸送航空隊C−1×1機が入間から松島へ救援物資(カップ麺)を空輸
15時27分 第2輸送航空隊C−1×1機が入間から松島へ救援物資(カップ麺)を空輸
15時37分 入間ヘリCH−47J×1機が、患者等9名を庄内空港へ空輸
15時52分 第2輸送航空隊C−1×1機が入間から福島へ救援物資(パン)を空輸
16時07分 飛行開発実験団C−1×1機が岐阜から花巻まで支援物資輸送
16時17分 三沢ヘリCH−47J×1機が、患者等を庄内空港に空輸
16時20分 入間ヘリCH−47J×1機が、庄内から松島へ救援物資(糧食等)を空輸
17時33分 三沢ヘリCH−47J×1機が、庄内から松島へ患者を空輸
18時21分 第2輸送航空隊C−1×1機が小牧から花巻へ救援物資を空輸
18時48分 第1輸送航空隊C−130×1機が千歳から花巻へ救援物資(おにぎり、米)を空輸
22時26分 第2輸送航空隊C−1×1機が福岡から松島へ救援物資を輸送
(19日) 05時57分 第1輸送航空隊KC−767×1機が名古屋から福島へ救援物資を空輸
08時59 第1輸送航空隊C−130H×1機が名古屋から松島へ救援物資を空輸
09時28分 第1輸送航空隊C−130H×1機が名古屋から花巻へ救援物資を空輸
10時03分 第3輸送航空隊C−1×1機が名古屋から花巻へ救援物資を空輸
10時47分 第2輸送航空隊C−1×1機が入間から花巻へ救援物資を空輸
10時50分 第3輸送航空隊C−1×1機が福岡から福島へ救援物資を空輸
11時02分 第1輸送航空隊C−130H×1機が福岡から福島へ救援物資(毛布、紙おむつ及び簡易トイレ)を空輸
11時24分 新潟救難隊UH−60J×1機が宮城病院から高田駐屯地へ患者2名を空輸
11時25分 第2輸送航空隊C−1×1機が入間から松島へ救援物資(灯油及び糧食)を輸送
11時35分 飛行開発実験団C−1×1機が岐阜から花巻へ救援物資(ブルーシート)を輸送
11時55分 第1輸送航空隊C−130H×1機が三沢から松島へ救援物資(水)を空輸
11時52分 第2輸送航空隊C−1×1機が福岡から福島へ救援物資(毛布、紙おむつ及び簡易トイレ)を輸送
12時14分 新潟救難隊UH−60J×1機が高田駐屯地から新潟基地へ患者2名を空輸
12時22分 那覇ヘリコプター空輸隊CH−47J×1機が入間から松島へ救援物資(灯油)を空輸
12時29分 第2輸送航空隊C−1×1機が岐阜から花巻へ救援物資(特殊ミルク)を輸送
13時41分 第1輸送航空隊C−130H×1機が千歳から花巻へ救援物資(水及び米)を空輸
13時58分 第3輸送航空隊C−1×1機が入間から松島へ救援物資(燃料)を空輸
14時40分 入間ヘリコプター空輸隊CH−47J×1機が入間から松島へ救援物資(灯油)を空輸
15時02分 第2輸送航空隊C−1×1機が入間から松島へ救援物資(もち)を輸送
15時04分 第1輸送航空隊C−130H×1機が千歳から花巻へ救援物資(米)を空輸
15時21分 第1輸送航空隊C−130H×1機が小牧から花巻へ救援物資(パン)を空輸
15時26分 新潟救難隊UH−60J×1機が宮城病院から高田駐屯地へ患者2名を空輸
15時54分 第2輸送航空隊C−1×1機が入間から福島へ救援物資(流動食)を輸送
15時59分 百里救難隊UH−60J×1機が石巻市内避難所から石巻日赤病院まで患者(6か月乳幼児、親及び医師)空輸
16時07分 第1輸送航空隊C−130H×1機が千歳から松島へ救援物資(水)を空輸
17時11分 第2輸送航空隊C−1×1機が岐阜から花巻へ救援物資(簡易トイレ及び水)を輸送
17時37分 第1輸送航空隊C−130H×1機が入間から福島へ救援物資(もち及びパン)を空輸
17時37分 第3輸送航空隊C−1×1機が小牧から福島へ救援物資(民生救援支援物品)を空輸
18時33分 第3輸送航空隊C−1×1機が小牧から福島へ救援物資(民生救援支援物品)を空輸
18時40分 新潟救難隊UH−60J×1機が宮城病院から新潟基地へ患者1名を空輸
19時13分 第1輸送航空隊C−130H×1機が小牧から福島へ救援物資(流動食)を空輸
20時09分 第3輸送航空隊C−1×1機が小牧から福島へ救援物資(もち)を空輸
20時30分 第1輸送航空隊C−130H×1機が小牧から福島へ救援物資(流動食)を空輸 
20時55分 第1輸送航空隊C−130H×1機が小牧から福島へ救援物資(水、医療品及び流動食)を空輸
(20日) 08時40分 百里RQ UH−60J×1が田代島から松島へ医療チーム(9名)を空輸
08時40分 2輸空隊C−1×1が入間から松島へ救援物資(簡易トイレ)を空輸
08時58分 2輸空隊C−1×2が入間から松島へ救援物資(ドラム缶)を空輸
09時03分 飛実C−1×1が岐阜から花巻へ救援物資(トイレットペーパー、水)を空輸
09時11分 2輸空隊C−1×1が入間から福島へ救援物資(カップ麺)を空輸
09時25分 2輸空隊C−1×1が入間から福島へ救援物資(カップ麺)を空輸
10時34分 3輸空隊C−1×1が岐阜から花巻へ救援物資(トイレットペーパー、水)を空輸
他、細部確認中

○原子力災害派遣による活動
(11日) 21時20分 中央特殊武器防護隊(大宮)の車両7両(化学防護車×4両を含む)が駐屯地を出発。
(12日) 02時05分 中央特殊武器防護隊(大宮)の車両7両(化学防護車×4両を含む)が矢板ICへ到着。
02時25分 東京電力のケーブルを輸送するための第1ヘリコプター団のCH47×3機が霞ヶ浦飛行場へ到着。到着後、ケーブルを搭載し、福島第2原子力発電所へ輸送予定。
03時35分 中央特殊武器防護隊(大宮)の副隊長含む2名が福島第一原発付近のオフサイトセンターへ到着
04時50分 中央特殊武器防護隊(大宮)の車両7両(化学防護車×4両を含む)が白河ICへ到着。じ後、オフサイトセンターへ向け前進。
06時14分 航空支援集団(府中)が福島第1原発へバッテリーを空輸
06時48分 東北方面隊の人員約100名、車両50両がオフサイトセンターに向け福島駐屯地を出発。(活動場所は、確認中。)
08時30分 中央特殊武器防護隊(大宮)の車両7両(化学防護車×4両を含む)がオフサイトセンター到着。
20時00分 CH−47×3機、UH−1×3機をもって、双葉町老人福祉会館及び厚生年金病院の寝たきり・要介護老人等約200名を川俣町農村広場へ空輸。
20時34分 CRF(朝霞)のUH−3機、CH47×3機が福島第1原発周辺住民の避難輸送を終了。
22時07分 第1輸送航空隊(小牧)のC−130×1機が冷水ポンプ用のモーター3個を福島へ輸送。じ後、陸上自衛隊の車両で輸送。
(13日) 08時05分 原発冷却水支援のため、北部航空方面隊、中部航空方面隊、航空総隊直轄部隊の水タンク車9台が四倉町到着
10時50分 第12化学防護小隊が二本松で除染対象者40数名のうち約半数を除染完了
13時37分 CRFの回転翼が空中モニタリングのため木更津駐屯地を離陸
13時56分 CRFの回転翼が空中モニタリングのため大宮に着陸
14時00分 第12化学防護小隊が二本松の除染所において除染対象50名の除染
15時15分 CRFの回転翼が空中モニタリングのため大宮を離陸
15時55分 CRFの回転翼が空中モニタリング一時中止
17時57分 空自給水車両10両が福島第2原発に到着、作業開始
17時58分 CRFが福島第2原発での給水作業を開始
20時28分 空自による福島第2原発での給水作業終了
(14日) 01時00分 中央特殊武器防護隊(大宮)が川俣町体育館において住民100名に対して除染
01時30分 空自による福島第2原発での給水作業(第2回目)再開
05時00分 空自による福島第2原発での給水作業(第2回目)終了
06時45分 福島第2原発に対する給水活動継続実施中
12時34分 福島第2原発で人員50名が給水活動を実施中
15時00分 第12飛行隊が福島第1原発20km圏内の要救助者の空輸を再開
20時56分 福島第1原発2号機が危険な状態のため、オフサイトセンターから郡山駐屯地へ移動(但し、CRF副司令以下14名はオフサイトセンターに残留)
※福島第1原発3号機の爆発により自衛隊員が4名負傷
(15日) 08時15分 回転翼による空中モニタリング終了(女川原発付近)
15時52分 冷却水注入に必要なポンプ燃料の第2原発への輸送完了
16時30分 回転翼による空中モニタリング終了 (横須賀教育隊付近)
16時46分 福島県庁で中央特殊武器防護隊27名が除染終了
18時35分 除染部隊 県庁から郡山駐屯地へ撤収
22時20分 福島県立医大病院に、中央特殊武器防護隊15名で除染所を設置
(16日) 22時36分 原発空中消火のための回転翼 霞目基地到着
23時20分 原発放水支援部隊 Jビレッジより郡山駐屯地に到着
他、細部確認中
(17日) 09時14分 モニタリング機(UH−60×1)、福島第1原発へ向けJ−ビレッジを離陸
09時48分 CH−47が福島第1原発3号機に散水(1回目)
09時53分 CH−47が福島第1原発3号機に散水(2回目)
09時56分 CH−47が福島第1原発3号機に散水(3回目)
10時00分 CH−47が福島第1原発3号機に散水(4回目)
16時14分 消防車Gp Jビレッジ出発 原発へ 消防車5、化防車2、小型1、マイクロ(東電)1 合計9両
17時37分 自衛隊の消防車×5及びその他の関係車両が第一原発正門に到着
19時35分 自衛隊の消防車による福島第1原発3号機への放水開始
20時07分 自衛隊の消防車による福島第1原発3号機への放水(5回)終了
(18日) 13時54分 モニタリング機(UH−60×1機)J−ビレッジに着陸
14時00分頃 自衛隊の消防車により福島第1原発3号機に放水開始
14時38分 自衛隊の消防車により福島第1原発3号機に放水終了
20時20分 第7化学防護隊主力が郡山駐屯地に到着
21時10分 第5化学防護隊が郡山駐屯地に到着
(19日) 06時47分 CH−47(サーモグラフィ・放射線測定機搭載)×1機による福島第1原発上空モニタリング終了
19時35分 福島第1原発(東電)で使用予定の投光機×25をJビレッジに輸送
(20日) 08時20分 自衛隊の消防車による福島第1原発4号機への放水開始
09時29分 自衛隊の消防車による福島第1原発4号機への放水完了
   報道資料
記者会見
お知らせ
参考資料:報告書等
参考資料:人事発令
参考資料:叙勲者等受章者
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コメント
 
01. 2011年3月21日 11:35:18: pXYUzq0rnA
民主党の仙谷は

       「自衛隊は暴力装置」    と言った。

真実を伝えよう

       「民主党はポル・ポト装置」 である。


02. 2011年3月21日 12:46:56: 3agGQPqCIU

高齢避難者への対応を迫られる日本

2011年 3月 21日 7:46 JST

 【石巻】タカハシ・カツタロウさん(71)は、11日に東北地方を襲った大震災以降、避難所となっている鹿妻小学校に寝泊まりしている。津波で車3台が乗員ごと自宅の一階に突っ込み、糖尿病の薬と義歯も津波にさらわれた。


それまで毎日、糖尿病を抑える注射を打ってもらっていたが、薬を失っても、今のところ問題はない。ほとんど食事をとっていないからだ。

 被災地の石巻を見渡しながら、タカハシさんは言う。「今の状況は戦時中よりもっとひどい。戦時中は、われわれ子どもは空襲のある場所から疎開先に逃げることができた」

 高齢者の多さは、大震災と津波襲来以降の救援活動が直面している日本特有の難題の一つとなっている。日本の人口の20%以上は65歳以上であり、国民の平均年齢はほとんどの諸外国よりはるかに高い。日本のへき地では、高齢者が人口の約30%を占めている。多くの避難所では、滞在者の大半が高齢者だ。

 先週の津波で甚大な被害を受けた被災地に到達すべく、救助隊が依然必死の努力を続けるなか、震災に見舞われる前からすでに病弱の身だった何万人もの高齢者にとって、危機が時々刻々迫りつつある。

 



国連人道問題調整事務所(OCHA)や地元の報道によると、避難所生活や医療補給物資不足が原因で、すでに15人以上の高齢者が死亡した。OCHAによると、食料、医薬品、暖房が依然不足しているため、多くの避難所では状況が悪化しつつあり、高齢被災者がとりわけ危険にさらされているという。

 国際的医療・人道援助団体、国境なき医師団(MSF)日本のエリック・ウアネス事務局長は「高齢者の慢性疾患治療を再開することが焦眉の急」と語る。震災で薬や処方せんをなくしてしまっているため、高齢者は、けがや心の傷を負ったばかりか、心臓病、糖尿病といった持病の治療に必要なものを持ち合わせていない。

 高齢被災者についての懸念が高まるなか、少なくとも一部の地域ではより多くの救援物資が届き始めている。とはいえ、食料や医薬品の多くの配達便は、悪路や荒天のため、依然、立ち往生したり遅れに見舞われている。OCHAによると、停電世帯数は1日前の約45万世帯から約37万5000世帯に減った。しかし、日本政府は、国際救援機関への支援要請を手控えており、救援物資は被災者の元までなかなか届かない。

 宮城県の三陸沿岸にある人口1万7000人の漁村、南三陸町にある避難所は、何枚も重ねた毛布に身をくるんだ高齢者であふれかえっていた。

 南三陸町の主要避難所である総合体育館「ベイサイドアリーナ」では、トレーニングルームが臨時診療所に模様替えされている。正午過ぎ、高齢者が午後3時の医薬品配布のため、表に並び始めた。行列は数百人にも達した。

 たった一人の医師が、患者を一人あたり約30秒で診て、テーブルに並べられた12種類ほどの中から薬を処方する。医師から薬を処方された患者は、看護師のところへ行って薬を受け取る。列で待っている最中に立っていられなくなった2人の高齢者は診療所に運び込まれた。

 診療所のドアの張り紙にはこう書かれていた。「普段2錠以上服用されている場合でも、1錠しかお出しできませんので、ご了承ください」

 同様の難問はほかの場所でも持ち上がっていた。太平洋岸の福島・宮城両県からの避難者の多くは、被害の少なかった西側の隣県、山形県に避難している。山形市総合スポーツセンターは16日、避難者に門戸を開放し、家を失った避難者や原発の近くから逃れてきた避難者を目下約1000人収容している。

 山形市企画調整課政策推進総括主幹の原田実氏は、「高齢者の健康問題にこれから取り組もうとしているところ」と語った。

 ちょうどそのとき、別の市職員が駆け込んできて、「お取り込み中すみませんが、困ったことになりました。車いすに乗って独り言をつぶやいている、おそらく80代のお年寄りの女性が運び込まれてきました。どうしましょう」と尋ねる。

 原田氏は、「ここには認知症に対応できる設備はない。適切な施設に運んでもらえ」と指示してこちらに向き直り、肩をすくめる。「そうした介護のできる人員も設備もここにはないもので」

 原発の放射能を恐れて福島県太平洋岸の南相馬市から避難してきた避難者たちによると、多くの住民は高齢の親の面倒をみるため、地元に残ることを決断したという。

 「うちの夫は、母を置き去りにできなかった」と語るコハタ・ミチエさん(63)は、避難命令が出た後に自宅にとって返した夫(63)といまだ連絡がとれずにいる。81歳の義母は、急ごしらえの避難所では対応できそうにない医療ニーズを抱えており、家に残ると言い張ったため、そばに付き添うべく、息子である夫は家に戻った。コハタさんは、「二人の無事をただ祈ることしかできない」と話している。

記者: Daisuke Wakabayashi and Toko Sekiguchi and Eric Bellman

http://jp.wsj.com/Japan/node_205314


03. 2011年3月21日 12:55:00: 3agGQPqCIU

千葉の製油所火災が鎮火 震災から10日ぶり

2011.3.21 12:19

 千葉県市原市消防局は21日、東日本大震災の影響で発生したコスモ石油千葉製油所(市原市)の火災が同日午前10時10分に鎮火したと発表した。発生から10日ぶり。

 市消防局によると、タンクや配管に残留していたガスが燃え尽きた。再燃の可能性はないとみているが、ガス濃度の計測を続ける。

 火災は11日午後3時半ごろ発生。作業員6人が全身やけどなどの重軽傷を負った。19日に鎮圧した後も再び燃え上がるのを防ぐため、冷却水の放水を続けていた。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110321/dst11032112190039-n1.htm


04. 2011年3月21日 14:18:16: uTM8hqfQSw
>>1
まずはこの投稿をしっかりと読んで事実から目をそらさないでもらいたい。

>第68-69代 防衛庁長官、第4代 防衛大臣だった石破も去年3月30日に「暴力装置」と言ってるよ(笑)
http://www.asyura2.com/10/senkyo99/msg/747.html
>投稿者 SOBA 日時 2010 年 11 月 18 日

正義の自己保身の為に殺戮を目的とした部隊こそが軍隊でしょ。
警察等は国内に限定するが、軍隊は国境を越えて攻撃を行なう。
ただ、反乱軍と判定した国民へ銃口を向ける場合もある。

でもね、国家を、国民を守るのが任務だから非常事態に軍隊が国民を助けるのは当たり前なんだけど
阪神淡路大震災では、伊丹駐屯地が独自で真っ先に救助態勢を整えましたが「命令」がなければ
動けないので出動が遅れた事実はあります。

暴力装置とは言い過ぎですが、事実から目を背けても何も変わらないよ。
日本の危機だから右翼は私財を投げうって支援せよ!となぜ言わないんですか?
被災地へ身ひとつで乗り込み、ボランティアで被災者達を助けガレキなどを片付けたりする
人達は愛国を叫んでいますか?
そんな事関係ないでしょ。

助けたい!少しでも役に立ちたい!!
この一心のはず。

今は非常事態です。
まず先に被災者の為に頑張っている人達に感謝の言葉を書いて下さい。
災害を抑えようと原発で尽力を尽くしている人達にエールを送って下さい。

批判して何になる?
まるで、交通事故を起こして巻き添えのけが人も多数出ているのに、運転手は何をしているんだと
けが人を無視して批判合戦しているようなものです。

まず先にやるべき事は解るでしょ。


05. 2011年3月21日 15:46:14: vsQNW1nuO6
「アジア侵略のための20万を越える軍部防衛庁を即時解体して10万人の緊急災害救援部隊を創設せよ!」
それは日本国民の悲願だった。
戦後、国民が災害の度に訴えて来た圧倒的な声であった。
原発は腐敗した薄汚い階級層と組んで、日米軍事同盟の副産物として日本に導入された。

「中国が攻めて来る」とか「北朝鮮が上陸して来る」などと三菱軍需廠のために狂った寝言を喚きながら日米軍事訓練を連発はするが、
1度でも数万単位の対災害訓練をしたことがあるのか!

http://esashib.web.infoseek.co.jp/tohokuzisin01.htm

戦後、火急の災害列島予算を、侵略強盗の軍需予算が食い尽くして来た。
国家間憎悪を煽り軍事危機を捏造しながら軍需経済が国土と人心を破壊しつくして来たのである。

地方都市の貴重な土地を強奪占拠している自衛隊と米軍の軍事基地と、年間5兆円を越える軍事予算が地方経済と社会のモラルをボロボロにして来た。

「アジア侵略のための20万を越える軍部防衛庁を即時解体して10万人の緊急災害救援部隊を創設せよ!」
それは日本国民の悲願だった。
悲惨な被災者が声を振り絞る願いだった。
戦後、国民が災害の度に訴えて来た声は圧殺され続けて来た。

http://esashib.web.infoseek.co.jp/tohokuzisin03.htm

米軍の震災支援は売名行為だった! 
米軍の震災支援は売名行為だった! 
http://esashib.web.infoseek.co.jp/tohokuzisin03.htm
【琉球新報社説】
米軍の震災支援は売名行為だった! 
どんな理屈を使おうが普天間はいらない201
1/03/19

毎年、月を措かず攻撃を仕掛けて来る災害に対して、日本軍部は国民を置き去りにして我先に逃亡した満州関東軍と同じに何もしないばかりか攻撃が終了して国民が倒れた後に出動する始末である。
何が抑止力か!
毎月5000億円もの血税を浪費しながら国民を守るために災害攻撃に立ち向かうでもなく、ソ連が上陸して来るとか、張子の虎の北朝鮮が攻めて来るなどと狂ったような寝言を喚き続けているのだ。
災害という凶暴な敵によって毎年毎年次々に倒されて行く国民を守るために軍事予算5兆円の内半分も使っていない、
ふざけた組織としかいいようがない。

http://esashib.web.infoseek.co.jp/mitubishi01.htm

「中国が攻めて来る」とか「北朝鮮が上陸して来る」などと気が狂ったような寝言を喚きながら、1隻1500億円毎年の維持費40億ものインチキ戦艦を6隻も買い込むなどという発狂振りなのだ。
毎年、どれだけの国民が災害に攻撃され、倒されているかを知らないはずはあるまい。

1970年の日本の軍事費は5,695億円、1980年は2兆2,302億円、今は5兆2千億円、日本の軍事費は10年で3.9倍増にもなっている。


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