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コンパクトシティーのすすめ 〜東日本大震災に思う〜
http://www.asyura2.com/09/jisin16/msg/895.html
投稿者 sci 日時 2011 年 4 月 10 日 23:33:00: 6WQSToHgoAVCQ
 


http://www.asahi.com/housing/column/TKY201104080268.html
2011年4月8日 

 日本の根幹を揺るがす東日本大震災が起きてもう1カ月になろうとしている。TVニュースが映すその爪痕は、いまも生々しい。大地震、大津波、原発事故という三重の同時災害、さらに被災地が太平洋岸沿いに広域だったことが、世界中を震撼(しんかん)させる未曽有の大災害となった。だが、この大災害は、私たちが日々の暮らしの中で見失いかけていた多くのことを、いや応なくあらためて気付かせてくれた。

 大津波に襲われた海辺の街は、無残の一言でしかない。跡形もなく破壊された木造家屋の破片が積み重なる残骸はどこまでも広がり、そこに横転し散らばる無数の自動車群。その光景は、耐震設計された住宅は地震に耐えても津波には全く無力だったこと、また車社会の危うさともろさを、まざまざと実感させてる。

 その壊滅状態の街や村で、家族を亡くし悲しみにくれながらも大人も子供も共に助け合う被災者の姿に、多くの人が感銘を受けたことだろう。そして、この事態に誰を責めるでもなく黙々と災害の後片付けをする東北人の忍耐力と気骨さが、この日本を根もとで支え続けてきたのだとあらためて思う。そこには、現代日本人が忘れかけていた「相互扶助」と「自己責任」の精神がしっかりと生きている。人が共に生きていくうえで、その精神の大切さを私たちはあらためて気付かされたはずだ。

 原発事故で関東首都圏は節電を余儀なくされた。でも、節電しているコンビニもその照度で十分だし、むしろ夜の街並みが情緒豊かになったように思う。海外を旅して感じることだが、東京ほど夜が明るい都市はない。これまで家の中も明る過ぎたようにも思う。ひとつのほのかな明かりに家族全員が集う暮らしに戻ってみて、家族の絆がより深まることを実感した人も多いのではないだろうか。

 また、今回の大地震と大津波は「想定外」だったと言う科学者や政治家や電力関係者の発言を数多く聞いた。確かにその通りかもしれない。でも、その発言には、古(いにしえ)より日本人が培ってきた自然への尊敬の念や謙虚さを忘れた私たち現代人のおごり、高慢さが、端的に表れてはいまいか。現代科学技術を駆使して建造された巨大堤防や原発は、自然の猛威にもろくも崩壊し、大惨事を招いたのだ。それを「想定外」の天災と言い、またある政治家は「天罰」と言うが、その発言に責任転嫁の心根が見え隠れしてならない。被災し亡くなられたたくさんの方々の冥福を祈りながら、自然への尊敬の念と謙虚さを忘れた私たち一人一人が猛省すべきだろう。被災地の復興、さらにはこれから日本の再生をめざすにあたって、すべてはそこから始まるように思う。

 さしあたっては、電力などのエネルギー危機が、目の前に迫っている。日本は、これからも原発や化石エネルギーに頼っていくべきだろうか。いや、地球環境を考えれば、いずれにしろ太陽熱や風力などの自然エネルギー利用へと大きく方向転換をせざるを得ないだろう。そして、ガソリンを大量消費する車社会からの脱却を目指さざるを得ない。そのためには、都市機能をコンパクトにまとめた街づくりが不可欠となる。

 長距離通勤をしない職住の近接、また商店街や公共施設や公園などの日常生活圏が自転車または徒歩圏内にあることを原則にした都市が、いわゆる「コンパクトシティー」だ。20世紀の近代都市は、都市と田園の間に「郊外」を誕生させ、長距離通勤を前提にしたモダンリビング、つまり郊外住宅をつくり続けてきた。その象徴が東京大都市圏である。コンパクトシティーにもはや「郊外」はなく、交通手段の主役はトラム(路面電車)と自転車になる。そして、インターネットのサイバースペースが、リアルスペースのコンパクトシティーをしっかりとサポートするだろう。

 その時、津波が予想される海辺はどうあるべきだろう。津波のシミュレーションはある程度は可能だから、それに基づき海辺は美しい公園やスポーツグランドにすればいい。地盤の液状化現象が予測される海を埋め立てたエリアも同様だ。港とは、トラムでコンパクトシティーの中心街と結べばいい。

 コンパクトシティーには、戸建住宅を建てず、住宅のすべてを低層あるいは高層の集合住宅にすべきだと思う。眺望を楽しみたい家族はタワーマンションの高層階に、大地に接し庭を楽しみたい家族はタウンハウスに住めばいいだろう。住宅は、都市の界隈性を豊かにするためにも適度に高密度化し、すべてを鉄やコンクリートの耐火構造にすべきである。木や紙などの自然素材のぬくもりが欲しければ、インテリアデザインで十分可能だ。戸建住宅の暮らしを楽しみたければ、山や海に小さな別荘を持てばいいだろう。

 コンパクトシティーのイメージを簡単に述べたが、その実現には、何よりもまず21世紀の日本という「国のかたち」のグランドデザインが不可欠だ。そして、私たちの暮らし方や価値観を大きく方向転換(パラダイムシフト)させなければならないし、長い年月も要するだろう。そのとき、自然への尊敬の念と謙虚さを決して忘れてはならない。

 わが家に、水を注ぎ足すだけで、水の取り換えも掃除をしたこともないガラス水槽が二つある。いずれも、水草の光合成で水も水槽もとてもきれいだ。そのひとつには、水草と共に小さな沼エビが1匹なんと十数年も生き続けている。もうひとつの水槽は最近のものだが、メダカと沼エビと藻を食べてくれるモノアラ貝が元気に生息している。そこに、東日本大震災の余震おさまらぬさなか、体長2mmほどのメダカ・ジュニアが誕生していることを発見し、心がとても穏やかになった。大自然も小さな自然も、自然は偉大だ。
 

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コメント
 
01. 2011年4月11日 01:09:44: l2wLeeJmIs
この方向で間違いは無いと思います。

しかし、
グランドデザインに安藤忠雄を使おうとする
デザイン音痴な今の権力者には期待できないので
後は、各自が持つ能力で
この世界観のディテールを
作るということをやるしかありません。

とにかくこのような理想のデザインを
頭の中に持っている人はたくさんいると思います。
こうなってみると、
本当はの理想だけが、
明治から走り続けた日本人に培われた
本物の財産(華)だと思うのですが。


02. jesusisinus 2011年4月11日 05:12:26: veLsqfdw2ggms : oAV5LSClNA
コンパクトシティー??笑

オリジンと吉野家とマクドナルドとコンビニ…

小さいのは、リスク分散にはいいが、フランチャイズの金太郎飴に過ぎないw

そこに地産地消???

ありえんw

結局は、既に日本人は地域を捨てており、街は金太郎飴…商品も金太郎飴…

It's too late 笑


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