★阿修羅♪ > 国際4 > 712.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
第四インターナショナル第16回世界大会決議案「気候変動」 (かけはし)
http://www.asyura2.com/09/kokusai4/msg/712.html
投稿者 ダイナモ 日時 2010 年 2 月 27 日 20:28:52: mY9T/8MdR98ug
 

http://www.jrcl.net/frame100301f.html

気候変動とわれわれの任務決議草案(中)         かけはし2010.3.1号
再生可能なエネルギー源の利用を

全世界で搾取と自然破壊に対する共通の闘いの開始を    ダニエル・タヌロ

 以下に、第四インターナショナル第十六回大会に正式議案として提出される、気候変動問題に関する決議案を掲載する。この文書は、パンフレットとして昨年九月に出版公表した文書を、その後のインターナショナル内外の討論を反映させた上で簡略化し決議案としたものである。(本紙編集部)

エコ社会主義の戦略と展望


4 気候変動は、世界規模の社会主義という対案と、社会主義の構想の生産力主義からのラディカルな決別が緊急に求められていることを物語っている。炭素循環の飽和と再生不能な資源の枯渇は、実際、これまでとは異なって、労働者の解放が主要な自然条件の制約を同時に考慮することなしには考えられなくなっていることを意味する。

 資本主義的成長に反対することは、それ自体としては、一つの社会の構想を成すものではなく、また、もう一つの世界を目指す広範な社会運動の戦略を成すものでもない。物質的生産と消費を削減することは、気候の安定化のためにただちに必要である。なぜなら、資本主義は人類をあまりにも深く袋小路へ引き込んでしまったからである。しかし、それは、いかなる意味でも、将来の、気候が安定した後における発展の可能性をあらかじめ決定するものではない。それはまた、他方において、化石燃料を使用しない経済への必要な移行の一つの量的基準にすぎない。われわれが反社会的な、あるいは反動的な結論に導かれることを拒否するためには、この量的基準を、とくに、賃下げなしの労働時間の短縮や公共セクターの発展などの質的基準と結びつけなければならない。これらの基準が満たされるならば、また、物質的生産の削減が無益あるいは有害な生産を対象とする限りにおいて、そのような削減は実際には大多数の人にとっては満足と、豊かさと、生活の質の向上と同義となるだろう。社会セクターへの投資、多様な都市計画・農村計画、基本的サービスの無料での利用、自己の活動のために必要な自由時間の回復、あらゆるレベルにおける自主的組織化と民主的自己管理を通じてである。

 資本主義的生産は物質的生産および消費と不可分であるが、それは結果であって原因ではない。交換価値の抽象的形態としての価値の生産こそが、一方の極への無限の富の蓄積に向かう永続的傾向を導き、同時に他方における貧困と困窮の蓄積を引き起こしているのである。この二重の現実を考慮に入れない気候対策は失敗するしかない。決定的に重要な点、そして反資本主義的オルタナティブのテコとなるのは、依然として、基本的には社会主義の構想の中で定義されていること、つまり、利潤のための競争、生産手段の私的所有、商品の生産、競争、賃労働システムを基礎としたシステムに対する搾取され抑圧された人々の動員である。しかし、この決定的に重要な点、そしてこのテコはもはやオルタナティブを定義するためには十分ではない。炭素循環の飽和は、実際、これまでとは異なって、労働者の解放が主要な自然条件の制約を同時に考慮することなしには考えられなくなっているという事実をもっとも明白に、もっともグローバルに証明している。つまり、歴史の尺度で見た再生不能資源の埋蔵量の制約、再生可能資源の補充速度、エネルギー変換の法則、生態系の機能の条件、生物学的循環とそのリズムなどの制約である。

 社会主義がエコロジーの問題を取り上げる必要を確認するだけでは不十分である。本当の課題は、社会主義の構想が地球規模のエコロジーと共存可能であるための条件を作り出すことである。発展について考える際には、真に民主主義的に決定された人間のニーズを満たすことだけでなく、環境との関係における持続可能性、さらには生物圏の複雑さ、未知の要因、および進化する性質がこの課題に一定の除去不可能な不確実性を付与していることを考慮しなければならない。「人間が自然を支配する」という考え方は放棄しなければならない。今日以降、唯一の現実的に可能な社会主義は、当事者自身によって民主主義的に決定される真の人間のニーズ(商品という形の疎外されたニーズとは区別される)を満たし、同時にそれらのニーズとそれを満たす方法が環境にもたらす影響について慎重に自問するような社会主義である。

 社会と生態系の相互関係について考えるということは、第一に、自然についての隔離された、功利主義的な、直線的な見方、つまり自然は人間が活動する物理的な土台、人間がその社会的生存のための生産を行うために必要な資源を取り出す貯蔵庫、あるいは人間の活動による廃棄物を投棄する廃棄場であるという見方を超えることを意味する。実際には、自然は土台、貯蔵庫、廃棄場であるのと同時に、広範な生命のプロセスであり、それは外部からの太陽エネルギーの供給の助けを借りて物質をそれらの柱の間で循環させ、絶えずそれを再編成している。したがって、生物圏の巧みな仕組みを壊さないためには、廃棄物とそれを処理する方法は、量においても質においても、生態系による再循環の許容量とリズムに適合していなければならない。しかし、この巧みな仕組みは、生物学的な担い手の数と多様性、そしてそれらを結びつける多くの関係の連鎖の複合性に依存しており、その流れのバランスが究極的には人間への資源の供給を決定する。

 社会と生態系の相互関係について考えるということは、第二に、生産様式は生産および所有関係によってだけでなく、技術の構造―それはエネルギーの選択によって規定される―によっても定義されるという現実からの教訓に学ぶことを意味する。気候変動はこのことを明確に示している。ある生産様式で使用されるエネルギー源と、エネルギーを人間のニーズ(食糧、熱、光)を満たすために変換する方法は、社会的に中立ではなく、明確な階級的性格を持っている。資本主義のエネルギー・システムは再生不能な資源を無政府的、浪費的、非効率的に利用し、大量の「死んだ労働」に依存し、また、商品の過剰生産に向かう傾向をもつことを特徴としている。社会主義に向けた社会的転換は、そのようなシステムを解体し、それを計画的で、経済的で、効率的で、「生きた労働」に依存し、もっぱら再生可能な資源を基礎とし、耐久的で実用的な価値―再循環および再利用が可能な―の生産を指向する非集中的なシステムによって置き換えることを必要とする。この転換は、狭い意味でのエネルギーの生産にのみ関わるものではなく、産業構造、農業、交通、余暇、都市計画と農村計画の全体に関わる。エネルギーと気候に関わる課題はわれわれに、社会主義革命というものを単にブルジョア国家の破壊とプロレタリア国家の樹立 _それは樹立と同時に消滅を開始する _ と大衆による自主管理の漸進的拡大としてだけではなく、古い資本主義的生産体制を破壊し、それを民主主義的に決定された目標の実現を助ける異なるエネルギー源、異なる技術、異なる機構を利用する代替的な体制に置き換えるプロセスの開始としても構想することを要求している。この非常に根本的な歴史的変化は一国または一群の国において開始できるが、世界規模の社会主義革命の勝利の後で、発展における基本的な不平等が取り除かれることによってすべての人間が人間的な生存のための基本的権利を充足することが可能になったときにのみ、その特性を全面的に発展させ、完成することができる。実際、それはそれぞれの国のエネルギーや食糧における自立の基本的な実現を必要条件とする。それは人間社会の発展の終わりを意味するものではなく、科学と技術の重要な前進と、それを民主主義的な方法で応用するための社会的な力の発展を意味し、それは生物圏に「慎重に配慮する」という文化の枠組の中ですべての人々が能動的に参加し、そのような文化において先住民共同体が重要な役割を果たすことを意味する。

 革命的マルクス主義は、ひとたび人間の基本的な必要が満たされたとき、人間社会の質的な発展が量的な発展よりも重要になると考える。この考え方はマルクスの考え方と一致しており、マルクスにとって真の豊かさは自由時間、社会的諸関係、世界認識の中に存在する。太陽エネルギーを中心とする再生可能なエネルギー源をもっぱら利用する共産主義という展望は、この非生産力主義的思想との連続性の中に位置づけられるものであり、それを深化し、要求・課題・綱領に新しい結論を組み込もうとするものである。そのような深化によって、エコ社会主義という新しい概念を使用することが正当化される。エコ社会主義は資本主義による人間労働の搾取と自然資源の破壊に対する共通の闘争の集約的な表現であり、人間と自然の間に確立されるべき「調和」についての理想主義的、空想主義的構想から出発しているのではなく、社会と環境の間の物質の交換を管理し、同時に人間の必要と生態系の正常な機能の間の緊張を意識的、集団的、民主主義的に管理するという唯物論的必要性から出発している。

われわれの課題

5・1 社会運動活動家が大衆の意識の発展を助け、気候に関する大衆運動を組織することができるように準備する。

 気候のための闘争は、最初に、社会的勢力の間の関係の確立を必要とする。問題の緊急性と資本家政府の犯罪的政策を前にして、われわれはすべての国において、世界規模で連携した強力な統一的大衆運動を作り上げるために活動する。この運動は、さまざまな領域において存在する社会的抵抗が、集中的な共同行動や、時々の共通の最小限の綱領をもとにしたデモンストレーションを通じて格子状につながるものとして構想されるべきである。その目標は、政府に対して、「共通だが差異のある責任」の原則と、すべての人々に社会的・民主主義的権利と人間としての生活の権利を保証するという原則を尊重しつつ、少なくともIPCCによって勧告されている排出削減目標の中の最も大幅な削減を目標するよう強制することである。気候を保全するための大衆運動が困難な課題であることの一つの原因は、その原因と結果が空間的にも時間的にも離れたところで発生することにある。地球温暖化とその影響に関する情報を知らせるための広範なキャンペーンが必要である。それは特に、種々の社会運動や左翼政治組織の中心的活動家に向けられなければならない。なぜなら、そのような中心的活動家が、グローバルな気候変動の脅威と特定の社会問題を具体的に結合し、そこから社会的闘争と環境のための闘争を結合することを可能にする戦略を導く上で決定的な役割を果たすからである。

5・2 気候のための闘争と社会的公正のための闘争を結合する左翼潮流を確立する。

 必要な変革は、人口の大多数を構成する被搾取・被抑圧層の動員と能動的参加なしには実現できない。資本主義の気候政策は、この参加に道を閉ざしている。なぜなら、そのような参加は社会レベルで受け入れられないからである。この政策は実際、帝国主義の支配と資本主義的競争と暴力、搾取、抑圧、社会的不平等、労働者間の競争、権利の侵害、資源の私的な簒奪の強化を意味する。特に、この政策は大量の温室効果ガスを排出する部門で雇用されている何百万人もの労働者の雇用、賃金、社会的既得権に関して提起される重要な課題に対して何の回答も提供しない。したがって、それは正当な社会的抵抗に直面せざるを得ない。大きな環境NGOは政府の環境問題に関する目標をラディカル化させようとしている一方で、このラディカル化が同時に反社会的な攻撃の強化を含んでいることを見ようとしない。これは行き詰まりである。われわれは気候のため、そして社会的公正のための結合された闘争の必要性を擁護する。広範な運動の中で、われわれはこれらの二つの側面を結合し、市場の手段、資本蓄積、新自由主義的支配、危険な技術を基礎とした提案に一貫して反対する左翼の極の確立を目指す。この極は、労働組合、エコロジスト、グローバル・ジャスティス、フェミニスト、第三世界左翼、「衰退しつつある」左翼、ラディカル左翼や批判的科学者等の組織などの要素を結集させようとする。   (つづく)

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2010年3月01日 15:42:41
第4インター日本支部、お前ら除名されたんだよな。

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
フォローアップ:

 

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 国際4掲示板

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。

     ▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 国際4掲示板

 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧