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「天国も死後の世界もない」、英物理学者ホーキング氏が断言 ロイター
http://www.asyura2.com/09/nature4/msg/621.html
投稿者 ダイナモ 日時 2011 年 5 月 17 日 21:26:52: mY9T/8MdR98ug
 

5月16日、「車椅子の物理学者」として知られる英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士が、英紙ガーディアンのインタビューで、「天国も死後の世界もない」と語った。カナダで昨年6月撮影(2011年 ロイター/Sheryl Nadler)


http://jp.reuters.com/article/mostViewedNews/idJPJAPAN-21136220110517


[ロンドン 16日 ロイター] 「車椅子の物理学者」として知られる英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士(69)は、天国とは闇を恐れる人のおとぎ話にすぎないとし、死後の世界があるとの考えを否定した。16日付の英紙ガーディアンに掲載されたインタビューで述べた。

 ホーキング博士は「(人間の)脳について、部品が壊れた際に機能を止めるコンピューターと見なしている」とし、「壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない。それらは闇を恐れる人のおとぎ話だ」と述べた。

 博士は21歳の時に筋萎縮性側索硬化症(ALS)という進行性の神経疾患と診断され、余命数年とされた。「自分は過去49年間にわたって若くして死ぬという可能性と共生してきた。死を恐れてはいないが、死に急いでもいない。まだまだやりたいことがある」と語った。

 また、人々はどのように生きるべきかとの問いに対し「自らの行動の価値を最大化するため努力すべき」と答えた。

 1988年の著書「ホーキング、宇宙を語る」で世界中に広く知らるようになった博士は、2010年の著書「The Grand Design(原題)」では宇宙の創造に神の力は必要ないとの主張を展開し、宗教界から批判を浴びている。  

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コメント
 
01. 2011年5月18日 10:30:48: 7WZekNACgc
死後の世界なんて共同幻想だとは思うが、それに縋りたい気分も確かにある。

02. 2011年5月18日 11:48:06: x2XXoXATeA
なんだ、釈迦の言葉と同じだね。

弟子「人は死んだら、あの世にいくのでしょうか?」

釈迦「死後の世界があると思ってもいけないし、無いと思ってもいけない」
詰り、死後の世界なぞ考えるなということ。

天国や地獄という言葉で、人心を弄ぶことを糾弾したんだよ。


03. 2011年5月18日 13:26:17: Tp7t8XpNp2
あくまで主観的な論旨だが、この人間というものを人間たらしめているというものは、機械部品にあたる脳ではなく、意しきであり、それは言うなれば波動であり、波動とはエネルギーであるから永遠に不滅であると論じている人間がいるし、自分が見ている事物、体験することでさえ脳というフィルターを通してのものでしかない、とさえいっている。確かに臨死体験者などの話などを読むと、一度死んでしまった脳が何故あれだけの詳細な世界観をもって帰ってくることができるのか不思議ではある.しかし、こういったことを支持しない者にいわせると、『それは死に際して非常事態に陥った脳がクルクルパーになっただけだ』といっている。ここでもまた脳にこだわるのである。こういったことというのは、彼らアカデミックな科学者らにとっては、とても彼らが畏敬の念を抱いて信じている科学というものの範疇には入らないということだろう。もしかしたら、われわれが生きるこの世というのは、宇宙的なレべルから見たら数ある波動の中のほんの一部なのかもしれないのだ

04. 2011年5月18日 21:44:05: kKhDXMeBuI
>>もしかしたら、われわれが生きる

  この世というのは、

宇宙的なレべルから見たら数ある波動の中のほんの一部なのかもしれないのだ<<


 その通りだ!


05. 2011年5月20日 09:15:05: jW6TkWtv6g
たぶん、元のホーキング博士の肉体は殺されています。ニセの肉体と入れ替わり、魔物の魂が入っています。
死後の世界は無いというのは、魔物だから言えることです。

06. 2011年6月24日 02:34:06: i61bhQNaCU
死後とかを次元と捉えないなんて、どういう物理?意味わかんないです。

07. 2011年6月24日 02:38:19: i61bhQNaCU
>「(人間の)脳について、部品が壊れた際に機能を止めるコンピューターと見なしている

人間がコンピューターならば、私は信用していますよ。矛盾だらけで嘘だらけ
だから、信用出来ない人が多いので、人間はそんなのではないですよね。

私は人工無能と話すほうがまだ信用出来ますよ。


08. 2011年6月24日 03:46:58: i61bhQNaCU
>弟子「人は死んだら、あの世にいくのでしょうか?」

>釈迦「死後の世界があると思ってもいけないし、無いと思ってもいけない」
詰り、死後の世界なぞ考えるなということ。

>天国や地獄という言葉で、人心を弄ぶことを糾弾したんだよ。


多少違います。危機管理の問題です。「もしあったら?」の場合を想定して
動くことが大切ですので、いざあったらどうするつもりでしょう。?

そういう問題です。いつも最悪の場合を考えつつ、楽観的というか
万全を期して、生き抜くのが大切です。
人生は辛いとかそういう問題ではなく、寿命まで生き抜くことが大切ですが
その場合、もし地獄があったら?の場合も考えて生き抜くことが価値あります。

そうしなければ、ただだらだら生きるしか出来なくなります。
ただ、だらだら、キャバクラに行ったり、ただ、だらだら、浮気をしたり
それは漂流という状態で、人生ではないです。
道がないばかりか、進んでさえないです。そう、後退しながら生きているみたいな
感じ。道がないところを進んでいればまだマシ、進んでいる人なんて
ほとんど見たことありません。道がないから、進んでさえいませんね。

生きるとは、進むこともあります、時間は流れているのに
人ならば、時間もともに進むはずが、そうではなく、袋小路にしかいません。
生きぬくことは誰かを犠牲にしてではなく、ロゴスの覚醒にありますね。

真に生きるとはそういうことで、他は歩いてさえいません。
ホーキングさんは、もし、真の物理を感じ取ることが出来るのならば

それは真に歩いていると言えるのです。


09. 2011年11月21日 08:56:16: 6Oi3GMXcks
天国も地獄も外にあるという意味じゃなくて、すべて自分の内側にある。
宇宙も自分の内側にある。
壮大な思考を持つ人間は何でも創造できるのだから、有ると思えば顕れ、無いと思えば消える。
自分で書いて分かってないけど。

10. 2011年11月23日 11:16:10: BfmE4nEGqI
ホーキング博士は頭脳は最優秀かもしれないが、霊的にはかなり劣った人です。
死後の世界がないなんていう人は霊性はかなり低い。
霊性の低い人は死後の世界は語れない。
霊性が高くなってこそ死後の世界がわかります。
科学的天才(アインシュタイン、ホーキングなど)は霊性が低い。
死後の世界など霊的なことは分からない。
霊的天才(キリスト、空海など)は霊性が高い。霊性が高い人は奇跡を起こすことができます。

11. 2012年6月01日 04:05:16 : V8XMbrfTAM
このおっさんは無知の知と云う言葉の意味を考えた方が良い。
あまり本当の意味では賢くないぞ、この物知り馬鹿の博士。
死んでもいない奴が死後の世界について語るな!

12. 2012年8月11日 14:04:30 : DzkXYrvcxw
彼(博士)の宗教言語に対する読解力が不足しているだけでは?
固体、液体、気体、プラズマ体などの科学的変化を宗教界では死後の世界と表現していると云うこと。
細胞が死んだら、ラマン光が出ると観測された科学論文のチェックを怠るから、恥をかく。天国に入る=プラズマ高エネルギー法則を象徴している言葉じゃん。
赤ちゃんはガンマ脳波で熟睡する+ガンマ放射光レベルまで達成するための人生設計=「幼子(赤子)の様でなければ天国へ入れない。byキリストの例え」
博士は、もっと脳科学のクオリアについて研究して、先人達が言葉と云う伝達道具で何を伝えたかったか、考えてみよう!ガンバレ。

13. 2012年10月12日 19:35:22 : AiChp2veWo
5さん、いいですね〜。誰しも精巧なもの言うロボットは不気味でしょ。

14. 2013年12月15日 05:16:58 : AiChp2veWo
不可視の世界、人の意識ある、霊的次元世界があると仮定、もしくは思えば、もしくは気づけば、彼は生きる気力を無くす、と思う。出来る事なら、彼の病が治りますように祈ります。人類の代わりに苦しんでおられるような気もしますし。

15. 2013年12月15日 19:50:12 : EpbZ2Bn4If
人間が、直に行って見て間近で確かめる事が出来ないと言う意味では、宇宙の遠くの星や銀河なんかも、あの世と定義出来るよな?。夜空に光ってて目には見える以上、現実の存在ではあるが、実質的にはあの世と同じ。人類の持っているポテンシャルによって、あの世の定義も、変わって来るのではなかろうか?。今の人類の科学が何万年も進化したら、ひょっとしたら、実際に、あの世とも行き来できるのかも知れないし。現在の物理学的な結論として、あの世は存在しないと言うのも、間違ってはいないと思う。

16. 2014年5月26日 10:50:33 : Tik9EqdkXw
気の毒な方ですね。
肉体的にも、精神的にも。

17. 2015年5月12日 20:41:23 : LBtbDXFoS6
日本の有名な大寺院の一番偉いお坊様(何とお呼びするのかは忘れたが)もいつかテレビで聞かれて言っていた。

「来世があるか?
そりゃあんた、そないなこと死んでみないとわかりませんがな(笑)」

日本人の多くはこの言葉に納得すると思う。

神の存在もそうだが、あるかないか、はっきりさせないと気が済まないのが西洋人。
その点、気の毒な人たちだと思う。


18. 2015年5月12日 21:32:09 : MahlUWvjZ5
 人は死ねばm単に機能停止するだけだ。それは全く正しい.天国も地獄もないし、輪廻転生もない。
 最も生きている君たちも所詮は試行錯誤しているに過ぎない。
 と言うわけで、色即是空空疎奇しき是。
 それが正しい。

19. 2017年1月03日 12:39:47 : aB6P22NWhY : JQG39_gYt_U[1]
死後の世界はあると信じた方が救いがある。
科学的にはっきり証明されたらいいのに、と思う。
そうなったら、この世に跋扈する悪党どもは、ガクブルになって悪事をやめるだろうがね。
絶対あると思うよ。最近、身近な人から不思議な話を聞いたから。
地球が宙に浮いて上下左右もないって、考えたらすっごい奇妙じゃん。


衝撃真実】死後の世界は100%存在した!【奇跡と感動】                      『新・霊界物語 第百十九話』
.

与国秀行
https://www.youtube.com/watch?v=1llcFT0oNMs


J-CASTニュース

「死後の世界必ずあります。亡くなった肉親らがお迎え」信じたくなる京大教授『臨死体験研究』

2013/8/19 15:22
http://www.j-cast.com/tv/2013/08/19181721.html?p=allから抜粋

(略)・・ベッカー氏は1951年に米国シカゴに生まれ、ハワイ大学で宗教哲学の博士号を取得後、大阪大学、筑波大学の教員などを歴任して、92年に出版した『死の体験―臨死現象の探求』は、作家の遠藤周作氏から「臨死体験について書かれた最高の一冊」と絶賛された。

こんな奇跡があったと週刊現代が紹介している。<当時15歳の少年・A君の事例だ。A君はある日、学校帰りにバスを降りたところで自動車にはねられ、頭蓋骨から脳の一部が飛び出すほどの重傷を負い、49日間も生死の境をさまよった。だが50日目、奇跡が起きた。意識が戻ったのだ>

ベッカー氏が駆けつけ、A君から話を聞いた。<「私が会ったとき、A君は人工呼吸器も外れ、話ができる状態になっていました。彼いわく、意識を失ってる間に『暗いトンネル』を3回ほど通ると長い『川』に出て、船でその川を遡った、と。すると向こう岸に『花園』が見えたので、船を降りてそこで遊ぼうとした。ところが、知らないお爺さんが出てきて『お前はXか』と聞かれた」>

Xというのはその少年の父の名前だ。A君と父親は良く似ていたという。話を続ける。

<「話を聞いたA君のお母さんは、その容姿や動作、話し方が、自分の祖父に非常に似てることに驚き、A君に古い写真を見せました。A君はそれまで、曾祖父と会ったことも写真を見たこともなかったはずなのに、写真を見るや『この人だ』と言ったのです」>

人は死を恐れる。だから死の直前、死の恐怖と苦痛を緩和するために、脳はその主に一種の「夢」を見せるのだという考え方もあるそうだ。だが、死の淵から生還した多くの人たちがいっていることにも、何らかの「真実」があるのではないだろうか。死ねば無である。そう考えている私でも、ちょっぴり死後の世界を信じたいと思っている。ベッカー氏はこういっている。

<「先に亡くなった肉親らがお迎えに来るのだから死はまったく怖くない。それを知れば、残される人も『いずれ愛する人のところに行ける』と安心し、死に対する恐怖が減ります。肉体は死んでも、故人の意識は別の世界に行くのだという気持ちになれば、日本でしばしば起きる、遺族の後追い自殺などの悲劇もなくなるでしょう。病気と闘うのは良いが、死と闘おうとしても勝てません。少々の延命はできても決して死は直せないのだから」>・・(略)


20. 2017年4月12日 13:26:27 : K6dZaxaD1Y : PLk2odh7WCQ[14]
死後の世界があるかどうかは、科学の問題では無い。これを科学の問題だと捉えることが間違い。

ただし、この場合の科学とは、物理的な実在や現象の因果関係を解明すること、という意味での科学だ。

物質とは離れて、精神の動きを研究する心理学も科学だから、死後の世界は心理学の研究対象にはなるかも知れない。

人は死ねば生命としての組織はなくなり、物質的にはどこかに消散し、考えたり感じたりする脳も生命体も実在しなくなるのは間違いのない事実だ。

神や死後の世界や極楽や地獄は、生きている人間の心の中にあるもので、信じることが実在であり、信じなければ実在ではない。 死んで見なければわからないと思えば、それも真実だ。



21. 2017年4月20日 23:54:38 : Qk0z0gVGLY : lQZkNLxHm_4[945]
まあ物理学なんてのはあとから覆される可能性があるからなあ。

将来、死後の世界の存在が物理的に観測されました、とか、可能性ゼロじゃないし。
あのアインシュタインでさえ静的世界を量子論で否定されたし。

ブッダが言ってるとおり、それぞれの死生観宗教観でいいじゃないかな。
ブッダは宗教やる側だから、個々の判断にまかせる、とは直接言わないけどw


22. 2017疾風[118] glGCT4JQglaOvpWX 2018年1月07日 18:22:28 : bvClp2kXK6 : Y1SOko9sbHc[7]
以下の米国の著名な脳外科医自身の臨死体験を見て各自判断していただきたいと思います。https://www.youtube.com/watch?v=8keDBHbe8cI
ホーキング博士は死んだ経験がないのだから天国や地獄は存在しないと断言するのは傲慢だと思いますけどね。死後の世界は存在することを証明する体験談のほうが圧倒的に多いですよ。

23. 中川隆[-5493] koaQ7Jey 2018年3月23日 06:36:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8578]
普遍的無意識の事を死後の世界と認識してるんだよ

ユングは死というものをどのようにとらえていたのでしょうか?

「死は心的に誕生と同じくらい重要で、誕生と同様に人生を統合する構成要素で

ある」そして、また、「死は心理学的に正しく見るならば、終わりではなく目標

であり、それ故に正午の高みを過ぎるやいなや死への人生がはじまる」と述べて

いるように、人生の後半を重視する心理学を提唱したユングにとって、死は常に

中心的なテーマであったようです。

来世や死後の世界は、ユングがその中に生きたイメージやユングの心を打った考え

の記憶から成り立っていて、それはある意味ではユングの著作の底流をなしており、

ユングにとっては、死や死後の世界というのは、真に実感を伴ったものであって、

現実性を持ったものであったということです。

しかし、ユングは、死後の世界、死後の生命については物語を語る以上のことは

できないと言っているようです。これが神の問題にしろ、存在の問題にしろ、

常にそれの心理学的なイメージしか対象にせず、それを物語るという形で拡充

していくというユングのスタイルであるという。

ともかく、ユングは夢によって、多くの神話的世界観と同じように、死者の世界

や死後の生命を実感していたようですが、そのなかで、伝統的に、死者は偉大な

知識の所有者であると考えられてきたけれども、死者は自分が死んだときに知って

いたことしか知らないとしているのは興味深いことです。

また、河合氏は、ユングが母親の死に際して遭遇した矛盾した感情、一方では深く

悲しみに沈みつつ、心の底では悲しむことができず、喜びを感じるという感情の

パラドックスについても次のように述べています。

「ユングはこのパラドックスを、死ということがあるときは自我の視点から見ら

れ、あるときは心全体から見られたためだと解している。自我の観点からすると

死は破局である。「死とはおそろしい残忍性である」として、死がいかに残忍で

あるかを言葉を尽くして強調している」「しかし他の観点からすると死は聖なる

結婚であり、喜ばしいことなのである」と。

そして、母の死に対して結婚式のようなお祭り騒ぎを聞いたとあるように、死と

いうものを結合として捉えるのもユングの特徴のようです。

ともかく、ユングの言うことは神話的世界観に共通しているけれども、それは、

たとえば、先祖は山にいると信じられているといった、単にある文化で伝承

されてきた世界観というわけではなく、ユングが経験的に確かめてきたもの

だということです。

ユングの臨死体験についても、特徴的なことが述べられています。

ユングは、70歳になる直前に心筋梗塞等で危篤状態に陥ったそうです。

そのとき見たビジョンでは、ユングは地球を離れて完全に向こう側から、

宇宙の側から地球を見ているのであるが、多くの臨死体験で体を抜け出

した魂が上の方から自分を見ているのに対して、ユングは地球のはるか

上に昇っていって、地球を見ていたという。河合氏は、個人を越えた無

意識や魂を提唱した人にふさわしい臨死体験ではないかと述べています。

また、臨死体験で言われる光の体験や至福感はユングにも認められるが、

苦痛があるというのが興味深いとしています。様々なことが脱落していく

のがいかに苦しかったかを強調しており、それが薄っぺらい至福感がやたら

強調される臨死体験よりも余計に本物らしいインパクトを与えてくれると

いうのです。

その後の回復過程で、ユングは来世における彼の結婚式のビジョンを見た

ということですが、ここからも、死とは婚礼であり、結合の神秘である

というユングの思想が、まさに彼自身の体験に基づいていることが

わかるとしています。

ユングは、85歳で亡くなります。彼の死に対しては、英雄視し、ほとんど

聖人伝説のような扱いをするものもあるが、一方で、ユングは悟った聖人など

ではなく、混乱の迷いのうちに死んでいったという報告もあるようです。

河合氏は、これほど死について考え、また、体験していながら、まだ分から

ないことや迷いがあったことが大切なように思われるとして次のように述べ

ています。

「臨死体験や死後の生命、異界などのイメージを取り上げてしまうと、逆説的

なことに、これらが「この世」の話になってしまいがちである」「もしも神に

ついて知ってしまっているならば、それは神は人間の世界の中に位置づけられ

てしまって、神でなくなってしまっている。死ぬ数日前のユングが、「まだ

欠けているところがある」と述べたように、知っているということは、知らない

ということに同時に裏打ちされてこそ意味を持つのである」「だから死について

もユングは知っていたし、知らなかったと考えられるのである」と。

ユング自身も、「われわれ自身の独自性―すなわち、究極的には限定されている

こと―を知ることにおいて、われわれはまた無限性を意識する力をもつことに

なる」と「自伝」で述べています。
http://cs2593.blog.fc2.com/blog-entry-88.html

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24. 中川隆[-10252] koaQ7Jey 2019年5月21日 17:12:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2085] 報告
死後の世界について

ブッダは、人間が死後も存在するかどうかというような人間の知識を超えることがらについては、それは独断にすぎず、無益な

ものであると考えて、沈黙を守りました。


________________________________

滅びてしまったその人は存在しないのでしょうか? あるいはまた常住であって、そこなわれないのでしょうか。世尊よ、どう

かそれをわたしに説明してください。あなたは真理をあるがままに知っておられるからです。

師は答えた。ウパシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準がない。かれを、ああだ、こうだと論議する根拠がかれ

については存在しない。あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、すべての論議は絶えるのである。
(スッタニパータ 1075〜1076)

尊者マールンキャプッタは人影のないところへ行って静思していたが、その心に次のような考えが起こった。

「これらの考え方を世尊は説かれず、捨て置かれ、無視されている。すわなち ---

世界は永遠であるとか、世界は永遠ではないとか、世界は有限であるとか、世界は無限であるか、魂と身体は同一なものである

とか、魂と身体は別個なものであるとか、人は死後存在するとか、人は死後存在しないとか・・・、

これらのさまざまな考え方を世尊はわたしに説かれなかった。世尊がわたしに説かれなかったということは、わたしにとって嬉

しいことではないし、わたしにとって容認できることでもない。だからわたしは世尊のところへ 参って、この意味を尋ねてみよ

う・・・。

もし世尊がわたしのために、これらのことを説かれないようなら、わたしは修学を放棄して世俗の生活に帰るとしよう。」(中

略)

「マールンキャプッタよ、わたしはおまえにそのようなことを教えてやるから、わたしのもとにきて修行せよ、と言ったことが

あるか。」

「師よ、そのようなことはありません。」

「マールンキャプッタよ、わたしはそのようなことを教えてやると言ったこともないのに、愚かにも、おまえはわたしがそのよ

うに説くことを要求し、そのように説くことをしないわたしを拒もうとしている。(中略)

マールンキャプッタよ、人間は死後も存在するという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということはない。

また人間は死後存在しないという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということもない。

マールンキャプッタよ、人間は死後も存在するという考え方があろうと、人間は死後存在しないいう考え方があろうと、まさに

、生老病死はあり、悲嘆苦憂悩はある。現実にそれらを
征服することをわたしは教えるのである。
(マッジマ・ニカーヤ 63)


ヴァッチャよ、[世界は常住かどうか、霊魂と身体とは一体であるかどうか、人は死後にもなお存するかどうか、などのような

種類の問い]に対する見解は、独断に陥っているものであり、見惑の林に迷い込み、見取の結縛にとらわれているのである。そ

れは、苦をともない、悩みをともない、破滅をともない、厭離、離欲、滅尽、寂静、智通、正覚、涅槃に役立たない。
(マッジマ・ニカーヤ 72)

弟子たちよ、『我(アートマン)』や『我がもの』などは、真実として捉えられるものではないのであるから、このようなもの

に立脚した教え、つまり、『我と世界は一つである』とか、『我は、死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう』というよ

うな教えは、まったく愚かな教えであると言えないだろうか。」

「まったくその通りです、師よ。まったく愚かな教えであると言わねばなりませぬ。」
(マッジマ・ニカーヤ 22)
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/okawa.html

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25. 中川隆[-10251] koaQ7Jey 2019年5月21日 17:13:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2086] 報告

(マッジマニカーヤ72、アングッターラニカーヤ34)

ヴァッチャは、さらに、尋ねて聞いた。

「世尊よ、では、執着を離れて解脱した者は、いずこにおもむいて生れるのであろうか。」

「ヴァッチャよ、おもむいて生まれるというのは、適当ではない。」

「では、どこにもおもむいては生まれぬというのであろうか。」

「ヴァッチャよ、おもむいて生まれぬというのも、適当ではない。」

「世尊よ、それでは、わたしはまったくわからなくなってしまった。以前に世尊と対座問答することによって、わたしの得た深い確信すらも、すっかり消えうせてしまった。」

すると世尊は、彼のために、このように説明せられた。

「ヴァッチャよ、なんじがまったく解らなくなったというのは、当然であろう。ヴァッチャよ、この教えは、はなはだ深く、知りがたく、すぐれて微妙であって、智慧あるもののみが知りうるところのものである。他の見解にしたがっている者や、他の行をしている者には、とうてい知られがたいものであろう。

だが、ヴァッチャよ、わたしはさらに、なんじのために説こう。いまわたしが、なんじに問うから、思いのままに答えるがよい。

ヴァッチャよ、もしなんじの前に、火が燃えているとしたならば、なんじは、火が燃えている、と知ることができるか。」

「むろんである。」

「では、ヴァッチャよ、この火は何によって燃えるのであるかと問われたならば、なんじは何と答えるか。」

「それは、この火は、薪があるから燃えるのだと、わたしは答える。」

「では、もしなんじの前で、その火が消えたならば、なんじは、火は消えた、と知ることができるか。」

「むろんである。」

「では、ヴァッチャよ、かの火はどこに行ってしまったかと問われたならば、なんじはいかに答えるか。」

「世尊よ、それは問いが適当ではない。かの火は、薪があったから燃えたのであり、薪が尽きたから消えたのである。」

そこで、世尊は、うなずいて、説いていった。

「ヴァッチャよ、まったくその通りである。そしてそれと同じように、かの色をもって人を示す者には、色が捨てられ、その根は断たれる時、その人はすでになく、また生ぜざるものとなるであろう。

その時、ヴァッチャよ、人は色より解脱したのである。・・・

そして、ヴァッチャよ、受についても、想についても、行についても、識についても、また同じである。」

(同上、増谷文雄訳)


ヴァッチャは、古代インド人の常識として当然のごとく、バラモン教・ヒンズー教・俗信の伝統にしたがって、執着を離れて解脱したものはどこか善いところ赴いて生まれると思い込んでいたのです。

そのために、ブッダにつまずいてしまったわけです。

ブッダの思想には、どこかに赴いて生まれる(赴いて生まれない)とか、よい世界に生まれ変わる(生まれ変わらない)とかいうような問いは、「いままで燃えていた火はどこに行ったのか」と問うことがまったく見当違いの問いであるように、まったく見当違いの問いだったからです。

ブッダは、比喩を用いて、火が消えるのはただ薪が燃え尽きたから消えたにすぎないのであって、火がどこか別の世界に赴いて行ったのではない、というのです。ヴァッチャは、これを聞いてブッダの意味するところを理解することができ、ブッダに帰依します。

ブッダは「人は悟って天国に帰る」などとは説きませんでした。
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism20.html


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