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生物学を知っていると、「経済」が読める。なぜか? 効率のべき乗則
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投稿者 MR 日時 2012 年 9 月 20 日 19:34:25: cT5Wxjlo3Xe3.
 

生物学を知っていると、「経済」が読める。なぜか?

東京工業大学本川達雄教授×池上 彰 第4回

2012年9月20日(木)  池上 彰

池上:前回は、組織が大きくなればなるほど、働かない人間が増えてくるように(笑)、生物も構成する細胞の数が増えるほど、ひとつひとつの細胞の働き方は減ってくる、というお話でした。生物学は、人間が作る組織や社会、経済を知るために、実は基本になる“教養”なのではないでしょうか。


本川 達雄(もとかわ・たつお)
生物学者。1948年生。東京大学理学部生物学科卒業。東京大学助手、琉球大学助教授を経て、1991年より東京工業大学教授。生命理工学研究科所属。ナマコやウニの研究をしている。著書に『ゾウの時間ネズミの時間』(中公新書)、『生物学的文明論』(新潮新書)、『「長生き」が地球を滅ぼす』(文芸社文庫)、『サンゴとサンゴ礁のはなし』(中公新書)、『ナマコガイドブック』(共著、阪急コミュニケーションズ)、『ウニ学』(東海大学出版会)など。歌う生物学者としても知られ、CDや、CD付き受験参考書『歌う生物学 必修編』(阪急コミュニケーションズ)もある。ホームページはこちら
(写真:大槻 純一、以下同)
本川:私が研究しているイタボヤというホヤの仲間がいます。食用にするホヤは1つの個体が単独生活していますが、イタボヤは、体の一部から芽が出て、新たな個体ができてくる。つまりクローンを増やしていって、たくさんの個体が集まってくっついた「群体」をつくります。サンゴなどと同じですね。

 このイタボヤを実験材料として、群体のサイズとエネルギー消費量の相関関係を調べてみました。すると、群体のサイズが大きくなればなるほど、1個体あたりのエネルギー消費量が少なくなるのです。

池上:ホヤの群体も人間の組織とそっくりです。

本川:群体の消費するエネルギー量は群体の重量の4分の3乗に比例する、という、ゾウとネズミの間で知られている例の関係式と同じ関係になりました。1個体あたりのエネルギー量は、群体の体重の4分の1乗に反比例して減る、ともいえます。つまり、組織が大きくなればなるほど、動物の個体もさぼるわけです。

池上:社会性ハチやアリの仲間でもそんな話を聞いたことがあります。人間の場合は、2対6対2の法則でしたっけ。どんな組織でも、2割はよく働き、6割は普通、2割は働かない。では働かない2割を取り除くとみんなが働くかというと、やはり2対6対2の比率になってしまう、という……。

本川:それはシステムのサイズを考慮した話ではないので、実際には集団の規模が変化すると、その比率が変わってくるんじゃないか、というのが、ここでの話です。個体をとりのぞいて集団が小さくなると、働く者の比率が増えるはずです。

 サイズが大きくなればなるほど、相対的にエネルギー消費量は減る。具体的には、体重の4分の1乗に反比例する、というのは、群体や集団のみならず、個々の生物の個体をつくっている細胞単位で見ても同じです。ちゃんと4分の1乗の法則に当てはまる。

池上:つまり、体重が5キロの生物と50キロの生物のエネルギー消費量を比較すると、単純に10倍の差が付くのではなくて、その差はもう少し小さくなるわけですか?

本川:そうです。システムが大きくなると働かない、エネルギーを消費しない細胞が増えるということです。

 人間も所属する組織が大きくなればなるほど働かなくなる割合が高くなると言われます。働かなくなるのは、脳の発達していないイタボヤでも起こるわけですから、大企業では、人目につかないからさぼろうと悪知恵を働かせているわけじゃなくて、これはシステムの問題だと、私は考えています。

本川:そのシステムの問題とは何か、です。生物は生き残って子孫を増やすという目的をもったシステムで、そのシステムは細胞という要素からできており、その細胞がエネルギーを使って活動しています。

 そして、企業も、生き残って売り上げを増やすという目的をもったシステムで、そのシステムは個人という要素からできており、その個人がエネルギーを使って活動している。こう定義すると、生物も企業も同じです。だとしたら、生物のサイズの法則性が、経済学にも当てはまってもいいのではないでしょうか。

池上:確かに、経済学にも収穫逓減の法則というのがありますね。なるほど、経済というのは、人間という生き物の行動の結果ですから、生物学の発想をベースに、規模やサイズを考慮しながら組織を編成したり、社会を再構築したりする、というのは理にかなっている、ということになります。

 すると、経済の側の人間にとっても、文系の人間にとっても、生物学を学ぶことは……。

現実の世界は、正比例ではなく、ケタで変わる

本川:はい、とっても役に立つんですよ。イタボヤの話なんか、まったくみなさんに関係ない、と思うでしょう。ところがそんな役に立たないはずの生物学が、むしろ役に立つ。でも、世の中はそんなものです(笑)。

 経済学では、個人は、いつでも同じに働くと仮定して、理論を立てます。「会社の規模が大きいからさぼってやろう」などとは考えないと仮定する。サイズの問題、規模の問題を考慮しません。要素そのものは変わらないのだ、というのが、経済学でも物理学でも、共通している考え方です。粒子主義という考え方で、科学の基本。生物学を勉強すると、そういう基本的なところをも、見直す視点をもつことができます。

 せっかく規模やサイズの話をしたから、もうひとつ、生物学の視点から人間社会の話をいたしましょう。

 たとえば、組織は大きい方がいいのか? 小さい方がいいのか?

 生物の世界を眺めればわかりますが、地球上には目に見えない細菌から、クジラまでが生息している。あらゆるサイズの生き物がいる。大きいものも小さいものもサバイバルしている。

 ここで生物から人間社会にイメージを広げると、企業にしても社会にしても、大きいか、小さいか、は生き残りの第一条件ではない、ということになりそうですね。

池上:確かにそうですね。

本川:問題は、規模の大小ではなく、その規模にあった生存戦略をもっているかどうか、です。さきほどの生き物のエネルギー消費量や、働いている構成員の比率の話と同様、規模やサイズが異なれば、戦略も当然変わってくるはずです。

 けれども経済や経済政策の話というのは、対象となる組織や社会のサイズにかかわらず、同じ理論式を使おうとしますよね。

 たとえば国家予算なんかでは、よくGDPの何パーセントという表現がされます。そうやって数字を出さないと信用されない世界だということですけども、GDPの何パーセントっていう考え方そのものが、正比例の発想です。それでは、たぶん実態にあった施策は打ち出せない。正比例の発想ではダメなんです。

池上:正比例でなければ、なんですか。

本川:対数の発想です。生物の場合、規模と活動度との間には対数の関係があったのですから、たぶん国でも企業でも、そうでしょう。対数、もっとわかりやすくいえば、数字の桁(ケタ)が変わったら、さまざまな比率が変わるぞ、という発想です。

池上:なるほど、扱っている数字の桁(ケタ)が変わる、つまりサイズが変わると、施策も当然変わるぞ、ということですね。

現実の数字は、均一じゃない

本川:そうです、重要なのは桁で、問題なのも桁が変わる、ということなんですよ。桁が変われば世界が変わるんです。

 ところが、算数の授業をうけると、すべての数字は均一なものだと思い込みやすいのですね。算数のテストで3ケタの足し算をやらせる場合、一番大きな百の位の計算結果が合っていても、下1ケタが1間違えてたらゼロ点になりますね。でも、実社会の算数では、1円2円はどうでもよく、最大のケタがとりわけ重要なのですから、最大のケタがあっていたら、それでおおむね当たりです。だから80点はあげないといけない。


池上 彰(いけがみ・あきら)
ジャーナリスト。1950年生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。科学文化部記者として経験を積んだ後、報道局記者主幹に。94年4月から11年間「週刊こどもニュース」のお父さん役として、様々なニュースを解説して人気に。2005年3月NHKを退局、フリージャーナリストとして、テレビ、新聞、雑誌、書籍など幅広いメディアで活躍中。2012年4月より、東京工業大学大リベラルアーツセンター教授として東工大生に「教養」を教えます。主な著書に『伝える力』(PHPビジネス新書)、『知らないと恥をかく世界の大問題』(角川SSC新書)、『そうだったのか! 現代史』(集英社)など多数。
池上:本川先生は、冒頭で、数学は論理の言葉だとおっしゃいました。が、数学という言葉が学校で正しく教えられていないということですか。

本川:数学はとても重要だけれど、数字の読み方を、どこかで教えなければいけないということですね。数学では、並んでいる数字はすべて均質だと教えています。だけど現実の世界では、数字のケタが変わると数の意味する質が変わってしまう。

 数学が厳密な論理の言葉であることと、数字をどう読むべきかということは別のことです。厳密な論理は、現実の複雑さを照らし出す鏡として、とても重要です。その上で、現実での数字の意味を学ぶ。それが実社会で生きる上で役立つ算数の勉強だと思うのです。でも、学校ではそういう視点では教えてくれません。

池上:なぜ、教えないんでしょう?

本川:それは、教える側、教師たちが、厳密な数学だけを教えるのがよい数学の授業だと考えているからです。ケタが変われば数字の質が変わる、というのは現実の話で、それは数学という理想世界の話ではない。そういう下世話なものと関わらないのが純粋な美しい数学です。結局、数学者・技術者の卵を教育するのが数学の授業であって、良い社会人を作る数学という視点がありません。

 もっともこれは、これは数学に限った話ではなく、国語だって同じですよ。国語も、現実に即した「言葉」を学校では教えていない。

池上:え、国語も、ですか?

本川:理系の学者なのに、なぜか、中央教育審議会の国語部会の委員をやったことがあるのです。当然、居並ぶ委員の方々は、国語の教育関係者や作家の方がほとんどから、文学至上主義になりがちなんです。だから、国語では、「美文」「名文」を教えることに躍起になる。

池上:ああ、すごく納得がいきます。

本川:僕はこの国語部会で、こう提案しました。

 「みんなが作家になるわけじゃないんだから、全員が名文を書かなくてもいいじゃないですか。むしろ、読む側に誤解を与えない、すっきりした論理の通った文章、よくできた理系のリポートみたいな文章の書き方を教えた方が、実践的でいいんじゃないですか」と。

池上:いきなり切り込んだんですね。で、どうなりました?

文学至上主義で使えない国語

本川:こんな反応が返ってきました。

「理科の文章は理科の時間に教えてもらわないと。国語の教師では対応できません」

 それではと理科の部会に行って、理科の教師に文章の書き方を生徒に教えてくれと言えば、それは国語でやってくれ、と言われるでしょうね。

 結局、「そっけないが明晰で論理的で、わかりやすい文章の書き方」は、どちらの教科書にも載らない、つまり、誰も教えない。

池上:だから、長じて文章の書き方に不安を覚えた理系の人たちが、木下是雄さんの『理科系の作文技術』(中公新書)を購入して、この本がベストセラーになるんですね(笑)。

本川:あの本は名著です。

池上:ほかには、本多勝一さんの『日本語の作文技術』(朝日文庫)が参考書となるでしょうか。

本川:本多さんの作文技術もきわめて実践的でした。

現実の数字は、均一じゃない

池上:考えてみると、本多さんも京都大学農学部ですから、理系ですね。ただ、普通に文章を書く参考書、となると美文、名文を書くものばかりになってしまう。

本川:有名どころだと、丸谷才一さんの『文章読本』(中公文庫)。たしか「ちょっと気取って書く」だったかな、そんなことが書いてあるんです(笑)。

池上:懐かしい!私もなるほどと思ってそこの部分を熟読した覚えがあります。もちろん、美文名文が必要な状況や世界もあります。けれども、作家になるわけでもない普通の人たちに必要なのは、簡潔にして伝わりやすい論理的な文章の書き方ですね。

本川:そう、池上さんの本のように(笑)。ところが、国語の世界は国語の世界で「閉じて」しまっているので、現実のニーズに応えられない。有名中学の入試の国語問題などを見てください。入試の問題文になるということは、読んで、すぐに意味がとれない、ということです。そんなの悪文ですよ。

池上:……あの、私の文章、けっこう入試問題に使われています(苦笑)。

本川:……実は私のも(笑)。

 国語教育とは、本来、日本語の使い方、書き方を教えるものだと思うんです。ところが、まるで国語=文学のような扱いになってしまい、文学至上主義の色に染まってしまう。一方、数学や算数は、数学の世界の閉じた思想で教えられているために、1の位から全部の桁で計算結果が合ってないとマルをもらえない、厳密な理論としての数学のことしかわからなくなってしまう。

 現実の世界は、というと、イメージ過剰な国語の世界と、理論過剰な算数の世界の、ちょうど「中間」あたりにあるわけです。右脳と左脳のちょうど真ん中に。


池上:理論とイメージの「中間」を教える場が日本の教育の世界にはないのでしょうか?

理系も文系も、生物学を学んだ方がいい

本川:算数や理科の時間は左の脳みそばっかり使わせて、国語の時間は右の脳みそばっかり使わせて、結局、脳みそが分裂しっぱなし。肝心の現実について、全然教えない。かくして、イメージ先行、あるいは理論先行で、いずれにせよ、現実のことがわからない子供たちを育ててしまっている。これが日本の教育の大問題ですね。

池上:理系と文系、左脳と右脳、それぞれで教わってきたことをすりあわせる。大学の教養課程で求められている仕事ですね。これまでのお話をうかがうと、両方を同時にカバーする唯一の学問といったらまさに生物学。本当の教養のために、生物学が求められている、ということではないですか?

本川:よく言ってくださいました! ところが、その生物学が大学の教養課程では微妙な立ち位置にあるんですよ(苦笑)。

池上:では次回は、日本の教養を救うカギとなるかもしれない、生物学の学び方について、お話をうかがいます。

(次回に続く)


池上 彰(いけがみ・あきら)

1950年長野県生まれ。慶応義塾大学卒業後、1973年NHK入局。1994年よりNHK「週刊こどもニュース」でお父さん役として出演。2005年3月にNHKを退社し、現在はフリージャーナリストとして活躍。著書に『わかりやすく〈伝える〉技術』(講談社現代新書)、『高校生からわかる「資本論」』(集英社)、『14歳からの世界金融危機。』(マガジンハウス)など多数。


池上彰の「学問のススメ」

池上彰さんが、さまざまな分野の学者・研究者を訪ねて、日本と世界が直面するさまざまな問題を、各界を代表するプロの「学問の目」でとらえなおす。いわば、大人の大学、それがこのシリーズです。池上彰さんがときに「生徒」となり、ときに「対話相手」となり、各界の先生方とこの問題を論じます。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20120824/236000/?bv_ru&rt=nocnt  

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コメント
 
01. 2012年9月23日 09:45:35 : 7H3tip4e0Y
2対6対2ではなくて、2対8対2。

02. 2012年9月26日 20:14:29 : F0N9cTdLIQ
両方を同時にカバーする唯一の学問が生物学?ちと短絡的ではありませんか?物の理を学ぶ姿勢がもっと本質的だと思います。

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