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ベスラン学校占拠事件
http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/843.html
投稿者 taked4700 日時 2011 年 9 月 22 日 01:00:46: 9XFNe/BiX575U
 

ベスラン学校占拠事件

 2004年の9月に起こったベスラン学校占拠事件を取り上げる。チェチェンをめぐって起こってきた事件が近い将来日本が直面するだろう状況を予言しているように思えるからだ。本当に、日本はそういった方向へ動いている。

 ベスラン学校占拠事件の背景にあるのは、元KGB職員であったリトビネンコが「1999年にモスクワなどロシア国内3都市で発生し、300人近い死者を出したロシア高層アパート連続爆破事件は、チェチェン独立派武装勢力のテロとされたが、 実は第2次チェチェン侵攻の口実を得ようとしていたプーチンを権力の座に押し上げるためFSB(ロシア連邦保安庁)が仕組んだ偽装テロだった」と述べたように、ロシアの秘密警察の謀略だ。リトビネンコは2006年11月、ポロニウム210という放射性物質で暗殺されている。この暗殺事件そのものが秘密警察に属していたものが事件の真相を一般に公開することを、秘密警察を含めた権力側が
いかに恐れていたかを示している。つまり、リトビネンコは見せしめの意味もあってわざわざ一般人では手に入らないポロニウム210によって殺されたということだ。単なる偶然ではなく秘密警察が動いていると明示する意味があった。

 「北オセチア学校占拠事件、真実はどこに?」( http://chechennews.org/chn/0522b.htm )という記事が「チェチェン総合情報」( http://chechennews.org/index.htm
) というサイトにある。

 この記事でははっきりと述べていないが、ロシア当局がマッチポンプをやっているということなのだ。チェチェンを攻め、チェチェン人の人たちがロシアの暴虐を指摘し抗議をしようとすると、その動きを利用して更にチェチェンの方たちに汚名を着せようとするわけだ。

 チェチェンに絡んだテロ事件のほとんどは同様の構造を持っている。同じくチェチェン総合情報にある「モスクワでブダーノフ元大佐射殺」( http://d.hatena.ne.jp/chechen/20110611/1307722387 )という記事もそれを暗示している。チェチェンで強姦殺人を犯し、ロシアの裁判所で軽い刑に処せられたブダーノフ元大佐が出所後誰かに射殺されたという事件だ。ただ、こちらはマッチポンプをやっているのはロシア当局というよりもその背後に控えているアメリカの軍産複合体勢力だろう。チェチェン勢力の復讐に見せかけて、自分たちの庇護がなければこうして殺されるとロシアの権力側に警告を与えているのだ。ベスラン学校占拠事件を見ても分かるようにチェチェン人の動きはほぼ完全に把握されていて、彼らが動けば動くほどある意味それを利用されてしまう状況にある。だから、当然チェチェン勢力に付け狙われていると分かっているブダーノフがみすみす純粋なチェチェン勢力によって殺されるはずがないのだ。

ソ連崩壊は明らかにアメリカ軍産複合体によって計画的に20年ほどの準備期間をとって行われた工作だった。ゴルバチョフの登場そのものがアメリカCIAなどの情報機関がKGB内部へ入り込んで仕組んだように見えてしまう。エリツィン以降のロシアはまさしくアメリカ軍産複合体のコントロール下にある。もしアメリカ軍産複合体の意向通りに物事が進めば、近い将来、ロシア政権自体が食い物にされ、プーチン政権やそれに連なる一連の人々も権力の舞台から消えていくだろう。

 今の日本はまだ平和でかなり豊かなように見える。しかしそれは表面だけだ。例えば、2006年6月に起こったカリスマ美容整形外科医の娘誘拐事件は余りにも不自然だった。この事件が多分市橋達也の事件などの背景にあるのだ。

 アメリカ軍産複合体の手先になって、自分はいい思いをしていると考えている人間たちがいる。彼らはまさしく日本人でありながら日本の一般市民を騙し、富を吸い出す工作をしているのだ。その結果、彼らはそれなりに優遇されているのだろう。しかし、その実態はバイアグラがなければセックスもできない、相手を騙さないと恋愛さえできない実体のないものなのだ。まさしく自分自身の身を隠さないと何もできない秘密警察の正体がよく現れている。

 日本の警察組織はいったいどうしたのだ。いつまでこうして下請け組織で行くのだ。独立国の司法機関として動かないと、そのうちに切り捨てられるぞ。それが下請けの運命だ。

*6月8日の記事「近づく戦争・テロ社会、これらの動きを止めるべきでは?」から一連番号を付しています。<<728>>  

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コメント
 
01. taked4700 2011年9月22日 01:02:22: 9XFNe/BiX575U : bcdywLP2Kg
http://chechennews.org/chn/0522b.htm

■北オセチア学校占拠事件、真実はどこに?

 7月28日のアメリカ・ABC放送の「ナイトライン」は、アンドレイ・バビツキー記者による、チェチェンの野戦司令官シャミーリ・バサーエフへのインタビューを放送した。バサーエフは、北オセチア・ベスランで起こった学校占拠人質事件で150人以上の子どもが死亡したことへの責任を認めなかった。

 バサーエフは、チェチェンの隣、イングーシ共和国で自分からバビツキー記者に接触し、インタビューを取らせ、インタビューは世界中を駆け巡った。ところで、当のベスランでは、学校占拠人質事件で生き残ったとされるゲリラのヌルパシ・クラーエフ容疑者に対する裁判が続いていることはあまり知られていない。

 今回のチェチェンニュースでは、アメリカの保守派シンクタンク、ジェームズタウン財団の発行する「チェチニャ・ウィークリー」の記事を掲載する。裁判で明らかになりつつあるのは、私たちが知っているものとはなにか違ったベスラン事件の様相だ。裁判については、今後ロシアのノーヴァヤ・ガゼータ紙が追及すると思う。「チェチニャ・ウィークリー」のこの号には、バサーエフのインタビューについてのロシア国内での反応、 なかでも「どうしてFSBが捕まえられないバサーエフが、堂々とイングーシで西側ジャーナリストと会うことができるのか」といった問題についての、ロシア特務機関OBのコメントが載っていて興味深い。

 ベスランで続いている裁判の情報を読んでいると、当初ベスラン事件に犯行声明を出したバサーエフが、どうして今になって責任を微妙にぼかす発言をしはじめたのかが、少しわかったような気がしている。

 記事の内容とバサーエフの発言との関係、そして、ベスラン事件とチェチェン問題をどう結び付けるかは、読者の判断にゆだねたいと思う。

 これまでに調べたいくつかの事柄は、「バイナフ自由通信」に:
http://d.hatena.ne.jp/ootomi/searchdiary?word=%2a%5b%a5%d9%a5%b9%a5%e9%a5%f3%5d

 (大富亮/チェチェンニュース)

■ベスランでの裁判

米・ジェームズタウン財団の「チェチニャ・ウィークリー」より
http://www.jamestown.org/publications_details.php?volume_id=409&issue_id=3424&article_id=2370105

ローレンス・ウーゼル/ジェームズタウン財団研究員

 北オセチア最高裁判所には、ベスラン学校占拠人質事件の元人質たちがつめかけている。生き残ったゲリラのヌルパシ・クラーエフの裁判が続いていて、公式発表とは矛盾する事実が明るみに出ているのだ。報道によると、人質犯たちのなかには、少なくとも数人のスラブ系の人物がおり、うちひとりの狙撃手は、指揮にあたっていたと見られている。しかし、9月3日にロシア治安部隊の突入のあと、その遺体はどこからも見つからなかった。

 ロシアの人権団体メモリアルが運営するサイト「カフカスキー・ウゼール」によると、7月28日、妻と子どもと一緒に人質とられたカズベク・ミシコフが証言台に立った。それによると、「狙撃手はしばしば体育館に入ってきてコーヒーを飲んでいた。彼は大柄で、髪は赤く、明らかにコーカサス人ではなかった。それに、まったく癖のないロシア語を話していたので、バルト人だと思っていた。持ち物の狙撃ライフルにはたくさんのキルマークが刻まれていた。彼が部屋に入ってくると、そちらを見ることは禁止された」ミシコフ氏はこっそりと彼を観察していたが、治安機関が突入してすべてが終わった後、ゲリラたちの遺体のなかに赤毛の狙撃手はいなかった。

 6月21日には、元人質のザリーナ・ハバローヴァの証言があり、そこでもスラブ系のテロリストの存在が指摘されている。「私が最初の日にトイレに行こうとしたら、階段のところに、どう見てもスラブ系の女が立っていました。彼女は作業着を着て、タバコを吸っていました。検察官のところでもこの話をしましたが、だれも取り合ってくれませんでした」カフカスキー・ウゼールによると、この裁判の判事の一人、タメラン・アグザーロフは、容疑者のクラーエフに対し、この女性テロリストについて尋問した。クラーエフは、「その女は見ていないし、少なくとも最初に学校に突入した時にはいなかった」と答えた。

 この件について、ロシアの新聞ノーヴァヤ・ガゼータのエレーナ・ミラシーナ特派員は、8月1日に記事を書いた。それにはこうある。「元人質たちの証言からは、問題のゲリラたちが、プロの破壊工作者だということが明確にわかる。共通するのはスラブ系の外貌、金髪、なまりのないロシア語だ。人質たちの印象に残っているのは、金髪をポニーテールに結ったロシアの女で、狙撃用ライフルを持って黒いカモフラージュ服を着ていたという。顔は隠しておらず、シャヒドカ*1でもなく、タバコを吸っていた。ほとんどの人質が口にするのは、赤ら顔*2をした大柄の赤毛の男で、彼はクリアなロシア語を話していた。ときどき彼は人質の収容されていた体育館に入り、「大佐」*3に指示をしていた。興味深いのは、人質たちが彼の顔を見ることを禁じられ、顔をそむけさせられるか、自分の手で目を塞ぐよう指示されていたことだ。しかしこういう指示をしていために、逆に人々は彼を気にしたし、結果としてその風貌を記憶してしまった。そして、死んだゲリラの遺体の中に、彼はいなかった・・・」ミラシーナ特派員によると、「ベスラン事件の3日目と4日目には、ロシア語を話すスラブ系のゲリラたちを人質たちは見ることがなかった。だから、すくなくとも法廷ではこういう疑問を追求するべきだろう−−−この人々は、9月2日と3日の間に、どうやって学校から抜け出すことができたのか?」

 ザリーナ・トカーエヴァの証言はまた別の事実を明るみに出している。「ほとんどのテロリストは、オセチア語を話していました。なまりもなく、本当のオセチア人でなければ話せないような純粋なオセチア語です。私は生粋のオセチア人ですし、この点では間違えようがありません」カフカスキー・ウゼールによると、彼女はクラーエフに直接質問した。「なぜテロリストたちにはそういう<共犯者>がいたのか」と。クラーエフは、「(仲間の)ゲリラたちは誰かと電話で話していた。でもそれが誰かはわからない」と答えたが、トカーエヴァに「オセチア人が一緒にいたんでしょう?」と問い返され、「確かにチェチェン人やイングーシ人じゃなかった。ロシア語を話していた」と答えた。

 最初に取り上げたミシコフ氏は、退役兵で、もとは地雷敷設部隊に所属したいたので、ゲリラたちの爆弾についてもよく観察していた。彼は言う。「彼らが爆弾に起爆装置をつないだのは、治安部隊の突入のわずか3時間前でした。彼らは突入が不可避だと理解していたんです」そこで検察官が、「爆発物につないだペダル型の起爆装置をゲリラが踏み続けていた点はどうか」と質問したところ、ミシコフはこう答えた。「彼らは実際にはよくペダルから足を外しているのを見ました。ペダルはダミーでした」と。

 ミシコフはこう続けた。「まちがいなく、テロリストたちは、学校の外側の様子を知っていました。それはテレビ経由ではなく、情報源を持っていたんです。彼らのリーダーの一人、アリと名乗る男はこう言いました。<ベスランに来るのはまったく造作もないことだった。検問所で金を払うだけで通過できた>と。体育館の中では、ゲリラは28人いたのを数えましたが、公式発表の32人よりはもっと多かったと思うんです。銃撃戦の様子からは、どうしても50人以上はいたと思います。中には3人のシャヒドカがいました。2人はとても若く、やせていて、明らかに疲れ切っていました。3人目は背が高く、ベールで顔を隠していました」

 検察官のマリア・セミスノーワは、ミシコフ氏に、人質がどう扱われていたかを質問した。「まず、彼らは黙らせようとしていました。屋根に向かって銃を撃ったりしましたが、子どもたちがトイレに行きたいと訴えると、それは許可して連れて行っていました。しかし、外の政府対策本部が人質の人数をきわめて少なく、354人と発表したときから、彼らは急に残虐になりました。彼らは子どもや老人をひっぱたくようになったんです。<またドブロフカ*4だ。やつらは突入する気だぞ>と言って。・・・最初の爆発は外で起こりました。窓ガラスは建物の内側に向かって吹き飛んだんです。2度の爆発があったあと、数人のテロリストは姿を消しました」

 ノーバヤ・ガゼータのミラシーナ特派員は、ミシコフをはじめとする元人質たちが「ゲリラたちのうち、体育館に姿を現さない一団がいて、彼らが外の対策本部*5との交渉に決定権を持っていた」と証言していると、伝えている。

 ザリーナ・トカーエヴァは、事件の最後の瞬間についてこう証言する。「爆発は治安部隊の突入の直後にあったんです。音が聞こえたのは体育館の天井からで、とっさに見上げると、屋根に穴が空き、炎上していました。更衣室の方にいたゲリラたちを見ると、彼らもひどくとりみだしていました。こう言っているのが聞こえました。<おまえら自身を焼くつもりか>と。わたしが最初の爆発から身を守ろうとしたとき、体育館の屋根がどんどん砲撃され始めました。何人かの子どもと私が更衣室に逃げ込もうとすると、そこも砲撃されはじめました。まるで私たちがそうするのを知っているみたいに。もう体育館の中にゲリラたちはいませんでした。どうして私たちを殺そうとしたんでしょうか?」

 3月に、ロシアのモスコフスキー・コムソモーレッツ紙は、ベスラン事件の証拠品についての連載を載せた。強行突入に使われた戦車のキャノン砲もあった。そこにはウラジカフカスの軍関係者のコメントとして、「シュメル型火炎放射器やRPG−25グレネード弾、T−72型戦車が突入に使われ、人質たちにも重軽傷を負わせた」とある。7月21日のモスクワタイムスによると、ロシアのニコライ・シャペル副検事総長は、ベスランの学校で火炎放射器が使われた事実を認めつつ、それらは天井を焼いただけで、決して室内の火災の原因にはなっていないと言い放った。ジェーン情報グループの指摘では、<シュメル>は秘密保護上、火炎放射器と呼ばれているが、実際にはロケット推進の砲弾を発射するRPO−Aというタイプの燃料気化爆弾であり、シャペルの言う<治安部隊の使った火炎放射器>が命中すると火球が生まれ、周囲を激しく破壊する。

 他にも2人の証人が、最初の爆発があったのは外部だったと証言した。ファティマ・グチエーヴァは、「ゲリラの仕掛けた爆弾は、私の真上につられていました。これが爆発していたら、もう私の頭は吹き飛ばされているはずです」と証言した。9歳の子どもを殺されたゼムフィラ・アガエーヴァは、大量の武器が、事件の起こる前から現場に運び込まれていたことを証言した。学校の廊下の床下に、「黒っぽい緑色の箱がたくさんあって、そこに武器が入っていました。それを、傷痍軍人のような男が守っているのを見ました」と。

 8月2日になって、32歳のマリーナ・ズカーエワが、ベスラン第一中等学校で負った重傷のために死亡した。彼女はベスランの331人目の死者となった。

*1:爆薬付きのベルトを付けた自爆覚悟の女
*2:赤毛が顔の表面も薄く覆っていたためにそう見えた
*3:ルスラン・クチャバロフ/ゲリラの隊長
*4:04年のモスクワ劇場占拠事件の現場の劇場名
*5:最初北オセチアのザソーホフ大統領が指揮し、あとでFSBのウラジーミル・プロニチェフ副長官に交代した


02. taked4700 2011年9月22日 01:04:47: 9XFNe/BiX575U : bcdywLP2Kg
http://d.hatena.ne.jp/chechen/20110611/1307722387

2011-06-11
モスクワでブダーノフ元大佐射殺


 モスクワで6月10日昼過ぎ、ユーリー・ブダーノフ退役大佐が頭部に4発の銃弾を打ち込まれて射殺された。殺害現場は、コムソモリスキー大通りと第3フルンゼンスカヤ通りの交差点にある38/16号館の公証人役場のある中庭で、日本製中古車三菱ランサーに乗っていた数名に待ち伏せ攻撃された。犯行後、数ブロックはなれた場所に、この車は放火され遺棄された。

 ブダーノフは、1963年、ウクライナ生まれ。1998年から2000年まで、ロシア陸軍第160親衛戦車連隊司令官として第2次チェチェン戦争に従軍した。従軍中にブダーノフは17歳のチェチェン人少女エリザ・クンガーエワを強姦・殺害したとして2000年3月27日に逮捕された。

 チェチェン戦争中にロシアの将兵によって行われた強姦・殺人は枚挙の暇もないが、この犯行は、ロシア陸軍の高級将校によって行われ、現実に犯人がロシア刑法によって訴追された数少ない事件として、注目を集めた。

 事件が明るみに出るとシャミリ・バサーエフやアラブ義勇兵の頭目であったハーッターブら、マスハードフ大統領と対立していたチェチェン独立派内のイスラム主義グループは、ブダーノフの身柄引き渡しを求めて、捕虜としていたペルミ州特別任務民警部隊(OMON)11名との引き換えを提案したが、ロシア側に拒否され、これら11名のOMON隊員を殺害した。

 一方、殺害された少女の両親は、バサーエフらの申し出を拒絶して、あくまでもブダーノフをロシア刑法に照らして裁くことを主張した。アンナ・ポリトコフスカヤ記者や、ロシアの人権団体が、この事件に注目したのは、ロシアの司法が、どのくらい正義を貫けるかの試金石、という点にあった。

 ジリノフスキーのロシア自由民主党など右派勢力は、ブダーノフを「ロシアの英雄」と公然とたたえ、裁判をブダーノフに有利となるよう執拗に働きかける一方、被害者の両親を脅し、国外避難を余儀なくさせた。それでもブダーノフには、有罪が宣告された。しかし、ブダーノフの元上官で、ウリヤノフスク州知事となっていたウラジミル・シャマーノフ管轄下のディミトロフグラード刑務所に送られ、服役とは名ばかりの状況であった。

 チェチェンの傀儡政権の頭目、ラムザン・カディロフもシャマーノフのことは、戦争犯罪人と公然と非難し、ブダーノフの恩赦には強硬に反対し、グローズヌイでノ市民の抗議集会を許した。結局、ブダーノフが放免されたのは2009年はじめであった。放免後、ブダーノフは報復を恐れて身を隠していた。その動静は、彼の友人たちにもほとんど知られていなかった。

 ブダーノフの殺害は、近年凶暴化の一途を辿っている、ロシアの排外主義的右派勢力を刺激する可能性を秘めている。また、殺害はチェチェンの「血讐」の達成を容易に思い起こさせるが、犯行現場で事件を目撃した人々は、彼らはコーカサス的容貌ではなく、スラブ風の容貌だったとしている。

2011.06.11.岡田一男まとめ


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03. taked4700 2011年9月22日 02:47:59: 9XFNe/BiX575U : bcdywLP2Kg
上の記事を書いた意味は、公然と今の社会の本当の構造を一般市民へ明らかにする必要があるということです。大国の秘密警察にこちらも秘密警察として対抗しようとしても、それは却って相手に付け入るすきを与えるだけです。チェチェンで起こっていることと同じことがこのままでは日本でも起こるようになるでしょう。

04. taked4700 2011年9月24日 15:58:24: 9XFNe/BiX575U : 8uwuPwSA1g
http://blog.goo.ne.jp/mezzotint_1955/e/1de73727953efc5117a4c79dde8ef5a5

暗殺 リトビネンコ事件:ロシアのプーチン政権の裏側に隠された闇
2008-06-17 | 映画:ミニシアター

アレクサンドル・リトビネンコ暗殺から1年・・・・。

6月7日、京都みなみ会館にて鑑賞。「タクシデルミア」の前に観た作品。

2006年11月23日、ひとりの男がロンドンで放射性物質ポロニュウム210を飲まされ、暗殺された。この記事を書いているのが2008年の6月だから、
もう1年半は経過しているわけだ。このときの写真はテレビでも放映されているので、印象深いと思う。暗殺されたという大きな見出しが出ても、一体どういう経緯で暗殺されたのか?また、リトビネンコという人がどういう人だったのか?まったく分からなかった。
今回この映画が上映されるということを知り、さっそく鑑賞することにした。

リトビネンコが監督に託したメッセージは自分の身に何かあったときは、このビデオを公表し、世界に伝えて欲しい。彼らは暗殺など平気だし、実際にやってきている。国内でも国外でも・・・・・。

STORY


「悪夢以上のことが、サーシャの身に起きてしまった・・・・。」

生前からの彼の活動をよく知っていた監督はこの映画の中でサーシャ(リトビネンコ)のことを
語り始める。イギリスへの亡命から5年。元FSB中佐であるリトビネンコは数百時間、監督と
一緒に過し、自分の反抗の原因や10年前からのからのロシアでの警察国家の擡頭について
話した。そのリトビネンコが、何者かに放射性物質をポロニュウム210を飲まされ、暗殺されたのだ。


親交のあった監督の自宅も、何者かに荒らされた。監督は言う。
「冬の終わり頃私は、英国の捜査当局に今回の暗殺事件で聴取を受けた。あの時は充分話せなかったと
今感じている。本作は私の証言だ」 

アンドレイ・ネクラーソフ監督

98年、リトビネンコはテレビでFSB上司の汚職や殺人指令を告発した。一瞬時の人なるるが、
ニュースは、すぐに忘れられてしまった。
99年には、モスクアでアパート連続爆破事件が起き、その報復として第二チェチェン戦争が勃発。
その年の大晦日には、ミレニアムの変わり目。一連の不吉な事件がくすぶる中、人々は新年を祝った。
12月31日、エリツィン大統領が引退表明をテレビの画面を通じて、人々に言う。

その内容は以下のとおり

「ロシアは、もう決して過去に逆戻りしない。国民の一人ひとりに申しあげる。どうか幸せに。皆さん
の力で、幸福と平和は得られた!新年おめでとう。よい新世紀を。親愛なる皆さん」。

戦争の残虐さ。多くの犠牲者たち・・・・。
チェチェン戦争は、一体誰が引き起こしたのか?そして何のために?

リトビネンコは、爆破テロはFSBの工作だと主張し、イギリスへ亡命した。ネクラーソフ監督は、
プーチンと対立する政商ベレゾフスキーを介してリトビネンコに連絡を取り、インタビューが
始まったのである。汚職・暗殺計画。そしてその前身であるKGBに協力を申し出た。

「プーチンはKGBで愛国心を学んだそうだ。つまり級友を密告しながら愛国心を学んだわけさ」

「FSBは何をする機関なのか?ロシアの諜報部だが、実態は政治的な秘密警察だ。彼らは容赦なく
過激な手法を使う。秘密手法だ。スパイ対策やテロ防止のためではなく、政権を維持するための
機関なんだ。99〜2000年にかけてのプーチン政権誕生でも、FSBは秘密手段をフルに使った」

彼の言葉は歴史の回想と交差し、ソビエト崩壊後の自由と民主主義への希望が、いかにしてチェチェン
戦争やプーチン大統領によって潰されたのかということをあぶりだしていく。

監督は、チェチェン戦争犯罪を、報道・告発してきたジャーナリスト、A・ポリトコフスカヤにも
インタビューをした。
何と!あの「劇場占拠事件の犯人の一人が、今プーチン政権で働いているの。書いてて吐き気がしそう
だったわ。汚らしいトイレに迷い込んだ気分。でも世間は無関心、あの悲惨なテロがやらせだったのに
・・・。政府も平気顔よ。何の抗議行動もないと見通している。集会もデモも危険なことは何もない
。彼らは安泰ってわけ。私たちの苦痛や苦悩も悠然と高みから見下ろし、こう思っている"好きに書く
がいい。必要なら消すが今は生かしといてやる"

2007年10月、A・ポリトコフスカヤもまた、自宅のアパートで何者かに銃殺された!

A・ポリトコフスカヤと監督

監督は、プーチン大統領自身にまつわる疑惑を追い始める。コロンビアの麻薬組織との繋がり、
そしてペテルブルグ時代の金属基金の横領に関する疑惑・・・・。

リトビネンコはさらに、自らの行為を"反乱"と呼んだ。

「反乱だ!まさに反乱。反乱をつぶされたこと以上に、モラルが通じなかったことが哀しい」。

在りし日のリトビネンコ

ロンドンのバーで彼の紅茶にポロニュウム210を注いだと容疑が掛けられているルゴボイは、
監督のモスクアでのインタビューで"リトビネンコ暗殺"関与を否定した。

そして遺された家族。悲嘆にくれるリトビネンコの父親・・・・。

インタビューで気丈に彼のことを語り続けた妻・マリーナは最後に、一筋の涙を流した。
そしてマリーナは言う。

「一つだけ教えて。ポロニュウムはどこから来たの?それだけ・・・」

変死した亡命ロシア人リトビネンコ。彼は暗殺されたのか?死の謎に迫るドキュメンタリー

2006年11月23日、ロンドンである男が放射性物質ポロニウム210を飲まされ、死んだ。男の名はリトビネンコ。元ロシア連邦保安庁中佐で、保安組織の腐敗やプーチン政権の悪事を告発し、イギリスに亡命を余儀なくされていた。ポロニウムは核開発国以外では入手が難しい事から、ロシア政府による暗殺が早くから噂されていたが、いまだ事件は解決していない。リトビネンコを5年に渡って撮り続けていた監督は、彼の死の真相を追う。

「世界で一番物価が高い都市」にモスクワがあげられるように、ここ数年ロシア経済は絶好調で、もはや共産主義時代は遠い過去の事のように思える。しかしその一方で、政府によるメディア統制が進み、民主化以前の全体主義国家に逆戻りしている部分もある。本作に登場するアンナ・ポリトコフスカヤのような世界的に高名なジャーナリストでさえ、政府に異を唱え続けた結果、自宅前で射殺されるような国なのだ。監督は、生前のリトビネンコやポリトコフスカヤの証言映像を通して、政府が99年のモスクワのアパート爆破事件やその後の劇場占拠事件などのテロ活動を行っていたと訴える。はたして、リトビネンコは本当にプーチンに暗殺されたのか?(映画生活より)

北朝鮮ほど謎めいた国ではないと思っていたが、ロシアという国もこのような暗殺事件がメディアで流されると、やはりこのプーチン政権の裏事情には何かあるに違いないと思うよね。プーチンという人物は幼少時代、かなり貧困家庭に育った人だとは聞いている。苦労の末、政治の世界に入ったということだが。過去については不明なことは多いようだ。2008年5月7日に大統領を退任したものの、翌日には首相に就任らしい。結局のところ、退任しても最高権力者としての地位はそのままのようだ。あの風貌からしても何かありそうな??まあ国の頂点に立つ人なのだから、只者ではないだろう。プーチン政権の影に潜むものは何なのだろうか。やはりリトビネンコ自身が語った事実には目を逸らすことはできないと感じる。


05. 2011年10月18日 10:00:02: rA6fWVPzYM
プーチンって、あのラスプーチンのひ孫という噂は、本当?

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