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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu206.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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司馬遼太郎の「坂の上の雲」は小説であって歴史書ではない。しかし
日本人が近代史をあまり知らないのは、まだまだタブーが多すぎるからだ。
2009年12月21日 月曜日
部下たちの士気を上げようと豪快に酒を飲む好古 (「坂の上の雲」より)
旅順要塞の光景 (「坂の上の雲」より)
◆日露戦争と司馬史観 12月9日 閑寂な草庵
http://kanjaku.blog.shinobi.jp/Entry/494/
狙ったのか何なのか、NHKでスペシャルドラマ「坂の上の雲」が放送されている中、このような記事を見つけた。
日本、ロシア主戦派の同盟案黙殺 日露戦争直前、新史料発見
日露戦争開戦1カ月前、ロシア側の主戦派の一人と考えられていた政治家が戦争を回避しようと日露同盟案を準備しているとの情報を得ながら、日本政府が黙殺していたことを示す新史料を、和田春樹東大名誉教授が7日までに発見した。日露戦争についてはこれまで、作家司馬遼太郎氏が小説「坂の上の雲」で論じた「追いつめられた日本の防衛戦」とする見方も根強く、日露戦争前史を見直す貴重な発見と言えそうだ。
司馬遼太郎氏が主に「坂の上の雲」で展開した歴史観を、俗に「司馬史観」と呼ぶことがある。
「司馬史観」の内容をざっくりと述べると、明治時代の日本(日清・日露戦争)を肯定的に評価し、昭和の日本(主に太平洋戦争)を否定的に評価する立場である。
余談だが、「○○史観」というのは、大抵対立陣営からのレッテル貼りによってネーミングされる。
例えば、太平洋戦争が侵略戦争であったと考える歴史観は「自虐史観」と呼ばれ、逆に、日本の戦争責任を一切否定するような歴史観は、「自慰史観」と揶揄されるのが、その典型だろう。
前者を「東京裁判史観」、後者を「靖国史観」ということもあるが、両者の立場に象徴的な名称を冠しているので分かりやすいっちゃ分かりやすいが、東京裁判も靖国神社も歴史研究の舞台ではないわけで、あまりいいネーミングだとは思わない。
なお、後者の立場に立つ人らの自称である「自由主義史観」なんかは、「自由主義」とは全く関係ないので最悪なネーミングだ。
この点、「司馬史観」ってのは「司馬遼太郎の歴史観」なので、ネーミングとしては非常に分かりやすい。
余談終わり。
昭和期の戦争の評価はおいておくとして、今回は日露戦争のお話。
司馬氏は、これを祖国防衛の戦争であったと肯定的に捉えているわけだが、共同通信の記事にある、「司馬遼太郎氏が小説『坂の上の雲』で論じた『追いつめられた日本の防衛戦』とする見方」というのは、具体的にはどういう意味だろうか。
「坂の上の雲」において、日露戦争の原因についてどのように記されていたか全く思い出せないのだが、残念ながら、今手元に本がない。困った。
まあ、問題は、小説にどう書いてあったかではなく、一般的に日露戦争というものがどのように認識されているかだ。
今回出てきた資料は、その認識と反するような発見なのだろうか。
和田名誉教授が発見したのは、ベゾブラーゾフの署名がある1904年1月10日付(これは西暦?ロシア暦?)の同盟案全文である。
その同盟案の内容は
「ロシアが遼東半島を越えて、朝鮮半島、中国深部に拡大することはまったく不必要であるばかりか、ロシアを弱化させるだけだろう」
「ロシアと日本はそれぞれ満州と朝鮮に国策開発会社をつくり、ロシアは満州、日本は朝鮮の天然資源を開発する」
というものらしい。
日本の外務省が、ベゾブラーゾフが日露同盟案を準備していることを最初に知ったのは1月1日とのこと。
そして、10日に同盟案が完成し、日本の外務省には12日に詳細が報告されたという流れ。
この事実を受けて、共同通信の記事は、
当時の小村寿太郎外相は日露同盟案の情報を得ながら、同月8日、桂太郎首相や陸海軍両大臣らと協議して開戦の方針を固めた。12日の御前会議を経て、同年2月、ロシアに宣戦布告した。
と締めくくっている。
これを見ると、日本はロシア側の同盟の呼びかけを無視して戦争をしかけたみたいに書かれているが、それはおかしい。
小村寿太郎ら日本政府は、1903年以来、日露協定の締結に向けてロシア側と交渉を続けていた。
その相手方は、ベゾブラーゾフではなく、極東太守のアレクセーエフである。
ベゾブラーゾフは、当時、日露交渉の窓口ではなかったわけで、ロシアを代表して同盟を提案できる立場にはない。
つまり、日露同盟案なるものは「単なる一政治家の私案」にすぎない。
また、その同盟案の内容も全部が明らかでないので何とも言えないが、この時期に進められていた日露交渉において、対立していたのは、
・満洲において日本が有する権益をロシアが認める
・韓国領土を日本が軍略目的に使用しないことを認める
・北緯39度以北の韓国領土を中立地帯とする
という3点であって、ひとつめはロシアが拒否し、後のふたつは日本が拒否していた。
交渉の最中に、争点となっている事項を完全に無視した(しかも、非公式の)同盟案などありえないので、小村外相が無視するのも当然だろう。
和田名誉教授は、「ロシア側は戦争を望んでいなかった」という主張をしている人なので、「主戦派の筆頭であったベゾブラーゾフが実は同盟を望んでいた」という事実だけが重要なのだろうが、そもそも「主戦派」といっても、戦争そのものが好きなのではなくて、「目的のためには戦争をも辞さない」という立場だ。
直接的な目的は、あくまで満洲権益の防衛と、韓国への影響力の維持であったわけで、主戦派とは「とにかく日本と戦争がしたかったグループ」のことではない。
つまり、「文句があるならかかってこいや!派」なのであって、別に「日本は鬱陶しいからさっさと潰してやろうぜ!派」ではないのだ。
戦争をすれば自国にも多大な負担をもたらすことは常識であり、戦争を避けて同じ目的を達成できるならそれはそれでよいのである。
したがって、「ベゾブラーゾフが戦争回避を望んでいた」「戦争がロシアを弱体化させるという認識を持っていた」というだけでは、別に驚くべきことでも新しい発見でも何でもない。
また、「ロシアは韓国への影響力拡大を目指してはいなかった」という評価は、今回の資料に関わらず誤りだといえる。
もしそれがロシア側の公式見解なら、正式な日露協定案として提案されるべきだが、同盟案作成後においても、ロシア側は依然として、「ロシアは満州から撤退しないが、日本は韓国の軍略目的使用をしてはならず、韓国に中立地帯を作る」という態度を変えてはいなかったからである。
つまり、実際に交渉の場にいなかった(その権限も有していなかった)ベゾブラーゾフという政治家が内心でどう考えていたかは知らないが、日清戦争後に満州を支配し、韓国権益の拡大を図っていったロシアの動きを見る限り、日本に対して脅威を与えるに十分な状況にあったといえる。
和田名誉教授らが述べているのは、銀行強盗が銀行員に実弾入りの銃を突き付けておきながら、「強盗に殺害の意図はなかったので、実際には、銀行員の生命の危険は全く無かった。銀行員は何ら追い詰められていなかったのだから、その強盗をはり倒したのは不当だ」というようなものだろう。
もっとも、もし「坂の上の雲」に、「ロシアは戦争を望んでいた」という記述があるなら、それは誤りだろう。
少なくとも不正確である。
もし本当に「戦争がしたかった」なら、日本側の第四次案に対してロシアが大幅に譲歩した回答(これは、日本側には届かなかった)が作成されることは無かったはずである。
もっとも、この第四次案が出たころには、既に日本は開戦を決意していたようなので、「時すでに遅し」なのだが。
ロシア側もギリギリまで戦争回避に動いていたことは、日露交渉の過程やロシア側の政治家の動きを見れば明らかであり、今回の発見は無くとも分かっていたことである。
それはもしかしたら「坂の上の雲」の記述とは異なっているのかもしれないが、既に実証研究において明らかにされていることだから、今回の発見は、日露戦争前史に何らかの影響を与えるような「新発見」ではない。
当時の状況としては、ロシアが一方的に戦争を望んでいたわけでもないし、日本が一方的に侵略を望んでいたわけでもないと考えられる。
どちらかが積極的に戦争を望んでいたなら、半年も交渉が続くわけがないからだ。
ということは、双方に戦争回避の努力はされていたが、結果的に、超大国ロシアの脅威に対抗する戦争以外の解決策を見いだせなかったために開戦に至った・・・といったところだろう。
そうすると、「坂の上の雲」に事実誤認の記述はあるかもしれないが、「追い込まれた日本が防衛線に打って出た」という「歴史観」に関していえば、誤りとはいえないと思う。
累々と遺体が横たわる悲惨なシーン (「坂の上の雲」より)
戦場を見つめる乃木と伊地知。演じる柄本明さんと村田雄浩(「坂の上の雲」)より
(私のコメント)
NHKのスペシャルドラマの「坂の上の雲」を毎週見ているのですが、明治から大正にかけての大河ドラマが作られないのは、戦国や幕末と違って舞台が国際的になるから制作上なかなか費用などで作りにくいからだろう。大河ドラマとなると歴史ものが多くなりますが日清日露戦争は舞台が朝鮮半島や満州なのでロケでないと作れない。
登場人物も外国人も多くなり言葉の問題も制作上大きな障害になる。日清日露戦争は映画などではありますが、テレビドラマとしてはほとんど記憶が無い。原作となるような小説も明治の元勲たちの伝記などはあるのですが、大河ドラマの原作となるような小説は「坂の上の雲」ぐらいしか思い浮かばない。戦国大名や幕末の志士たちの小説は山のようにあるのに明治から大正にかけての歴史小説はあまり無い。
夏目漱石の小説や森鴎外の小説も明治期が舞台で「坊ちゃん」などもよくテレビドラマにはなりますが、大河ドラマにはならない。明治大正期も戦国や幕末以上に波乱万丈の時期でもあり小説の題材になりそうな人物も沢山いるし、資料もたくさん残っている。逆にそれだからこそ想像力を働かして自由に書けることが出来ない為に小説にしづらいのかもしれない。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」は書くうえにおいて大量の資料と格闘して10年かけて書いた大作ですが、司馬遼太郎だからこそ書けたものだろう。テレビドラマや映画になりにくいのも史実を疎かに出来ないし自由な発想で書くことが出来ないし、歴史観も論争のタネになりやすく小説家たちは歴史家ではないから、戦国や幕末ものになってしまうのだろう。
「坂の上の雲」がなかなか映像化がなされなかったのも司馬遼太郎氏自身の遺言などで映画化やテレビドラマかが難しかった。「坂の上の雲」はあくまでも秋山兄弟と正岡子規が主人公の小説なのですが、歴史書として読まれる事を司馬遼太郎自身が恐れたのかもしれない。それくらい日本人にとっては明治大正期は歴史的空白期なのだ。
「坂の上の雲」が小説としてよりも司馬史観として批判されるのも、時代の歴史観がまだ定まってはおらず、日清日露戦争が侵略戦争なのか防衛戦争なのかもはっきりしない。司馬史観では防衛戦争として捕らえて書いているが、それを判断するには当時の歴史的背景を知らなければ判断のしようが無い。
だから学校の歴史教育なども明治維新あたりで終わって後は駆け足になってしまう。一連の教科書論争も歴史論争なのですが、小説家たちはそれに巻き込まれるのが恐くて小説に出来ないし、映画会社やテレビ局は中国や韓国からクレームがつけられるのが怖くて日清日露戦争はドラマ化を避けてしまう。
田母神航空幕僚長が自分なりの歴史観を書いただけで罷免されるような状況であり、NHKにしても「坂の上の雲」をスペシャルドラマ化する上でもかなり神経を使っているようだ。「坂の上の雲」の脚本を担当した野沢尚氏は自殺しましたが、脚本にするにもかなりの困難が伴う事による心労だろう。
昨日の第4話の「日清開戦」にしても中国側がよくこれだけ協力してくれるようになったものだと思う。大勢の中国人エキストラが動員されての撮影なのですが、日本国内では撮影は不可能だ。昨日のドラマを見た限りでは日本兵がバタバタ死ぬシーンが多かったのですが、旅順の戦いでは日本側の損害は戦死40名、戦傷241名、行方不明7名に対して、清国は4500名の戦死、捕虜600名を出して敗退している。
これでは日本が勝ったというよりも清国兵の士気の低さが勝敗の原因であり、清国兵が逃げ去るようなシーンは中国側に遠慮したのだろう。このように「坂の上の雲」は中国ロケ無しには出来ないドラマなので日本兵がバタバタ死ぬシーンばかり出てくる。「坂の上の雲」はドラマでありドキュメンタリーではないからそれでいいのだろう。
だからNHKの「坂の上の雲」を見て史実と違うという事が沢山出てくるのでしょうが、あくまでも創作されたドラマであるという視点で見ることが大切だ。だから司馬遼太郎氏の主観で書かれた小説なのだから「司馬史観」がどうのこうのと言う事は野暮なのだろう。累々と横たわる戦死者のシーンがありますが、それだけでも日本兵の戦死者は40名以上だろう。
日清日露戦争が侵略戦争か防衛戦争かは後世の歴史家が決める事であり、歴史的評価は数百年たってからでないと無理なのだろう。トルストイの「戦争と平和」でもナポレオンは侵略者かヨーロッパを統一した偉大な指導者であるかは国によって異なる。だから中国や韓国が歴史論争で教科書にまでクレームをつけてくるのは国内事情が絡んでいるからだ。
司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」の司馬史観が批判を受けるのも、小説ではなく歴史書と捉えるから出てくるものだ。「株式日記」でも大東亜戦争はアジア開放の戦争だと言う史観も私の主観であり、それらの意見を封印しようとする事は間違いだ。歴史にはその国の歴史があり外国からとやかく言うべきことではないのですが、中国や韓国は歴史を捏造しないとアイデンティティーが保てない。だから「坂の上の雲」でも日本兵が清国兵にやられてバタバタ死ぬシーンが出てくるのだ。
大東亜戦争は主にアメリカやイギリスが相手だから比較的自由なドラマ造りが出来るからいいのですが、アメリカだって映画の「パールハーバー」では日本のゼロ戦が病院を銃撃していましたがそんな史実は無い。アメリカにとっては日本は邪悪な侵略国で無ければならないからだ。むしろそれを観客が史実として捉えるからいけないのだ。しかしこんな映画を作っているからアメリカもお終いなのだ。