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ウォール街とボルシェビキ まえがき 第1章 革命の舞台における俳優達
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/505.html
投稿者 BRIAN ENO 日時 2011 年 7 月 11 日 14:52:01: tZW9Ar4r/Y2EU
 

前書き

1920年代の初めから今日まで、「国際銀行家」と「ボルシェビキ革命家」の間の繋がりを明らかにするべく、時事問題に関する小論文や新聞記事が多数著わされ、更には少数の書籍も出版された。しかし、繋がりを明らかにしようとするこれらの試みが、動かしがたい証拠によって裏付されていたことは稀であり、そのような試みが科学的方法論の枠組み内で議論されたことは決してなかった。実際、これらの試みにおいて言及された証拠のいくつかは欺瞞的で、いくつかは見当違いで、また多くは確かめようがなかった。なお、学者達はその論題の検証を故意に避けてきたが、それは多分、その仮説が資本家 対 共産主義者という整然とした不一致に反している(そして一般大衆が、彼らは憎き敵同士だと信じて疑っていない)からであろう。更にまた、書かれてきた沢山のことがトンデモ話と隣り合わせであったため、もし、まともに検証しようとしたら、その学者の健全な学究的評判が多数の嘲笑に遭って容易に打ち砕かれ得たからであろう。その論題を避けるべき理由は十分にある。

しかし、幸いなことに、国務省十進法ファイル、特に861.00節によって、その仮説的な繋がりについての広範囲に及ぶ文献による裏付けが可能なのである。これらの公的な書類における証拠が、伝記、個人文書、および既存の歴史書からの非公的な証拠と併合されたとき、本当に魅惑的な物語が浮かび上がる。

数名のニューヨーク国際銀行家とボルシェビキを含む多数の革命家達の間に、繋がりが確かにあったのである。これらの銀行業紳士達(本書内で、彼らが一体誰であるかを明らかにする)は、ボルシェビキ革命の成功において金銭上の利害関係を持っていて、その成功を夢中で応援していた。

誰が、何故 −そして、どれだけの利益のために− がこの本の物語である。

アントニィ・C・サットン

1974年3月

p. 11
http://www.nn.em-net.ne.jp/~komoda/preface.html


第一章

革命の舞台における俳優達


親愛なる大統領殿

私は、ロシアの人々にとって最適なものとして、ソビエトの政府体制に賛成しています。

インガーソル-ランド会社(Ingersoll-Rand Corp.)会長で、アメリカン・インターナショナル会社(American International Corp.)重役で、かつニューヨーク連邦準備銀行副会長であるウィリアム・ローレンス・サンダース(William Lawrence Saunders)からウッドロー・ウィルソン(Woodrow Wilson)大統領へ宛てた手紙(1918年10月17日)

この本の口絵は、St. Louis Post-Dispatch紙に掲載するため、1911年、ロバート・マイナー(Robert Minor)によって描かれたものである。マイナーはボルシェビキ革命家でもあった有能な芸術家にして作家であり、破壊容疑で1915年にロシアで逮捕されたが、その後、著名なウォール街の金融業者から資金を提供されたという人物である。マイナーの風刺画は、ひげを生やした晴れやかな顔をしたカール・マルクス(Karl Marx)を描写しており、そのマルクスは腕の下に社会主義をはさみ込んでウォール街に立っていて、その背後には、財界の権威者であるJ.P.モルガン(Morgan)、モルガンのパートナーであるジョージ・W・パーキンス(George W. Perkins)、取り澄まし顔のジョン・D・ロックフェラー(John D. Rockefeller)、ナショナル・シティ・バンクのジョン・D・ライアン(John D. Ryan)、およびその有名な歯並びで容易に判別できるテディ・ルーズベルト(Teddy Roosevelt)が居て、彼らはマルクスを祝っている。ウォール街は赤旗で飾られている。歓呼している群集と空中に舞い上がっている帽子は、カール・マルクスがニューヨークの金融街において相当に人気のある人物であったに違いないということを示唆している。

p. 15

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ロバート・マイナーは夢を見ていたのであろうか? そうではなく、マイナーはウォール街とマルキスト社会主義の熱狂的な同盟を描くことにおいて、しっかりした基礎に立っているのを我々は知るであろう。マイナーの風刺画における人々、すなわち、カール・マルクス(未来の革命家であるレーニンとトロツキーを象徴している)、J.P.モルガン、ジョン・D・ロックフェラー、およびロバート・マイナー自身さえ、この本における重要人物でもある。

マイナーの風刺画が示唆する矛盾(すなわち、ウォール街とマルキスト社会主義の熱狂的な同盟)は、歴史では伏せられてきた。それは、政治的に左翼と右翼の違いという常識的概念に合わないからである。ボルシェビキが政治的に左翼の極限で、ウォール街の金融業者が右翼の極限であり、それ故、我々はその2つのグループに共通点が全くなく、それらのグループ間に同盟があるはずが無いと思考するのである。この確固とした概念的な整理に反する因子は、怪奇な観察または不幸な錯誤としていつも拒絶される。近代史は元来このような二元性を内包しているものであり、多過ぎる不都合な事実が拒絶され、伏せられるならば、それは間違いなく不正確な歴史である。

既存の政治的スペクトルにおける極右と極左は、別の見方をするならば、両方とも完全に集産主義だということが観察され得る。国家社会主義者(たとえば、ファシスト)および国際社会主義者(たとえば、共産主義者)はいずれも、あからさまで身勝手な政治権力と個人の圧政を基盤とした全体主義的な政治経済システムを推奨する。両方のシステムは、いずれも社会の独占的支配を要求するのである。産業の独占的支配がかつて19世紀後半までJ.P.モルガンとJ.D.ロックフェラーの目的であったが、その一方で、ウォール街の奥の院は、確固たる独占を獲得するための最も効率的な方法というものは、政治的に進めることであって、公共の善と利益という名の下に、社会を独占主義者のために働かせることであると理解していた。この戦略は1906年にフレデリック・C・ハウエ(Frederick C. Howe)によって「独占主義者の告白」1の中で詳しく述べられている。なお、ハウエはボルシェビキ革命の物語の一登場人物でもある。

政治思想と政治経済システムという二元的な概念を一元的に把握するための手段として、個人の自由度の大きさと中央政権の支配力の大きさの比率を尺度とする考え方があろう。そのような考え方においては、国家社会主義と国際社会主義は比率スペクトルの同じ端に位置することになる。このように、社会の独占的支配の試みは、共通の特徴を持ちながらも、異なったラベルを持ち得るということなのである。(Therefore, an alternative conceptual packaging of political ideas and politico-economic systems would be that of ranking the degree of individual freedom versus the degree of centralized political control. Under such an ordering the corporate welfare state and socialism are at the same end of the spectrum. Hence we see that attempts at monopoly control of society can have different labels while owning common features.)

脚注
1 「これらは、ビッグビジネスのルールである。彼らは我々の親達の教えを破棄し、以下の単純な行動原理に従っている―独占せよ、社会を汝のために働かせよ、そして全てのビジネスの最善は政治であることを記憶に留めよ―。というのは、立法上の容認として、営業特権、助成金、あるいは免税は、KimberlyやComstockの鉱脈以上に価値があるからである。なぜなら、その開発のために如何なる労働も、精神的あるいは肉体的な労働も、必要としないからである。」(Chicago: Public Publishing, 1906), p. 157.

訳者注
このページの後半部は、原文をそのまま訳したのではなく、何を言いたいのか想像して日本語化したものである。括弧内に示した原文は、著者が自分の作品に酔っていて、そのために分かり難い雑な文章になっているのかも知れない。


p. 16

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近代の歴史の成熟した理解への一つの障害は、すべての資本家がすべてのマルキストや社会主義者の憎き、確固とした敵であるとの見解である。その間違った見解は、カール・マルクスから始まったもので、彼の目的には疑いなく好都合であった。しかし、実際は、その見解はナンセンスである。国際政治資本家と国際革命社会主義者との同盟が、隠蔽されながら継続して存在していたのである、彼らの相互利益のために。この同盟が気付かれなかったのは、主に歴史家が―2〜3の注目すべき例外はあるものの―無意識的にマルクス主義に対する先入観を持っており、それ故、そのような同盟が存在することが有り得ないという固定観念に閉じ込められていたからである。偏見の無い読者ならば、次の二つの手がかりに気付くべきである。

1)独占資本家は自由放任主義の企業家の憎き敵である。
2)社会主義者の弱さに中心的計画を与えたら、全体主義的社会主義国家は独占資本家のための完全な専属マーケットになる、もし社会主義者の黒幕と同盟できればの話だが。

この時点では単なる仮説であるけれども、アメリカの独占資本家が、計画的に樹立された社会主義国家ロシアを、彼ら専属の工業植民地にしたという風に考えられないだろうか? これは、19世紀後半におけるモルガンの鉄道独占およびロックフェラーの石油企業連合の論理的な20世紀国際主義者的拡張ではなかろうか?
ガブリエル・コルコ(Gabriel Kolko)、ミュレイ・ロスバード(Murray Rothbard)、および修正主義者はさておき、歴史家達はそんな一連の出来事に油断なく気を配ることを怠ってきたのである。歴史的な情報提供は、稀な例外はあるものの、資本家と社会主義者の対立に限定されるを余儀なくされてきた。ジョージ・ケナン(George Kennan)のロシア革命についての記念碑的で、読んで面白い研究は、ウォール街−ボルシェビキ対立という虚構2を擁護している。彼の著作「ロシアはその戦争を残し去る(Russia Leaves the War)」において、J.P.モルガン商会(J.P. Morgan firm)に関する参照文献が1件だけ挙げられているけれども、重要な文献ではない。ギャランティ・トラスト会社(Guaranty Trust Company)に至っては、全く参照文献が示されていない。しかし、この両方の組織は、国務省ファイルにおいて突出して触れられていて、本書では、ここで提示する証拠の核心の一部として、そのファイルをしばしば引用している。ボルシェビキ御用達銀行家を自認するオロフ・アシュベルグ(Olof Aschberg)やストックホルムのニア銀行(Nya Banken)について、ケナンは全く触れていないが、両者はボルシェビキ財源の中核である。

脚注
2 George F. Kennan, Russia Leaves the War (New York: Atheneum, 1967); and Decision to Intervene.. Soviet-American Relations, 1917-1920 (Princeton, N.J.: Princeton University Press, 1958).

p. 17

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更にまた、少数箇所ではあるけれども極めて重大なところ、少なくとも我々の議論において決定的なところで、ケナンは事実に関して誤っている。たとえば、ケナンは連邦準備銀行の重役であるウィリアム・ボイス・トンプソン(William Boyce Thompson)が1917年11月27日にロシアを去ったと記している。この出発日が正しいならば、ニューヨークのモルガン宛てに100万ドルを請求する電信を送るために、トンプソンが1917年12月2日にペテログラードに居たことは物理的に不可能になるだろう。トンプソンは、本当のところは、ニューヨークに電信を送った日の2日後の1917年(訳者注:原文では1918年であるが誤記であろう)12月4日にペテログラードを出発している。更にまた、1917年11月30日にトロツキーがぺテログラード評議会で演説し、「本日、私はアメリカの資本家分子と親密な関係にある二人のアメリカ人をここスモンルニィ研究所(Smolny Institute)に迎えた」と述べたと、ケナンは記している。ケナンによれば、その二人のアメリカ人はロビンズ(Robins)とガムベルグ(Gumberg)以外には誰であったかを想像することが困難であるそうだ。しかし、実は、アレキサンダー・ガムベルグ(Alexander Gumberg)はロシア人であり、アメリカ人ではない。更に言えば、1917年の11月30日にトンプソンがロシアにまだ居たのだから、トロツキーを訪問した二人のアメリカ人は、人のためとの建前で自分のために行動する採鉱プロモータのレイモンド・ロビンズ(Raymond Robins)およびニューヨーク連邦準備銀行のトンプソン以外には考えられない。

ウォール街のボルシェビキ化は、1919年頃の高名なサークルでは周知のことであった。金融ジャーナリストであるバロン(Barron)は、1919年における石油王E.H.ドヘニィ(Doheny)との会話を記録に残しており、明確に3人の著名な金融業者、すなわち、ウイリアム・ボイス・トンプソン、トーマス・ラモント(Thomas Lamont)、およびチャールズ・R・クレーン(Charles R. Crane)の名を挙げている。

1919年2月1日、金曜日夕刻、蒸気船アクイテニア(Aquitania)の船上にて

ドヘニィ家の人々と彼らのスイートルームで過ごした。ドヘニィ氏は言った。もし、あなたが民主主義をよしとするならば、社会主義をよしと出来ない。社会主義は民主主義を破壊する毒である。民主主義は万人のための機会を意味する。社会主義は人間が仕事をやめる事ができ、一層裕福で有り得るという望みを提供する。ボルシェビズムは社会主義の真の果実であり、もしあなたが1月中旬の上院委員会における興味深い証言を読めば、すなわち、ドイツ支持者、社会主義者、およびボルショビキのような、これら全ての平和主義者たちを暴く証言を読んだならば、合衆国の大学教授の大多数が社会主義およびボルシェビムを教えていることや、52名の大学教授が1914年のいわゆる平和委員会の一員であったことが分かるでしょう。ハーバードの学長であるエリオット(Eliot)はボルシェビムを教えている。合衆国の最悪のボルシェビストは、大学教授(ウィルソン大統領もその一人)だけではなく、資本家および資本家の妻達もであり、彼らはいずれも何について話しているのか分かっていないように思える。ウイリアム・ボイス・トンプソンはボルシェビムを教えていて、J.P.モルガン商会のラモントをやがて転向させるかも知れない。ヴァンダーリプ(Vanderlip)はボルシェビストで、チャールズ・R・クレーンもそうである。多くの女性達がその運動に参加していて、彼女らおよび夫達はそれが何なのか、それが何に導くのかを知っていない。ヘンリー・フォード(Henry Ford)もそうであり、ウィルソンが「歴史は民族、国民、および種族について適切な区分を教えうる」という馬鹿げた考えを抱いて海外に連れて行った百名もの歴史家達の大半も同じく知っていない。3

脚注
3 Arthur Pound and Samuel Taylor Moore, 「彼らは、バロン(Barron)に言った」(New York: Harper & Brothers, 1930), pp. 13-14.

p. 18

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この本においては、ボルシェビキ革命とその余波の物語が語られるが、資本家 対 共産主義者の通常概念的束縛から外れた物語である。我々の物語は、国際独占資本主義と国際革命社会主義の間における相互利益のための提携の存在を仮定するものである。この同盟の最終的な人的費用は、個々のロシア人および個々のアメリカ人の肩にのしかかってきた。企業家精神は評判を落としてきたし、世界は、政治と革命の世界におけるこれらの独占支配策略の結果として、非効率な社会主義者計画の方に追い立てられてきた。

これはまたロシア革命の裏切り行為を反映した物語でもある。ロシア皇帝達および彼らの不正な政治システムが放逐されたが、別の不正な政治システムを持つ新しい黒幕達に取って代わられただけである。合衆国は自由なロシアをもたらすためにその卓越した影響力を行使することが出来たのにもかかわらず、地方分権化された自由なロシアではなく、中央集権化された帝政ロシアまたは中央集権化されたマルキストロシアを、彼ら自身の目的のために受け入れることが出来た少数のウォール街金融業者の野心に盲従した。そして、内在していたが、これまで語られなかったロシア革命とその余波4についての歴史を我々が明らかにするにつれて、これらの主張に対する理由がはっきり見えてくるであろう。

脚注
4  1919〜1920年の市民戦争において、"Whites(反動主義者)"および "Reds(共産主義者)"と戦ったMakhanovite運動に関する、並行した知られざる歴史がある(参照文献: Voline, The Unknown Revolution [New York: Libertarian Book Club, 1953])。 "Whites(反動主義者)"および "Reds(共産主義者)"と戦ったGreen運動もあった。しかし、著者はボルシェビキ革命に関する如何なる歴史においても、"Greens"についての記述を一行たりとも目にしたことがない。Green軍は少なくとも70万人の兵力があったというのに!

p. 19


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