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サンカ (八切史観)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/555.html
投稿者 五月晴郎 日時 2011 年 10 月 15 日 21:08:08: ulZUCBWYQe7Lk
 

http://www2.odn.ne.jp/~caj52560/sanka.htm

=転載開始=

八切史観で「サンカ」について書かれた物に次のものがある「サンカの歴史」「サンカ生活体験記」「サンカいろは唄」。
「サンカいろは唄」等は先生の遺稿、遺書の感がある。御自分の生母や祖母のことも書かねばならぬので、随分と書きづらかったと序説に書いておられる。以下に紹介するのはニフテイの会議室で、サンカのほんのさわりを紹介したところ、質問が多く出て、その回答形式をここにUPします。己たちがサンカの末裔と知らぬものの、やはり血の成せる業か興味のある方が意外に多いのに驚いています。

○○様。◆◆◆長くなりますので三部にします◆◆◆
        <<第一部>>
今日は。早速本題に入りましょう。○○さんは「風の王国」をお読みになったようですが、先ず、この本を書いた五木寛之氏の意図と経緯から考えて見ましょう。この本は「小説新潮」に三回の連載が一冊となった物です。ご存知のように「先ず申し上げておこう。我々は長い間ずっと口伝えによる文化の伝承を、文字による記録よりも大切にして生きてきた。(中略)しかし心の拠り所としては、文字より言葉、声による口伝えを根本とする」とその237頁に浪骨の言として五木氏は訴えたい事を書いています。

これは全くこの通りで、サンカの人々が書き残したものは無いからです。だから八切先生は口伝えの彼らの歴史を調査するため、全国を回りました。かって五木氏は「戒厳令の夜」を書き、文壇の地位を確立しました。しかしこの「風の王国」でサンカを書きたいため「さらば、モスクワ愚連隊」から数十年かかって、ようやく正面切ってというか、居直って、全体の250頁以下に、「フタカミ講」と「渾流組」といったものを、小佐野賢治をモデルにしたような壮大な射狩野グループの三つ巴の中で、当時世間を騒がせていた連中に迷惑をかけぬようにとの用心と配慮からか、僅か55人の紺キャハンの<へんろう会>の「天無人神講」としています。
○○さんが御質問の一番目の、

>> 1、サンカの人達が作る「天無人神講」という「講」の話しが出ていましたが
>>これは実在するモデルがあるのでしょうか。

五木寛之氏は極めて頭のいい優秀な作家ですから、何をどう書けばいいのか十分に吟味したと思推されます。
というのは、海洋渡来の”八”の部族や、後に沿海州から入ってきた騎馬民族は共に藤原体制から疎外され、差別されました。そして同じくまつろわぬ民としてサンカの人達も殺されたり差別の対象になっていたので、追われる者同志が庇いあって彼らの中に溶け込んでひっそりと暮らしていました。八の部族の民族色は赤で、騎馬系は白です。だから八と暮らすサンカは「赤のとけこみサンカ」つまり【赤サンカ】であり、騎馬系と暮らすのは「白のとけこみサンカ」、【白サンカ】なのです。しかし、何処にも絶対溶け込まず家族を一つの単位として、五家族で一つのグループで流浪するのを”セブリ”というので、これをモデルにしたのではないかと思われます。

(私も実は詳しくは無いのですが、「全国ハチヤ同盟」というのが在るという事です。これは京都の空也堂信者の大同団結といいます。全国で三千万だそうですこのハチヤはサンカではなく、天の王朝つまり海洋渡来系の末裔です。他に”水上会”というのもあり、これは水上の穏坊といいますがキッタン系の団体で「將門一族会」も結成して、その団結にロマンを求めているのです)


「風の王国」の後書きの後に、参考資料として160余点の書名が列記されていますが残念ながら、まあ増しなものは故宮本常一氏の「日本民衆史A」の、「山に生きる人々」ぐらいで、他は「柳田国男著作集」当たりです。
肝腎な八切先生の「サンカ生活体験記」を読んでません。八切先生は「知らない間柄ではないし、尋ね質問してくれたら注意したものを」と言っておりました。

ですから五木氏が参考にした殆どの部落関係の本は、故菊池山哉が仏教側資料によって解明した(体制側で弾圧した方の視点で書いている)裏日本から渡来した騎馬系の白サンカまでなのです。それをその儘に転用して自説としたにすぎない著作ばかりが、五木氏は
資料としてしまっているのです。しかし東大のY教授が北海道新聞の1997・1・10の「歴史の叙述と想像力」の中で

「柳田の民俗学で使われる”常民”という言葉は、市民でもなければ平民でもない存在を指す。それはやはり”常民”としか呼びようのない文化の基底を担う人々なのだ。彼らに対する無私の愛、その存在えの想像力こそ、柳田学から現代歴史学が受けた貴重な刺激と言うことになろう(後略)」柳田氏については後述しますが、この学者先生よくこんな寝惚けた事を書けるものと感心します。

何も判ってない事を天下に公言したようなものですね。五木氏は資料の選択は間違ったとはいえ、サンカを描こう、とする物書きの情熱と感性と想像力で真実に迫っています。だから私は五木寛之氏の方が数段増しだと、前記した訳です。

○○様。  <<第二部>>

◆◆◆◆◆解りやすく表にしてみましょう。◆◆◆◆◆
(---線内は時系が同じ区切りで、(A)(B)は人の系統のようです。投稿者記)
----------------------------------------------------------------------
前代サンカ・建国統一の7世紀からはみ出した部族。
(A)裏日本から渡来 居着きで非農耕 遊牧サンカ
(B)太平洋から上陸の農漁業塩作りの赤系サンカ。
-----------------------------------------------------------------------
梅鉢サンカ・10世紀以降キッタン(契丹)系 日本史では隠して宋とするが、指揮部族。 
(A)セブリ流民として五組編成で各地に散在し、シコとして 防衛編成。 
(B)天照大神系として食料増産のため限定地に居着きさせられる。
-------------------------------------------------------------------------
南北朝サンカ・明国や朝鮮の影響が及ぶ。
(A)源氏とされ、後に楠木正成らが隆起する。
(B)平氏の子孫も世直しに三河の足助次郎らが決起する。
---------------------------------------------------------------------------
戦国サンカ・徳政に反対し各地でサンカ出身が戦国武将となる。
(A)北条早雲一党 別所宗治一党
(B)上杉謙信一党 尼子持久一党
---------------------------------------------------------------------------
江戸サンカ・綱吉の神仏混合令によって反仏教徒は非人とされ弾圧される。
(A)飼戸の子の飼子が幕末に殺し屋として 上洛し利用されて 恰好良く志士という。(B)庭子小作奴隷が大百姓へ世直しを迫り一揆する。イッキイッキという
---------------------------------------------------------------------------

尼子持久を宇多近江源氏と歴史書はしているが、間違いで「ア」は海洋渡来系。別所宗治の三木城は秀吉に二年間も完全な兵糧攻めをされて、幼児の後藤又兵衛だけを託し残して玉砕。この分類の(A)の縦の区分を「馬鹿」と呼ばれたり四つと呼ばれたりしていた方だけは解明しています。「一畝不耕一所不住 一生無籍 一心無私」と風の王国巻頭にも出ています。

従って士・農・工・商以外の枠外の民である、騎馬系弾左衛門地が、明治までは隅田川以北は小菅から先もずっと草原で、一反の田畑もなかったのは有名な事実で、日本は豊葦原水穂の国と古来から言われるとおり、騎馬系は遊牧民族ゆえ、絶対に農耕も、漁業も、塩作りもしなかった。水穂のほうは奴隷百姓が米作りをしていました。
大衆作家の書く物に、その筋の侍だった者が、禄を失って田舎で百姓をするなどとありますが、有り得ない話しで出鱈目です。

この農耕しない民族は、(B)の民族と全く違うのに風の王国では(B)を区別してしまっているのです。
「山民は骨なり。常民は肉なり、山と里の間を流れる浪民は血なり、血液なり。血液無き社会は生ける社会にあらず。浪民は社会の血流なり、生存の証なり、浪民を自らの内に認めざる社会は停滞し枯死す。吾らは永遠の浪民として社会を放浪し(中略)山は彼岸なり。里は此岸なり。この二つの世の皮膜を流れ生きる者、これセケンシ(紹介者注・サンカ同志の連絡役)の道なり。
吾らは統治されず、統治せず。一片の赤心これ同朋に捧ぐ」と風の王国で定義されてしまうと、居着きもとけ込みも「常民」の側に置かれて
しまうわけです。

ですから○○さんの二番目のご質問、
>>2、この本が居着きサンカととけ込みサンカを混同しているというのは、具体的にどういうことを指しているのでしょうか。

上記のように(A)の者たちは全国を流浪しながら生活をしていたため、都市や村に居着きません。
一方食料生産をする(B)の方は重宝なので都市や村にとけ込んでおります。この(B)の八つと呼ばれる海洋渡来系は八切先生が日本で始めて解明したのですから、五木氏が解らなかったのも無理がないと思います。もう少し簡潔に言いますと、


●とけ込みサンカ・・・・他の部族にとけ込んで暮らす。
●居着きサンカ・・・サンカだけのグループで特定地で暮らす。となります。

さて、それでは最後の御質問に行きましょう。
>>現在もサンカの人達は、そのアイデンティティを守って、国内のどこかに
>>住んでいらっしゃるのでしょうか。

もうお判りでしょうが、彼らは原始共産主義というか、無政府主義者とも言える自由の民です。敗戦で日本各地の都市が絨毯爆撃され、とけ込みサンカはは離散してしまいました。それまでは鋳掛け屋とか、煙突掃除をしながらセケンシがサンカの各家庭を廻って歩き、貧しい人や病人に施しをしていました。また余裕のある者は金を出し、無い者はミノ一つでもよかったのです。彼らは徹底した相互扶助制度で助け合っていたのです。

そして彼らを束ねる大統領ともいうべき「大本様」が居たようです。一昔前、スイスの銀行で日本御三家と呼んでいたのがあり、一位が岸信介、二位が宮内庁と言われてました。今はサンカシノガラ資金が多いといいます。何故かというと、かってニクソンのドル下落の際、各国は必死に石油を買い漁りました。

馬鹿な日本政府はアメリカさんの命令で、石油を買わずにドルの買い支えをした事がありましたが、その時にサンカは逆にドルを売って巨利を得たのです。大本様は日本を見限ったのか、現在は海外に出てしまったようです。

話しは飛びますが、秀吉は家康を殺したかったのですが、家康は(B)から出た出世頭だったため、大本様の意志でさすがの秀吉も騎馬系が多く住む関東へ押し込める事しか出来なかったのです。そして秀吉は晩年は仏教勢力と結託した為、サンカ系の大名は一人残らず家康に味方して、関ヶ原で家康に勝たせてもいます。家康、秀忠まではサンカは吾が世の春でした。しかし綱吉の神仏混合令以降又厳しく過酷な弾圧が続くのです。

現代は自分たちがサンカだとは解らぬ若者がイッキイッキとはしゃいでいますが人口割合では(A)と(B)を足すと数千万は居るでしょう。

(五木寛之は何年休筆しても根強い人気がありますし、歌手の五木ひろしは三十も芸名をかえて五木にした途端人気が出ました。勿論彼らの才能や努力もありますが居着き人口の圧倒的な支持が有るからと思われます)

しかし居着きもとけ込みもしなかった純粋日本人のサンカは姓の上に「エケセテ」をつけていますから見分ける事は出来ます。
江川、江夏、江本、江田、遠藤、江戸、海老名、研、見城、千、千田、仙谷手塚、手嶋、勅使河原、寺田、寺山、猫田、根来、根津、辺見、目方、目黒

これらの人は管理社会では暮らせない特性があり、みんな芸術やスポーツの分野で活躍している人が多い訳です。いわば一匹狼なのです。しかし彼らは動物好きで家族を非常に大切にし、女性に優しいという長所があり「千万人とも吾ゆかん」とバイタリティーの塊です。
こうして見るとマスコミで活躍している人も多いので、随分と数が多そうですが東京都の電話帳でもおそらく千人とは居ないはずです。もう一つ重要な特徴として、民族の純血と増加を図る為か、少子化の現代では珍しく十人ぐらいの子沢山が多いと言えます。

私見によれば、自己本位で、自分さえよければ他はどうなっても良いという、官僚組織や、既得権益団体や家庭や個人が跋扈するこの国に、サンカの思想と行動様式を基底にした政治が行えるなら、この国の未来は捨てたものではないと思うのは私だけでしょうか。
【統治されず統治せず。一片の赤心これ同朋に捧ぐ】
規制徹廃、地方分権道州制、生活者主権、相互扶助の福祉重視、まさに平成維新そのものではないですか。
  <第三部>

余談になりますが、これからの日本を救う人物はこのサンカの中から出現するのではないかと私は思っています。
アインシュタインの有名な言葉が在ります。
   *************************************
世界の未来は進むだけ進みその間、幾度か争いは繰り返されて、最期の戦いに疲れる時が来る。その時、人類は誠の平和を求めて、世界的な盟主をあげねばならない。この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き越えた、最も古く、また尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。
吾々は神に感謝する。吾々に日本という尊い国を作って置いてくれたことを...............。
  ************************************

どうでしょう?
「尊い家柄」といえば天皇ですから、宰相はやはり誰になるのでしょうか?。以前この事をUPしたら、大分顰蹙をかいましたが、こんな夢想をしなければならないほど、この国は腐ってますね。  閑話休題。

<<余談の余談>>
明治の東京政府は、徴税や徴兵のため当時始めて国勢調査をし、明治四年の壬申戸籍を作った。町人別、寺人別、侍交名帳でそれまでのの人口把握は出来たものの、居着きしていない四つの人口や部落民、それと無申告の民が余りにも多くて狼狽。

というのは、明治維新は彼ら庶民を原動力として成し遂げた経緯があり、金の無い東京政府は後に本願寺派仏教勢力と提携して彼らを裏切ったので、叛乱を怖れた。だから治安維持策として、「棄民政策」と称して北海道、樺太、北米、伯剌西爾へ彼らを放り出したのです。
女はサンダカンへ性業婦として輸出し、外貨獲得。自国の国民をこうした扱いをする国が一体何処にあるでしょう?

差別徹廃、部落解放、四民平等を信じて、命を捨てた名もなき草莽たちの無念やいかばかりだったでしょう。結局、天皇を象徴とした官僚支配の律令体制は現代まで残り、部落問題は今に到るも未解決である。前体制の残滓はかくも国民を不幸にする。だから
歴史の教訓に学び、平成維新は心してかからねばと危惧する心が、しつこい程私の「改竄の日本史の暴露」にかりたてるのです。

以下はある方にREとしたものですが、一部重複しますが大事な点なので再度UP致します。

【純粋日本人・サンカ】

サンカや部落問題というのは差別の原点でもあり、タブーであり、たいていの人は腰が引けて、避けて通るキライがあります。
しかし、この国の改革が成れば、又成る過程で此の問題は避けて通れない大変に厄介な問題だと思うのです。
それというのも根底には”偽造の日本史”があり、これが為に差別する方も、される方も理由が判らず、悲しい争いをくり返してきました。

この偽造の日本史を暴き、新生日本史を確立しなければこの問題の解決はおそらく不可能だと思います。
その為の日本開闢以来の史観が”八切史観”なのですが、私などはいわば伝道者にすぎません。

【紹介者・補記】
さて、柳田国男氏とその弟子の折口信夫氏らが「日本の全人口の三割はサンカだ」と発表して、タブーに果敢に挑戦しました。
つまりオカミの歴史に対して常民史観というようなことを言い出しました。しかしその存在を許さぬサンカが、全人口の何割も今に到るも生存している等とは以ての外であるし、その歴史探究など言語道断という事だったでしょう。

当時、今とは違い男色が最悪の不道徳とされていた時代「折口信夫との間を公表すれば如何となす」と特高に引張られ、脅されて「弟子の彼が可哀そうだ」と「あれは誤りだった」とやむなく訂正の評論を書いて、民俗学の方へ転向してしまいました。
現在柳田の研究書は沢山在りますが、こうした深い所ろへの視点が欠けているように思うのは独断と偏見でしょうか。

彼は非常に頭脳明晰な人だったと言いますから、あのまま研究を続けていれば、日本原住民史は、当時はまだ資料は残っていたでしょうから、随分と今とは違った形で解明されたでしょう。次に手がけられてやめた、白柳秀湖氏の場合も、一人娘さんがやはり人質みたいに
なって、男親って娘が可愛いから、結局彼も折角いいところまで行ったんですが、やむなく中止して右翼の評論家として亡くなってます。
全く日本のオカミのやる事は、昔から汚く陰湿です。

三角寛氏は朝日新聞のサツ廻りの記者でしたから、警察情報を基にし、後に内務省警保局の民族事業協和会からの財政援助でシノガラといわれる、サンカの人達との”サンカ生活体験記”を出版しました。しかしこれを書くと、自分の母親の事を書かなければならないので、書きにくくてしょうがなかったといいます。だから氏も結局”体制側からの視点”言い換えれば”仏教徒側から”サンカを書いた為、全く異なった虚像しか現在に残しておらず、後世の学者達がいくらフイールドワークしても、彼を越える物は出ない訳です。

さて、八切先生も「野史辞典」の資料集めに地方巡りをしました。その時ある村で、赤子を背負った女まで入れて八名の溺死体を淵から曳き上げている処へ行き合わせてしまった事がありました。赤ん坊のごときは水膨れでまん丸で、無惨などとは表現しがたい、異様な死体の
行列だったといいます。先生はどうしても書かれた物や写本では、探し求める匿された日本史が探し当たらず、やむなく口伝えの秘史を蒐集しようと、当時重たい旧型のテープレコーダーを持って日本各地を巡ったのです。

そして断る村民に無理矢理、御霊前にといくばくかの現金を包み、何とか頼みこんで御逮夜に泊めて貰い、部落総代という老人から話しを聞きました。

「ここは旧幕あたりまでは苗字帯刀、紋付きの家柄で格式もあった家ばかりだった。しかし今では全くあべこべになってしまった。だから嫁に行って子供まで産んでいても、ここらの部落の出だと判るもんなら、まるで獣のように放り出す。それで戻されてきたのに同情して、自分らも嫁に行っても何時か放りだされるんじゃないかと、こんな無様な心中をしてしまう。こんな調子だとここの部落の女達はいつか死に絶えてしまう」と、愚痴まじりに部落の不条理を訴えてきました。

夜になり酒が入ると他の人もぼつぼつ話し出しました。「自分らは、昔はエライ様で土民はあぜ道で御一新までは土下座しておじぎした
もんだ、それが今では昔は非人だった奴たちさえ馬鹿にして口も聞いてくれんのじゃ」と、憤慨して他の者もしくしく啜り泣きだったのが「ウオー」と号泣に変わってみんなが吼えるように唸った。土間の茣蓙の上に並んだ屍体の髪毛が乱れ、毛糸玉のように互いに繋がって見え、
集団自殺の彼女たちのプレッシャーは酷く、凄惨な一夜で屍臭と線香の煙でむせた、といっております。

これは昭和四十五年の出来事でした。この時点からすでに三十数年を経ていますが、現状は何も変わってはおりません。マスコミもこうした問題には触れませんから一般ではなおの事でしょう。

<<終わり>> 


<<引用参考文献>>
八切止夫著「サンカ生活体験記」「天の日本古代史研究」「日本全国特殊部落発生史」その他。

=転載終了=         

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コメント
 
01. 五月晴郎 2011年10月15日 22:43:47: ulZUCBWYQe7Lk : bxtHsuzmZA
「お奨め、八切止夫史観を通した日本史の見つめ直し」
http://www.asyura2.com/0601/holocaust3/msg/138.html
投稿者 ぷち熟女 日時 2006 年 5 月 27 日 21:34:17
から
=転載開始=

愛国心を主張する者ほど売国奴さま、

(多分)お初でございます。
コメントありがとうございます。

日本と中東ですか、関係は大ありだということです、違った意味で。
ユダヤもですが、ユダヤだけではありません。
最も古くは古代バビロニア民族が船でフィリピン辺りまで漕ぎ出し、そこから黒潮に乗って列島に流れ着き、定住したようです。
それ以前には列島は大陸と陸続きだったわけで、ヒトがいなかったわけではないでしょうが、そこまで正直知りません。
っていうか、どなたかそれ以前の文献というのをご存知でしたら何とぞご教示下さい。
とにかく昔は続々あちこちから漂着しては仲良く暮らしていたんです。

古代バビロニア人以外にも、インドであるとかインドネシア、フィリピン、タイ、ベトナム辺りのインドシナ諸国から古代海人系民族が非常に多く上陸していたであろうことは当然だと思います。
実際、黒潮に洗われる太平洋沿岸の我らが同胞には、そういう容貌の方々多いですよね。
東南・西南アジアを無視するなどとんでもないです。

あたくしは歴史に弱い方ですが、正史以外の文献の発掘は非常に大切だと痛感しております。

そういった漂着後に列島の原住民になっていった民族の数々は、結局は後に大陸・半島からの帰化人政権によって迫害され、その多くが政争に敗れて賤民化させられた他の部族と共にサンカと言われる集団を形成していくことになりました。

*武内宿弥への隷属から逃げた日本原住民系(主に古代バビロニア系?)(AD2世紀)
*武烈王への隷属から逃げた古代海人族系(AD5世紀)
*百済系にクーデターを起こされて逃げた蘇我氏系(AD7世紀)
*桓武帝治世下の反乱日本原住民系(AD8世紀)
*唐滅亡後に台頭した契丹を憎悪した唐系の藤原氏に迫害された契丹系(AD10世紀)

そういった禁断の歴史を、サンカの出自であることをその晩年にカミングアウトし、後世のためにとご自分の胸にずっとしまっておきたかった思い出と長年の調査やフィールドワークの結果を取り混ぜて独自の歴史観を綴られた故・八切止夫氏の著述の読めるリンクを下ご紹介しておきます。

八切氏はアラブ圏に旅行し、レバノンやイランの人々と実際にサンカに伝わる古代バビロニア語を使って会話しておられたとのことです。

日本人のDNA配列解明など、これまでまともにやってるんだろうか、という疑念を持っております。混血しているからみんな大陸・半島的要素も持ってはいるでしょうが、韓国人と配列が最も近いなどは、歴史を見ているとちょっとまだ調べ足りないのではとも思います。

サンカ系の方々の純血度は高いので、それを調べられればまた全く結果は違うのでは、と。

日ユ同祖論との絡みですが:

伊勢神宮門前に見られる「蘇民将来」の看板はよく日ユ同祖論者に「ユダヤのこと」などと使われますがそれはこじつけで、蘇民はもともとは素民であり、日本原住民のことであったとも書いておられます。

契丹系帰化人で藤原時平に謀殺された菅原道真が祀られた(というより、祟り封じに閉じ込められた)太宰府天満宮は、同系統のサンカの信仰対象ですが、現顧問はロックフェラー(維新後に集中的に原住民宗教を勉強した奴らが浸透・破壊に既に着手)。

七福神も西アジアから原住民とともに渡来したもので元々男神女神(生殖)信仰だったものが、後に宗旨スリカエに遭い、ユダヤ趣味的な商売繁盛だけの神々にされてしまった。

稲荷(古くは稲生)も古来の五穀豊穣信仰だったものを、御食津(みけつ)という聖地だったかの名を三狐(みけつ)に改竄され、これまたヤーウェのように嫉妬深く祟りもうるさい商売繁盛の神にスリカエ。

八切氏はまた、二次大戦開戦前夜のパールハーバー作戦前に、サンカはCIAから「フジワラ打倒のため、今こそ決起の時である」「純粋な日本人の血をもつ民族によって日本を建て直す」と隠密裡にコンタクトされ、列島分断勢力の一つとして利用されていったとも証言しています。

ダマシは偏在しています。

八切氏の個人的見解では、サンカの血統は決して少数派ではないそうですよ。
彼以外にカミングアウトした人は存知ませんが、シノガラという日本最古の秘密結社を形成している彼らは、建設、食肉など多くのギルドの元締を現在まで血族で守って来ています。

二次大戦で結託したCIA〜メーソン〜世界支配層との関係がもはや安泰でない証左が、現在の談合摘発合戦や米国牛輸入問題にあまりにも明らかに表れている(戦後も利権を与え続け、肥え太らせられた資産を、今潰しと刈り取りにかかられている)のですが、彼らがそれに気付き、日本原住民としての自覚に目覚めてほしいと願うばかりです。

特に「外野さま」のような方にはこの点ご再考いただきたいですね。

ではまた、ごきげんよう


「八切止夫作品集」
http://www.rekishi.info/library/yagiri/index.html

その中の「古代史入門」
http://www.rekishi.info/library/yagiri/scrn2.cgi?n=1049
http://www.rekishi.info/library/yagiri/scrn2.cgi?n=1050
http://www.rekishi.info/library/yagiri/scrn2.cgi?n=1051
http://www.rekishi.info/library/yagiri/scrn2.cgi?n=1052
http://www.rekishi.info/library/yagiri/scrn2.cgi?n=1053
http://www.rekishi.info/library/yagiri/scrn2.cgi?n=1054
http://www.rekishi.info/library/yagiri/scrn2.cgi?n=1055
http://www.rekishi.info/library/yagiri/scrn2.cgi?n=1056
http://www.rekishi.info/library/yagiri/scrn2.cgi?n=1057
http://www.rekishi.info/library/yagiri/scrn2.cgi?n=1058
http://www.rekishi.info/library/yagiri/scrn2.cgi?n=1059
http://www.rekishi.info/library/yagiri/scrn2.cgi?n=1060
http://www.rekishi.info/library/yagiri/scrn2.cgi?n=1061
http://www.rekishi.info/library/yagiri/scrn2.cgi?n=1062
http://www.rekishi.info/library/yagiri/scrn2.cgi?n=1063
http://www.rekishi.info/library/yagiri/scrn2.cgi?n=1064
=転載終了=


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