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第3回 ナショジオが見た大正の日本(NATIONAL GEOGRAPHIC)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/605.html
投稿者 堀川 日時 2012 年 2 月 19 日 09:33:48: YXgkZLRTFAguM
 

第4章 1921-1956 カラー革命と第一期黄金時代

第3回 ナショジオが見た大正の日本
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/article/20120214/299162/index.shtml

第4章がはじまる1921年は日本の年号でいえば大正10年です。わずか15年しかない大正時代もすでに終盤ですが、このタイミングでちょっと寄り道をしたいと思います。

 明治維新を経て、日清、日露戦争に勝利し、世界のひのき舞台に躍り出た“かけだし”の日本がどんな国かを紹介したのが明治時代の記事。だとすれば、大正時代はもっと踏み込んでいました。まずはその背景を振りかえりましょう。

 当時の日本はどんな状況にあったのか。

 大正元年は1912年。日露戦争後の好景気が終わりをつげ、長い不況にあえいでいるさなかでした。莫大な戦費をつぎこんだにもかかわらず、戦争の賠償金をとれませんでしたしね。

 ところが、その2年後に第一次世界大戦がはじまると、やがて景気が持ちなおします。しまいにはなかばタナボタ的に戦勝国となり、“大正デモクラシー”や“大正ロマン”、“今日は帝劇、明日は三越”といわれる自由で開放的なムードに包まれました。

 おそらく明治維新から第二次世界大戦までの間で、日本がもっとも勢いのあった時期なのでしょう。

「世界の列強と肩を並べるまでに成長した」国。このときの日本を世界もそんなふうに見ていました。

 ナショジオの記事が踏み込んだ内容になっていったのは、日本がなぜ急速にそこまで成長したのか。それを知りたい、という背景があったからです。

 その節目が第一次世界大戦だったことはナショジオの記事からうかがえます。

 たとえば、第一次世界大戦参戦前の1914(大正3)年7月号を見ると、明治三陸津波の記事を書いたエライザ・シドモアが「日本の子どもら(Young Japan)」という記事を書いています。子どものスナップ写真が中心で、とってもウブな感じでした。

 ところが、大戦後になると、がらりと雰囲気が変わります(この間に日本の記事がない主な理由は大戦の舞台となった国の特集が多かったせいでした)。

 大戦後はじめての特集は1920年10月号の「日本のとある新聞ができるまで(The Making of a Japanese Newspaper)」。

 テーマからして全然違いますよね。福沢諭吉が創刊した日本初の近代的新聞『時事新報』の作り方をレポートしているだけですが、こんな書きだしを読めば、「日本の子どもら」とのトーンの違いは歴然です。

「新聞を作るということは、そのモノ自体がもっとも原始的な形態であることを除けば、完全に現代の、つまりは比較的最近の文明に属している。まだ近代化して間もないにもかかわらず、日本の定期刊行物の急速な発展ぶりは、”印刷術”が東洋で生まれ、中国が世界最古の新聞発祥の地だったことを思えばさほど不思議ではない」

 カタい記事ですねえ。あ、翻訳のせいじゃありませんよ。新聞づくりのレポートだからこんなものなのです。

 注目すべき次の記事は1921(大正10)年7月号のウエストンによる「日本の地理(The Geography of Japan)」。

 もしかしてあのウエストン? 

 そうです。日本アルプスを世界に知らしめ、いまや日本各地に「ウエストン祭り」を増殖させたあのウォルター・ウエストンです。なんと奥さんのお祭りまであるんですよ!

 そんなことはさておき、彼はナショジオに日本の記事を書いていたのでした。それも2度。そしてこれが1回目です。

 タイトルこそ「日本の地理」というものの、実際の内容は日本の地理と日本人の気質についての考察です。

 ちょっと長いですが、「ナショジオが見た明治の日本」の回にも使った『ナショナル ジオグラフィックが見た日本の100年』から引用してみましょう。

「夏や秋に日本を襲う台風は水害を伴い、河川の氾濫だけでなく土砂崩れによる大きな被害をも招く。津波の心配もある……しかし、日本はこうした自然災害や危険だらけということではもちろんない……豊富な野菜や果物、野山を彩る様々な草木や花々、見事な風景、すがすがしい空気、春夏秋冬がはっきりした四季の移り変わり……こうした様々な自然環境が日本の国土に暮らす人々の精神構造を形づくっているのだ」

「家屋の構造も日本人の精神構造とは切り離せない。木と紙とでできた日本の家屋は水害や火事などの災害にもろい。だからといって日本人は決して始終深刻そうな顔をしているというわけでもなく、楽天的だし創造的でもある。芸術家肌と言えなくもない。
 しかしながら、自然のもたらす災害や予期せぬ不幸から逃れられないという意識があるせいだろうか、日本人はどちらかというと運命論者なのではなかろうか」

 という具合に、災害が多い一方で、自然が豊かな地理的条件が日本人の気質や文化の根っこのところにある、とウエストンは掘り下げています。

 彼の2回目の記事は翌年9月号の「日本の農村こんなとこ(Some Aspects of Rural Japan)」で、ここでは「この国の本質や国民性は、地方の農村を訪れて、農民の暮らしを見ないことには理解できない」と文字通り日本の奥深くまで踏み込みました。

日本成功の秘密をとりあげた極めつけは1923(大正12)年10月号の「日出づる帝国(The Empire of the Rising Sun)」でした。かっこいいなあ。このタイトル。

 著者は日本学のさきがけとなった元お雇い外国人のウィリアム・エリオット・グリフィスです。

「人口が倍増し、国富も20倍に膨れ上がった日本。世界の片隅にいて忘れ去られていたようなこの国が、たかだか50年ほどの間に大国と肩を並べ、世界の工業や貿易をリードするまでに成長できたのはなぜか」と、真っ正面からストレートに日本を分析しました。

 ただし、日本の勢いはこのときを境に陰りを見せはじめます。

 大正12年といえば、関東大震災が起きた年。「日出づる帝国」が掲載された10月のひと月前のことでした。

 1914年の1月12日には追い討ちをかけるように桜島が大噴火します。

『ナショナル ジオグラフィック』では、例によって迫力の写真とともに、1924(大正13)年4月号で関東大震災と桜島大噴火の詳しいレポートを掲載しました。そして、この特集が大正時代における日本の最後の記事となったのです。

つづく

(Web編集部S)  

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