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ポーランドの悲劇(2009年09月01日ミクシイ日記再録)   西岡昌紀
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/706.html
投稿者 西岡昌紀 日時 2012 年 9 月 01 日 05:46:49: of0poCGGoydL.
 

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http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1271695211&owner_id=6445842
http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/5883560.html

ドイツのポーランド侵攻(1939年9月1日)から、70年の年月が経ちました。


私の古い友人は御存知だと思ひます。私は、ポーランドを深く愛する日本人です。私とポーランドの出会ひについて、ここでは語りませんが、私は、この国(ポーランド)には、若い頃から、本当に深い思ひ入れを持って来た人間です。そして、ポーランドで「連帯」が誕生し、やがて、戒厳令が布告されるに至ったあの時代、親しいポーランド人と共に、ポーランドの運命を見守って居た日本人です。その事を始めに言っておきます。


その私にとって、9月1日と言ふ日は、8月6日や8月9日、或いは、8月15日と同じほど、深い感情を持って、迎える日です。日本人で、毎年、9月1日を、これほど深い感情を持って迎える人間は、決して多くない筈です。1939年9月1日は、ポーランドが、あの悲劇に突入した日であり、更に、ここが重要な事ですが、この日から戦後の「共産主義」時代を含めた50年もの停滞の時代の始まりであった日として、私は、毎年、この日を、本当に深い感情と共に迎えて居ます。

その私は、永い間、この日(1939年9月1日)の悲劇は、ドイツの一方的侵略によって、ポーランドが悲劇を体験した日であると考え、疑ひませんでした。しかし、今から20年前、二冊の本との出会ひによって、私は、そうした「公式の歴史」に根本から疑問を抱くに至ったのでした。


http://www.amazon.co.jp/Origins-Second-World-Penguin-History/dp/014013672X/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=english-books&qid=1251800475&sr=1-2


http://www.amazon.co.jp/Forced-War-Peaceful-Revision-Failed/dp/0939484285/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=english-books&qid=1251800343&sr=1-1


         ↑
この二冊の本を入手出来る方は、是非、お読み頂きたいと思ひますが、今の私が、この日(1939年9月1日)について思って居る事を言ひましょう。私も、開戦の責任は、当時のポーランド政府に在ったと思ひます。あの開戦は、当時のポーランド政府が、平和的に解決できた筈のダンツィヒ(Danzig)問題を、イギリス外務省の扇動に乗せられて危機にまで高め、ドイツが開戦せざるを得ない状況を生んだ事に原因が有ったと、今の私は思ひます。

ダンツィヒ(Danzig)は、歴史的に見れば、中世以来、明らかに、ドイツ人ばかりが住む、ドイツの一都市だったのです。それを、第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約はドイツから切り離したのですが、これは、例えて言へば、第二次大戦後、韓国が独立した際に、九州北部が国際都市とされて、その行政の一部が韓国に委託された様な、余りにも理不尽な決定だったのです。更に、ヴェルサイユ条約は、ダンツィヒ以外の、歴史的にはドイツ人が居住し、明らかにドイツの一部であった地域を新生ポーランドに編入してしまひました。ポーランドが独立を回復した事は良いのですが、その様な、余りにも歴史的経緯を無視した国境画定をしたのですから、第一次世界大戦後、ポーランド領内に編入された地域のドイツ人が、ドイツへの復帰を求め、新生ポーランドの暴力的な支配から逃れたいと思った事は、全く当然だったのです。もし、それがいけなかったと言ふのなら、第二次世界大戦後、アメリカに統治された沖縄で、住民が日本への復帰を求めた事もいけなかった事に成る筈です。先程の例えで言ふならば、ヴェルサイユ条約が決めた第一次世界大戦後のポーランドと国境は、九州を韓国に編入した様な、滅茶苦茶な物だったのであり、ドイツ人が、これを見直す様、ポーランドに対して、平和的に交渉を申し入れた事は、全く当然だったのです。実際、当時の記録や、ドイツ政府からの提案は、平和的な申し入ればかりであり、それを、かたくなに拒んだばかりか、戦争の可能性まで明言した当時のポーランド指導者たちは、そうする事で、ポーランド国民の運命を誤ったと非難されても仕方が無いと、私は考えます。言ふなれば、当時のポーランド政府は、李承晩ラインを引いて竹島を占領した韓国以上に、常軌を逸した姿勢で、この問題に臨んだのです。(ポーランドのこうした強硬姿勢の背後には、イギリス外務省やアメリカの工作が有りました)

例えて言へば、湾岸戦争に先立つイラクのクウェート侵攻に似て、「侵攻」の前には、こうした複雑な歴史が有ったのであり、アメリカやイギリスの影が有ったのです。


ドイツに何も責任が無かったとは言ひません。しかし、当時の外交記録(電報、書簡、その他)や両国の指導者の発言を冷静に、客観的に読むと、驚くべき事に、戦争を回避しようと最後まで外交努力をして居たのはドイツの方であった事が、誰の目にも分かるのです。それに対して、イギリスとアメリカに扇動されて居たポーランドの指導者たちは、「戦争をする」と、明言して居たのです。ほんの一例ですが、当時のポーランドの参謀総長Szmiglyは、記憶で書きますが、「開戦」の約3週間前、イギリスの新聞で、こんな発言をして居るのです。


−−Poland wants war with Germany and Germany will not be able to avoid it even if she wants to(ポーランドは戦争を欲しており、ドイツは、避けたいと思ってもそれ(戦争)を避けられない)−−

(イギリスの新聞Daily Telegraphの1939年8月9日の記事での発言と記憶します。手元に資料が無いので、記憶で書いて申し訳有りませんが、正確にこの通りの発言の筈です。)


そして、イギリスの駐ドイツ大使ヘンダーソンが、友人への手紙に書いた通り、ヒトラーは、この問題(ダンツィヒ)に関して、決して強硬な態度は取って居なかったのです。これが、歴史の真実です。そして、そうであったのですから、あの日(1939年9月1日)の悲劇について、ドイツを一方的に「侵略者」と呼ぶ戦後の歴史観は、公平を欠いて居ると、今の私は、考えます。


これが、ポーランドを深く愛する私が、到達した、「あの日」についての確信です。


そう言ふ私の意見に反発する日本人の内、どれだけの人が、この二冊の本を読んで居るだろうか?と思ひます。
         ↓

http://www.amazon.co.jp/Origins-Second-World-Penguin-History/dp/014013672X/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=english-books&qid=1251800475&sr=1-2


http://www.amazon.co.jp/Forced-War-Peaceful-Revision-Failed/dp/0939484285/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=english-books&qid=1251800343&sr=1-1


そして、私のこうした意見に反発する日本人の内、どれだけの人が、私ほどポーランドとポーランド人を愛して来ただろうか?と思はずには居られません。

1939年9月1日を「第二次世界大戦開戦の日」と見なす見方が妥当な見方かどうかについては議論が有ります。(話は、そんなに単純ではありません)しかし、日本人は、70年前の今日、ヨーロッパで起きたあの悲劇について、余りにも無関心だと、私は思ひます。


大戦の犠牲者の冥福を祈ると共に、ポーランド国民の幸福を心から祈念します。

2009年9月1日(火)

ドイツのポーランド侵攻から70年目の日に


               西岡昌紀

(関連の有る過去の日記)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=902566034&owner_id=6445842

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=427722414&owner_id=6445842

(関連コミュ)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=45931681&comment_count=0&comm_id=59384

(参考図書)
http://www.amazon.co.jp/Origins-Second-World-Penguin-History/dp/014013672X/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=english-books&qid=1251800475&sr=1-2


http://www.amazon.co.jp/Forced-War-Peaceful-Revision-Failed/dp/0939484285/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=english-books&qid=1251800343&sr=1-1


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http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=945158&media_id=2
<第二次大戦70年>「ポーランドに開戦責任」露TVに反発
(毎日新聞 - 08月29日 22:04)


 【ウィーン中尾卓司】ナチス・ドイツがポーランドに侵攻した第二次世界大戦開戦から9月1日で70年を迎える。開戦地の一つ、北部グダニスクでは同日、メルケル独首相やプーチン露首相らが出席して記念式典が開かれる。しかし、ポーランドでは「開戦のいきさつをめぐりロシアが歴史を歪曲(わいきょく)している」と反発が高まり、両国関係が悪化しかねない様相となっている。

 ロシア国営テレビは今月20日、開戦につながった独ソ不可侵条約の締結70年に合わせ、「秘密議定書の秘密」と題した特別ドキュメンタリー番組を放映。番組は、ポーランドとドイツが1934年に軍事協力などに関する秘密議定書を結び、ソ連に対抗しようとしていたと指摘した。

 これに対し、独ソに侵略されたポーランドでは「開戦の責任がポーランドにあるとの印象を与えるものだ」とメディアが一斉に批判を展開。ロシアでは6月にも同様の趣旨のテレビ番組が放映され、モスクワのポーランド大使館が「歴史の改ざんだ」と抗議したが、ロシア外務省は「テレビ局の番組内容にまで介入できない」と無視した経緯がある。

 ポーランドのトゥスク首相は25日、「他国のメディア報道にコメントする立場にない」と語りながらも、「誰が被害者か明らかだ。過去の事実に背を向け未来の関係を築くことはできない」と不快感をあらわにした。

 開戦直後の39年10月、ポーランド東部で2万人以上のポーランド人が行方不明となり、翌年、虐殺された「カチンの森事件」も両国間の大きな懸念だ。旧ソ連は90年になってソ連軍による虐殺だったと公式に認めた。しかしロシアは、ポーランド侵攻はナチスに対する防衛という立場から「戦争責任はない」との主張は変えていない。02年に大統領として訪れて以来、2度目の来訪となるプーチン首相が、どんな発言をするかも注目される。

 ◇ことば 独ソ不可侵条約

 1939年8月23日、ソ連とドイツがモスクワで結んだ相互不可侵条約。署名した両国外相の名前から「モロトフ・リッベントロップ協定」とも呼ばれる。条約に付随する秘密議定書では、東欧・バルトにおける独ソ両国の勢力範囲が線引きされた。ドイツは9月1日、ソ連は同17日にポーランドに侵攻し、東西から同国を分割占領した。条約は41年6月の独ソ開戦で破綻(はたん)した。


 

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コメント
 
01. 2012年9月03日 19:42:03 : dTkd7khefA
もしそれが真実だとしたら、これから得られる教訓とは、「戦勝国」が次の災いのタネを「領土問題」として蒔いていた、ということだろう。

詰まりは、日本にとっての「領土問題」の本質もそこに在る、ということではないか?
この問題について、投稿者のスタンスを知りたい所である。


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