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呉善花著「韓国併合への道」を読んで
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投稿者 矢津陌生 日時 2012 年 10 月 24 日 11:45:23: fqfGCq6zf5Uas
 


その国の人の心情は言語と文化背景を背負った人でなければ、なかなかその機微が理解できないであろう。また違う言語・文化を経験した人の立場で物を見ることが加われば、より広い視野で見ることができる。

「スカートの風(チマパラン)」の中で呉氏は自らの生活体験の中から、日本と韓国の考え方の違いがどこにあるかを見事に解説してくれた。冷静に観察した両国の歴史的関わりを基に、両国にとって扱いの難しい「韓国併合」に対しての一つの視点を提供してくれた。

19世紀も半ばを過ぎ、日本が黒船来航に大騒ぎしていた頃、韓国にもロシアの接近、米商船シャーマン号侵入、江華島にフランス艦隊侵入などの事件が相次いだ。李朝は武力を持って抵抗し、列強側にも多少の犠牲者がでた。当時の状況から、列強はこの国への対処を後回しにした。そのため、朝鮮としてはとりあえず追い払う(衛正斥邪≒尊王攘夷)ことができた。これは僥倖であったが、あとあと尾を引く事になる。

列強の脅威に強い危機意識をもった日本は、明治維新を達成し、産業振興、軍備拡充で、近代化を急いだ。当時の日本はどのアジアの国よりもアジアの情勢を冷静に見ることができたのではないか。隣国の朝鮮に対しては江華島事件を契機に日朝修好条約を結んだ。この時点では、日本は朝鮮を宗主国の清国から引き離すため、朝鮮に独立国となることをすすめたのである。

李氏朝鮮の統治機構は王朝を維持することに集中していたため、国全体をどうするかより、官僚たちは政権を握ることの方が重要であった。朝鮮国内では大院君と閔王妃の対立で、政敵を倒すことに専念、国や民のことはあまり顧みられなかった。大院君から閔氏へ、また大院君とめまぐるしく政権が代わるなか、清国が介入し、大院君は中国本土に拘束されてしまった。再び政権を取った閔氏政権は1883-84年に西欧諸国と修好条約を結ぶ。

一方、日本もアジアへの列強介入で状況が変化したため、李朝朝鮮に対する対応も変化させていった。紆余曲折の末、金玉均等開化派を後押しし、甲申事変(1884=明治17年)を起こさせたが、高宗と閔妃は清国と結びこれを覆した。金玉均は日本に亡命しその後、中国上海で朝鮮の密偵にとらえられ、朝鮮内で処刑され、死体は晒されると言う酷い仕打ちをうけた。しばらくは清国が宗主権を誇示し、ロシア、イギリス等と対峙する。

その後、日本は清国との対立、朝鮮内で軍事衝突を起こす。1895年(=明治38年)に日清戦争に発展。日本が近代的な装備と指揮で日清戦争に勝利したため、李朝朝鮮は中国から独立。しかし、李朝は日本の干渉を嫌いロシアに接近した。日本はドイツ、フランス、ロシアの三国干渉に屈し、遼東半島の利権を放棄し、朝鮮内の権益も怪しくなった。

焦った日本はロシアの進出を恐れ、閔妃殺害事件を起こしてしまった。これが列強の知るところとなりさらに窮地に立たされた。この時が、開化自主独立への絶好の機会だった。ところが、李朝政権は開化派の動きを押しつぶしてしまい、高宗と親露派官僚はロシア公使館に難を避けたため、朝鮮の国事をしばらくロシアが支配する。

民衆の非難を恐れた高宗は1897年にロシア公使館を出て「大韓帝国」となることを宣言する。日露緊迫の中、1904年韓国は中立宣言をするが、朝鮮内での日露の戦闘は終了してしまい、韓国は事実上日本の占領下に入る。第一次日韓協約で、日本からの財政顧問がおかれる。中国東北地方の利権をめぐり、日露軍が衝突、日本が勝利する。1905年日本が日露戦争後のポーツマス条約に基づき第二次日韓協約。日本の政府代表者として伊藤博文が統監に就任。

さらに1907年にハーグ密使事件が発生、高宗が退位、各地で反日運動が起こるが鎮圧され、第三次日韓協約が結ばれる。重要な案件について日本がほとんど関与するようになる。1909年ハルピンで伊藤博文暗殺。1910年日本は、1392年の建国以来500年間続いた王朝国家「朝鮮」の後身「大韓帝国」を併合してしまう。

著者は、李朝の問題点を次のように見ている。
@ 硬直した文治官僚国家体制(変革を望まない)
A 華夷秩序の世界観(中華主義の儒教国家−衛正斥邪) 
B 大国・強国に頼る事大主義

結局、足の引っ張り合いに終始して、挙国一致できずに、自主独立の機会を逃し続けたのである。独立阻止に当時の日本が介在していたので、この言は日本人の口からいうわけにいかないのかもしれない。

この朝鮮の状況を見ると、日本の変革には天皇と徳川幕府の二重構造が幸いしたように思える。もちろん頭のいい人が明治維新を考えた時、天皇家を表舞台に出す計画を描いたのだろう。徳川幕府を守旧・悪習の権化の悪者にして、徹底的にたたく一方で、全く新しい制度を‘有無を言わさず’取り入れることを容易にした。

一方、朝鮮国の場合は守旧・悪習をたたくと即座に王や王室をたたくことにつながってしまう。当時の状況としては列強、清国、日本に対等な立場で対抗することが困難であった。王(や王妃)を補佐する官僚を分断し、挙国一致を妨害することで一致団結させないことよう干渉することが容易だったように思う。

ひるがえって、現在の日本を顧みると、アメリカにいいように分断されているのではないのか?アメリカから独立しようと考えた政治家(重光葵、芦田均、石橋湛山、鳩山一郎、田中角栄、小沢一郎、鳩山由紀夫)はことごとく検察やメディアによって徹底的にたたかれている。気をつけねばならない。
 

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