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大欧州深化の60年:(1)「独仏和解へ」統合論生む:2つの大戦、失敗を糧に 米ソ対立、実現を後押し
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投稿者 あっしら 日時 2014 年 5 月 06 日 01:09:51: Mo7ApAlflbQ6s
 


大欧州 深化の60年

(1)「独仏和解へ」統合論生む
2つの大戦、失敗を糧に 米ソ対立、実現を後押し


 第1次世界大戦から100年。2度の世界大戦を経て、欧州には統合論が一気に高まった。それを加速したのは米ソ冷戦の始まりだった。欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)から欧州連合(EU)へと進展した欧州統合が大欧州として拡大、深化するのは、こんどは冷戦の終結によってである。大欧州はいまユーロ危機や若年失業など構造問題に直面しているが、主役なき世界にあって「グローバルアクター」として重要な役割を担っている。

 スイス・ジュネーブのレマン湖のほとり。第1次大戦後の1920年に創設された国際連盟の本部には、2人の「懸け橋」が席を並べていた。
 ひとりは東大教授から事務局次長に就いた新渡戸稲造。「太平洋の懸け橋」をめざした日本の誇る国際人だ。もうひとりは副事務総長に抜擢(ばってき)されたジャン・モネ。学歴のないフランスのコニャック商人である。第2次大戦後、「独仏の懸け橋」とともに「大西洋の懸け橋」になった。「欧州統合の父」と呼ばれるようになるモネはこのとき30歳代前半だった。


「急進的改革を」

 モネはこの頃すでにEUの母体となるECSCの構想をおぼろげながら描いていた。独仏がその帰属をめぐって争ったザール地方は、ベルサイユ条約で国際連盟の管理下に置かれるが、うまく機能しなかった。「利益が対立せず独仏の共通の資産になる新しい政策が必要になる」(回想録)と考えた。国際連盟管理の失敗という苦い経験から導かれた「急進的な改革のみがあいまいなまま引きずってきた問題を解決する」という教訓は、その後、ECSC構想に生きてくる。

 第2次大戦中、連合軍の物資調達に奔走したモネは戦後、さらに精力的に動く。独仏国境のアルザス・ロレーヌ、ザール、ルール地方の炭鉱と製鉄所を超国家機構で管理する構想を打ち立てる。
 当時のエネルギー源である石炭と軍事産業につながる鉄鋼という重要産業を国際共同管理することで独仏和解を実らせ、欧州から戦争をなくす。経済と安全保障の多元的戦略である。それは戦後の欧州統合の大潮流に、その第一歩を踏み出す狙いが込められていた。

 問題はどう実現するかである。モネが構想を持ちかけたのはロベール・シューマン仏外相だった。普仏戦争で難民になり、第1次大戦後にアルザス・ロレーヌがフランスに返還されて初めてフランス国籍を得たという体験をもつ。「シューマン・プラン」を掲げるにふさわしい政治家だった。シューマンは当初、構想に慎重だった。しかし「平和は平等の上にしか築けない」というモネの説得にうなずく。フランスの優越を求めた第1次大戦の戦後処理が失敗に終わり、第2次大戦の導線になったことを肌で理解していたからだ。
 対する西独の顔がコンラート・アデナウアー首相だったのは歴史の幸運である。ケルン市長としてナチスに抵抗した硬骨漢だ。無愛想だった首相はモネの説明に「ドイツの運命は西欧の運命に直結する。この提案の実現は私にとって最大の仕事である」と立ち上がって応じた。


西側の生命線

 しかし、独仏和解という歴史的転換が欧州人だけの手で進められたわけではなかった。圧倒的な超大国、米国の存在が大きかった。米国が欧州復興のために投じた大型のライフボート(マーシャル・プラン)は東西欧州の分裂につながり冷戦の時代を決定付ける。欧州の復興と統合は西側陣営の生命線となる。
 米国務省でマーシャル・プランの策定に加わり、ソ連封じ込め論を打ち立てたジョージ・ケナンは回顧録で「計画はドイツ経済の復興に重点を置き、それを欧州全体の復興の基礎に置く概念を導入した」と述べている。ドイツの強大化は新たなドイツ問題を起こしかねない。そんなフランスの懸念を払拭するうえでもシューマン・プランは大きな意義をもっていた。北大西洋条約機構(NATO)も軽武装化によるドイツ封じ込めの狙いもあった。

 欧州統合は冷戦の始まりという国際政治力学と独仏和解という欧州政治力学の交点で急速に動き出した。
 米国を欧州に引き付けるうえでもモネの役割は大きかった。ウォール街の実業家の経験もあり、その人脈は歴代大統領から言論界にまで及んだ。ニューヨーク・タイムズのコラムニスト、ジェームス・レストンはモネを最も尊敬すべき人物とし、自伝に「世の中には、何かになりたい人と何かを成し遂げたい人がいるが、モネは後者だ」と書いている。
 無私の人、モネはECSCの初代委員長になったが、その後、目立った公職には就かなかった。歴史が皮肉なのは、モネが対立したのはシャルル・ドゴール仏大統領だったことである。モネが描いた「超国家としての欧州」と国家主義者、ドゴールがこだわった「国家連合としての欧州」という基本理念の差からきている。いまもEU内に残るあつれきの背景にある。

 一貫して欧州統合を支えてきた米国だが、欧州経済共同体(EEC)への英国の加盟をドゴール仏大統領が拒否したことで、大西洋の時代に亀裂が走る。モネと最も親しかったジョン・F・ケネディ大統領は「大西洋をはさむ2つの巨大市場はともに成長するか別々に成長するかだ」と言い放った。多角的貿易交渉(ケネディ・ラウンド)を提唱したのは、EECが貿易の砦(とりで)になるのを警戒したからだった。
 それは米国に支えられて戦後復興を成し遂げた欧州がしだいにグローバル・アクターに変身していく転換点でもあった。

 第2次大戦後の欧州が独仏和解を軸に統合に動いていたころ、アジアはどうなっていたか。訪日したジョン・フォスター・ダレス米国務長官顧問は渡辺武財務官ら日本の識者にこう問いかける。「欧州は第1次大戦後に比べ第2次大戦後は敵対意識の減退が著しい。欧州には自由国家の結合による欧州復興という共通認識があるが、アジアではそれを何に求めるべきか」(渡辺武日記)
 欧州統合は様々な難題を抱えながらも、60有余年の平和と安定をもたらした。少なくともそこに戦争の悲惨はなく、その危険もない。一方、東アジアでは歴史認識をめぐる日中の対立は解けず、緊張が高まっている。独仏和解を軸にした欧州統合という歴史の教訓に日中は学ばなければならない。
(敬称略)

 元本社主幹(現・明治大学国際総合研究所フェロー)岡部直明が担当した。

[日経新聞5月4日朝刊P.11]

 

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