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「ロスチャイルド家」抜きにはありえなかったイスラエル建国
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投稿者 五月晴郎 日時 2015 年 2 月 09 日 16:01:49: ulZUCBWYQe7Lk
 

(回答先: いつからシオニズム運動は暴力的な運動になったのか? 投稿者 五月晴郎 日時 2015 年 2 月 09 日 15:35:49)

●イスラエル建国の父にして大慈善家・大資本家として知られるモーゼス・モンテフィオーレ。

彼はヨーロッパの金融王ネイサン・ロスチャイルドの義兄弟であった。

そしてもうひとりのイスラエル建国の父は、ずばりフランス・ロスチャイルド家のエドモンド・ロスチャイルドであった。

彼らは、東欧系ユダヤ人(アシュケナジーム)をパレスチナに入植させるために資金を提供して力を尽くし、イスラエル建国の種をまいたのである。

●一般に“近代シオニズムの父”は、ユダヤ人ジャーナリスト、テオドール・ヘルツルだとされる。彼は1894年にフランスで起きた「ドレフュス事件」で、反ユダヤ感情が燃え上がるのを目の当たりにした。ユダヤ人の危機を感じた彼は、1896年、今日では有名になったパンフレット『ユダヤ人国家』を出版する。

しかし、この『ユダヤ人国家』の表紙に最初に記した言葉が、「ロスチャイルド家の人々へ」だったことは、ほとんど知られていない。フランスのドレフュス事件から間もなく、彼は日記に次のように建国案を記している。

「ベネチアの建国史をモデルにすることになるだろうが、ベネチアの失敗からも学ばなければならない。ロスチャイルド家が我々と手を組んでくれるなら、初代の『ドージェ』はロスチャイルドとしよう。」


●ここにヘルツルが記したのは、7世紀末に独立したベネチア共和国水の都ベニスのことで、やがて大々的な植民地主義を推し進め、武力的商法でアドリア海を制圧した国家である。ヘルツルはその武力征服を理想像として想い描いている。このベネチアが19世紀後半に没落し、今日のイタリアに併合されてしまった歴史に、彼は学ぼうとした。そして、この国で「ドージェ」と呼ばれたのが大統領の地位であり、ヘルツルはユダヤ国家の初代大統領にロスチャイルドが就くことを夢想していたのである。

 ●ユダヤ国家建国を熱望していたテオドール・ヘルツルは、何回も何回もロンドンのロスチャイルド家に書簡をしたため、会見の申し込みを行なった。

「貴方がすべての調和の要石なのです。もし貴方が拒絶されれば、私がつくり上げてきたすべてのものが壊されてしまいます。貴方が参加しないなら、私は異なった方法を取らねばならないのです。私は貴方にこのすべての運動の指導をお願いしたい。貴方が引き受けてくださるのであれば、私は喜んで指導者の座を下ります。」

このヘルツルの要請に対し、ロスチャイルド一族は、最初は無関心だったと表向き伝えられている。しかし実際には、ロスチャイルドは、石油などの利権支配のために中東での足場を築くかたわら、誰よりも深くシオニズムに関わっていたのである。(ちなみに、ドレフュス事件で逮捕されたユダヤ人アルフレッド・ドレフュス大尉は、ロスチャイルドの血族であった)。

●ロスチャイルド家のイスラエル建国への働きかけ(パレスチナの利権獲得)は、第一次世界大戦終結と同時に急速に高まる。

ロスチャイルドを含む数人の有力なユダヤ人は、第一次世界大戦終結の際、敗戦国ドイツに課せられた条約の文言を任せられた。条約により、ロスチャイルド家はドイツが所有していたパレスチナ(トルコの領土)の「鉄道権」を得た。また、ロンドンのロスチャイルド家は、トルコ共和国に貸し付けを行なっており、その額は1億ポンドに迫るものだった。第一次世界大戦後、敗戦国側だったためにトルコ政府が崩壊すると、ロスチャイルド家はそのトルコに対する貸し付けの未払いを理由に、パレスチナに対する権利を要求した。このようにしてロスチャイルド家は、パレスチナに関する方針を押し通す確実な手段を得る道を開いたのである。


●また、ロンドンのロスチャイルド家はイギリス政府内の代理人を通して、イスラエル建国へとつながる階段を強固に築いた。

第一次世界大戦後、イギリスはパレスチナに対する「委任統治権」を与えられたが、政府はロスチャイルド家の命ずるところに従った。1917年11月2日、イギリス外相バルフォアは、ロンドン・ロスチャイルド家のライオネル・ロスチャイルド宛に、「イギリス政府はパレスチナでのユダヤ人の国家建設を支持し、努力する」事を確約した書簡(手紙)を出したが、これが有名な「バルフォア宣言」である。

 ●この「バルフォア宣言」は書簡形式をとっているが、この叩き台をつくったのはシオニズム運動の世界的指導者ハイム・ワイツマンとライオネル・ロスチャイルド自身で、彼らは既に1917年7月18日の時点で宣言の「草案」をバルフォアに手渡していたのである。

(ちなみに、この段階で入植地に提供された資金は170万ポンドに達していたが、そのうちの160万ポンドはライオネル・ロスチャイルド自身のポケットマネーであった)。



●パレスチナへのユダヤ人の入植活動は、ハイム・ワイツマンの指揮下で行なわれた。

パレスチナのユダヤ人入植地は、1900年には22であったが、1918年には47まで増えた。

1909年には「キブツ」と呼ばれるユダヤ人の集団農場が作り始められ、ユダヤ人の町「テルアビブ」ができた。

 ●このパレスチナへの入植活動には、当然、多くの資金が必要とされた。しかし、それは心配する必要がなかった。

なぜなら、パレスチナで活動していたユダヤ人たちに、「匿名の寄贈者」というサインの付いた「小切手」が送られていたからだ。

この膨大な資金によって、続々とユダヤ人たちがパレスチナに入植し、その金によって住宅、学校、農業地を購入することができたのである。またその資金援助によって、その地で採れるあらゆる農作物が当時の世界市場よりも高く買われ、全収穫物が毎年買い付けられるということが行なわれた。

後にこの「匿名の寄贈者」の正体は、フランス・ロスチャイルド家のエドモンド・ロスチャイルドであったことが公にされた。(フランスとロンドンの両ロスチャイルド家は、1878年以来、パレスチナの土地を買収し続けてきたのだ)。

 ●その後、イスラエル建国運動は、ナチスの台頭によって急速に進展し、

第二次世界大戦後、正式にイスラエル共和国が成立する。

(※ この第二次世界大戦中に、シオニストたちはどういう活動をしていたのか? 第二次世界大戦でのシオニストたちの動きについては、別ファイル「ナチスとシオニストの協力関係http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hd/a6fhd300.html」をご覧下さい)。

●初代イスラエル首相にはベングリオンが就いたが、彼は、次のように語ってロスチャイルド家を称えた。

「ロスチャイルド家がどのユダヤ人よりも、おそらく全世界のユダヤ人の総数を合わせたよりも、多くの費用をユダヤ人開拓地のために提供した。」


●ロスチャイルド自身は、初代イスラエル大統領ワイツマンにこう語っている。

「私がいなかったらシオニズムは成功しなかっただろうが、シオニズムがなかったら私の仕事も台無しになっていただろう。」

●このように、パレスチナにユダヤ人国家を建設するのに、最も多額の金を注ぎこんだのがロスチャイルド家であった。パレスチナでのユダヤ人の入植活動は、ロスチャイルド家の資金援助によって実施された。これは厳然たる歴史的事実である。

そしてまた、ロスチャイルド家のシオニズム支持は、中東における「利権」獲得と裏腹になっていたことも歴史的事実である。一時期、パレスチナでサッスーン家(ロスチャイルド家の代理人として特に中国などアジアで活動)が暗躍したが、この間の事情を物語っている。


●ちなみに、現在、イスラエル共和国の首都テルアビブには、ロスチャイルドの功績を称えて作られた「ロスチャイルド通り」が存在する。(エドモンド・ロスチャイルドは、イスラエルの切手やお札の顔にもなったことがある)。  

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