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坂本龍馬暗殺犯は誰か 唖蝉坊の日記
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投稿者 BRIAN ENO 日時 2012 年 12 月 22 日 14:12:17: tZW9Ar4r/Y2EU
 

11月28日で、NHK大河ドラマ「龍馬伝」が最終回を迎えました。これまでにあまり表に出ることのなかった「岩崎弥太郎」と言う人物を通して見た龍馬は、男っぽくなかなか魅力的に描かれていて、毎週晩酌しながら見ていました。

管理人の関心があったのは、龍馬暗殺の真犯人及びその黒幕が誰であったかのか、と言うことでしたが、このドラマでは「市川亀次郎」と数人が扮する刺客の正体は明かされないままでした。

「亀次郎刺客」は「徳川に忠義を尽くしてきた我等の気持ちを蔑ろにしおって!」と言っていましたから多分徳川家に仕える侍でしょう。犯人は新撰組説・京都見回り組説・薩摩藩説・和歌山藩説、土佐藩説等がありまして、歴史のプロ・アマ、多くの龍馬フアンたちが様々な検証をしていますが、この謎は未だに解明されていません。そこで本日は、歴史のアマである管理人も一つの説を打ち立てようと推理をしてみます。

このドラマで注目すべきは、やり手の龍馬に嫉妬して恨み続けながらも友情を断ち切れない「岩崎弥太郎」と言う存在です。岩崎は「海援隊」の向こうを張って後藤象二郎の命で「土佐商会」という商社を作り絹や樟脳、紙などを商っていましたが、銃や大砲などを商う海援隊とはスケールが違います。一時は海援隊の経理を任されていた岩崎がその儲けの大きさに驚き武器商いの魅力に取りつかれます。

倒幕運動が拡大するに従い全国300に近い各藩が戦に備えて銃や大砲を買い集めていましたから品物さえあれば幾らでも売れたのでしょう。「武士は物の値段など聞いてはいけない」と言うような時代ですから、どんなボロ銃でも売る側の言い値です。

当時アメリカの南北戦争が終わって廃棄された銃がグラバー経由で幾らでも入ってきました。中には壊れていて使えないような品物も多かったそうですが千丁単位で売れるから、恐ろしいほど儲かったことでしょう。幕府も戦に備え武器を調達しますが、小判や銀がどんどん外国に流れ江戸城の金蔵はきれいさっぱり、フランスに借金を申し込むような事態になっています。

岩崎は銃を買ってくれるなら敵味方関係なく売っていたようです。グラバーも戦艦や大砲、弾薬、石炭などを商い売り上げを伸ばしていました。しかし龍馬が後藤象二郎に託し、山内容堂が書いた「大政奉還建白書」で江戸幕府解体、無血開城で大戦争は回避されました。

これがもとでグラバー商会は売掛金の回収ができず倒産するはめになります。

もともと薩長連合案は龍馬の考えではなかったのです。これはイギリスの植民地支配のノウハウから生まれた戦略であったと管理人は考えます。大元は「夷は夷を以って征す」と言う中国古来の戦法で、自らは戦わず、敵同士を衝突させ共倒れにさせると言うものです。薩長両藩は敵対していましたが、共に長い間、幕府から冷たい仕打ちを受けてきたことに恨みを持っていました。この二つの藩に手を握らせ倒幕へ向かわせるために龍馬は利用されていたのです。イギリス公使オルコックの命で、通訳官であるアーネスト・サトウは頻繁に長崎を訪れ各藩の有力者たちと会談しています。ある時は土佐まで行って山内容堂と酒を飲んだ入りして、情報収集や戦略戦術の組み立てをやっています。

薩長連合も彼らが考えた戦略でした。しかしイギリスが直接関与することはできません。そこでサトウはグラバーに日本人で使える男はいないか相談します。そしてグラバーは幕府の旗本勝海舟の弟子であり、海軍操練所で船乗り経験のある坂本龍馬というお浪人に亀山社中を作らせます。亀山社中は日本最初の会社組織であると言われていますが、土佐の地下浪人であった龍馬が会社という概念を知っていたはずもなく、これもグラバーから教わったものでしょう。これ以来龍馬は京都と長崎を頻繁に往来します。その路銀(旅費)と宿代は誰が出していたのかと言うと亀山社中というグラバーのダミー会社ではないかと思われます。この亀山社中は食い詰めものがごろごろしているだけで、商売は全く上手くいっていません。社員は個人の才覚で食いぶちを見つけねばならないようなショボイものだったようです。

反目しあう薩摩の西郷、長州の木戸を会合の場に引き出すために龍馬はかなり苦心をしていますが、上士も下士もなく、イギリスの様に誰もが平等な新しい国を実現させるためには、薩長同盟を作り幕府を倒すことしかないとグラバーに吹き込まれた龍馬は理想に燃え始めます。

様々な問題をかたずけ薩長同盟が成立した時、盟約書に龍馬は朱で裏書をしていますが、これは神が保証するものであると書いています。神とは誰か。それはグラバーでありイギリス本国であります。

      

       英通約官 アーネスト・サトウ

  

      

グラバーは駐日英国公使オルコックや通訳のアーネスト・サトウらと頻繁に連絡を取りイギリス本国の指令を実行に移していきます。彼らはこの時のために長州や薩摩の下級武士たちを本国に留学させ、西欧の文明文化を学ばせて、親イギリスの政治家や官僚予備軍を育てていました。中にはフリーメーソンに加入するものもいました。

イギリス人はダーウインのように動物や人間の行動を観察することに長けています。

彼らは刀を差した武士と言う存在に目をつけ、その力をアジア支配の道具として使おうと考えていました。生真面目で忠誠心が強く、勇猛果敢、嘘をつかない、使命感、実行力などの特質を中国や朝鮮半島の植民地化に使わない手はありません。

龍馬はそのような彼らのやり口に気づき始め、自分がしてきたことを後悔し始めたことでしょう。

ですから新政府ができてもその中に入って新しい国づくりをしようと言う気にはなれなくなったと思われます。新政府の閣僚メンバーの中に自分を入れなかったのもそのためでしょう。そしていつか自分は殺されると言う予感もあったと思われます。

それは、西郷隆盛も同様です。西郷はよく「西洋は野蛮じゃあ」と漏らしていたそうですが、植民地支配でイギリス フランス ドイツなどがアジア各地特に、死に体の清国で中国人たちがアヘン漬にされ、どれほどの悪辣な収奪搾取を行っているのか全部知っていたのです。

だからイギリスの策略を知っているものは消さねばなりません。龍馬はもう用済みだったのです。

     

          岩崎弥太郎

グラバーは龍馬亡き後の海援隊を岩崎に与える約束で、龍馬暗殺を後藤正二郎に持ちかけます。

後藤も「大政奉還」のアイデアが龍馬のものだった事が山内容堂にばれるのを恐れていたし、地下侍のくせに偉そうにしている龍馬を憎んでいたので、消すことに何の躊躇いもありませんでした。

そして慶応3年11月15日坂本龍馬は京都の土佐藩藩邸のすぐ近くの近江屋で盟友中岡新太郎と共に惨殺されたのです。では実行犯は誰かと言うことになりますがこれは、元見回り組隊士「今井信郎」と言う人物が名乗り出ています。彼らは新撰組同様不穏分子の動向は知り尽くしているはずです。

ドラマでは、近江屋の木戸を叩いて開けさせるために女の声で「私は中岡慎太郎の妻です」と言わせていますが、様々な証言では犯人は「十津川藩士」と名乗り名刺まで差し出したということで、龍馬の用心棒をやっていた相撲上がりの藤蔵がその名刺をもって2階へ上がろうとしたところを、後ろから袈裟掛けに斬られて階段から落ちます。大きな音がしたので龍馬が「ほたえなや!」と怒鳴った瞬間3人の男が踊り込んで一気に切り捨てたと言うのが本当のようです。

「今井信郎」は江戸生まれの幕臣で剣術は直心陰流免許皆伝の腕前で、京都見回り組の幹部でしたが幕府崩壊後は、戊辰戦争で東北各地を転戦し、後五稜郭に立て籠もり漢軍に抵抗するも降伏。獄に繋がれ取り調べを受けその時に「坂本龍馬を切ったのは私です」と自白したのですが

龍馬暗殺現場に最初に駆け付けたと言われる、土佐藩の谷 干城(たに たてき)はこの今井証言を絶対認めず徹底的に嘘吐き呼ばわりしています。この逆上に近い感情的な否定はその裏に絶対明かしてはならない秘密があります。それは幕府崩壊で失業した見回り組を土佐の後藤象二郎や谷干城らが買収してやらせたのだということです。だから、今井がその辺のことをペラペラ喋り出すことを恐れたのです。しかし今井も武士です。依頼人の名前はおくびにも出しません。「我等は見回り組の役目として龍馬を切ったのです」と証言しています。明治5年(1872年)に特赦で放免され、晩年はクリスチャンになり、初倉村の村長などを務め1918年78歳で他界しています。このクリスチャンになったと言うのも何か大きな意味があるような気がします。

「知りすぎた男は消す」と言うのは情報戦の基本なのでしょうが、明治新政府ができた後も西郷隆盛はどんどん西洋化=野蛮化していく日本に嫌気をさし鹿児島へ下野します。しかし親政府に不満を持つ旧士族が西郷を放っては起きませんでした。西郷は不承不承、新政府を糺すために兵を上げます。西南戦争です。しかしこれは圧倒的な兵力の差で奮戦むなしく、西郷は城山で自刃しました。これもイギリスが仕込んだ大掛かりな暗殺でした。

この時、新政府の兵員輸送、武器弾薬の調達を一手に引き受けたのが岩崎弥太郎の会社三菱商会でした。

以下WIKIより一部転載

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E5%B4%8E%E5%BC%A5%E5%A4%AA%E9%83%8E

最初に弥太郎が巨利を得るのは、維新政府が樹立されて紙幣貨幣全国統一化に乗り出した時のことで、各藩が発行していた藩札を新政府が買い上げること を事前にキャッチした弥太郎は、10万両の資金を都合して藩札を大量に買占め、それを新政府に買い取らせて莫大な利益を得る。この情報を流したのは新政府 の高官となっていた後藤象二郎であり、今でいうインサイダー取引である。弥太郎は最初から政商として暗躍した。

転載終わり

こうした貨幣鋳造や発行、そしてインサイダー取引のノウハウもすべてイギリスのユダヤ金融プロのレクチュアーがあればこその話です。

大政奉還で思ったほど戦火が拡大せず、大量の銃や大砲軍艦などの売掛金が回収できなくなったグラバーは倒産して、岩崎弥太郎の三菱に入社します。そこで彼はキリンビールの元となるビール会社を作ったり、様々な部門を立ち上げます。余談ですがキリンビールのキャラクターはグラバーの髭をアレンジしたものだそうです。

       

       


東京に出たグラバーにかつてイギリスに留学させ面倒を見た伊藤博文総理大臣は大きな屋敷をプレゼントしています。弥太郎は1885年2月に51歳で、ガンで病死しましたが、グラバーはずっと三菱に在籍し弥太郎の弟岩崎弥之助から3代目岩崎久弥に至るまであらゆる事に関わり政財界の重鎮と交わり気にの政策に関与した功績で、明治天皇から勲2等旭日重光章を受けています。

グラバーは、明治新政府の中に埋め込まれたイギリスのリモコン装置だったのです。

グラバー商会の倒産も最初からシナリオがあってのこと、管理人はこれを計画倒産だと見ています。

    

     

      勲2等旭日重光章のトーマス・グラバー


新政府の功労者で当時を知るもう一人の英傑「大久保利通」は旧加賀藩士6名によって紀尾井町で暗殺されました。彼らが掲げた暗殺理由(斬奸状)には「薩長藩閥の専制独裁」「法令の乱用による政府官吏の私利私欲」「国費の乱費と憂国の士の排斥」が怪しからんと書いてありました。犯人は全員自首して自らの正当性を主張したと言うのですが、これも後ろで誰かが糸を引いていたと考えられます。

つまり大久保も多くを知っていたのです。薩摩は多くの犠牲者を出しましたが、長州はだれも犠牲になってはいません。それはなぜか?木戸を始めイギリスを批判したりせず素直にイギリスの意向に従ったからです。伊藤博文らイギリス留学組は申し分のないイギリスの使徒となったからです。

グラバーが死んだ時遺体は長崎に搬送されたそうですが葬儀には3千人もの人が参列したということです。しかし日本にもイギリスにも彼の詳しい記録は残されていません。唯彼自身が回顧めいた言葉を残しているそうです「徳川幕府に対する第一の謀反人は自分であった」と。

これが管理人の龍馬暗殺説です。 


http://d.hatena.ne.jp/k1491n/20101130/1291109694
 

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