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小沢一郎氏はキリスト教に対し「排他的で独善的な宗教だ。キリスト教を背景とした欧米社会は行き詰まっている」との見解を表明
http://www.asyura2.com/09/senkyo74/msg/673.html
投稿者 TORA 日時 2009 年 11 月 11 日 17:01:54: GZSz.C7aK2zXo
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu203.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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民主党の小沢一郎氏はキリスト教に対し「排他的で独善的な宗教だ。
キリスト教を背景とした欧米社会は行き詰まっている」との見解を表明

2009年11月11日 水曜日

◆小沢氏「キリスト教は独善的」 仏教は称賛 11月10日 北海道新聞
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/199248.html

民主党の小沢一郎幹事長は10日、和歌山県高野町で全日本仏教会の松長有慶会長と会談後、記者団に宗教観を披露した。この中で小沢氏はキリスト教に対し「排他的で独善的な宗教だ。キリスト教を背景とした欧米社会は行き詰まっている」との見解を表明。イスラム教については「キリスト教よりましだが、イスラム教も排他的だ」と述べた。

 国政に影響力を持つ与党の実力者による批判発言だけに、波紋を広げる可能性がある。

 一方、仏教に関しては「現代社会は日本人の心を忘れたり見失っている。仏教は人間としての生きざまや心の持ちようを原点から教えてくれる」と称賛した。

◆資本主義はなぜ自壊したのか  中谷厳:著
http://item.rakuten.co.jp/book/5931485/

「自然は征服するもの」と考える一神教思想

かくのごとく、一神教の成立とキリスト教の普及はヨーロッパ人の自然観に決定的な影響を及ぼした。西欧文明においては、自然の山や谷、あるいは野生の動植物といった存在は基本的に「悪」であり、「悪」であるがゆえに人間がそれを征服しなければならないと考える。

それはたとえば、ヨーロッパの庭園を見ても分かる。ヨーロッパ人の考える理想的な庭園とは、ベルサイユ宮殿の庭園のように、人間の手で品種改良されたバラなどを人工的、幾何学的に配置したものである。ベルサイユ宮殿の庭園は見事に左右対称に造形され、人間の自然に対する強い意志が打ち出されている。実際、西洋人の美意識は、日本人のように、山や野などの自然を見立て、その風情を庭に再現することが美であると考える意識とはまったく異なったものである。

かくのごとく、自然を管理し、飼い慣らし、征服することが神から人間に与えられた使命であると考えるのがキリスト教であり、こうした思想を「スチュワードシップ」と言うが、こうした自然観があったからこそ、近代西欧社会は世界の覇者になりえたと言っても過言ではない。なぜか。それは自然への恐怖心がなかったからこそ、自然を客観的に、科学的に分析することが可能になり、近代科学革命が起こったという事情があるからである。もし、人類がいつまでもアミニズム信仰に浸り、自然への畏怖心を強く持ち続けていたならば、大木を切り倒し、森を開墾する事も出来なかったであろうし、自然を徹底的に分析しつくす事などとても恐ろしくてできなかったであろう。

実際、「人間は自然の中にある真理を解明し、自然を管理できるようになる」という確信がなければ、とうてい自然科学は発達しなかった。また、西欧人が七つの海を渡り、各地に植民地を作ることができたのも、彼らが自然に対する畏怖を感じなかったからに他ならないし、「自然を開発することで罰が当たるのではないか」といった、自然崇拝の気持ちがどこかにあれば、アメリカ人の西部開拓も起こりえなかったであろう。「自然は畏れるに足りない」という思想があればこそ、西欧人は世界に広がっていけたのである。

たしかに、こうしたスチュワードシップの発想があればこそ、近代科学や資本主義が発達したことは間違いない。たとえば、自然が神聖であるという考えが残っていれば、ポランニーが批判する土地の売買も行なわれることはなく、したがって資本主義の成立もありえなかったことは事実であろう。

だが、このような自然観に基づく西洋文明、そしてその極北としての資本主義社会はすでに述べてきたとおり、行き詰まりを見せている。資本主義社会が人間にもたらしたもの、それは信じられないほどの科学的発明、生産性の上昇、物質的な生活水準の向上などであったが、明らかにそれは地球の限度を超えてしまった。また、環境破壊がとどまるところを知らず、先進国では人々の心が荒み、社会も疲弊しはじめた。

二一世紀に入って、ついに自然と人間とを対立的に捉えるキリスト教的な発想、近代合理主義思想、そして人間中心主義から脱却する必要が出てきたのである。

そもそも、すでに述べたように一神教以前の人間は、自然を神聖なものとして捉え、動物の中に霊性や神性を見出していた。そうした自然観のほうが実は「普遍的」なものであり、自然を征服するという考えのほうが特殊であったのだ。

そのことを考えるならば、我々はいま一度、古代の人々が持っていた自然への思い、自然への素朴な崇拝心を取り戻すべきではないだろうか。「アニミズム(自然崇拝)」は、これまで原始的な宗教、未開人の信仰とされてきたわけだが、それはあくまでもキリスト教など一神教からの評価にすぎない。実は自然を崇拝し、自然との調和、自然との共存共栄を目指す価値観にこそ、二一世紀の我々が目指すゴールがあるのではないだろうか。

なぜ日本人は自然と共生できたのか

さて、そのような観点に立ったとき、日本人の宗教感覚、自然感覚が現代世界において重要な意義を持ってくるのではないか。

というのも、およそ世界のさまざまな文明の中でも、日本ほど自然に対する素朴な信仰心や愛はぐくも情を育んできた国は少ないからであり、明治維新以降の西洋化の波に揉まれながらも、その心情は古来とあまり変わらない形で心の奥底に残存していると思われるからである。そして、このような文明は少なくとも先進国の中には他に見あたらない。

そもそも人間の文明とは、単独では生きていけない。人間が自然の脅威に対抗する為に集団生活を行なうことから生まれてきた。古代メソポタミア、エジプト、黄河文明・・・どの古代文明を見ても、それが都市国家から始まったというのは偶然ではない。都市とは外敵から身を守るためのみならず、自然の大いなる力に対抗するために人間が作り出した「一大発明」であったと言えるだろう。その意味では、およそ高度な文明において自然は畏敬の対象になりえても、そこに親しみを感じたり、あるいは共存していこうという姿勢に至ることは少なかった。

たとえば今でも中国では都市の周囲ではかならず大規模な森林伐採が行なわれる。生活用の燃料としての薪を得るために森が消費しつくされるのだが、その結果、多くの禿げ山ができ、砂漢化が進んでいく。森を失った大地は雨水をとどめおくことができず、やせ衰える。やせた土壌は雨水に流され、生物は死滅し、人間の生きる場所でなくなっていく。これが中国の大きな環境問題である。

これは地中海世界でも同じで、かつてのレバノンは広大な杉林があったとされるが、船舶を造るためにレバノン杉がどんどん伐採されて、古代のかなり早い時期に広大な森が消滅したと言われている。地中海の島々においても、それは同様であるという。このように都市文明は自然を破壊し、森林資源を消費しつくすのが常である。

ヨーロッパの主要国で森林伐採に最後まで抵抗したのはおそらくドイツであろう。ドイツの地は昔は「ゲルマーニア」と呼ばれていたが、この地には行けども行けども深い森が続いていた。ここに住むドルイド僧は森にいる神を信じ、森を聖なるものとしてキリスト教布教者たちに抵抗したが、ついにキリスト教が勝利を収め、ゲルマーニアの森は次々に伐採されていった。その結果、一七世紀ころまでにはドイツの森林の八割は伐採されてしまったという。

ところが、日本の場合、こうした形での自然破壊は少なくとも明治維新までは起こらなかった。その理由としてはもちろん日本列鳥が実に天然資源、森林資源に恵まれた土地であったことも大いつくきいが、それと同時に忘れてはならないのは、日本には古来森を慈しみ、育てる文化があったということである。

日本人もまた生活の必要上、樹を切り倒していたわけであるが、そうやって樹を伐ったあとを放置するのではなく、ちゃんと植林をし、地域共有の「里山」として維持していかねばならないというルールを持っていた。なぜなら、稲作を行なううえで、保水機能のある里山を持つことが不可欠だったからである。稲作を農業の中心に据えた日本はその意味で森を残さざるをえなかったのである。また、古くからの原始林は「鎮守の森」などと呼ばれ、聖なる土地として樹を伐ること自体が禁止されていた。日本では神社はかならず鎮守の森の中に造られたが、それは日本人が神は森に宿ると考えていたからに他ならない。まさに日本人は自然と共生する暮らしの中に、独特の宗教観を育んでいったのである。

こうしたメンタリティは時代を下って徳川期になっても消えることがなかった。徳川期の江戸は人口一〇〇万に達する世界最大の都市であったが、ヨーロッパの他の都市のような衛生問題、あるいは伝染病問題がほとんどなかったと言われる。それは都市生活の中で出たゴミや排泄物などが、完懐にリサイクルされるシステムができていたことが大きな理由であるが、徳川期の日本人にとっては自然環境を破壊しない暮らしをするという思想が当たり前のようにビルト・インされていたのである。

前出の安田喜憲氏によれば「江戸時代の日本では、(中略)厳重な森林の利用規制をしいた。『木一本が首一つ、枝一本が腕一つ』と言われ、山の木を盗んだ者は、即刻打首になった」という(前掲書二二三ぺージ)。これほど日本人は木を大切に育てていたのである。明治維新以降、日本人は西洋化し、自然環境もかなりの程度破壊してしまったが、それでも日本の森林面積は国土の七〇パーセントに上るという。この財産は日本人の自然観が残したものであり、大事にしていかなければならないと思う。

日本に来た外国人たち、ことに西洋人は日本に緑が多いことに驚嘆するが、日本の緑したたる美しい風景は単に日本が温暖な気侯帯に属するおかげで存続したわけではなく、日本人自身が長年にわたって守ってきたものに他ならないのである。

神道と仏教を融合した日本人

では、いったいなぜ日本人は古代から森を大切にするなど、自然との共生を重視してきたのか。その答えは今さら一言うまでもあるまい。

うっそう欝蒼とした森、見上げるような大木、あるいは山の奥から湧き出る泉、さらには巨岩ーこれらの自然物を日本人は古来聖なるものとして崇め、大切に扱ってきたからである。こうした聖なる場所にはかならずといっていいほど神社が造られ、山や森をご神体として信仰してきた。

といっても、こうしたアニミズム的な自然信仰ならば、日本に限らず古代世界のあちこちにあったものだから、特に珍しいというわけではない。だが、日本の場合、そうした素朴な自然崇拝に基づく神道が外来宗教である仏教と融合し、いわば「日本的神学」ともいうべき思想を産み出したところが異色なのである。

この神道と仏教の融合を理論的に正当化した考えを「本地垂迩説」と言う。

本来、インドから中国を経て日本に渡来してきた仏教には自然崇拝の要素はない。元来、仏教は人間に苦をもたらす原因となる「煩悩の炎」を滅して、悟りの境地に至ることを目的としているのであるから、あくまでも努力する主体は自分自身であって、自然の神聖さや霊性に頼るという思考は存在しない。もちろん、仏教の修行者の中には森の中、山の奥に籠もる人たちもいるが、それは自然の厳しさの中に身を置くことで自分自身を鍛え、物事に対する認識を変えようということであって、自然から「悟りをいただく」ということを目的としているわけではない。

したがって、キリスト教のように自然を積極的に征服せよと命じたりはしないものの、仏教においては自然崇拝の入る余地は本来、ほとんどないのである。

ところが、その仏教が日本に入ってきたとき、日本人は古代から伝わる神道と、仏教の思想を見事に融合してしまった。「本地垂迩説」とは、後で詳しく説明するが、分かりやすく言ってしまえぱ、「目の前の崇めるべき神がどんな姿形をしていようとも、それは本地仏の化身であるから、それを崇め、拝んでも何ら問題はない」という考え方である。

たとえば、伊勢神宮はアマテラス(天照大神)という太陽神を祀っているが、アマテラスの本地仏は大日如来である。あるいは、熊野本宮はスサノオを祀っているが、その本地仏は阿弥陀如来という仏である。つまり、神様を拝むことはそのまま仏様を拝むことにもなるというのが、本地垂迩の思想なのである。

よく言われることだが、日本人は正月には神社に参拝して初詣でをし、彼岸やお盆になればお寺に行って、先祖供養をする。そして冬になるとクリスマスを祝うーこのような日本人には本当の意味での信仰は存在しないのではないか、日本人は無宗教の民族なのではないかと昔からしばしば批判されてきたが、それはあくまでも表面的なものの見方であって、少なくとも仏教と神道の両立については、古来日本人はきちんと両立させる神学を持ってきたのである。

日本人には天上の神を唯一の神として崇める宗教はない。しかし、日本人は道端に生える草木一本一本にも神や仏の存在を感じ、人間は自然によって生かされているという独特の宗教観がある。「ありがたい」「もったいない」「いただきます」といった日常使う言葉はもとはすべて仏教で使われていた。日本人は特定の神を信じているかどうかという点では「無宗教」だが、全般的な宗教心があるかどうかという点になると、依然として世界で最も宗教心のある国民なのではないだろうか。

私が尊敬してやまなかった心理学者の故河合隼雄先生は、「カトリックはパートタイム宗教、日本の宗教はフルタイム宗教だ」とよく冗談を言っておられたが、その意味するところは、「カトリック教徒は月曜から土曜までは好きなことをして、日曜日になると教会に行って俄悔をすれば許してもらえる。だから、彼らが敬慶な気持ちに浸るのは日曜だけ」「しかし、日本人は四六時中、ごちそうさま、ありがとうと言い、道端に小さな神社やお地蔵さんがあるととっさにお祈りをしている。日本人にはそういった日常化した宗教観があるLということであった。

考えてみれば、二一世紀にもなって、何百万、何千万人という人が正月になると初詣でに出向くということ自体、先進国では異常なことである。日本人に宗教心がないというのはとんでもない間違いなのである。(P216〜P224)


(私のコメント)
小沢民主党幹事長の発言は、全日本仏教会の会長との会談の後の発言ですが、キリスト教批判はなかなか厄介な問題です。キリスト教はヨーロッパの歴史を見れば分かるように、戦争に次ぐ戦争の歴史の元を作ってきたのであり、キリスト教布教の名の下に侵略行為を正当化する手段に使われてきた。

キリスト教徒から見れば異教徒は人ではないのであり、家畜のような殺傷の対象とされてきた。スペインによるインカ帝国への侵略はインディオへの殺戮の歴史であり、異教徒に対する殺戮は新大陸のみならず、アジア、アフリカ、オーストラリアで行なわれてきた。日本が辛うじて彼らの侵略から逃れる事が出来たのも、武力で対抗できるだけの力が有ったからですが、秀吉や家康はキリスト教の恐ろしさを見抜いて鎖国した。

キリスト教徒たちは日本人を奴隷として世界に売り飛ばしていましたが、宣教師までもが奴隷商人の仲介役となっていた。学校の歴史ではこのような事は教えられていないが、秀吉の伴天連追放令の中にも日本人奴隷売買を禁止する条項があることからも明らかだ。しかし学校の歴史で教えられるのは島原の乱などのキリシタン弾圧だ。

キリスト教宣教師にとっては日本は悪夢の地であり、明治や昭和の時代に入って多くの宣教師がやってきてもキリスト教徒は1%にも満たない。キリスト教と日本人とは相容れないものがあり、それが障害になっているからだろう。それは先祖崇拝であり、キリスト教の先祖に対する扱いが日本人とは相容れないからだ。


◆キリスト教は他宗教に対してきわめて攻撃的だった反面、権力には従順そのものだった。布教のためには権力を肯定し、これに接近した。2009年9月23日 株式日記
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/be82ad28518b9a7b3005ce42311483c1

◆日本の歴史教科書はキリシタンが日本の娘を50万人も海外に奴隷として売った事は教えないのはなぜか? 2006年1月27日 株式日記
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/5a197e856586baf726f6a0e68942b400

◆一神教の克服は、単にアラブとイスラエルとの問題ではなく、人類全体にとっても、今後の最大の問題ではなかろうか。 2006年7月31日 株式日記
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/m/200607

◆キリスト教原理主義の本質は、主に米国が過去に行った過失を正当化できるからこそ普及しているのであり、キリスト教よりもユダヤ教の亜種 2007年6月8日 株式日記
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/50f9a930c5345c9ac36eda5f6fb41310

◆キリスト教はローマがユダヤ人排斥の為に作ったもので、ブッシュ大統領はハルマゲドンを信じている 2004年8月24日 株式日記
http://www.asyura2.com/0406/bd36/msg/804.html


株式日記もいろいろとキリスト教について書いてきましたが、アメリカ人やヨーロッパ人の行動様式や精神文化を理解する上ではキリスト教の事を知らないと理解できない。アメリカ人が日本に原爆を落とす事ができたのも日本人がキリスト教徒でないために、原爆を用いても倫理的な非難を浴びないからだろう。キリスト教原理主義から見れば日本人は聖書に載ってはいないから人ではないと言う狂った理屈が成り立つ。

広島長崎への原爆投下も、有色人種への見せしめといった意味も有るだろう。しかし原爆の使用が後世にどのように批判の対象となるかをアメリカ人大統領は考えてはいなかったようだ。初の黒人大統領であるオバマは核兵器の廃絶をプラハで演説してノーベル平和賞を貰いましたが、アメリカ人は広島長崎への原爆投下への原罪に苦しめられるだろう。

小沢幹事長のキリスト教を批判する発言は、熱心なキリスト教信者であるアメリカ人を怒らせるかもしれない。しかしキリスト教は悪魔の宗教でありボーンアゲインのブッシュ大統領はハルマゲドンを信じて中東で大規模な戦争を開始した。このようなアメリカ人の狂気を止めなければなりませんが、オバマ大統領でも止められないだろう。

イスラエルが建国されてヨーロッパが統一されたと言うのは、今まさに、携挙の預言が実現する舞台装置が、整っているのです。ハルマゲドンが聖書からあちこちから切り取って作られた作り話であることは明らかなのですが、アメリカのキリスト教原理主義者はそれを予言として信じている。このようにしてみるとアメリカの福音派のキリスト教はオーム真理教と変わりがない。

日本は古くからユーラシア大陸やポリネシアなどからの人々が流れ着いてきた場所であり、土器や稲の伝来も仏教や儒教の伝来も日本が終末地点になる。日本の東は海になるからまさに終末点であり、文化や宗教も混ぜ合わせて成り立ってきた。だから神様もいろいろであり多神教だからすべてを受け入れる事ができる。それに対して一神教は大陸の宗教でありやるかやられるかの生存競争が生み出してきた宗教だ。

ブッシュ大統領は聖戦を訴えて21世紀の十字軍を中東に送った。小泉首相もそれに答えて自衛隊をイラクに送りましたが、日本人が何でアメリカ人の信じているハルマゲドンに付き合う必要があるのだろうか? イエスの再臨のすぐ後には、アンチキリストとその統一世界帝国を滅ぼすため、イエスの率る大軍勢が天から下って、壮烈なハルマゲドンの戦いとなるそうなのですが、日本人はバカバカしくてアメリカ人とは付き合いきれない。

アメリカ人やヨーロッパ人は自然を征服できると信じたのもキリスト教の影響だろう。中谷厳氏は資本主義の自壊を一神教思想に求めていますが、日本人は自然を神として崇拝していますが、キリスト教によれば自然は神が7日間で創ったと言う事です。だから進化論もアメリカの学校では否定されているそうですが、アメリカ人とはバカバカしくて付き合いきれない。ハルマゲドンに巻き込まれない為には日本に米軍基地は要らない。


 

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コメント
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西洋人の葬式キリスト教のことを言ってるのだと思って、適当に聞き流すわけですね。

キリスト教を学ぶと西洋が分かるですって?

かえって理解出来なくなるだけでしょう。
2009/11/11 18:03

キリスト教やイスラム教がダメで仏教は良いなんて言ってるから宗教戦争になる。
全ての宗教は不要だ。
John LennonがImagineという曲で歌ったとおりの事を庶民が望んでいるのはこの曲が大ヒットし、平和の歌の代表作として今も歌われている事から証明済みだ。
2009/11/11 18:13
>John LennonがImagineという曲で歌ったとおりの事を庶民が望んでいる

ホントかい?www

国境が無い事を想像してごらんーだって???  −これって、グローバリストの欲求そのものじゃない!

2009/11/11 18:23

レフトにとって宗教は阿片ですからね。

私はこれは体制宗教(宗教右派)のことだと理解してます。
2009/11/11 18:23

http://www.asyura2.com/09/senkyo74/msg/647.html
宗教については、ここのコメント欄も参照のこと
2009/11/11 18:28
権力欲と金欲の虜になっている小沢一郎がきちんと宗教の勉強をしているとは思われない。神道と仏教を背景にした日本社会は行き詰まっていないのか。
2009/11/11 18:29
聖徳太子以来、続いて来た日本の伝統的な神仏習合をやめて廃仏毀釈をやったのは
まずかったですね。
2009/11/11 18:34
欧米の超資産家である世界の支配者層は、無神論こそが最高の思想だと知っている。が、それを一般化させては支配が出来ないこともよく知っている。ルシファ・悪魔など、彼らにとって民衆統治の道具であるキリスト教に対する「ご愛嬌」でしかない。

70年代における主要支配産業であった車・家電で敗北したアメリカが、80年代に向け新たに考案した産業の一つが「新興宗教」である。

ジョンレノンは、その宗教を露骨に否定する歌「イマジン」を発表し殺された。
それは、支配者層による新産業開拓=商売の邪魔だったからというだけのことである。

宗教など所詮、大資本家による「支配ツール」に過ぎないことが、皮肉にも金という紙切れで「支配されている」庶民にはなかなか分からない。
2009/11/11 20:11


モロク神 地球を滅ぼす人類最後の宗教 マネー/金融システムの闇の超起源
インテリよ、サバイバーたれ60 無神論者こそが信仰する宗教
http://www.asyura2.com/09/jisin16/msg/263.html

2009/11/11 21:20
福音派などのプロテスタント諸派やローマ・カトリック教会などは
創価学会やSGIという新興宗教団体とは異なり、伝統宗教団体ではないかと思えるのですが
これらの伝統宗教は危険性や純真さなどの観点で見ると、新興宗教と比べてどうなんでしょうか。
2009/11/11 21:34
>>2009/11/11 20:11
外国、特に欧米諸国に旅行や転勤などで訪れる場合、
現地の人々に無宗教だと知られると、かえって怪しまれると聞いたことが何度かあります。
日本人なら普通は無宗教の人であっても、あえて「Buddist(仏教徒)」として旅券などの申請をするものだ、とも。
2009/11/11 21:42
>現地の人々に無宗教だと知られると、かえって怪しまれると聞いたことが何度かあります。

全くその通りです。歴史的に、欧米ではバチカンに見られる様に、国家の絶対権力=政治、司法を宗教が担っていた(米大統領就任式、裁判官の服にその名残りが有る)。それこそが、今現在に至る欧米による絶対権力(資本)主義に繋がる。

支配者にとって、無宗教=思想的に自由な人=洗脳支配不能者、ほど怖いものはない。が、またその社会に生きる欧米市民にとっても、宗教から外れた人を、受け入れることが出来ない=多神教(無神論も含む)を知らない=多様な価値観との共存を知らない、ところに、正に悲劇がある。

欧米人の特徴に、「絶対普遍」「権威」「ブランド」等がないと何も信じられないという、盲目、偏執的な性質が有る。

日本で育まれた「和」など、今後の世界における人間社会のあり方に日本政府、そして我々市民も、ジョンレノンが託したイマジンという曲=「無神論」も含め、積極的に「友愛」を提唱していかなければならないであろう。
2009/11/11 23:08

>これらの伝統宗教は危険性や純真さなどの観点で見ると、新興宗教と比べてどうなんでしょうか。

ユダヤ戦争=キリスト(実在しない架空人物)教設立のきっかけとなった。(キリスト教はユダヤ教を元に作られた亜種である)
十字軍、騎士団=武力侵略政策。
ザビエル=スパイ、武器商人。
イエズス会=ユダヤ教組織。

(世田谷一家殺人=対日キリスト教スパイ機関(北朝鮮)の内粛清)

紀元から現在に至るまでの、宗教と政治、軍、利権との関係の実態、歴史(真相)というのは、ほとんど知られていない。(一般的な教育機関で教えないから)

伝統(いつの、何を定義できないが)宗教が、「安全」「健全」「安心」などという無知から来る印象は、歴史を振り返れば、全くの幻想であることが明白となる。
2009/11/12 00:28

宗教とは個々人の内面世界であり信仰は外面世界を凌駕する。
日々、信仰人は外面世界に負けない内面世界を築く努力を惜しまない。
個々のニンゲンにとっては素晴らしい出来事も集団化されて個々人と同じく集団が内面世界によって外面世界を凌駕すべく努力を惜しまなくなった状態を「カルト」と云う。
信仰人の集団を内面世界から外面世界に引っ張り出して、形だけの内面世界の優位性を叫び外面世界に服従するように指導するものは宗教者ではなく独裁者となる。
宗教の楽しさは、内面世界の充実をそ知らぬふりをして外面世界で発露することである。協議に縛られ組織に縛られ各々の信仰人に縛られて自由を失ってしまっては元も子もない。
全ての信仰人よ美しき内面世界を充実して日々の生活を豊にしていこう。

一神教も多神教も所詮ニンゲンの理解の上に成り立つものである。
それよりも素晴らしいものを我我は持っている。
地球である。これが宗教の始まりであり帰結である。
我我の生存にとって唯一絶対のものであり我我を生かしてくれる全ての神が宿とするものである。太古より人々は感じていた。その延長線上に現在の宗教が存在し得る。一神教でも仏教でも多神教でも人々が感じて理解をしないものがどうして世界に広がるだろうか。JESUS様もブッダ様もそれを受け継ぎシンプルに語ることによって人々を覚醒していった。彼らの功績は計り知れないが、それを受け止めた普通の人々は体内に内蔵するものを数千年の歳月をかけて蓄積していった。ただ、それを論理的に語れなかっただけである。

最後にひとつの予言を伝えたい。
2050年になると世界の宗教は統一されてくる。「地球環境」というものに。
これは注意すべきことである。地球はそのようなものは望んでいない。
勘違いか、悪巧みの為にそんな「作り話」をでっち上げるのだろう。

未来からの宇宙人より
(地球人も他のものから見れば宇宙人ですから意識しておいて下さい)

2009/11/12 02:33

宗教論議の前に、、、

他人の思想や信仰を批判して何が得られるのか?

そこには対立しか生まれない。

2009/11/12 10:04

宗教とは人間が発明した人々を分断させるものである
2009/11/12 11:00
ここでキリスト教が排他的かどうかの議論は重要じゃないよ。
小沢氏がなんで今仏教を持ち上げるのかってことが興味あるけどな。
(ピノキ)
2009/11/12 11:53
阿修羅さんへ
原始仏教(釈迦仏教)は宗教ではない。なぜなら、信じる必要がない事実しか述べていないからである。(科学と同じ!)
ただし、日本の葬式仏教(チベット経由の真言密教も含む)は、信じなければならない教えを多分に含むので宗教である。(禅宗は比較的まとも)
信じることは、頭の中で捏造すること。嘘だから信じなければならなくなる。事実は信じようが信じまいが、必ずそうなるので事実なのである。
人間は死ぬ。これは単なる事実。あなたは自分が死なないと信じていても、それは必ず裏切られる。
神(=悪魔)は死ぬ。これは私の論理的思考による帰結である。(神の存在は否定しない)
神が全知全能であるなら、人間に声や文字で教える必要などない。神が人間に干渉しなければならないのは、そのことを糧にしなければ生きられない苦しみを背負った生き物であるから。よって神が永遠を言うのは嘘である。(ただ単に人間より寿命が長いだけ?)
諸行無常(すべての物事は変化する)は事実。神もその例外ではない。
神が仏教を恐れるのは、事実だけを追求する教えだから。神の嘘がバレルから。
仏教は信じる必要がない。事実だから別に信じなくても構わない。必ずそのようになるだけだから。これが本当の仏教。
神を信じる人に聞きたい。「あなたはそれ(例えば、人は神に造られたとか)が事実であると、どうやって確認しましたか?」

2009/11/12 14:19
>John LennonがImagineという曲で歌ったとおりの事を庶民が望んでいる
>ホントかい?www
>国境が無い事を想像してごらんーだって???  −これって、グローバリストの欲求そのものじゃない!

安心してください。
Johnがグローバリストなんて望んでたら彼は暗殺なんてされませんよ。
暗殺どころか逮捕もされなかったでしょう。
あなたはものを知らなすぎる。
2009/11/12 15:19

>>2009/11/11 23:08、>>2009/11/12 02:33
仏教は多神教ではなく、仏(釈迦如来)を唯一最高の神と見なす一神教だと、歴史の講義で教わったのですが。
また宗教は決して悪いものじゃなく、むしろ信じられる宗教を何か持つことは、いいことなんだとも。
その先生も「私も将来は、何か宗教をやろうと思っています」と言ってました。
(私も当時のその先生も、無宗教でした。)
ロシアと中東の研究をしてた先生なので、ユダヤ人は世界一優秀な民族で、その原動力になっているのはユダヤ教だとも。
・ユダヤ教の経典 = キリスト教の旧約聖書部分
・キリスト教の経典 = 旧約聖書と新約聖書の両方
キリスト教がユダヤ教から派生した新たな宗教であることもそのときに教わりました。

ところで話は変わりますが
・仏(釈迦如来) = イエス・キリスト = アラー
という可能性はないのでしょうか。
それぞれの宗教の見かけ上の神と教義が異なって見えるだけで、実は同一人物・同一神を崇拝しているとか…
少なくともユダヤ教、キリスト教、イスラム教はエルサレムという聖地・紛争地が共通で、それぞれの宗教の創設でも互いに関係が深いのではと疑っているのですが。
そこに仏教やヒンズー教をどう結びつけるかです。
2009/11/12 15:50

神には、人格神と非人格神の二面性があります。通常我々が「神」と呼ぶのは人格神のことを指しています。非人格神は、人格神の母体です。非人格神から人格神が創造されます。

非人格神は、仏教では「空」、道教では「道(タオ)」、ヒンズー教では「ブラフマン」、キリスト教では「神の王国」、日本の密教では「大日如来」、神道では「高天原」、心理学的用語を使えば「超意識」、哲学的用語を使えば「純粋主体」、最新理論物理学的には「統一場」、とこのように表現されます。

ですから宇宙や人間存在の究極の真理を、主観的に探究するのが宗教、客観的に探求するのが科学、というように宗教と科学はアプローチが異なるだけです。
2009/11/12 21:15

>小沢氏はキリスト教に対し「排他的で独善的な宗教だ。キリスト教を背景とした欧米社会は行き詰まっている」との見解を表明。
>イスラム教については「キリスト教よりましだが、イスラム教も排他的だ」と述べた。

小沢氏の表明は実は正しい。真実を突いています。今のキリスト教はイエス・キリストとは全く関係ありません。権力者が、民衆を支配するために作り上げたものです。
救い主と呼ばれるキリストの教えは、本来「人を救い、解放に導くもの」でした。

ところが、現在のキリスト教の教えは、教義や戒律で人に罪の意識を作り出し、恐怖の種を意識に植え付け、多くの人々を縛り、権力者の都合のいいようにコントロール出来るように作り上げられたものです。

彼等民衆の模範となるべき支配者たちは、排他的で独善的で、残酷で、有色人種を長いこと奴隷として支配してきました。今でも彼ら支配者の精神構造は、植民地時代と変わっていません。

小沢さんはその辺のところをちゃんと理解して言っているのです。
2009/11/12 21:37

>ユダヤ人は世界一優秀な民族で、その原動力になっているのはユダヤ教だとも。

その通りです。そしてそのユダヤ人の一部が、キリスト教と共に禁じられていた「金融業」を、ユダヤ教だけは「異教徒に対してはやってもよい」との教えから、後に世界を支配するまでの莫大な富を築くことになった。

金が教育を産み、教育が頭脳を産むという、現代の「所得格差=教育格差」にまで至る構造を彼らはよく知っていたし、今現在もそれを保持しようとする。金による支配構造を維持する為=それが彼らの正義であり信仰だからである。

>・仏(釈迦如来) = イエス・キリスト = アラー

それら=浅原彰晃(本名松本千津夫)という解釈も成立する。

神とは人間による「解釈(信仰)」でしかない。そしてそれを人類は、有史以来、人間自身の社会を統治する為の「道具」として利用してきたことも、どんな宗教の一般信者は決して忘れてはならない。それは教祖、幹部はそれを「分かった上で」教団を運営していることを同時に意味する。だが一般信者はこれがどうしても分からない=教祖(教義)を絶対だと信じるしかない。だがそれを知ってしまたった人は、結局は分派(自立思考、解釈、創造)していくというのが、宗教の歴史の真相でもある。つまり調べれば、それが人間による創造の産物であるという側面が、どうしても浮かび上がってくるのである。

全ての人が幸せな人生を送ったらいいと思う。だが、「幸せとは現実の人間社会の中にしかない」ことを、市民、信者、問わずハッキリと自覚する必要がある。
2009/11/12 21:51

>>2009/11/12 14:19
> 原始仏教(釈迦仏教)は宗教ではない。なぜなら、信じる必要がない事実しか述べていないからである。(科学と同じ!)
ただし、日本の葬式仏教(チベット経由の真言密教も含む)は、信じなければならない教えを多分に含むので宗教である。(禅宗は比較的まとも)

人生には、前世、現世、来世があるという転生輪廻の考え方は、原始仏教ではなく葬式仏教という仏教の考え方なんですね。
前世、来世はなく現世しかない。現世のみですべてが終始し完結する。これが僕の考えです。
僕の考え方では前世や来世はあってはいけないのです。あまりにも不自然なことなのです。存在が許されてるのは現世のみです。
でもこれが一番正しいと思います。
どうやら僕には宗教的な才能はなさそうです。才能がないから信者になることも、もちろん教祖になることもできません。
2009/11/12 22:46

>>2009/11/12 21:51
欧米の宗教にかぎらず、宗教の信者になると、「異教徒」という発想が生まれるんですね。
外国人ふくめた他人をそういう見方で見たことは一度もないないので、意外というか驚きです。
2009/11/12 22:50
>欧米の宗教にかぎらず、宗教の信者になると、「異教徒」という発想が生まれるんですね。

私個人はそう思いません。それは欧米人特有の「無心論者だけは信用できない」という固定観念に対するアンチテーゼとして、あえて宗教の実態としての一側面を述べただけです。

欧米における無神論者が何故信用できないかは、それは科学の無い時代の古い価値観を、現在にまで受け継いでいるに過ぎない。
人類は、原始>宗教>科学という時代を経てきましたが、実に近代に至るまで科学など無く、それまで宗教が現代の科学同様、最先端思想だったのであり、宗教が当時の政治、法律を担っていた。
その時代の名残りが今も欧米に残っているだけで、今も無心論者は不信人物とのレッテルを貼るのも、石の国=絶対不変の国、らしい価値観と言える。長い目で見れば科学の時代はまだ短く、始まったばかりとも言え、それがその理由とも言えるが。

信仰は自由ですし、私にとって国籍宗教問わず、純粋信者も市民(無宗教)も別に同じです。ただ宗教に起因する正義が時として、暴力、テロ、戦争、そして独裁を厭わないことを、私は絶対に肯定することが出来ない。ましてその正義を利用し、搾取、暴行、スパイ、などの犯罪に利用されてきたのも宗教の性質と言え、決して忘れてはいけない。現代の政治、暴力団も宗教団体と深く関わっているのも、金、帰依心、情報で市民をコントロールし易いからで、その構造はそれこそ中世などとあまり変わっていないとも言える。

それが現代、ユダヤ、キリスト教等の、絶対(一神教的)価値観が、それが延いては金融詐欺、米国民健康保険否定や、国家破綻を招くまで、国民や政治に深く影響を与えているのは事実と言わざるを得ない。

それらの側面も同時に、全ての純粋な信者の方々にも知っておいて頂きたかっただけなのです。
2009/11/13 12:21

2009/11/13 12:21
驚くべきことに日本でも仏教は、他宗教や他宗派のことを単なる異教徒として扱うどころか
『邪宗』呼ばわりして、嫌がらせしたりストーカーしたり敵対視したりの宗教弾圧してますよ。
相手がキリスト教、ユダヤ教、イスラム教じゃなく、たとえ同じ仏教内の異なる宗派であってもです。
宗派が違うというだけで邪宗として攻撃対象にするんだそうです。
それどころか同じ宗派であっても、教団・信徒団体が異なるという理由や
宗門から破門されたという理由で攻撃対象にしています。

一番の典型例は、何と言っても創価学会。きわめて好戦的な教団です。
幸福の科学、天理教、日蓮正宗宗門および日蓮正宗顕正会に対する弾圧行為は
比較的よく知られています。
2009/11/13 13:07


統一教会って気持ち悪いしね
2009/11/13 14:05
創価学会の気持ち悪さなんて桁違いにもっとだろ
2009/11/13 16:09
>2009/11/13 13:07

そう、それが宗教というものの特質の一つです。貴殿は世界史の真相をご存知ないとお見受け致しました。

現代の宗教を理由にした紛争・戦争には何故か必ずアメリカが関与しています。アルカイダ、タリバン、などは露骨な米CIAによる自作自演工作であることが、最近ではカルザイ兄弟等で、明らかとなっています。(中東には石油利権があるからで、イスラム自体は過激ではないのです=アメリカのユダヤ資本が覇権の為に超好戦的で過激なのです)

仏教の皮を被った「創価学会」は戦後日本に、在日朝鮮人であった「池田大作(成太作)」を利用し、アメリカユダヤ資本が日本に作った代表的な、「日本市民統治機関」で、その手法は、それこそアメリカユダヤの手法=好戦、恫喝、脅迫、保険金殺人、等、マフィアそのものです。韓国にもキリスト教の皮を被った組織、統一協会(日本の自民党勝共連合の兄弟組織)も同じアメリカが作りました=同じく過激、詐欺組織。要するに二つとも宗教が産んだのではなく、アメリカ資本が作ったというのが真相なのです。

なぜ欧米覇権支配が続くのか?様々な分析があると思います。

小沢氏の言うキリスト教云々は、特に近現代の世界的欧米覇権の原動力の一つとして、古くはその信仰、現代では「資本主義=助け合いや、市民運営、平等を否定した絶対権力主義」に繋がっていったのでは、という一分析だと思います。

私はそれだけとは思いません。アメリカという広大な土地、誰も助けてはくれない争いだけの歴史、奴隷文化、信じられるのは血縁と金だけ、徹底した差別主義、攻撃が成果を生み、成果は結果として正義となる論理、等。アジアの歴史、文化とは全く違う。が、同時にそれらが世界にもたらした恩恵もまた、沢山あったのも事実だとも思います=だから欧米は支持もされてきた。

それが、80年代より叫ばれてきたアメリカといういわば攻撃文化が、いよいよ終焉に近づいているのではないか、そしてその理由は基督教的、絶対不変主義的な価値観もその一要因ではなかったかということです。
2009/11/14 22:01

2009/11/14 22:01
なるほど。そういうわけだったんですね。了解しました。
2009/11/14 22:51
この本の著者は、グロバリストの経済学者でありながら、日本が、世界中の森林を食いつぶす、”キクイムシ”として非難されていることも知らないのか。
日本の森林が残ったのは、コストが高すぎて、カネにならなかったからに過ぎない。
自分の庭のゴミを、隣の庭に掃きこんでおきながら、自分の庭の美しさを自慢するようなアホが多い。

たしかに、日本にもかつて(江戸時代に)自然と共生する文化があった。
そんなことは、今では小学生でも知っているだろう。
しかしそれは死んだのだ。

ヨーロッパ人に”未開人””野蛮人”と呼ばれ、ホロコーストされてきた、ヨーロッパ以外の先住民族の間では、むしろ自然との共生が当然の生き方であった。
日本人は、世界に先駆けて、おのれの伝統を捨て去り、ヨーロッパ近代文明に鞍替えした”未開人”だったのだ。
ところがグロバリゼーションは、これまで利用価値がないために、未開のままだった民族にも変節を迫り、全人類が近代文明に鞍替えしつつある。
日本の昔を懐かしんでいる場合ではない。

共生文明は、なぜ死んだのか。(1神教のせいだけではない)
どうすれば生き返るのか。
生き返らないならどうするのか。
これこそが明らかにされねばならない課題だろう。
2009/11/16 09:14

そうかもしれんが、誰も望んでない外国人参政権をだしてくる

あんたも、独善的だよ!!!!
2009/11/17 19:31

仏教とキリスト教とは、小沢説に反して仲良しで対立してない可能性があります。伝統宗教ではなく新興宗教団体どうしにの関係に限定されるのかもしれませんが。
どうやら提携関係か親子関係があり、表裏一体のような臭いがします。
 

http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/427.html?
> 2009/11/17 18:49
> 創価学会と統一教会は、提携してるのでしょうか。
> それとも統一教会は、創価学会の傘下にあり支配されてるのでしょうか。
>
> あるいは統一教会(キリスト教)は実質的に、創価学会(仏教)のキリスト教部門なのでしょうか。
> 公明党は創価学会の政治部門なくせに、数年前までは創価学会とは無関係だと公明党が言い張ってたのと同様に。
> 2009/11/17 19:35

2009/11/17 19:49

皆さん結構普段から真剣に真面目に神仏について考えているのがコメントから解り、感心しました。私は神仏は決して対立しない、ありえないと思います。簡単に言えば、神仏は人格的でもあり、法則的真理でもある存在だと思います。
問題は、やはり人間の領域にある宗派、宗教団体です。昔から政治的に利用されて来ました。現代日本では、新興宗教、宗教法人に大きな問題を感じます。その一方従来の仏教界、寺のあり方にも疑問を感じます。形骸化していないのか、職業坊さん、出家の意味を見い出せません。在家と何が違うのか判りません。

ホームレスの人達に炊き出しをしているのはキリスト教会ではないですか、それを見れば教会のほうが助け合いの精神があって良いと思います。お寺さんって聞いたことがありません、大衆の中に入って行く姿を見ない。(知らないだけかも)

いずれにしても、神仏は人間の造った宗派や宗教団体の中から生まれたものでも無ければ、宗教団体の中で生きているものでもない。自分対神仏との直接的、求道心が信仰だと思います。

2009/11/17 22:28

神なんていねえよ、あるのは人間の道具としてつくられた神って言葉だけ。
2009/11/18 10:10

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