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「イラク戦争をどうみるか」〜熊谷弘が歴史的観点からイラク戦争を検証する〜 後編
http://www.asyura2.com/09/warb2/msg/829.html
投稿者 愚民党 日時 2010 年 2 月 12 日 17:59:40: ogcGl0q1DMbpk
 

(回答先: 「イラク戦争をどうみるか」〜熊谷弘が歴史的観点からイラク戦争を検証する〜 前編 投稿者 愚民党 日時 2010 年 2 月 12 日 17:51:48)

イラク戦争終結後の世界 

【イラク戦争をどうみるか・続編】

http://www.kumagai.ne.jp/column/entry.php?entry_pkey=38

【W】

― ガリバー米国の出現 ―

( しばらくご無沙汰になってしまいました。実は風邪のため体調を崩してしまい、原稿を書く気力がまったく起きてこなかった、というのが正直なところでした。友人たちの話を聞くにおよび、私とまったく同じ症状の風邪が大分広まっていたのだなあ、と気がつきました )

さてこの間、あっという間にイラク戦争は劇的な展開となった。バクダットにおける市街戦は相当長引くのではないか、と言われていたが、それも驚くほどの短期間でフセイン政権自体が崩壊してしまった。

イラク戦争の始まり方と終り方は、二十一世紀の世界が二十世紀とはまったく異なる空間になったことを、まざまざと実感させられるものであった。

第一に、軍事面において米国と他の諸国の格差は歴史上、これ以上はないというほどに広がったということである。

この点については、すでに多くの人々が指摘している。例えば、歴史家ポール・ケネディ氏は、昨年二月のアフガニスタンにおける戦争を振り返って、「今や米国は、かつてのローマ、中国、ペルシャなど大帝国と言われた国々も到底及ばない軍事力を、この地球上に保有するに至った」と英フィナンシャル・タイムズ紙で述べていた。

今回のイラク戦争は湾岸戦争と異なり、事実上米国と英国だけで軍事作戦を展開し、従来同盟国として協力をしていた国々が、ほとんど協力しない中で行われた戦争だった。

しかし、その結果は米国の軍事能力がケタ違いに強いものであったことを示した。

伊藤憲一・青山学院大学教授はイラク戦争が始まる前から、「ガリバー米国の登場という、もうひとつの構造変化が出現している」こと、また「この“ガリバー米国”の登場は、これまでわれわれが目撃してきた諸帝国の興亡や循環とはまったく異なる現象である。それは人類一万年の戦争史の発展過程の最終段階としてもたらされている」と主張されている。

今後、相当の長期にわたり持続すると想定せざるを得ない「ガリバー米国」のもたらす地球空間とはどのような世界なのか。次回以降考察してみたい。

【X】
― “カント的空間” ―

われわれが今暮らしているこの地球上の世界を、どのような空間として考えるか。これは国際政治を考える場合に最も基本的なポイントである。

しかし、「国際政治を研究する者にとって、これほど退屈な部分はない」と猪口孝・東京大学教授は言う。

それでも、われわれが暮らすこの地球上の国々の関係をどのように捉えるか、という基本的な視点を抑えておかなければ、国際関係の捉え方は単なる感情論のぶつかり合いになってしまうだろう。

猪口教授は、「無味乾燥の屍が累々とし、だれも訪れない墓場」だと述べているが、われわれがだれも疑問に思わなかった国連中心の世界とは違う世界が出現しているとき、もう一度この原点に立ち戻って国際社会の成り立ちを考えてみる必要がありそうだ。

十数年ぶりに、国際関係論のテキスト・ブックを読み返してみた。なるほど猪口教授が述べている通りである。パラダイムで示すと次のようになる。


1、勢力均衡論 ― M・カプラン、H・モーゲンソー、H・キッシンジャー などが提唱

2、複合相互依存論 ― ナイ、R・クーパー、コイヘン などが提唱

3、世界システム論 ― G・モデルスキー、I・ウォーラーステイン、マルクス などが提唱

〈国際政治学における3つのパラダイム〉


こうして並べると頭が痛くなりそうだ。そこで、われわれは自分たちが何となく議論の前提としている考え方に立ち戻って整理してみると、この地球上に成り立っている国際社会の捉え方は、つまるところ次の二つに分解されるのではないだろうか。

第一に“ホッブス的空間”(注1)、また第二に“カント的空間”(注2)と呼ばれるものである。

さあ、いよいよもっと難しくなってきた、と思われるだろう。今さらホッブスやカントという高校時代の社会科の教科書に出てくる名前を使われても困る、と言われてしまうかもしれない。
 
まあここはもう少し我慢して聞いてほしい。なぜかというと、今盛んにイラク問題が議論されているが、この世の中をどのように見るかという視点が違うと、まるで結論は異なってしまうことになるからである。

そこで、われわれは自分たちが一番親しんできた国際関係のあり方に関する考え方を整理してみよう。

国家というものは、理性的にやれば争わずにすむ。イマヌエル・カントは世界連邦論の始祖である。人類共同体としての国際政治を提唱した。国家と国家がせめぎ合うというのではなく、むしろ人類としての共通性を基に、理想や価値を共有し、規則や慣行をともに形成していく共同体を理想とした。

国際社会が平和で民主的な社会であるためには、国際法が重要な役割を果さなければならない。世界の秩序を守っているのは国連である。国連というのは、諸国家がその構成員となっている議会のようなものである。

戦後日本の国際関係に対する基本的な理解の仕方は、このようなものであった。これを“カント的空間”と呼ぶのである。

問題は、カント的空間は実像であったか、という疑問である。そうではないのではないか。よくよく見ると、国家と国家の問題はもっと荒々しい。もっと粗暴な利害対立の場ではなかったか。

そこで次の“ホッブス的空間”と呼ぶべき世界の現状をみる考え方が立ち現われてくる。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(注1) 国際政治理論上、「ホッブス的」とよく使われる。意味としては、国家競争の場裡としての国際政治を表し、イメージとしては無秩序と混乱、無政府と競争が当てはまる。国際政治では競争の単位が主として国家となり、おそらく最も強いイメージである。(関連用語:権力政治、現実主義)

(注2) やはり国際政治理論上、「カント的」とよく使われる。この言葉が描くイメージとしては、人類としての共通性をもとに、理想や価値を共有し、規則や慣行をともに形成していくものであり、理論的には人類共同体としての国際政治を表す。(関連用語:国際法、国際的人権団体運動)


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


【Y】
― ホップス的空間 ―

イラク戦争の終ったいま、起こったことのすべてが「世界はカント的空間」と言うことは、あまりにも白々しい姿であることを示している。

まして、勝てば官軍である。あれほど戦争に反対していたはずの国々が、何食わぬ顔をして米国や英国に近づいているのを見れば、どうやら全く別の論理がまかり通る世の中になったと実感せざるを得ない。

「人の一生は孤独で、悪意に満ち、残忍で短い。そのような社会は万人の万人に対する闘争である」とは、十七世紀英国の政治哲学者トマス・ホッブスの言葉である。

いわく、「人間は元来、利己主義的であり、また充足されていない存在である。そうした人間は自己の生存を確立するために、他者のものを奪おうとする。そこで必然的に人間同士の闘争が生じる。その闘争こそが政治でなのである」と。

国家もまた人間同様、自給自足の状態にはなく、また利己的である。したがって、国家は自らを充足させるために、他国の資源や富を求め、奪い合いをする。

つまり、“ホッブス的空間”とは、国際政治は国家間の生存をかけた闘争の場とする考え方なのである。

この世は弱肉強食の世界だと言われると、平々凡々、平和を楽しんできた日本人にとってはやりきれない思いがするに違いない。

だが、イラク戦の始まりと終り、そしてその後のイラク処理をめぐる米国の行動は、われわれに「世界の現実の姿はホッブス的空間」であることを思い知らせるのである。

われわれは、物理的な力でノック・アウトされたサダム・フセイン政権の姿を見てきた。しかし、一九八〇年代から九〇年代にかけて、日本自身が当事者となって米国と経済・金融面における戦争をしたこと、またその戦争に完膚なきまでに敗れたからこそ、今のみじめな日本が横たわっているのだと認識している人は少ない。

日本人にとっては自覚なき戦いであったが、米国にとっては意図された戦いであり、この戦争に米国は決定的な勝利を収めたのである。


【Z】
― ガリバー米国の基本的な外交概念 ―

イラク戦争の短期終結は、アメリカの軍事力がとてつもなく巨大なものになったことを示した。さらに問題がある。それはこの“ガリバー米国”の外交政策はどのようなものか、ということである。

エコノミスト誌(The Economist)五月二日号は、この点について大変興味深い論文を掲載している。以下に注目すべき点を列記してみよう。

(1) アメリカ外交は、いわゆる“ネオ・コン”(Neo Conservatism)と呼ばれる少数のグループによって牛耳られているのではない。ネオ・コンはもっと広い範囲の人々によって構成される一種の運動の一部にすぎない。アメリカ外交はネオ・コン思想(ideas)と、ブッシュ大統領の好みと、米国の現実の力の混合物である。

(2) ネオ・コンとは、もともと一九六〇年代に米国民主党から生まれたグループだが、今は次世代に受け継がれ、共和党そのものとなっている。しかし、ネオ・コン的要素は民主党の中にもみられるようになっている。

(3) ネオ・コンの考え方の前提は、米国が一極集中化した世界をどうマネージしていくかという挑戦に直面している、ということである。彼らは世界を善悪の二元論でみる。彼らは、「米国は無秩序(chaos)の力を打ち負かすために、軍事力を使用することにためらうべきではない」と主張する。

(4) ネオ・コンは米国の力と能力を制限する多国間によって構成される組織に懐疑的である。そして、古い同盟よりも新しい脅威や機会に焦点をあてることを好む。

(5) ネオ・コンの基本的文書は、一九九二年、チェイニー国防長官(当時)に提出されたウォルフォヴィッツ氏とリビー氏によって作成されたものであり、この中で米国による先制攻撃という概念が提起され、そのために他の国が米国に対して挑戦することができない水準まで米国の軍事能力を増大すべきである、と主張した。十年後、この考え方は“二〇〇二年国家安全保障戦略”の中で公式な政策として確立された。

(6) イラク戦争はネオ・コンにとってテスト・ケースであった。この軍事的勝利は、ネオ・コングループの影響力を巨大なものにした。彼らはイラクの戦後復興が成功すれば、次の段階ではシリアに対し、ヒズボラ(イスラム・シーア派組織)への支援を止めさせ、サウジアラビアに対しては過激派ワハビ(イスラム・スンニ一派。サダフィ派ともいう)を輸出しないよう求め、イラン保守派政権への反対派を支援することを企図している。

(7) しかし、これらの考えがスムーズに進むかどうかはわからない。北朝鮮やインド亜大陸の危機は、そのスケジュールを狂わせるかもしれない。米国議会は、その処理方法をめぐってネオ・コンのプランを打ち破るかもしれない。最大の断層としては、正統派保守派と軍の現実主義者たちによる「いつまで軍を海外に送るべきか」という問題提起が起こることになるだろう。最後に大統領選である。すでにブッシュ大統領は再選に目標をスイッチしている。これがネオ・コンの影響を少なくする可能性も強い。


この記事からうかがえることは、米国のネオ・コンも正統派保守派も、また軍のリアリストたちにしても、この地球を“ホッブス的空間”とみていることである。


【[】
― ガリバー米国の外交・軍事政治 ―

さて、ガリバーのような存在となった米国の政治指導者たちが、俗に“ネオ・コン”と呼ばれる一部の人々によって主張されている考え方を共有していることが、徐々に明らかになってきた。

イラク戦争に至る道のりを振り返ってみると、ローマによるカルタゴ打倒の歴史を思い起こさせる。元老院の実力者大カトーは、いかなる演説の中でもその文脈に関係なく、「ししてカルタゴ亡ぼすべし」と言い続けたという。また、「だからカルタゴはつぶすのだ」と言い続けているうちに、とうとう本当になってしまったのだ。

サダム・フセイン政権は米国にとって、どうしても倒さなければならなかった存在であったのだろう。

「何が正しいかを決めるのは我々だ」とラムズフェルド米国防長官は言う。ガリバーが小人たちに向かって、何が正しいかを決めるのは自分だというのであれば、小人たちは否応なく従わなければならない。

「何となれば」、すなわち、ここから二十一世紀の国際社会がどういう社会になるかの議論が始まるのである。

ここで若干寄り道をしてみようと思う。なぜなら、この問題をもっとよく理解するために、別の視点から問題を見てみたいのである。

米国の軍事教科書でもっとも引用されるのは、カール・フォン・クラウセヴィッツの『戦争論』である。米国の軍事戦略家たちの思考方法に、クラウセヴィッツの戦略論が大きな影響を与えていることは間違いない。

そもそも戦争とは何だろう。クラウセヴィッツはその著書『戦争論』の中で、次のように定義をしている。

「戦争とは、敵をしてわれらの意志に屈服せしめるための暴力行為のことである」

これはもう、「すごい」というほかない。こんな言い方は、日本の政治家には絶対許されない。しかし、イラク戦争とは一体何だったかを一言にして示す表現ではないだろうか。

クラウセヴィッツはこれに続けて、さらに次のように言っている。

「暴力は、敵の暴力に対抗するために、さまざまな技術や学問を通して発明されたものによって武装する。もっとも暴力は、国際法上の道義という名目の下に、自己制約を伴わないわけではないが、それはほとんど取るに足らないものであって、暴力の行使を阻止する重大な障害となりはしない。これを要するに物理的暴力はあくまで手段であって、敵にわれわれの意志を押しつけることが目的なのである」

ここでクラウセヴィッツは、イラク戦争における米国の行動論理のすべてを言い尽くしているではないか。さらにわかりやすく要約してみると、次のようになる。


@ 秀れた技術によって比較にならない強力な軍事能力を持つこと

A 国際法上の道義などというものは、取るに足らないものであること

B 戦争にとってもっとも重要なことは、敵に自国の意志を押しつけること 
(イラク戦のただ中で、ラムズフェルド米国防長官の「無条件降伏」を求める映像を見た人は、これに米国の意志を感じたにちがいない)


こうして列挙してみると、米国指導者が世界をどのようにみているかは、すでに明らかだ。


【\】
― イラク戦争後の日米同盟(1) ―

朝日新聞の顔のひとりであるジャーナリスト、船橋洋一氏が雑誌『フォーサイト』六月号に、「イラク戦後に描くべき日米同盟の戦略関係」と題する論文を発表している。

イラク戦争は地球という空間の秩序を根本的に変化させることになったが、それは当然この地球社会に生きる日本という国家の生き方にも大きな影響を与える。

船橋氏は、日米同盟のあり方を語りつつ、日本の外交、また安全保障政策のあり方についても語っている。イラク戦争という、世界を劇的に変化させることになった状況を踏まえて、タブーを排し、日本の生きる道を総合的、かつ明快な形で分析してみせた点において、時代を画する論文だと思う。

船橋氏の論文自体は、それほど長いものではないので、興味をお持ちの方は、雑誌を読んでいただければいい。ここでは、船橋論文の提起している論点について取り上げてみたい。

第一に、米国と他の諸国との能力の差が際立つ状況に入ったことである。船橋論文では、「冷戦後、米国と他国との間の軍事能力の差が急速に拡大した。イラク戦争はそのことを改めて思い知らせた」としか触れていないが、このことは最も大事な議論の前提になる論点である。米国は軍事能力において、まさにガリバーのような存在になったのである。

しかし、米国の能力の卓越性は、軍事面だけではない。経済面においても際立っている。参考までに一九九五年と二〇〇一年の間に、日本、米国、EUの経済力(国内総生産(GDP)対象)がどう変化したかを下記の表より見てみよう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(GDP経済規模(名目)比較)

日本 米国 EU
1995年 5,304 7,401 8,436
2001年 4,176 10,082 7,909
                (単位:10億ドル)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

これを見れば“一目瞭然”である。つらいのは、日本と米国の格差が広がっただけではない。日本の経済規模自体が、劇的に縮小しつつあるという事実である。

【]】
―ブッシュ・ドクトリンとラムズフェルド・ドクトリン―

船橋洋一氏はイラク戦争について、「国連相手にせず、NATO頼むに足らず、“有志連合”というこの指とまれの米一国主義戦争であり、先制攻撃と体制転換を組み込んだブッシュ・ドクトリンのデビューだった」(「イラク戦後に描くべき日米同盟の「戦略関係」」)と述べている。

アフガン戦争の終了後まもなく、ラムズフェルド米国防長官は「十九世紀の騎兵隊と二十一世紀の騎兵隊が結合した」と高ぶる勝利感を誇示しつつ、「この戦争(アフガン戦争)を始めるにあたって、われわれ米国はどの国に対しても参加するよう求めなかった。しかし、参加を申し出た国に対しては、喜んでこれを受け入れた」と述べた。

「米国は戦争を行なう場合、その都度、ともに戦う有志を募り、任務次第で連衡する」というこの考え方は、その後ラムズフェルド・ドクトリンと呼ばれるようになった。

二〇〇二年九月二十日に発表された米国の「国家安全保障戦略」は、世界中に大きな衝撃を与えた。それは、「今日、アメリカは比類のない軍事力と偉大な経済的・政治的影響力を行使することができる立場にある」と述べた上で、「数世紀の間、国際法は・・・〈略〉・・・差し迫った脅威に対する先制攻撃の適法性に、しばしば条件を設けていたが、われわれはこの“差し迫った脅威”という概念を、今日の敵対者の能力や目的に適合させなければならない」と主張する。

いわゆる“先制攻撃論”である。従来通念となってきた国際法の考え方では、戦争は正当防衛の論理によって組み立てられてきた。もっと簡単に言えば、「やられたら、やり返す」のである。

“先制攻撃論”はこの考え方とまったく違う論理である。露骨に言えば、正しいと判断されたときは、こちらから相手を先制攻撃することが正当性をもつ、というのである。

しかも、「何が正しいかを判断するのは、われわれ米国だ」とラムズフェルド米国防長官は主張する。この考え方が、長い歴史を通じて国際法体系を築き上げてきたヨーロッパ諸国と、“文明の衝突”を起こすこととなった。

“文明の衝突”は、実は“先制攻撃論”のほかにもうひとつある。“体制転換論”である。二〇〇二年八月、米国防総省(ペンタゴン)は、大統領と議会に対して「二〇〇二年国防報告」を公表した。その中には、「政権転覆(regime change)も新戦略に組み込まれている」と述べられていたのである。

民族自決や内政不干渉といった、従来当たり前と思われていた国際ルールを一八〇度転換した考え方に立つわけだが、世界中びっくりしたのは当たり前である。

この従来の国際法の常識を超えた二つの戦略論理が、ブッシュ・ドクトリンと呼ばれるようになったのである。

船橋氏は、「このような戦争も、このような戦後も、欧州にとっては、そして国際システムにとっても、理念的にも実践的にも未消化のままである」と言う。

いささか難解な表現であるが、これまた露骨に言わせてもらえば、あんまり強すぎてたてつくわけにはいかないが、ずい分勝手なことを言う、と他の国々は腹の中では思っている、というところだろうか。

しかも、ブッシュ・ドクトリンとラムズフェルド・ドクトリンが結合すると、米国が正しいと思えば、なんでもあり得る世の中となったわけだから、弱小国にとって生き抜くのは容易ではない。たてつけば、脅し上げられるし(例:シリア)、気にくわないと見捨てられる恐れがある(例:サウジアラビア、韓国)。とかく、この世は住みにくい、のだ。

かといって、盲目的に“ポチ”のようになって、ついて行ってもいいことばかりではない。ここ数年は良いかもしれないが、その先は本当に良いことばかりが続くのだろうか。この点が思案のしどころ、である。

【XI】
― 大国間の大ゲームと新ゲーム ―

さて、比類のない軍事力と経済力、そして政治力をもったガリバー米国が、他国に対して“なんでもあり”の行動ができる口実を作り出してきたことを、われわれは知った。

だが、このようなやり方は、ブッシュ政権の下で初めて登場したものではない。覇権を握った国は長い歴史の下しばしばこうした状態をくり返してきた。

それは冷戦下でも、冷戦後にも見られたし、共和党政権下でも、民主党政権下でも荒々しいやり方をするかどうかは別として、ある時は軍事的に、またある時は経済面で、他国の制圧をもいとわない行動を取り続けてきたのが覇権国・米国であった。

だが、いまや歴史上“比類のない”と自ら豪語するに至った米国は、世界をどのように見て、どのような考え方で経営していこうとしているのだろうか。

船橋洋一氏は、「二十一世紀の国際政治は、大国間のパワーと勢力を調整する大ゲームと、非対称脅威を取り扱う新ゲームの二層のゲームが複雑に重なり合うだろう。米国はそのいずれの挑戦にも正面からさらされる」と言う。

この百年、米国の外交政策を貫く原則は、「ヨーロッパに対しては、ヨーロッパを一国で支配する国を作らせない。アジアに対しても、アジアを一国で支配する国を作らせない」というものであった。

冷戦終結後、ヨーロッパとアジアを分断してきた政治の壁はとり払われた。あらゆる意味でヨーロッパとアジアは一つの地域になる方向に向かって進みつつある。“ユーロ・エイシア”である。

EU、ロシア、中国、インドを中心に構成されるこの地域は、人口においても経済発展の可能性においても、世界の他の地域とは比較にならない大きさを秘めている。

米国の目からみれば、ユーロ・エイシア全域がまとまって米国と対峙する可能性を想像しなければならない事態となったのである。

イラク戦争前の国連・安全保障理事会で闘われた政治ゲームは、そのまま二十一世紀(少なくともその前半の)の地球上にくり広げられるだろうゲームの主潮流になる。ユーロ・エイシアを一本にまとまらせない。

船橋氏の洗練された表現を借りれば、「米国は、ユーラシアの外にあって、ユーラシアの勢力均衡を図り、なかでもここに大陸的覇権国家を登場させないことを国家戦略とするだろう」ということになる。これがいわゆる国際社会の“大ゲーム”である。

これに対し、非対称脅威感をとり払う新ゲームとはなにか。九・一一テロは、米国と米国の同盟国との間で、テロリズムと大量破壊兵器拡散に対する脅威感をめぐって大きな溝を作り出した。「国家安全保障戦略」を読めば、米国のテロリズムへの思いが尋常でないことがよく分かる。

「アメリカ合衆国は世界中のテロリストと戦争している」と「国家安全保障戦略」は述べている。このような脅威感が作り出すストレスは、米国外交に大きな影響を与えている。

船橋氏は米国の政府高官が、「米国は、世界政治の大ゲームでは、これまでの同盟国、特に日英との同盟関係を重視していく。・・・〈中略〉・・・。しかし、非対称的な脅威や新たな脅威と戦う新ゲームでは、中国、ロシアとの協力も必要だ。二つのゲームでは分けて考えていく」と語ったと述べている。

“右手で握手しながら、左手で殴り合う”と言ったら、多少下品な表現と感じられるだろうか。

虚々実々、自らの国益を冷徹に認識できない国などは、どこかに吹っ飛ばされてしまう時代がやってきたということだ。

【XII】
― エビアン・サミットをみて ―

フランスのエビアンで開催されている主要国首脳会議(サミット)をテレビの映像で見ていると、ドゴール元仏大統領の「この世には永遠の同盟もなければ、永遠の敵もいない」という名言を思い出す。

コソボやアフガニスタンで同盟国として互いに協力し称えあった国々が、ひとたび利害で対立すれば、かくもよそよそしく振る舞い合う姿となる。

冷たい仕打ちに耐えるシラク仏大統領やシュレーダー独首相に比べ、プーチン露大統領や胡錦濤中国国家首席への対応は明らかに異なっている。そこに垣間見られるのは、利害損得の計算である。

かつて、一九八〇年代後半から九〇年代を通じて、米国や欧州諸国はもっぱら日本たたきを続けたものだった。「八〇年代、米国にとって経済の世界における敵は日本であった」、と歴史家ポール・ケネディ氏は彼の著書の中で述べている。日本弱体化のための経済戦争は綿密に計画され、周到な準備と圧倒的は政治力によって実行された。

あまりに見事であったので、日本は経済戦争の当事者であることも認識しないまま、いじめられ、こづかれ、自らの国益が何であるかも自覚することなく敗戦し、いま救いがたい“うつ病状態”に陥っている。

さて、ドイツもまた、いま同じ目にあっている。しかし、一見棒立ちに見えるドイツだが、それほど愚かでもないし、行き当たりばったりの国ではない。一度ユーラシアの国々を歩いてみればよく分かる。東欧、ロシアは無論のこと、中央アジア、モンゴル、中国においてもドイツの存在感は極めて大きい。

そこには国家としてのきちんとした展望があり、ドイツ人らしい重厚な手立てが講じられている。“パタパタ”や“バタバタ”ではなく、“ズシリズシリ”という言葉がふさわしい。

ユーロ・エイシアは、文字通りドイツの生命圏である。ドイツは大陸国家であり、手ごわいライバルとして米国には映るのだろう。

独仏同盟を軽くみる風潮があるが、これはどうかと思う。国際社会は軍事能力のみで成り立っているのではない。その振る舞いに正当性を欠けば、人心は離れる。この世に永遠の支配はない、というのが歴史の教えるところだ。

それにしても、と思う。

この時代、日本はなにを目指して生きていくのか。際限のない内向き志向。ミーイズムの極致。日本政治の場に展開されるドラマはあまりに寒々しい。


http://www.kumagai.ne.jp/column/entry.php?entry_pkey=38

2003年06月04日(水)
 

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