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日本人は辺境島国に棲み言語思想の習慣を持たない。だから海外から伝わる言語思想が入ってきても、対立する言説がなく寛容です。
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/336.html
投稿者 TORA 日時 2010 年 6 月 27 日 12:40:08: GZSz.C7aK2zXo
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu218.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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日本人は辺境島国に棲み言語思想の習慣を持たない。だから海外
から伝わる言語思想が入ってきても、対立する言説がなく寛容です。

2010年6月27日 日曜日

◆なぜ日本人は民主主義よりも資本主義に順応したのか 6月25日 pikarrr
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20100625#p1

(要点のみ)
◆習慣が破れることへの日本人の強迫性

ファーストフードではみなが淡々と注文し食事をしているが、たまにお年寄りが必死に店員と交渉しているのを見かける。はじめてなのか、注文のシステム自体を知らずに恥ずかしそうに懸命に注文している。しかしこのような場面は誰にでもあるだろう。初めての手続きに慣れないだけではなく回りから浮いていることが恥ずかしい。

日本人にとって習慣で処理できないこと、始めての場面に出くわしてフリーズしてしまうこと、は恐怖である。それは日本人でなくても恐怖だろうが、多くを習慣で処理できるハイコンテクストな社会を生きている日本人には強迫的な恐怖である。

外国人は多かれ少なかれ異文化が身近にあり生まれながらに「習慣の破れ」を経験する。そして対処方法も訓練として身につけている。習慣の破れをいかに乗り越えるかといえば、簡単に言えば開き直りの自己主張しかない。そのために西洋人は笑顔と交えた社交性の技術を身につけている。

ハイコンテクストな社会を生き、習慣の破れに慣れていない日本人は慣れずキョドってしまう。自らを主張するとは慣習を越えて自らを曝け出すことであり日本人にはとても不慣れな技術である。

◆思想は身体訓練で伝承される

日本人に思想が無いわけでなく、わざ、習慣、身体訓練として伝承され、言語化されないわけです。実は思想の在り方としてはこちらが一般的です。太古から民族はそうして思想を伝承してきたわけです。まず理解しないといけないことは、言葉は思想伝達法としてほぼ使いものにならないということです。

たとえば会ったことも見たこともない民族がいて彼らの思想について書いた本を読んで何がわかるでしょうか。実際に一緒に生活してみないとなにもわかりません。

言語信仰に毒された現代人にはこれを理解することがまずできない。まさに「馬鹿の壁」が目の前にある。*1

たとえば旨いザーサイを食べたリボーターはいかに読者にその旨さを伝えるか。日本人同士は親しげに「食べてみなよ」と勧めます。西洋哲学者はそれをメタファーや造語を駆使して伝えるわけです。それは実際に食べるより素晴らしくみなを魅了するわけですが、正確な伝達とは別です。

◆言語思想の暴力性

言語で思想を伝えなければならない状況はとても極限的な状況です。その状況とは多民族に自らの思想の正当性を訴えかける弁論述です。

日本人が日本人論を書き始めたのは明治入り知識人が留学を始めてからです。島国日本では思想は、わざ、習慣、身体訓練であり、他者に自らの思想を訴えた経験もなく、当然、うまく言語化できない。それが近代日本知識人の劣等感だったわけです。

いまでもよく、日本人は明確な言語思想をもち外国に主張しなければならないといいますが、本当でしょうか。言語思想を語りあえばわかりあえるのでしょうか。

そもそも西洋の近代思想はいかに発展したか。世界の資本主義化と密接な関係があるわけです。すなわち西洋の貿易先(資本主義)を広めるために、海外に向けては植民地化の正当性を巧みに訴えるためです。たとえば日本人もアジアへ侵略した時は珍しくその思想を懸命にしゃべりましたね。

◆日本人思想の成功法則

日本人は辺境島国に棲み言語思想の習慣を持たない。だから海外から伝わる言語思想が入ってきても、対立する言説がなく寛容ですぐに「かぶれ」る。日本人はいままでの日本人はダメだといいつつ、世代ごとに到来する渡来思想にかぶれている。しかしこれは習慣としての日本思想にすぐに影響がないからできてる、うわっつらです。

たとえばラップミュージックは日本に輸入され30年近く経ちやっと歌謡曲レベルにまで浸透してきましたが、日本人に「YO!」とか言われるとお尻がくすぐったい。

外来思想が真に日本人の思想に影響を与えるには時間をかけて習慣化するときです。人が一度覚えた習慣は簡単に変わらないことを考えると、世代を変えないと新たな習慣は吸収されないといえます。そして習慣化される長い過程で外来思想はいつの間にか日本風にアレンジされているわけです。ここに日本人の伝統的な成功法則があります。

◆「民主主義的な平等」を習慣化することの困難さ

「貨幣の前の平等」は市場経済が浸透することである程度習慣化されて社会に根付くでしょう。実際日本の資本主義は護送船団型としてやって社会に習慣化されて根付きました。不平等(搾取)はおこっているでしょうが、社会全体が豊かになることで許容されてきた。

それに対して貨幣の前の平等を超えた「民主主義的な平等」は、まず言語思考し、理論化して、法整備して制度を作り、さらに教育して、実戦として習慣として社会へ浸透させなければならない。特に言語思考から理論化する習慣に乏しい日本人の苦手な領域です。

過剰な平等は習慣によって社会秩序を維持することに長けた日本人には、杓子定規で感じるでしょう。だから西洋での制度導入を横目に、理念への理解とは関係なく、導入してみるということになります。

◆民主党支持の左旋回が目指すものは

では現在日本でおこっている長期自民党保守政権から民主党政権への左(リベラル)旋回はいかなる意味を持っているのでしょうか。遅ればせながらとうとう日本にも市民(プロレタリア)革命が起きようとしているのでしょうか。

事業仕分けのパフォーマンスに一喜一憂し、首がすげ変えただけで支持する。そこには民主主義の権利と責任のような理念とは別世界ですね。

「貨幣の前の平等」はまた人を無名にすることで孤立させます。だから資本主義への高い順応は自由ですが、孤独である社会を作ります。護送船団型会社社会は個人を地域コミュニティから孤立化させることでまた会社コミュニティへの強い帰属を生み出しました。

しかし護送船団型会社社会が解体しつつあるいま、もどる地域コミュニティもなく、孤立した人々はもはや政府に頼るしかありません。しかし正確には「貨幣の前の平等」による自由気ままを経験している人々の目当ては政府の財布です。「貨幣の前の平等」の習慣を自由に生きたいが先立つものがない。だから富の分配に群がる、ということでしょう。

日本人が民主主義なる理念を習慣化する日が来るのか。そもそも必要なのか。サンデル先生に相談しましょうか。


(私のコメント)
左派政党であるはずの民主党政権が一年も経たずに右旋回をして新自由主義政党になってしまったようだ。菅首相も市民運動出身の左派的な政治家だったはずですが、法人税の減税とその減収を補う為の消費税増税を打ち出してきた。民主党政権では「国民の生活が第一」として弱者救済的な政策を打ち出して国民の支持を得たはずなのに、政権をとって1年も経たずに官僚に取り込まれて自民党と変わらない政党になってしまった。

このように政党のバックボーンとなるべき思想の転換がどうして起きてしまうのか? 社会主義と自由主義とは背反する思想でありながら日本では名前だけ借りて双方とも民主主義政党を名乗っている。新自由主義が暴走して格差社会が日本でも出来つつありますが、貨幣の前の平等とは、生まれも育ちも違っていても貨幣を持っていればその交換価値は同じだという事です。

昔は貨幣を持っていても決して平等ではなかった。士農工商といって商人は金を持っていても身分は一番下であり卑しい存在に置かれた。それが四民平等となって貨幣の前の平等になり、士族だろうが農民だろうが商人だろうが平等にカネを使うことが出来るようになった。貨幣の前の平等とは自由主義のことであり、誰もが働けばカネを稼ぐ事が求められるようになった。だから士族も働いて明治の社会を作っていった。

しかしそのような社会はカネがカネを生み出す社会を作り出して、金持ちはますます豊かになり貧しいものはいくら働いても豊かになれない社会を作り出す。それに対して民主主義の平等とは社会主義のことであり、富の再分配をしていかないと格差社会を是正できないと主張する。

戦後の日本においては自由民主党と言う自由主義と民主主義を併せ持つ政党が一つになり60年近い長期政権を維持してきましたが、自民党は所得再分配制度を取り入れて国民の誰もが中流意識を持つまでになりました。大金持ちでは累進課税で8割以上もの課税が課せられた。いわば日本は一番進んだ社会主義国家とも言われたのですが、小泉構造改革で大胆な新自由主義経済に舵を切った。

金持ちはより金持ちとなって経済を活性化して行くということが言われましたが、格差を広げるだけとなっている。その失敗が政権を失うきっかけとなりましたが、政権を奪った民主党は社会主義的な政策を打ち出して格差を是正していくはずだった。それに対して法人税の減税と消費税の増税は格差を広げさせる。

このような菅政権の新自由主義的への政策転換は自民党とどのような違いがあるか分からなくなる。結局は財務省の官僚に政策を丸投げしているから自民も民主も変わらなくなってしまうのだ。景気の拡大と格差の是正は高度成長の時期なら可能でしょうがゼロ成長の時代では「第三の道」と言っても無理でしょう。

日本には昔から貨幣経済が根付いていたから「貨幣の前の平等」には直ぐに順応する事ができましたが、「民主主義の平等」は社会主義思想でありヨーロッパから入ってきたものだ。「民主主義の平等」とは格差の是正などで誰もが最低限の人権や生活が保障される思想ですが、憲法には書かれていても格差を実感させる事は最近まで無かった。それまでは日本中が貧しかったからだ。

ところが日本でも経済が長期にわたって停滞し始めて、経済の活性化のために新自由主義的政策が取り入れられるようになって累進課税が平準化されて高額所得者や法人税の減税が行なわれた。自由民主党が新自由主義的政策で医療などの負担を増やす半面でグローバル化に対応すると言う事で法人税の減税や高額所得者の減税が行なわれた。その結果会社の経営者には1億円以上の報酬を得る経営者が続出するようになった。

そのような歪みが目立つようになったから「国民の生活が第一」という民主党に支持が集まったのですが菅政権の政策は格差を拡大させる方向のものだ。民主党にも小泉構造改革を支持する勢力がある。つまり日本には自由主義か民主主義かの思想的なバックボーンで政党化されているのではなく怨恨などの人的な要素で政党化している。

今回の小政党の乱立も思想的なバックボーンのある政党はないからそうなるのでしょう。共産党や社民党などは左翼政党として社会主義や共産主義の思想的バックボーンがあるが、中道政党には自由主義も民主主義もごちゃ混ぜだ。しかし自由主義と民主主義は相反する思想であり両立させる事はゼロサム社会では理論的にありえない。

                   ◆◆◆

日本では思想が生活習慣になっているが言語化されていないために外国から言語で思想が入ってきた時に言語で対抗する事ができない。だから日本の思想も言語化して外国に理解してもらう必要がありますが、言語による論争が無い為にスタイルだけ真似て受け入れようとする。文化にしてもファッションにしてもスタイルだけ真似て受け入れる。

外国から異文化が入ってきた時に、言論で対抗できない為に明治維新や昭和の戦後などにおいて外国から異文化がどっと入ってきて抵抗無く受け入れてきた。しかし従来の日本的な文化はそれで滅んでしまったのだろうか? 異文化を受け入れながらも生活習慣化して受け入れるものと排除するものを選別して来ている。しかしそれには時間がかかるだろう。

外国では異文化の混在は避けられないから、異文化に対する対応の仕方も言語化されて議論する事ができる。それに対して日本は異文化が入ってきた時に言論で議論する習慣がない。明治期にヨーロッパから自由主義的資本主義が入って来ても摩擦が起きることなく受け入れた。大戦後の時もアメリカからリベラルな民主主義が入ってきた時も摩擦無く受け入れた。対抗すべき日本の思想が言語化されていないために受け入れざるを得なかったのだ。

自由主義でも民主主義でもない日本の思想が言語化されていれば異文化が入ってきた時も議論をして対抗する事もできたのでしょうが、若い人を中心にしてスタイルや形だけ真似ようとする。戦後もジャズやロック音楽が入ってきて受け入れましたがJ−POP的に習慣化するまでに時間がかかる。戦前から流行歌はあっても大量にジャズやロックが入ってくると若い人はそれに飛びついて歌謡曲は年寄りしか聴かなくなった。

日本でも多くのジャズバンドやロックバンドが出来て100%コピーする事に夢中になった。それがグループサウンドになってジャズでもロックでもないJーPOPになって、今では欧米のヒット曲が日本ではほとんど聞かれなくなっている。では日本的な音楽は何なのかと聞かれても言語化していないから説明の仕様が無い。思想なども音楽と同じように日本的な思想はあるのだが言語として説明できないから、むしろ完璧に真似して受け入れている内に換骨奪胎して日本的に習慣化してしまう。

思想的なものを言語で現して議論して分かり合えるものなのだろうか? 同じアジアでも中国などは常に異文化と接して来ているから欧米の文化や思想を言語化して排除してきた。それが中華思想だ。それが西欧近代文明を日本が取り入れて成功すると他のアジア諸国も日本に留学生などを送って近代化しようとした。

音楽や食文化などは言語として伝える事はできない。実際に聞いてみるか味わってみなければ分かるはずが無い。それと同じように思想も言語として現す事は無理なのであり習慣化して始めて分かるものなのだろう。しかし異文化を持つ異民族に理解してもらう為には言語化して現さなければならない。

日本は欧米の議会制民主主義を100%真似て取り入れてきましたが、それを換骨奪胎して日本に習慣化して根付かせるには時間がかかることなのでしょう。「民主主義的な平等思想」も社会主義として入ってきましたが、資本主義が発展して歪みが出てきて始めて理解できる事だ。日本はようやくその段階に来ていますが、民主党はその受け皿にならないのだろうか?

日本は言語化された文化を持たないために論争する事は無く外国文化を100%受け入れてしまう。しかし取り入れてみて習慣化できないものは排除して行く。自由主義思想も民主主義思想も100%真似してみて受け入れられないものは排除して日本化していくのだろう。

参院選挙による与野党の政策の混乱は、民主党が格差を是正すべき政策から転換してしまった事だ。格差は官民格差が生じており、公務員が730万円の所得を貰っているのに民間の平均賃金は470万円だ。正社員と非正規社員の所得の格差も倍近くある。しかし民主党政権ではこの問題を先送りにしてしまった。

民主党はこの「民主主義的な平等」と言う意味を理解していないのだろう。そして国家予算の分捕り合戦において公務員や天下り役人たちが有利になっている。このような不平等なこのような社会が出来てしまった事に対して民主党は天下りの禁止や公民の給与二割カットを公約して政権をとったのに反故にしてしまっている。ならば民主党は自由党に名前を変えるべきなのだ。

 

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