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世界における経済と教会一と神の経綸(キャプテン・マクの日記)
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投稿者 もみの木 日時 2010 年 11 月 09 日 17:41:58: 7jMSCDqL4TVIk
 


 http://majormak.blogspot.com/

2010年11月6日

オイクメネー(世界)におけるエコノミー(経済)とエキュメニズム(教会一致)とエコノミー(神の経綸)

エキュメニズム(エキュメニカル運動)とは、「オイクメネー」すなわち「人間の生活する全領域」を視野に入れて福音宣教を考えるムーブメントである、ということです。そうして、「オイクメネーをマネージメントするためのノモス」すなわち「人間の生活する全領域を管理運営するための法」が、「オイクメネー+ノモス」としての「オイコノモス(エコノミー)」である、ということです。

エコノミーは、「人間の生活する全領域を管理運営するための法」としての<神の経綸>を意味する場合と、<人間の経済活動>を意味する場合とがあるわけですが、非常に興味深いことに、「エキュメニズム」と「神の経綸」と「経済」とは、非常に密接な関係にある、ということです。

現在問題となっているのは、<グローバリズムによる自由経済システムの悪鬼化>ということです。

為替と金融の自由化によって、ヘッジファンドと呼ばれる高機能金融商品が登場し、ひとつの会社が十数兆円以上もの巨額な資金を運用して、中小国の国家権力を凌駕する強大な存在となっています。90年代のIMF通貨危機では、こうしたヘッジファンドに狙い撃ちされたアジア諸国が、実際に破綻へと追い込まれました。核兵器のボタンではなく、ヘッジファンドを操る複雑なコンピューターシステムのキーを押せば、標的とした国家を一瞬のうちに破滅させることが可能になっているのです。

20世紀においては、世界の第1項としての<国家>の悪鬼化が問題となったわけですが(註1)、21世紀においては、世界の第2項としての<社会>の悪鬼化が、グローバル経済の領域において、特に顕著になってきているわけです。これに対して、世界の第3項としての<教会>は、キリスト者の抵抗権を行使して、悪鬼化するグローバル経済に対して抗議し、グローバル経済を、キリストの王権的・頭首権的支配(註2)の下における「あるべき在り方」に軌道修正させる必要がある、ということです。

(註1)国家の悪鬼化の問題については、カール・バルトが1938年6月にいくつかの牧師協議会で行なった講演の論文『義認と法』を参照のこと。

(註2)イエスキリストが教会のみならず国家と社会をも統治する主権者であることについては、教皇ピオ11世の1925年の回勅『クアス・プリマス』を参照のこと。なお、キリストの統治のもとにある教会と国家という二つの領域が峻別されなければならないことについては、1934年の「ドイツ福音主義教会の今日の状況に対する神学的宣言」である『バルメン宣言』を参照のこと。

それは、「市場原理至上主義としてのエコノミー」が、エコノミーそれ自体の本来あるべき姿である「人間の生活する全領域を管理運営するための法」へと、軌道修正されなければならない、という課題になります。

それでは、「人間の生活する全領域を管理運営するための法」としてのエコノミー(経済)は、どのような特徴を持つのでしょうか。

まず、「人間の生活する全領域」とは、人間の生存を可能にさせている条件としての「創造の秩序」がすべて包含されていなければなりません。この場合の「創造の秩序」とは、政治・経済・社会・文化のみならず、神が創造した地球と、その自然環境、すべての生命からなる生態系を指します。

それゆえ、「人間の生活する全領域を管理運営するための法」としてのエコノミー(経済)は、神が創造した地球と、その自然環境、すべての生命からなる生態系を保全するものでなければなりません。

つまり、神が人間に与えた「世界管理者」としてのコミッション(委任)には、人間のみならず、すべての生命あるものの保全という任務が含まれている、ということになります。

次に、神が人間に与えた「世界管理者」としてのコミッション(委任)は、旧約聖書においては、常に、王権的支配の概念との関わりで捉えられているということです。特に、詩編72編には、「世界管理者」の任務が、王権的支配の概念を使いながら、貧しい者と弱者の保護および救済に焦点をあてて叙述されています。経済的に搾取され、虐げられ、暴力にさらされている、貧しい人々や社会的弱者を救済し、その人たちのいのちを守ることが、「世界管理者」の任務であると言われているのです。

以上のことから、「人間の生活する全領域を管理運営するための法」としてのエコノミー(経済)は、単なる「市場原理至上主義」であってはならないのであり、人間の生活の豊かさと利便性の追及が、必ず、貧しい人々や社会的弱者の救済、社会正義の実現、人権と人道の擁護、自然環境と生態系の保全などと、両立するものとならなければならない、ということになります(註3)。

(註3)人間の生存を保障し、その人格的尊厳を尊重しなければならない責務として、国家と社会と教会が共に等しく神に対して負う責務である「共通善」については、第二バチカン公会議を主導した教皇ヨハネス23世の1968年の回勅『パーチェム・イン・テリス』を参照のこと。「共通善」には自然環境の保護の責務も含まれていることについては、教皇ベネディクト16世の2009年の回勅『カリタス・イン・ヴェリターテ』を参照のこと。

これが、「創造の秩序」と「王権的支配」の概念に沿った「世界管理者」としてのエコノミー(経済)の、本来的なあるべき姿なのです。

そうして、エコノミー(経済)が、この「あるべき姿」から逸脱して悪鬼化しているのであれば、世界の第3項としての<教会>が、キリスト者の世界的連帯による監視と抵抗権の行使によって、悪鬼化を阻止しなければなりません(註4)。こうして、キリスト再臨前の中間時においては、神の経綸によって、まだ決定的な出現を許されていない「不法の力」が、教会によって抑え込まれ、キリストの王権的・頭首権的支配のもとに服従させられることになります。

(註4)市民的抵抗権の前提を成している教会的抵抗権あるいはキリスト教的抵抗権については、カルヴァンの後継者としてジュネーブの宗教改革のために働いた神学者テオドール・ド・ベーズの『抵抗権の源泉』を参照のこと。

この使命のために働くキリスト者の世界的連帯が<エキュメニズム>であるわけです。

ですから、悪鬼化する<エコノミー(経済)>を、<エキュメニズム(教会)>が是正して、<エコノミー(中間時の経綸)>に引き戻す、という動きになります。

このようにして、オイクメネー(世界)は、創造の秩序として、神の経綸の中で、その堕落と悪鬼化にもかかわらず、十字架のしるしをつけられて、キリストの王権的支配の下に置かれ、一般恩恵として、特殊恩恵の前提をなし、そのことにより、キリストのからだの形成に寄与しつつ、主の再臨を待ち望んでいるのです(註5)。

(註5)主イエスキリストの出来事によって、世界保持の奉仕にあたる「諸権力」のすべてに十字架の刻印がきざみつけられたことについては、オランダの改革派教会の神学者ヘンドリクス・ベルコフの『キリストと諸権力』を参照のこと。

現代に生きるファンダメンタリストにとっては、「信教の自由」と「国家権力」の問題、そうして、「キリストの独自性」と「宗教文化多元主義」の問題が、取り組まなければならない目下緊急の課題となっています。

「信教の自由」と「国家権力」の問題にしても、「キリストの独自性」と「宗教文化多元主義」の問題にしても、二項対立的思考法によって捉えてしまいがちですが、むしろ、オイクメネー(世界)の中心に「福音宣教」を位置付けることによって、すっきりと整理ができるのではないかと思います。

それは、次のように考えられます。

1.神は、「世界管理者」に、世界を適切に維持管理する任務を与えた。(創世記1:28)

2.堕罪後・洪水後に、「世界管理者」の任務遂行のために、暴力装置の権能(剣)が付与された。(創世記3:24,9:5-7,10:8-12 申命記32:8 ローマ13:1-7)

3.「世界管理者」は、(1)単に勧善懲悪をなすだけでなく、(2)すべていのちあるものとしての生態系を保全し、(3)搾取され抑圧されている貧困者と社会的弱者を擁護し救済するという、神から付託された任務を負う。(詩編72)

4.悪鬼化した「世界管理者」は、キリスト高挙の出来事によって打破され、武装解除されて、キリストの王権的・頭首権的支配のもとに従属させられている。これが、現経綸である。(エフェソ1:20-21 コロサイ1:16,2:10,13b-15)

5.キリスト初臨と再臨の間の「中間時」である現経綸おいては、キリストのからだなる教会が「福音宣教」を行う。福音宣教が完了するまでは、世界は「世界管理者」によって維持され続けなければならない。 「主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです」(2ペトロ3:9)

6.キリストの王権的・頭首権的支配のもとにある「世界管理者」は、「世界の維持管理」の使命を果たすために、(1)国家権力、(2)世界の管理運営の法としてのエコノミー(経済)、(3)諸民族・諸言語・諸文化・諸宗教の「各法領域」において、キリストの王権的支配のエージェントとして奉仕する。(1ペトロ2:13-17)

以上のように考えれば、世界の存在理由の中心に「福音宣教」が据えられることになります。

そして、福音宣教の場(Sphere)としての「世界」を維持管理する「世界管理者」の働きが、国家権力でありエコノミー(経済)であり諸民族・諸言語・諸文化・諸宗教である、ということになります。 (「人類の養育係・後見人・管理人としてのストイケイア」ガラテヤ3:31-4:11)

そうなりますと、国家権力も、エコノミー(経済)も、文化多元的社会も、宗教多元的社会も、いずれもが、「福音宣教の前提としての世界」を維持するために専心奉仕している「キリストのしもべ」にほかならない、ということになります。

もちろん、国家権力・経済・諸文化・諸宗教が「悪鬼化」するという事態が常にあるわけだし、過去にもあったわけです。

しかし、この中間時においては、「不法の力」は「抑えるもの」によって、抑えつけられているのです。(2テサロニケ2:7)

オスカー・クルマンは、この「抑えるもの」を「福音宣教」にほかならないと考えているわけですから、構図としては、国家権力も経済も諸文化も諸宗教も、キリストの王権的・頭首権的支配のもとで、「福音宣教」に対して従属させられており、「福音宣教」の前提条件である「世界」の維持管理のために働いており、「福音宣教」によってその悪鬼化を抑制されている、ということになります。(註5)。

(註5)諸権力の悪鬼化を中間時において抑止している力としての「福音宣教」については、アルザスのルター派教会の組織神学者オスカー・クルマンの『キリストと時』を参照のこと。

このような、<福音宣教を中心とする世界観的パラダイム>を、従来の「世界福音主義」(World Evangelicalism)に代る、「福音中心的世界観」(Ecumeno-Evangelical Cosmology)とでも言うことが出来るでしょう。

さて、「福音中心的世界観」(Ecumeno-Evangelical Cosmology)においては、世界の第1項である「国家」と、第2項である「社会」が、「世界管理」の任務を遂行し、そのようにして維持されている世界において、第3項である「教会」が、「福音宣教」の任務を遂行することになります。

そうして、「国家」あるいは「社会」が、「世界管理」の任務から逸脱して、悪鬼化しようとする場合。たとえば、破壊的な長期総力戦の遂行、ヘッジファンドによる中小国の破壊、地球温暖化防止に対するコミットメントの欠如、など、が見られた場合。

世界の第3項である「教会」は、キリスト者の世界的連帯に基く監視と抵抗を行って、「国家」と「社会」の悪鬼化を抑制しなければなりません。

それでは、世界の第3項である「教会」は、どのようにしたら、「世界管理者」の悪鬼化を抑制することが出来るのでしょうか?

「教会」が、キリスト者の世界的連帯を行うことを困難にさせている理由として、これまで、「聖書霊感」「信仰と職制」「教皇首位権」という、三つの大きな見解の相違が存在してきました。

「聖書霊感」を中心に連帯しているのが、ローザンヌ世界宣教会議。
「信仰と職制」を中心に連帯しているのが、世界教会協議会。
「教皇首位権」を中心に連帯しているのが、ローマカトリック。

・・・という構図に整理することも可能でしょう。上記のそれぞれの間には、越え難い問題が存在していますが、一致を目指す神学的対話は粘り強く続けられています。

こうした状況にあっても、故フランシス・A・シェーファー博士は、キリスト者が一致出来る点において結集して「共同戦線」を張るべきである、と提唱しました。

「聖書霊感」「信仰と職制」「教皇首位権」をめぐる越え難い相違が存在してはいるものの、世界の第1項である「国家」と第2項である「社会」の<世界管理者としての任務からの逸脱と悪鬼化>に対しては、キリスト者は相違を棚上げして、「共同戦線」を張ることが可能ですし、事実、そうした共同戦線の試みがなされて来ています。

こうした「共同戦線」の具体例として、日本キリスト教協議会(NCC)、日本福音同盟(JEA)社会委員会、日本キリスト教会、日本キリスト改革派教会東部中会社会問題委員会、日本カトリック正義と平和協議会が共同で運営主体となっている「平和を実現するキリスト者ネット」を挙げることが出来るでしょう。ここには「聖書霊感」「信仰と職制」「教皇首位権」といった相違を乗り越えた、キリスト者の連帯が見られます。

さて、では、そのようにしてキリスト者が世界的連帯による監視と抵抗を行うとしても、どのような抵抗が可能なのでしょうか?

この点で示唆を与えてくれるのが、最近、米長老教会(PCUSA)が検討している、問題のある多国籍企業に対する「教会投資資金」の引き上げ措置です。

これは、人権や人道に対する深刻な侵害、破壊的な武器の開発製造と輸出、大規模な自然環境破壊など、問題を起こしている多国籍企業に対して、教会が抗議を行い、問題の是正が見られない場合には、教会が資金運用のために投資している「教会投資資金」を、段階的あるいは全面的に引き上げる、という対抗手段です。

もし、世界教会協議会系諸教会、ローザンヌ世界宣教会議系諸教会、ローマカトリック系諸教会が、世界的な「共同戦線」を形成して、「世界管理者」の逸脱と悪鬼化への対抗手段として「教会投資資金」を武器にすることができるなら、「世界管理者」の逸脱傾向に対してかなり有効な抑制になるであろうと考えられます。

諸教会の合意さえ形成されれば、諸教会の投資資金を結合して運用することは、現代のコンピューター技術では簡単に出来ることでありましょう。

このようにして、ヘッジファンドの悪鬼化を抑制する「地の塩としての教会ファンド」という21世紀的な可能性が、米長老教会の試みによって示されているのです。

「福音中心的世界観」(Ecumeno-Evangelical Cosmology)に立脚して世界を眺めたときに、「宗教文化多元主義」は、どのように評価されることになるでしょうか?

従来のアプローチですと、キリストの福音の卓越性を強調して、宗教文化多元主義を拒否するか、あるいは、キリストの福音の包括性を強調して、宗教文化多元主義を肯定するか、ふたつの選択肢しかなかったように思われます。

しかし、「第3の選択肢」を考えることが可能であろうと思われます。それは、次のようになります。

1.創造において、神は「世界管理者」に、世界管理の任務を付託した。

2.人類の堕落後において、「世界管理者」が、世界管理の任務を適正に行わなかったために(あるいは放棄したために)、地に暴虐が満ち、神の裁きとしての「宇宙的災忌」(ノアの洪水)を招来した。

3.洪水後、神は「世界管理者」に、暴力装置としての権能(剣)を付与して、社会の秩序と安寧の維持に専心してあたるよう命じた。

4.しかし、人類は、単一の言語、単一の民族、単一の文化、単一の宗教であったために、容易に結束して「全人類的規模による『神への反抗』」(バベルの塔)を行うに至った。

5.神は、人類を、多数の言語、多数の民族、多数の文化、多数の宗教に分散させ、「多数の世界管理者」の支配と監督のもとに置いた(人類の後見人・養育係・管理人としての「この世を支配する諸霊」)。

6.キリスト初臨と再臨の間の「中間時」にあっては、人類は、後見人・養育係・管理人としての「この世を支配する諸霊」の支配から脱却して、キリストの贖いの恵みに入り、「新創造としてのキリストのからだ」の肢体となる。

7.しかし、キリストの贖いの恵みへの招きが行われ続けている「中間時」にあっては、多くの「いまだ贖われていない人々」が世界に居住しており、このため、引き続き、「多数の世界管理者」が、人類の後見人・養育係・管理人としての任務を行わなければならない。 このため、キリストのからだに参与した人類としての「キリスト者」は、<もはや・この世の諸霊には支配されていないが・しかし・この世の支配と秩序に対して「自己の良心のため」と「主イエス・キリストのため」に服従すべきである>という、「中間時の中間倫理」を命じられている(ローマ13章、ペテロ前書2章)。

8.かくして、「宗教文化多元主義」とは、(1)神が「多数の世界管理者」に付託しているところの「中間時における世界管理のミッション」であり、(2)それは、創造における神の主権に由来するものであり、(3)かつ、人類堕罪後における神の経綸的・摂理論的な支配に基くものであり、(4)さらに、全宇宙的な贖いの秩序としてのキリストの王権的・頭首権的支配に従属しており、(5)それ自体は人類を救う能力を持たないが、(6)人類を分散管理することによって「全人類的規模の集団的な『神への反抗』」を未然に防止する機能となり、(7)そうすることにより、贖いの恵みへと招かれるべき人類を、秩序ある安寧な生活の中に生存させ、(8)こうして、贖いの恵み(特殊恩恵)に対する前提条件としての「創造の秩序」(一般恩恵)の一部を構成しているが、(9)しかし、永続するものではなく、キリストの再臨をもって、その使命を完了し、解消されることになる。

以上の見方によって、「宗教文化多元主義」を、キリストの福音の卓越性を強調するゆえに否定するのでもなく、キリストの福音の包括性を強調するゆえに肯定するのでもなく、キリストの福音の中心性を強調するゆえに、<十字架のしるしをつけられた世界管理者>としての「正しい位置」を与えることが出来るであろうと考えられます。

上記のような世界観的パラダイムに立つならば、世界史の中心は「キリストの贖罪のみわざ」であり、世界史のベクトルは「キリストの初臨から再臨へ」と方向付けられており、世界が管理され維持されている理由は「福音宣教」による「キリストのからだの形成」のためである、ということになります。

「福音宣教」のために維持されている世界においては、世界の第1項である「国家」が、社会の秩序と安寧の維持のために、神から付託された暴力装置の権能(剣)を行使し、また、地球環境と生態系を保全し、社会的弱者を保護・救済します。

また、世界の第2項である「社会」が、諸言語・諸民族・諸文化・諸宗教によって、社会生活の秩序と安寧を保障し、また、そのようにして人類を分散管理することにより、「全人類的規模の集団的な『神への反抗』」を未然に防止します。

そうして、世界の第3項である「教会」が、福音宣教を進めることによって、キリストの贖いに招かれている人類を集めて、キリストのからだを形成すると共に、キリスト者の世界的な連帯と監視により、世界の第2項である「国家」と第3項である「社会」の悪鬼化を抑止するのです。

このような世界観的パラダイムにおいては、相互に異なる多様な文化や文明は、お互いに闘争し滅ぼし合う関係にあるのではなく、<「贖いの秩序」の前提条件をなすものとしての「創造の秩序」を維持管理する「世界管理者」としての任務>を協力して担うべき関係にあります。

かくして、言語の多様性、民族の多様性、文化の多様性、宗教の多様性は、<贖いの秩序のための前提条件>として、保障され、保全され、維持されなければならないことになります。

このようにして、英語だけではなく、ウェールズ語、イロカイ語、ケチュア語、イディッシュ語、アイヌ語、気仙沼方言が保存され、使用され、発展させられなければなりません。

また、ファーストフードだけでなく、スローフード、民族料理、郷土料理が保存され、食べられ、発展させられなければなりません。

また、コンピューターネットワークで動く国際金融経済だけでなく、ローカルな通貨やコミュニティー通貨による地方経済、さらには、交換経済が保存され、使用され、発展させられなければなりません。

このような「多様性」が喪失されるならば、それは、全人類的規模による集団的な「神への反抗」である、「バベルの塔」の再来を意味することになります。

あの「バベルの塔」は、黙示録においては「バビロン」という名前で登場することになりますが、幸いにも、「中間時」にあっては、「福音宣教」によって、その出現、すなわち、バベルの塔の出現は、抑止されているのです。

以上述べてきたことの結論として、こういう命題が立てられるでしょう。

1.世界は「福音宣教」のために維持され、管理され、保全されている。

2.世界の管理の任務にあたっているのは、「多数の世界管理者」としての多様な諸国家・諸言語・諸民族・諸文化・諸宗教である。

3.「福音宣教」が完了するまでは、多様な諸国家・諸言語・諸民族・諸文化・諸宗教は、尊重され、保存され、維持され、発展させられなければならない。
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コメント
 
01. 2010年11月10日 01:36:39: B5offegeiY
阿修羅さんへ
キリスト(の教え)は不完全だから、キリスト自身を殺させてしまったのですよ。
(その時にはキリスト自身、神に見放されたような話をしてますよね。実際、見放されたのです。私はキリストの復活を後の時代の作り話と思っています。どうせ、誰も実際に目で見た人はいないのですから。)

仏教は「殺さない、殺させない」です。もちろん自分に関してもです。
(自分自身を直視してますから。自分が幸せでありたい。だから巡り巡って自分に返ってくる悪因果を無くすのです。だから他の人の、他の生き物の幸せを祈るのです。全て現実を肯定するところから始まっています。)
イギリスに仏教が伝わったのは何故かご存知ですか?
調べたらおもしろいことが分かりますよ。
興味が無いなら調べず放っといてください。興味の無い人に真意を伝えられるわけありませんから。


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