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あんなにわかりやすくて面白いものを、あんなに誰も読む気のしないような翻訳にするなんて。-c
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投稿者 海幸彦 日時 2011 年 7 月 19 日 21:43:03: jY0c1QUHK1KaM
 

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続・ハイデガーがわかる
「・・・ 
 ぼくは岩波新書の『現象学』(一九七〇年)を書いたとき、シェーラーにはまったく触れていません。そのころ、現象学の展開に果たしたシェーラーの役割がよくわからなかったのです。しかし、そこでシェーラーはかなり重要な位置を占めているのです。

 シェーラーは、当時進行中であった生命諸科学の領域での方法論的改革−たとえば、生物学の領域でのヤコプ・フォン・ユクスキュルの〈環境世界理論〉、心理学の領域での〈ゲシュタルト心理学〉、神経生理学の領域でのゲルプやゴルトシュタインの〈全体論〉−に注目し、それらの改革に共通する哲学的意味を読みとり、それを統一的な知的革新の運動として推進するところに〈現象学〉の使命を見いだしたのです。そして、たとえば生物学界でほとんど無視されていたユクスキュルの環境世界理論を広い知的世界に紹介するだけではなく、それに示唆を得て、自分でも〈哲学的人類学〉の構想を立てました。これは、ユクスキュルが動物のいわば〈環境内存在〉を問題にしたのにならって、人間をも、それが一個の生命体として自己特有の環境のなかで、その環境ととり結んでいる機能的円環関係に即して捉えようとするものでした。彼の考えでは、動物はそれぞれがその種に特有な環境にとりこまれ、それに適応しながら生きているー彼はこれを〈環境繋縛性〉と呼びます−のに対して、人間は、〈世界〉という自己特有の環境をある意味でみずから形成し、それに適応することによって人間として生きているー彼はこれを〈世界開在性〉と呼びます−というのです。

 メルロ‥ポンティは明らかにこのシェーラーに教えられて、動物の〈環境内存在〉、チンパンジーの〈世界内存在〉という言葉を使っているのです。ぼくも、ハイデガーの〈世界内存在〉という概念にどこか生物学的な意味合いがあるのではないかと予想はしていたのですが、『存在と時間』ではそうしたことをまったく匂わせないので、自信がもてないでいたのです。農専にいたときお世話になった阿部襄先失が動物生熊学をやっておられ、ユクスキュルの環境世界理論の話を時どきなさっておられましたので、多少の知識はあったのです。それを、メルロ・ポンティがあからさまにこういうかたちで論じてみせているので、やっぱりと自信がもてたわけです。そして、ぼくの予想は当たっていました。

 その後、ハイデガーの講義録、が続々と出はじめたのですが、ある講義(『論理学―真理への問い』(一九二五−二六年冬学期)で、こんなことを言っています。「<世界内存在>というと、すぐ最近の生物学の応用ではないかと思うだろうが、そうではない。」むしろ生物学者が動物の〈環境内存在〉といった概念を提出するとき、彼は自分自身の〈世界内存在〉を参照しているのであり、いわば哲学者として思考しているのだ、と言うのです。これでは、ハイデガー、が同時代の生物学から影響を受けたことの否定にはなっておらず、むしろ、それを積極的に認めていることになると思います。つまり、自分が影響を受けたのは生物学者ユクスキュルからではなく、哲学者ユクスキュルからだと言っているだけなのです。
 また、別の講義録(『形而上学の根本概念−世界・有限性・孤独』(一九二九−三〇年冬学期)では、「石は世界を持たない」「動物は貧しい世界しか特っていない」「人間は世界を形成する」といった三つのテーゼを掲げて、一種の階層理論を展開しています。そして、第二のテーゼをめぐっては、生物学の新しい知見をどんどん活用しているのです。

  よく考えてみると、ハイデガーの「世界内存在」という着想は、シェーレーが『宇宙における人間の地位』という講演のなかでつかっている「世界開在性」という概念にヒントをえたものに違いないのです。この講演は一九二七年におこなわれ、没後の二八年に公刊されたものですから、ちょっと時間が合わないように思われますが、それ以前にハイデガーがシェーラーとひんぱんに会って話しあっていたことを、ハイデガー白身がほかの講義(1929年夏学期)のなかで認めています。おそらく談話を通じて、ハイデガーはシェーラーの影響を強く受けたにちがいありません。

 二人とも結局はフッサールから破門された異端の弟子です。この時点でシェーラーはすでに破門されていたのですが、まだ破門されていないハイデガーとケルンでよく会っておしゃべりしたと、シェーラーの死の直後におこなった追悼講義(前記一九ニ八年夏学期の講義録所収)でハイデガーが話しているのです。ちなみに、シェーラーという人はすごいおしゃべりだったらしくて、スペインの哲学者のオルテガなどにもおしゃべりをとおして強い影響をあたえています。ハイデガーがシェーラーから新しい生物学の動きについて情報を仕入れていたということは十分にありうることです。
 ハイデガーは同時代の思潮にとても敏感な人です。たとえば、ルカーチの『歴史と階級意識』一九二三年)などもいちぱやく読んで、<物象化>という概念を学びとり、『存在と時間』のなかで数回使っています。ハイデガーとルカーチは年齢も近いし、若い頃から、新カント派のエミール・ラスクの周辺でおたがい相当意識しあっていたにちがいありません。

 一九二〇年代は生物学をはじめとする生命科学の大きな転換期でした。ハイデガーは、おそらくシェーラーに示唆されて、その動きに関心をもち、自分でも物質と生命と人間をつなぐ理論を構想したりしています。ですから、シェーラーをとおしてユクスキュルの環境世界理論に興味をもってもおかしくないのです。事実、講義録ではユクスキュルに言及しています。ですから、ハイデガーを理解するのに、アロン・ギュルヴィッチを介してシェーラーを勉強したメルロ・ポンティの考えがヒントになるというのは筋の通った話なのです。

 ハイデガーの講義録を読むと、具体的な材料に即してじつに平易に書かれています。ただ、ハイデガーも性格の悪い男ですから、本にするときは本当のネタは隠してしまいます。講義録では、「世界内存在」の概念はユクスキュルの環境世界理論とつなげて、じつによくわかるように説き明かしているのに、『存在と時間』では、ユクスキュルのユの字も出しません。その先駆者のフォン・ベーアという生物学者の名はちらっと出しているのですが。それを、講義録ではユクスキュルの名前をちゃんと出して、その環境世界理論に言及しているので、かなり小意地の悪いところはあります。
 日本のこれまでのハイデガー研究者たちは、そんなことは予想もしないので、ハイデガーが『存在と時間』で言っていることを繰りかえすことしかしていません。

 創文社の「ハイデッガー全集」の邦訳で読むと何か何だかさっぱりわからないけれど、ハイデガーの講義録は、普通の日本語に訳せば、平明で実によくわかります。著作と講義とは全然違います。講義には、書いたものには目立つレトリカルなところがまったくありません。ぼくも『シェリング講義』という講義録を翻訳して新書館から出しました(一九九九年)。その本の後半部はハイデガーは投げてしまって、引用でつなげているような感じですが、前半部のシェリングの『人間的自由の本質』の序論にあたる部分はじつにくわしく逐条的に解説していて明快です。どの講義録もそうです。
 講義には、学部の学生相手の一般教養科目のようなレベルのものもあれば、上級者相手のものもあります。中には適当にやっている講義もないではありません。でも、必ず一か所か二か所、泣かせるところがあります。飽きると途中で投げてしまうようなこともありますが、必ず「うーん」とうなされるところがあって、読みごたえがあります。

 だから、いま創文社でやっている全集の邦訳は文化的犯罪だと思います。あんなにわかりやすくて面白いものを、あんなに誰も読む気のしないような翻訳にするなんて。
 ハイデガー自身も講義のときは、たとえば、ナチスにコミットして動揺しているようなときは、ああ、動揺しているなとわかるような話し方をしています。また、しゃべっていて、しゃべりすぎて自分で何を言っているのかわからなくなってくるようなこともありますし、その時どきの心理状態がよく伝わってきます。書くときは、どうして、ああ勿体ぶるのでしょうか。やはり講義録では、正規の業績と認められたいからでしょうね。認められるには『存在と時間』のような書き方をしなくてはならないのかもしれません。

 ぼくはメルロ・ポンティを読んでいて、ハイデガー理解の端緒をつかめたのですが、それはぼくが農林専門学校出身だったおかげでもあったと思っています。旧制高校には文乙とか文丙だとかあって、第二外国語をドイツ語とかフランス語とか決めてしまいます。それで変な専門家意識をもってしまうのです。だから、ドイツ哲学をやっている人でフランス哲学を読む人が少ないのです。ぼくは何もかも独学で自己流ですから、妙な自己規定はしないですみました。ドイツ哲学を勉強していても、メルロ・ポンティが面白そうだとそっちも読んでみます。でも、普通はそんなやり方はしないようです。もっと専門家意識が強いということなんでしょうね。
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